からかい上手の高木さん~Extra stories~   作:山いもごはん

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アクセスくださりありがとうございます。
2人がガチ喧嘩したらどうなるのか、という妄想を形にしてみました。
お楽しみいただければ幸いです。






喧嘩

 6月下旬のある日のこと。

 夕飯の後で大事な話があるから、食後はリビングにいるようにと、お父さんに言われた。

 なんだろう?いわゆる家族会議ってやつかな?

 お父さんたちが揃う前に、私は一足先にリビングへ行き、私の定位置にあるクッションに座って待っていた。

 一体なんの話だろう?そう思いながらも、その時には、家族会議なんてものが開かれることの重要性と、それが私に与える影響について、私はまだ理解していなかった。

 私がのんきに話を聞こうとしていたところで、家族全員が揃い、お父さんは話を始めた。

 唐突に突きつけられたそれは、私にとって、あまりにも残酷で、衝撃的で、暴力的なものだった。

 私は突然のその話に混乱し、話を続けているお父さんを尻目に、逃げるようにして部屋へ戻った。そして、ドアを閉めると同時にその場にへたりこんでしまった。

 

 翌日、私はいつものように自転車に乗って中学校へ通学する。いつものように1年2組の教室の、一番後ろの席に着く。教室にはいつものクラスメイト達がいる。左隣の席の西片はまだ来ていないようだ。

 

 西片は、入学式の時から私の隣の席にいる男子で、からかうととても面白い反応をしてくれる。それに、優しいところもある。私は、入学当初は彼の反応見たさに彼をからかっていたが、次第に彼のことを異性として意識するようになっていた。

 

 そんなことを考えているうちに、彼が登校してきた。

「おはよう、高木さん。」

「あ、おはよう、西片。」

 大丈夫。平常心だ。大丈夫。

 自分に言い聞かせてはみたものの、私は、彼の挨拶に対して、ちゃんと返事できていただろうか。

 

 その日の授業はいたって真面目に受けた。

 というのも、普段の授業中は西片をからかうのに必死で、まともに授業を受けているとはとても言えないような有様だからだ。だけど、そうして彼をからかっていると、彼は我を忘れて授業中に大声を出して私に抗議し、そして先生に怒られてしまうのだ。私はその一連の流れのすべてがおかしくて、一生懸命笑いをこらえるけど、つい我慢できずに吹き出してしまう。だからこそ、私は彼のことをついからかってしまうのだ。

 だけど、今日はそんな気分になれなかった。一度も彼をからかっていないし、授業もいたって真面目に受けている。いや、本当に真面目に受けているのか、ただ座って聞き流しているだけなのか、自分でもそれはわからない。だけど、正直なところ、どちらでもいいと思っていた。

 

 

~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~

 

 おかしい。

 いつもは1時間の授業中に数回はからかってきている高木さんが、今日は午後になっても1回もからかってこない。

 その静けさが、逆に恐ろしい。

 

 高木さんは、入学式の時からオレの隣の席にいる女子で、反応が面白いとかいう理由でいつもオレをからかってくる。外見は、長い髪をおでこから左右に分けた髪型が印象的で、大きな瞳と長いまつ毛、薄い唇と、黙っていればとてもかわいらしい。しかし、オレに対するからかいのこだわりは異常とも言えるほどで、登下校中、授業中、帰宅してからのメールに至るまで、おはようからおやすみまで一部の隙もなくオレをからかってくるのだ。オレはいつか彼女に仕返ししてやろうと、固く心に誓っている。

 

 そんな高木さんだからこそ、一度もからかってこないというのは恐ろしい。怖い。不安だ。

 

 今日の最後の授業が終わっても、高木さんはぼーっとしたままで帰ろうとしない。

「高木さん、帰らないの?」

「あ、ううん。帰るよ。」

 この話の流れで、一緒に帰ることになってしまった。

 しかし、これは高木さんへの仕返しができるチャンスかも知れない。

 オレは、高木さんと一緒に帰りながら、ここぞとばかりに復讐の機会を狙っていた。

 

 

~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~

 

 気が付いたら、授業が終わり放課後になっていた。

 西片が声をかけてくれなければ、いつまでも席に座っていたかも知れない。

 私は、西片と一緒に帰ることにした。

 

 帰り道、私はほとんど口を開かなかった。

 西片は普段の仕返しをなにか企んでいたようだけど、それもほとんど気にならなかった。どうせ西片のすることだし。

 だけど、1つだけ彼に聞いてみたいことはあった。

「ねぇ、西片。」

「あっ、あ……えっ、なに?」

 私が突然話しかけたので驚いたのだろう。

「もしも、私が遠くに行っちゃうとしてさ、そしたら、お別れのキスしてくれる?」

「なっ……!?はぁああ!?き……はぁ!?なに言ってんの!?」

「してくれないの?」

「そっ……そんなの、できるわけ……ないだろ……。」

「あははっ。西片ならそう言うと思ったよ。」

「なんだよ……。またそうやってからかって……。」

 西片なら、そう言うと思ってたよ。普通の男の子なら、するって言うところなんだろうけど、西片ならきっとそう言うと思ってたよ。

 だけど、私、もうすぐ転校しちゃうかもしれないんだよ?

 

 

~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~

 

 今日は帰り道の1回しかからかわれてないから、腕立て伏せ10回か……。

 オレは、その日からかわれた回数の10倍の回数の腕立て伏せを自分に課しているのだ。すべては高木さんへの復讐のため、自分を追い込むのだ!

 しかし、普段の回数から考えると、はっきり言って物足りない。

 もちろん、別にからかわれたいというわけじゃない。

 だけど、今日の高木さんは明らかにいつもとは様子が違っていた。

 どうしよう。なにかあったのか、メールで聞いてみようか。

 でも、それで正直に答えてくれるとは思えない。

 それに、もしかしたら明日にはピンピンしてオレをからかってくるかも知れない。

 結局、オレは明日、高木さんに聞いてみることにした。

 

 

~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~

 

 そう、私はもうすぐ転校してしまうかも知れない。

 先日の家族会議の時、お父さんがそう言ったのだ。

 だけど、あくまでも「かも知れない。」ということが、私にわずかな希望を与えていた。

 昨日は話の途中で逃げ出してしまったけど、もしかしたら、必死になってお願いしたら転校しなくても済むような話かも知れない。 

 だけど、そんな希望的観測も、転校という言葉の前では霞んでしまい、絶望が心を支配してしまう。

 なんとなくお父さんと顔を合わせたくなくて、夕飯を部屋で食べたけど、ほとんど喉を通らなかった。

 本当はお父さんと話をしないといけないんだろうけど、そんな気分にはなれなかった。

 お風呂に入ってお湯に浸かると、涙を塞き止めている壁のようなものが溶けていきそうだった。

 誰に相談すればいいのか。誰に相談できるんだろう。

 このとき私は、誰にも、どうにもできないことなんだろうと思い込んでいた。

 それでも救いがほしくて、心の中で名前を呼んだ。

 にしかた……たすけてよ……。

 

 

~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~

 

 次の日。

「高木さん、一緒に帰らない?」

「あ、うん、いいよ。」

 オレから高木さんを誘うことはほとんどない。だけど、高木さんの様子が違うとなれば話は別だ。やっぱり気になるし、オレにできることならしてあげたい。

 オレは歩きながら、高木さんは自転車を押しながら一緒に歩く。

 オレは思い切って尋ねることにした。

「高木さん、最近元気ないように見えるけど……どうかした?」

「うん……まぁ、西片には関係ないことだから。」

『オレには関係ない』。心配していたのに、面と向かってそう言われると、無性に腹が立ってくる。

「そう。まぁ、高木さんが今の調子なら、オレもからかわれないから助かるよ。」

 言わなくてもいいことを言ってしまった。

 

 

~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~

 

「高木さん、最近元気ないように見えるけど……どうかした?」

 西片が尋ねてくれる。

 自分の気持ちを全部押し出したい。泣きついて、涙を流しきってしまいたい。

 だけど、好きな人にそんな姿を見せたくない。そんな気持ちが拮抗していた。

 結局のところ、私は、

「うん……まぁ、西片には関係ないことだから。」

 と、一番言ってはいけないことを言ってしまった。

 彼も、そんな私に呆れた様子だった。

 ごめんなさい、西片。心配してくれたのにごめんなさい。

 

 

~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~

 

 今日は腕立て伏せはなしか……。腕立て伏せを始めてから、初めてのことだ。

 オレはベッドに横になって今日のことを考える。

『西片には関係ないことだから』、か……。

 それなりに仲はよかったつもりだったけど、オレがそう思ってただけで、そうでもなかったのかな……。

 

 

~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~

 

 翌日。午後から雨が降る予報が出ていた。

 私は、帰り道で西片に昨日のお詫びをするべく、彼が帰ろうとするのを待っていた。

 彼は授業が終わるなり、荷物をまとめてすぐに下校を始めた。私とは一言も話したくない、という意思表示のように。

 私は、少し時間を置いて、自転車で彼の後を追いかける。途中から小雨が降ってきた。私は傘を持っていないが、そんなことはどうでもいい。

 彼の後ろ姿を見つけた私は、大声で彼を呼ぶ。

「西片!」

 どうやら彼も傘を持っていないようだった。名前を呼ばれて驚いた様子だったが、さすがに無視することはできず、私の方に向き直った。

「なんだよ……。なんか用?」

 明らかに不機嫌だった。無理もない。

「あの……ちょっと、そこの空き地に入らない?」

「……なんで?」

「その……ちょっと、お話、したいから……。」

 私が彼に追いついたのは、通学路に面している空き地の前だった。地面は土でならしてあり、敷地の角には材木やドラム缶などがある。

 そこに、彼は不満そうに入って行き、私は後ろから自転車を押して入る。彼は、雨が降りそうなので早く帰りたい、といった様子だった。

 息を整え、私は彼に要点だけを伝える。

「私ね、転校するかも知れないんだ。」

 彼は、わずかの間、私がなにを言っているのか理解できない様子だった。

 少しずつ雨足が強くなってくる。小雨だったものが、雨へと変わってきている。

「転校って……あの転校?」

「うん。転校するの。遠くに行くの。夏休み中かな?9月にはもう引っ越してるみたい。」

「他に知ってる人はいるの?」

「こんなの、誰にも言えないよ。」

 雨は一気に強さを増し、本降りになってきた。

「だったら……オレしか知らないんだったら……関係ないなんて、なんで言うんだよ……。」

「だって!言ったってどうしようもないでしょ!?」

 つい、大声が出てしまった。

「オレだって力になれることがあるかも知れないじゃないか!」

 もう、だめだ。よくない気持ちが一気に溢れ出る。だけど、お別れするんなら、もういっそ、それぐらいの方がいいのかも。

「私だっていろいろ考えたんだよ!?なんとかして転校しないで済む方法はないか、とか!でも、引越しなんて大事なこと、子どもの意見が入る余地なんてないんだよ!?」

「それでも2人で考えればなんとかなるかも知れないだろ!?」

「あはははは!2人で考えれば、って!?西片は転校しないで済む方法教えてくれるの?一緒にお父さんにお願いに行ってくれるの?転校させないでって!?あははっ!それとも、西片の家に居候させてくれるのかな!?どこかで1人暮らしできるようにさせてくれてもいいよ!?あはははははっ!なにができるの!?できないよね!?私たち、ただの中学生なんだもん!」

「じゃあ……じゃあ、オレ、頻繁に会いに行くよ!それなら……。」

「あははっ!西片、ほんとになんにもわかってないんだね。引越しなんてするぐらいだから、新幹線の距離なんだよ?中学生が簡単に行けるような場所じゃないんだよ!?ほんとに、なんにもわかってないんだから!」

 西片は、これ以上反論できない、といった表情で、雨に濡れながら私の方を見ていた。

「私たちはさ、まだ中学生なんだよ。大人の決めたことには逆らえないんだよ。だから、お願いだから、西片ももう、無駄なこと考えないでよ。もう、関係ないんだから……。」

 私たち2人は、雨に濡れながら、この世の終わりのような絶望感を纏っていた。その時、知った声が聞こえた。

「高木ちゃん!?」

 同じクラスの真野ちゃんだった。隣には、彼氏の中井君もいる。

 真野ちゃんは、私たち2人の様子を見て、すぐに指示を出した。

「中井君、西片君連れてどっか行ってて!」

「おい、真野……。」

「いーからさっさとする!」

 真野ちゃんの気迫に中井君が動く。1つの傘に2人が入り、この場を離れるようだ。

「高木ちゃん……。」

 真野ちゃんは、傘をさしたまま、私を優しく抱きしめてくれた。

 私は、スカートが泥だらけになることも構わず、、地面に膝をつき、泣き始めた。

「真野ちゃ……うぐっ……わたし……ひぐっ……にしかっ……たっ……えぐっ……うぐっ……ひっ……ひぐっ……。」

 私は真野ちゃんの胸で泣き続けた。真野ちゃんは私よりはいくらか背が低いので、やはりスカートが泥だらけになっているはずだけど、それでもずっと私の頭を抱いていてくれた。

「高木ちゃん、つらかったね。」

 その優しい言葉が、さらに私の涙を誘った。だけど、真野ちゃんには悪いけど、本当は西片にこうしてほしかった。私の涙を全部受け止めてほしかった。なのに、ひどい喧嘩になってしまった。

 悪いのは私だ。素直になれない私だ。どんな罰を受けてでも、西片の隣にいたい。なのに……。

 

 

~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~

 

「ごめんね中井君、なんか巻き込んじゃって。」

「んー?いや、別にいいけどよ。なんだか修羅場ってたよな。話したくないんなら話さなくていいけど。」

「あー、うん、ごめん……。」

 オレはふと、中井君に尋ねてみたくなった。

「中井君、もし真野さんが転校するってなったらどうする?それも遠くの方に。」

「うーん、難しいとこだな。」

 もちろん難しいだろう。簡単なことなら聞いてない。

「ちょっと遠距離恋愛やってみて、それで続かなかったら……諦めるしかないかな。」

「諦めるの?諦められる?」

「諦めるっていうのはな、やめるってのとは違うんだよ。諦める方は心が残る。やめる方はスパッと終わる。だから、諦めるっていうのは、苦しいけど終わりにするってことなんだよ。」

 中井君がものすごく大人に見える……。

「まぁ、人の受け売りなんだけどな。」

 だけど、それは付き合ってる男女の関係だ。オレたちの関係は、あくまでも友達。だとしたら、転校したら終わり、ってことになるんだろうか。やっぱりオレには関係のないことなんだろうか。

「真野からメールだ。高木さんを家まで送って行くってよ。オレたちも相合傘で西片の家まで行くか?」

「オレはダッシュで帰るからいいよ……。」

「まぁ、風邪引かないように帰れよ!」

「ありがとう!じゃあね!」

 オレは本降りの雨の中、本当にダッシュで帰った。

 中井君は何も聞かないでいてくれた。オレの質問から状況は全部わかっただろうに。友達というのは本当にありがたい。

 

 

~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~

 

 真野ちゃんに家まで送ってもらった私は、全身びしょ濡れの泥だらけだったことをお母さんに心配され、まずはお風呂に入ることになった。

 お風呂はいい。考え事をするにはぴったりの場所だ。

 そして、私は、自分が最後にできることについて考えていた。大人の世界に対して、中学生にできることなんて、たかが知れている。だからこそ、自分にできることは全部やろうと思った。

 

 お風呂から出て部屋で先ほどの続きを考える。

 これがダメなら、もう本当に転校しかない。

 そう考えているうちに、お父さんが帰ってきた。

 私はお父さんを出迎えに玄関へ行った。

「お父さん、お話があります。」

 

 お父さんの着替えが済むまでリビングで待っていた。

 自分の気持ちの全部をぶつける。そんなつもりだった。私にはそれしかできなかった。

 お父さんはすぐにやってきた。着替えだけなんだからそんなもんだろう。

 私はソファに座っているお父さんの正面に正座した。

 そして私は、思いの丈をすべてお父さんにぶつけた。泣くまいと思っていたのに、一息つく頃には涙が頬を伝い、止められなくなっていた。それでも、最後まで、話し続けた。

 お父さんから、どうしてそこまで転校が嫌なのか、尋ねられた。

「まだ3か月だけど、たくさん友達ができて、大事な友達ができたから……。みん……なと、離れ……るのは、ほんと……に……いや……いや……だから……。」

 泣くつもりなんかなかったのに。次々と涙が溢れてくる。

 お父さんは、私の言葉を受け止めてくれて、私に言葉をかけてくれた。そうして、何かを考えるようにしながら夕飯を食べ始めた。

 

 次の日、西片は風邪を引いたとかで学校を休んでいた。

 あの雨に打たれていれば、いくら夏場といえども風邪を引いてもおかしくない。

 むしろ、頑丈な自分の方がバカみたいだ。

 

 その日の夕方、いつもより早く帰った私は、夕飯の準備を手伝っていた。

 お父さんが、いつ、どんな答えを持って帰るのかが気になって、料理の準備でもして気を紛らわせるしかなかったのだ。

 料理ができてしばらくしてからお父さんが帰ってきたのでお出迎えに出た。だけど、やっぱり昨日の今日では状況は変わらなかったらしく、引越しの話題は出てこなかった。

 

 

~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~

 

 雨に打たれて風邪を引くなんて、本当にバカみたいだ。

 とは言え、1日で治って本当によかった。高木さんになんてからかわれることか……。

 ふと考え直す。

 そっか、もう、からかわれないかも知れないのか……。

 別に悲しいわけじゃない。ただちょっと、淋しいだけだ。

 教室に着くと、すでに高木さんは着席していた。

 オレは彼女の後ろを通り、左隣の席につく。

 椅子を引くときに彼女は少しびくっとした様子だったが、ただそれだけで、お互いに挨拶もしなかった。

 どうせ転校する人だし、どうせオレは関係ないんだし、別にそれでいいよ。

 オレは心の中で、彼女に対して卑屈な態度をとった。

 

 

~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~

 

 私がお父さんに『お願い』をしてから、1週間が経った。

 その日、お父さんはいつもよりもずいぶん遅く帰ってきたようで、私はお出迎えに出ることはできなかった。

 だけど、次の日の朝、お母さんから思いもよらない話を聞いた。

 引越ししなくてよくなった。転校もしなくていい。そんな話だ。

 私はお母さんに何度も確認し、その言葉の持つ喜びを噛み締めた。

 嬉しい。本当に嬉しい。お父さんには、いくらお礼を言っても足りないぐらいだ。

 お父さんは私が起きるときにはいつも出勤しているので、まずはメールでお礼を言って、帰ってきたら直接お礼を言おう。

 お父さん、本当にありがとう、って。

 

 だけど、もう1つ、私にはやらなければいけないことがある。

 これができなければ、転校するのと同じだ。

 明日、私はもう1つの壁を越えなければいけない。

 

 

~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~

 

 オレが風邪を引いて学校を休んだ日から、1週間が経った。

 その間、オレと高木さんは一言も話すことはなく、目を合わせることすらしなかった。

 

 その日の昼休み。

 オレが弁当を食べた後でトイレに行くと、トイレの中で中井君に呼び止められた。

「真野からこれ預かってる。中身は知らんけど。とりあえず、ちゃんと渡したからな。」

 そう言って、中井君は用を足し始めた。

 中井君から預かったのは、カードが入るほどの小さな白い封筒だった。宛名はなく、裏はセロハンテープで閉じられている。いかにも、急場で作ったといった感じのものだった。

 オレはトイレの個室に入り、セロハンテープをはがし、中の紙製のカードを取り出す。

 一目見てわかる。高木さんの字だ。そこには、丁寧で、綺麗な字で、こう書かれていた。

『西片様 お話したいことがあります。今日の5時に神社で待ってます。 高木』

 オレは、このカードを見て、本当に彼女が自分の意思で書いたのかどうか疑っていた。

 真野さんあたりに『ちゃんと話した方がいいよ!』とか言われて書いたんじゃないだろうか。

 それに……行ったところで今更どんな話をするというのか。

 オレは、その手紙を無視することに決めた。

 

 その日の放課後。

 オレは急いで学校を出て、16時半には家に着いていた。

 これなら、高木さんが神社で待っていても、お使いなんかを頼まれない限り、ニアミスすることもない。

 オレは、珍しくすぐに宿題をし、夕飯の時間まではマンガを読み、夕飯を食べ、入浴した。

 早く帰宅するとこんなにいろんなことができるのか、というぐらい充実した帰宅部ライフをエンジョイしていた。

 しかし、まさかという、万が一という、気持ちにならないこともない。今の時刻は21時。

「母さん、ちょっと夜風に当たってくるよ。」

 いるはずがない。待っているはずがない。だって、今はもう21時なんだから。4時間も待つはずがない。

 だけど、胸騒ぎに似たような、行かなければいけないような、責任感にも似た気持ちがオレを襲う。

 神社に着き鳥居に隠れるように中をのぞく。

 神社の本殿には、膝を抱えて座っている人のような影が見えた。

 

 オレは、神社の中へと入っていく。

「あ、西片だ。」

 彼女の姿を見た途端にオレの中に生まれてきた怒りにも似た感情とは裏腹に、彼女はへらへらとオレの名前を呼ぶ。

「なんで……なんでいるんだよ!もう9時だよ!?」

「あー、もう9時なんだ。なんでって、待ち合わせ……っていうか、カード見たんでしょ?だから来てくれたんでしょ?」

「見たよ!見たけど、なんでこんな時間まで待ってるんだよ!普通帰るだろ!?」

「だって、西片と、話、したかった……から……。き……て……くれなか……たら……どうしよ……て……。ごめ……ちょっ……と……まって……。」

 彼女は突然泣き始めた。というよりも、これまでずっと我慢していたものが、オレの顔を見て止まらなくなってしまったという感じだった。

「うぐっ……ごめ……っ……ひぐっ……ぐっ……うぐっ……えっぐ……。」

 彼女の嗚咽は収まるどころか勢いを増していく。

「あー、もう。しょうがないなぁ……。」

 オレは彼女の隣に座り、泣き止むのを待った。

 

「大丈夫?」

「うん……ごめ……。」

「それで、なんでこんな時間までいたの?」

「にしっ……かた……とっ……おはなし……したか……ったから……っ。」

 どうやらまだ完全には泣き止んでいないらしい。というか、絶賛号泣中だ。

 オレは、またしてもしばらく泣き止むのを待った。

「はぁ……ごめ……。」

「うん、わかったから。それで、話って?」

「まずね、転校……は、なくなり……ました……。」

「はぁああ!?なんでいきなり!?絶対無理って言ってたじゃん!」

「ごめ……んなさい……。おとうさん……に、いっしょうけんめい、お願いして……それで……。」

「はぁー。それはまた人騒がせな……。まぁ、でも、それはよかったよね。」

「よか……た……って、おも……って、くれる……?」

「そりゃあ……オレだって、高木さんがいないと?ちょっとは……物足りないとこも、あるわけだし……。ちょっとはね……。」

 もしかしたら、オレは赤面しているかもしれない。だけど、この暗さと、今の高木さんの調子では、からかわれることはないだろう。

「うん……ごめんね……。あとね、どうしても、謝らないと、いけないことがあって。」

「なに?」

「関係ないなんて言って、ごめんなさい。雨の日に、ひどいこと言って、ごめんなさい。」

 その後も高木さんは、ごめんなさい、と繰り返す。

「あー、もうわかったよ!わかったから!」

 オレが突然大声を出したので、高木さんは全身をびくっとさせて黙りこむ。

「わかったから、もう、仲直りしよう。」

 考えてみれば、今回一番傷ついたのは高木さんだ。

 オレは、その外にいて、ちょっと巻き込まれただけに過ぎない。

 その高木さんがここまで謝っている。それなら、謝られているオレは何様なんだ。

「でも……いいの?私……ひどいこと、言ったのに……。」

「ふーん。オレと仲直りしたくないの?」

「したい!」

「じゃあ、仲直りしよう。ただし、今後、今回のことで謝ったら罰ゲームだからね。」

「うん。わかった。あのね、西片……。」

 彼女はオレのシャツの背中の部分を掴んで言う。

「あのね、ありがとね。」

 どうやら、また涙が溢れてきたらしい。彼女はうつむいているため、その表情は見えないが、シャツを掴む手がそれを物語っていた。

 

 彼女がひとしきり泣いたところでオレは声をかけた。

「さすがに遅くなったし、今日のところはもう帰ろうか。送って行こうか?」

「ううん、大丈夫。1人で帰れる。ありがとう。」

 こうして、オレと高木さんは神社で別れた。

 

 

~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~

 

 遅くなるとは伝えていたけど、中学生が10時前まで外出していたということでひどく叱られた。

『転校させる』という脅し文句まで出てきたほどだ。

 急いでご飯を食べて、お風呂に入る。

 自室に戻ると、西片からのメールが来ていた。

『おやすみ。また明日』

 私は、今日何度目になるかもわからない涙を流しながら、彼のメールに返信した。

『おやすみなさい。また明日ね。』






最後までご覧くださりありがとうございました。
いずれ逆バージョンも書いてみたいと思います。
ところで、高木さんのお父さんはどういう理由で引っ越そうと思ったのでしょうか。
仕事のこと、家族のこと、もしかしたら家の立地が風水的に悪いから…。いろいろな理由があると思いますが、それは読者の皆様のお好みで。
そんなところも含めて、お楽しみいただけたのなら幸いです。

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