アリス イン ワンピースランド   作:N-SUGAR

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第八話 冒険の夜明け前(前編2)

突然の災害というのはいつの世にも訪れる。

 

この場合でいう災害というのは、文字通り、地震とか異常発達した野分とかそういう類いの、天変地異と呼んで差し支えない事象のことだ。もちろん。そこには人災も含まれる。

 

天変地異に匹敵する人災を幻想郷では『異変』と呼ぶ。そしてそんな異変を解決するために、博麗の巫女を始めとした解決屋達が、幻想郷には存在するわけだ。

 

紅い霧を払い…失われた春を取り戻し…永遠の夜を明かし…。様々な異変を私達幻想郷の住民は経験してきた。それもかなり頻繁にだ。

 

しかし、私が幻想郷から閉め出され、見ず知らずの異世界にルーミアと共に放り込まれてからというもの、私達はいまだこの世界で異変と呼べるものを経験したことはない。

 

もちろん。事件と呼べるような出来事は幾つもあった。海賊が来たり海賊が来たり山賊が来たり。思い返せば賊でも無いくせに私の自宅(パーソナルスペース)に唯一ダメージを与えてくれた海軍本部中将様も、事件レベルの問題児だった。

 

だけどそれは、私から言わせれば事件ではあっても異変ではなかった。どれもこれも局所的な問題であり、異変と呼ぶにはスケールが小さいというのが、幻想郷民としての私の見解である。

 

そもそもここフーシャ村は、本来的にはただののどかな片田舎だ。魑魅魍魎の跋扈する幻想郷とは違うのだから、異変なんてものはそうそう起きはしない。それこそ地震やらなんやらの天災と同じで、10年だとか100年だとか、そのレベルのスパンで起こるか起こらないかくらいだろう。

 

だけど。起こった。

 

のどかなはずのフーシャ村に、異変が起きた。

 

それは天変地異に匹敵するような出来事であり。紛うことなき人災であり。幻想郷で私達が体験したそれと一切の遜色が無く。

 

――何よりそれは、やはりと言うか、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

幻想郷の流儀にしたがって名付けるとするなら、《夢創異変》とでも呼ばれるべきそれは、たった二人の人間によって引き起こされた異変であり―――

 

その首謀者の名は――――――

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

「ゴムゴムの~!ピストル!」

 

「はっはっは!そんなへなちょこパンチあたるわけがないのだー!」

 

「くっそー!おもしれーけどやっぱり動きづれーよこのからだー!」

 

ルフィがパンチを繰り出すと、繰り出した腕は常人では有り得ない長さに伸びて縮む。しかしそのせいでルフィのパンチは重心が安定せず、ろくなコントロールも利かないままあらぬ方向に伸びて行くだけで、そこに力も入っていなかった。これではルーミアにパンチが当たるはずもないし、当たったとしても蚊に刺されたようなダメージにしかならないだろう。

 

悪魔の実シリーズ超人(パラミシア)系。ゴムゴムの実。

 

シャンクス達が敵船から強奪し、ルフィが誤って口に入れてしまったその果物は、服用者に極めて特殊な作用をもたらす文字通りの悪魔の果実だった。

 

果実を食べたその身体は能力者となり、ルフィの場合、それはゴムの性質を持つゴム人間になるという形で結実した。否。ゴムの性質というのは厳密ではない。()()()()()()()と言うべきだ。ゴムとは違う。高い伸縮性や弾力性こそ持つが、それでも触った質感はあくまでも人間のそれであるし、筋繊維による運動能力も、ゴムの機能とは別に保持されている。

 

あくまでも人間をベースに、ゴムのような伸縮性と弾力性を付与したかのようだった。

 

「ルフィ。ルーミア。そろそろ日が暮れるから修行はそこまでにしておきなさい。家に戻って、シャワーで汗を流して来て。そしたら、ご飯にするから」

 

「おー!お腹がすいたのかー!」

 

「やった!メシだ!」

 

「あなた達?シャワーが先だからね?」

 

家の前でいつもの修行ごっこをしていたルフィとルーミアの二人をお風呂場へと送った後、私は夕飯の準備のためにキッチンへと向かう。あの二人は食欲が旺盛なので、その量も多い。

 

ルフィの悪魔の実騒動から数日。私は行き詰まった本研究から一旦離れて、悪魔の実とその能力者の解析研究を行っていた。まあ、言うなれば気分転換のようなものだ。行き詰まった時はその物事から一旦離れてみるというのも新たな閃きを得るには重要なことだ。ルフィの為にもなることだし、調べておいて損はないとの考えである。

 

悪魔の実。思い返せばいつぞやに私とルーミアが戦った何とかとかいう海賊達から、私はすでにその存在は聞かされていた。食べれば不思議な力を得、代償に海から呪われるという海の秘宝。

 

船長が悪魔の実に傾倒していたというらしいあの海賊達の乗っていた船には、悪魔の実の図鑑も置いてあった。だからルフィが悪魔の実を食べた即日に私はその図鑑を読むことで、ある程度悪魔の実に関する知識を仕入れることが出来た。できることならもっと前から読んでおけば要らぬトラブルを生まなくても済んでたかもしれないという後悔はあったが、過ぎたことなので気にしても仕方がない。

 

本当なら悪魔の実そのものが一部でも残っていれば研究資料が増えて良かったのだが、生憎、見るからに毒々しかったあの果物はすべて丸々ルフィのお腹のなかに消えてしまっていた。

 

仕方がないので、私は変化したルフィの身体の方をいじくり回すことにした。

 

いじくり回すなんて物騒な言葉を使ってしまったが、要するには魔法でルフィの身体の成分を検分したり、触診してどの程度本来の人体との差異があるのかを調べただけだ。まさかルフィの身体を使って弾性力、伸縮力の耐久実験だとか耐熱実験だとかをするわけにもいかない。簡単な検査をしただけだ。それにさっきのようなルーミアとの修行ごっこを少し観察するだけでも、入ってくる情報は多い。

 

というか、未知の現象なのだから確認されたすべてが新しい発見と言っていい。例えばどんなことが判ったのかというと、まず、私にとっては意外なことに悪魔の実は、別にマジックアイテムではなかったという事実が判明した。

 

マジックアイテム。つまり魔法的現象によって形作られたアイテムは使用時、もしくは使用後に絶対に魔力の変質反応が検出される。何らかの魔法作用を引き起こすためには魔力の変質は前提条件だからだ。だけど悪魔の実による人体変質現象に、魔力の類いの変質反応は見つからなかった。

 

それはつまり、悪魔の実というものが完全に、科学の法則に従う某であるということだ。

 

有り得ない。と、思うだろうか。確かに私達の世界において、ここまで人体に劇的な薬効を及ぼす科学物質の存在を、少なくとも私はあまり思い当たらない。

 

私の聞いたことのあるものでは、蓬莱の薬なんかが近いと言えば近いだろう。だけど生憎、私はかの不老不死の霊薬については現物を見たことがない。魔法薬に類する何かなのか科学的に作られた何かなのか判らない以上、そもそもあれは私にとって何の参考にもならないものだ。

 

しかしこちらの悪魔の実については、実物も見てしまっているし、実際にゴム人間化という作用が目の前で確認されてしまっている。故に、私は認めざるを得ない。これは魔力とは別の力によって引き起こされた現象だと。

 

魔術、霊術、妖術…。科学では説明できない力を、私達は様々な名称で説明しようとする。だけど実際は、そのほぼどれもが魔力というただ一つの力を源に動いている。

 

魔法を使うときに使う力を魔力。霊術を使うときに使う力を霊力。妖術を使うときに使う力を妖力と呼ぶ。これらの力は、実は本質的には同じものなのだ。使う種族によって、使い方と名称が異なるだけ。故に、私達の世界では魔力を用いない現象は、科学的に判明している電磁気力、重力、原子間力などの何れかを使っているものと判断するしかない。

 

ほとんどの人間が、そんな馬鹿なと喚くだろう。科学的な力で悪魔の実の説明が全てつくわけがない。異世界にある未知の力が働いているとでも説明した方が、まだしも説得力があると。

 

しかし有り得ない。なんてことは、有り得ない。悪魔の実から、魔力でも科学力でもない何かを発見出来ない以上は、科学力によるものだと仮定するのに私は抵抗はない。

 

私は魔法使いではあるが、しかし同時に研究者でもある。それ故に、私は科学の持つ計り知れない可能性も理解している。

 

そもそも私がこの世界に異世界転移することになったきっかけだって、純粋なる科学の産物たる河童の発明品が原因なのだ。理解するなと言う方が難しい程の空前絶後である。

 

今までどんな魔法使いでも成し得なかった事を、科学の力が成し得ている。

 

もちろんだからと言って、科学が魔法よりも優れているなんて言うつもりは断じてない。私は魔法使いなのだから、自分の使う力こそ至上だと思いたい。それに、私は河童の発明品による異世界転移だって、その現象を引き起こした原因が河童の科学力単体によるものなのか疑問視しているのだ。「作るつもりはなかったけど偶然出来た」なんて発明の世界では割りと良くあることではあるが、こと異世界転生においてそれだけはないと確信している。だから、絶対裏に何か別のからくりがあると私は睨んでいるのだ。

 

だけど、裏にどんなからくりがあるにせよ、魔法が成し得なかった現象を偶発的に成し得ているのもまた事実。だからこそ、悪魔の実のような不可思議極まりない現象だって、科学の分野による某であるという結論に疑問はない。

 

それにもしかしたら、河童のそれと同じく科学の分野の産物である悪魔の実ならば、私達が元の世界に帰るためのヒントが掴めるかもしれないのだ。図鑑には乗っていなかったがまだ発見されていない悪魔の実の中に『異世界転移の能力』があれば、それだけで問題は解決する。

 

私の魔法使いとしての欲的には魔法で片が付けばそれに勝るゴールはないのだけれど、究極的には帰れればその手段は何でも良いのだ。私は。

 

だから私は研究する。ルフィのためでもあるし。ついでに私のためにもなる。研究しない理由がない。

 

「魔法と科学…か。両方を極められたら、それは真に万能と言えるのでしょうけど…。流石に両極端過ぎるわね…」

 

夕食のロールキャベツが煮込み終わるまであと数分。ぐつぐつ音をたてる大鍋を見ながら私は考える。

 

魔法技術と科学技術。『力』を使うという点では同じような技術ではあるのだが、結果に類似点はあっても基本原理が違いすぎる。『力』に対する理解が1から10まで全てにおいて違うのだ。両方を修めようと思ったら、どんな天才であろうとも半世紀単位の時間を必要とすることになる。極めるともなればそれこそ100年単位だ。そこまでするくらいなら、どちらか一方を極めた方が遥かに効率がいい。

 

悪魔の実の研究をするにあたっての不安はまさにそこなのだ。表面上の現象に関する説明はこじつけることもできるだろうが、本質的な部分を理解することは、恐らく科学素人の私には出来ない。河童の裁縫針と同じだ。基本原理の判らないものの解析は中途半端なものになる。

 

いや、それでも良いのだ。悪魔の実に関してなら、それでも良い。悪魔の実については要するに、『ルフィの身体への悪魔の実の影響と対策』『異世界転移の可能性を悪魔の実に見出だせるか』の二点が判れば良いのだ。

 

表面的な解析で済むことに本質的な知識は必要ない。

 

前者についてはまさにそれで、別段手間の掛かることでもないし。後者については若干怪しいが、そもそもこちらは比較対象となる別の悪魔の実が必要になる可能性が高いので大して期待もしていない。それにこちらはあくまでもついでなのだ。そもそもこれは、本研究である河童の針から一旦離れて気分転換するために行っている趣味の解析である。だからこの研究については、最低限ルフィのことだけ考えればそれで良い。

 

「さて、そうと決まれば、明日の修行には私も交ぜてもらうことにしましょうか」

 

ルーミアの能力が変質したときと同じことだ。ルフィはまだ自分の能力を面白い身体になったとしか思っていないかもしれないが、ゴム人間というのは私から言わせてもらえば非常に戦闘向きの能力である。特に、打撃によるダメージを一切無視できるという性質は素晴らしい。さっと考えただけでも、ゴムの身体を用いた有効な戦術を私なら20は挙げる事が出来る。問題はルフィが私流のゴム人間の動かし方を理解できるかどうかであるが、それを叩き込む術を私は持っている。

 

実に簡単なことだ。ルフィが自分の動かし方を判らないというなら、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

人形遣いの本領発揮である。

 

あれこれ考えている内に夕飯が出来た。バスルームから聞こえてくる音からして、二人もシャワーを終えたようだ。

 

私は人形を操り、山盛りのご飯をテーブルに運んだ。

 

 

 

*****

 

 

 

それから二週間が経った。

 

つまり、私がルフィとルーミアの修行ごっこに参加してからそれだけの時間が経った。

 

二週間も私が面倒を見ていると、流石にルフィの動きも大分改善されてくるようになった。少なくとも伸びる拳のコントロールはつくようになってるし、普通に攻撃をしたいときに腕や足を無意味に伸ばしてしまうことも無くなった。最初の数日でルフィは私の操り人形と化してゴム人間の動き方を叩き込まれたのだ。これくらいの成長はしてくれるだろうと思っていた。

 

計画通りである。

 

けれど、やはりまだまだ能力の活用は難しいようで、能力込みの攻撃よりは、今まで通りの攻撃法で戦った方が戦闘能力は高いようだ。

 

ルフィとルーミアの二人は、今日も朝から修行ごっこに明け暮れていた。

 

「やっぱり身体を慣らした分ブランクがあるなー!まだ実を食べる前の方が良い攻撃出せてたぞルフィ!」

 

「すぐに追い付くさ!それに、アリスに教えてもらったゴムの身体の使い方をちゃんと使えるようになれば、今までよりぐんと強くなるぞ!おれは!」

 

「じゃーやってみるのかー!」

 

ルフィが次々とパンチやキックを繰り出すのをルーミアはひょいひょい避けていたが、今度は左腕でルフィの蹴りをガードし、崩れたルフィの体勢の隙間を縫って右拳をルフィの胴に当てた。それだけでルフィの身体は軽く吹っ飛んでいった。

 

ルーミアは割と手加減無しで殴ったように見えたが、しかしルフィは空中でくるくると回り、なんともない様子で着地する。

 

「へへーん!ルーミアのパンチはもうおれには効かないぞ!ゴムだから!」

 

「む。ほんとーにそこだけは便利だなー。ルフィの身体は」

 

打撃吸収。ルフィが今のところ唯一素の状態で使えるゴムゴムの実の性能だ。一切の衝撃を吸収するゴムの身体に打撃系のダメージは通らない。

 

ルーミアは左手に持った日傘をくるくると回しながら楽しげになにやら思案する。

 

ルーミアにルフィに対する攻撃手段がないのかといえば、別段そんなことはない。妖弾などの妖怪としての能力を使えば普通にダメージは通るし、新しく刷新された『闇を操る程度の能力』にもゴム人間に有効な攻撃手段は存在する。

 

だけどルーミアはそれを使わない。何故それを使わないのかと問うと、ルーミアいわく、「まず私にダメージを与えられるくらい動けるようになってもらわないと使ってもルフィの修行にならないのかー」ということらしい。確かに見ている限りでは、ルフィがルーミアにまともな攻撃を当てられたことはないし、そもそもルーミアはルフィとの戦闘中、()()()()()()()()()()()()()()()。丈夫に作ってるとは言え壊れるかもしれないからできればバトル中は自分の闇を使って日除けしてほしいのだが、逆に言えばそんな動きにくくなるものを持っているにも関わらず、ルフィはルーミアに攻撃を当てられないということになる。確かにこの実力差なら、ルフィは基本的な組手の動きをマスターするところから始めなければならないので、私が指導する立場でもルーミアと同じようにするだろう。

 

ルーミアがそこまで考えてルフィの相手をしていたとは…。「修行ごっこ」なんて言い方は失礼だったかもしれない。

 

私はルーミアの姉としての成長を噛み締めつつ、この日は自分の作業を続けることにした。

 

ちなみに今、私が何をしていたのかというと、それは、つい先日まで投げ出していた本研究の続きだった。

 

行き詰まったときは一度その研究から離れてみるというのは、新しい思い付きを得るために重要な気分転換となるという話は先ほど語ったが、まさにそれだった。悪魔の実の研究の傍ら、何の気なしに空間魔法の練習をしていた私は、不意にあることに気づいたのだ。

 

ある違和感に、気づいたのだ。

 

その結果、私はその着想を元に、この実験を決行するに至った。ルフィとルーミアの修行を傍目で見つつもこの日、私はついに、河童の裁縫針で空間に穴を開けるという実験にチャレンジしていたのだ。

 

危ない?そう。今までの私ならばそう考えていた。しかし安心してほしい。これはちゃんと安全を確信した上での行動である。

 

以前説明したことではあるが、私の世界において異世界移動の概念が確認されたことは一度もない。どんな空間魔法の権威も、異世界移動なんてことはできなかった。

 

本来ならここの時点で違和感を感じるべきだったのだ。

 

即ち、異世界転移を既存の空間概念の延長で捉えてもいいのかという違和感を。

 

今まで私はどこかで、異世界転移を空間転移の上位互換のように捉えてきた節があって、それ故に、河童の針で空間に穴を開けることを忌避してきたが、本当にそれで正しいのか、違和感を持った。

 

最初から判っていたことではないか。異世界転移などという概念系自体が私たちのいた世界には存在しなかったという事実は。

 

ここで一つの仮説が立つ。すなわち、「空間を渡ることと世界を渡ることはまったく別系統の概念である」という考えだ。

 

同一世界において、距離を無視した空間移動は高度な術師ならば誰でも出来ることだ。空間と空間を繋げる術は、空間と空間を繋げる概念は、私達の世界に既に存在している。召喚魔法はその最たる例であるし、八雲紫のように異能を用いて距離の概念をいじくるような化け物もいる。

 

だが、そんな彼ら彼女らすらも世界の壁を飛び越えることは出来ない。『境界を操る』なんてチートみたいな異能を持つ八雲紫でさえもである。

 

その事実こそが仮説を裏付ける証拠になる。

 

八雲紫の万能性にはある欠点が存在する。それは、彼女がそもそも知らない概念や知っていても認識出来ない概念、それに最初から存在しない概念については境界を操ることが出来ないという彼女自身の不完全性だ。八雲紫という大妖怪が基本的には月の上位者に対して歯が立たないのは、この欠点に由来するものであると私は考察している。

 

まだ私が幻想郷にいたとき、竹林の永遠亭で月の賢者である八意永琳と話す機会が何度かあったのだが、そのとき永琳先生に人形作りの参考として『フェムトファイバー』という組紐を紹介してもらったことがある。これは簡単に言うと須臾の概念を用いた常人には認識すらできない最小単位の組紐のことである。詳しく記述すると非常に長くなるので概念の説明は省くが、この紐は、最小であるが故に余分な穢れを持たず、穢れを持たないが故に不浄の存在に対して絶対的な強度を誇るのだと言う。要するに、妖怪のような穢れの塊をこの紐で縛れば、紐に穢れが含まれることは有り得ないという性質から絶対に妖怪を逃がすことはないということだ。

 

それが境界を操る能力を持つ八雲紫であったとしても。

 

ひとえにそれは、彼女が穢れを大量に含む妖怪であるが故に、穢れを全く含まないフェムトの存在を認識も理解も出来なかったからこそ起こった異能の敗北だと考察できる。

 

月の民は穢れを嫌う傾向にあり、月の都には穢れを含まない道具や技術が溢れている。だから八雲紫に正しく認識できるものが少なく、そのチート級の異能を上手く扱うことが出来なかったのだろう。

 

さて、この考察は、世界間移動について二つの可能性を私達に示してくれる。

 

空間移動の第一人者であり、空間について殆ど知り尽くしているであろう八雲紫が異世界移動を出来ないということはつまり、

 

1、世界渡りには八雲紫が知らない未知の概念が含まれている。つまり、「世界」と「空間」は別系統の概念である。

 

2、「世界」と「空間」は同系統に近い概念であるが世界と世界の間にはフェムトに近い性質があり、穢れを含まずかつ含むことが出来ない故に八雲紫のような存在が通ることが出来ない。

 

ということになる。

 

第二の可能性は、仕組みの理解が非常に手っ取り早くてそうであってくれたら非常に助かる可能性ではあるのだが、残念ながらこちらは確度の低い可能性だった。

 

何故ならこの論理に従うと、月の民のような穢れを含まない存在ならば異世界移動が理解できるし実行可能であるということになるからだ。しかし残念ながら、八意永琳のような月の民の知恵者であっても、異世界移動を成せるという話は聞いたことがない。

 

もちろん私は月に関して精通しているわけではないので、もしかしたら出来るという可能性もないことはないが、状況証拠がそれを否定している。

 

その状況証拠が、一部の月の民によって計画されていたという「幻想郷遷都計画」だ。

 

酒の席で聞いた話なので詳細は知らないのだが、これは要するに月の民が幻想郷を殲滅し、幻想郷を有事の際の月の都の避難先にしようとしていたとかいう計画だ。実にはた迷惑かつとんでもない計画であるが、その件に関しては永琳先生を中心とした解決屋達によってひとまずの落着を得たという話だった。

 

この遷都計画に幻想郷が第一候補に上がった主な理由として、もちろん八意永琳という賢者の存在があったのは間違いないし、幻想郷が月の都と同じように大結界によって外と隔絶されているというのも大きかったのだろう。しかし、私が思うにもし月の民に異世界移動の法があったなら、そちらの方が遷都手段としては相応しかった筈だ。もしそこにフェムトのような性質があれば、大抵の外敵から逃げ切ることが可能であるし、ともすれば穢れのない新天地を見つけることすら可能なのだ。月の民からすればこれ以上の遷都手段は望めないといえる。それをせずプライドの高い月の賢者がわざわざ穢れまみれの地上を候補として挙げたということはつまり、それこそが、異世界移動などという手段がもともと存在しなかったことの証左に他ならない。

 

フェムトの性質が世界と世界の間にあるかどうかはともかく、月の民ですらその方法論が確立できていない時点で、第二の可能性が潰れ、そして第一の可能性が真実味を帯びてくる。

 

私は今まで、空間と世界を概念は違えど根本的には同じようなものとして認識してきた。しかし、改めて空間魔法について研究し直す内に、空間と世界の間に何か隔絶したような感覚を感じていた。だけど、その違和感の正体になかなか気がつけなかった。それもこれも、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()という解析結果が、私の勘違いを加速させていたのだ。

 

 

河童が私の家に来て、あの裁縫針の使い心地を見てくれと言ってきたのは、私とルーミアが異世界転移した日の前日の昼間のことだ。その時にあの河童は「なんにでも刺せるこの針は空中にすら刺すことが出来る。ピンクッション要らずの優れものだ」とか言って二十本の針を全部空中にぐさりと刺し込んだ。

 

いくら河童が後先考えないマッドサイエンティストじみてるとは言え、あの針を私に紹介するとき自分から空中に刺して見せたのだから開発段階でも似たような実験はしたのだろう。つまり、河童は自分の工房で空中に針を刺す実験をして、そしておそらくその時はそれだけで無事に終わったが故に、あんなことを実行したのだろうと想像できる。

 

河童が私の家で空中に裁縫針を刺した時、あいつは大雑把に二十本の針を全部空中に刺し込んだ。しかし実験段階にそんな方法で針を刺す奴はいない。実験とは慎重になるものだ。おそらくその時は、あいつは一本ずつ慎重に刺していったはずだ。そして空中に針がピタリと止まったのを見て「成功した」と確信し、そして実験をそこで終えたのだ。

 

河童が迂闊だったとは言わない。空中に刺さってそれで何事もなければ、それ以上の何かがあるなんて普通は考えない。誰しもが、存在を知らない危険に対する警戒なんてできないのだから。だけどあいつはあまりにも適当過ぎた。

 

あいつは言った。「この針は空中に刺さっている」と。

 

私は疑った。「空中と言っても、空気は流体だから空気に刺しても針は空中で止まらないでしょう。この針は何に刺さっているの?」と。

 

あいつはほざいた。「わかんない。何に刺さってるんだろうね?」と。

 

今思い出してもぶん殴ってやろうかと思う適当さだ。何せあの河童、少なく見積もっても針が空間に刺さっていることすら認識してなかったのだから。

 

あの時もっと追求していれば良かったと後悔はする。だけど、例え追求していたとしても、当時の私では空間に刺さっていることまでは判ってもそれ以上のことは判らなかっただろう。結果は変わらない。今に影響しない。意味の無い後悔だ。

 

そして、今なら断言出来る。あれは空間に刺さっていたのだ。そして、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

当然だ。空間に関する概念上に刺さっただけならそれは既出の概念だ。どこをどうほじくったところで異世界に転移することなんか有り得ない。

 

河童の初期実験と私の家で起こった事の違い。その原因は、だからそこじゃないのだ。河童が一人で慎重に刺したときは空間までしか刺さらず、そして私の家で大雑把に刺したときは空間だけでは収まらなかった。

 

空間以外の何かを刺してしまった。

 

今まで誰も見つけられなかった新概念。空間の奥に潜む何か。即ち、ここで仮称するところの「世界」を、恐らく刺したのだ。

 

その結果、私とルーミアはここにいるわけだ。

 

 

 

さて、話を戻そう。私は今、河童の針を使って空間に穴を開けている。そこ自体になんの問題もないことは、さっきの説明で判っていただけたことと思う。「世界」に穴さえ空かなければ、異世界移動が起こることは無いのだ。

 

では、たかだか空間に穴を開けて何をしたいのかと言えば、私は境界を探したいのだ。

 

なんの境界かですって?

 

そんなのもちろん。空間と世界の境界に決まっている。そしてこれこそが、真の問題なのだ。

 

私の未だ知らない「世界」について、仮説として挙がっている定義は今のところ、「空間とは違う、しかし空間と同じく河童の針で刺せるもの」でしかない。

 

そしてもう一つ。サンプルケースとして、「河童の針二十本をある程度の力で刺すと数時間後、一軒家分の質量を異世界に転移する。その後、針の開けた穴は塞がる」ということも判っている。

 

以上の材料から導き出せる今できうる限り最も安全な実験が、今やっている境界探しだった。つまり、「世界の穴を開ける直前で止めて、空間と世界の違いをデータの形で取り込む」という実験である。

 

実験内容は以下の通り。

 

用意するもの: 河童の針、魔法糸、羊皮紙、その他魔法に必要なマジックアイテム。

 

実験手順

 

1、糸をくくりつけた針に魔力を通して浮かせる。

 

2、針の周囲にサイコロ状の結界を張る。結界の大きさは針が十分入って空間に刺し込む余地があるくらい。(針の周囲の空間を概念的に断絶し、万が一の異世界転移に対抗するため)

 

3、結界内に『検知不可能拡大呪文』をかけて擬似的に結界内の体積を私の家がすっぽり入るくらいの容量にする。(前回のサンプルケースに対応するため)

 

4、糸を通して針を操作。徐々に空中に針を刺し込み、同じく糸を通して針とその周囲の状態を感知系、解析系の魔法によって数値化する。

 

5、「世界の壁」まで辿り着いたら、そこを針で触れつつ、かつ刺さないように止め、データを羊皮紙に念写する。(泡沫を割らないように突付くイメージ)

 

6、万が一世界の壁に穴を開けてしまった場合、世界に開けた穴に針と糸を通して塞ぐことができるかどうかを確かめる。(空間に開けた穴は針と糸で塞ぐことが可能。但し前提として、空間はもちろんのこと、世界にはある程度の自己修復能力があると推定される)

 

 

 

これだけ安全牌を用意すれば危険度はかなり低い筈だし、その上で何らかの成果は出てきてくれると思いたい。

 

問題があるとすれば、河童の作った針がモノに刺し通すものとして無駄に優秀すぎて何に刺しても抵抗値に大して違いが出ないことだが、そこは私の感知・解析魔法の緻密さを信用するしかない。少しでも針の先に有るものの抵抗値などの数値が変化すれば、そこで針を止めて様々な数値の変化を記録する。そうすることによって、空間の壁ならぬ「世界の壁」の片鱗を掴もうという実験だ。

 

 

実験は既に始まっていた。というか佳境だった。

 

徐々に、徐々に、確実に空間だけに刺さると確認している安全ラインを越えて、それこそ人の目で認識出来ないほど僅かずつ、針を空間へと通して行く。

 

私の人生でも嘗て無い程の緻密な操作だ。須臾を操る能力が私に有ればと既に実験中10回以上は思っている。

 

まだか。まだ世界の壁は来ないのか?もう少し刺し込めるか?針の先の数値に変化は無いか?

 

つ…つ…と、一回僅かに動かしては数値を確認し、一回僅かに動かしては数値を確認し………。

 

どれだけの回数、同じ作業を繰り返しただろうか。

 

息の詰まる時間が永遠と思えるほどに続き、そして。

 

終わりは突然訪れる。

 

「数値が…変わった?何か…空間とは別のモノに触れた…!やったわ!これよ!これこそが…!!」

 

針の先端が触れたもの。感知の網に引っ掛かった何か。恐らくこれこそが「世界の壁」に違いない!

 

私は針の空間座標を完全に固定し、針の先端から解析される数値データを確認しようとして―――――。

 

 

 

プツリ…と、指先に嫌な感触を覚えた。

 

 

 

嘘。そんな馬鹿な。有り得ない。針は動かしていないのに…。何で…。

 

脳裏に目まぐるしく通りすぎる思考が、すぐに一つの結論を弾き出す。

 

針は動いていない。()()()()()()()()()()()()()()()()!?

 

まてまてまて。慌てるな…。落ち着けまて落ち着け。万が一の場合も最初から考慮に入れていた筈だ。この場合は、手順の6番目。世界の穴を河童の針と私の魔法で縫い付けることが出来るかどうかの検証を行う予定だった。

 

落ち着け落ち着け落ち着け!

 

私は出来る都会派魔法使いなのだから!

 

私は一度針を空間から引っこ抜いて、くいっと針を回転させ、穴を縫い付けるための動作に入ろうとして―――

 

バツンッ!と空気の弾ける音がして、結界とその中身が突然消え失せた。嘘でしょ!?失敗したの!?と、心の中で叫び、

 

「嘘でしょ!?失敗したの!?」

 

と、口から叫びが漏れ出てしまう。

 

宙に浮いたまま先の切れた糸を呆然と見つめる私の頭の中は殆んど真っ白に近かった。

 

何が起こったのかは想像つく。恐らく、結界空間がまるごと世界に開いた穴に吸い込まれたのだ。

 

さっきまで結界のあった空間に探査の魔法をかけるが、空間の穴や世界の穴らしきものは見当たらなかった。さっきの一瞬で自己修復能力が働いたのだろう。もはやそこには、空気があるだけだった。

 

「データは…取れてる…けど…」

 

実験によって羊皮紙に念写された恐らく「世界」のものと思われる情報を見る。

 

だけどその情報が、私の使っている数値化の基準ではうまく表せていないらしく、幾つかの値が虚数域に存在しているというバグがあった。しかし恐らくこれはバグでも何でもないのだろう。単純に、私の用意した物差しでは測れないデータがあったというだけだ。それでも、私の魔術に構造上の欠陥があったことには違いがない。

 

疑問は大量にある。前回と今回の、モノが穴に吸い込まれるタイミングの違いとか、穴の大きさと吸い込まれる空間の大きさの関係はどうなっているのかとか、私の物差しに足りないものは何かとか…。

 

考えることは山ほどある。

 

 

何もない空中をぼんやりと見つめ、私はポツリと呟いた。

 

「あ、私…無事だ…」

 

数々の思考、疑問の結果、しかし私の中に残った感情はそれだけだった。

 

安堵だけだった。

 

予想外のことが起きた。

 

身の危険を肌で感じた。

 

でも私は無事だった。

 

それだけだった。

 

「よかっ……たあーーー」

 

はあああああ。と、長い息が漏れる。

 

実験が成功したとは言い難い。

 

疑問は大量に発生した。

 

だけど判ったこともあった。

 

そしてなにより、私は五体満足だ。

 

おかしな異世界転移にも巻き込まれていない。

 

だったら一先ずは十分だ。実験は上手くいかなかったかもしれないが、それでも失敗じゃない。

 

私が無事に実験を終えられた開放感に浸っていると、そこではじめて、私は誰かに呼びかけられていることに気づく。

 

声の方を振り向くと、ルフィとルーミアがすぐ側に立っていた。

 

「やっと気付いたかアリス!もうお昼とっくに過ぎているぞー!私達、お腹すいたのかー」

 

「え、嘘」

 

懐から懐中時計を取り出し時間を確認すると、時刻は午後の2時をとっくに過ぎていた。実験にまさかこんなに時間を取られてしまうとは…。集中していたせいで時間のことをすっかり忘れてしまっていた。

 

「やば。お昼の準備ができてないわ…」

 

「えーーー!!嘘だろ!?ずっと修行してておれもうお腹ペコペコだぞ!」

 

「もはや私たちは一刻も待てないぞーアリス!」

 

ブーブーグーグーと、声とお腹の音を張り上げ主張する二人。私は緊張の糸が途切れたばかりでもはやこの二人に逆らう力も出てこなかった。

 

私は降参するように両手をあげて、

 

「わかったわよ。今から昼食を準備するのも億劫だし、マキノの所に食べに行きましょう」

 

と提案した。

 

「マキノんち行くのか?やった!すぐ行こう!」

 

「時間的にはアリスが作ってくれた方が早い気がするけど、アリスが疲れてるならしょーがないなー」

 

そして私は、なんとか納得してくれた二人を引き連れて、マキノの酒場へと足を運ぶのだった。

 

 

 

 

 

私はこの時、完璧に油断していた。いや、油断というのもおかしいか…。想像すらつかない事態に対して警戒出来ないことを油断とは言えないのだから。

 

私は想像だにもしていなかった。まさかこの後、私達の身に、あんな()()が降りかかるだなんて。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

だから私は何の警戒もしていなかった。

 

警戒しても結果は変わらなかっただろう。

 

後から思い返して判る。あの実験は、やはり失敗だったのだ。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 

さてさてみなさんお立ち会い。話はここからが本番だ。

 

今から起こる異変の前では、今まで語ってきた内容などただの前置き、前座に過ぎない。

 

私の異世界物語における最大転機が、これから私達の身には訪れる。

 

転機…。そう。まさに転機だ。皮肉にも、私とルーミアの最終目標である「幻想郷への帰還」の道筋が、その異変のお陰で見えてしまうのだから。

 

フーシャ村を巻き込み、赤髪海賊団すらをも巻き込み。無事などとはお世辞にも言えない程の大きな犠牲をだしてしまった天変地異にも匹敵する人災。

 

「異変」。

 

後に《夢創異変》とでも呼ばれるべきその異変は、たった二人の人間によって引き起こされた。

 

その二人の首謀者は、自身の名を―――

 

 

―――■■ ■■―――

 

―――■■■ ■■■―――

 

 

と、そう名乗った。

 

 

それは、私にとっては初めて聞く、未知の名前だった。

 

 

 

To be continued→




毎回毎回有言実行ができない。けど、次だけは確実に言えますとも!
次回、新キャラ登場!

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