ある日の昼食時。用事を終えた咲夜は、レミリアの部屋を辞することにした。
「それでは、失礼いたしますわ」
「ああ。……あ、咲夜。ちょっと待ちなさい」
「……? 何でしょうか」
「そろそろ昼時よね。美鈴に出す昼食だけど、今日は少し豪勢にしてやって」
「それはまた……誕生日ですか?」
真面目な顔で返す咲夜に、あきれたようにレミリアは言う。
「妖怪に誕生日なんて……いや、それでいいや。とにかくお願いね」
「かしこまりましたわ」
咲夜はドアを閉め、首をかしげながら廊下を歩いていく。レミリアは咲夜の足音が完全に遠のいたのを確認し、絨毯をめくった。
「さて」
そして、その影に潜り込む。さらに廊下の絨毯の影を伝い、あっという間に厨房にたどり着いた。
そこでは折よく、咲夜が鼻歌交じりでピザを作っているところだった。美鈴への昼食だろう。傍らにはチキンやケーキの用意も見える。
(本当に誕生日みたいなメニューを……。まあいいや)
レミリアはさっさと咲夜の影に移ると、その時を待った。
*
「ふああ……」
思わずあくびが漏れる。
門番の仕事は退屈だ。そもそも主人のレミリアからして、ちゃんと働くことを美鈴には期待していないように見える。紅魔館という存在が、幻想郷という土壌に馴染みやすいようにするための緩衝材といったところか。大事な役割ではあるが、常に気を張って勤め上げる必要はない。
ただ門に立ち、一部の無謀だったり過激だったりする輩を弾けばいいだけ。顔見知りでもない存在に、ここに壁が一枚あると示しさえすればそれでいい。
だから普段やることと言ったら太極拳か昼寝か、さもなくば今みたいにあくびをかみ殺して壁に寄りかかっているかだ。兼業している庭師の仕事についつい身が入ってしまうのも仕方ないことだろう。
そんなことを考えていると、何やら大きなバスケットを抱えて咲夜がやってきた。
「……ん?」
「どうかしたの、美鈴」
「いや、大きいなって」
「このバスケット? 何故だかお嬢様が、今日のあんたのお昼を豪勢にするように言ったのよ」
「何でまた」
「誕生日だからって」
「あー?」
元人間ならともかく、美鈴やレミリアのような妖怪に誕生日などあってないようなものだ。フランドールのように細かく数える物好きもいるが、そのうちに自分の年齢など十年百年単位で数えるようになってしまう。
「私も変だと思ったのよ。気を付けてね。またお嬢様が何か企んでいらっしゃるかも」
「なるほど……。でもま、せっかくの豪勢なお昼ですし、ありがたくいただきます」
「そうして。それじゃ、バスケットは夕飯の時にでも返してね」
そういう咲夜の影が美鈴の影に重なり、ある変化を起こしたことを美鈴は見逃さなかった。
「……ええ。それじゃ、お疲れ様です」
「お疲れさま」
咲夜が去っていく。たっぷり一分待ってから、美鈴は声を発した。
「で、なにやってんですか、お嬢様」
『ふん。やっぱり気づいてたか』
美鈴の影の中から声がする。まぎれもなくレミリアのものだ。
「あれだけ気配が大きければねー……。で、今度は何を企んでるんです」
『人聞きの悪い。……今日は天気がいいわ。ちょっとそこのテーブルの下で話しましょう』
テーブルの下、と言ってもそのままの意味ではない。美鈴がテーブルの作る影に立つと、その足がずぶずぶと影に沈んでいくのが分かった。
「慣れないなあ」
そして、その姿が消えた。
*
「ようこそ。急ごしらえで悪いわね」
美鈴が影の中に降りて目にしたのはちょっとした
「ずいぶん立派な四阿に見えますけれど」
「せっかくの豪勢なお昼だもの。もう少し大きなガゼボを用意できればよかったんだけど」
「いえ、十分ですよ」
レミリアと美鈴はさっそくピザとチキンを食べ始める。
「ねえ美鈴。今回私が何を企んでるか知りたい?」
「やっぱり企んでるんですね。で、何をすればいいんですか」
「おや。自分が頼みごとをされるとわかってるのか」
「ついでに言うと、今回のお目当ては咲夜さんですよね。……この豪勢なお昼は注意をそらすためですか」
「そう。ミスディレクションだ。こうしておけば、咲夜も自分が仕掛けられる側とは思わないだろうしね。さて」
濡れ布巾で手をぬぐうと、レミリアはチェスセットをどこからともなく取り出した。
「美鈴。経験は?」
「いえ。似たようなのならありますが」
「そう。教えたげるから、軽く一局お願いするわ」
「ええ。分かりました」
*
「とは言ったものの……」
結果は、見事に美鈴の惨敗だった。
「もうちょっと、粘ってもよかったんじゃない?」
「いやー。象棋と混ざって、ちょっと混乱してしまって」
「何回か動きミスってたものね。シャンチーか、確か中国のチェスだっけ」
「ええ。あっちでは駒が割と現実に即した動きをしますからね。馬は駒を飛び越えないし、砲は逆に飛び越えなきゃ相手の駒をとれない」
「砲が駒を飛び越えて動くののどこが現実的なんだ」
「反動で飛んでるんじゃないですか」
「魔理沙じゃあるまいし」
「……で、チェスが何か」
そう聞くと、レミリアはくすぐったそうな笑みを浮かべ、チェスの駒をいじりながら答えた。
「ああ……。私さ、チェスが好きでさ」
「まあ、そうでしょうね」
「で、咲夜の奴も好きみたいでね。部屋にチェスの本を置いてたりするわけ。私が勧めたわけじゃないのよ? だからそれに気づいた時は嬉しくてね。ウキウキしながら勝負を挑んだものよ。けど……」
「咲夜さんに手を抜かれたんですか?」
「いや、咲夜はそのあたり分かってるから、私を興ざめさせるようなことはしないわ。実力もちょうど同じくらいでね。勝負は五分ってとこかしら、私はたいそう満足したわ。けど……」
レミリアは自分のキングを弾いて倒した。
「咲夜がさー。つまらなそうな顔をするのよ」
「それは一体……いや、それを調べてほしいと」
「そう。それなのよ。最初は私に手ごたえがないからダメなのかと思ってね、結構勉強して、最近また咲夜を誘って……勉強の甲斐あって今度は私が勝ち越したわ」
「それで、どうでした?」
「やっぱりつまらなそうな顔をされたわ。隠したつもりでしょうけど、私にはわかったわ」
「それはまた……。不思議ですね。勝負を楽しめていないわけじゃなさそうですし」
「不思議だけどさ。咲夜がはっきりと、何がつまらないか言わないってことは、何か遠慮してるってことよ。私には言いにくいことなら、それを詮索するのも無粋でしょう?」
「そうですね」
「で、いいことを思いついた。美鈴、お前に頼みたい。咲夜がチェスをするときにつまらなそうな顔をする原因を突き止めてちょうだい」
「難しそうに思えますが」
「自然体にしていればいい。咲夜にちょっかいをかけても、程度が過ぎなければバレないさ」
「なるほど。では、早速行動するとします」
「ありがとう」
レミリアはそういうと、美鈴の手にバスケットを投げ渡した。そして美鈴の手を引っ張り上げ、美鈴を元通りテーブルの横に立たせた。
『じゃ、頼んだよ』
美鈴が見下ろせば、バスケットの影からレミリアの声がする。
「はい」
美鈴がバスケットを門扉の前に置くと、気配は影を伝って屋敷の中へと消えていった。
「やれやれ。どうしたものかな……」
*
まずは咲夜とチェスをしてみることにした。休憩時間に軽く誘ってみる。
「あら、どうしてまた」
「こないだ漫画で読んだんですよ」
「またお嬢様に借りたの? 本当に二人とも好きね」
咲夜は小難しい小説ばかり読む。門番の息抜きに読むには肩に力が入りすぎるから、美鈴は咲夜から本を借りたことはなかった。対照的にレミリアとは漫画の趣味が合うため、よく漫画の貸し借りをしていた。言い訳としては自然だろう。
「さ、どうぞ。先手は譲るわ」
「いいチェスセットですね。どこで?」
「河童のフリーマーケットでね。パチュリー様に頼んで道具の過去を遡ってもらったけど、イギリスの没落貴族が質に入れたものが流れてきたもののようね」
「そんないいものが蚤の市に?」
「将棋ばかりしている河童たちには価値が分からなかったんでしょう。幸い保存状態も良かったし、多少吹っ掛けられたけど、いい買い物をしたと思っているわ」
などと話しているうちに。
「参りました」
「ふーむ。悪くはないけど、初心者なのは本当ね。序盤がガタついてるから押し切られちゃうのよ」
咲夜は本棚に向かい、何やらうなり始めた。
「こっちの指南書がいいかしら……でもこっちは図が分かりやすいし……序盤の展開だけならこっちの薄いのでもいいかしら……将来性を考えると……でもいきなりハードルを上げるのも……」
「指南書ならどれでもいいですよ。門番しながら読みますから、時間はあります」
「仕事しなさい」
時間を止められていたらしい。咲夜の姿が消えたと思うと、後ろから本でたたかれる。
「これを貸してあげる。ちゃんと読み込んでくるのよ」
「ありがとうございます。本当にチェスが好きなんですね」
「どうしてそう思うの?」
「いやあ、あんなに必死に指南書を選んでましたから……。よっぽど仲間がほしいのかと」
咲夜の顔がみるみる赤くなっていく。
「時間を止めて選べばよかったわ……。ほら! 早く仕事に戻って!」
「えー、まだ休憩時間残ってますよ」
「じゃあ図書館にでも行って暇をつぶしてなさい!」
「あはは。……図書館かあ。そういえば、パチュリー様やお嬢様たちもチェスはなさるんですか?」
頭に血が上っている今なら聞きやすいかもしれない。美鈴はさりげなく質問を挟んでみた。
「え? ええ。お嬢様はかなりの腕よ。私も結構自信があったけど、この間なんかはコテンパンにされちゃったわ。妹様の方はどうかしら。相手をしたことがないわ」
その時、わずかに気が乱れたのを美鈴は感じ取った。やはり、何か隠し事があるようだ。
しかし、自分が負けた時のことを思い出してか、熱が引いている。冷静に戻った咲夜にこれ以上詮質問するのは藪蛇になりそうだ。美鈴は話題をそらすことにした。
「パチュリー様は?」
「えー、パチュリー様?」
咲夜は露骨にいやそうな顔をした。
「なんですかその顔」
「あなたもパチュリー様にチェスを挑んでみればこんな顔をしたくなるわ」
「これから挑もうという時に……いやだなあ」
「けれど、上達したいならパチュリー様はこれ以上ない相手よ。上達だけを目指すなら、だけど。……だから、彼女がお暇な時に限るけど、私も相手をしてもらうことがあるわ」
「気になるなあ。どんな打ち方なんだろう」
「ほら、さっさと行きなさい。休憩時間が終わっちゃうわよ」
「はーい」
ここらが潮時だろう。美鈴は跡を濁さず、咲夜の部屋を後にした。
せっかくなのでそのまま図書館を目指すこととする。さっそく咲夜から借りた指南書をぱらぱらとめくり、斜め読みしながら廊下を歩く。
「なんだか、私たちってチェスの駒みたい――なんて、ちょっと無理やりかな」
意外と気苦労の多い
だとすれば、キングとルークが密かに通じているこの状況はキャスリングだろうか。レミリアに言えば鼻で笑わられそうだ。
図書館につき、パチュリーに対局を申し込むと、もう少しでキリがよくなるから待っていろと言われた。せっかくなので、待っている間に勝負指南の章を読むことにする。
「序盤は本のように、中盤は奇術師のように、終盤は機械のように指せ、かあ」
本と奇術師、というと性懲りもなくパチュリーと咲夜を連想してしまう。となると、機械は誰だろうか。
などと考えていたのだが。
「あの、パチュリー様」
「何よ」
さっきから、美鈴は本とにらめっこしながら、一手に五分はかけていた。もちろん本の持ち込みと長考はパチュリーの了承を得ている。
しかし、そんな苦心の一手への返答は、いつも決まって一瞬だった。美鈴が駒を置き終わるころにはすでにパチュリーの手が次に動かす駒に伸びている。
まあ、早い話が。
「考えて進めてます?」
「考えてないわ。全部覚えてるもの」
パチュリーは本ではなく、機械だった。
「それ、チェスをする意味あります?」
「無いわね」
相変わらずの、ぼそぼそとした最小限の返答。美鈴は仕方なく駒を進めるも、やはり負けてしまった。
「まいりました……」
「悪くはなかったわ。その本の中身はちゃんと理解しているようね」
「ありがとうございます」
そう言いつつも何か釈然としない。壁と卓球をしている気分だ。
「いくつか細かい注意点があるから、書き留めるならメモを用意しなさい」
「へ?」
「何よ。咲夜に言われてきたということは、チェスが上手くなりたいんじゃないの」
「いや、こう言っては何ですが、そういうのには消極的だとばかり」
「チェスが上手い人が増えるとレミィの相手が増える。レミィの相手が増えるとレミィの暇がつぶれやすくなる。レミィの暇がつぶれると私のところに妙な頼みが来なくなる。妙な頼みが来なくなると私の手が空く」
ぼそぼそとそう言いながらも本を読むパチュリーの手は止まらない。
「片手のチェスで両手が空くなら、私は労を惜しんだりしない」
「はあ」
別にレミリアのチェスの相手が増えたからと言ってパチュリーの手が空くとは限らないのだが、そこを突っ込むのは野暮である。なにせ、パチュリーがその理論に至った過程を延々と納得するまで聞かされる羽目になる。
「とにかく序盤の動きを頭に叩き込みなさい。相手の裏をかこうとせず、とにかく損をしないことだけを考えて駒を動かすのよ。チェスなんてゼロ・サム・ゲームなんだから」
「序盤は本のように、ですか」
「ええ。そして中盤になり、普通のプレイヤーならば選択肢が多すぎて記憶できない展開へともつれこんでいく。相手の意表を突くのはここからよ」
「中盤は奇術師のように」
「そして相手を追い詰めたなら、そこから先はひたすらに冷静に、ミスをしないことを重点に置く。一つのミスで相手を詰みから逃していては、永遠に勝利できないわ」
「終盤は機械のように、と……。面倒くさがる割に、ずいぶんとお詳しいんですね」
「ええ。レミィに散々講釈を垂れられた所為で嫌でも覚えたわ。でも私にはチェスの面白さはわからないわね。ほとんど局面を覚えてしまえるから、大体最適の手が見えるもの」
相変わらず、どういう頭をしているのやら。
「ところで、こういう話があるんですけれど……」
パチュリーにならいいだろう。美鈴はレミリアからの相談を打ち明けた。一通り聞き終えるとパチュリーは呆れたようにため息をつき、本を閉じた。
「なるほどね。美鈴、ちょっとこっち来て」
「へ? はい」
美鈴が手招きに応じて顔を近づけると、パチュリーは本の角で美鈴の額を小突いた。
「それはレミィがあなたに任せた仕事なの。私の力を借りてどうするの」
「あー。そういわれればそうですね。すみません」
「でも、あなたのそういう無神経なところ、好きよ。きっとレミィも同じ」
パチュリーは本を開いた。
「まあ、レミィからの依頼は、あなたがチェスで上達すればおのずと見えてくるでしょう。さ、続けましょうか」
*
それから、美鈴は休憩時間にはパチュリーのところへと行きチェスの相手をしてもらう日が続いた。時々咲夜とも対局をし、ごくまれに勝ちを収めるほどまでになった。
「やっぱり筋がいいわね。基本に忠実に、本当に安定感のある進め方だわ。チェスは性格が出ると思っていたけれど、本当は根が真面目なのかしらね」
「やだなあ。私はいつだって真面目ですよ」
「……まあ、お嬢様があなたの態度に口うるさく言わないところを見ると、一応真面目の範疇には入っているようね」
咲夜があきれたように言う。
「そういう咲夜さんは、時々こっちが焦るような無謀な手を打ってきますよね。後で調べても、定石からは外れている手ですし」
「ええ。やっぱり、そういうことをしないと楽しめないでしょう?」
「性格出てますねー」
「悪かったわね」
咲夜がむくれる。
「それじゃ、私は仕事に戻るから、後片付けをお願いね」
「分かりました」
美鈴はそそくさとその場を片付けると、レミリアの部屋へと出向いた。
「失礼します」
「ああ。入っていいよ」
「こんにちはー。あれ、詰めチェスですか」
「まあね。咲夜とするのは控えてるし、パチェはアレだし……。フランはチェス嫌いだしなあ。プロブレムで暇をつぶすしかないわけよ」
「そうなんですか? 妹様、小難しいことは好きそうな印象がありますけど」
「私に勝てないのが気に食わないらしい。それをバネに特訓するとか、そういう根性がないのが玉に瑕だよ、私の可愛い妹はさ」
本を閉じると、レミリアは美鈴に向き直った。
「で、どうだい進捗は」
「あー、まあ。一局どうですか? しながら話しましょう」
「オーケー」
レミリアは先手を美鈴に譲った。
「あれからもう一週間になりますが……。ちょっとした目標を立てながらチェスの練習をしていたんですよ」
「なんだ。咲夜に密着取材してたわけじゃないのか」
「そんなことしたら一発でばれますよ。咲夜さん鋭いんですから。チェスの相手をしてるとよくわかります。よくもまあ思いつくものだ、って奇策をいきなり叩きつけられることがあります」
「へえ? 咲夜の奴、チェスでもそんな手を使うんだ。弾幕で使うのは知ってたけど」
「ええ。そういう手をよく使うんです」
勝負は中盤に差し掛かった。美鈴はここで、ある一手を打った。
「ふうん。で、それで何かわかったの?」
そして、レミリアはあっさりと一手を返した。それは、美鈴が打った一手とはあまり関係がない。
「……まあ、見ててください」
それから、無言で何度か手が動く。そして、はたとレミリアが気付いた。
「あれ、いつの間にか逆転されてる」
「あー、やっぱり」
美鈴は息をつき、背もたれに寄りかかった。
「……美鈴、つまらなそうな顔をしているわ。あの時の咲夜とおんなじだ」
「つまり、そういうことです。気づいてました? 七手前、私が差し込んだ奇策。咲夜さんの真似なんですけどね」
「へ? あー、本当だ。ここが定石から外れてる」
「つまり、そういうことです」
これで伝われば苦労しないのだが、やはりそうではない。レミリアは拗ねた様子で美鈴に詰め寄った。
「どういうこと。ちゃんと説明しなさい」
「思うに、お嬢様はパチュリー様と練習をしてチェスを上達なされたのでは?」
「うんまあ。チェスにハマったのは百年くらい前からだから」
「それはまた気の長い……。例えですけど、パチュリー様は『機械』なわけですよ。そんな人を相手にチェスが上手くなった人はどうなるか、わかりますか」
「……定石から外れた一手に、対応しづらくなる?」
「もっと言ってしまえば、気づきづらくなります。対して咲夜さんは『奇術師』なわけで、とっさの奇策を持ち味にしている。そんな人が、奇策に気付いてもらえず、そのまま相手を倒してしまったなら……」
「つまらないでしょうねー」
二人は脱力した。
「けどさ、咲夜も何を遠慮することがあるんだ? 私にはっきり、気づけと言えばいいだろうに」
「お嬢様が自分より弱いなら、そう言うこともできたでしょう。けれどお嬢様は現在、咲夜さんに勝ち越しているんですよね。奇策に対応しているときもあるってことです」
「え? けど」
「そう。そういう時、お嬢様は奇策と気づかず咲夜さんの一手を踏みつぶしているんですよ。そんなお嬢様に物言いをするのは、偉そうにするなと文句を言うようなものです。咲夜さんには到底言い出せないでしょうね」
像が蟻の仕掛けた罠を踏みつぶしているようなものだ。いかほどの痛痒も感じない像の姿に、蟻は
「じゃあなんだ。それってつまり……私が鈍感だってことか」
「言ってしまえばそうですし……本当はお嬢様に自分で気づいてほしかったんじゃないでしょうか。だから、私に頼んだのは内緒にしておいてください」
「重ねて鈍感だな、私は……。あー、美鈴。お前も私に不満があるならぶっちゃけていいよ」
「そうですか? じゃあ、とりあえず気まぐれで花壇をいじるときは私に声をかけるようにしてくださいね。元に戻すの結構面倒なので」
「……ほう。私はお前のそういう無神経なところ、大っ嫌いだ!」
レミリアの投げたルークが美鈴の額を撃ちすえた。
*
「……で、どうなんですか、美鈴は」
「元通りさ。束の間の刺激的な非日常が終わって、また退屈な門番に逆戻り」
テラスでチェスをしながら、レミリアと咲夜は門のほうを見た。あの壁の向こうでは、今も美鈴があくびをしているはずだ。
「結局、何だったんですか? この間のは。美鈴に何をしたんですか?」
「それを言ったらつまらんだろう」
「ケチは嫌われますよ」
そういって咲夜は駒を進めた。すると、レミリアはにんまりと笑って一手を返した。
「そら、これでどうだ」
「……あら、まあ」
「どうだ、咲夜? まだつまらないか?」
「いいえ。とても面白いですわ。とても」
そして、対局はレミリアの勝ちに終わった。
「参りました……。ふう。前にもましてスキがなくなっていますわ」
「それを崩すのが楽しいんだろう? お前はさ」
ええ、と咲夜はにっこりと笑う。
「それじゃあ、美鈴のお昼を用意してきますわ」
「ああ、そうだ咲夜。今日の美鈴のお昼だけど、また豪勢にしてやってよ」
「また何か企んでいらっしゃるので?」
「馬鹿言うな。ちゃんと私からの褒美だと言ってやれ」
咲夜が去ったあと、レミリアはひとりごちる。
「紅魔館という存在が、幻想郷という土壌に馴染みやすいようにするための緩衝材、ねえ……」
レミリアは機嫌よさそうに駒をいじる。
「本当に立派に勤められていると思ってたのか、紅美鈴? ものの例えも、スペカの名前も、堅苦しく生まれた国を引きずるお前がさ」
今も美鈴は壁の向こうであくびをしているはずだ。
唯一先週と違うのは、その手にチェスの指南書があることだろう。
「この郷は本当に楽しい。東洋も西洋も一緒くたに、足して割らずに混ぜて飲みこむ。そんな地の館の
レミリアは、駒を最初の配置に戻すと、ポーンへと手を伸ばした。
「さあ、次は何をしようか?」