こんにちは、とととー腑です。
たまにはこっちにもあげてみますね。一応八陽シリアスのつもりです!
ピクシブメインでやってるんですけど、こっちだとどうなるのかなぁ、と思ったから、投稿した次第でございます。
感想どしどしお待ちしてます。一言でも、もらえるとすごく嬉しいし励みになります!


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誰かの正しさには中指を立てて、私はあなたと笑う。

 毎日、少しずつ命を消化していく中で、私はなにができるだろうか。ふと、そんなことを思った。

 

 ぼんやりと何もない空間へ指をさす。読書灯の朱い光が爪の先で反射した。

 

 ほしいもの。手に入れたいもの。私が、本気で、そう思えるもの。

 

 それはたぶん、この世に一つしかなくて。

 

 でも、それを選ぶことは、きっと許されなくて。

 

 消し忘れたテレビ画面から、有名女優の泣き声が聞こえてきた。役の分だけ泣けるこの人たちは、ほんとうにすごい。シーンは別れ際。一緒になることが望まれない2人が、望まない別れをする場面だ。

 

 どうして、世界はこんなにもサヨナラが好きなんだろう。サヨナラなんて、悲しいだけなのに。哀しくて生きてられなくなるのに。恋人同士の別れを題材にした、このドラマの視聴率は、とても高い。

 

「さよなら、か」

 

 別にタイムリミットは決められてない。でも、わかるのだ。ふわふわ漂っているつかみどころのない空気が、私に時間がないことを静かに教えてくれる。

 

 私は窓の外を見た。びゅんびゅん、車が光の線になったみたいに、たくさん行き交っていく。この世界は、私なしでもキチンと回っている。

 

 ときどき、ものすごく生きてるのが辛くなる。それは、なんでだろうか。無理やり笑いたくなんてないのに。あなた以外に、笑顔を見せたくないのに。

 

 イタリアンもお洒落なカフェもランチも好きじゃないのに。どっちかというと、ラーメンとかファミレスとか、肩肘張らない場所が好きなのに。

 

 でも、世界はその事実を許してくれない気がする。幻想をずっと押し付けられてきた。

 

「でも、ちがったよね」

 

 自分の甘い声音に思わずクスリ。でも、ばっかりで小学生みたいだ。

 

 あなたは、ちがった。私に幻想を押し付けなかった。というより、最初から私という幻想なんか見てないで、しっかりと核心を見つめていてくれた。

 

 はじめてだった。そんなこと。実はすごく心地よかった。からかってたのも、色んな気持ちをぎゅっと隠すためだ。

 

 好きって口に出したくはない。でも、大好きくらいの気持ちはある。ただ、この私の気持ちを上手に表す日本語がないだけだ。

 

 だから、言葉なんていらない。ただ、あなたと居たい。一緒にいて、デートに行って、映画を見て、ちょっと美味しいファミレスでご飯を食べて、そして笑えたらそれでいい。

 

「……うん」

 

 たぶん、どちらかを選び取ることは、どちらかを捨てることだ。

 

 あなたを選んだら、きっと壊れる。いろんなものが、音を立てて崩れ落ちる。普通ではいられなくなるかもしれない。しかも、その責任をあなたに被せることにもなる。

 

 カチカチ、と時計の針がゆっくり、しかし変わらず正確に時を刻んでいく。

 

 私の手は、電源が付きっぱなしのスマホが握られている。開封したばかりのメール。比企谷八幡。そんな言葉が目の奥で踊り出す。

 

『明日、会いたいです』

 

 短いメールだけど、どれだけあなたが逡巡しながら書いたかは、しっかり分かる。

 

 頭の中をスッキリさせるように、私はごくりと一口コーヒーを飲んだ。

 

 私は、返信を書き始める。フリック入力する指先がすこしだけ震えだした。あなたに暖めてほしい。そんなことを突然思った。

 

 もう、これで私の人生の方向が決まると思う。大げさだけど、きっとそれぐらいの意味を持っている。いい方向、悪い方向、どっちに転がるかはわからない。1の目と6の目しかないサイコロを振っているみたいだ。

 

「よし……」

 

 私はつぶやいた。勇気の塊が、自分の中でむくむくと湧いてくる。もう、後悔なんてしない。

 

 私は、サイコロを振った。

 

「そーしん……っと」

 

 私は、ふぅ、と息を吐き出す。それと同時に窓の外を見た。いろいろな光がぴかぴかと不規則に明滅していて、私みたいだな、とぼんやり思った。

 

「はぁ……」

 

 胸元でぎゅっと、携帯を抱きしめる。役目を終えたはずのスマホは少しだけ熱を持っていて、今はあなたの代わりになっていた。パズルの最後のピースをはめたみたいに、胸の中がぽかぽかあったかい。

 

『私もあいたい。2人でがんばろうよ』

 

 さよならなんて、許さない。絶対に、許さない。私たちを引き裂こうなんて、だめに決まってる。そんなもの、世界の起源とか死後の世界とか、とにかくどうしようもならないことに反してる。

 

 会いたい。ネジを右に回したら、よりきゅっと閉まるみたいに、当たり前につよく思った。

 

「……よしっ」

 

 私は立ち上がる。スリッパと床が密着してぱんと、音が鳴った。私はそれが勇気が生まれた音だと思った。

 

 ゆっくり目を閉じた。あなたのこと、私のこと、いろんなこと。ぐるぐると、回しすぎたコーヒーカップみたいに、脳内を駆け巡っていく。

 

 結局、さ。ぎゅーっと涙袋を押さえつけるみたいに、瞼に力を込めながら、私はつぶやいた。

 

「ふたりで笑えるようになるよ、ね?」

 

 答える声はない。けど、しっかりとこの思いは伝わっているような気がした。そうだったらいいな、という願望も半分ぐらい込められているけど。

 

 付けっ放しのテレビから、さっきのドラマの続きが聞こえてきた。ただ、泣いているのか、笑っているのか、鼻をすする音しか聞こえない。

 

 私はゆっくり瞼を上げた。

 

 テレビ画面の中で、泣いていたはずの2人は、綺麗に笑いながら、お互いを抱きしめあっていた。

 

 

 

×××

 

 

 

 ロミオとジュリエット。織姫と彦星。

 

 頭の中で、なんどもその2つの言葉をなぞりながら私は目を開けた。いつのまにか眠ってしまっていたみたいだ。

 

 握ったままの右手がすこし暖かい。身体を起こさないまま、右を向くと、まだ目をつぶりながら、幸せそうにしているあなたの姿が。

 

 2人とも産まれたての姿。昨日の夜はすこし、盛んになってしまった。思い出すだけで恥ずかしい。

 

 そうだ、と思い、私はスマホを手に取る。素早くカメラ機能を開いて、腕をギリギリまで伸ばす。

 

 そして、私はにっこり笑った。どうしても不安な時、今の幸せを思い出せるように。比企谷くんの隣にいたら、笑顔になれるんだ、と大事なことを忘れかけた時の自分に教えるために。

 

 かしゃり。乾いていていつも変わらない音がした。でも、今だけは何かの間違いで変わってほしかった。この瞬間を特別なものにしたかったから。さっきのシャッター音は、もう、いつものシャッター音という括りでまとめられてしまった。

 

「……うん。ばっちりだ」

 

 にへら、と自然に柔らかく笑ってしまった。ずっと、そばにいたい。死ぬ前に走馬灯を見るみたいに、私は今を惜しんでいる。

 

 今が幸せすぎて、これから踏み出すことが怖い。私は、頑張れるのか。あなたは、私のために頑張ってくれるのか。2人で、未来を信じれるのか。

 

 右手にいつも以上の力を込める。あなたの手のひらは、大きくて、私のなにもかもを受け止めてくれそう、そんな気さえする。

 

「ふぅ……」

「なに朝からため息ついてるんですか?」

 

 突然、右側から声が聞こえてきた。ちょっと、普通からしたら低めの声だけど、私はけっこう渋目のいい感じだと思う。

 

「うわ。起きたの?」

「一切歓迎されていない朝を迎えましたおはようございます」

「なにそれ。おはよう」

 

 思わずくすり、と笑わされてしまった。比企谷くんとのやり取りは楽しい。飴玉をころころ転がすみたいに、テンポ良くじんわり心に溶けていく。

 

 がばっと比企谷くんが身体を起こした。その分だけ、ベットのスプリングが跳ねて、私の身体まで揺らした。このやろう、と少し思ったけど、ちらり腹筋が見えたから、許してやろう。

 

「シャワー浴びてきていいっすか?」

「えー。私も浴びたい」

「一緒には入らないですからね」

 

 釘を刺された。私の下心は比企谷くんにはお見通しの模様。くやしいなぁ。でも、心地いいなぁ。

 

「じゃあさ! じゃんけんしよ!」

「なんの?」

「順番だよ。順番。私だってシャワー入りたいのよ」

「写真撮ってる暇あるなら入ればよかったじゃないですか」

 

 比企谷くんはわざわざこっちを見ていて、からかう気まんまんの表情を浮かべてた。

 

「気づいてたの?」

「そりゃそうでしょ。けっこうゴソゴソうるさかったですよ」

「まじかー」

 

 いや、いいんだけどさ? でも、なんか恥ずかしいじゃんか。言葉にできない感情ってあるじゃん。

 

「ま、フライデーされなきゃいいですよ」

「流失さーせよ」

「やめて? 陽乃さんのためにもやめて?」

「私はその陽乃さんだけどね」

「俺が陽乃さんの身代わりになりました」

「人身供物?」

「そうかも」

 

 結論なんてない。話の着地点もわからない。ただ、思いついたこと、話したいこと、それを言い合うだけ。

 

 私たちの関係には、ネットにある長続きするカップルの会話術とか、本に載ってる理想のデートコースとか必要ないの。

 

 ふたりが楽しければそれでいい。つまらなければやめればいい。ふたりで居れたら、もうなんでもいい。

 

 ただ、それだけ。だから、他のカップルからしたらだいぶ湾曲しているように見えるだろう。でも、幸せだからそれでいい。

 

 ふたり以外が、ふたりの幸せを否定する権利なんてどこにもない。もちろん、義務だってない。

 

 だから、さよならなんて許せない。

 

「さ、ジャンケンだー!」

「なんで朝からそんなテンション高いの……」

「楽しいからかな!」

「そっすか……」

 

 私はよっ、と身体を起こして、ジャンケンの構えに入る。ところで、なんで最初はグーなんだろう。気合が入るからかな?

 

「ほい、行くよー」

「うぉー」

「てきとーだなぁ。……よし、最初はグー」

「ジャンケン、ぽん」

 

 ローテンションな比企谷くんの掛け声を合図に、2人で同時に片方の手を出す。私はパー。比企谷くんはチョキ。

 

「やったー」

「くそぅ……。てか、勝ったくせにテンション低くない!?」

「陽乃さんがおかしいんですよ。こちとら、寝起き5分ですし」

「むー……」

「……陽乃さん」

「なにー?」

 

 ちょっぴり凹み中の私に向かって比企谷くんが何かを言おうとしてくる。負け犬に何の用があるんだか。

 

「行きましょう」

「はい?」

「シャワーに行きましょう」

「なんで?」

 

 こてん、と首を傾げてみた。比企谷くんは、唇だけで「あざとい」と、言っている。

 

「陽乃さんシャワーに入りたいんでしょ?」

「うん」

「俺もシャワーを浴びたい」

「そうだね」

「じゃあふたりで入りましょ?」

 

 これが正論だと言わんばかりの比企谷くんのドヤ顔。

 

「……比企谷くん」

「なんすか?」

「あざとい」

 

 今日の比企谷くんはなんかヘンだ。ずるくてあざとくてすなおで、なんだかあなたじゃないみたい。

 

 心の中で、砂時計がくるっと回転した。さらさらさらさら、止めどなく砂が下へと落ちていた。

 

 落ちないで、と私は静かに願った。今は、今のままでいてほしい。痛みにも似た恐怖が、避雷針に雷が落ちるみたいに、私の身体に突き刺さった。

 

 こわい。

 

「……こわい」

 

 気づけば、声に出ていた。そういえば、さっきから私の声は震えていたかもしれない。比企谷くんはもう、お見通しだったのかも。だから、ヘンだった。そうとしか思えない。

 

「陽乃さん」

 

 そっと、抱きしめられる。きっと、愛というモノが具現化したらこんな形をしているのだろう。比企谷くんの身体は、私にそんな愛しいことを教えてくれた。

 

 私も、抱き返す。あなたの身体に少しでも私の腕の跡が残るように、強く。

 

 やっぱり、さよならなんて許せない。

 

 あなたの身体に触れるたび、あなたの命を感じるたび、あなたを想うたび、なんどもなんども、そう思う。

 

 私は比企谷くんの目をみた。言葉を発するのがなんだか怖くなったからだ。

 

 不安そうな瞳だ。それはきっと、私が不安な瞳をしているからだろう。

 

 認めてくれるわけがない。ネガな言葉が、中枢神経をシャトルランみたいに往復する。

 

 お母さんのことは、やっぱり嫌いにはなれない。好きではないけど、唯一無二の母、という存在だ。

 

 たくさんの期待をかけられて、育てられてきたのは私が一番わかってる。わかってる。わかってるんだ。それでも、それでも。

 

 私が、望んではいけないのだろうか。

 

 欲しいものは手に入れたい。そう思うのは当たり前のはずだ。

 

 だから、私は比企谷くんと一緒に居たい。そう望んではいけないのだろうか。

 

「陽乃さん」

 

 あなたが、もう一度私の名前を呼んだ。この瞬間は、いつも自分の名前が好きになれる。

 

 陽乃って名前だから、あなたが陽乃って呼んだということは、つまり私を呼んだということだ。

 

 当たり前のことなんだけど、すごく嬉しい。そして、安心する。私はすこし腕の力を緩めた。強張った全身の筋肉が、徐々にだけど柔らかくなっていく。

 

「比企谷くん」

「はい」

「比企谷くん!」

 

 好き。赤ちゃんが、産まれた瞬間に泣くみたいに、これは世界の常識だと思った。

 

 私が、あなたに恋をすること。好きだと思うこと。それはきっと、ビックバンが起こる前から決まっていた。いや、絶対に。

 

 だから、私たちを引き裂こうとするなんて、宇宙そのものを否定するようなものだ。

 

「私はだいじょうぶ」

「はい」

「だから、比企谷くんもだいじょうぶでしょ?」

 

 さっきから、私の背中に回した手が震えている。というか、身体ごと微妙に震えている。比企谷くんも緊張とかするんだね。

 

「うるさいです」

「はいはい」

「緊張してます」

「知ってる。ま、なんとでもなるよ。最悪、中指でも立てときゃいいのよ」

「国際問題だし、ヤバイですよ」

 

 うそうそ。と、口には出さないけどちゃんと笑っておく。まだ、比企谷くんは震えていて、みじん切りみたいだ、と訳の分からないことを思った。

 

「だいじょうぶだから」

「ホント?」

「ほんとよ。たまには歳上の言葉を信じなさい」

「じゃあ信じます」

「比企谷くんが将来怪しい宗教にはまらないか心配だなぁ……」

 

 くすくす、ついおかしくなっちゃって、微笑んでしまう。私は、こういう掛け合いのあとに微笑むこと、その行為が大好きだ。それはモノクロ写真に色をつけるみたいな、感動的な瞬間になるから。

 

「よし、おっけーです」

「じゃあシャワー行くかね」

「そうですね。だいぶ遅くなったけど」

「比企谷くんがあざとく誘ってくるからいけないんだよ?」

「俺を悪者にしとけばいいみたいな風潮よくない」

 

 時間は止めようと思ったって、止まらない。落ち始めた砂を止める方法なんてない。

 

 あと、3時間後ぐらい。

 

 私たちは、私のお母さんに会う。

  

 どうなるか、は予測できるし、したくない。でも、手段なんていろいろある。さらに言えば、認められる可能性だってあるかもしれない。初めから、決めつけちゃうのはよくない。

 

 だから、とりあえず、腹をくくるしかない。いや、それでも足りない。いざとなったら、首でもくくってやる。そんな覚悟。

 

 私はベットから降りて、一歩を踏み出した。

 

 砂時計の砂は、もう落ち切っていた。

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

「結論から言いますと、認められません」

 

 ここまで残酷な一言がこの世に存在したんだ、と私はむしろ笑ってしまった。でも手の震えは止まらない。室温はぜんぜん寒くないはずなのに、どうしてか自分の身体のどこかが冷え切っている。

 

 息が詰まりそうだ。わかっていた。わかっていたはずなのに、実際に突きつけられてしまうと、苦しくてしょうがない。

 

「ダメ……っ」

「えぇ。ダメです」

 

 比企谷くんの悲痛な声が耳を刺す。思えば、さっきから私は喋っていない。目の前に座るお母さんのせいだ。

 

 だめだった。

 

 だめだった。

 

 だめだった。

 

 やまびこのように、頭の中でなんどもその言葉が跳ね返る。笑い飛ばしたいぐらいだ。でも、哀しくて、どうしようもない憤りに似た何かを感じている。

 

 だめだった、か。

 

 どぼん、と真っ直ぐに海に沈んでいく自分の姿が鮮明に脳内に映った。手を伸ばしてみても周りには誰もいない。暗い海の中にたったひとり。

 

 私は、いま自分がどこにいるのか、それさえ分からなくなってきた。気を抜いたら、すぐにでも心が直せないくらいにバラバラになってしまいそうで、必死に自分を保つ。

 

 思わず、横を見た。そこには泣きそうなあなたの横顔があった。

 

 ちゃんと居てくれた。

 

 場にそぐわず、心の中があたたかくなった。でも、すぐ自分の置かれている状況に気づいて、むしろさっきより心が沈み込む。

 

「何故ですか……」

 

 比企谷くんがゆっくり呟いた。

 

「言わなくてもわかるでしょう? 陽乃はウチの大事な長女なの」

 

 大事な長女。娘として大事なんじゃない。会社として大事なのだ。そう思うと、自分の20数年が急に空虚なものに感じられてきて、嫌になる。

 

「そんな、物みたいに……!」

「私のことを鬼と呼ぶなら呼びなさい。私のやり方が間違ってると思うなら、そう思えばいい」

 

 お母さんの声音が変わった。それは、トンボを見つけたカマキリの眼差しみたいに、悲壮な覚悟が籠っている。

 

「でも、私は間違ってないと言い切れる。自分を信じてるから」

 

 なぜかそのお母さんの一言は、ダーツの矢がブルズアイに刺さったみたいに、まっすぐ私に届いた。

 

「あのね、比企谷さん。いいことを教えてあげます」

 

 ふっ、とお母さんの空気がすこしだけ柔らかくなった。こんなお母さん、久しぶりかも。私は嬉しくなった。

 

「はい?」

「正しさなんて、主観でしかないんです。客観的にみたら間違ってることもある。だからね? 正しさを押し付けちゃだめなんです」

 

 私は思わず叫びたくなった。自分の胸の中がこんがらがって、訳が分からなくなったからだ。

 

 お母さんは正しさは正しさではないとそう言った。その前には『ダメです』と言った。

 

 お母さんの正しさ。私の正しさ。あなたの正しさ。

 

 私の中で、いろんな人の正しさがぶつかり合う。そのまま混ざって、分からなくなってしまえ。それが、嘘のない正直な気持ちだった。

 

「お母さん……」

 

 やっと声が出た。でも、それは自分でも笑えちゃうぐらいに掠れていて。

 

「陽乃……。あなたは、どうしたいの? まぁ、聞くまでもないわよね」

 

 自嘲気味にお母さんが言った。

 

 突然、頭の中でかつん、と硬い音がする。

 

 あの日、私がメールで選択した時に振ったサイコロ。それが、今になってようやく地面にぶつかった。

 

「私は、比企谷くんと一緒に居たい。ていうか、居るの」

「陽乃さん……」

 

 こういう時ぐらいは、お姉さんとしてカッコつけさせてほしい。ホントは不安でどうしようもないんだけど、もうグダグダ言ってられない。

 

「まったく……。どこで間違ったのかしら」

 

 笑っているような、それでいて怒ってるような、よくわからないお母さんの声が私に飛んでくる。こんな声、初めて聞いたかも。

 

 私はまちがったのだろうか?

 

 いや、ちっともそうは思わない。悔いなんてない。さらに言えば、これからも悔いなんて残さないつもりだ。

 

 やりたいことをやる。でも、いつまでも子供のままではいられない。

 

 自分の中で、欲望と現実が同じ器の中に入る。でも、それは決して交わらない。そのふたつは、昼と夜みたいに、混在することを許されていないから。

 

 比企谷くんかお母さん。

 

 どっちかを選ぶことは、どっちかを捨てること。ここまで綺麗なメタファーが、すぐ近くに存在していて、私はまるで小説の中の主人公のような気持ちになった。

 

「あー……」

 

 私は思わず天井を見上げた。白い壁紙で埋め尽くされた天井は、曇天の空みたいだった。

 

 さよならなんて、やっぱり大っ嫌いだ。

 

 もう、さよならのシナリオは完成している。あとは、それを演じるか。

 

 何かが壊れてほしい。そう強く願った。世界の大事な何かが壊れて、世界まるごと混乱してしまえばいい。そしたら、私たちはその間に駆け落ちする。

 

 ざわざわ、私の心がなぜか凪ぐ。本能に似た何かが、かんかんかんかんと、私のすべての細胞を活性化させている。

 

 駆け落ち。

 

 その言葉がくっついて、離れない。

 

 雪ノ下家の長女。

 

 生きてきた人生の中で築かれた「わたし」も、ヘビみたいに絡みついてきて、離れない。

 

 考える時間がほしい。このままだと、ゼンマイが壊れてしまったおもちゃみたいに、くるくる空回るだけだ。

 

 ぎゅーっと、眉間に力がはいる。なんだか泣きたくなった。

 

 足が震えだす。寒い。寒い。寒い。

 

 行かないで。強く思った。ただ、そう思っただけなのに、急に怖くなった。

 

 すると、ぎゅっ、と誰かに右手を握られた。熱いプレートを触ってしまったときみたいに、私は右を見る。

 

 見ると、比企谷くんがテーブルの下で、こっそり私の手を握ってくれていた。無論、お母さんに見えないようにして。

 

 私の心が落ち着いていく。いつしか震えも止まって、寒くもなくなった。

 

 私の視線に気づいたのか、比企谷くんがちらりこっちを見た。

 

 すると、比企谷くんは唇を動かし始めた。主張の少ない唇が、なにかを主張し始める。

 

『おちついて』

 

 ゆっくり、その5文字の音に唇が形取られたのがわかった。

 

 あぁ、と私はすっと合点した。まるで、神様がこの行動をすると予言しているように、私は思った。

 

 考えるまでもなかった。私が、選ぶもの。選ばないといけないもの。それはーー。

 

「そろそろ、時間ね」

 

 お母さんが、処刑にも似た意味の言葉を吐き出した。

 

 プーっと、開演を告げるブザーが頭の中で鳴り響く。

 

 けれど、「さよなら」という名の公演の幕は、まだ開かない。

 

 私はひとつ息を吐いた。

 

 

 

 

×××

 

 

 

 

 かつん、と私はスニーカーのつま先で小石を蹴飛ばした。蹴らなかった気づかないような小石は、なんどもアスファルトの上を跳ね、やがて死んだみたいに静止した。

 

 落ち始めた太陽は、昼間とは違い紅く輝いていて、街のあらゆる場所に影を作っている。

 

「比企谷くん」

 

 何度呼んだかわからないあなたの名字。いつ、名前呼びに変えられるんだろうか、と悠長にそんなことを思った。

 

「だめだったね」

「そうですね。爆発的に否定されましたよね」

「その日本語って合ってるのかなぁ……」

 

 私はくすくすと笑った。今は、私の実家から駅に向かうところ。

 

 こつ、こつ、ふたりのスニーカーが地面を蹴る音が響いている。なんとなく、私は腕を伸ばした。夕陽の熱を、肌がじっくりと吸収している。

 

 私はそれを見ながら、ゆっくり息を吸った。

 

「ほんとに、中指立てちゃおっか」

「はい?」

 

 ベットの中で冗談めかして言った言葉。でも、それがほんとになりそう。

 

「ふたりでさ、どっか遠くにでも住もうよ」

「それって……」

 

 あなたと居たい。ずっとそばに居たい。

 

 なんどもこの思いに蓋をした。でも、すぐに湧き出てきて意味がなかった。

 

 誰かに嫌われたっていい。あなた以外になら、どう思われたって構わない。むしろ、こっちからあなた以外には中指を立ててやる。

 

「駆け落ちってことですか」

「うん」

 

 駆け落ちってのは、きっと世界にファックサインを提示すること。自分と相手のふたりしか、この世に要らない、と叫ぶ行為だと私は思う。

 

 まさに人生の大博打。あの日振ったサイコロが、またバウンドした。何の目が出たかは、きっともうすぐ分かる。

 

 遠くで、車のエンジン音がさえずっている。でも、周りには誰もなくて、あるのは私たちが歩いている道路だけ。

 

 前にも後ろにも、長く長く、道は続いている。私が振り返って進んだら、それは後ろじゃなくて前になる。結局、逃げるなんてこの世にないんだ。

 

「陽乃さん……!」

 

 急に、抱きしめられた。なにが起きたのか、一瞬理解できなくて、目の奥が白黒する。

 

 暖かい風が吹いた。もう、夕暮れだというのに、その風はどこか新鮮で、まるで世界が私たちを祝福しているかのようだった。

 

「俺は、俺は」

「……うんっ」

 

 何かが目からこぼれ落ちるのを必死に抑えながら、私は相槌を打つ。

 

「陽乃さんと一緒に居たいです」

 

 私は比企谷くんに勝る勢いで、腕にぎゅーっと、ぎゅーっと力を込めた。もう絶対に離さないから、と想いを込めて。

 

「そっか」

「いいですよね?」

「もちろん。……えへ、嬉しいよ」

 

 わかってた。わかってたけど、実際言葉にされると、とても嬉しい。

 

 時間は止まらないし、関係も止まらない。それらは、常に変わり続けている。

 

 道路のはるか先にある太陽はもうすぐ沈むし、歩いてきた道もいつか朽ち果てる。

 

 でも、あなただけは、変わってほしくない。ずっとこのままで居たい。あ、抱きしめられたままは不便で嫌だけども。

 

 私は絶対にまちがえていない。お母さんが、自分のやり方を信じていたように、私も私が選んだ道を信じている。

 

「ん。……じゃあ、行こっか」

「えぇ」

 

 お互いの背中に回していた手を解いて、今度は、てのひら同士を絡めあった。

 

 今のところは、いい方向に行けていると思う。あの日、振ったサイコロは、たぶん、6の目を出してくれた。

 

 でも、確証はない。まだ、道を歩き始めたばかりだからだ。

 

 だから、それが確信になるまで、ふたりで歩き続けていきたいと思う。

 

「ねぇ、比企谷くん」

「なんですか?」

「これからも、よろしく」

「……はい。よろしくです」

 

 ずんずん、進んでいく。

 

 そんなふたりに、ゆっくりと夕陽が混ざっていく。

 

 道はどんどん続いていく。道を歩くんじゃなくて、歩いたところが道になる。昔、そんな言葉をどこかで聞いた。

 

 私は後ろを振り返った。

 

 ふたりが歩いてきた道は、夕陽で朱く光っていて、これからの明るい未来を予感させていた。

 

 さよならなんて許せない。

 

 これからもそうだ。だから、私は。

 

 あなたが離れていかないように、と、想いを込めて。

 

 繋いだ手を、さっきより強い力で、握り直した。


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