とある風紀委員の日常   作:にしんそば

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第107話

 

 

 

 

 

 黒。

 黒一色。

 人工物どころか、起伏の存在すら許されない世界。

 左右も無ければ、上下も無い。

 光も無ければ、そこが闇かも分からない。

 そのどこかに、白い少女がいた。

 

「――――」

 

 膝を抱えて丸くなっているその少女は、その長い白髪をゆらゆらと揺らしていた。その瞼はうっすらと開き、奥に沈んだ蜂蜜色の瞳は、生気なく無を眺めていた。

 

「―――」

 

 声は出せない。思考という概念が無い。

 過去のすべてを封じた代償に、未来のすべてを否定された白い少女は、その世界に疑問が持てなかった。

 

『ネーネー』

 

 世界のどこかに、声が生まれた。

 白い少女のものではない、どこか調子に乗った、余裕のある女の声だった。

 

『なんでこんなことになったか知ってる?』

 

 白い少女は答えない。

 

学園都市(この街)では、クローンどころか本物の人間でも、モルモットとして扱われる。キミのようにね、入江明菜ちゃん』

 

 白い少女は答えない。

 

『科学の名の下に、人間の尊厳が踏み躙られてるんだよ』

 

 白い少女は答えない。

 

『許せないよね?自分をこんな目に遭わせた奴らを、許せるわけないよね?』

 

 白い少女は答えない。

 

『少し先に、この街の司令塔があるよ?アレがある限り、キミみたいな子がたくさん生まれるんだけどー……』

 

 白い少女は答えない。

 

『……チェー。自意識どころか、人格すら無いんだったら、誘導も何もできないじゃん』

 

 一方的な会話――とすら呼べないような無反応に、その声は落胆したようにトーンを落とした。

 少なくとも白い少女は、その声を知らなかった。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

『マ、その方が幸せなのかもねっ。自分のせいで数百万人が死んだら、フツーは耐えられないんだしっ』

 

 その声が届いていないことは明白だが、会話の切りどころが分からなかったのか、知らない声はさらにそう続ける。

 

『手綱は外してあげるから、思う存分暴れてね。『8人目』ちゃん!』

 

 声の後には、何も残らなかった。

 いま起きたことさえ忘れてしまった白い少女は、何を考えることもなく、蜂蜜色の瞳に影を落とす。

 視線の先には、何も無い。

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

 ゴッッッ!!!と、衝撃波が炸裂した。

 風紀委員(ジャッジメント)副委員長(No.2)にして、実質的な支配者である松浦奏は、ビルが爆ぜる光景を静かに見上げていた。

 その蒼氷玉(スイスブルー)の瞳が、ほんの一瞬だけ手元を捉える。

 

「副委員長。保安科のほか各部異状なし。現在、傷者について確認中。『本部』の移管30%です」

「おっけー。それじゃ――達する。保安科確認後、対NBC戦用意」

 

 短く息を吐いて、腕時計型の端末にそう告げる。

 それを近くで聞いた風紀委員は、絶句したように目を丸くしていた。

 

 対NBC*1戦。

 数ある『事態』の中でも、最も被害規模が大きく、最も対処が面倒なものだ。

 

「え、NBC戦ですか!?」

「うん。急いで」

 

 驚いて止まっている報告者に向けて、短い腕を伸ばした。するとその子は、思い出したように持ち場に戻っていった。

 その子と同様、私も内心では冷や汗が流れている。

 

「(この命令を下すのは、さすがに初めてだねー。ある意味貴重な経験かも)」

 

 大量破壊兵器という、およそ戦争でしか聞かない言葉に、学生の組織が単独で立ち向かうのだ。嫌気がさすのも仕方ない。

 

 今回の場合、対核兵器戦だ。

 もちろん核ミサイルが撃ち込まれる訳じゃない。ただ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「続いて達する。保安科以外の非対処員は本部移管の応援。保安科の確認と本部移管は焦らず、確実に。傷者の保護は現時点で最優先。緊急なら私の許可と指示は不要。明菜ちゃんは待ってくれないよ!」

 

 自身の金髪をかきあげるも、目線は執務室――の、跡地に向けて離さない。私の部屋に居座る埒外の暴れん坊から、なるべく目を離したくなかった。

 

「(明菜ちゃんの電荷反発(アンチマター)は、触れた物質の電荷を反転させることで、結果として反物質を生み出す……と言っても、発生した瞬間に対消滅*2するから、単発的な爆発しか起こせない。だけどー)」

 

 反物質は、この宇宙にほとんど存在しない。

 通常の物質と触れた瞬間に爆発し、莫大なエネルギーを残して消滅するためだ。そのため、『通常の物質』に満ちたこの宇宙では、反物質はほとんど存在できない。

 

「(それでも、量によっては街が吹っ飛ぶ)」

 

 仮に1gの反物質であれば、エネルギーは90兆J(ジュール)。広島型原子爆弾で換算すれば1.5発分だ。

 

「(問題は、同時にどれだけの反物質を作れるか。仮に皮膚すべてに触れた原子が同時に反転すれば……えーっと……広島型原爆の半分くらい?いずれにせよ、その衝撃が『直近の危険』かな)」

 

 対消滅で発生するものは、大きく分ければ3つある。

 1つが、シンプルな爆発。

 

 暗算で導かれたエネルギー量は、少なくとも第一学区に壊滅的被害を与えるには十分なものだった。

 

「(次に『短期的な危険』――熱。近距離で食らったら、焼ける前に溶けちゃう)」

 

 次に、熱や音、光といったエネルギー。

 この中で危ないのが熱だ。見えないし、温度によっては即死しかねない。数十mも距離を取ればまだ安全だが、直撃を食らうのは危険すぎる。

 

「(最後に『長期的な危険』――放射線。これがイヤ)」

 

 手元の端末には、無機質な数値が浮かび上がっている。

 それは、放射線の測定値だった。

 

 対消滅で発生したエネルギーの内訳は、爆発が50%、熱や光が20%、そして残りの30%は放射線*3に分けられる。

 

 不可視で、広範囲で、そう簡単には防げない。

 長期的な被害をもたらす放射線の危険性は、この中では最も分かりにくく、最も致命的だ。

 少なくとも私がまだ生きている以上、即死量*4レベルではない。

 もっとも、なんの後遺症もなく回復できる、とは言ってないが。

 

「(もし私が急性放射線障害になってるなら、残り時間は1〜2時間ってとこかな)」

 

 適当に計算して、自分の死のラインを思い浮かべる。

 いずれにせよ、それまでに決着を着けなければ、街も私もゲームオーバーだ。運良く死ななくても、後遺症が残る可能性が高い。

 まだ中学生なのに、そんなのはまっぴらだ。

 

「簡単に滅亡の危機になるねー、この街は」

 

 にゃはは、と苦笑する。

 明日の紅茶を飲むためには、反物質と放射線を相手にする必要があるらしい。それを乗り越えた先で味わう紅茶は、さぞ甘美なことだろう。

 

「まっきー。すぐに戻って精密検査を受けて。異常の有無に関わらず、この後は予備対処員として一旦待機。結果は誰を経由してもいいから、すべて私に伝えて」

「分かりました。では副委員長も」

「今はいい。先に行ってて」

「……は?な、何をおっしゃるのです?副委員長こそ今すぐ治療を――」

「未知を相手にしてるのに、状況判断が遅れる日陰には隠れてられないもん」

 

 まっきーは数秒間絶句して、諦めたように首肯し、本部の入口へ駆け出した。

 能力を使ったのか、みるみる小さくなる背中を見送り、改めて明菜ちゃんと向き合う。

 

「おー、いつにも増して白くなったねー」

 

 人の形に似たそのシルエットは、陶器のように白く、床から少し離れて不自然に静止していた。

 その背中から生えている、雲を束ねたような薄衣の翼。それが軋み音をたてながら成長し、ビルの頂上で歪に光っていた。

 シルエットの顔にあたる部分には、眼球があるべき場所に、墨汁を満たしたような黒い穴が2つだけ。

 

「(明菜ちゃん自身は無傷……あの白い鎧みたいなのが、爆発から守ったのかな?)」

 

 どんな物質でできているのか――いや、今はいい。

 分かったのは、あの白い鎧が、『反物質でも壊れない強度がある』ということ。

 

「(正直困ったなー。割と隙がない。というか、力が大きすぎて対策しにくい)」

 

 大軍に兵法なし、とは少し違うが、単純に強すぎる力は、少しの策を踏み潰せてしまう。 

 勝負を決めるMNW(ミサカネットワーク)の接続口たるチョーカーは、あの白いので包まれた。それで、その強度は先ほどのとおり。

 近付けば爆発と熱、離れれば放射線、逃げて覚醒されればゲームオーバー。

 

 さーて、どこから手をつけようかな。

 そんなことを思っていたら、遠くから足音が聞こえてきた。

 見ると、それは完全装備を纏った風紀委員の『対処員』たちだった。

 

「副委員長。保安科の確認終わり。各部異状なし。傷者なし。『本部』の移管50%です。また対処員第1直、到着しました」

「了解。みんなどうして現場じゃなくてここに?」

「正木委員からの報告です。それと、副委員長の装備もこちらに」

「おっ、ありがとー」

 

 見慣れた装備を受け取ろうとする……前に、みんなが私を囲んで、私に装備し始めた。

 この中では私が1番小さいため、必然的に埋もれてしまう。うむむ、私は着せ替え人形かな?

 

「ま、いっか。それじゃ、館内放送を屋外まで拡大。あと放送機材の予備は多めに、壊れ次第すぐに繋げるように。多分相当数壊されるから。それと、今後のマイク管制は私が直接やるから、マイク係はそのまま予備に回ってね」

 

 流れに身を任せながら、準備を整えていく。

 先方にはもう連絡はしたし、相応の用意はしてくれるだろう。でないと困る。

 

 装備が完了して、小さく息を吐いた私は、そこでゆっくりと振り返った。

 

「さて。迅速な準備ありがとう。みんなほどの風紀委員に、特別なことを言う必要なんてない――けど、それじゃ締まらないもんね。だから1つだけ」

 

 その先にいたのは、本部の風紀委員たち。

 風紀委員全体の1%未満というエリートであり、中でも『対処員』に指定されている、正真正銘の精鋭たちだ。

 そのため、わざわざ命令を下す必要すらない――だからこそ、私は本心をひと言だけ告げた。

 

「――私より先に倒れることは許さない」

 

 完全装備のマスクで、みんなの口元は見えない。

 だが、目の前にいる全員が、ニヤリと笑った気がした。

 

 そう、私たちは風紀委員。

 危険を顧みず、他人のため、街のために動く、正義の治安維持組織――ではない。

 

 自らの行いが『正解』であると信じて疑わず、それを証明するべく、我先にと火事場に飛び込むイカレ集団なのだ。

 

「さーて、行こっか。己の正義と、学園都市の闇が呼ぶ方へ――賽は投げられたよ」

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

「……やっぱりねぇ」

 

 同学区に位置する名もないビル。『外装代脳(エクステリア)』が保存されるビルの内部に、1人の少女が潜んでいた。

 名は食蜂操祈。

 常盤台の女王にして、超能力者(レベル5)の第五位を冠する少女だった。

 

「(非力なオジーチャンなら楽だったけど、そう上手くいくわけないか)」

 

 嘆息して、慣れないながらも走り出す。

 手元にあるデコった携帯端末には、監視カメラの映像が写っていた。

 そこには、催涙ガスや電撃といったトラップを受けながらも正面から突破する、背中の丸まった老人がいた。

 

「(大人なのに能力を使ってる。しかも複数。これは……)」

多才能力(マルチスキル)。木山君みたいに1万人とはいかないけどね。おもしろそうなのを何人か拉致……じゃない保護して力を拝借してるよー』

 

 画面越しの木原幻生が、読み取ったかのようにそう告げる。

 

 多才能力。

 強引に脳波を調律し、脳波の巨大なネットワークを築くことで、強力な能力を複数顕現させることだ。

 数ヶ月前、とある才女が起こした大規模な集団昏睡事件は記憶に新しい。

 

「……そう言えば、犯人の木山春生とは施設が同じだったわねぇ」

『予想してなかった訳じゃないでしょ?木山君に脳波調律のインストラクションを授けたのは僕だからねぇ。食蜂君も噂くらい聞いたことあるんじゃないかな?」

 

 幻想御手(レベルアッパー)

 脳波を強引に調律し、特定の波長にする装置だ。木山春生はそれを用いて、能力者の脳波を自らのものにすり替えることで、使えないはずの能力を行使したのだ。

 

「……もしかして、外装代脳(エクステリア)を奪ったのも」 

『『登録』を煩雑にすることで乗っ取りを防ぐ?甘いねぇー。『登録』などしなくても、巨大脳を()()()()()()()調()()()()()()()()能力は僕のものなんだよ』

 

 グッと、端末を握る手に力が入る。

 まんまと出し抜かれた。いや、この老人からすれば、こんなのは謀略にも劣る作業なのかもしれない。

 そう観念した私は、素直に聞いてみようと思い、端末にこう問いかけた。

 

「入江明菜を絶対能力(レベル6)に……たしか、絶対能力(レベル6)に到達力のある能力者は第一位だけ、という結論が出てたんじゃなかったかしらぁ?」

 

 声に気付いた幻生は、頑丈なはずの遮蔽板に大穴を開けながら、呑気にこう答えた。

 

『うん。現段階では安定して絶対能力(レベル6)に達しうる人材は彼だけだねぇ』

「安定?」

『今の入江君は力を暴走させる事で、強引に絶対能力(レベル6)に迫っている状態でね。このままいくと理論上、到達率63%の時点で、彼女の人格は別次元のモノに変質する』

 

 まあその後もこちらの世界に縫い止めておくために、ブーストコードが必要なのだがね、と幻生は付け加える。

 やはり狙いは私の頭か。

 つまり、人格が変質するまで私が逃げ切れば、今回の計画も失敗する、ということでいいのだろうか?

 

『そして100%。絶対能力(レベル6)に到達した瞬間心身ともに限界を迎え、個体としては破滅すると僕は見ている』

「破滅、ねぇ」

『つまり入江君は安定した絶対能力(レベル6)には成り得ないが、全てを失う代償として一瞬……瞬きよりも短い刹那の間とはいえ、神の領域を垣間見る事が許されるんだ』

 

 その言葉に、思わず生唾を飲み込む。

 科学に接する者ほど、無神論者は少ない。神の存在を信じるほどに、科学には不自然な点や分からない事が多すぎるのだ。

 そんな科学の老獪極まる幻生が断言する『神の領域』。至りたくも見たくもないそれが、すぐ目の前に迫っていると聞けば、心中穏やかではいられまい。

 

『その結果白色矮星のように中途半端な形で萎んでしまうのか、それとも超新星爆発のように新たな世界の門を開くほどに突き抜けてくれるのか……まあ結果はどうあれ、この街が地図から消える位の何かが起こることは確定事項だねぇ』

「……学園都市が消し飛ぶなら、当然あなたも巻き込まれる訳だけど?何を言ってるのかわかってるのかしらぁ?」

『はっはっは。何を言ってるんだい?』

 

 慣れない足で走っていると、急に近くの壁が変質した。違和感を感じた瞬間、その中から小さな影が現れた。

 左目の白黒が逆転した、異形の眼光が私を射抜く。肉が落ちて頭蓋骨の形まで分かりそうなその老人は、私という獲物を前に、ゆっくりと口角を上げてこう告げた。

 

「科学の発展に犠牲はつきものだろう?」

「……これだから、正気力が低いのを相手にするのはイヤなのよねぇ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*1
Nuclear、Biological、Chemicalの総称。つまり核兵器、生物兵器、化学兵器といった大量破壊兵器のこと。

*2
物質と反物質が合体し、質量がエネルギーへと完全に変換される現象。逆の場合も成り立つ。

*3
厳密にはガンマ線。

*4
10,000 mSv(シーベルト)で即死。 4,000 mSvで半数が致死。

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