とある風紀委員の日常   作:にしんそば

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第109話

 

 

 

 

 

「おや、鬼ごっこはお終いかね」

 

 無機質で長い廊下の奥から、しわがれた声が聞こえてくる。待ち構えながらそれを聞く食蜂操祈は、いつもの小さな高級バッグ1つで立っていた。

 その中にあるリモコン1つで学園都市の頂点まで駆け上がった少女だが、それが通じない老人の前では、ほぼ丸腰に近い。

 

「さっきは年甲斐もなく興奮して失礼したね。新しい可能性を見ると、周りが見えなくなるのが僕の欠点でね」

 

 それが原因で事故を起こして何度も死にかけたよ、と老人が笑う。その時ちゃんと死んどきなさいよ、とは言わなかった。

 

「しかし意外だねぇ、食蜂君の方から待ち構えてるなんて。てっきり逃げ回るものと思ってたよ」

「……透視能力(クレアボイアンス)を持ってるアナタから逃げられると思えないしねぇ。ビルの外で捕まったらセキュリティ力もない丸裸状態だしぃ。だから交渉に来たの」

 

 なるべくいつも通りの口調で続ける。「交渉とは?」という老人の質問に、ふぅ、と息を吐く。

 勝率が高い——あくまで比較的だが——策を選ぶなら、『リミッター解除コードを教えてあげるから見逃してちょーだい☆』とでも言えばいい。

 そうして油断させ、仕掛けたトラップで始末——もしくは仕込んだ『策』が発動すれば、こちらの勝ちだ。

 

 いずれにせよ、真っ向勝負では勝てない。生き延びることを考え、搦手を使うのが最善————

 

「リミッター解除コードは教えない。大人しく投降するか、入江明菜から手を引きなさいっ☆」

 

 幻生の目が、ほんの少しだけ大きくなった。白と黒が反転したような異形の目が、私の全身をくまなく捉える。

 今の私は、平静でいれただろうか。

 どこかで笑っている金髪の支配者のように、軽い口調になれていただろうか。

 

「……ホウ。これはこれは。食蜂君らしくもない正直な物言いだねぇ」

「だからこそ予測力してなかったんじゃなぁい?」

「確かにね。しかし、正面から勝てないのが分かっていたからこそ、今まで逃げていたのではないかい?てっきり『見逃してくれ』とでも言って不意打ちを狙うと思っていたよ」

「陰謀力でアナタの上を行くのは難しいからねぇ。それに——」

 

 そこまで言って、一度言葉を切る。

 学園都市の闇を棲家とするこの老人に、私のような小娘の策略が通じる可能性は低い。

 だが、逃げ続けるにも限界があるし、なにより——

 

「——アンタみたいな下衆に頭を下げるのは、例え演技力でも私のプライドが許さないのよ」

 

 そう告げた直後、ペキッという音がした。

 その瞬間、立っていた床が崩れ落ちた。そこに吸い込まれるように、幻生はもちろん、私も宙に投げ出される。

 

「おぉ——」

「これも予想外でしょ☆」

 

 唐突な浮遊感と共に、天井が急速に遠ざかっていく。心臓が早鐘を打つより早く、強烈な恐怖が私を飲み込んだ。

 この捨て身——いや、破滅的とも言える手段は、幻生にとって予想外のはずだ。

 

 私は幻生にとって敵だが、殺すことはできない。

 目的達成のためには、私の脳に刻まれている『外装代脳(エクステリア)』のリミッター解除コードが不可欠だ。これが無ければ今回の計画も御破算になり、入江明菜という極上のモルモットも消失する。

 ゆえに、解除コードを抱えたまま転落死へ向かう私を助けない選択肢はない、はずだ。

 

「(さぁ、早く私を助けなさい。能力を使った瞬間、最大出力の心理掌握(メンタルアウト)をお見舞いしてあげるわぁ‼︎)」

 

 私は運動は苦手だが、精神系能力ならば、学園都市最強を自負している。加えて、いくら外装代脳(エクステリア)でブーストしているとはいえ、私の能力——借り物である幻生の心理掌握(メンタルアウト)に対して、私はオリジナル——は、片手間に跳ね返せるほど甘くない。

 幻生が能力を使っている隙に、私の渾身の一撃を叩き込む。勝機はそこにある。

「っ——」

 

 高さはビル10階程度。30mはあるが、落下時間にすれば3秒もない。

 数秒後に自分が生きている保証がない。そんな事実が理解できず、妙な笑いが込み上げてくる。

 

「(——まだ、1秒もう2秒?)」

 

 落下が続く。リモコンを構える手に、さらなる力が加わる。幻生は反応できていないかのように、落ちた瞬間の体勢から変わっていない。

 今までで1番長い数秒だ。それこそ幻生の手の動き、ほんの僅かな視線の揺らぎすら見えるほどに。

 

「(——まさか見捨て)」

 

 幻生がこちらを見た、気がした。

 幻生の口が弧を描いた、気がした。

 

 それが見えた瞬間、リモコンのボタンを思い切り押し込んだ。

 

「いま——」

 

 ドゴンッッッ‼︎という衝撃。それが能力によるものか、それとも地面との衝突音だったのか。

 人生最期かもしれない景色は、一面の黒だった。

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

 ドンッ、という衝撃。前原将貴の視界が縦に弾かれ、直後に明々した。鈍い痛みが少し遅れて頭を駆け巡り、反響するように脳に集まっていく。

 転倒を耐えられたのは偶然と言えよう。

 

「あぉ——っ」

 

 焦点が追いつかない視界に入ったのは、右腕ごと特殊警棒を前に突き出し、身体を半身にした涼乃の姿。

 恐らく特殊警棒が俺の頭の前にくるよう瞬間移動(テレポート)し、その瞬間に突いたのだろう。

 助走が無いぶん、衝撃は大きくない。しかし偶然か否か、脳だけを揺らす手段としては有効であった。

 

「(器用なことを——)」

 

 頭を支えるように、俺は手で頭を押さえる。すぐ目の前にいた涼乃は、その隙を見逃さない。

 踏み込んだ右足を軸に、突き出していた右腕を引きつける。そうして生まれた反動を上乗せし、左足で蹴り上げてきた。

 咄嗟に右手を構えるものの、脳を揺さぶられたせいか、その防御はあまりに脆かった。

 

「この――」

「――――」

 

 ミシリッと、抑えきれなかった靴が右の脇腹にめり込む。脳に続いて内臓が揺さぶられ、強烈な吐き気が込み上げてきた。

 その足を掴もうとするが時すでに遅く、真正面のすぐ上に跳んだ涼乃は、壁を蹴るように俺の胸元に踵をぶち込んだ。

 

「かっ——」

 

 呼吸がコンマ数秒止まる。心臓か肺か、いずれにせよ大切なものが揺さぶられ、その場で膝をついて咳き込んだ。

 既に空間移動した涼乃は、地上で溺れたように息を荒げる俺を、少し離れた場所で見下ろしている。

 

「げほ、ごほっ……やっぱ、強いな……」

 

 俺の呟きに、涼乃は何も言わない。

 いくら心優しい女の子でも、3年以上真面目に訓練を受けてきたのだ。純粋な格闘術でも、やはり普通に強い。能力や躊躇なしで殴り合うなら勝てるだろうが、そんなことは死んでも許されない。

 

 しかし涼乃は、そんな思考を嘲笑うように、すっと目を細めて手のひらの上に向けた。

 

 瞬間、宙から弾丸が現れる。

 

「————え」

 

 思考が止まる。

 目の前で起きた現象を理解するより早く、今度はその弾丸が消失した。

 

 ぞぶり、と。

 体の内側に、何かが生まれた。

 

「——ッッがはぁッ‼︎」

 

 内臓が爆ぜたような感覚。それが脳に届いた瞬間、強烈な吐き気と違和感が込み上げた。叫びと共に口から弾けたのは、黒々とした赤。

 

「ぐぶッ、がっ——げはぁ‼︎」

 

 膝をつきそうになるのを耐えても、吐き出る液体は止められない。脳内の『?』は増えるばかりだ。

 

「は——」

「————」

 

 視界の目の前に、見慣れたローファーが映った。

 俺の1メートルほど手前に跳んだ涼乃が、俺の顔面を蹴り上げようとする。なんとか片手を出しても、この状況では抑えられない。

 ゴンッッ‼︎という衝撃。その後、俺の体は空を仰ぐように地面に倒れた。

 

「ぐっ——ッッ⁉︎」

 

 視界の鈍色の空が一瞬で埋まる。俺が倒れた瞬間、覆い被さるように涼乃が跳び、その柔らかな手で俺の首を包んだのだ。

 血管と空気孔が急激に圧迫され、喉に強烈な違和感が走った。

 

「——ごっ、ぁ……」

「————」

 

 ギリギリと脳内で音がする。首と喉の感覚が薄れていき、不思議と視界が明瞭になっていく。

 無感情な薄茶色の瞳が、じっと俺を見下ろしていた。

 見慣れたはずの、知らない目。

 

 いま考えるべきことではないのは分かっている。

 しかし、俺が巻き込んでしまったばかりに、涼乃にこんなことをさせてしまった事実が、その自己糾弾が、俺の思考を占めていった。

 

「(ごめん、涼乃)」

 

 腕を解こうとする力が弱まるのが分かる。視界の隅が黒い靄のようになり、涼乃だけを映すよう強制される。

 げほっ、と咳き込んだ。そうやって吐き出した血が涼乃の頬に当たってしまった。

 

「(顔、汚して——)」

 

 それを拭おうと手を伸ばす。頬に触れたかどうか、それが確信できないほど意識が遠ざかっていく。

 

「(ごめん——)」

 

 涼乃の顔が、黒に呑まれた。

 

 

 

 

 

 *

 

 

 

 

 

 学園都市中枢の第一学区。首都機能の集中と自動化により人が少なく静かなこの地域は、いつになく賑やかであった。

 地面を揺らす爆発音と、何かが崩れる衝撃音。たまに叫び声と、少女の軽やかな声。

 最後の声の担当は、風紀委員(ジャッジメント)副委員長(No.2)にして、実質的な支配者である松浦奏であった。

 

「まもなく——いま」

 

 ゴッッッ!!!と、爆風と衝撃波が炸裂した。金糸を編んだような金髪と、それを後ろで結んだ深紅のリボンが荒れ狂い、蒼氷玉(スイスブルー)の瞳を隠そうとした。

 私はそれを右手で払い、攻撃の有効性を観測する。

 

「ま、そんな簡単にはいかないよねー」

 

 にゃはは、と笑ってため息をつく。

 砂塵から現れたのは、先ほどとまったく変わらない白いシルエット。そこから生える翼は、先ほどより成長しているような気さえする。

 人の形をしたそれは、床から少し離れて不自然に静止している。顔にあたる部分がぐりゅんと動いて、墨汁を満たしたような黒い穴が、こちらを捉えた気がした。

 

「——接続(リンク)

 

 そう呟いて、視界が一瞬だけ入れ替わる。

 その瞬間、脳を掴まれて直接揺さぶられたような感覚に陥った。

 

 ゴバッッッ‼︎!と、白いシルエット——入江明菜のいた場所が、火山の噴火のように爆発した。

 

「——うへぇ」

 

 それを見届けた瞬間にふらついて、膝をつきそうになった。その勢いでまた口から血が漏れ出てしまう。

 私はそれを無視して、攻撃回避の成功を少しだけ喜んだ。

 

 私の視覚連鎖(カットイン)は、一定距離にいる相手の視界を共有、もしくは奪うことができる能力だ。それで攻撃の直前に視界を奪い、強引にそれを逸らしたのだ。

 本来なら副作用などは無視できる——が、相手は理論の外側に至りかけている存在。理論の内側にいる私にとって、ほんの一瞬の視界共有ですら負担が大きいらしい。

 

「変化は確認できず。引き続き攻撃を続行——」

 

 努めて冷静にそう命令を飛ばしていると、ふと気付いた。

 白いシルエットの足元、厳密にはその辺りにある電灯。それがバチバチと明滅していたのだ。

 

 足元のはともかく、その近くにある壊れてないものも明滅してる、ということは——

 

「あー、電磁パルスも起きてるんだ。なかなかやばいねー」

「で、電磁パルスですか⁉︎」

 

 私の呟きに、僅かに動揺が広がった。

 

 電磁パルス(EMP)*1

 雷や太陽風が起きていない中それが起こる理由は、それこそ核関係くらいだ。周囲もそれを知ってるからこそ、動揺が広がっているのだろう。

 

「慌てないで。電磁パルスを起こせる『だけ』なら、少し熱いくらいで人体に大きな害は無いよー。それ以上なら、そもそも私達は生きてないし」

 

 にゃはは、といつも通りに笑い、『近接攻撃は中止』と指示を出す。私の声に安心したのか、潮が引くように周囲の騒ぎが消えていった。

 

「(戦争やサイバー攻撃は想定してたから、あらゆる電気系統に保護素子を備えてはいる……けど、継続的にやられたらそれも分からないねー)」

 

 シルエットに対して、今度は遠距離からの攻撃が命中する。しかしやはり効果は確認できず、私はその余波で破壊される本部ビルを静かに見上げていた。

 

 変に手の内を明かしたくはない——けど、出し惜しみして死んでもアホらしい。ならば実行あるのみだ。

 

「スピーカー、前に。総員、耳栓を用意。なければ手で耳を完全に塞いで。10秒後に攻撃を発動——ん?」

 

 指示を出して、腕時計型の携帯端末を操作する。

 秘密兵器の『音』を準備して、合図と同時に発動させる——直前に、白いシルエットの輪郭がブレた。

 

「——?」

 

 白いシルエットの、顔にあたる部分。眼球があるべき場所に、墨汁を満たしたような黒い穴が2つある。

 それがひび割れるように広がり、じわじわと顔を覆っていった。やがて真っ黒な夜空のようなもので覆い尽くされ、シルエット以外の存在が不明瞭になった。

 背中から伸びていた翼はギチギチと圧縮され、長めの襷のように閉じた帯となり、シルエットの背中で陽炎のようにその輪郭を揺らしている。

 

「(……進化、してるねー)」

 

 何が起きたかは分からない。しかし、私たちにとって不都合なことが起きたのは間違いない。

 スッと、白い手のようなものが動いた。私たちに向いたと認識した瞬間、私は叫んだ。

 

「防御——」

 

 ゴッッッ‼︎‼︎と、地面を揺らす衝撃が突き抜けた。本部ビルの一角がカステラのように抉れて、周辺のビルが軋んだ。

 その余波だけで、防御が間に合わなかった者、貧弱だった者が数メートルは吹っ飛んでいく。

 

「各員、異状の有無知らせ」

 

 そう叫ぶと、すぐに各方向から号令詞が飛び交った。

 悲鳴を上げるのはごく一瞬。すぐに適切に動き始める風紀委員は、やはりなかなかのものだ。

 

 そんな呑気なことを思っていると、ふと端末が鳴る。

 画面を見ると、そこには待ち望んだ名前。私はふっと笑って通話を始めた。

 

『やあ、松浦君。生きているかな』

「なんとか、ですねー。それより、良い報告ですよね?」

『ああ。間も無く完了するから、その報告だよ。起動はどうする?』

「即座発動で。私も死にたくありませんからねー」

『了解した。1分ほど待ちたまえ。ああ、君なら大丈夫だろうが、万能感に呑まれないよう』

 

 そう言い残し、通信は切れる。にゃはっと笑い、改めて風紀委員たちに檄を飛ばした。

 状況は悪化するばかりだが、まったくの無策でもない。こういう状況でも、希望は捨てないのだ。

 

 今までの攻撃は、目的はどうあれ、せいぜい時間稼ぎ程度のものだったろう。

 しかしこれを以て、明確な反撃としよう。

 

「期待してますからね、木山センセッ♪」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*1
ElectroMagnetic Puls。核爆発などにより莫大な粒子線が発生すると、大気中で強烈な電離作用が起こり、電子拡散が発生する。それにより生じた電子は電子機器に作用し、過電流を起こすことで、損傷や誤作動を広範囲で起こす。

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