クロスマイナス 『虚言使いと戯言遣い』   作:謂篠弐椎

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上の下 水俣町

やあ球磨川くん。潤ちゃんに完全完成版黒神ファントムと云っても差し支えのない攻撃を喰らわされたようだね。全く、君はこの時期に何やってるんだい? 今はめだかちゃんと善吉くんのバトルの最中なんだよ? いや、確かにあの『歩く病気』をこの箱庭学園に侵入させてしまった僕にも非があるんだけどね。

 

水俣真美(みなまたまなみ)

 

この子の説明はまたいつかにしてやるよ。そうがっかりするなって。ん? 巨乳ロリ? めだかちゃんをも凌ぐかもしれない巨乳なのに不知火ちゃんよりロリだって? ……水俣真美の外見の話はどうでもいいよ。

やめろ、続けるな、語るな。それ以上君のキャラを壊すんじゃない。いい加減にしろ、殴るぜ。何だよ、そこまで君は水俣真美の話を聞きたいのかよ。

仕方ないなぁ。君が被害にあった水俣真美のスキルの一つだけだからな?

ああ、水俣真美は四つ、持ってる。

異常(アブノーマル)一つに、過負荷(マイナス)が二つ。あと一つは言葉(スタイル)というんだが……君はまだ知らないだろうから説明はしない。さて、話を戻すとして。

君が被害を受けたスキルは、過負荷(マイナス)だ。『合縁忌円(ホールブラックジョーク)』という。このスキルは……そうだなあ、球磨川くん、君のスキルは『なかったこと』にするスキルと、『球磨川禊』にするスキル、だろう? 水俣真美の『合縁忌円(ホールブラックジョーク)』は、『騙す』スキルだ。

まず最初。日之影空洞くんの記憶を『騙した』んだ。だから彼は彼女を案内していた数時間、生徒会長だと『騙さ』れ、下校時間がまだそこまで過ぎていないと『騙さ』れていた。勿論、その部分だけだから不知火ちゃんに『知られざる英雄』を喰われたのは覚えていたけどね。それに、あくまで一時的に『騙した』だけだから今は彼は水俣真美の存在すら覚えていない。

次に、君の気配を『騙した』。そして現実を『騙し』て、螺子を消した。それが真実。更に最後に、現実がまた『騙さ』れ、球磨川くん、君は京都の城咲というところに飛ばされた。かなり上空にね。

何故途中で君が『騙さ』れたことに気付いたからだって? そりゃあ、君がひねくれ者だからだろう。正確に言うと、君が劣化大嘘憑きを自動で発動させたんだ。君が死んだときみたいにね。

さて、説明はここまでだ。潤ちゃんによろしくね、球磨川くん。あ、あと×××××くんのことだけど、彼は──

ちょ、おい、聞きたいとこだけ聞いてオサラバかよ! 酷いなぁ、球磨川くん────

 

 

 

「一時間経過してますが、生き返りませんよ」

「………気のせいだって」

「流石にそろそろ通報しますんで、自首してください」

「いや待て。あと一分待て」

「もうそれが続いて三〇分────」

 

 途端、先程まで死体だった死体が起き上がる。ゆったりと、のらりと、くらりと。

 

『『劣化大嘘憑き(マイナスオールフィクション)』──僕の絶命を、なかったことにした』『全く、それはないよ哀川さん』『安心院さんによろしくねって言われたしさ』

 

 そのさらりとし、淡々とした台詞に対し、哀川潤はけたけたと笑いながら、な? と、言う。

 

「……戯言だろ……」

 

 しかしいーちゃんははあ、と呆れながら、頭が痛いらしく額に手を当てて、その溜息と共に言葉を吐きだす。

 

『嘘憑きなだけさ』

 

 生き返ってきた当の球磨川禊はまたしても定型文に対して同じくそれへのテンプレートである返しかのようにそう、括弧つけて、言う。

 

「いやしかし、確かになじみんの言う通りだなー。いーたんより蹴り甲斐があるとはなー。それは誇っていいことだぜ、クマー」

 

『……人の名前をきちんと呼ぶってことができないのかい?』『哀川さんは』

 

 言いにくいことを、さらっと言い放つ球磨川禊。相も変わらず余ほど命が必要ないと見える。『劣化大嘘憑き(マイナスオールフィクション)』を持っている彼にとって(それ)は必要ないというか、掃いて捨てられるものではあるのだろうが、その過負荷(マイナス)は完全ではないのだからあまり冒険はするものではないだろうに。

 

『いーたんだったり、なじみんだったり、クマーだったり』『玖渚ちんだったり』

「待て、何で最後のを知ってんだてめぇ。あとあたしのことを名字で呼ぶんじゃねえ」

 

 もっぺん蹴るぞ、といつものように怒りながら言う。哀川潤も哀川潤で、球磨川禊の命を考えていないような発言。あのとんでもない攻撃は間違ってもいーちゃんには当てないだろうが、球磨川禊には容赦しないようだ。

 

『やだなぁ、冗談ですよ冗談』

「お前の場合冗談と嘘と本音が区別つかねえよ」

 

 あたしの読心術も効かねーしよ、と続けざまに愚痴る。

 

「え? 読心術が……効かない?」

「おおともよ。何だか、こいつには「心」が介在しねー、つーかよ」

 

 愚痴の一言に対していーちゃんが反応する。心が読めない、そういう系統の発言を誰かにした誰かを、彼は知っているからこそである。

 しかしそれは、あの隔離された島で殺された、脳漿を撒き散らして暗殺者に殺された、超能力者。いーちゃんとも、哀川潤とも相容れなかった超能力者が、玖渚に言った事象より酷かった。

 「見えない」ではなく────「効かない」。

 

『いやいやおいおい』『人をそんな風に言わないでくれよ、傷付いちゃうなあ』『心外だぜ』

「……お前は絶対傷付かねえよ」

 

 心が存在しないなどと言われているのだからそう思われても仕方がない。

 

『あと、僕は箱庭学園に戻りたいんだけど?』

 

 話の腰を完膚なきまでに粉砕した上で、球磨川禊は、凶器を、狂気を出しながら、おぞましく言う。先刻まで普通に会話していたにも関わらず、だ。混沌より這い寄る過負荷────球磨川禊と言われるだけはある。天上天下球磨川禊どころか、天下最下球磨川禊なのだ。

 教えてくれなきゃ、心を折るぞ。少しばかり、遅いハロウィーンと言ったところか。

 

「あん? それは仕事依頼かよ?」

 

 だが、人類最強こと哀川潤はそんな球磨川禊の狂気なんて気にも止めない。いっそその狂気をこそを折り曲げてゴミ箱に捨てる風にさっぱりとした反応で返す。

 

『ああうんそうそう仕事依頼……なんだっけ、何でも屋だっけ』

「何でも屋って……ちげえよ、正確には請負人という。人類最強の請負人」

『これはこれは度々すみません』『人類最強の万屋でしたか』

「お前今人の話聞いてたか!?」

 

『請け負ってくれるんですか? 僕ごときの頼みを』

 

 どうやら話は聞いていたうえで故意に間違ったらしい。頑張ってはいないとはいえわざわざ場の雰囲気作りがてらに出した狂気をさらっとなかったことにされたのは不服だったのかもしれない。そんな球磨川禊に呆れつつ哀川潤は、

 

「お前、小唄と気が合いそうだな……いや、あたしは請け負わない。が、代わりに」

 

 いーちゃんを指差して。

 ×××××を指差して。

 

「いーたんが請け負うんだぜ」

 

 赤き征裁(オーバーキルドレッド)は、そう言った。

 

「いやいやいや────はあ!? 何言ってんですか!?」

「いーたんが請け負うんだぜ」

 

 先程の言葉をそのままリピートされる。

 

「そういう意味ではなく! 何を根拠に言ってんですかって言ってんですよ!」

「えー見て分かれよ、聞いて分かれよー感じろよー」

 

 彼女は座ったまま、可愛らしく口を尖らせて何かの売り文句のように、文句を述べる。それを見て、この二人の掛け合いはおもしろいなと球磨川禊は二人の掛け合いを眺めつつ、そのような考えが走る。どちらも弱点が強さに埋もれており、否、片方は強さが弱点に埋もれており、どちらにせよ良いタッグだと感じざるを得ない。

 

 最強と、最弱。

 

 それこそが、最強タッグ。どこかの誰かたちも、そんな風なタッグだった。今はそれが拗れてしまっているものの、強さと弱さを受け持つのは───それだけでもう最強の証だ。

 けど、人の上には人がいるし。人の下には人がいる。無論「下」は球磨川禊であろう。ならばこの場合「上」は? 完全院さん、あたりしか存在し得ないのかもしれない。

 

「いやだってあたしは動けねーし。大体、いーたんはあたしのライバルになるっつってたじゃねえか。だからこれがそのための試練、もとい依頼第一号だろ」

 

「……そもそも僕はハコニワガクエンなんて知りま「××××××××××市×××××区の×××××にある」ああはいそうですかありがとうございます行ってきます」

 

 台詞の間に台詞を言う哀川潤。球磨川禊にとって、安心院なじむ並みの暴虐無人さを印象付けてしまうくらいである。もしくは、安心院なじむと馴れ合ったことにより、そんな荒唐無稽な真似をしているのだろうか。

 

 

 

『というか何で僕はこんな乱暴に引き摺られながら案内してもらってるんだい?』『何もしていない手が疲れちゃうよ』

 

「何もしていないのに疲れるのか……」

 

『ああ痛い痛い!』『せめて曲がり角は気を付けて!』

 

 箱庭学園、ではなく水槽学園の制服の襟をいーちゃんに掴まれたまま、角も配線も関係無しにずるずると引き摺られる球磨川禊。ここのマンションの角はきっかり九〇度であるため、軽い刃物とも言えるくらいだ。

 

『それ以前にこのマンション白過ぎない?』『今にも汚れちまいそうだぜ』

「お前はこれ以上汚れねえよ」

 

 そういうと、ようやく手を離してくれた。髪も黒く制服も黒く腹も黒い彼であれば、確かに汚れる理由が無い。何より白いから汚れそうという辺り、過負荷(マイナス)らしい。綺麗好きである彼からすれば真っ黒な空間の方が清潔に感じるのだろうか。

 

「玖渚は何故か白色が好きなんだ。さっきのが「汚れが目立つ」って意味なら共感できるけどね。因みに、エレベーターも白い」

 

『ここ三一階だか三二階だかだっけ? また一階まで一気に下りるんだねえ』『というかここ、京都タワーより高いよね』

 

「高いね」

 

『市役所辺りに怒られなかった?』

 

「国に怒られたらしい」

 

 市どころか国。実にスケールの大きい話だ、球磨川禊にとっては国がそこまで京都タワーを大切にしているという事実も少しばかり現実離れしていて、意味不明だなあ、と思うばかりだ。

 国に怒られたにも関わらず、住み続けている玖渚友やおそらく揉み消したのであろう玖渚機関についてはもう精神が図太いという勢いではないが。

 

『エレベーターが降りる時の浮遊感と言ったら、堪らないね』

「子供か」

 

『エレベーターの止まる時って、目が回るよね』

「どの意味でもそれは共感できない」

 

 ちょっとした受け答えをして、球磨川禊のいーちゃんに対する印象が更新される。最弱という彼と似た立場でありながら、役柄は人吉善吉のようなツッコミに相対するものだからだ。一般人、箱庭学園に通う生徒が一般人なのか、黒神めだかと戦う人間が一般人なのか、怪しいところではあるのだが。

 そこでふと過負荷は疑問が一つ。役柄が人吉善吉と同じなのならば、伝家の宝刀、ノリツッコミは出来るのか、と。

 

『ねえねえ、いーちゃ──────』

「いーちゃん、今すぐその人から離れて。」

 

 しかしそのノリツッコミのための渾身のボケが如何様なものだったのかは判明する前に、そのような雰囲気ではなくなる。エレベーターが開くと、それはもうおっかない黒服の危なげな方々に銃器を突き付けられ、言葉を紡ぐと撃たれてしまうそうな状態なのだ。

 そして、そう言った目の前にいる少女の身長は小さめだ。少なくとも哀川潤よりは小さく、未熟。加えて哀川潤と逆であり、青っぽい。否、蒼っぽい。球磨川禊からするとその蒼色は若干、水俣真美を想起させたりするのだが、それは置いておいて。

 

「……何でだ、友」

 

『何々? いーちゃんの彼女?』

「今そういうノリはやめてくんないかなあ?!」

 

 しかし、実際に彼女でもあるためにいーちゃんは否定しない。その関係性を否定が無い現実だけで理解した球磨川禊は何となく嫉妬の念に駆られかけたが今はそういう場合でもない。

 ただ、昔ならば、ムカつくこともなくただ単純に目の前に立ち塞がられたからという理由だけで螺子を構えていた可能性はある。劣化過負荷(マイナスマイナス)、と言えなくもない存在になってしまった彼は、随分と甘くなってしまっているのかもしれない。

 

「……友、単にこいつは学校に帰りたくて僕はその見送りを哀川さんに投げられただけなんだが」

 

「駄目。球磨川禊の場合、いーちゃんの『無為式』より酷くなりかねないの」

 

「けど」

 瞬。

 

 連続した轟音と共に、その少女を含めたいーちゃんと球磨川禊、二人を除く全員の心臓の位置に。真横に線が掘られたヘッドの螺子が一本ずつ、螺子込まれる。人数が人数だったが故に建物も破壊痕だらけになってしまっており、下手をすれば倒壊も有り得る。

 

「!?」

 

 驚愕の符を出したのはいーちゃんだ。彼ら以外は、その符を出すことも敵わないくらいに素早く、封じられてしまっている。髪は白く抜けていき、全員の目が、いーちゃんとは違って純粋に死んでいく。

 口もだらしなく開けられたりしていて、その表情からは生気が全く感じ取ることが出来ない。その異様な光景を瞬時に目の当たりにさせられたからこそ、いーちゃんは流石に驚いた。

 

「なっ……」

 

『いやあいーちゃんはこんな僕を庇うなんて』『君は過負荷(マイナス)みたいだねぇ』『しかし、それでも君の言葉は甘いね』『過負荷(マイナス)だろうとそれは甘過ぎる』『だがその甘さ』『嫌いじゃあ、ないぜ』

 

 恰好付けて、括弧付けて、言う。それがいーちゃんは不思議だった。それに、目の前には螺子による地獄絵図。理解するしないではなく、その行動原理から脳髄が拒否反応を示している。何が起きているのか。

 何をしたのか。そんなこと、気にしては駄目なのだと。だがしかし、さしもの戯言使いであろうと、混沌より這い寄る彼のその犯した行為は、問わなければ始まらない。

 

「……何をした」

 

『『却本作り(ブックメーカー)』』『なあに、痛みはない』『ただちょっとばかし、封印しただけさ』『警備員は百年くらい、その蒼っ子ちゃんなら三十年で抜けられるよ』

 

「……君の気が変わることを祈っておく。ま、死んだ訳じゃないならとりあえず行こうか。玖渚のマンション内ならどこで寝ようと無事だろうし」

 

 彼女持ちにはあるまじき冷酷さである。

 

『君の感情は欠陥(マイナス)なんだね』

「君に言われたくないよ、虚言使い」

『虚言使いか……いいねぇ、それ』

 

 

 

「へえ、その水俣真美とやらにここまで飛ばされたのか。大変なご身分だね」

 

『ははは』『全くもってそうだね』

 

 駅まで歩く途中、球磨川禊はいーちゃんに事情を普通に説明していた。車で送るだとか、飛行機に乗るだとか、色々と交通手段は考えたのだが車は出したくないといういーちゃんの意固地により、電車の乗り継ぎで手打ちとなったのだ。

 それでも、幾分かの金銭が吹き飛んでしまったりするのだが。

 

「通称が『歩く病気』っていうのは多分、水俣病からなんだろうね」

 

『あー、確かに水俣ちゃんが使ってたスキルの具現化が水銀っぽかったかも』

 

「……後ろからいきなり飛ばされたのによく分かったもんだ」

 

『僕が飛ばされた事を「なかったこと」にした』『確認するだけ確認して、そのあと』『その場に僕がいるという事実を「なかったこと」にしたらここに飛ばされたんだ』

 

 この言葉、球磨川禊でなかったらいーちゃんも少しばかりは信じる気はあった。が球磨川禊だと無理だ。正当な事だろうと正直に言おうと嘘にしか聞こえない。何より、水銀みたいだったという情報が如何にも後付け過ぎる。

 そしてこの男は本当にそんなことはしていない。やろうと思えば出来たことではあるのだが、そんなことを考えるまでもなく彼はどこかに飛ばされたという事実に心浮かれていたためにそんなことを思いついていなかった。

 

「要らない嘘は吐かなくていいよ」

 

『無理無理。僕は嘘に憑かれている嘘憑きだからね』『三分に一回は嘘を憑かないと死んじゃうんだ』

 

「結構な頻度だね」

 

 しかし何分に一回どころか、返す言葉言う言葉に嘘を混ぜているいーちゃんが言える言葉ではない。

 

『でさ』

 

「……何だい」

 

 どうせ碌でもないことだろう、という溜息混じりの返事。

 

『後ろからロリっ子がついてきてるんだけど』『なにその子、いーちゃんのロリ奴隷?』

「!?」

 

 いーちゃんは驚いてバッと振り向く。どうも気付いていなかったらしい。さして気配を消していたわけではないため、いーちゃんでも勘付けるはずなのだが、球磨川禊の過負荷具合に瘴てられているのかイマイチ索敵できていないようだ。

 

「あ」

 

 後ろにいたのは随分と暗い色にも関わらずツヤの濃い光沢が輝く黒髪で、その髪と太極図かのように相反する形で白磁のように抜けるような無垢に白い肌の、そしてその柔い肌を存分に見せるワンピース一枚を着た幼女。闇口崩子である。

 

「……崩子ちゃん。なに、いつの間に僕に気配を感じさせないほど尾行が上手くなったの」

 

「潤さんに教えてもらったのです。将来役立つだろうからって」

「あの人いたいけな少女に何教えてんだよ!」

 

 尚、いーちゃんはいつまで経とうとロリ奴隷だということを否定しない。彼女だけでなくロリ奴隷までいる身、それを球磨川禊はだんだんと普通に羨ましくなってきていたりする。それもどちらも絶世の美貌を誇るというのだから。

 そして何故かどちらも幼女体型だというのだから。

 

「それで、何の用事?」

 

「え……用事もなく近くにいたら駄目でしたか……?」

「いやいや勿論良いよ良いとももう本当いてくれて良いよいやむしろ僕の方からいてくださいと頼むところだったんだ崩子ちゃんはいるだけで僕にとっては癒しだし眼福だし疲労なんて感じなくなるし楽しくなるし嬉しくなるし最高最高最の高って奴だよいやあ崩子ちゃんは僕のそんな感情を理解している上に空気も読めていてとても賢いし可愛いし良い子だ!」

 

 球磨川禊でも不自然と思えるくらいの意見の変え方。何と、あの球磨川禊が絶句してしまったほどである。いっそいーちゃんがどこまで闇口崩子に対して甘いのか気になるくらいに。

 

「って言っても、ここ、あの元骨董アパートから相当離れてるよ?」

 

 そのテンションをすっと戻して、素朴な疑問を一つ言う。元骨董アパートとはいーちゃんと闇口崩子、そして他にも多数の住人が暮らしているアパートのことである。元々はその骨董アパートという名に違わず古めかしい建物で家賃も格安の破格だったのだが、とある事情でとんでもないことになった経緯がある。

 

「いえ、虫を殺そうとしたら戯言遣いのお兄ちゃんに気配が似ている可愛い猫を見つけたので追いかけていたら道に迷ってしまい、とりあえず細道から抜け出したところ、戯言遣いのお兄ちゃんの姿を見つけたので駆け寄ったのです」

「その猫、黒猫だろうな…」

 

 自分が不吉だと自覚しているいーちゃん。彼の場合、どちらかといえば烏の方が似ているはずだが。

 

「それにしても」

 

 若干ショックを受けているいーちゃんはさておいて、闇口崩子は目線を球磨川禊に移して、一拍置く。

 

「戯言遣いのお兄ちゃんが一緒に歩いているこの方は殺した方がいいと思うのですが、どうでしょう?」

 

『へえ、ただのロリ奴隷じゃないんだね』『その年で「殺した方がいいと思うのですが」って』『いやあこの驚きは財部ちゃんがパンツを見せながら苛めてくれた日以来だ!』

 

 要はそこまで驚いていない。流石は球磨川禊、こと生死を問われる事案に関しては暇がない、慣れてしまっている。というよりかは、慣れる気が無いのだろう。気にする気も無いのだろう。彼にとって、些細なことなのかもしれない。

 

『まあ箱庭学園じゃめちゃくちゃ恐くて怖い眠りロリ姫がいるからね。そこまで驚かないけど、初対面の人に失礼じゃない?』

 

「あなたの気配の、存在の方が失礼ですよ。言うこと言うこと、とことん私の父親と真逆で苛つきますね。戯言遣いのお兄ちゃん、殺しの許可をください」

「そいつに関わったら崩子ちゃんだと心が折れすぎて曲がるから却下」

 

 心が折れすぎて曲がるとは。心が曲がりすぎて折れるわけではなく、折れすぎて曲がる。否、この場合は「禍る」という意味合いなのだろうか。骨董アパートその他から人気がある彼女が球磨川禊のような負完全に染まってしまうのは拒みたいのか。

 

「ですが」

「あんまり聞き分けが悪いようだと、帰った時のお仕置きが悪化す「今すぐ帰りますごめんなさい」

 

 その言葉を聞いて、彼女は目にも止まらない速度で走り去っていった。

 

『……どんなお仕置きをしたらああなるんだい』

「秘密」

 

 

 

 しばらくして、球磨川禊といーちゃんという最悪タッグが駅に入ろうとした時。いーちゃんの携帯へと、哀川潤から電話がかかってきた。嫌な顔一つせずさらっとすぐさまいーちゃんは出たが、内心では何となく嫌な予感はしている。

 

「あたしあたし! 今さー、玖渚ちんに捕まっちまった。釈放されたいから一五〇万振り込んでくんないか?」

「真実と詐欺を混ぜないでください」

 

「ま、起きたら玖渚ちん達が螺子伏せられてた? って感じかな。とりあえず刺さってた螺子抜いたらさあ」

 

 抜けたらしい。『却本作り(ブックメーカー)』は怪力や力ずくで抜ける代物ではないはずだが、一体どういう原理で抜いたのだろうか。おそろしや哀川潤、下手をすれば安心院さんよりも凄まじいのやもしれない。

 

「意識が戻ったみたいで、あたしが捕まえられてな。いーたんとクマーを連れ戻せーって」

 

 哀川さんがそう言い切った瞬間、辺りが静まり返る。駅近くであり、街中であり、間違っても人々の喧騒が一瞬でなくなるなど有り得ない場所。そんな場所で、人影すらもすんと消えたのだ。

 

「君が球磨川禊かい?」

 

 そんな中、いーちゃんと球磨川禊の前に二人だけ、目隠しをした女性が現れる。その現れた瞬間も目視できておらず、いーちゃんは戸惑ったままだが、片方の女性は球磨川禊に対してそう言った。

 

『うん? そうだけど何、君? 僕のファンかな?』

 

 しかし球磨川禊は特に何も思わず、いつも通り言葉を返す。

 

「おーい、いーたん聞いてるかー?」

「すみません哀川さん、玖渚にも無理だって言っといてください。今から、多分ヤバくなりますので」

「あ? おい、あたしを名字で呼ぶ────」

 

 流石に緊急事態と身体が分かってしまったのか、いーちゃんは電話を切る。哀川さんに蹴られないよう祈れなくなるまで祈っといてあげようというのが、その行動を見た球磨川禊の感想だった。

 

『で何? また知り合い? 今度はいーちゃんのそういうフレンド?』

「いねえよ」

 いないそうだ。

 

 彼女とロリ奴隷がいたために、球磨川禊からすればもういーちゃんという人物の周りどれほどのヤバい関係の女性が紛れていようと驚かないし疑問に思わないことにしたところだというのに、そういうフレンドはいないらしい。

 

「多分だけど、多分だけど────時宮じゃないかな」

『ときのみや?』

「『呪い名』序列……って言っても分からないのか、うーん」

 

 いーちゃんの地域に関しての知識が乏しい球磨川禊に分かりやすく言うには何と説明したものか、と彼が言葉に迷っていると彼に時宮と想定された女が喋り始める。ノイズがかかっているかのように、判別が上手く付かない声。だが、その声の主軸は、球磨川禊だけは何となく、知っている声だ。

 

「正解正解。記憶力悪いんじゃなかったの? 『いーちゃん』。まあ僕は『いーちゃん』じゃなくって球磨川禊に用があるんだよ。因みに僕は時宮刻弥(きざみ)ね」

 

『そうかい─────』

 

 螺子。

 

 直感でも直観でもそうとしか思えないほどの量の螺子が時宮刻弥に投げられた。腕だろうが足だろうが心臓だろうが脳味噌だろうが、全ての部位を破片にして肉片にする気しか無いほどの量。彼女からすれば、視界が螺子まみれになったことであろう。が。

 

「おいおい球磨川くん、不意討ちとか当然のことをしないでくれよな」

 

 時宮刻弥は目隠しを外していて。

 

『あ……安心院さん!?』

 

 球磨川禊から見たら安心院なじみでしかなかった。

 声、姿、体格、喋り口調。性格においては今しがた判別しづらいが、少なくとも現在確認できる全ての情報において、球磨川禊から見た時宮刻弥はどうしようもなく安心院なじみだったのだ。

 

「…………操想術師……! そいつは────」

「おっと! 君の相手は私だよーん!」

 

 そう言い、立て続けに球磨川禊へ時宮の情報を教えようとしたいーちゃんを制止したのは、死んだはずの占い師。否、天才・占い師。烏の濡れ羽島にて出会った、相容れそうにもない、あの人間。

 

「な────────」

「私は時宮刻弥の姉、時宮指針(ししん)だよ。私達姉妹は相手の『嫌な奴』になる操想術師なんだ」

 

 時宮時刻じゃないだけにやりづらい。不意討ち過ぎて対応できていない。覚悟が決まっていないからまんまと術中に嵌ってしまった。時宮だというのだからそう判断した時点で何かしら心的感情に訴えかけてくることは危惧して然るべきだった。いーちゃんは時宮指針の、特に面白くもない攻撃を避けながらそう考える。

 とにかく、はやく慣れねば。と。

 

「……『嫌な奴』、ですか」

「そうとも。とは言っても私が一体誰になってるのかなんて、わかりゃしないんだけどね」

 

「ということは『嫌な奴』の前だと自身の本領を発揮し過ぎて本末転倒になることを狙っているということなんですかね。それとも、嫌よ嫌よも好きのうち、という意味での『嫌な奴』で、本気を出せないようにして隙を狙うということなんですかね?」

『僕の相手が安心院さんだから多分後者だよ』

「今は黙っといて」

 

 球磨川禊の応答をさらりと流す。

 

「んー? ま、そうなるかな。だって今、心情が揺れてるだろう? なら私の思惑通り、少年は元々の力を出せるわけがないのさあ。て言っても特に鍛えているわけでもない君相手だと身体関係は問題ないがね」

 

 問題は大有りだったりする。いーちゃんは確かに膂力こそめぼしくないものの、意識の在り方が違うからだ。人間、タガが外れていると例え力が無くとも恐ろしいことになる。その骨頂、とまでは言わないが、筆頭になれるくらいの男ではあるだろう。

 

「つまるところ、ガワだけだと? その人間の、能力などは一切。性格すらも」

 

「否定はしないよ、でもそのあたりは君という人間が補完する。当たり障りのない、それらしい言葉を連ねておけば勝手に補って未完成を完成させてくれるんだ」

 

 本当にガワだけ。外側だけ。姿形だけ。ならば、いーちゃんにおいてはその操想術の意味が為されなくなる。確かに外見さえ似ていれば驚いてしまうが、彼が彼女を苦手だと思っていたのはその性格そのもの。

 それ故、その問答でいーちゃんは落ち着く。落ち着いてしまう。落ち着ける時間を与えられてしまう。

 

 嗚呼、何て不完全な術だろうか。

 

 時宮時刻なんて比較にならない。低俗すぎる。低レベル過ぎる。つまらなさ過ぎる。くだらなさ過ぎる。きっと、中身までも投影できてしまうような術だったならば、いーちゃんにとって大打撃だったろうに。

 

「では、もう一つ訊きますけど」

 

 そして、

 

「あなたは」

 

 人類最弱の戯言遣いは、

 

「誰にも。世界中の誰にだろうと、」

 

 時宮指針の、

 

「きっとそちらの姉妹の方にすら、」

 

 心を、

 

「本来の姿を見てもらえない、可哀想な孤独な孤高の、独りぼっちさんなんですね。」

 

 折る。

 

「──────────────」

「どうしました? 時宮指針さん」

 

 気持ち悪い。それが、時宮指針が抱いた最初の率直な感想だ。粘りつくような、まとわりつくような、気持ち悪さ。よりにもよって、時宮指針は失敗したわけである。もう終わった「狐さん」に気に入られようとして、『いーちゃん』を狙ったのはただの失敗だった。

 

 いや、ただのではない。完全なる失策だった。

 

 彼女の意識は失墜した。

 

『……へえ』

 

 球磨川禊がそのいーちゃんの戯言具合に感心した途端、いーちゃんは彼女の頭を掴んで、目を合わせる。死んでから、死体としては絶妙なタイミングを迎えている腐り落ちた瞳と、合わせられる。

 

「あなたは、時宮時刻に近いんですね。僕が会った時宮時刻も実はそういう類いの操想術師だったらしいです」

 

 その時宮時刻とは、催眠にも長けていた、「狐さん」が想影真心を制御するにあたってその三分の一を務めた時宮時刻。そう、事実、いーちゃんは西東天の十三階段のうちの一人、時宮時刻を突破してしまっている。最初から、勝ち目など無かったとも言える。

 

「……やっぱり心の問題だったか」

 

 いーちゃんが呟き。時宮指針の頭から手を離し、顔も離す。

 

「結構美人さんなんですね」「!?」

 

 途端、発した言葉に対し、金髪ボブカットの少女が驚愕の顔をする。眼を見開き、見たことを無いものを見るかのような、そんな目線。多少の冷や汗も掻いているだろうか、少なくとも口腔内は乾き始めている。

 

「なっ……まさか、見え……?」

 

「『嫌な奴』なら『嫌な奴』だと思わなきゃいい話でしょう?」

 

「そんな、人間にはしづらいことを、出来るわけが───」

 

 嫌な奴。それが操想術の対象ならば、その対象は生きている人間ならば絶えないことが普通なはず。多少なりとも、嫌だなあと思う人がいる。そのため、この術は本来ならば少しだけであろうと人を揺さぶることが確実なのだ。

 

 だが、いーちゃんは違った。

 何故なのか。と、言うと。

 

「僕は。極端な話、言ってしまえば全部嫌いですよ。嫌ですよ。でも、そのなかで一九年近く生きてきました。『嫌な奴』を『嫌な奴』にしない自己暗示なんて、毎日してるんですよ」

 

「だからって! 時宮の操想術を破られるなんて────」

「いいんじゃないんですか、別に。やっと他人に本来の姿を見られて、良かったでしょう」

 

「!」

 

 その通りである。今まで、妹ですら見れなかった時宮指針の姿が、他人に、見られているのだ。それは、何とも、

 

「……そっちは終わったのかい、球磨川くん」

 

 謎のトリップに入ったらしい時宮指針を置いておき、球磨川禊の方を気にするいーちゃん。この二人とは違い、球磨川禊と時宮刻弥の二人は盛大に肉弾戦をしているため、本来ならば答えられる状況ではないはずなのだが。

 

『え? いやいやいや僕にはそんな話術がないからねえっ!』

 

 そんなことも考えずに喋る球磨川禊。そして安心院なじみ、否、時宮刻弥の蹴りがまともに入る。正中線、腹のど真ん中。若干ばかり中の物が出そうになっているが、噴き出すまでには至らない。

 

「わっはっは、やっとまともに君に蹴りが入ったねえ」

『……僕相手に「まとも」を云うなんて、笑い転げそうだぜ?』

 

 ただ、こちらでもガワしかコピーしないその欠陥が、仇となる。

 

「それがどうしたんだい? 一応僕の操想術は『嫌な奴』且つ『最強』の方なんだぜ。だったら僕は、君に完全勝利を出来るんだ」

 

 確かに、『劣化大嘘憑き(マイナスオールフィクション)』で怪我を戻してはいるが、球磨川禊はまともに入っていなくとも、かなり攻撃を受けてしまっているのだ。幾度となくボロボロになったことのある服が、またしてもボロボロに。

 そしてそのボロボロが一瞬で戻る。が、またボロボロになる。しかし、そんなことはどうでもいい。問題は、時宮刻弥のその迂闊な発言群。こともあろうか相手は球磨川禊。球磨川禊である。

 

 混沌よりも這い寄る過負荷。混沌よりも、這い寄ってくる存在なのだ。そんな奴に、這い寄る理由を与えてしまったのが彼女。

 

『だったら、僕に勝てなかったら君は明日から』『裸エプロンだ』

 

「はっ……球磨川くん、君はまだそれを言うのかい、懲りないねえ。まぁいいだろう、僕が君に勝利を収められなかったら、裸エプロンでも裸ジーンズでもなんでもしてやるよ」

 

『……僕に対して、「完全」を称するなんて、本当に』『片腹痛いぜ、金髪ロリ』

「……え?」

 

 金髪ロリ。そう呼ばれたことに驚く時宮刻弥が違和感を感じた右肩を見ると、螺子。しかし、今まで投げていた螺子と何ら変わりはないプラスヘッドの螺子。それがまるで、彼女の右腕を螺子切るかのように螺子込まれている、

 

『『劣化大嘘憑き(マイナスオールフィクション)』』

 

 ような、気がした。

 

『螺子が君に螺子込まれるまでの時間をなかったことにした』『そして』

 

『君の訳の分からない操想術とやらもなかったことにした』

 

 その言葉を発されてから、数秒の無言が続く。観戦しているいーちゃんも、おお、と言っていてどうやら時宮刻弥の本来の姿を目視できたらしい。そもそもとして時宮指針を破った癖に、時宮刻弥を破る気が無かったというのもどうだという話だが。

 

「!? そっ──そんなこと、を、出来るわけが……ないだろう!?」

『何で?』

「きっ君の能力は理不尽な急速快復だろう! だったら!」

『あははははは!!』『本当に片腹痛いし笑い転げちゃったよ』『いやいや時宮さん。時宮刻弥さん。』『僕は「完全」じゃなくて「負完全」だ。そんなどこぞのアセロラオリオンじゃないんだよ』『「現実(すべて)」を「虚構(なかったこと)」にする───いや、今は劣化してるから全てとはいかないけどね』

 

 だが、時宮刻弥の能力くらいであれば、「虚構(なかったこと)」に出来てしまった。まだ使い始めて二日目であるために、彼自身まだ限度が分かっていない。元々の『大嘘憑き(オールフィクション)』ですら、「虚構(なかったこと)」に出来なかったものがあるというのに。

 

「……そん、な、使い方からして、────」

『その思い込みが君の弱点だね。そして僕は嘘憑き、大嘘憑きだ。』『やれやれ、君の未来が見えるようだぜ』

 

 運絡みとも言える勝利だった。ああ、勝利だとも。球磨川禊が、勝利したのだ。だが、運絡み。それも、相手が間抜けでなければ勝てる見込みなどなかった。運と運と運が混ざった上でのちょっとした、しょうもない勝利。全く、それこそ片腹痛い。

 それを勝利と認めるなど、週刊少年ジャンプファンが許すわけがないだろう。虚しくない勝利など、球磨川禊のモットーのうちではない。勝てたなど、言いたくもあるまい。

 

『また勝てなかった』『とは言えないなあ』『でも』『やっと勝てた』『なんて絶対に言いたくない』『こんなしょうもない感じで勝ちたくないよ僕は』

 

「馬鹿をっ……言え…………!」

 

 一度は膝から崩れた時宮刻弥だったが、どうやら簡単に勝たせてくれるわけではないらしい。例え操想術を消されようとも、相手はいち人間。そして何より、ただ単純に打ち合いをしてのめされただけで、彼女は心が折れていない。

 球磨川禊のいつもの、過負荷(マイナス)としての負越(マイナス)がまだ発動していない。だから、戦闘はまだ終わっていないのだ。

 

「時宮病院を、嘗めるなよ!」

 

『おっと』『これまた』『実直で愚直だ────まっすぐ突っ込んでくるなんて』

 

 しかし、操想術を失った時宮など、その恐怖が薄れてしまっている。加えて、この二人は名前から分かる通り、時宮としては及第点ギリギリの者達であり、何が間違っても少なくともいーちゃんをどうこうできるレベルに達していない。

 

『ま』『それが正解なんだけど』

「は!?」

 

 本当にまっすぐ突っ込んできて、時宮刻弥が彼に膝蹴りを喰らわせたところ、思い切り吹き飛ばされて地面へと後頭部スライディングをキメる球磨川禊。盛大にアスファルトを擦っていったせいで血の跡が酷い──が、すぐにその怪我も血も「なかったこと」になる。

 

『いやー』『まともな肉弾戦とか、僕参っちゃうよ』『どこに打ち込まれても致命傷だもん』『大変だなあ』

 

「どういうことだ……? さっきまでのあの勢いは虚勢だとでも!?」

 

『うんうんそうそう』『虚勢』『良いよねえ虚勢』『なんてったって勢いが虚ろなんだぜ?』『最高だろ』

 

 話が地味に噛み合っていない。いや、噛み合ってはいるのだろうが、歯車で言うのならば本来の型と違うものと組み合わさっているかのような、絶妙に微妙な、そして致命的なズレが起きている。

 時宮刻弥は意味が分からない、という顔をしつつも勝利のために球磨川禊への一方的な暴力をしかけてみるが、そのどれもがクリティカルヒットを成し遂げる。が、無論すべて「なかったこと」にされ、次第に彼女の体力の方が保たなくなっていく。

 

「何……なん、だ…………お前は……!」

 

『いや』『え?』『君、僕の名前知ってたよね?』『能力についても予想してたし』『なのに今更僕の正体を訊かれても困るなあ』

 

 殴れば骨が折れる音がするし、蹴れば皮が裂ける音がする。頭突きをしても頭蓋が割れる音がしたし、叩いただけでも関節が外れる音が響いた。だが、その痛みが「なかったこと」になっているとはいえ平然と。

 

 球磨川禊は飄々と立ち上がる。

 

「いい……もういい……! 私の負けでいい! だから、見逃してくれ! 嫌だ、もうお前とは関わりたくない!」

 

『まだ僕何もしてないんだけど』『その言い草はちょっと不満だなあ』『ほら、諦めは最大の敵だって言わない?』『そういうのは駄目だと思うんだよ』『でも確かに金髪ロリっ子相手に嫌がられるのも嫌だなあ』『じゃあ、そうだ』『もっとこう単純に分かりやすく勝敗を決めようじゃないか』

 

「……何をするって言うんだ…………?」

 

 疲れつつも身構えたままの時宮刻弥と目を合わせる球磨川禊。そのまま視線を下へとズラしていき、一度螺子を螺子込んで螺子切られた服から見える肌を通り過ぎ、その足元まで舐めるように見た。ところで、また顔を上げて。

 

『野球拳しようぜ』

「アホか」

 後頭部にいーちゃんの手刀が直撃。

 

「人目がなくなってるとはいえそんなはたしない勝負を今からするな、僕が困るわ」

『ええー、でもいーちゃんも見たくない?』『裸』『それも徐々に脱いでいくことによってどんなフェティズムが開花するのか分からないドキドキとか』

 

 一応は思春期男児、ふむ、と顎に手を当てて考えてみるが、

 

「いや球磨川くんが負け続けて裸になって終わりだよな? そういう存在だよな君?」

『うっわ本当じゃん』『気付いてくれて助かったぜ、さんくーいーちゃん』

「その言い方は凄まじく友と被ってるから今後絶対に言わないでくれ絶対にだ」

 

 ぽかんと惚けたままの時宮刻弥を放ったまま、虚言と戯言の応酬は続く。球磨川禊が球磨川禊であるだけに、玖渚友を彷彿させるような言動はしてほしくないらしいいーちゃんという新しい一面が見られたが、彼女にとってはそんな会話はどうでもよく。

 ただ、どうしても野球拳を言い出した彼と、それをチョップで防いだ彼を見ていると勝負をするのが馬鹿らしくなっているところだった。要の操想術も「なかったこと」になっているうえ、妹の指針は謎にいーちゃんを見つめたままで無言。

 そのため、身構えるのをやめ、小さく挙手して、それを二人の欠陥品が気付いてこちらを見てくれたところで質問をぶつける。

 

「えっと、どうなった?」

 

 その質問に対し、その二人は互いに見つめ、

 

「こっちの不戦敗で」

『また勝てなかった』『ということで』

 

 話はあっけなくつまらなく終わった。

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