──「ネロの五年間」の背骨 ルキウス・アンナエウス・セネカ
今年の冬は実に冷え込み、どれだけ服を着込んでも寒さを感じられる。しっかし、何だ。今日は確かクリスマス・イヴとかだったか……ああいや、もうてっぺんを回っているし日付自体はクリスマスなわけだ?
「ったく、そんな日頃に俺はなんでこうして外を出歩いてんのかね」
しかも何となくで京都なんつーとこにまで来ちまってよ。いつぶりだ、こんな場所に来んのはよ。去年の十月だかそこらでかの欠陥製品野郎を助けたとき以来、か? いや正直覚えていない。もしかしたら記憶に無いだけで一か月前もいたかもしれない。
自分でも把握しきれない自分の行動ってのは流石にどうにかした方がいいかもしれないな。こんなんだから色んな奴に変な心配をかけるってんだ、自粛できる気はしないが自粛できるよう頑張らせていただこう。
そういえば、心配じゃなく迷惑をかけまくるタイプである欠陥製品君のアパートだか何だかも確か今いる市の中にあったっけか。会いに行こうとは全く思わないが、遭遇したくないとまでは言わない。
どうせ無関係な他人だ、そんな頻繁に鏡を覗かなくたって良いだろう。それに正直会うならあの馬鹿げた人類最強みたいな高身長美女の方が良いな。もしくは捨てられて彷徨ってる野良犬。似たような奴よりも好きな奴に会いたいもんだぜ。
とか。
そう、頭の中でぼやいていると、俺の視線の先には一つ、割と目を背けたくなるような意味不明な存在が。何だ? アレは。白シャツに黒ズボンだけの、お洒落の欠片も微塵と無い服装なのは置いとくとしても、だ。
人類最強さんと人殺しをしない約束をしてから随分と経つが────ここまで、日頃殺されていそうで、殺しても良さそうで、殺しても問題なさそうな存在を見たのは初めてだ。欠陥製品は違う。あいつは、殺さないといけなくなっちまいそうな存在だ。が、今俺の視界が捉えている奴は、殺さなくても殺しても変わりないような。
何をしても、どうにもならなくなるような。虚しくなるような。そんな印象を、受ける。
「うん? どうしたんだい、そんなに僕のことをじっと見つめて。もしかして僕のファン? お洒落ガンバリストくん」
「何だお前!?」
何故その呼称を知っていやがる!?
違う、それも驚きだが驚きべきは俺の方を見ていなかったにも関わらず、そこそこ遠い位置にいたにも関わらず、意識の隙間を縫って突然俺の目の前にまで移動したことだろう。人体に不可能なことではないが、だからといって普段から炸裂させるような術じゃない。
「僕は球磨川禊。何でもない、ただの
……マイナスとは何だろうか。それを自己紹介に使った辺り、欠陥マンの類なのは分かる。あいつのは確か、戯言遣いだったか。かはは、傑作過ぎる。そういうとこまで似てんだな、こいつ。
鏡に映されたものを絵に描くたあ不可思議な現実だが、写真を撮られることだってあんだから不思議な幻想ってほどじゃあない。にしても、こういう存在がまだいるとは全く以て驚きだぜ。
「そうか。俺は零崎人識。何でもない、ただの人間失格だ」
「なるほど。よろしく、ぜろりん」
「本当に何だお前!?」
何故その呼称を知っていやがる
その呼び名をする奴がこの世に二人もいるとか御勘弁願いてえ! そして何故だが分からんが確実にこいつはその系統の呼び方をする気がする! それそのままではないだろうが確実に俺にとっちゃあ不本意な呼び方で。だ!
「だから僕は
ほらな!
「初対面だってのに馴れ馴れしい奴だなホントよお……」
「そう? そんな気はしないけど。こう、毎日通勤通学の電車で、窓越しに視線を合わせてしまういつもの人みたいな、そんな感じがするけれど」
「言い得て妙だな鏡映しの似顔絵野郎。ったく、お前アレか? 欠陥製品と知り合いか?」
「欠陥製品って?」
素直に聞き返してくる。無駄に知りもしないであろう呼び名を知っていたあたり、こちらが適当に呼んでいる相手のことも把握してくれるもんだと思っていたのだが案外そうでもないらしい。
まあ、普通こんな言い方されて誰だが思い至るわけはないわな。何にせよばったり初めて会った奴に俺は何を期待してんだって話だ、全くって言うならこれこそ全くだ。俺も随分と他人を変な風に信じるようになっちまいやがって。
「あー、何だったかな。い……いー? やべえ、あいつの名前本気でど忘れした」
欠陥製品と呼ぶことに執着していた時期があったせいで忘れちまった。「い」から始まるのは確かなんだがな。何だったか。いっくん? いっきー? いーたん? いの字? いのすけ? いー兄? いーいー? いやここまで色々思い当たる節があって何で俺は出てこねえんだ。
「ああ、いーちゃんのことか。さっき会って来たところだよ。らぶらぶするらしいから冷やかしてきた」
「思ったよりも細部まで首突っ込んでんなお前…………」
らぶらぶって何だよ。言葉で言うより可愛くなくてもっとエゲツない生々しい何かな気しかしてこねえその単語、逆に傑作だぜ。しかもあいつがそんなことをするのか、確かにそれは冷やかしたくなる。見物とも言う。
どうせあの赤色ならそのことも知ってんだろうし、もしまた会う機会でもありゃそん時にでも訊いてみるか。そのもしがもし過ぎて会わない可能性の方が高いんだけどな? ま、そこはそれ、なるようになってくれや。
「それで? 俺なんかに言われたくはないだろうけど、あんたはあんたでこんな時間に何でこんなところほっつき歩いてんだよ」
「んー、囮? 餌? 前にここに来たときは僕目当てで来てくれた子がいてね。もしかしたら、一年経った今でも適当に夜中に、それも一人で歩いてればそういう人から襲ってきてくれるかなって」
こいつ目当て? で襲ってくる? 何だそりゃ。こんな奴、間違っても殺したくねえ。殺しても良いとは思うが、殺したら最後、その後の人生がしっちゃかめっちゃかにされてこっちの精神が殺されそうな奴だってのに。
つーか。
「殺し名のこと言ってんのかソレ?」
「殺し名……ああ、そういえば似たようなものらしいね。闇口だとか、アレでしょ? 闇口さんはたまたま巻き込まれただけだから違って、僕が用があるのは時宮さんなんだけど……何だったかな。呪い名、だったっけ」
どうやらどっちにも面識があるらしい。それにしたって、流石は絵か。一つずつとは言えどっちの集団にも会ったことがあるうえで俺を引き当てるか。それもほぼ偶然、自分からそれらと会うことを目的としている時に。
「呪い名で合ってんな」
「お? 何々、もしかして知ってたりする? 時宮
「残念ながら知らねえ。まず俺はどっちかっつと闇口衆の殺し名関連の人間だ、それに時宮はちと知り合いにいづらくてな。そいつらに会ったら殺せと言われてる奴が知り合いにいるもんでよ」
殺し名と呪い名の対極、というやつだ。仲の良いとこもあるが、こと時宮とその対極である匂宮は相性が悪過ぎる。言った通り、匂宮の奴等は時宮を見かけたら問答無用で殺戮を始めるくらいに仲が悪い。
尚、零崎たる俺の一賊にはその対極が存在しなかったりする。ただ、まあ、
「なあんだ、知らないのか、それは残念だ。…………いや。案外、残念じゃないのかも?」
「人から残念て言われるのはちと嫌だが、撤回してくれんなら良いや。だが何で撤回した? 別段俺は今あんたに有力な情報を何一つとして追加してないと思うぜ」
まともに他の奴等とも連絡を取っていた零崎が生きていたならそりゃあ確かにこの球磨川禊とかいう野郎に協力できるかもしれないが、俺にそんな伝手はないし、協力する気もはっきり言ってない。
残念と言われて仕方が無いうえに、がっかりだなんて言われても文句は言えないくらいの立場だぜ。なのに何故か、この男はそれを撤回した。特に何かしらの情報が今の俺の言葉から把握できたわけでもなし、何ぞや周囲にそういう奴が現れたわけでもなし──────いや、そこは否定しよう。
現れていた。
三本ほど離れた街灯で照らされた地面に立っている。闇との区別がつかない黒髪に光の反射が講じたのか生気のない白色の肌。そして、『死神』の名に恥じない黒い外套をはためかせ、無駄にでかくて機動性も悪そうな
「石凪調査室…………」
「やっぱり誰か寄ってきてくれたね。もしかしたら人識ちゃんも一緒にいたから寄ってきたのかもしれないし、って思って撤回したんだよ」
俺だって恐怖は感じていないし、至極冷静だが。それにしたってこいつのおちゃらけ具合はとんでもないな。相手は『死神』。こともあろうか、運命に背くから。生きているべきでないから殺す、殺し名だぞ。序列七位、最下位とは言ったってこいつらだけは別格で特権階級そのものだ。
そんな奴がわざわざ来たってことはつまり、殺しに来たってことで。ああ畜生、どうするか。この男狙いならまだしも、万が一俺まで巻き込まれてみろ。流石に石凪相手に殺さずして振り切れるか正直自信は無え。
「やあ、えっと、石凪さん? 僕は球磨川禊。ちょっと尋ねたいことがあるっていうか、訪ねたいところがあるんだけど」
そして普通に質問をするか普通。不通過ぎんだろ。思い通りにならなさ過ぎる、本当に何なんだこの男。
「私の名前は石凪
「なあにそれ。生きてちゃいけない人間なんている? 僕は全く心当たりが無いぜ、そんな奴。全員生きてりゃ
そしてその調子のまま、何も臆さず一歩前へと出る。おいおい、こいつ正気か。流石にどんな奴でもあの大鎌持ってる馬鹿見たら驚くか怖がるかするだろ。笑いながら近寄るとかどこの真紅だよ、お前から出てる雰囲気はむしろ真逆だろうが。
「おい、あんまり近付くのは得策じゃないぞ」
殺し合いならばともかく、話すのであれば特に。何せ相手は殺しに来ているのだ、話を聞く必要性は皆無。今だって、制止だか静止だか知らんがあの石凪が唐突に動いて球磨川禊の首を刈り取る未来だって十分にあり得るのだから。
「あはは、その辺は大丈夫だよ。僕は命とか色々捨てがちだけど、拾えないわけじゃないからさ」
説明になってねえ。どういうことだ。
「ま、でもちょっと用心はしとこうか」『大体、命を軽く見てる人なんて一握りさ』『何だったら僕が命をどれだけ重く見ているか』『この身体の
喋り方が少しばかり変わったか、と思った頃には本当に球磨川禊の首は飛んでいた。眼にも止まらぬ速さでその大鎌は横一線、まさに一閃。綺麗な首切り死体の出来上がり。血液の出方も素晴らしく美麗としか言いようがない、噴水。
しかし、その首は地面に落ちた音がしなかった。
どころか、血だまりすら出来ていないし、彼の服には血痕も付いていない。それにまた一歩踏み出し、不敵に嗤う。傷跡なんてものも無ければ首も切られていない、皮一枚ではなくまるごと肉がくっついている。首を切られたのが嘘だとでも、なかったことだとでも言うかのように。
おいおい、流石にそれは、傑作度合が過ぎ過ぎている。
『『
「んなとんでもスキルがあるなら最初から言え……心配するこっちの身にもなってくれよ」
「おっと、それはごめんね。最近誰かに見せる機会もなかったからね、この
またしても話す調子を変えてちゃんと謝ってくる。何だこいつとは何度も言っていたし思っていたが、ここまで来るといよいよ意味すら分からないな。体質とかそういう
「じゃ、久々の説明といこう。僕の
「……時間の遡行ってことか?」
「難しく言うとちょっと違うけど因果の越え方は近いかな。僕は何でも
そうなると、実質殺すことは不可能じゃないか。これまた、ここに来てとんでもない野郎が現れたもんだぜ。殺し名の天敵も天敵、言うなれば「死なない」存在。それを殺そうっつう石凪が目の前にいるのに、だ。何の偶然なんだか。
「だから、何だという。それならば、殺し続ければ良い話だろう」
石凪調査室の人間はそんな見解を述べる。本来ならば零崎姓の奴でもそんなことは出来るわけがないんだが、『死神』の名は伊達ではないと言いたいところなのだろう。もしかすれば石凪調査室の室員全員を呼んで交代々々、永遠に殺し続けるつもりなのかもしれないな。
そしてそのためか、また一段と速度を上げて球磨川禊へと鎌を振ろうとする。
が。
「『
身も蓋もないものを「なかったこと」にする。
「エモノを取り上げるたあやってくれるな。さしもの石凪さんでもこりゃあ手の打ちようがねえか?」
素手で人間一人を殺し続けるなんて真似、確実にその手が壊れること間違いなしだ。俺なら『
「構わん。それならそれで──────」
「しつこいなっつったんだよ。生きてはいけない? 馬鹿か、このやべえ野郎は生きてはいけないわけじゃない。『死神』ならしゃんと見極めろや」
生きてはいけないと思ってしまうような野郎は別にいる。この球磨川禊という男は、そいつに似てはいるがそうではない。違う。生きていなくても良いんじゃないか、とは確かに思わされるし殺してしまっても良いんじゃないか、とも思わされる、が。
それは生きてはいけないというわけではないし、殺さないといけないわけではない。そもそもとして殺すのをほぼ不可能にするかのようなスキル持ち、早々に諦めるのが正解のはずだ。何がそこまで殺意を加速させるんだか。
「まだそれでも目が曇ってるってんなら俺が相手してやる。生憎、こちとら殺人することを禁じられてる身だが、ま、少なくともてめえのその腐った目玉くらい抉って解して並べて揃えて晒してやんよ」
「そういうのめんどくさいから良いってば」
相手を見据え、ナイフを構えようとしたところ、唐突として目の前の男はいなくなった。
は?
え、おい、今度は一体何を「なかったこと」にしやがったんだこいつは。折角俺が傑作にキメて恰好付けたってのに、何てことをするんだ。
「『
「それは良いけどよ……」
つまるところ、あいつの存在自体を「なかったこと」にしたらしい。死んだと言っても良いだろう、死体は無いが。そう考えると完璧な殺人だ、とんでもねえな
しっかし、あっさりと人を殺したわけだがそれで良かったのだろうか? 何せそのスキルは「なかったことにした」ことは「なかったこと」には出来ない、取り返しの付かないスキルだとか何だとか言っていたじゃねえか。
いや、言っていなかったか。
今こいつが使ったのは『
こいつ、そういうスキルを一体いくつ持ってんだ? バリエーションが既におかしいだろ。「なかったことにした」ことが「なかったこと」になるスキルってんだから、自在じゃねえか。時間制限があってその時間を変えられないっつう欠点はあるみたいだが、それだけだ。それだけで相当なアドバンテージになる。
やろうと思えば自分の存在をそんだけの時間だけ、「なかったこと」にして相手を翻弄するなんていう馬鹿げた真似も出来なくはないだろう。自分を「なかったこと」にすると、死亡判定が出てスキルが曖昧になっちゃったりするのかもしれないが、可能性はある。
「そんなふざけたもんを持ってる癖に体力はカッスカスたあな! 傑作にも程があんだろうよ!」
「いや……本当…………運動とかまともにしたことなくてさ……うん…………高校の体育の成績も、全部サボってたから危うく留年を喰らうとこだったりしたよ……」
今は球磨川禊を担いで走っているところ。何でもその時間制限は三分らしく、それでかなり離れてくれとかなかなかに酷い要望だ。そして俺の方が身長が低いというのに担がせるとはどういう了見だ。馬鹿馬鹿しいぜ。馬鹿らしくなってくるぜ。
「ああ…………うん、これだけ離れれば十分だよ……ありがとう、人識ちゃん……」
「そう思うならその呼び名は改めて欲しいとこだが」
言われたところで止まり、降ろす。場所は奇しくも欠陥製品と出会ったあの橋だ。確か四条大橋だとかそんな名前が付いていたか。正確には邂逅したのは橋の下だが、まあそれなりに思い出浅い。
「んで、こっからはどうすんだ。時宮を探してんだろ? 石凪が来たのは驚いたが、あの調子じゃあ次どこが来たって話に取り合ってくんねえぞ」
「あはは、やだなあ。何日かいればきっと誰かは取り合ってくれるよ。一応いーちゃんにも請け負ってもらってるし、問題ないさ。なんとかなるって」
「何もなんとかならなくなりそうなのがあんただと思うんだが……ま、俺の与り知るとこじゃねーな。それなら俺はここでお別れかい?」
口惜しい気もするが、気がするだけだ。気の迷いレベルの。あの欠陥製品と同じで、俺とこいつもあまり長く一緒にいる意味が無い。むしろどんどん悪化していく予感がする。制約付きとは言え殺し名である俺と、殺されても殺されても殺されないこいつ。
とんだ戯言だな。
「そうなるねえ。また会うことがあればよろしくだぜ、ぜろりん。次は良い傑作を見せてくれ」
「ああそうかい。もう会いたくねえよよろしくしねえ、禊ちゃん。次も悪い大嘘に憑かれてろ」