とある風紀委員の日常   作:にしんそば

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第108話

 

 

 

 

 

 第一学区の名も無いビル。その屋上で、2つの影が交差し、すぐに弾かれた。

 そうして距離を取った前原将貴のすぐ後ろに、前にいたはずの影が生まれる。

 

「(――やっぱり)」

 

 見えない一撃を勘だけで躱し、それを振るった腕を掴む。それを引っ張ろうとした瞬間、その感覚が消えた。

 視線を前に戻すと、少し離れたところに見慣れた少女が立っている。

 肩の下まで伸ばした薄茶色の髪と、同じ色の瞳。黒を基調とした制服に白い髪留めが似合う純朴な少女は、名を中村涼乃といった。

 

「(俺は涼乃に、絶対勝てない……!!)」

 

 ギリッ、と奥歯を噛みしめる。

 涼乃と敵対するなど、想像すらしていなかった。

 仮にできても、見落としていた。

 

 中村涼乃は、普通に強い。

 頭脳明晰、文武両道。風紀委員(ジャッジメント)として長く訓練を受け、空間移動(テレポート)という極めて強力な能力。

 それでもなお優しさを貫く覚悟を持った少女が、弱い訳がない。

 

「(……幻生が何かしたのか、能力の上限が明らかに向上してる)」

 

 それに加えて、能力の時間的なラグ、精度といった練度も向上している。さらに洗脳された今の涼乃には、俺に潰すことに躊躇が無い。

 要は、涼乃の実力を十二分に発揮し、それを俺にぶつけられる状態だ。

 

「(幻生を見つけて、涼乃の洗脳を解かないといけない。けど、涼乃から逃げ切れる訳がない)」

 

 空間移動系能力者(テレポーター)から逃げるなど、素手でグリズリーに挑むより無謀だ。

 加えて俺は、涼乃には全反射(ハーモニクス)を使わない。使えないのではなく、使わない。

 催涙弾などの非殺傷武器も、相手が暗部であると察し、そんな奴らに容赦は不要と考えていたため、今は持っていない。

 

 要は、耐えるしか選択肢が無い。

 

「(ビルに逃げた食蜂を追いかける幻生は見えた。だから食蜂が幻生に勝つことが、現状唯一の希望……それまで反撃できない俺が保つかどうか)」

 

 今まで負けていい戦いは無かったが、勝ってはいけない戦いは初めてだ。

 そんな事を思いながら、俺は振るわれた特殊警棒を躱して、その手を取る。瞬間、それが消失する。コンマ数秒遅れて、俺は体を大きく逸らせた。

 すると、直前まで俺の頭があった場所に、背後から鋭い蹴りが炸裂した。

 

「(――この蹴りも、いつまでも躱せる訳じゃない。洗脳されてても、涼乃なら必ず対策を練るはず)」

 

 俺は拳銃を握り直して、短刀のように構える。その銃にマガジンは無い。万が一にも発砲して涼乃を傷付けないよう、つい先ほど捨てたのだ。

 遠距離では射撃が主たる攻撃手段だったために、銃を鈍器として扱う感覚は、どうも慣れない。

 

「(能力なしで特殊警棒を受けたら、さすがに怪我する。避けるか流すしかない)」

 

 幸い、まだ避けれる。元より、目では追えてないのだ。

 反射神経をもっと研ぎ澄ませ。

 でないと、1秒後に死んでしまう。

 

「――……」

「……?」

 

 ふと、涼乃がスカートのポケットに手を入れた。その手には、見覚えのある黒い箱が握られている。

 細長くて鈍い光沢のあるそれは、拳銃のマガジンであった。

 

「(俺が捨てたマガジン?それで——)」

 

 ジャキッと、マガジンを親指で押し込むと、弾丸が1発出てくる。

 ありふれた普通の弾丸。単体では何もできないそれを、涼乃は2本の指で摘んだ。

 

「——ッ!!」

 

 脳が凄まじい警鐘を鳴らす。言語化する前に、俺は飛び退くように体を引いた、瞬間。

 

 ぶつり、と。

 繊維が弾けるような音がした。

 

「――ぐ、あ゙あ゙あ゙あぁぁぁっっっ!!!」

 

 左足に走る、バーナーで炙られるような痛み。叫んだ直後に、次は左肩から同じ音がした。

 とっさに手で押さえると、小さくて硬いものが肩に突き刺さっていた。触れただけで分かる、先程の弾丸だ。

 

 涼乃は持っていた弾丸を、そのまま俺の体に瞬間移動(テレポート)させた。その結果、強制的に押しのけられた筋肉の一部が、強引に千切れたのだ。

 

「この……クソッタレが!!!」

 

 俺は全反射(ハーモニクス)を発動させ、突き刺さった2つの弾丸を弾く。

 その一瞬の空白を、涼乃は見逃さなかった。

 弾丸を弾いた瞬間、音もなく距離を詰めた涼乃の回し蹴りが、俺の腹にモロにめり込んだ。

 

「ぐぇ……!!?」

「――――」

 

 鈍い痛みが一直線に脳まで駆け抜ける。それを噛み殺して、俺は右足を真横に振るった。

 涼乃は右足で俺を狙った。ならば、軸となる左足さえ崩せば、涼乃は倒れるはず。

 

 そう思っていたし、事実として成功はした。

 

「――!」

「あっ――」

 

 足元を弾いた瞬間、涼乃の表情が歪んだ。

 痛みか、驚きか、それとも仕組まれたのか。

 いずれにせよ俺は、その表情が見えた瞬間、とっさに手を伸ばしていた。

 

「――え」

 

 ゴンッ!!!と、右のこめかみに衝撃が突き抜ける。雷撃のようなものが、頭からつま先まで一気に駆け抜けた。

 その光が焼き付いたかのように、今度は視界が明滅し始める。

 

「――っ!!」

 

 視界の隅に、左手で特殊警棒を振り抜いた涼乃が見えた。

 仮に今の一撃が、涼乃こ利き腕である右手で振るわれていれば、おそらく倒れていただろう。

 

「(表情が——まだ意識が残ってる、のか……!?)」

 

 僅かな希望が見えてくる。そして、それを遥かに超える絶望に気付いてしまった。

 意識が残っているなら、今の涼乃は、『自分が前原将貴に何をしたのか』を認識している可能性が高い。

 自由が戻ったとき、涼乃はこの事実をどう思うだろう?その時、目の前に俺が斃れていたら何を思う?

 

「(木原、幻生……!!)」

 

 奥歯を食いしばり、何度目かも分からない怨嗟をこぼした。思考の明滅が、木原幻生を殺す、という一色に塗り潰される。

 しかし、その矛先がどこにも向けられない。

 少なくとも、目の前にいる少女ではない。

 

「(何をすればいい。ここで何ができる)」

 

 勝ってはいけない。涼乃を傷付けることになる。

 負けてはいけない。涼乃に罪の意識を植え付けることになる。

 耐えてはいけない。それだけ涼乃の中で罪の意識が積み上がることになる。

 逃げてはいけない。涼乃からは絶対に逃げられない。

 

「(打つ手が――)」

 

 ふと、思考に空白が生まれる。

 その一瞬をつくように、涼乃が跳んだ。現れたのは、今までのような後ろではなく、すぐ目の前。そこから俺の左足、正確には銃弾が刺さっていた場所に、涼乃の踵が落ちてきた。

 

「ぐぉ……!?」

「――っ」

「――!」

 

 電気のような痛みが走ったその直後、既に涼乃は少し高い場所に跳び、見慣れた瞳で俺を見下ろしていた。

 薄茶色の髪と、同じ色の瞳。違うのは、白皙の少女と同じように、何も写していないことだけ。

 

 ――逆に言えば、それ以外のぜんぶは涼乃だった。

 

「――来いよ、涼乃」

 

 ふっ、と。俺は無意味に笑った。

 黒とグレーを基調とした体操服を脱ぎ捨てて、上半身裸となる。縫い目のある風紀委員(ジャッジメント)の腕章が、音もなく地面に落ちた。

 左肩の赤黒い点からは、未だに血が流れている。痛みはあるが、頭は不思議と穏やかだった。

 

「殺りたきゃ殺れよ。見届け人が涼乃なら、それ以上の幸福は無い」

 

 ハグを求めるように両手を広げて、一歩踏み出す。

 どうせ死ぬなら、命の使い方くらいは選びたい。

 

 1年前の8月10日、涼乃に拾われたこの命。

 望むというなら、くれてやる。

 

「————」

 

 涼乃は何も言わず、無表情のまま静かに見下ろしている。

 意識が残っているなら、涼乃は今日ここで見ることになるだろう。俺という人間の弱さも、異常性も、涼乃に対する執着すらも。

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

 名前の無いビルの内部は、ひと言で言えば無骨そのものだ。通路は広く、電気で煌々と照らされているが、手すりや窓といった装飾はどこにも無く、ヒトよりモノを優先したい研究者の感性を満たしていた。

 そんなビルで、蜂蜜色の長髪をなびかせる体操服の少女というのは、場違いにもほどがある。

 

「(正直厳しいわねぇ……)」

 

 少女が見つめる先。壁に丸い穴を開けて現れたのは、しわがれた顔と背中が丸まった老人、木原幻生だ。

 老人は私が1人なのを見て、怪訝そうに眉をひそめる。

 

「ふむ。全反射(ハーモニクス)の干渉を予想していたが、まだ来ていないのかい。中村君に負けたのかな?」

「……そう言えば、あの子はなんなの?あなたが気に掛けるなら、奏さんの『飼い犬』である以前に、そもそも『普通の能力者』じゃないわよね?」

「そうだね。彼は『そういう存在』だと見ている。だからこそ、死なれたら困るんだよ」

 

 この老人をして『そういう存在』。

 あの少年は、その異常性を正しく把握できていないのだろう。だからこそ松浦さんが気に掛けているのかもしれないが、それだけで守るには限界がある。

 

「前原君の反発力と、入江君の爆発力。未完成の2人が全力で激突すれば、果たしてどうなるのか。いやぁ、考えが尽きないねぇ」

「……起爆の中心力になった『8人目』は、まだ超能力者(レベル5)にすらなっていないはずだけれどぉ?」

「彼女は特別だ。なんせ、超能力者(レベル5)を飛ばして絶対能力者(レベル6)に至ろうと言うんだからね。正直、何が起きても不思議じゃないんだ」

 

 良くも悪くも、木原らしくない。そう思った。

 木原が『実験』するならば、ある程度の確証を持って実行するのが普通だ。

 何が出るか分からない、びっくり箱を開けるような実験は、科学者というより子供のそれに近い。

 

 絶対能力(レベル6)

 既存の能力開発のみで辿り着けるとは思えない領域。あの一方通行(アクセラレータ)でさえ2万人のクローンの犠牲を必要としたもの。

 この老人が何を企んでいるにせよ、あの時以上の対価が必要となるはず。その代償が容認して得られる『神の頭脳』を目的とするこの街の本質は、やはり――

 

「繰り返すようだけど、理論上は到達率63%の時点で、彼女の人格は別次元のモノに変質する。しかし、彼女に人格なんてものはもともと確認されていない。つまり、彼女はある意味で『白紙(タブラ・ラサ)*1』なんだ」

「科学者が経験主義(エンピリシズム)を主張するのって、既に矛盾力がある*2わねぇ」

「おっと。確かに能力という『生まれ持った力』がものを言うこの街では、確かに適切ではなかったね」

 

 かっかっと笑った老人は、異形の目でジッと見つめてくる。蛇が足に絡みつくような不快感に、思わず顔をしかめた。

 

「さて、本題といこうか。僕の心理掌握(メンタルアウト)で記憶を読もうとしても、食蜂君は同じ能力で脳への侵入をブロックできる」

「………」

「しかし耐え難い苦痛を与えるか意識を奪うかして能力を使えない状態にすれば、攻略は可能だよねぇ?」

「――っ、あいたっ⁉︎」

 

 老人がゆっくりと上げた右手に不気味なものを感じ、とっさに走り出した――が、空気の壁に弾かれて転倒した。

 咳き込もうとするが、呼吸ができない。

 

「(――?息、空気、が……?)」

「早めに根を上げてくれると助かるよ。入江君の成長も順調だし、早めに前原君とぶつける必要がある。中村君が突破できないなら、いっそ同時に――ひょ?」

 

 老人が素っ頓狂な声をあげて、ぎょろりと目を剥いた。

 その瞳は、初めて恋を知った少年のようにキラキラしていた。

 

「そうか‼︎前原君だけじゃない、中村君がいれば、さらなる刺激を加えることができる……!爆発力、反発力に加えて、周囲の空間ごと捻じ曲げる規格外の空間移動(テレポート)……万象をゼロで割るがごとき破格の観測……‼︎」

 

 老人が勝手に驚いているなか、必死に走って真空エリアを脱出する。

 老人は夢中なのか、「この2つが入江君と掛け合わせたらどれほどの……」と呟く声が背後から聞こえた。

 

「(……バカなのかしらぁ?)」

 

 慣れない運動に息を切らしながら、私は無機質な廊下を走り続けた。今はそのバカさ加減のおかげで助かったのだから、何とも言えない。

 

「(まあバカの解説力を拝聴した限りでは、『8人目』の人格が消失するまで逃げおおせれば、今回の『絶対能力進化(レベル6シフト)》計画も失敗する可能性が高そうねぇ……)」

 

 ということは、白い少女ひとりの犠牲力で学園都市が救われるわけだ——が、松浦さんはそれを許さないだろう。

 『捨て犬』のために頭から『闇』に飛び込むような人が、1人の犠牲を許容するわけがない。

 

「(それに、『8人目』の存在しない人格力……それが変質。思考が追いつかないわぁ)」

 

 存在しないものを変えるという、それこそ万象をゼロで割るような観測。四次元空間が直感的に分からないように、単純に理解ができない。

 

「ま、難しいことは松浦さんに丸投げとして、そう簡単に逃亡力はできないわよねぇ……?」

 

 短く息を吐いて、私はトラップを再び起動させた。

 無音のビルが少しずつ、しかし確実に私を守るための要塞へと生まれ変わっていく。

 

 いずれにせよ、まずは自分の命だ。助けを求めても、求められても、手を伸ばすためには、ここを乗り切らなければならないのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*1
人は生まれた時は何も持たず、知識や主観は経験によって得られる、という主張。17世紀の哲学者ジョン・ロックが提唱した。

*2
経験主義の反論として『合理主義』がある。人は予想し、考える力(理性)を生まれながらに持っている、という主張。科学者が持つべき探究心の根源とも言える。

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