白玉楼に一人の半人半霊の男が現れた。その男の名は妖牙。かつて、妖夢の祖父、魂魄妖忌の息子であった剣客だった。剣を鞘から抜きすらせずに妖夢を切り捨てた彼に勝つため、妖夢は特訓を重ねる。護り、斃れないための剣と、ひたすらに斬るための剣。どちらが強いかを証明するため、妖夢は再び妖牙を迎え撃つ。
妖夢が孫で妖忌が祖父、ということで間を考えた末こうなりました。

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イメージは刺しボルグではなくシュラムッフェンです。


斃れぬ剣、手折れぬ桜

 鳥がもがいていた。きいきいと弱弱しく声を上げ、折れた翼で起き上がろうとあがいている。

 口の周りに血がついている。折れた肋骨に肺をやられているのだろうか。

 妖夢は可哀想と思いつつも、楼観剣に手をかけた。

 

「もう、長くないな」

「妖夢」

 

 が、声がかかる。妖夢が動きを止めたその隙に、透き通った蝶の群れが鳥を囲んだ。そして、十秒もしないうちに離れる。後ろを振り返れば、主が縁側に座っていた。

 

「幽々子様」

「葬っておいてちょうだい」

 

 鳥はピクリとも動かない。幽々子の力によって、苦しむ間もなく息絶えたのだろう。それは果たして幸せなことだったのか。

 

「お手数をおかけしました」

「私の屋敷で潰えようとしている命。その責任を持つのは当然のことよ」

「お言葉ですが、ここは幽々子様が私に任された庭でもあります」

「鳥の息の根を止めるのは庭師の仕事ではないわ。ましてや指南役のでもね」

「では、庭師の仕事を果たして参ります」

 

 妖夢は移植ごてを求めて倉庫へと足を向けた。

 墓を作ってやるほどの義理はない。どこかの桜の根元に埋めるだけで勘弁してもらおう。そんなことを考えていると、何かに気が付いた様子の幽々子に声をかけられた。

 

「ああ、妖夢」

「はい」

「後でお茶を淹れてちょうだい」

「……? はい」

 

  *

 

「あの、幽々子様」

 

 返事はない。

 妖夢は珍しく、幽々子に呼び出されてお茶を淹れていた。普段妖夢が庭の手入れをしているところを呼び戻されることは少ない。

 単にお茶を淹れるならほかの幽霊がいくらでもいる。話し相手を欲しがっているふうでもない。幽々子は今もこうして、妖夢などいないかのようにのんびりと庭を眺めている。

 と、妖夢は何かを感じた。何か、としか言いようがない。例えるなら、川の流れが乱されたような感覚。

 

「気づいたわね」

 

 幽々子がいつの間にかこちらを向いていた。何かがおかしい。そんな予感が焦りを呼び、妖夢の心臓が早鐘を打つ。

 そして、どれだけの時間がたっただろう。桜並木の間から、一人の男が姿を見せた。若者と言ってもいい見た目だ。しかし幻想郷とそれに連なる土地で見た目ほど信用ならないものはない。

その若者が口を開いた。

 

「やあ、幽々子」

「何者だ。止まれ」

 

 妖夢はとっさに身構えた。幽々子を呼び捨てにしていることからおそらくは顔見知りだろうが、身にまとう雰囲気が剣呑すぎる。にこにこと笑っているのに、鞘を払われた剣のような鋭さがある。

 さっきの感覚は、これが自分の手入れした庭に踏み入った故か。

 だが何より、その見た目が見過ごせなかった。

 男としてはやや長めな銀髪。さっぱりとした洋装。ここまではいい。気になったのは彼に半身のように付き従う大きな幽霊だ。

 

「半人半霊……?」

「そうだ。僕は君と同じ半人半霊。名前は――」

 

 本人が名乗る前に、幽々子が口をはさんだ。

 

「魂魄……妖雅」

「ヨウガ?」

 

 自身と、そして祖父にして剣の師である妖忌と似通った名に、思わず妖夢は反応した。

 

「そう。妖しくも、雅。そう妖忌が名づけ、育てた男」

「よしてくれ、幽々子。僕はもう魂魄の姓を名乗らない。それに、雅なんて僕には似合わないからね」

 

 その男はにっこりと笑う。

 

「妖牙。妖しい牙と書いてヨウガ。ただそれだけの名前さ」

「……斬りなさい、妖夢」

「はい」

 

 妖夢は楼観剣を抜き、妖牙を見据えた。

 

「迷いがないね。実にいい。きっと父はそういう風に僕を育てたかったのだろうけど……」

「でも、そうはいかなかったわ」

「そうだ。僕は少々、荒っぽすぎた」

 

 幽々子と会話しながらも妖牙は構えない。鯉口に左手をかけてはいるが、右手は垂らしたままだ。

 

「だから嬉しいな。君のような子が幽々子を守ってくれていると思うと」

 

 そして、歩み寄る。

 

「そして同時に憎らしくもある」

 

 一歩、一歩。

 

「そうなれなかった自分を()()()()()見せつけられているようで――」

 

 来る。そう思った。

 斬られる。そう思った。

 

「え……?」

 

 もう斬られていた。力を込めるのが遅れた剣を持つ手が弾かれ、がら空きの胴体に。

 ざっくりと。袈裟切りに。傷が走った。

 

「そん、な」

 

 傷は深い。ぼたぼたと血が滴る。

 

「幽々子、様……」

 

 そして、自分が(たお)れる音とともに意識が途切れた。

 

  *

 

「幽々子」

「何かしら」

「どうして、教えなかった」

「あなたが教える間もなく斬ったんでしょう」

「気をつけろ、の一言でも、きっと結末は違ったはずだ」

「そうね。きっと即座に倒れはしなかったでしょう。そうなれば妖夢はあと一歩のところで踏みとどまり、あなたに牙をむいたでしょう」

 

 幽々子は扇子を妖牙に向けた。

 

「そして、あなたの牙にかかったでしょう」

「幽々子は優しいね。そして同じくらい残酷だ」

 

 妖牙は振り返り、背後の幽々子に声をかけながら歩き出した。

 

「また来るよ。十日後でいいかな」

「ええ」

「それじゃあ……その時僕は、また君の敵になるよ」

 

 そう言って半人半霊の男は立ち去って行った。

最後の言葉。妖牙は明らかに気づいていた。幽々子は彼が完全に去ったのを確認してから妖夢に声をかけた。

 

「妖夢。話くらいはできるのでしょう」

「は、い」

 

 途切れ途切れだが、答える。主の呼びかけに無言など許されない。自分が許さない。

 

「悔しい?」

「はい」

「見返したい?」

「いい……え」

「……それじゃあ、果たしたい?」

「はい!」

 

 負けたことが悔しいのではない。主人を守れず、(たお)れたことが何より悔しい。今度は必ず、自分の役目を果たす。妖夢の目には、ただそれだけが燃えていた。

 

「そう。それなら――ひとまず傷を癒すことね。しばらくは庭の手入れも休みなさい。そして彼がまた私に会いにきたなら――斬りなさい」

「はい」

 

 幽霊のように透き通った蝶がどこからともなく集まってくる。妖夢の視界が蝶で埋め尽くされる。

 次に視界が開けたとき、自分は永遠亭の前に倒れていた。

 

  *

 

「目が覚めたー?」

「覚めた?―」

「たー?」

 

 枕元に三匹の兎が座っている。永遠亭だろう。窓の外を見るに、明け方か。

 

「八意先生を、呼んでください」

「八意先生をー?」

「先生をー?」

「をー?」

「ええ」

 

 何だこの三匹。話してると頭が痛くなってくる。

 

「お呼びかしら」

「あ、先生だー」

「先生だー」

「だー」

「はいはい。三人とも、表の仕事を手伝ってきて頂戴。ここはもういいわ」

「分かりましたー」

「ましたー」

「たー」

 

 兎たちが部屋を出ていく。永琳に続いて入ってきた鈴仙が点滴などをチェックしているのを横目に、妖夢は永琳に話しかけた。

 

「何日くらい、寝ていましたか?」

「二日よ」

 

 妖夢は目を見開いた。眠りすぎた。

 

「一日で剣を振れるようにしてください」

「不躾ねえ」

 

 永琳はおかしそうに頬を緩ませるが、目が笑っていない。

 

「説明する暇すら惜しいのです」

「あらそう。まあ、患者の頼みは断れないわね」

 

 永琳はカルテに目にもとまらぬ速さで何かを書き留めると、背中越しに鈴仙に渡した。

 

「大至急持ってきて頂戴」

「え、師匠。なんですかこの乙種劇薬のオンパレード」

「使うにきまってるじゃない」

「あのー、妖夢。これ、死ぬよりひどい目にあわされると思うよ」

「いいの。むしろ、それくらいする必要があるから」

「はあ……迷惑な患者だなあ」

 

 鈴仙はぶつぶつ言いながら出て行った。

 

「ちなみに……乙種があるなら、甲種は?」

「乙種は無茶をしたい人外用。甲種は不死身用」

「成程」

「師匠ー」

「あら、やっと準備ができたようね」

 

 と、鈴仙が戻ってきた。永琳は早速、毒々しい色の薬品が入ったアンプルの首を折った。

 

「それじゃ、逝ってらっしゃい」

 

 名状しがたい悪寒が薬品を注入された場所から広がる。妖夢の意識は闇に沈んでいった。

 

  *

 

 気が付けば、奇妙な場所に正座をしていた。

 足元は靄がかかって見えない。空はぼんやりと銀色で薄明るく、強いて言うなら――天国か。

 

「妖夢」

 

 懐かしい、秋水のような声が背後から響く。妖夢は戸惑ったが、振り返らずに答えた。

 

「お久しぶりです。このたびは――」

「妖雅の剣は見えたか、妖夢」

 

 妖夢の挨拶を断ち切り、声は剣を問うた。

そうだ。久闊を叙する暇などない。これが夢か幻かは分からないが、あの剣を見切る糸口となるはずだ。一刻も早く、彼のことを問うべきだ。

 

「――見えませんでした。あれは一体?」

 

 しかし問うのはこちらとばかりに、声はさらに言葉を重ねる。

 

「妖雅の動きは見えたか、妖夢」

「見えませんでした」

「妖雅の意志は見えたか、妖夢」

「見えました」

「ならばそれが答えだ。その眼で見、その肌で感じたことのみを()とせよ」

「はい」

 

 剣は見えなかった。動きは見えなかった。しかし、意志は見えた。

 今まさに剣を抜き放ち斬ろうとする意志を感じた瞬間、妖夢はすでに斬られていた。ならばそれだけが真実だ。

 

「彼は、意志で斬るのですか」

「いや。そのような超常の力ではない。それならば腰に剣を差す意味はない」

「ならば――意志が、斬ったという結果を呼び込むのですか」

「――そうだ」

 

 意志が斬ったという結果を呼ぶ。それは、きっと鍛え上げた剣士ならば誰もがやっていることだ。しかし。

 

「お前を拾うよりずっと前だ。故あって、半人半霊の子を育てることとなった」

「それが、彼ですか」

「そうだ。奴は剣を愛した。確実に手前より、あるいは御前より。そして剣もその愛に答えた。どんな()()()()も、奴の手にかかれば鉄をも断った」

「そして――その愛が彼を狂わせた」

「いや。奴は手前らと違う道を行っただけ。ただ斬るという意志を持ち、構え、抜き、振り、斬る。それに魅せられただけ」

 

 そうだ。鍛え上げた剣士なら、誰もがその一連の動きをなぞる。そしてやがて、斬ろうと思うだけで、いちいちの確認すら必要なく、剣を抜き、振るうことができるようになる。目の前の茶碗をつかむとき、指の一本一本の動きを考える必要がないように。

 斬ると思う。故に斬る。斬った。

 

「それを極めたがゆえに、因果を飛び越えた」

「そうだ。感じたはずだ。あれの斬ろうという意志から寸分も狂いのない場所を斬られたことを」

 

 きっと本当は、構え、剣を抜き、斬り、血を払い、鞘に収めるところまで行おうとしているだろう。そうした意志が原因となり、斬ったという結果につながる。

 だがそれが妖牙にとって、いやさ世界にとって、あまりに当たり前のことであるがゆえに。その因果が飛び越えられている。

 だから実際は剣に手をかけてすらいないのに、その一連が行われたのと同じ結果が現れる。彼が斬ろうと思った瞬間に、斬ろうと思った通りに、斬ったことになっている。

 だから、それを相手取るには普通の見切りでは遅い。相手の斬ろうとする意志を感じてから身構えるのでは、本来間に合うタイミングでは遅すぎる。防ぐことができない。

 すでに、斬られている。

 

「美しい。だけれど、あまりにおぞましい」

 

 人は、そこまで行けるのか。

 

「勿論人の身ではそこにたどり着く時間が足るまい。しかし半人半霊ならば――あるいは、手前も、御前も、ああなっていたやも知れぬ」

「しかし、私の剣は違う。斬るためにあるのではありません」

「そうだ。だから手前はあれを捨てた。あれが柄に手をかけるだけで妖怪を屠ったその日のうちに破門を言い渡した」

 

 それが本当なら、彼はその日から更に成長している。もはや構えてすらいない。

 

「そして、私を拾った」

「そうだ。御前の剣は手前と同じ」

「ただ、護るために。ただ、斃れぬために」

「そのために剣を振るえ、妖夢」

「御意」

 

  *

 

 目を覚ました。布団をはいで自分の胸を触る。傷一つ残っていない。

 

「ただ今を持って、あなたに最初の注射をしてからちょうど二十四時間よ」

 

 八意永琳が机に向かい書き物をしながら声をかけてくる。こちらを向きすらしない。

 妖夢は枕元にたたまれた服を手に取り、早々と着替えを始めた。

 

「この着替えは?」

「鈴仙に取りに行かせたものよ。どうせ今から何か始めるんでしょう」

「ええ」

 

 お見通しらしい。妖夢は着替えを終え、剣を持つと永琳に頭を下げた。

 

「お世話になりました。また機会があればお世話になります」

「それは薬師に行ったら駄目な台詞世界一よ」

「知ってます」

「出ていけ」

 

 妖夢は永遠亭を飛び出した。向かうのは登ったばかりの太陽の方角。

 博麗神社だ。

 

  *

 

「稽古? なんで今更、あんたが私に?」

「多分、霊夢が一番近いだろうから」

「分けわかんないわ。まあ、久々に体を動かすのも悪くないかもね。で、何するの? 組手? チャンバラ?」

「私は剣を振るから、霊夢には延々よけ続けてほしいの」

「馬鹿にすんじゃないわよ!」

「いや、本当に意味があるのよ」

「だとしても、こっちから反撃できないのはむしゃくしゃするわね」

「それはほかの人にお願いしたから――」

「お呼びかしら?」

 

 紅魔館のメイド、十六夜咲夜だ。

 

「とっても退屈な特訓に付き合ってくれ、と言われたものだから。家事をおろそかにして駆けつけたわ」

 

  *

 

 妖夢が剣を振るう。霊夢が避ける。更に追う。更に避ける。体裁きを駆使していなす。距離を取る。向き直る。距離を詰める。

 そして妖夢が剣を振りかぶった瞬間――。

 その胸の前に、木製のナイフが突如現れた。

 

「つっ……」

 

 妖夢はとっさに身をひねるが、よけきれない。さすがに倒されはしないものの、体勢を崩した。

 それを見て、縁側で場違いにティーカップで紅茶を飲んでいる咲夜がつぶやいた。

 

「はい、一本」

「全然駄目じゃない。というか何の意味があるのよ、これ」

 

 霊夢が呆れるのも無理はない。奇妙な特訓であるという自覚は妖夢にもある。

 理屈は単純だ。

 霊夢には左手を腰に、右手を垂らしたまま妖夢の剣をよけ続けてもらう。さすが博麗の巫女とでもいうべきか、ここ一番の体さばきではやはり妖夢の知る限りトップクラスだ。単純に身体能力や技術が優れているというのとは違う。勘が冴えている、とでも言おうか。

 おそらく咲夜や妖夢といった武術を体系立てて修めたものにはできない動き。妖夢が一週間後に相手どるのはおそらくこれだ。

 しかし、両手がふさがったままでは霊夢といえども限界が来る。何せ手を使って防ぐことも、バランスを取ることもできないからだ。

 そこに。霊夢の身のこなしでは追い付かなくなったところに。妖夢が攻めようと踏み切ったまさにそこに。咲夜が時を止めナイフを滑り込ませる。そういう手はずだ。

 妖夢なりに精いっぱい考えた、妖牙への対処法をつかむための特訓。妖夢は自分が努力型の人間と理解している。だから似た状況での対処を何度も体に叩き込む必要があった。

 努力型と天才型。この意味で言えば、霊夢はやはり天才型だ。いきなり申し付けられた奇妙な特訓でも、両手がふさがった状態での身のこなしを、あっさりと自分のものとしている。追いかける側の妖夢としても、捕まえるまでの時間が段々と長くなってきていることが分かる。

 

「まったく……睨んだだけで相手を攻撃できる妖怪でも斬ろうっていうの?」

 

 そして霊夢の勘の良さは相変わらず冴えていた。彼のことをズバリと言い当てられ、妖夢は内心驚きあきれた。

 

「まあ、そんなところ。後でお茶の時間にでも説明するわ。さて……いつまでも、私が攻めに一辺倒じゃ仕方ない。咲夜、霊夢が慣れて来たら、霊夢の目線を読んで攻めを挟んできて」

「別にかまわないけど……」

「じゃあ何? 私は攻撃したいところを睨めば咲夜が勝手にやってくれるの? 楽ちんね」

 

 そういう霊夢の顔は、言葉とは裏腹に不満そうだ。今日の終わりに派手な弾幕勝負でもしてストレスを飛ばしてやろう。明日以降の特訓に支障が出そうである。

 

  *

 

「いたた……」

 

 木製のナイフで突かれたせいであちこちが痛む。風呂上がりの妖夢は、早速永遠亭の置き薬から軟膏を取り出して痛む箇所に塗っていく。これで明日の朝にはきれいさっぱり痛みが消えているはずである。

 

「しかし、かすりもしなかったな……」

 

 こちらが特訓に使った剣は、相手のナイフ同様に木製だった。特訓に使った木刀は楼観剣とは感触が違うとはいえ、軽く速いという利点もある。だというのに十分なハンデがあった霊夢に一撃を与えることができなかった。初めは髪や服の裾にあたることもあったが、日も沈みかけたころにはそれすらなくなった。

 霊夢と妖牙の身のこなしはもちろん完全に同一ではないだろう。妖牙はもとからある才能だけでなく、妖忌に受けた教えと破門された後の鍛錬という上乗せがある。ならば攻めも守りも霊夢以上のはず。普通に剣を抜かれても――そんなことをする必要がないだろうが――妖夢では太刀打ちできるか怪しい。

 などということを考えていると、当たり前のことだが眠れない。妖夢は気分を変えるため、剣をぶら下げて庭に繰り出した。自分の手入れしている庭だ。どういう気分になりたいとき、どこへ行けばいいかは分かっている。

 桜が咲き始めた季節とはいえ、朝晩は冷える。さっさと気を落ち着けて戻らなければ――。そう思い、出かけた先。

 そして、そこに彼はいた。

 

「妖……牙」

「やあ。もう傷はいいのかな」

 

 妖夢はとっさに楼観剣を抜こうとした。

 

「言わなかったかな。また十日後に来る。その時、また僕は君の敵になる、と」

「今は、敵ではないと?」

「そうなるね。きっと幽々子も、僕を見つけ次第斬れ、とは君に命じていないはずだ」

「……ご名答です」

 

 妖夢は釈然としないながらも構えを解いた。

 

「その剣」

「……楼観剣と、白楼剣のことですか?」

「そうだ。君、寝付けなくて庭を見に来たんだろう。そんな時まで剣をぶら下げているのかい」

「それが、師の教えですから。そういうあなたも剣を差したままではないですか」

「そうだね。そういう教えだった。君はもちろん、魂魄を名乗れなくなった僕でさえ実によく父の教えを守っている」

「……あなたは、師を、妖忌を恨んでいるのですか?」

「どうしてそう思う?」

「あなたはあなたなりに、剣を愛してその道を選んだ。なのに、師はあなたを破門した――」

「はは。まるで父に聞いてきたかのように言うんだね」

 

 夢枕とは、直接聞いたとは口が裂けても言えなかった。なんだかズルをしているようで。

 

「僕には才能があった。剣を愛し、同じだけ剣に愛された。だから、斬って何かを成すより、斬ることそのものに血道を上げた」

 

 妖牙は鯉口に手をかけた。

 

「その結果がこれだ」

 

 彼の目の前に落ちる桜の花びら。それが音もなく二つに斬れた。

 

「どう思う?」

「……素直にすごいと思います。育った環境さえ違えば、あなたの後を追いかけるとこともあったでしょう」

 

 妖夢は楼観剣を握りしめた。

 

「しかし、私はもう違う道へと足を向けました。あなたがその道を塞ぐなら、容赦しません」

 

 二本の剣を、片方ずつに持つ。

 

「一つは護るために。一つは斃れぬために。それが私の剣です」

「今からでも、道を変えることはできると思うよ」

「それは変えるのではなく、(たが)えるというのです」

 

 妖牙は目を閉じた。

 

「……そうだよね」

 

 そして背を向ける。

 

「妖忌は僕から見れば父。君から見れば祖父。そう聞いている。だからもしかしたら、僕は君の父になっていたのかも、なんて考えてしまってね」

 

 首が飛ばされた。

 はっとして首を抑える。もちろん傷一つない。落ち着け。間合いの外だ。気の所為だ。それでも。

 気迫だけで死んだ気がした。

 

「けど僕は、そんな淡い考えもろとも君を斬る。それが僕の唯一の剣だ」

 

 妖夢は口を開けなかった。

 

「じゃあね」

 

 妖牙が姿を消してからも、妖夢はずっと動けないままでいた。

 

  *

 

「あららら」

「ぐじゅ」

「随分ひどい風邪ね。はい薬箱」

「どぅびばでん」

「いちいち共用の場所に置かなくてもいいのに……。この薬箱、どうせ妖夢しか使わないんだから」

 

 妖夢は鼻をかんでから薬箱を開いた。

 

「そういう訳には。私物化するのはちょっと……」

 

 風邪薬の錠剤をざらざらとあける。人間用と妖怪用を両方とも大量に。

 

「けど、この風邪じゃあお稽古は無理かしら」

「いえ、薬を十倍飲めばすぐ直りますよ」

「……妖夢は可愛いわね」

 

  *

 

 本当に治った妖夢は午後から博麗神社に顔を出した。

 

「む!」

「えい」

「おー」

「……何してるんでしょうか」

 

 おそらく魔理沙お手製の案山子と思しきものから距離を取り、霊夢と咲夜が立っている。

 霊夢が目を見開くと、一点をにらみつけた。咲夜はそれを追ってナイフを投げる。

 見事、ナイフが案山子の左肩に突き刺さった。

 

「違う! 私は左の二の腕を狙ったの!」

「いいえ。あれは絶対左肩ですわ」

「腕!」

「肩!」

「腕!」

「肩!」

「あの、魔理沙。あの二人は何を」

「あー? 見ての通りだぜ」

「あ! やっと来たわねこの寝坊助!」

「まったく困ったものですわ。霊夢の狙いが大雑把すぎて、特訓に支障が出てしまうわ」

「あんたがちゃんと私の目線を読めばいい話でしょうか!」

 

 霊夢と咲夜の言い争いがあまりに不毛だったので口をはさんだ。

 

「いやまあ、そこまで気にしないでも……」

「あんたが言い出したんでしょうが!」

「おいおいおい、さっさと始めないと日が暮れちまうぜ」

「ああもう腹立つ! 妖夢! あんたの事情が片付いたら白玉楼で宴会だからね! 絶対よ!」

「まあ、もとからそのつもりだから安心して」

 

  *

 

 何度目になるかはわからないが、妖夢は膝をついた。

 

「全然駄目ね。妖夢、もうちょっと攻め方変えたら?」

「そうね」

 

 妖夢は剣先で、今しがた自分を打ち据えたナイフを拾い上げた。

 

「こう、いや……こうかな」

 

 迷ったが、左手でナイフを逆手に持つ。元からの木刀は右手一本で扱うことになるだろう。咲夜が目ざとく質問を飛ばす。

 

「それで大丈夫? それだと実戦では楼観剣を右手一本で振り回すことになるでしょ?」

「まあ、いつもやってることだし」

「でも、今と実戦とでは感触が違ってしまうのでは?」

 

 咲夜がそういうものの。

 

「特訓で本物を振り回すわけにはいかないし……」

「だったらいいものがあるよ、おねーさん」

「え?」

 

 縁側で猫を撫でる魔理沙の方から声がしたが、彼女ではない。魔理沙がいじくりまわしていた黒猫が、煙を上げて人型に変じた。

 

「いいもの、とは? えーと、お燐、だっけ」

「そうそう。で、知っての通りあたいは地霊殿のペットなんだけど、うちにはもっと凶暴でドでかい連中もいるんだよね」

「ああ、いたな。妖怪でもないのに人を殺せそうなやつら」

 

 魔理沙がこともなげに言うが、妖夢としてはぞっとしない。

 

「そいつらが粗相をしないように、ちょっとしたアイテムを用意してあるんだ。ちょっと持ってくるよ」

 

 そういうが早いか、猫に変じてさっさと間欠泉の方へと行ってしまった。

 

  *

 

「あの、これは……ちょっと」

 

 妖夢の首には首輪が巻かれていた。

 

「まーまー、アクセサリーみたいなもんだと思ってさ」

「で、実際何のためなのよ、これ」

「まーようするに、猛獣が何で危ないかっていうと爪や牙があるからでしょ? だからこれはその危ない部分をどうにかするマジックアイテムってこと」

「成程」

 

 妖夢は試しに、楼観剣で案山子に一太刀浴びせてみた。

 鈍い音がして案山子が傾くが、まったく切れた様子はない。

 

「峰打ちみたいなものか……」

「それだって、当たったら結構痛そうだけど」

 

 嫌そうに言う霊夢に、魔理沙がからかい半分に言う。

 

「斬られるよりはましだと思えよ」

「他人事だと思ってー」

「他人事だろ?」

 

 霊夢はため息をつくと、挑発的に妖夢を見た。

 

「ま、今のままじゃ、怪我をすることなんてなさそうだけど?」

「――行きます!」

 

  *

 

 特訓五日目。霊夢が逃げる。妖夢が追う。その構図は変わらない。

 しかし妖夢の構えはずいぶんと違う。霊夢の目線を見ている。いや、霊夢の目線がどこに行くのか、霊夢の動き全体をとらえて先読みしようとしている。

 今、妖夢が楼観剣で横薙ぎの一撃を見舞った。霊夢は紙一重でかわし、切り返す。

 そして妖夢の胸をにらんだ。咲夜はそれを見て時を止める。

 

「ふむ」

 

 かつかつと石畳を歩き、霊夢と妖夢の間に入る。

 

「ここにナイフ、と。けど……」

 

 妖夢の左手。右手の横薙ぎが届かないと悟った瞬間からもう動きがある。ナイフが順手になっているのだ。

 

「これがこう来て、こうよね」

 

 とはいえ霊夢の狙いと違う場所にナイフを飛ばせばまた怒られるだろう。咲夜は妖夢の胸の前にナイフを放り、元の位置に戻った。

 そして時を動かす。

 ナイフが霊夢の睨んだ場所へと寸分の狂いもなく飛び込む。そこに妖夢の左手が間に合った。木と木がぶつかり軽い音を立ててはじけ飛ぶ。

 そして妖夢は楼観剣を振った勢いで半身になると、地を蹴って霊夢に迫った。

 

「ぐっ」

 

 霊夢の体に妖夢のナイフの先が食い込む。

 

「はい、そこまで」

 

 と、妖夢が気付けばそこに霊夢はいなかった。霊夢は咲夜の横で縁側に寝かされていた。霊夢が慌てて起き上がって咲夜に抗議する。

 

「あーもう、いいところだったのに」

「今のが直撃してたら、流石にあなたでも肋骨持っていかれたでしょう。これからは服に加護をかけて相手をするべきですわ」

「疲れるから嫌なんだけど……」

 

 霊夢は身を起こし、妖夢を見据えた。

 

「で、どう? 勝てそう?」

「分からない。もう明後日に迫っているけど、おそらく霊夢よりも身のこなしは上だし、咲夜よりも攻撃は速いと思う」

 

 どう斬ろうとしているのか、という意志を感じるのでは遅い。これからどう斬ろうと考えるのか、と先読みする必要があるのだ。

 リンゴが木から落ちた後、地面にぶつかるのを疑わないように。

 夕日が沈んだ翌日に朝日が昇るのを疑わないように。

 妖牙が斬ろうとしたものが斬れるのを、世界は疑わない。

 

「仕組みは聞いたけど、因果跳躍の大魔術並みのことを体術だけでやるとか、インチキすぎんだろお前の父ちゃん。父ちゃん……で、いいんだっけか」

「まあ、父になるかもしれなかった人ではあるけど……そういわれると違和感しかないわね。あくまでも祖父の息子、といったところ」

「複雑な家庭事情ね」

「……ここにいる全員の家庭事情がおそらくは普通じゃないことにはツッコミ入れませんわ」

 

 咲夜が呆れながら言う。

 

「それと妖夢。本番もそのチャチなもので戦うつもり? 白楼剣は使わないつもりでしょう?」

「ああ……確かに」

 

 右手は本番も楼観剣を使うが、白楼剣の方はそうはいくまい。これでは人を斬れないし、幽霊を斬りすぎる。だから別の得物を用意する必要がある。

 妖夢は少し考えてから咲夜に頼んだ。

 

「悪いけど、手ごろなナイフを貸してほしいわね。なるべく切れ味のいい奴を」

「それじゃ、とっておきのを」

 

 咲夜はいつものようにナイフを手品のように取り出すと、妖夢に投げてよこした。妖夢はこともなげに受け取って感触を確かめる。

 

「ふむ」

 

 切れ味を試すために首輪を外す。そしてもはや実験台としておなじみとなった魔理沙の案山子の前に立ち、二度、三度とふるった。しかし一見何の変化もない。

 

「お? スカった?」

「そんなわけないでしょう」

 

 妖夢が軽く案山子の頭を押すと、輪切りになっていた案山子がバラバラに崩れ落ちた。

 魔理沙は思った。そんな馬鹿みたいな切れ味のもんを投げて渡すなよ、と。

 霊夢は思った。これだから体が刃物でできてる連中は、と。

 

  *

 

 そして、その日が来た。

 

「……来た」

 

 幽々子が驚いた顔を見せた。

 

「本当だわ。来てる」

 

 幽々子は素直に驚いていた。自分より早く、妖夢は妖牙の接近を感じ取ったのだ。

 

「やあ」

 

 そして十日前と寸分違わず、彼はこともなげに姿を見せた。

 

「幽々子様。ご命令を」

「分かったわ……斬りなさい、妖夢」

「御意」

 

 右手に楼観剣。左手に借り物のナイフ。楼観剣は緩く正眼に構えた。

 

「参ったな。十日でここまで仕上げてくるなんて」

 

 妖牙は左手を剣にかけた。

 

「これはちょっと、気を抜いてられないな」

 

 一歩。一歩。また一歩近づく。

 そして、間合いに入るその瞬間。

 妖牙の意志が固まる。一筋の殺意となって、妖夢の体に重なる。その瞬間、妖夢は楼観剣をすでに傾けていた。

 そして、剣を打ち合わせた音が鳴る。

 

「本当に、止められるとは」

「一撃で驚いてる場合じゃないですよ」

「そうだね。その通りだ」

 

 そして来た。楼観剣でもう一度止める。

 左肩狙い。楼観剣を引きナイフで止める。

 足狙い。一歩距離を取ると、空が斬れるのが見えた。

 

「これで四度。もう驚いていいかな」

「どうぞお好きに。そのころには、こっちの剣が届いています」

「それは勘弁願いたいね。それじゃあ――」

 

 心臓が貫かれた、気がした。

 無論錯覚だ。間合いの外にいる。まだ、外にいる。

 

「確かめてみようじゃないか。斬るための剣と、護り斃れないための剣。どちらが鋭いのか。どっちが強いのか」

 

 そしてこれから、内に入る。

 

「流派無し、妖牙。参る」

「魂魄流、魂魄妖夢。来ませい」

 

 一撃が来る。それを防ぐ。防ぎ終わった時には、次の殺意がまとまり始めている。

 そうだ。何せ相手はいちいち剣を戻す必要も、構え直す必要もないのだ。防がれたと分かったその時から、別の場所を斬ろうと思うだけで――。

 

「ぐっ!」

 

 腕を斬られた。だが浅い。

 

「まだまだ!」

 

 一歩。一歩。更に追いつめられる。間合いから出ては入り、出ては入り。

 予想以上だ。息が詰まる。速い。意志が研ぎ澄まされるのが速い。受けられてからの切り替えが早い。次々飛んでくる。斬撃。殺意。剣。

 

「ちいっ……!」

 

 妖夢は一瞬の隙にねじ込むようにしてナイフを投擲した。付け焼刃の投げナイフ。しかもスローイングナイフでなくダガーナイフだ。当然、まともにあたるわけもない。

 しかしそれを、妖牙はやはり斬る意志で持って迎えた。ナイフが両断される。

 その隙に妖夢は距離を取った。こうしなければ、いつまでも防戦一方だ。予備のナイフを腰から抜く。

 

「本当に、鉄でも斬れるんですね」

「君が手にしていれば違う。無防備な的と、受ける敵では斬りやすさもだいぶ変わる。そうでなくても――その楼観剣は、僕でも斬れない。はずだ」

「それを確かめに来たんですか?」

「それもある。何より――」

 

 三度目の錯覚。幻痛すら覚えるその殺意に、妖夢は視線をそらさなかった。

 

「君を斬れるのか、確かめたくてね」

「十日前は斬られました」

「あれはアンフェアだったと自分でも思うよ。現に、手の内さえ分かればこうして渡り合えている」

 

 そして妖牙は歩き出す。

 

「僕でも斬れない楼観剣を持ち」

 

 一歩。

 

「僕の殺意に押されない意志を貫き」

 

 一歩。

 

「僕を斬るために研鑽を積んだ君を、僕は斬れるのか」

 

 一歩――踏み込む。

 

「それが知りたいんだ」

 

 その言葉とともに妖牙は走り出した。妖夢はそれが分かっていたから、同時に妖牙に向かって走り出していた。

 今度は妖夢が攻める。剣を振るう。ナイフを差し込む。しかしかわされる。結果だけを置いていく剣に弾かれる。次第に妖夢の速度が落ち、ついには押し返され始めた。

 

「ぐ……」

「さあ、こっちの番だ」

 

 そして来る。袈裟がけの一撃。殺意が来る。意志が来る。その一瞬前に。

 妖夢は逆手に握ったナイフで、袈裟がけに自分の体を切り裂いた。

 来るはずの妖牙の剣は来ない。なぜならすでに果たされたからだ。妖牙の殺意と寸分狂わない軌道ですでに刻まれた傷が、一瞬の戸惑いを生んだ。

 そして、意志が空ぶったその隙に――。

 

「――」

 

 楼観剣は、妖牙の胸の中央を貫いた。

 

「――は、あ、ぐ」

「これが、私の答えです。護るために、自分の身すら斬る。それが、私の、剣です」

 

 ずるりと妖牙の胸から剣を抜き、たたらを踏むように後ずさる。格好をつける余裕はない。本来妖牙に斬られるよりも一瞬早く斬ったため、ほんの少し浅いとはいえ、自分で自分を斬った後なのだ。

 

「……参ったな。意志を空振りさせられるなんて。そんなこと、考えたこともなかった」

 

 そう。これを成すには妖牙の殺意を完璧になぞる必要があった。彼の意志を因果が叶える一瞬前に自分で斬ることで実現し、結果を先取りする。少しでもズレがあれば、彼の意志はまだ果たされていないと判断され、お構いなしに斬られただろう。

 妖夢は彼を理解するために、ここまでの剣戟を重ねたのだ。

 そしてようやく傷を与えた相手を、妖夢は呆れたように睨む。

 

「それでまだ、喋れるんですか」

「知ってるだろう。僕らは生きてもいないし、死んでもいない。魂と体を同時に滅ぼされない限りは、本当の意味で死にはしない」

 

 妖牙は顔を上げた。青ざめている。

 

「とはいえ、君は幽々子を護り切った。君の勝ちだ。僕はきっと屋敷にたどり着く前に力尽きる。あと一撃か二撃が限界だろう」

「客として屋敷に迎えられ、手当てを受けるという選択肢はないんですか」

「無いね。僕はそんなことのためにここに来たんじゃない」

 

 そういって彼は、剣の柄に手をかけた。

 

「なっ……」

 

 抜かれた剣はとても美しかった。斬る。その目的のためだけにきらめき、彼の意志に答えていた。

 

「本当の意味で剣を振るうのはいつ振りだろう。思い出せないけれど、そんなことはどうでもいい。こんなに心が躍っている」

 

 その言葉とは裏腹に、彼の表情は研ぎ澄まされている。先ほどより、もっと。

 

「これで本当に最後だ――妖夢」

 

 初めて、彼は妖夢の名前を呼んだ。

 

「さあ。僕の斬るための剣を退けてみろ。護るための剣を果たしたその手で、斃れない剣を叶えてみせろ」

 

 妖夢はナイフを捨てた。目をやらずともわかる。背後から白楼剣が来ている。開いた左手で受け止め、鞘を乱暴に払う。

 

「どうして……」

 

 幽々子は白楼剣を投げたあとの姿勢のまま、妖夢の背中を見つめていた。

 

「妖雅も、あなたも……そして妖忌も。どうしてそんなに不器用なの」

 

 妖夢はかみつくように叫んだ。

 

「私はどちらの剣も捨てるつもりはない! 護り、かつ斃れない! そのために!」

「僕は斬る! ただそれだけのために!」

「魂魄流、魂魄妖夢! 参る!」

「元魂魄流、魂魄妖雅! 来い!」

 

 剣の交わりは一度だけだった。

 そして一瞬で終わった。妖夢の剣は弾かれ、体は浮いた。妖雅の剣は引き戻され、今にも妖夢を切り裂こうとする。

 ――なんて美しい。

 ――見入ってしまいそうだ。吸い込まれてしまいそうだ。身を任せてしまいそうだ。

 ――こんな剣筋は見たことがない。

 ――だから、悔しい。

 ――斃れないための剣が負けるのは。

 ――私が負けるのは!

 

「嫌だ!」

 

 自分で切り裂いた傷痕。それに交わるように振るわれた一太刀で、妖夢の意識は刈り取られた。

 

  *

 

「――かっ、は」

 

 剣を振りぬいた姿勢のまま、妖雅は血を吐いた。本来なら、胸を貫かれた状態でここまで動いている方がおかしいくらいだ。もう立っていられない。みっともなく尻餅をつく。

 そして、前を見据えて――。

 

「本当に。参ったな。そして驚いた」

 

 妖夢は(たお)れていなかった。

 無意識に地面に突き刺した楼観剣と白楼剣にすがるように、体を支えるようにして立っていた。白目をむき、血を流しながらそれでもなお斃れずにいた。膝すらついていなかった。

 

「――僕の負けだ」

 

 妖雅は剣を地面に置いた。幽々子が歩いてくるのが見える。

 

「妖雅……」

「悔しいなあ。僕の剣は妖夢に届かなかった」

 

 妖雅はふらふらと立ち上がった。

 

「どこに行くの?」

「さあね……。行く当てもない。けど、ここにはいられないから」

「じゃあ――死になさい」

 

 幽々子の言葉は唐突だった。

 

「本気で言っているようだね、幽々子」

「ええ。妖忌が残した唯一の心残りが貴方。それが片付けば、妖夢は自由になる。妖忌から受け継いだことをすべて清算し、ここにいる理由がなくなるの。やっとね」

「本気で言っているのかい、幽々子」

「……さっきと真逆じゃない」

「妖夢は自分の剣のためにここにいる。僕とか父とか、そういうしがらみはきっと関係ないよ。血もつながってないのに、そういうところは僕と父にそっくりだ」

「それと同じ理由で、あなたはここにはいられないの?」

「そうだ」

「そう……じゃあ、これで、さよならよ」

「ああ。さよなら、幽々子」

 

 幽々子から放たれた蝶が、妖雅を包み込んだ。妖雅は妖夢をやさしく見据えた。

 

「さよならだ、妖夢」

 

  *

 

 妖夢が目を覚ますと、鈴仙が顔を覗き込んでいた。

 

「わっ! 本当にこの時間に起きた」

「自分の師匠の計算を疑うの?」

「えへへ……御見それしました」

 

 妖夢は体を起こそうとするも、まったく体が動かない。永琳が覗き込んでくる。

 

「さて、と。本当にもう一度あなたの世話をすることになるなんてね。しかもこんな早く」

「今度は三日で庭をいじれるようにお願いしても」

「三週間入院よ。半人半霊の回復力を差し引いても、この間の薬が抜けきってないうちに、だいぶ無茶な特訓をして挙句にその大怪我。これでも寛大な措置だと思ってちょうだい」

 

 傷は綺麗に斬れてて縫いやすかったけどね、などとぞっとしないことを言う永琳。

 

「まあ、仕方ないですね。……幽々子様にお休みをいただきたいので、手紙を書いてもいいでしょうか?」

「西行寺の亡霊さんなら今日の午前の内に顔を出したわよ。その時にドクターストップを伝えておいたから心配ないわ。心置きなく怠けることね」

「じっとしてるのは性に合わないんだけどなあ……」

 

 妖夢は息を吐いた。

 

「ああ、それと――私のほかにも、誰か急患がいませんか?」

「何故そんなことを?」

「いえ、特に理由があるわけでは」

「残念だけど、理由があっても教えられないわ。ほかの患者のことをぺらぺらと喋るわけにはいかないの」

「そう、ですよね」

 

 妖雅はどうなったのか。妖夢はあの一太刀で見事に気絶してしまったから分からない。あの勝負の行方がどうなったのかさえ知らない。

 幽々子はきっと、彼の生死も勝ち負けも教えてはくれまい。そうなれば妖雅に直接聞くほかないが、仮に彼が生きていたとしても、もう妖夢の目の届くところにはいないだろう。

 そう考えて三週間ほどを退屈にすごし、妖夢は白玉楼に帰ってきた。

 幽々子は不在だった。帰るまでに庭の始末を済ませるようにと書置きがあった。今頃は八雲の巣かどこかだろう。

 

「やっぱり」

 

 彼のいた場所に、錆びかけた剣が落ちていた。

 

「ありがとうございます、幽々子様」

 

 これだけは自分で済ませたかった。幽々子はそれを汲んでくれたのだろう。あるいは、単に妖雅のことに()()()()()たくなかっただけかもしれない。

 妖夢は剣を拾い上げると庭の一角に赴いた。そこにはやはり、錆びた剣が二振り付き立っている。

 妖夢に楼剣と白楼剣を託した後、間に合わせで妖忌が使っていたものだ。結局そのあとこれを残して姿を消してしまったので、墓標代わりとなっている。

 妖夢は手にした剣を太陽にかざした。

 

「あの日、あんなに美しかったこの剣……今は見る影もないな」

 

 やはり彼は、剣に愛されたのと同じだけ剣を愛していたのだろう。どんなに譲っても業物に見えないこの剣を、あれだけ美しく昇華させていたのだ。

 

「さようなら。……父様」

 

 言ったはいいものの、妖夢は気恥ずかしくなって、彼の剣を乱暴に妖忌の墓標の隣に突き立てた。そして持ってきた一升瓶の中身の半分を浴びせ、残りの半分は自分で飲み干した。

 ぷはあ、と行儀悪く息をつく。

 

「さあ、庭の手入れをしなくちゃ」

 

 背を向けた妖夢の知らぬところで、錆びた剣が酒の滴で輝いた。

 

 


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