千年生きる妖怪が、千年前のことを覚えているかと言えば、そういうことはない。
百年生きない人間が、つい一週間前の夕餉のことも思い出せないように、千年生きる妖怪にとって千年前のことなど遠い遠いおぼろげな記憶に過ぎない。
けれど、それでも百年生きない人間が幼少の頃を克明に思い描くことができるように、千年生きる妖怪も、千年前を鮮明に覚え続けることもある。
私もまた、千年前のことを忘れられずにいた。
あの日の空の色も、風の匂いも、誰も聞くことのなかった慟哭も、誰にも聞かせられなかった絶望も、全て、全て、私は忘れられない。
千年前のあの日。
この世に悲しいことなど何一つないのだとでもいうような鮮やかに青い空の下、瑞々しく青臭い木々の匂いをのせた風の中、声にならない慟哭と声にもできない絶望の中、聖白蓮とそのはらからは、深い地下へと幽閉された。
尼僧聖白蓮が妖怪を匿っているという噂は、誰が広めたというわけでもなく、誰が迂闊だったというわけでもなく、いつしか人々の口の端に上り、そしてその度に窘められていた。だが時がたつにつれ噂は堂々と語られるようになり、窘める声も控えめになっていった。
何度となく真偽を確かめるべく人々は詰問に訪れ、その度に聖は言葉の力と誠意のみをもってこれを退け、人々もまた一応の納得をもって日々の生活に戻っていった。
しかしそれがいつまでも続くものではないということは誰もが知っていた。他ならぬ聖白蓮でさえ、どうか続いてくれと祈りながら、願いながら、それでも刻一刻と迫る最後の時を、日が上りまた沈んでいくことと同じほどに確実なものと悟っていた。
妖怪たちもいつかのその時を恐れてあるものは去り、あるものは備え、あるものは目を逸らした。
ほとんど無神経と言っていいほどの盲目の信仰をもって永劫の平和を信じていたのが、旗印たる毘沙門天代理だけだったというのは皮肉な話だ。
毘沙門天の代理として、その力の証たる宝塔を与えられた寅丸星は、代理としてこれ以上ない程優秀な妖怪だった。寅丸は何も考えないからだ。ただ聖の教えに従えば、世はなべてこともなしと心の底からそう信じている無能だった。だがそれでいい。代理に個性も自主性も要らない。要るのはただ鏡のごときまっさらなおつむだ。
寅丸は完璧な偶像だった。
ただ聖の教えに従うばかりの、何も考えていない微笑みは、衆愚からすれば悟りというものはかくあるものかと錯覚させるにふさわしい美しさと気品とを持っていた。
顔がいい女というものはつくづく恵まれているものだ。もっとも私は、そんな中身のない顔面など欲しくもなかったが。
毘沙門天代理の監視という任務は、失敗が前提の左遷先だ。
誰も彼も、どんな聖人も俗人も、その重みに耐えかね道半ばで力尽き、或いは与えられた力を己がものと自惚れて溺れ死に、また或いはその威光を求める者どもに引き裂かれて千々に消ゆ。
私も所詮は野鼠の成り上がり。縁故のあって天につなぎも得られたが、天にあっても所詮鼠は鼠。期待に応えようと精々賢く立ち回ろうとしたが、結局は賢しいドブネズミが関の山。妬まれ嫉まれ足を引っ張られ、気づけば失敗に次ぐ失敗でこんな閑職だ。
だが私は諦めてなどいない。
まだ絶望的ではない。
私の引いた札は最良に近いものだったのだから。
寅丸星は完璧な偶像だ。重みを重みと気付かず、己に与えられた力を聖白蓮の信仰故に与えられたものと信じ、威光を求める愚か者を一蹴できる力ある妖怪。そして、自分の頭では何一つ考えることのできない白痴の極み。
聖がどうなろうと、この札だけは何としても守らなければならなかった。
私は噂が大きくなるにつれて、徐々にそこに調整を加えていった。
妖僧聖白蓮の魔性を語り、毘沙門天の威光をかさに着ていると流し、いまこそ御仏におすがりするほかにないと嘯いた。
確かに一つのものである妖怪寺を、聖と寅丸とに二分し、私は悪意を寅丸から逸らし続けた。
そうしてその日、私は見事札を守り切った。
妖怪寺はついに包囲され、退魔師が、払い屋が、拝み屋が、聖とその仲間たちを囲んで封印の儀を施していく。
妖怪たちの多くは逃げ、残ったのは聖に心酔する少数のみ。そして聖は、言葉をもってこれに応え、誠意をもって応じ、そしてそれが伝わらないのであればと、歯向かうことなく膝を折った。まったく聖人気取りもご苦労な事だ。
皮肉なことに、封印に必要な大掛かりな霊力は、最も近場の神霊の力を借りた。
つまり、毘沙門天の代理たる寅丸星から。
聖にあとを任され、衆愚から祈りを捧げられ、微笑みのままに封印を施した寅丸の後ろで、私が吹き出さなかったのは誰かに褒めてもらいたいくらいの快挙だったと思う。いやまったく、頭の中が空っぽだなんだと散々に言ったが、ここまでとは思わなかった。自分の飼い主を自分で封じるほどとは。
すべてが終わり、人々が宴に盛り上がる中、いつもの勤めとばかりに本堂へと向かう寅丸の後に続きながら、私は守り切ったこの札をどう生かすかということを考えていた。
聖白蓮は博愛の過ぎた理想主義者だったが、しかし住職としてはあれほど立派な人物はそうそういない。あそこまで高徳のものを望むのは高望みというものだが、腐っても毘沙門天の代理、生半のものを持ってくるのは少々格が落ちすぎる。
こうなればヤサを変えることも考えた方が良いかもしれない。
そのように考え事をしていたせいだろうか、私は不意に立ち止まった寅丸の背にぶつかり、たたらを踏んだ。
「ナズーリン」
「な、んだい、ご主人。急に立ち止まっ」
「人とは」
寅丸は穏やかに振り返った。
その微笑はいつものまるで中身のないままに固定され、その言葉にも何らの功徳も感じられない、空っぽの人形のままに思えた。
しかし私は、相手がそれでも長きを生きた妖怪であるということを失念していたようだった。
「人とは、ひととは、かくのごとく、かくのまでに……っ」
さわさわと、大気の強張る音を確かに感じた。
息苦しくなるほどの圧迫感に、しっぽの先まで縛り付けられるほどの恐怖を感じた。
「こ、ここまで、ここまで、ひとは……ひと、は……っ」
それは、
怒りが、憎しみが、失望が、絶望が、そして何よりも嘆きが、言葉にならない言葉となり、言葉にできない言葉となり、ひゅうひゅうと寅丸の喉を溢れては消えた。
それは吐き出すことのできない失望だった。
それは吐き出しようのない絶望だった。
なぜなら、それでも寅丸星は。
「すくわねば、す、すくわね、ば……っ」
聖白蓮の弟子であったから。
ふわり、とその額が裂けるように、鮮やかな蓮の花が咲き誇った。儚くも光を放ち、弱弱しくも花弁を開き、美しく蓮の花が咲いた。
蓮は泥中より出でて清らな花を咲かす。
今宵寅丸は、地獄を煮詰めた絶望の内より、それでもなお衆生を救わんとする聖白蓮の、その蓮の花を咲かせた。
腰を抜かす私を置いて、寅丸は本堂にこもった。
その晩、寅丸星は命を絶った。
どうする。
どうしたらいい。
どうしたら。
どうしたら。
寅丸星の遺骸を山中に埋め、本堂を清め、残された宝塔を手に私はひたすら自問を繰り返していた。
だがもちろん答えなど出るはずもない。
しかたがないだろう。こんなことになるなど思いもしなかった。
こうならないように尽くしてきたというのに、何もかもが私に悪い方に転がっていく。
聖がもっとうまくやっていればこんなことにはならなかったというのに。
寅丸がもっと愚かであればこんなことにはならなかったというのに。
それなのにそれなのに、一番苦労した私ばかりがこうして取り残されて、こんな目に遭うなんて!
ああ、しかし嘆いている暇などない。
どうすればいい。
こんな失敗を報告すれば、私のお先は真っ暗だ。
今でさえ左遷された先の崖っぷちだったのだ。
その崖から落ちたらもう私に行く当てなどない。
出世など夢のまた夢。
最後の逆転の目が毘沙門天の代理の育成だったというのに。
こんな、こんなこと報告できるものか!
「……報告、できるもの、か?」
そうだ。
報告しなければいい。
失敗などなかったのだと。
ああ、いや、しかし定期報告はいる。
しなければ怪しまれる。
では欺瞞報告を?
少しの間はそれで誤魔化せるだろう。
十年、二十年、しかしいつまでもつ?
ああ、くそ、寅丸さえいればこんなことに悩みはしなかったのだ。
次の拠点を構えて、また再出発だってできたのだ。
寅丸さえ、寅丸さえいれば……。
「いれば、いいのか」
ああ、あああ!
そうか! いればいいんだ!
寅丸がいればいいんだ!
そうだよ! 寅丸がいればいいんだ!
そうだ! そうだ! いいぞ、賢いぞ私よ!
代理の代理を立てればいいんだ!
そうとわからぬ替え玉を作ればいい!
最初の内は欺瞞報告でいい。その間に寅丸を作ればいいんだ!
……ああ、わかっているとも。いまになってみれば、このときの私がどれだけトチ狂っていたかなんてね。
それでも、その時の私にとってはそれは天啓のようだとさえ思えたよ。
私はその後山中に踏み入り、吟味に吟味を重ねて、まだ幼い妖獣を一匹捕まえた。
山猫か、それとも想像上の山の怪の化生したものか、その時の私にはどうでもよかった。
ただ、とにかく力づくで捕まえて言うことを聞かせ、埋めたばかりの寅丸の死体を時間をかけて頭の先から爪の先まで残さず食わせたよ。
力を馴染ませて寅丸に近づけるためとはいえ、自分の出世のための道具と割り切っていたとはいえ、短からぬ時間を共に過ごした寅丸の体を切り刻んで食わせるのは心身ともに苦行だったよ。
それでも、まあ、狂っていたんだろうね。私は自分の腹の中身を残さず吐き戻しながら、それでもむりやりに寅丸を食わせた。食わねば殺すと脅して食わせた。
「今日からお前は、寅丸星だ。寅丸星になるんだ。毘沙門天の代理。聖白蓮の弟子。私の、ご主人」
ほとんど目覚めたばかりに近いような木っ端妖獣に、トチ狂った私の言葉は理解できなかっただろうね。
それでも私は、その日から『ご主人』の育成を始めることにした。
最初の内は、とにかく妖力を高めさせることだった。
何しろ寅丸は、頭は空っぽでも毘沙門天代理の宝塔を授かるに値する桁外れの妖怪だった。形ばかりでもそれに近づけるためには、ゆっくりやっている暇はなかった。
妖獣が妖力を高めるには、大きく言って二つの手段がある。
一つは時間。どんなものでも長く生きればそれだけ妖力は高まる。
だけど私には時間がなかった。
だからもう一つの手段。
妖力の高い奴を食べて、その妖力を我が物とするんだ。
私なんかがとっ捕まえられるだけあって『ご主人』はクソ雑魚極まりなかった。寅丸の遺骸を食わせて急速に成長したとはいえ、遺骸は遺骸だ。虎の姿こそとれるようになったが、まるで足りない。
私が最初に思い付いたのは、一番手っ取り早い方法だった。
「おお、ナズーリン、おぬしは無事であったか」
「ああ、まあ、鼠は生きぎたなくてね」
「そのう……聖殿は……?」
「命は無事だよ。でも、地底に封印されてしまった。あれでは帰ってはこれないだろうね」
「そうか、そうか……いや、しかし命が無事でよかっ」
妖怪寺に集まっていた連中は、妖力こそ大したものはなかったが、何しろお人よしが多いし、数もいる。
私は一匹一匹個別にコンタクトをとって、『ご主人』の餌にすることにした。
『ご主人』はいまだに私でもどうにかできるクソ雑魚だったから、程々に雑魚の私が気張って狩りをしなければならなかった。
不意打ち闇討ちだまし討ちは鼠の本領とはいえ、何しろ私も大概雑魚だから、時に返り討ちに遭いそうになりながら、それでも執念で皆殺しにしてやったよ。
本当に、死ぬかと思うってのはあれのことだ。
自分のことを案じてくれる顔なじみを不意打ちで殺して、どうしてって顔を解体して化け虎の餌にするってのはさ、自分の腹を刻むよりも余程に痛いことだったよ。
それでも私はやった。やってやった。それ以外に私の生きる道はもう残されていなかった。
ここまでやった以上、最後まで誤魔化すほかに私の道はなかった。
一日の内に何度も吐いて、その内血も混じるようになって、尿にも弁にも血が混じって、妖怪でもストレス障害があるんだなって笑いながら、私は『ご主人』を育てた。
どうしても体が動かない時は、腐っても天の使いである私の血をすすらせて妖力を増やさせ、やれることはなんでもやった。嫌がっても私は許さなかった。
私の所業が知れ渡って、かつてのなじみが連れなくなった頃には、『ご主人』もなんとか使えるくらいには育ってくれた。
急速に成長させたせいで、或いは最初に食わせた寅丸のおつむが軽かったせいか、いまだに阿呆で馬鹿で使えない『ご主人』の代わりに私が妖怪を探し、罠にはめて『ご主人』に狩らせるようになると、私の負担はぐっと軽くなった。
いや、助かったよ、ほんと。
定期報告の文章を練るのも、精神を削る要素だったからね。嘘偽りを並べ立てるのは、思ったよりもしんどかった。
いよいよ『ご主人』が人化の術を覚えると、私は高価な鏡を買ってきて、一日中付きっ切りで寅丸の顔を作らせた。記憶の底をさらうように私は覚えている限りのことを教えた。耳の形、牙の鋭さ、まなじりのしわの数、まつ毛の長さ、背の高さに肩幅、乳の張りに尻の幅、遺骸を採寸しておけばよかったと思いながら必死に思い出したよ。
何度も間違える『ご主人』を叱りつけ、もしもばれたら五体をばらして殺してやると脅しつけ、それで何とか形になった時は、ほーっと思わず全身の力が抜けて、おぼろぼろと血混じりの吐瀉物をばらまいたものだ。
『ご主人』の身なりを整え、いよいよ宝塔を持たせ、人里に出ていけるようになると、生活はぐっと楽になった。
まだ寺を構えるには足りないものが多すぎたが、毘沙門天の威光は托鉢するのに随分役だったし、獣道ではなく人の道を使って歩くのはずいぶん楽だった。復讐を恐れながら野宿する必要もなく、屋根のあるところで雨風を防げることは耐えがたい幸福だった。
人々の前では『ご主人』には黙って微笑め、余計な事をすれば殺すと指示し、人目のないところで私は時間をかけて言葉を教えた。それも私の話し方ではなく、寅丸の話し方を、抑揚を、どんなときにどんなことを言うのか、私自身時間をかけて思い出しながら教え込んだ。
そしてまた笑い方を、歩き方を、振る舞いのいちいちを教え込んでいった。
自分の脳みそを取り出して記憶のいちいちを取り出せたらと思う程に、この作業は困難を極めた。経典を記憶を頼りに書き写すことさえ簡単にできるというのに、私はいつも見ていたはずの寅丸の微笑みを、小一時間悩まなければ再現できなかったし、それさえも自信はなかった。
どうしてこの程度もできないのか、殺されたいのかと脅しつけながら、どうしてこの程度も思い出せないのかと血が出るまで頭をかきむしった。
だが、それだけの苦労のかいあって、『ご主人』の出来は素晴らしい再限度を誇った。
「どうですナズーリン。大丈夫だとは思うんですけど……」
ああ、まったく素晴らしい再限度だったよ。
罪悪感のあまりに血反吐を吐き散らすくらいにはね。
私は嘘をつき続け、その嘘に嘘をさらに重ねて塗り固めた。
定期報告に書き綴る『ご主人』はまるで絵物語の主人公のようだ。
だが私はそれを本当にしなければならない。そうでなければ、私は、私の苦労はいよいよもってなんだったのだ。
私は私の嘘を貫くために、『ご主人』に完璧を強いた。
「もしも君が偽物だとばれたら、その時は命はないものと思いたまえ」
それは私に対しての言葉でもあった。
『ご主人』の振る舞いが仕上がり、時間をかけて妖力もかつての寅丸に匹敵するようになり、私の知る限りの寅丸を教え込んだ『ご主人』は、もはや毘沙門天の代理の代理ではなかった。十分に毘沙門天の代理として活躍するようになっていた。定期報告にも、もはや嘘を書くことは少なかった。ただ本物ではないというその致命的な部分だけが、今なお私の胃を抉った。
このままいけば、いつか嘘も本当になるのではないか。
そんなささやかな希望を打ち破るように、聖白蓮の封印はいともたやすく解けたのだった。
千年だぞ?
千年の間、必死になって私は嘘を積み重ねたのだ。
それを、その千年を、そんな、あっさりと壊されてたまるか。
私は寅丸がとったであろう行動を思いめぐらせ、『ご主人』にかつての寺の仲間たちのことを叩き込んだ。村紗にはこのように呼びかけていた、一輪に対してはこんな話をした、聖に対してはこのようであった。
思い出せる限りを教え込み、それでもなお私の不安は解消されなかった。
私が覚えているすべてなど、あの寺の生活の全てからすればあまりにもちっぽけな記憶に過ぎなかった。
寅丸が育んできた何もかもを、私はかけらほども知らなかった。
ただ冷笑をもってその上っ面ばかりを眺めているだけだった。
恐ろしい。
私は恐ろしくてたまらなかった。
何が恐ろしいと言って、嘘が、偽りが暴かれることが怖かった。
そのことで私の罪が糾弾されることが恐ろしかった。
千年かけた私の保身が一瞬で崩れ去ることが怖かった。
そしてなにより。
「大丈夫です。大丈夫ですよ、ナズーリン。私があなたを守ります」
私は私の育て上げた『ご主人』を失うことが怖かった。
私の身勝手でその生を歪まされ、私の保身のために専念を尽くさせた、この哀れな獣を失うことが怖かった。
いまや、主導権を握るのは私ではなかった。
この獣が一言、全ては偽りであると口にすれば、私は何もかもを失うのであった。
逆に私が何を言ったところで、この完璧な『寅丸星』と薄汚い野鼠を並べて、どちらを信じるかなど決まり切っている。
心臓に爆弾でも抱えたような気持ちで私は聖白蓮率いる聖輦船と合流し、そしてあっけなく受け入れられてしまった。
その時の私の気持ちがわかるだろうか。
膝から崩れ落ちそうになるのを必死でこらえるほどだったよ。
「ナズーリン。すみません、途中で宝塔を落としてしまったようで……」
そういうところまで似せなくていいんだよ!
そう叫ばずになんとか堪えて飛び出した自分を褒めてもらいたいくらいさ。
その後はどうだったかって?
今もまだ私は毘沙門天の代理の部下兼監視役をやっている。
それで十分だろう?
「……行ったようですね」
聖はナズーリンを見送ると、柔らかく私に微笑みかけてくれました。
「そうね、それじゃあ、はじめまして、と言った方がいいかしら」
そう告げる聖に私は首を傾げました。
「どうしてわかったんですか? ナズーリンからは完璧だと言われたんですけど」
「とぼけたところは同じだけれど、星はそんなに察しが良くないわ」
言われてははあと気付きました。いわゆるかまをかけられたというやつですね。
「偽物とわかって、あなたはどうするのですか?」
「どうもしないわ」
「どうも、しない?」
「星はきっともうどこにもいないのでしょうね。それはとてもとても悲しいこと。でも、それとあなたが私の寺に訪れたことは何も関係がないわ」
「私を、受け入れてくれると?」
「私は誰でも受け入れます。それに、ナズーリンはきっとあなたがいなければ壊れてしまう」
「それは、困ります」
聖はにっこり微笑んで、それじゃあこれは二人だけの秘密ねと嘯きました。
「嘘も方便。千年の嘘を掘り返すほど、無粋ではないわ」
私の名前は寅丸星。
ナズーリンという小さな鼠の妖怪に拾われて、私は寅丸星になりました。
ナズーリンはいつも悲しそうで、泣きそうで、辛そうで、いつも浅い眠りの度にごめんなさいとうなされています。
私はそんなナズーリンを抱きしめて、大丈夫だよって言ってあげたいです。
明日からは私が小さな毘沙門天になってあげて、彼女のことを慰めてあげたいと思います。
とらまるしょお