からかい上手の高木さん~Extra stories~ 作:山いもごはん
最後まで楽しんでいただければ幸いです。
7月の中旬、中学1年生の夏休みが始まる1週間ほど前、オレの学校では1泊2日の林間学校が課外授業として行われる。飯盒炊爨やキャンプファイヤーなんかをやるアレだ。小学校でも似たようなことをやったような気がするけど、とにかく今年も林間学校が行われる。
ホームルームの時間に、林間学校での班分けについてのプリントが配布された。班分けは、男女2人ずつの計4人になるよう、担任の田辺先生がすでに行っている。
なんでも、自由に班分けをさせると、仲の良い女子ばかりが集まってしまうかららしい。
それは確かにそうだろう。大変に納得できる部分ではある。
逆に言えば、大変に納得できない部分もあるということだ。右隣の席の高木さんがオレに言う。
「西片。林間学校、よろしくね。楽しくなりそうだね。」
高木さんは、長い髪をおでこから左右に分けた髪型が印象的で、大きな瞳に長いまつ毛、薄い唇と、整った顔立ちをしている。しかし、彼女にはオレを見るとからかってしまうという非常に大きな『弱点』がある。そのせいでオレは、登下校時、授業中、家に帰ってからのメール攻撃など、文字通りおはようからおやすみまでからかわれている。いつかは……とリベンジを誓っているものの、いまだ果たせないでいる。
そんな高木さんと、なんの因果か間違いか、林間学校で同じ班になってしまった。
もうすでに、からかわれているオレの姿が脳裏に浮かぶ。なんならこの班分け、田辺先生にもからかわれているんじゃないか、そんな被害妄想にすら取り付かれてしまう。
いや、むしろ林間学校だからこそ、大自然の中だからこそ、高木さんにもスキが生まれるかも知れない。これは前向きにとらえるべきだろう。オレはすでに根拠のない勝機に酔いしれていた。
「そうだねぇ、高木さん。それはそれはもう楽しい林間学校になりそうだねぇ。」
「そうだね。あとの2人は、真野ちゃんと中井君だね。」
オレでもさすがに傷つくほどの勢いでオレの発言をスルーしながら、高木さんが班のメンバーを読み上げる。中井君はオレの友達で、出席番号が近いこともあり、入学式の時から声をかけてくれて仲良くなった。真野さんのことはあまり知らないけど、高木さんと仲がいい。中井君と真野さんは付き合っているらしいけど、どうやらそれは公然の秘密らしい。ちなみに中井君は背が高く、真野さんは背が低い。そのギャップが、逆になんとなくお似合いのカップルのように思える。
それにしても、コレ、かなり気を使う班分けじゃないだろうか。カップルがいて、かつ高木さんのからかいに対処しなければならない。こうなったら、中井君カップルについては、気が利く中井君に勝手にやってもらおう。
班分けばかりに目が行っていたけど、一応林間学校の日程も確認しておく。初日は、まず朝からバスでキャンプ場の管理棟へ移動する。荷物を管理棟へ預けて昼食を食べたら、2時間ほどのオリエンテーリングがあり、キャンプ場のある山を1周回ってキャンプ場へ帰る。キャンプ場へ帰ってきたら、夕食の準備にかかる。メニューは無論カレーだ。もちろん飯盒炊爨もしっかり行う。そして食後は当然、キャンプファイヤーを行う。みんなのテンションも最高潮に達するはずだ。しかし、フォークダンスは行わない。オレは、それを聞いて安心した。クラスの女子と手をつないで踊るなんて、恥ずかしすぎてできるはずがない。そして夜はキャンプ場に設置されているテントで過ごす。このときばかりは班分けが変わり、男子と女子がそれぞれ4人ずつテントを使う。
2日目は、管理等で朝食を食べたら、掃除や片付けをしてバスで学校へ帰る。
以上が2日間の日程だ。おそらく、大自然に触れながら、自分たちの手で物事を成し遂げる的な目標が設定されているのだろう。
オレはそんな目標そっちのけで、スケジュールを見ながら、高木さんをからかえるタイミングを必死でさがしていた。
「フォークダンスがないのがそんなに残念?」
「なっ!そんなわけないだろ!」
高木さんの突然のセリフに、オレは思わず席から立ち上がって反論した。
「コラァ!うるせぇぞ西片ぁ!」
……田辺先生に怒られてしまった。
「くっ……ぷぷっ……。予想通りの行動しちゃって……。怒られちゃって……。あー、もうほんとにやめてよ。」
「こっちのセリフだよ……。」
さすがに今回は小声で怒る。オレはちゃんと学習できるのだ。
「どうせ、林間学校の間に私になにかしようと企んでたんでしょ。」
さすがは高木さん。嫌味なまでにこちらの考えを読んでくる。
「さぁ、どうだろうねぇ?」
オレは余裕ぶって答えた。なにしろ、オレの戦場は大自然の中なのだ。ここでカードを切るわけにはいかない。
オレのこの言葉に、高木さんは、こう考えていることだろう。『あれ?西片がこんなに余裕だなんて、もしかしたらすごい作戦があるのかも……。私、初めて負けちゃうかも。』と。そして心の中で爪を噛んでいることだろう。
ハァーッハッハッハ!高木さん!今のところ、オレの手元には1枚たりともカードはありはしないよ!
マズい、余裕ぶっている場合じゃない。当日までになにか考えないと……。
ホームルームの最中、オレはそんなことばかり考えていた。
そして放課後、中井君と真野さんがオレのところにやってきた。
正確には、中井君がオレのところに、真野さんが高木さんのところにやってきた。
「中井君、林間学校、よろしくね。」
「おう!こっちこそよろしくな!」
言いながら、彼は親指を立てる。彼はことあるごとに親指を立てるのだ。そして、彼が親指を立てると、こちらもつられて親指を立ててしまう。彼は悪い人じゃない、どころかとてもいい人なんだけど、こういうところがちょっとめんどくさい。
真野さんは、すでに高木さんへの挨拶を済ませたようだ。オレも真野さんに一言声をかける。
「真野さんもよろしくね。」
「はい、こちらこそよろしくです。」
……やっぱり、真野さんはよくわからない。
そして、林間学校当日が訪れた。
みんな学校指定のジャージを着ているため、夏にも関わらず長袖長ズボンという装いだ。
山歩きをするのだから当然といえば当然だろう。
オレたちはクラスごとにそれぞれのバスに乗り込み、点呼を受ける。
なお、バスの座席は班ごとに分けられている。当然、中井君と真野さんは隣同士に座ろうとする。ということは、必然的にオレの隣は、高木さんになる。
「なんだか、いつも西片の隣にいるような気がするや。」
ちなみに、オレはバスの真ん中辺りの左側の窓側、彼女はその右隣に座っている。
「なんだかしんどそうだけど、大丈夫?」
「ああ……うん、ちょっとね。昨日暑くて寝付けなくて。」
オレは見栄を張ってウソをついた。
「本当は、林間学校が楽しみで寝付けなかったんでしょ。まるで小学生みたいだね。」
「だから高木さん!なんでオレの心を読むのさ!」
「うるせぇぞ西片コラァ!」
田辺先生に怒られた……。
ちょっと油断するとすぐこれだ。
しかし、高木さんは本当に心を読んでいるのではないかと思うことが多々ある。
「だって西片、わかりやすいんだもん。」
ほらね。オレ今、一言もしゃべってないもん。
「寝不足なのはしょうがないとしても、西片、乗り物酔いは平気なの?」
「実は、ちょっと苦手なんだよね……。」
「そっか。私酔い止め持ってるから飲む?」
「うん、ありがとう。」
高木さんから酔い止めをもらい、水筒に入れてきたお茶で飲み込む。本当は水またはぬるま湯で飲むのがいいらしいけど、手元にお茶しかないのだから仕方がない。
「あのさ、高木さん。」
「ん?」
「あの……できたら、バスの間はからかわないでほしいんだよ……。その……気分悪くなっちゃうから……。」
「んー。」
彼女は少し考え込むような仕草をした後で、オレに笑顔を向けて言った。
「できたらね。」
「そうじゃなくて……なるべくしないでほしいんだよ。」
「なるべくね。」
「えっと……だからそうじゃなくて……。」
「ほら、西片。バス出ちゃうよ。酔わないように気をつけないと。」
くっ……。たっ……高木さんめぇええ!
先ほどの高木さんの態度から、彼女に対するお願いなどは無力だと悟った。となると、自衛するしかない。オレの脳はあらゆる事態に対応できるようフル回転し始めた。また、物理的な攻撃にも対応できるよう、右半身もに全力で注意を払っていた。
しかし、当の高木さんは文庫本を取り出して読み始めている。なるほど。まずは様子見というわけか。
オレのガードは鉄壁だった。言葉によるからかいに対しても、物理的なからかいに対しても。にも関わらず、唐突にわき腹に刺激を感じた。
「わははは!」
どうやら、高木さんがわき腹をつついてきたらしい。オレはわき腹が弱く、つつかれると確実に笑ってしまうのだ。
「やめてよ高木さん!さっきは『できたらなるべく』からかわないって言ってたじゃないか!」
「あははっ。西片、寝起きでもいいリアクションするんだねー。」
「そんなの余計なお世話だよ……。」
「トイレ休憩だってさ。今行っておかないと、次いつになるかわからないよ。」
「まぁ……そうだけどさ。」
酔い止めのせいか、頭がぼーっとする。だけど、さっきの高木さんの言葉がひっかかる。
「高木さん。もしかして、オレ、寝てた?」
「うん、ぐっすり寝てたよ。1時間ぐらいかな?」
「その間、オレをからかったりしなかったの?」
「してほしかったの?」
「そんなわけないだろ!」
「あはははっ。それならよかったよ。もし西片がからかってほしかったんなら、私、西片に悪いことしちゃってたや。」
「からかわれなかったからって悔しがる人がどこの世界にいるんだよ……。」
「でも、もしかしたら、寝顔の写真ぐらいは撮ってたかもね。」
「ちょっ……!高木さん!なにそれ!」
「ほらほら、早くしないとトイレ休憩終わっちゃうよ?」
そう言うと高木さんは、バスのステップから外に向かって軽くジャンプして、すたっ、と地面に着地した。
それからからかわれること1時間半、ようやくバスは目的地に到着した。
その間、オレは眠ることができなかった。
正しくは、オレが眠ろうとしても眠れないことに気付いた高木さんが、オレのことをからかい始めたのだ。
だからオレはきっと、誰よりも目的地への到着を待ちわびていたことだろう。これ以上高木さんの隣にいたら、オレの心が壊れていただろう……。
「あー、楽しかった。西片ってばほんと……ぷぷっ!」
高木さんはどうやら思い出し笑いをしているようだ。オレの苦しみと彼女の喜びで、プラスマイナスゼロになるのならなによりだ。
さて、オレたちはまずキャンプ場の管理棟へ向かっている。ここへ荷物を預け、そのまま食堂で昼食を食べることになっている。
食堂はかなり広かった。大きな長方形のテーブルがいくつも並べてあり、それに沿って椅子が床に固定してある。確かに、オレたちの学年全員が入れるような食堂なのだから広くて当然だろう。
特に先生からの指示はなかったが、オレたちは自然と班ごとに分かれて座っていた。
「西片、一緒に飯食おうぜ!」
中井君がオレを誘ってくれる。
「オレはいいけど……真野さんはいいの?」
「あー、まあ、バスの中ずっと一緒だったしな。男友達の方が気楽でいいよ。」
そういうもんなのか……。オレは高木さんと一緒にいてもあまりそんなことは思わないけど。ということは、やっぱり高木さんのことを異性として見てないんだろう。一緒にいると、違う意味で気楽じゃないけど。
「お前こそどうなんだ?高木さんと一緒がよければオレは真野と食べるけど。」
「ち……違うから!オレたち別にそういうんじゃないから!」
思わず立ち上がって叫び、クラスの視線を一身に集める。隣のクラスのテーブルまで声が届かなくてよかった。
「またまた、必死に否定しちゃって。まあそういうことにしといてやるよ。」
中井君は、悪い人じゃないんだけど、やっぱりちょっとめんどくさい……。
食事が終わると、食休みのあと、続いてオリエンテーリングが始まった。
オリエンテーリングと言っても、特定のポイントを回ったりするようなものではなく、決まったルートを歩くという、要するにハイキングだ。
「とりあえず、大前提としてきっちり一列で歩こう。前になんかで読んだ本では、先頭にサブリーダー、最後尾にリーダーを配置して、2番目に体力のない人を配置するっていうのが基本だったと思う。オレと西片でリーダーとサブリーダーをやろうと思うんだけど、西片はどっちがいい?」
しまった。大自然という戦場の中で高木さんをからかうことを必死で考えていて、あまり聞いていなかった。よくわからないけど、リーダーよりサブリーダーの方が責任が軽そうな気がする。
「じゃあ、オレがサブリーダーやるよ。」
「オッケー。じゃあ、オレがリーダーやるとして、真野が2番目だな。」
中井君の後ろにいた真野さんが、中井君の服の裾をちょいちょいと引く。彼の陰になっていて、彼女の表情は見えない。
「あー、えーっと。悪いんだけど、高木さんが2番目でもいい?」
「うん、私はいいよ。」
よくわからないけど、何かしらの密約が交わされたらしい。
色々な思惑を抱えながら、オレたちの班は出発した。
サブリーダーの仕事は、それなりに大変だった。時に後ろを見て、遅れている人がいないか、というよりも、真野さんのペースを確認しながら歩かなくてはいけなかった。とは言え、真野さんの後ろには中井君がついている。その点ではかなり安心できた。オレは、とりあえず10分おきに後ろを確認することにした。
5分経過。1度だけ、パチンと手を叩くような音がすぐ後ろから聞こえた。
「高木さん、今、なにかした?」
「別に。ちょっと気合入れただけ。」
ほっぺたを叩いたりしたんだろうか……。オレをからかうための気合ではないことを祈ろう。ともあれ、こう見えてオレはオレで忙しい。その上からかわれるのではたまったものではない。
10分経過。後ろを見る。さすがにまだペースは乱れていない。高木さんがオレの顔を見てにこっと笑顔を見せる。
20分経過。後ろを見る。まだまだ大丈夫そうだ。高木さんがオレの顔を見てにこっと笑顔を見せる。
30分経過。後ろを見る。真野さんが少し疲れているように見える。一息入れた方がいいかも知れない。高木さんがオレの顔を見てにこっと笑顔を見せる。
「そろそろ休憩しようと思うんだけど、中井君はどう思う?」
「おー、オレもちょうどいいタイミングだと思うぜ。」
「じゃあ、その辺でちょっと休憩しよう。」
オレたちは、登山道の真ん中から少し逸れたとこで休憩する。
そして、少し余裕のできたオレは、心の中で全力で叫ぶ。
だから!なぜ!なぜにこっと笑う!高木さん!あの笑顔には!どういう意味が!あるんだよ!逆に!不安だよ!
その後も高木さんは、オレが振り返るたび、オレの顔を見てにこっと笑った。
ともあれ、オレたちの班は、オレの心中を除いて特に何事もなくゴールすることができた。
「西片。サブリーダーお疲れ様。大変だったでしょ?」
予想外に優しい高木さんの言葉に、オレは一瞬警戒してしまった。なぜだろう……。人の好意を素直に受け取れなくなってしまったのは……。
とは言え、好意には好意で返す。中学生にもなれば当たり前のことだ。
「ありがとう。でも思ったよりは大丈夫だったよ。高木さんも大変だったでしょ?女子であの道歩くのは。」
「ほんと大変だったよ。西片の無防備なわき腹が目の前にあるんだもん。つつくの我慢するの、ほんと大変だったんだから。」
「やめてよそういうの!」
バスでもそうだったが、オレはわき腹をつつかれるのが非常に弱い。つつかれてしまえば、それが例えお葬式の場であっても笑いをこらえることができない。
「でも最後まで我慢したよ。」
「あーはい、すごいね。」
もう、なにがなんだか。どっと疲れてしまった気がする。
「あははっ。でも、山道の方はね、サブリーダーさんががんばってくれたから大丈夫だったよ。ありがとね。」
そう言って、高木さんはオレに、今日何度目かの笑顔を向ける。
オレをからかってこない、こういうときの高木さんの笑顔には、どうやっても勝てない気がする。
さて、オリエンテーリングが終わって一休みすると、飯盒炊爨の時間になった。
男子がご飯を炊いて、女子がカレーを作るという割り当てが一般的だろう。
相談の結果、我らが班も例に漏れず、その通りの割り当てと相成った。
そして、オレと中井君は今、火をおこすことに大苦戦している。いやぁ、点かない点かない。甘く見てたよ飯盒炊爨。2人で色々と工夫してみるものの、新聞紙が燃えるだけで一向に火が点く気配がない。もう一度、枝や薪の組み立て方を2人で検討してみる。
一方の女子2人はといえば、じゃがいもの皮をむくことにかなりのエネルギーを注いでいるようだ。ピーラーを使っているとはいえ、確かにじゃがいもは難しい。
「西片。なに見てるの?」
「別に?」
高木さんにも苦手なことがあるのだとわかって安心した。これをネタにからかいたいが、なにぶんこちらも火をおこせていないのだから、人のことは言えない。
すると、中井君が突然叫んだ。
「西片!枝を片っ端から突っ込んでくれ!」
オレがよそ見している間に、火がおこりそうになっていたようだ。オレは中井君の指示のとおり、あらかじめ配布されていた枝を多めに入れた。『片っ端から』入れたら、もしも火がつかなかったときにどうしようかと心配になったからだ。
しかし、その心配も必要ないほどに、火は徐々に枝に、そして薪に移っていく。どうやらオレの心配は杞憂だったようだ。
ともあれ、ここからが第2章の始まりだ。すなわち、炊飯。
いかにカレーが美味しくできようとも、ご飯がこげてしまっていたり、芯が残っていては美味しさも半減だ。
オレは、全員に配られた飯盒炊爨用のプリントを再度確認する。
ふむ。しっかり研いだ米を、30分間は水につけておく。
ふむ。
なんだよそれぇええ!火おこすのに必死で、全然読んでなかったよ!30分……今からでもギリいけるか……?
女子2人を見ると、楽しそうに人参の皮をむいている。
よし。これは……いける!なんとなく!というかいくしかない!
オレは急いで流し台に向かい、米を研ぐ。これぐらいのことはさすがにオレでもできる。ちょっと米をこぼしてしまったけれど。
「西片、焦ってどうしたの?」
こういうときはそっとしておいてほしい。
「べ……別に焦ってないよ?カレーのタイミングに合わせたら、今ぐらいにお米研いだ方がジャストタイミングなんだよ。」
「ふーん。焦ってお米こぼしてるけど。」
「だから焦ってないって!オレお米研ぐの下手だからさ。どうしてもこぼしちゃうんだよ。困っちゃうよね。」
「ほんとに?」
「ほんとに……。」
「まぁ、いっか。」
なにやら納得したらしく、解放してくれた。
なんとかカレーもご飯もできて、無事食事の時間を迎えることができた。
ご飯は、ほどよく炊けてほどよくおこげがある、という、いかにも初心者といった炊け具合だった。
とはいえ、真っ黒こげではないし、芯もないので、わずかなおこげ部分にさえ目をつぶれば、そこそこの出来だと言えるだろう。
カレーについては、よほどのことがない限り失敗はないと思うので、ご飯が多少おこげでも美味しくいただけるはずだ。
準備ができた班から食事を始めるということだったので、早速4人で席についていただくことにする。
「いただきまーす。」
合掌し、4人で唱和する。
カレーは案の定、安心するほどカレーの味だった。
しかし……とにかく具が大きかった。じゃがいもに至っては、本当に中に火が通っているのか不安になるレベルだ。
とは言え、枝を突っ込んで米を研いだだけのオレにはなにも言う資格はない。でもちょっと言ってみる。それも優しく。
「これ、結構具が大きめに切ってあるけど、やっぱりこだわりがあるの?」
瞬間、真野さんの雰囲気が変わった。ヤバい。なんらかのフォローをしなければならない。オレにそう思わせるほどの変わり方だった。
「あー、でも、中井君ぐらい体が大きいと、これぐらいの大きさの方がちょうどいいのかな?」
オーケイ!このフォローは完璧だろう!真野さんの中井君への気持ちを利用した、最高のフォローだ。
「いやぁ、オレ、熱いの苦手なんだよな。じゃがいもなんかも冷めないと食えないからさ。」
アホかぁああ!どうすんだよオレのフォロー!真野さんってキレたらなんか怖そうだし!
「あの……。」
と、高木さんがおずおずと話し始める。
「大きいのは私が切ったやつなんだよ。ごめんね。」
「高木ちゃん……。」
「うん、具がデカかろうが小さかろうが、カレーは美味いよな!」
「そうだよ。だから早く食べよう!中井君が熱くて食べられないうちに、みんなで食べちゃおう!」
「あー、西片ひどいな!」
実際のところはわからない。
例えば具は2人で切って、高木さんの方だけ、あるいは真野さんの方だけ大きかったのか。
例えばそれぞれ役割を分担して、具は高木さんが切ったのか。
実際のところは、本人たちに聞かなければわからない。
それでも、4人で楽しく食事ができたんだから、それでいいんじゃないか。
と、枝を突っ込んで米を研いだだけのオレは思ったのだった。
食事を終えたところで、鍋なんかの調理器具を洗い、管理棟へ片付ける。
中井君と真野さんが一緒に作業をすると、必然的にオレと高木さんが一緒に作業することになる。
考えてみると、今日2人になるのは、朝のバス以来じゃないだろうか。
「朝のバス以来だね。」
「へっ!?な……なにが!?」
「こうして、2人になるの。」
「あ……あぁ、そうだね。」
「どうしたの?大きな声出して。なにか変なことでも考えてた?」
「ううん!全然!変なことなんて全然考えてないよ!」
もしかしたら、少し離れたところにいる他の班の生徒に聞こえていたかも知れない。
「その……2人になった途端、ガンガンからかわれるんじゃないかと思って……。」
なぜか素直に告白してしまった。
「あははっ!それで大きな声出したの?」
「そ……そうだよ……。悪い?」
「私はね、西片と2人になれて、ちょっと安心してるよ。」
「え……どういう意味?」
「どういうって……そのままの意味だけど?」
「からかってるわけじゃなくて?」
「なくて。」
「えっと……それは、その……つまり……?」
「西片、顔赤くなってるよ?」
「えっ!?えぇっ!?」
「あはははっ!」
ちょっと2人になっただけですぐこれだ。
そもそも、林間学校では高木さんにもスキができると思ったのに、まったくその気配がない。そのため、オレにもリベンジする機会がない。実際のところ、リベンジ方法はまったく思いついていなかった。しかし、これは言い訳ではない。だって、高木さんにスキがないのだから。そう、言い訳ではない。
しかし、オレは焦らない。林間学校はまだまだ終わらない。むしろ夜の方がスキができる可能性は高い。そう。今に見ているがいいよ高木さん……。楽しんでいられるのも今のうちだよ?なにしろオレの戦場は大自然の中なのだから。
オレのリベンジはともかくとして、食後は定番のキャンプファイヤーが行われる。
そして、やはり定番のハンカチ落としと、やはり定番の合唱をする。
キャンプファイヤーの準備は先生が行っている。その間、オレたちは井桁の周りで思い思いにおしゃべりしていた。
「ね、西片。やっぱりフォークダンスなくて残念?」
「またその話!?別にオレそういうこと考えてないからね!?」
「そういうことって?」
「その、女子と手つないで踊るとか、そういうことだよ……。」
「ふーん。西片ってなんだか、女子なら誰とでも手つないで踊ってそうなイメージなんだけどな。」
「オレのこと、どんなキャラだと思ってるんだよ……。別に誰でもいいってわけじゃないよ……。」
「じゃあ、どんな人ならいいの?」
「え……?どんな人……?」
「うん。どんな人ならいいの?」
「べ……別に、どんな人でも……。」
「やっぱり誰でもいいんだ。」
「そうじゃなくて……その……例えば……。」
「例えば?」
「その……例えば、付き合ってる人、とか……。」
「へぇー。そうなんだ。ふーん。」
「な……なんだよ。」
「ううん。西片っぽいなって思っただけだよ。」
「どういう意味なんだよ、それ……。逆に高木さんはどうなのさ。」
「私?私は、西片が一緒に踊ってくれたら、それで充分だよ。」
は?……は?
「ほら西片、もうすぐキャンプファイヤー始まるよ!」
オレの困惑をよそに、高木さんは子どものようにはしゃいでいた。
学年全員で炎を囲み、地面に座り、ハンカチを落とし、歌を歌う。
定番ではあるけど、この非日常感は、やはりキャンプならではだろう。もはやこうなると班などおかまいなしだ。仲のよい者同士で集まって、楽しそうにしている。
それでも、高木さんとオレは隣同士に座っていた。高木さんの歌声はまるで透き通るようで、楽しそうに歌っていた。炎に照らされた長いまつ毛の影が顔に落ち、いつもとは違う表情を見せていた。
高木さんの顔を盗み見ていたオレに、突然高木さんがこちらを振り向き、尋ねてくる。
「ん?なに?」
「いや……別に……。」
オレとしてはこう答えるしかない。
「そう?」
高木さんは再びキャンプファイヤーを楽しみ始めた。
そして、その実オレもこのキャンプファイヤーを楽しんでいた。その頃には、高木さんへのリベンジなど、頭の片隅の片隅へと追いやられていた。
キャンプファイヤーが9時に終わると、歯磨きをしたりと皆就寝の準備を始めた。
と言っても、キャンプファイヤーの興奮冷めやらぬ中、すぐに就寝する者など多くはない。
恐らく、点呼の10時を過ぎても夜のおしゃべりは続くのだろう。
そんな中、オレは1人でテントの外に出ていた。
山の夜空を1度見てみたかったのだ。オレは、キャンプ場の斜面を下って行った。
キャンプ場は山の斜面にあり、テントや調理場は、すべてその斜面に設置してあった。もちろん、それぞれのテントなどは高さを調整して水平に設置されているが、斜面の下から見上げればすべてのテントが見える、そんな配置だった。
テントより下の方の斜面には、長くて柔らかい草が生えていて、少し滑りやすくなっている。人が歩くことをあまり想定していないのだろう。そんな場所を暗闇の中、星を見やすいポイントを探しながら、ゆっくりと歩いていった。
斜面を降りて行くと、危険防止のためだろう、胸ほどの高さの柵が左右に長く設置されていた。柵から下は、暗いながらも、さらに斜面が急になっているように見えた。その柵に沿って右に曲がって歩くと、星を見るのによさそうな場所が見つかった。
しかし、そこには先客がいた。地面に座って後ろに手をつき、空を見上げているようだ。
オレはその人影の邪魔をしないよう、そして足を滑らせないよう、ゆっくりと後ろを通り過ぎようとした。
「うわっ!」
「わっ!大丈夫!?」
情けないことに足を滑らせてしまった。
オレは昔からそうだ。やってはいけない、そう思えば思うほど、やってしまうのだ。お葬式で笑ってはいけないと思うほど笑いがこらえられなくなるのと同じだ。
「あ……あの、邪魔してごめん……。」
「西片?」
「高木さん?」
なぜか高木さんがいた。いや、これだけ綺麗な星空だ。しかもここは星空鑑賞の一等地だ。彼女がいてもおかしくはない。
「隣、座る?」
「いいの?」
「もちろん。」
オレは彼女の左隣、教室の机の距離よりもやや近いくらいの場所に座った。
「それにしても……。誰か来たかと思ったら……。ぷぷっ……。滑っちゃって……。びっくりしちゃって……。」
「びっくりは高木さんもだろ……。」
「あー、確かにそうだね。ぷくくっ……。」
もう、恥ずかしくて顔が真っ赤になっていることだろう。
「暗くてよかった……。」
「ん?なにか言った?」
「別に?」
「明るいと顔赤いのがわかっちゃうもんね。」
「きっ……!」
「しーっ。」
聞こえてるんじゃないか、とオレが抗議する直前に、彼女がオレの口を人差し指で制する。
「あんまり大きな声出すとさ、聞こえちゃうよ。疲れて寝てる子もいるだろうし。それに……。」
彼女は一呼吸つき、からかうように言った。
「2人でなにしてたのかな、って思われちゃうよ?」
しかし正直なところ、オレの心中はそれどころではなかった。なにしろ、いきなり人差し指を口に当てられたのだ。さすがに少し……かなり、ドキドキする。
「あ、ごめんね。地面に手ついてたから。泥ついちゃった?」
「あ、ううん。そういうのは大丈夫。」
うん。泥は別に大丈夫。他が大丈夫じゃない。
「西片は星見に来たの?」
「うん。オレたちの家も都会じゃないけど、やっぱり山とは星の数が全然違うんだろうなって。」
「ふーん。西片ってさ、ロマンチストだよね。星空とかほんとに好きそうだもん。」
「それ、誉めてる?」
「誉めてるよ。」
「そ……そう……。ありがとう……。」
「どういたしまして。」
これまで彼女に誉めてると言われたことは数えるほどしかないので、恐らく本当に誉めてるんだろう。それにしても、やっぱり人の好意を素直に受け取ることができない、汚れた中学生になってしまった。考えるまでもなく彼女のせいだろう。
「高木さんは?やっぱり星見に来たの?」
「私は西片待ってたの。」
「はぁ?なに言ってんの?」
オレは大きな小声で彼女に問う。
「ぷくくっ……。大声出したいのに出せなくて……我慢して……。」
「もう……なにがそんなにおかしいのさ……。じゃあ、オレが来なかったらどうするつもりだったの?」
「来るまで待ってたよ。」
「それでも来なかったら?」
「んー。」
彼女は顎に右手の人差し指を当てて少し上を向きながら考えて、言った。
「点呼の後に抜け出して来るかな。」
「それでも来なかったら?」
そう尋ねると、顎に当てていた指でオレを指し、オレの顔を見ながら平然と言った。
「でも、来たでしょ?」
オレたち2人は、並んで星空を見ていた。
天上からオレたちの真横にまで広がる星空。月もなく、ただ広がる星空。なんとなく、星の砂漠、という言葉が思い浮かんだ。オレ、言葉のセンスないな……。
テントからかすかに漏れ聞こえてくるクラスメート達の楽しそうな声を除けば、この時のオレには、星空と、時間がゆっくりと流れているような感覚だけがあった。このゆっくりとした時間の中、オレと高木さんは、時に二言三言交わしては、またその時間に埋もれる、といったやり取りを続けていた。
高木さんのその言葉は、そんな時間を侵食するかのように突然現れた。
「ね、西片。」
「ん?」
「キスしようよ。」
「なっ……!?」
あまりにも唐突すぎて、オレの十八番であるいつものツッコミすら声にならない。
「そっ……そんなことできるわけないだろ?なに……なに言ってんの?」
しかし、こんな状況でも小声はちゃんと守る。オレってえらいなぁ。
「そっかー、それならしょうがないや。だったらせめて、手、つなごうよ。」
まぁ、キスすることに比べたら、手をつなぐくらいなら……。
いやいやいや待て待て待て。これは高木さんの作戦だ。まずは要求して、次に譲歩してみせる。作戦もさることながら、オレ自身大自然の雰囲気に呑まれてしまっていて、完全に引っかかってしまうところだった。
それにしても、こんなに美しい大自然を使ってオレをからかおうとするなんて、なんて卑劣な人なんだ。
「残念だったね、高木さん。そうやってオレと手をつなごうとする作戦だったみたいだけど、オレにはすべてお見通しだったよ。」
「おー。すごいね西片。絶対に引っかかってくれると思ったのに。」
今度は聞かなくてもわかる。これは絶対に誉めてはいない。むしろけなされている。
「じゃあ、西片は、どんな人なら手をつないでもいいの?」
本日2度目の質問だ。
「さっきも言ったじゃん……。だから、例えば、付き合ってる人とかだよ……。」
「例えば、だから、他にもいるかもしれない、ってことだよね?」
「まあ……そうかも知れないけど……。」
「じゃあ、教えてよ。その、例えば、をさ。」
なんだか随分と押しが強い。
だけど、オレ自身考えてはいた。例えば、付き合ってる人以外に、どんな人ならいいのか。そして、一応の答えは出ていた。
「はい。」
オレは、高木さんに右手を差し出した。
「え……?なに……?え……?」
「だから、はい、って。」
オレは、蚊の鳴くような精一杯の大声で続けて言った。
「その……お互いに、一番仲のいい異性の友達、なら、手、つないでも、いいかな、って……。」
高木さんはオレの右手を見ながら困惑していることだろう。だろう、と言うのは、オレ自身余りにも恥ずかしすぎて、高木さんの顔を見ることができないでいるからだ。
どうしてオレはこんなことを思いついてしまったのだろう。恥ずかしすぎる。
しかも、高木さんが一切のリアクションを起こさないので、オレの恥ずかしさは上がり続け、メーターを振り切る直前だった。
オレは、その恥ずかしさを払拭するかのように言った。
「つなぐの?つながないの?」
「つなぐ!」
高木さんは両手の泥を払い、左手の手のひらをオレの右手の手のひらに重ねる。
高木さんの手は、やわらかくて、あたたかかった。それは母親とも違う、生まれて初めての感触だった。
「西片、今、顔真っ赤でしょ。」
「う……うるさいな……。」
「あはは。大丈夫だよ。私もたぶん真っ赤だから。」
もう、なにがなにやら、とにかく恥ずかしい。オレは仕方がなく、正面に広がる星空を眺めていた。大自然の中で場当たり的に考えた作戦など薄っぺらいものだ。結局のところ、大自然なんてなんの役にも立たないのだ。
だけど、高木さんは恥ずかしいばかりでもなさそうだ。
「あはは、西片と、手つないじゃったや。」
見れば、彼女は膝を立てて座り、膝の上に右腕を乗せて、そこに顎を乗せている。彼女の表情は、夜の暗さのせいではっきりとは見えないけど、その声は喜びに満ちているようにも感じられる。
オレと手をつないだくらいでこんなに喜ぶなんて、もう少し前からつないであげてればよかったかな……。
いやいやいや待て待て待て。相手はあの高木さんだ。なにをたくらんでいるかわからない。
「ね、西片。」
「なっ!なに!?」
警戒するあまり、思わず大きな声を出してしまった。
「手、ぎゅってしてもいい?」
「あ……うん、別に……いいけど……。」
オレの答えを聞くと、高木さんは、左手に少しだけ力を入れて握った。
あ……なんか、これはマズい。とてもマズい気がする。このままだと、なんとなく、オレは、高木さんのことを好きになってしまいそうな……そんな予感がする。
オレが高木さんのことを好きになるわけがない。だから、早いところこの状況を変えなくてはいけない。
なぜオレは高木さんを好きになってはいけないのか。そこには理屈も論理もなかった。ただ、とにかく、オレは高木さんのことを好きになってはいけないのだ。
だけど、じゃあ、どうすればいいのか。こうしている間にも、オレと高木さんは手を握り合い、オレの手には高木さんの熱と柔らかさが伝わってくる。
「ねえ、西片。」
「な……なに?」
「私ね、今、時間が止まればいいなって、本気で思ってる。幸せだと、ほんとにこんな気持ちになるんだな、って。」
だから、今はそんなことを言わないでほしい。オレをからかっているのか、本気で言っているのか。どちらにせよ、オレの気持ちが止まらなくなってしまう。
オレは、もはややけくそな手段で状況を変えようとした。
「たっ……高木さん、もしかして、さっきオレに負けたせいで泣いてるんじゃない?いや、絶対そうだよ。だからさ、勝負しようよ。高木さんが泣いてたらオレの勝ち、泣いてなかったら高木さんの勝ち。」
「勝負?でも、私は別に……。」
「いいから!とにかく勝負するの!」
自分でも言っていることの意味がわからない。もう、完全にだだっ子だ。
「わかったよ。それで、泣いてるかどうかはどうやって判定するの?」
「もちろんオレが確かめるよ。ちなみに、目が潤んでてもオレの勝ちだからね。」
「別にいいけど……。」
「じゃあ、今から開始ね。」
そういえば、勝者の権利を決めてなかった。だけど、目的は今の状況を変えることだ。そんなことはあとで考えればいい。
ともかく、勝負は始まってしまったのだ。
オレはまず、がんばって高木さんの顔を見た。涙が流れているわけではない。これは想定のうちだ。
続いてオレは、がんばって彼女の目を覗き込む。
しかし、暗い。暗すぎる。光源が星だけなのだ。当然だろう。
ふと我に帰ると、オレと高木さんの顔はかなり近い位置にまで寄っていた。至近距離で、オレは高木さんの目を見つめ、高木さんはオレの目を見つめている。もともと状況を変えるためにオレから勝負をけしかけたにも関わらず、これでは余計にマズい状況になってしまっている。
オレがそんなことを考えていると、不意に高木さんが目を閉じた。
「えっ……?ちょっ……ちょっと!高木さんちょっと待って!」
「ん?どうしたの?大きな声出しちゃって。」
「いや……その、目閉じるのはずるくない?」
「だって、目閉じちゃいけないってルールはなかったでしょ?」
「それ……は……確かにそうだったけど……。」
「それとも……他になにか考えてた?大きな声を出すようなこと。」
「かっ……!考えてないよ!全然!そんなこと!」
「ふーん。そんなこと、ねー。どんなことなんだろうね?」
「ど……どんなことなんだろうね……。」
「私はてっきり、勝負にかこつけて、西片がキスしてくれるんだと思ってたんだけど。だから、目つぶってた方がやりやすいかなって。」
「そっ……そんなことっ……するはずないだろ!」
なぜあんな勝負を持ち出したのか、正直自分でもよくわからない。ただ、あの状況にテンパっていたことだけは間違いない。
「だけど、惜しかったね。キスしてれば西片の勝ちだったのに。」
「勝ち?なんで?そんな勝負したっけ?」
「前にしたんだよ。西片から私にキスできたら西片の勝ち。有効期限はなし、っていうの。」
「あ……ああ、あれね……。」
「覚えてないでしょ。」
「はい……。」
「じゃあ、改めて勝負しようよ。今つないでるこの手、先に離した方が負けっていうのは?」
オレは……オレたちは、色々あったにも関わらず、手はしっかりとつないだままだった。改めて意識すると、途端に恥ずかしくなっていた。オレは、高木さんの顔から目を背け、再び星空に目を向けた。
「それって、高木さんに有利すぎない?」
「どうして?先に手を出してくれたのは西片だよ?」
そうだった……。いろいろあってすっかり忘れてた……。
「じゃあ、いいよそれで。で、勝者はどうするの?」
「私が勝ったら、さっき西片に負けたのはチャラ。西片が勝ったら、一週間西片をからかわない。どう?」
「それって、オレの一勝も消えちゃうわけ?」
「まぁ、そうだね。あと、明日はバス移動の間はからかわない、っていうのもなくなっちゃう、ってことだね。」
なかなか絶妙なところをついてくる。高木さんからもぎ取った一勝、価値ある白星だ。対して、一週間からかわれない。夏休み前の一週間を心穏やかに過ごせるというのはとても幸せなことだ。
「こわいの?」
「はっ?」
打算していたオレを、高木さんが挑発してくる。
「手つないでればいいだけなのに、それでも私に勝てないって思ってるんだ?なるほどー。」
安い挑発だ。大自然の中で、心おおらかになっているオレにそんな挑発が通じると思っているんだろうか。
「いいよ。その勝負、受けて立つよ。自分で言ったこと、忘れないでよ。」
「もちろん。」
大自然もおおらかな心も、小さなプライドには勝てなかったみたいだ。
しばらくの間は、2人とも手をつないだまま黙っていた。
オレも高木さんも、正面に広がる星空を眺めていた。さっき、ここで最初に手をつないだ時のように。
「ねえ、高木さん。」
「なに?」
「これ、点呼の時間までに勝負つかなかったらどうするの?引き分け?」
「うん、引き分けでいいよ。だけど、たぶんそうはならないけどね。」
これまた、随分と自信のあることだ。さっきの挑発といい、オレのことをなめているとしか思えない。
「西片って、爪きれいなんだね。つるつるしてる。」
だけど、そういう風に、指を一本ずつ確かめるようにさわるのはやめてほしい。笑えないほど恥ずかしい。
「あ、ここ逆剥けがあるよ。はがしていい?」
「ダメだよ!」
「まぁ、そう言うと思ったよ。へー。」
そう言うと、また確かめるように指をさわり始める。もう……もう、やめてほしい……。
だけど、オレの白星を守るためにも、オレは耐えなくてはならない。それが、どれほど恥ずかしくても……!
「ちょっ!高木さん?ちょっと!?なに!?」
「恋人つなぎだけど?手を離したわけじゃないから、ルール違反じゃないでしょ?」
「ないです……。」
「西片って、思ったよりも、指太いんだね。なんだかひ弱なイメージだったけど。」
「なんだよ……ひ弱なイメージって……。」
「たくましくてかっこいいね、って言ったんだよ。」
ヤバい。ヤバいヤバいヤバい。さすがに今のはヤバい。勝負はオレの負けでいい。これ以上手をつないでいることなんてできない。
ついにオレは、つないでいる手を離した。オレが恥ずかしさのあまり荒い息をついていると、追い打ちをかけるように高木さんの両手がオレの右手を包み込んでいた。
「両手使っちゃいけない、とも言ってなかったよね?」
「確かに……そうだけど……。でもオレ、もう負けで……。」
「あのね、点呼ぎりぎりまで、こうしててほしいんだ。その……今日だけでいいから……。」
高木さんが涙まじりの声で言う。
こんな風にせがまれてしまっては、さすがに拒否することもできない。オレはいくらなんでもそこまで薄情な人間じゃない。
だけど、オレはせめてもの照れ隠しに、こう言うしかなかった。
「まぁ……。オレは星見てるだけだから……別に、かまわないけど……。」
「ありがと。西片が、星空が好きなロマンチストでよかったよ。」
「それはまぁ、なによりで。」
「あ、だけど。」
「ん?」
「西片の方が先に手離したんだから、西片の負けだからね。」
「え?それ有効?」
「もちろん有効だよ。だって、私がお願いしたのって、勝敗が決まった後だもん。」
「そうだけど……なんだか納得できない……。」
「納得できなくてもしてもらうしかないよ。勝負の世界は厳しいんだよ?」
「わかったよ、もう……。さっきの勝負は全部チャラ。これでいいんだろ?」
「うん。あと、もう一つ。」
「なに?まだなんかあるの?」
「手、つないでくれてありがとね。今、とっても嬉しいよ。」
「あ……うん。どういたしまして……。」
「ね、西片。星、きれいだね。」
林間学校の朝は早い。
ということもなく、6時起床、7時集合なので、普段の生活とさほど変わらない。
歯磨きをしてテントに戻る途中、高木さんに出会った。
「おはよ、西片。なんだか寝ぼけたみたいな顔してるよ?」
「オレはいつもこういう顔なの!寝ぼけてないよ!」
「ふーん。またてっきり、男子なのに恋バナとかして夜更かししてたのかと思ったよ。」
「しないって!」
「少女マンガ好きなのに?」
「高木さん!それは学校では言わないって言ったじゃん!」
オレはまたしても大きな小声でそう言った。
実際のところ、なかなか寝付けなかったのは事実だ。
あんなことがあって眠れるわけがない。
高木さんに対して、手をつなごうと言った、オレ自身の気持ち。
右手にずっと感じられていた、高木さんの柔らかさ。
信じられないほどの、大きな星空。
それらがすべて、オレの心に残っている。。
だけど、それらはすべて昨夜で終わったことだ。バスを降りれば、オレたちはまた日常に戻る。オレの気持ちも、あの柔らかさも、あの星空も、まるですべてこの場所に置いて帰るように。
だけど、許されるのであれば。たった一握りだけ、この手に収まるだけでいいから、あの時の気持ちや柔らかさや星空の、欠片だけでも、日常に持ち帰りたい。そんな風に思っていた。
さらには、高木さんにもそう思っていてほしい……というのは、少しワガママすぎるかも知れない。
そしてオレたちは、帰りのバスに乗り込む。
オレはバスの真ん中辺りの左側の窓側、彼女はその右隣に座っている。
高木さんから酔い止めをもらい、キャンプ場で水筒に入れてきた水で飲み込む。
「あのさ、高木さん。」
「ん?」
「あの……できたら、バスの間はからかわないでほしいんだよ……。その……気分悪くなっちゃうから……。」
「やっぱり今日も寝不足?」
「まぁ……そんなとこ……。」
「ふーん。なに考えてたの?」
「なっ……!べっ……別に!それは関係ないだろ!?」
「ふーん。」
彼女は少し考え込むような仕草をした後で、オレに笑顔を向けて言った。
「まぁ、できたらね。」
「できたら、じゃなくて……なるべくしないでほしいんだよ。」
「なるべくね。」
「えっと……だからそうじゃなくて……。」
「ほら、西片。バス出ちゃうよ。酔わないようにしないと。」
オレは常に高木さんに気を張っていたにも関わらず、唐突にわき腹に刺激を感じた。
「わははは!」
高木さんがわき腹をつついてきたようだ。オレはわき腹が弱く、つつかれると確実に笑ってしまうのだ。
「高木さん、さっきは『できたらなるべく』からかわないって言ってたじゃないか!」
「トイレ休憩だって。今行っておかないと、次いつになるかわからないよ。」
「もしかして、オレまた寝てた?」
「うん。ぐっすり。」
「起こしてくれたのはありがたいけど、わき腹以外の方法で起こしてよ……。」
「だって西片、寝起きでもリアクションが面白いんだもん。」
既視感を覚えるような、行きのバスと同じやりとり。
ただ1つ違うのは、オレの右手に、高木さんの左手がそっと添えられていたことだった。
最後までお付き合いありがとうございました。
それにしても、長い作品ですね。
我ながらそう思いました。