クロスマイナス 『虚言使いと戯言遣い』   作:謂篠弐椎

6 / 11
人生は君自身が決意し、貫くしかないんだよ。
  ──爆発呪術の芸術家 岡本太郎


欠陥製品

 十二月。街はいよいよ冬本場、イルミネーションで着飾った建物達の隙間から意気揚々と定番のクリスマスソングが流れていく日々。おかげで冬至を越えて夜が長い季節だというのに、視界は一向に暗くなくネオンばかりの明るさにぼくは目がやられてしまいそうだった。

 流れていくクリスマスソングを聴きながら、そのクリスマスもあと一日、つまりは今日はクリスマス・イヴなのだなと思いに耽る。今は一つまた請負が終わって、その帰宅途中。今回はまさかの九州まで飛ばされて人を一体何だと思っているんだとしか言いようのない事態に陥ったが、特に何も異変は起きず、何とかぼくは京都の城咲に帰ってきたわけだ。

 

 ぼくが一年を通じて色々あったあの年から、もう既に一年以上経過している計算になるものの、未だこの新しい元骨董アパートを見る度にその色々を思い出す。《満を持しての教習所の普通車卒業検定、ただし大地震による活断層バリバリ》みたいな感じの一年だった。

 

 そういえば、あのよく分からないことが起きたのもこの月だったか。あの時も確か九州だかその辺にまで車を飛ばすことを強要されて、日が変わったくらいで向こうに着いて。で、そこからまた眠い中で車を飛ばすという危険走行をして戻ってきた覚えがある。

 

「狐さんともしばらく会ってないな……まあ、あの人はそれで良いんだけど」

 

 会ったら会ったで相変わらず碌でもないことになるに決まっている。今日、そして明日から明後日にかけての三日間、あの人のような人物に会ってしっちゃかめっちゃかにされることだけは勘弁だ。ぼくはもう今年は友と一緒に平穏に過ごすのである。

 

 とか。

 

 そんなフラグを立てたのが、大間違いだった。

 

「何であいつがここにいるんだよ……」

 

 そのよく分からないことの発端、虚言使い。いつしかの黒い制服は着ていないが、髪型も髪色も身長も体型もそのままなうえ、あの雰囲気は明らかにソレだ。間違えるわけもない。間違えようがない。どうやら、何かを探しているらしいが、これまた狐さんと同じで碌でもない予感しかしない。

 

 球磨川禊。

 

 箱庭学園、だったか──財力その他が玖渚機関に匹敵しかねないと折り紙付きの変人奇人びっくり箱高校に在籍している、頭の螺子が外れた特級ヤバい人物。いや、制服を着ていないということは卒業したのだろうか。彼がそんな年齢であったことがかなり驚きだが……ぼくが言えたことでもない気がする。

 しかしあれは、声をかけた方が良いのだろうか。そうだろうな、一日いただけの男だけどあれだけの印象を植え付けてくれたヤバい奴だもんな、挨拶くらいも絶対にしないぼくはすぐさま帰って友と甘い一時を過ごすともう心に決めたのだ帰ろう無視だ無視。

 

「ま、それを見越して僕から話しかけるのが僕なんだけどね?」

 

 一度ぎゅうと目を瞑り、さあ帰るぞと目を開けて一歩踏み出そうとすると、彼は目の前にまで来ていた。一年前は、僕よりも十センチほど高かった彼の身長だが、どうもぼくが若干ばかり伸びたのか思ったよりも首を上に上げなくて済む。それでも、ぼくの方が小さいのだが。相変わらず身長が小さいのはコンプレックスになりそうである。

 

 それにしても。

 

「……喋り方、変わったんだね。括弧付けなくなったのかい」

 

「もう括弧付ける意味が無いからね」『それとも何かな』『いーちゃんはこっちの方が接しやすいかな?』

 

 変化した部分を指摘すると、そんな風にすぐさま再現してくる。

 

「言葉使いとしては確かにそこそこ好感の持てる遊びではあったけどね……別に良いよ。それで? 何しに京都くんだりまで来たんだい?」

 

 帰路の途中であったため、そのままぼくは歩き出す。と、話しながらでもあったため球磨川禊はきちんとぼくに付いてきてくれる。正直、友にこいつを見せるのは駄目な予感しかしないため、付いてきてくれなくても良いのだが。

 むしろ、遠くから眺めた時は然程前と変わらないじゃないかと思っていたがこうやって直接話しているとどうも彼は彼でかなりの転換点を経ているようだ。雰囲気も、よくよく考えると随分と薄れてしまっている。

 

「僕の過負荷(マイナス)、『大嘘憑き(オールフィクション)』は覚えてるよね?」

 

「覚えてるよ。『劣化大嘘憑き(マイナスオールフィクション)』だとか、『却本作り(ブックメーカー)』だとか、色々持っていたね。確か、「現実(すべて)」を「虚構(なかったこと)」にする能力だったっけ?」

 

 馬鹿げたスキルだ、文字通り戯言だと思いながら観ていた。受けた傷を、誰が対象であろうと因果律を巻き戻して再生。それ以外にもあの時宮の操想術を「なかったこと」にしたり、どこの誰だか覚えていないが思考でき「なかったこと」にしたりしていた、アレだ。

 『却本作り(ブックメーカー)』は封印系統のスキルだったか。球磨川禊という一個体と、何から何までのステータスを同一にするというこれまたふざけたもの。最弱だ最弱だと言っている彼だからこそそのスキルの真価が発揮できるわけだが、どうだろう。それはあくまで彼が()()()弱い場合のみの話だ。

 現に、潤さんは抜け出していたし、球磨川くんの話では他にも抜け出したことのある人がいるらしい口ぶりだった。となると、その弱点は彼も認知しているところなのだろうとも。今更ぼくが注意することでもなさそうだ。

 

 尚、そのスキルの加減で痛みは無いらしいとは言え友に螺子込み螺子伏せたことに関しては許していない。結構根に持つ方だぞ、ぼくは。

 

「ん? 何か言いたげな目だね、喧嘩でも売ってる? 僕、売られた喧嘩は買うけど抵抗せずに気が済むまで殴られた後にその辺の関係ない一般市民に八つ当たりして気を晴らす派だよ」

 

「括弧付けてなくてそれなのか……気のせいだよ。僕だって売られた喧嘩は色々税を付けた上で転売する派だ。そういう世間話は捨て置いて、その取り返しの付かないスキルがどうしたんだい?」

 

 益体のない応酬を止め、さっさと本題に入る。

 

「いやいやそれがねえ、なんと。()()()()()()スキルに改造され(なっちゃっ)てさ。『虚数大嘘憑き(ノンフィクション)』って言うんだけど。「なかったことにした」ことさえも「なかったこと」にできる、っていう」

 

 はっきり言って、驚いた。まさか、取り返しが付くようになっているとは。元から彼のそのスキルの扱い方は随分と取り返しが付かなくなっても良いような使い方ばかりだったが、今までに「なかったこと」に()()ことさえも「なかったこと」に出来るようになるとは。

 不可逆が設定変更で後からも可逆にアップデートされるなど、ゲームの世界でも早々あるまい。大抵、今までしてきたことの取り返しは付かないものだ。それも過去、何年と経っているか分からないものなど。

 

「いや、ついぞ取返しにすら()()()()ようになった、ってところか」

 

「ええ……そんなに背後霊多いの嫌だなあ。美少女なら良いけど。ああでも、こんな日に美少女に日がな一日べったりくっ憑かれてるってバレたらそれこそ何かに憑かれちゃうかな?」

 

 括弧付けなくなった、という割には然程調子の変わっていないように思える。彼の場合、ぼくと違って自分を偽っていたりしたわけではないのだから、括弧付けるも付けないも言うほど変わらないのは仕方ないのだろうか。いや、僕も自分を偽った覚えは無いけれど。

 

 戯言だ。

 

「僕も僕だけど、そういえばいーちゃんもこんな日に何してるんだい? 君は彼女とロリ奴隷がいただろう?」

「段々と健全な美少女奴隷になっているよ。じゃなくて」

 

 危ない、うっかりとんでもないことを言ってしまった気がする。

 

「ぼくはこれから帰るところだよ。彼女のところじゃないけど」

「あれ、クリスマスだってのに彼女といちゃいちゃちゅっちゅしないのかい? 十年来くらいに互いのことを想いやっているようなそれはもう素晴らしい関係性だと思ってたんだけどなあ」

 

 球磨川くんが見た友は一瞬だったはずだが。それも、すぐさま螺子伏せていた覚えがある。聞いた台詞も一つや二つだろう、よくもまあその程度しか聞いていなくてそこまで抜け抜けと語れるものである。流石は虚言使い。

 

「それとももしかして君達はただ単に彼氏彼女なだけで実は()()()の延長線上だったりした? それならきちんと否定してほしかったよ」

「肯定した覚えは無い。そもそもとしてその時に肯定できないよ、彼女じゃなくなったし」

「あれえ? 僕としたことが相手の関係を見間違うとは……詰めが甘くなったかなあ」

 

「プロポーズしてたし」

「そっち!?」

 

 あちゃー、既にその段階越えてたかあ、と額に手を当てて嬉しそうに、自分に呆れる球磨川禊。嬉しそうに? それは答えを外した自分にではなく、どうもプロポーズしていたぼくに対して、のようだ。

 彼は人の幸せを妬み、不幸を愛する人間だと思っていたけれど、それもどうやらこの一年で随分と変化したらしい。取り返しが憑くようになったことといい、括弧付けなくなったことといい、一年前の彼と同じ人間だと思わないくらいが丁度良いのかもしれない。

 

「じゃあそっか、おめでとうだね。素直に祝わせていただくよ」

「ああ、こちらも素直にその祝福を受け取っておくよ」

 

「それにしてもあの子の苗字がいーちゃんに合わせられることになるのかな? となると、呼ばれ間違いが発生しそうじゃない? それとも違う方の名前で呼ぶのかな?」

 

 今度は顎に手を当て、如何にも考えてますよと言った動き。既にそのはったりに近い、見抜いているかのような言葉群は間違いだったという現実が見えていたはずなのに、もうそれは虚構になっているみたいだ。前言撤回、やはりこの男、変わっていない。

 

「その辺りの話はこういうとこでするもんじゃないよ、やめてくれ」

「じゃあ別の話にしよっか。クリスマス・イヴだってのに帰る時間遅過ぎない? 大学生だったっけ。少なくとも学校帰りには見えないぜ」

 

「突っ込んでくるなあ……その通りだけど。大学はもう中退したよ、今はもう別のことを始めてる」

 

 というか、高校を卒業したのならば球磨川くんも大学生だと思うのだが。いや、今こうやってこんな場所で油を売っていることを見ると、どう考えても大学には通っていない。そもそも帰宅の電車賃が無いくらいに懐が寂しい男だ、進学したくでもできないくらいではなかろうか。

 

「へえ。請負人とか?」

「何で知ってんだ本当」

 

 そう。潤さんにはまだ話してないが、ちまちまとそういうことをこなしていっている。まだまだ初心者だし、半人前とすら言えないていどだけど、何とか今のところ食ってはいけているので問題は無いだろう。

 

「人類最強の請負人に憧れて人類最弱の戯言遣いが人類最弱の請負人にジョブチェンジか、戯言だね」

「そうやって人の痛いところをちくちくというかずけずけと螺子込んでくる球磨川くんは、虚言だよ」

 

 割と気にしているところなのに。何とかやれているとはいってもやはり、あの人の万能さ加減には及ばない。ある程度までいけたなら、あの人に話して色々と協力し合うというのも夢だけど……いや、世話焼きなあの人のことだ、既に知っていてそのうち僕に生死ギリギリでクリアできる請負を取ってきて投げ付けてきそうな気がする。

 前に球磨川くんを送った時も、請け負うんだぜだの何だの、そういうことを把握しているかのような物言いだったし。確かに先んじてライバルになると言ってしまったぼくが悪いが請負人になることまで把握されているとは思わなんだ。

 

「でもそれなら結構良い偶然だね」

 

 ふと、気分でも変えたのか、という風に彼はそう言う。本当に良い偶然だと思っているというか、それこそ、丁度良い、というか。前の彼ならばぶった切って本題と虚言をまぜこぜにしてくるところだろうに。

 根底が変わってないだけで、本当に外面の表面のそういうところは変わっているみたいだ。根底が変わってないだけで。その根底が結構な問題点だったりするのだけれど。

 

「今その『虚数大嘘憑き(ノンフィクション)』で今まで迷惑をかけた(「なかったことにした」)人達(こと)水に流してもらっ(「なかったこと」にし)ているんだけどさ。今のところ全員断られちゃってるけど」

 

 そんな全国ツアーをしていたのか、彼は。しかし、移動賃すらない彼だ、迷惑をかけたと言っても範囲は知れているだろうし人数も知れている。そうなると今頃京都という、九州から考えれば日本を半分も進んでいない場所で燻ぶっているのは少しおかしい。

 

「一年も経ってるんだからもう終わってそうなもんだけど」

「時宮、だっけ? あの人達が見つからなくてね。あと、君も知っているであろう、よく分からない誰かも、ね」

 

「ここが最後なのか」

「そういうこと」

 

 ならば納得である。にしても、彼は確か闇口とも会っていたはずだが、そこには『大嘘憑き(オールフィクション)』とやらは使わなかった、ということなのか。さしずめ小唄さんが盛大に、否、十全にやってくれたのだろう。

 にしても、そうであれば確かに良い偶然だ。あれから一年経って、あれの始末を付けに来たところにぼくが遭遇する。変な偶然とも言う。が、そうなると下手をすれば潤さんも、それどころか狐さんも現れそうでとても帰って欲しいというのも本音。

 

「そして偶然にもぼくが請負人を始めたから時宮……えっと、刻弥(きざみ)さんと指針(ししん)さんを探して欲しいと」

 

「と、誰か、ね」

 

「それは難しいぞ……その誰かの何から何までの記録を「なかったこと」にした君が悪い。誰か分からないと流石に探せないよ。それにまず、その誰かに謝ろうにも「なかったことにした」ことを「なかったこと」にしてからじゃないといけなくなるじゃないか」

 

 その誰か、男か女か大人か子供かすらもう分かりはしないが、その誰かとコンタクトを取るにはまずそこから始まる。コンタクトを取る頃には、彼の『虚数大嘘憑き(ノンフィクション)』はもう発動してしまっているのだ。今のところ一度として使っていない、そのスキルを。

 

「いっそそれが出来たら楽なんだけどねえ。誰かが誰なのか分からないせいでスキルの使いようがなくてさ。ま、その誰かは二の次で良いから、時宮さん達は任せるよ」

 

「…………今からかい?」

「来年の三月までかな、いや、年末までかな。あと三人だけなわけだし、誰かを抜いてもあと二人だ。それだけの数ならもうすぐにでも見つけにいきたいくらいだからね」

 

 今からじゃなくても良いというのは安心した。何せぼくは今も足を動かして、あの元骨董アパートへと帰ろうとしているのだから。球磨川くんが付いてこようと関係ない、とにかく帰宅することが重要なのだ。

 

「それにそりゃあ愛してる人とのらぶらぶを邪魔するつもりなんてないよ」

「その心がけは有難いけどそれならそれで付いてくるのをやめるわけじゃあないんだね」

「何となく気になるから」

 

 変わっていない根底はそこもか。邪魔をするつもりはないというのだから一目見れば帰るのだろうが、それほどにまで気になるものか。というか、帰るってどこに帰るんだ?

 

「野宿かい、君」

「どうだろうねえ、少なくとも今夜はちょっと出歩くつもりだけど。僕にとってもクリスマス周辺って言うのは、そこそこ、思い入れの深い日だからね。間違っても誰かと過ごしたい日じゃないのさ」

 

 クリスマスなのに、誰かと過ごしたいわけではないのか。もしかすれば、彼は彼で何かしら、恋愛で大きなことがあったのかもしれない。彼女を取られたのだろうか? いや、彼に限って彼女がいたとは正直思えない。片想いの相手が、存分に幸せになったところを目撃したとか? それともその人の分岐点だったのか。

 ぼくよりも確実に深い理由がありそうだ。だからと言ってここでぼくが「そんなに大事な日なのかい?」とでも聞いた途端、「財布を落とした日だからね」という風なしょうもない虚言が帰ってきてぼくが「どうでもいいよ」と叫んで終わり。そういう戯言みたいな男なのだ。

 

「正直本音を言うと君が友と会うことを許容したくないんだが」

 

「まあ友ちゃんは絶対に僕に会いたくないだろうね」

「馴れ馴れしく呼ぶなぶっ殺すぞ」

 

「おーこわいこわい。どっちにせよ僕は玖渚さん……いや待って、どっちにしろ君と被るんだから下の名前呼びしないとどうしようもないよね?」

「本当だ!?」

 

 迂闊だった。これは迂闊過ぎた。そうだ、苗字を合わせるのだから友は誰からも友と呼ばれてしまう。畜生、これは考えていなかったぞ、罠過ぎる。まさか合法的に呼ばれたくない奴等から呼ばれるしかない状況に自ら陥らせてしまうとは、ぼくは馬鹿か?

 

「じゃあ奥さんで」

「それはそれで恥ずかしいからやめてくれ」

 

 元骨董アパートへと、踏み込んだところでそう言っておく。全く、何が好きでこのような男を友にまた会わせなければいけないのか。多少はその過負荷(マイナス)具合が薄れているようだが、根底は変わっていないのだからご察しだ。

 

「でも今夜と明日の夜は俗に言う甘い夜を過ごすんだろう? なら間違っていないと思うんだけど。それとも何、何もしないの? ナニも?」

「そういう意味深な言葉をぼくに投げかけるのもやめてくれよ、ぼくはそこまでメンタルの強い人間じゃないんだ」

 

「逐一注文が多い人だねえ。一概に人の物になってないとでも? 喜びなよ、今の君達は充分に幸せなんだから。君達はそれを味わう位置にいる。外になんか立っちゃいないぜ」

 

 括弧付けてない割には、恰好付けたことを言うらしい。嘘に憑かれている彼だし、取返しの憑く彼だし、もしかすればと勘繰っていたがやはり恰好もなんだかんだ()()()しまっているのだろう。

 そんなことを考えつつ、ぼくの部屋の前へ。一応インターホンを鳴らしてから鍵を開けて、扉を開けると相も変わらず反応の速いことで、既に彼女は玄関に立っていた。一年経っただけなのにあの蒼い髪も瞳も雰囲気も、随分と落ち着いたものである。ただ、片目だけあの頃の蒼さを保っているか。

 

「ただいま、友」

「おかえり、いーちゃ────」

 

 しかし彼女の言葉は途中で途切れる。

 無論別段、後ろに控えている球磨川禊が螺子を散々に螺子込んだわけではない。そんなことをしなくなった彼なのだ、というか本当に何もしていない。が、彼が視界に入った瞬間に友の顔つきが変わったのである。

 具体的には眉をひそめたしかめッ面。とても彼女には似合わない感情の表情である。この一年、徐々に彼女の様々な感情を色々な表情で見てきた覚えがあるが、それにしたってここまでのものは初めて見る気がする。

 

 うん。

 

「気持ちは分かるがだからって無言で扉を閉めようとするのはやめてくれないか友!?」

「やだ! 見たくない! 絶対に関わりたくない! 早く捨ててきてソレ!」

 

「拾ってきたわけじゃないから! 単に顔見たいって聞かなくて勝手に付いてきただけで家に上げる気なんてさらさらないから!」

「すっごい酷い言われ様だね、本当……この一年間、時たま僕のことを思い出しては罵倒してたんじゃないかってくらいだぜ」

 

 扉を引いて閉めようとする友と、隙間に片足を入れて何とか扉の閉まりを止めた上でこちらも扉を引いて開けようとする僕。その応酬を見て、球磨川くんはそんなことをぼやいていた。

 尚、ぼくはそんなことは断じてしていない。というか正直忘れていた節がある。記憶力はあまり良くないのだ、思い出せる時ならば鮮明によく分からなく思い出せるあの日だが、忘れているときは全く頭に出てこなくなる。

 ただ勿論、友を螺子伏せたことに関してはいつまでも覚えているし許していない。そしてそれは友も同じらしく、だからこそ今こうやって球磨川禊という存在を力いっぱい拒んでいるのだろうが、

 その力いっぱいは急に萎れてたのか、ぼくが扉を開けることに成功した弾みで彼女はぼくの胸に飛び込んでくる形になる。僥倖と言えば僥倖だが、やろうと思えばいつでもやれること、これのためだけにわざわざ球磨川禊との再会を僥倖の理由にしたくない。

 

「話し方が…………変わってる……?」

 

 どうやら、友もそれに気付いて力が抜けたようだ。あの時、ぼくよりも彼に対しての事前知識があった彼女なのだから、あの括弧付けた喋り方と性格、言動諸々は色濃く記憶に刻まれていたのだろう。それが今、覆っていることに驚きを隠せないといったところ。

 

「あはは、僕は僕で色々あったからね。それにしても、それが今の君達の幸せ(かたち)か。良いねえ、久々に良いものを見たよ、僕は。さてそれじゃ、一目見て満足したし、僕はまたそこら辺をほっつき歩いてくるとしようかな。あ、いーちゃん、時宮さん達のことが分かったらまた連絡してくれよ」

 

 呆けたままの友と、見たことのない、それはもう幸せそうな笑顔をしてぼくらを褒めた球磨川禊を見て呆気に取られていたぼくを放置して、彼はつかつかといなくなった。根底が変わっていないとは言ったが、だからと言って外面が変わり過ぎだろう。あんな笑顔、彼が出来るとは微塵も思っていなかった。

 

 そして。

 

「君の連絡先知らないよ…………」

 

 この請負には、重大な欠陥があったのだった。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。