『……………………』
箱庭学園、三年マイナス十三組。マイナスという名前から分かるように忌み嫌われていそうなこんな教室でぽつんと一人佇んでいるのは勿論、球磨川禊である。意外と皆、登下校が早くて取り残されてしまった彼。家ですることがそんなに多いのだろうか、などと何気なしに疑問を抱いているところだ。
そんな彼がすぐさま疑問を捨てたのは言うまでもない、挙句の果てには今度誘われたら付いて行ってみようなんて考えている。何だかんだ慕われているところもあるので、拒否自体はされないだろうが不思議だと言わんばかりの表情は炸裂されてしまいそうだ。
『……そろそろかなぁ』
黒板に近い、いわゆる前の扉がガラリと開く。現れるは紫がかったさらりとしていてキューティクルの光る長い黒髪を持つ人間。ただし、彼女は球磨川禊の予想している人間ではないし、性別から違う。
「あれ? 球磨川くん、まだいたのかい、そろそろ完全下校時間を過ぎるよ?」
『大当たり』
教室に入ってきたのはマイナス十三組「
『うん、そうだね真黒ちゃん。喜界島さんに呼ばれてるから生徒会室に行くとするよ』
「下校するわけじゃないんだね……」
流石は球磨川禊といったところか、言われたことをそのままする事は無いらしい。しかし呼ばれている、のため元より帰るつもりが無かったのだからこの場合は黒神真黒の予想が最初から間違っていたというのが正解となる。
『せんせーさよーならー』
「……さようなら」
尚、その彼は
『いやしっかし、手刀で殺されるのは初体験だったなあ』『まぁ確か傷物語じゃ手刀で殺し合うんだし、はまり役っちゃはまり役だよねえ』
さらっとメタ発言である。第何の壁であろうと関係なく発言してしまうその行動は、正直二次創作者にとっては予想しきれないことなので止めて欲しい。
「……僕ですら自覚してはいけない事実を君があっさり言わないでくれるかな」
『うわ!?』『いたの!?』
「いや。単に真黒さんにまた特訓してもらおうと思ってね、すれ違っただけだよ」
いたわけじゃない。それだけ言うと、傷物語にて手刀を使って殺し合いをする人間と同じ声優を担当する宗像形は去っていく。再び、球磨川禊は廊下にぽつんと一人。
『あー驚いた……』『喜界島さんを庇ってとはいえ、彼には昨日殺されたのになあ』『彼は何であんなに普通なんだろう?』
一般的に考えると確かに宗像形も異常人の範疇に入ることは確かだが、その異常からも異常であると刻印を押される過負荷が言えることではない。そして球磨川禊の場合は死んでいることが「なかったこと」になっているため、気に病む方が間違っていたりする。
『……あれ?』『いつか、「僕はロリに弱いのかな?」とか言っちゃってた気がするけど』『喜界島さんって、ロリじゃないよね……』『いや、それを言ったら安心院さん、めだかちゃんもロリじゃなめだかちゃんはロリ時代に会ったんだった』
こんな風に独り言ですら話が一八〇度ぐるりと盛大に転換するような人間を殺した事実は、「なかったこと」にしてもらって正解なのかもしれない。何よりそのような人間を殺したのが初めての殺人であるという現実は特に、受け入れたくない面もあるだろう。
『じゃあロリ順番ではめだかちゃん、人吉先生、不知火ちゃん、太刀洗さん、財部ちゃんか』『……なんかそろそろ巨乳ロリとか来そうだよね』
今までの全員が貧乳ロリであったにも関わらずそのようなことをぼやく球磨川禊。裸エプロンの方が見たいんだけどなあ、でも最近は裸ジーンズも熱いや、なんてことも続けて呟く。何にせよ裸に何か一着、というフェティシズムは外せないそうだ。
「あの……球磨川先輩、ですよね」
『!?』
球磨川禊はその言葉に、完全に不意打ちを喰らった。……完全に。彼が。不意打ちを。負完全である彼に対して完全を冠するなど矛盾も甚だしいが、それに加え今の彼は気配がない。そのため誰かに何のきっかけも無しに訊かれるなど、それも初対面の人間に不意打ちを喰らうわけなど、ない。
さすれば、新しい敵。そう彼は何と無しに警戒態勢を敷こうかとも考えるが、本当に敵だとすれば茶化すのが彼。いつもの通りに、優しく声をかけて名前を聞いて、先輩として威厳を示せるように甘ったるく優しく優しく優しく優しくプラスに振る舞おう。
なんて当然嘘で、軽く人体の骨と同じ数ほどを散々に螺子込んだ。
のに。
「わ、私は
そんな螺子は、どこにも螺子込まれていなかった。彼は確かに骨一本に対し螺子一本使ったはずであり、声をかけてきた人間は確実に人の形を為していなかった。と語っていても今の彼にはそれ以外の驚きが頭を包んでいる。
水俣真美と名乗ったその少女は、彼が直前に予想した、巨乳ロリそのものだった。不知火半袖ほどの体躯にも関わらず現在の黒神めだかに負けず劣らずな豊満さを誇っていそうなそれが視界に入った彼の脳内では「巨乳ロリ、キター!?」と延々と右から左にコメントがループしている。
『……………………』
「実は今日付けで一年マイナス十三組に転入でして……他の人達に聞いたら、球磨川先輩に案内してもらえばいいと言われまして」
『え、あ、うん』『……僕は球磨川禊じゃなくて
その胸元に視線を思いっきり引き寄せられつつ、その体躯の小ささと乳房の大きさのアンバランス具合に戸惑いつつも、いつも通りの球磨川節を披露したつもりである。文字数が同じなあたり、あまりインパクトは無さそうだが。
しかし、球磨川禊にとってはそうなってしまうくらいに彼女の姿がかなりインパクトがある。巨乳ロリというのもだが、個人的にはその誰かを彷彿とさせる床にでも付きそうなまとまった長髪と、リボンのような材質をした橙色のカチューシャ。髪型という外見情報も、印象的だったのだ。
「大分なんて名字の人はマイナス十三組にいませんよね!? しかも過負荷でも吐きそうな程に気持ち悪いけど可愛い先輩なんて、あなた以外にいそうにありませんが!!」
『僕そんな風に悪く言われてるようで可愛いとか言われてるんだ!?』
喜ぶことではないが。そもそも可愛いというのは男の子にとって誉め言葉ではない可能性の方が高く、何より過負荷なのだから誉められたからと言って喜んでしまっては駄目なのではなかろうか。何にせよ、この少女に対しては球磨川節が不発が続いてしまうばかりのようだ。
『ま、もう僕が球磨川禊だってことは認めるけど、何で君はずっと左上を見ているんだい?』
「……ここまでは前生徒会長に案内してもらっていて……大きいなあ、と」
……前生徒会長というと。
『う』『わーお』『日之影くん、いたんだー』
「……驚きが結構雑だな」
『
球磨川禊自身もお世辞には身長が高いと言えるものではなく、体付きも華奢と言えてしまうくらいで、彼を目の前にするとこれまた大きさの違いがはっきりする。
『やだな日之影くん、気付いてたに決まってるじゃないか!』『だって僕だよ? 天上天下球磨川禊だよ? 君がこの校舎に入った時から気づいていたさ!』
「……あぁ、そうかよ。じゃあまあ、その転校生の案内は任せるよ。じゃあな」
『ばいばーい』
「ありがとうございました」
『で? 君は何なんだい?』
そう言い、彼らに手を振り背を向けて歩く日之影空洞が去った後。球磨川禊は、その彼の背中を見送る態勢から視線も何も変えず一気に核心を突く。
「……は? 何の話ですか?」
『日之影くんはね、下校が早い方なんだ。けど今は完全下校時間を過ぎている。仮にも案内を本当に頼んでいたとして』『日之影くんがここまで時間をかけるわけがないし』『何故、生徒会長であるめだかちゃんじゃなくて、前生徒会長である日之影くんなんだい?』『それに、君は最初、気配のない僕に気付いた』『大量の螺子も消されたしねえ』『そこまでの過負荷だと、下手したら僕より大規模だ。さあ、それを予想しておきながらもう一度君に訊くよ』『きみは、何なんだい?』
「あーだり」
しかし球磨川禊が聞いた言葉は、それのみだった。それどころか、今現在においてその廊下に彼の姿は無い。水俣真美、その少女一人だけがそこに立っている、が先程の大人しそうな態度とは打って変わって、乱雑に右手で頭を掻いている。
「ったくよー、何だよこいつ。記憶とか全部一時的に『騙した』はずなんだがな。『
口が、悪い。これが過負荷、水俣真美、なのだろうか。騙したとは言っているが、彼女自身がその過負荷を説明したわけではないため、どのような存在なのかは断言できない。
「まあとりあえず今この場からは『騙した』し大丈夫だろう。下手したら戻ってこれねえけど、それこそそれで重畳だ」
一方、球磨川禊は落ちた。どうやら異世界だか何だかに飛ばされたようで、そこの地面に落ちたらしい。それもマーフィーの法則だとでも言いたげに、当たり前のように頭から落ちた。しかしそんなことも関係なくさらりとまたしても『
『うお!? 異世界だと!?』『まるでジャンプみたいじゃないか!』『これはテンション上がるなあ!』
そう喜ぶ彼の周りは森であり、残念ながら異世界ではなく同世界(なのだろうか)、京都の一部地域である。しかし彼にとってはそんなことは分かるべくもなく、まさかの異世界転生ではと意気揚々としていて迷いフラグがビンビンに立っていることにも気付いていない。しかも、
『よし、とりあえず右に行こうかな』
とか言いつつも左に曲がった球磨川禊だった。
『うんまぁ、迷うよね』
一時間も経たないまま、当然の帰結に対して文句は無い当人。薄々と異世界ではないことは気付いているものの、だからといって迷わない道理になるわけでもない。次いで、彼は中途から何者かから尾行されておりそのあたりも気になっているところだ。
水俣真美のように初対面の人間にも関わらず、球磨川禊の「なかったこと」にされている気配を感じ取るその感覚の鋭敏さは一体何なのだろうか、それとも、球磨川禊のそれは「なかったこと」になっても滲み出てしまうほどのものなのかもしれない。
『螺子込んだら出てきたりしないかなー』『あ、そうだ、アレをしよう』『迷った時の定番、棒倒し! を螺子でしよう』『よっ─────』
「……痛」
誰かの声。球磨川禊はそんな平穏なことをするわけでもなく、実際は地面に刺して、そのまま伸ばして曲げて伸ばして、相手の目下から突き出したのだ。相手の体勢までは把握していないため、下手をすれば心臓を貫いていてもおかしくはないが、声を聞くにそこまでの重傷ではないらしい。
しかし、そこから動いて逃げる、という意志を持った声でもないため、球磨川禊はさくさくと声の方向へと歩いていく。不思議と、
『さてと、誰かなあ』
ただ、声を聞くにそこまでの重傷では、と先述したが当の球磨川禊は腕一本程度であれば引き千切るくらいの速度と威力で螺子込んだつもりだった。彼からするとその対象が男らしいという事実の方が見に行きたくない理由になっていそうだが。
だがだからこそ、見に行きたくない気配が出ていたから、球磨川禊は確認する。そこにいたのは、
死んでから良い腐敗具合の目をした男だった。
『……誰だい』
「誰でもないし、誰でもある。好きに呼んでくれていいよ」
……それは、名前が無いという事か。名前が忌々しいという事か。名前がありすぎるという事か。球磨川禊は、判断できない。
『じゃあまあ、なんとなく「いーちゃん」でいいや』
「……………………」
目の前の男は無言を貫く。常時へらへらとした笑顔の球磨川禊とは正反対に、死んだ目と腐った仏頂面を発揮し続けるいーちゃん。球磨川禊は、そんな彼に対して思うところがあるようだが、その思うところはすぐさま思考放棄した。
『ねぇねぇいーちゃん、何で君は途中から僕を尾けてたの?』
そして、そんなどうでもいいことよりも益になりそうな問題を問う。
「……ここは玖渚っていう奴の私有地なんだ。知らない奴が入れる訳が無いし、仮に入ったとしても確実に迷う。尾けてたのは単に、君が空から降ってきたからだよ。不思議で不思議でたまらないし」
『そういうことね』『酷いなぁ、ここも日本なんでしょ? 仲良くしてくれてもいいじゃない』
「いきなり空から降ってきて大きい螺子を持って現れた奴と仲良くしたくないよ。それに尾けてたってだけで半身の自由を奪われたしね」
言われて見れば、いーちゃんにはあの螺子に左半身を貫かれていた。それもかなり思いっきり、足は皮一枚といったところで、腕なんて事もあろうか前腕も上腕も貫かれている上、その螺子の先は頬にも螺子込まれている。そのような状態で普通に喋っているのだ、この男は。
『
『……君には命の予備が無いんだろう? だったらもっと叫んで助けを呼べばいいのに』
「生憎、他人の前だと叫びたくなくなっちゃう病気なんだ」
『『
そのよく分からない病気については一切の言及をせず、間髪入れず球磨川禊は自分でつけた彼の傷を
「……戯言だな」
『
決まった文句かのように、無意識にさらりと言葉を返す。
いーちゃんにとって零崎人識が鏡ならば。零崎人識にとって石凪砥石が写真ならば。いーちゃんにとって球磨川禊は絵だった。似てはいる───が、何かが違う。決定的に違う。球磨川禊の場合、いーちゃんのように中身が空っぽなのではなく、嘘や欺瞞で溢れている。
いーちゃんの外っ面だけを写しただけのように。それも、歪に、少しばかり助長と空想とを含めて、乱雑に、写真なんて言えないくらいに分かり切った風な。だからこそ、絵である。
「……ついてきなよ。とりあえず玖渚の家まで案内するからさ」
彼も無意識下においてそれが理解できてしまったのか、球磨川禊を案内することにしたらしい。彼の絵であるということは、どのようなベクトルかにかはよるがその向いているベクトルに置いては限りない危険さを保有するということにもなるのだが、それには気付いていないのかもしれない。
もしくは、気付いていて尚、それならば防ぐ手立てを持っていないことを知っているが故にそのような諦めたかのような行動に打って出たのかもしれない。ご機嫌伺い、ご機嫌取り、だ。
『それはありがたいや。お言葉に甘えて、ついていくとしようかな。』
しばらくして、玖渚友の住む城咲のマンションに着き、階層を登り、いつもの部屋に入る。
と。
久し振りに、その部屋は赤色に染まっていた。
「……哀川さん」
「あー? お前まだあたしのこと名字呼びすんのかよ。いい加減蹴るぞ」
「その姿で元気ですね……」
今の哀川潤は、まだ全身包帯という状態だ。そのため、赤色に染まっている部屋も元々の白さも相俟ってその包帯の白さが加えられ、どちらかと言うと良い感じに混ざり合い、紅白のような印象を受ける。しかし蹴られかねない状況であるいーちゃんは右下るれろを思い出していたり。
「病院、抜け出して来たんですか」
「違えよ、昨日退院したんだ。いや、それはどうでもいい、あたしは十月の事についていーたんに文句しかねえんだよ。それを言いにしかこねーよ」
「せめてそれ以外の件で来てください」
「お前これどうしてくれんだよ、二ヶ月経ってもまだ一〇〇パーセントに回復しないんだぞ!」
前よりも回復速度が落ちている。
「……あ? 後ろの奴誰だ?」
そんな文句も球磨川禊顔負けの速度で放棄して、気になったことをすぐに訊く。球磨川禊も哀川潤に対しては誰だろうという疑問しか抱いていない。若干ばかり、黒神めだかに似た、理不尽な強さを感じ取ってこそはいるものの。
「さっき空から降ってきた奴です」
『はじめまし────』
『!!』
気が付いたら球磨川禊は吹っ飛ばされていた。
気が付いたら球磨川禊はブッ飛ばされていた。
「!? ちょ────何やってんですか!?」
球磨川禊が間髪も感じずに撃ち込まれたその攻撃方法は彼も知っている技で、その威力はその身を以て知っていたりする。時計塔の上で、問答無用に、ぶちかまされた、あの。黒神ファントム。ただし、座りながらであり、攻撃した本人が満身創痍だったのにも関わらず、哀川潤に増えた傷は無い。
「あん? いや、知り合いが言ってた奴に似ててな。お前、球磨川禊だろ?」
それどころか軽々と片足で跳ねて、元の椅子に座り直す始末。しかしその問いに帰ってくるのは無言どころか無音だけで、球磨川禊はそもそも心臓からも音が消えていた。
「……?」
「あ、やべ、手加減ナシで当たったから死んでるかも」
「あんたそれ「かも」で済まされねーよ!?」
流石は人類最強。その名を知らなければ本名も正確には知らない球磨川禊だが、今、目視した。把握した。確信した。理解した。哀川潤は、黒神めだかよりも強い存在だと。
「まあ、知り合いによれば生き返るらしいし? 待っとこうぜ」
「あんた、人一人殺したのに呑気だなあ!」