とある暗部の暗闘日誌 作:暮易
「本当にごめん。マジで、あのタイミングで抜け出すなんてありえないって、自分でも思ってる。」
『……』
「……その、さ。お弁当、やっぱり……余っちゃっ…た?」
『……余ったお弁当は、後で御坂さんが美味しく頂きました。』
「ああ、そっか……。それは、よかった。」
『……』
「あの、アレ。玉入れも、最後の方まで見たんだ。火澄と手纏ちゃんが竜巻だすとこもちゃんと見てた…ぜ……」
『……』
「決着は、やっぱ、その……常盤台の勝ちだったんだよ、な?」
『玉入れは勝ったわよ。』
「ああ、やっぱり勝ったね。優勝も、常盤台だったんだよな?」
『負けたわ。最終的には長点上機が優勝した。そんなことも知らないの?』
「……ぬ、ぐ。そのっ……」
『深咲、泣きそうな顔してたわよ。』
「……そのことは、言い訳せずに、許してくれるまで謝るしかないって思ってるよ……」
『言い訳しないっていうのなら、何の用事で居なくなったのか聞かせてもらいたいわね。』
「……それだけは言いたくない。誰にも言わない。許して欲しいけど、それを言うつもりはないよ……」
『……はぁ。この期に及んでもなお、教える気はないのね。もう。それで本当に許して欲しいの?』
「ごめん。許してもらえるまで、何を言われようと我慢するよ……覚悟してる。」
『人に言えないような、アルバイトでもしてるの?だからって、あんな風に情の薄い、他人に対して無神経なことばかりやってたら、友達いなくなっちゃうわよ?』
「そう、だね。その通り、だよ。」
『はぁ。わかりました。……今回のことは、深咲と話し合った結果、さすがに目に余る、ということで。景朗には、ちょっと反省してもらおうと思います。』
「え?」
『頭が冷えるまで、暫く。アンタのこと、無視させていただきます。』
「ちょ、ま、え?」
以上が、大覇星祭終了後の、俺と火澄の、電話越しでのやり取り、そしてその顛末である。それっきり、彼女たち、火澄と手纏ちゃんのケータイにいくら連絡しても、めっきり音沙汰なくなってしまいました、とさ。
手纏ちゃんから唯一、一件。メールで返信があった。『景朗さんのこと、嫌いになったわけじゃないです。けど、今回のことはあんまりだと思います。いつも約束やぶって居なくなっちゃいますし。もうこんなことしちゃ、めっ、ですよ?ごめんなさい。少しだけ頭を冷やしてください。』
手纏ちゃんまで。そんな。俺の癒しの時間が。こ、こんなことで、JCと優雅にランチを楽しむ憩いの時間が失われてしまったのか。そんな、嘘だ。こ、こんなの夢だ。……ダメだ、着信拒否。メールもいくら送っても返ってこない。畜生マジでか!えええあああ。寂しすぎるんですけど。
がああ、あれもこれも全部、無駄に抵抗して無駄に命を散らす、大馬鹿野郎のクソッタレな暗部どものせいだ。次会ったときは、容赦なく潰してやる。うあー。やってらんねぇよぉ。
「……い!おい!ぼーッとしてないで、ちゃんと見てよ!」
今はもう十月のはじめ。九月の末に、火澄と手纏ちゃんに天誅を下され、その衝撃から僅か一週間。未だに、こうしてその時の衝撃がフラッシュバックしてくる。
……というわけではない。実は今。俺はこの少女と、戦闘時における連携について情報を交わしつつ、互の身の上話に興じていたところであった。だが、彼女が話す、彼女の能力の話が、あまりに……アレな、理解不能なものだったので、現実逃避しかけていた、と言うべきだろう。正しくは。
"ハッシュ"メンバーと顔を合わせた、第三学区の個室サロンで、俺と彼女は二人きり。彼女が身につけていた、無骨なでっかい水筒から取り出された水銀が、部屋の中でクネクネと形を変え、様々な形状の武器へと変わっていく。
話によると、このオレっ娘の能力は、分類上は
ただ、能力の出力自体は強いようで、オレっ娘は、唯一まともに扱える水銀の形状を自由に変えて、剣やら槍やら盾やら、それこそロープやハシゴなんかにも変えて、状況に適した"
というのは。
「で、その手に持ってる槍。今度はなんて名前なんだ?」
俺は精一杯、彼女が傷つかないように、自身が感じている感想を漏らさずに、彼女に疑問を投げかけてやった。
彼女は、狭い室内で窮屈そうに、手にした"水銀の槍"を振り回し、自信満々に返事をくれた。
「"
なるほど。今度の槍は、先っちょが五又に分かれているもんな。確か……先っちょが一本に尖ってるやつだと"
何処からツッコもうか。俺は恨めしそうに、先ほど、この場からそうそうに席を立った、"ハッシュ"メンバー残りの1人の顔を思い浮かべる。横で相手をしてほしそうにキャンキャンと吠えるオレっ娘をよそに、俺は再び意識を手放しつつあった。
俺が自身の正体を告げた後の、丹生多気美と名乗ったオレっ娘の驚き様は半端ではなかった。握手をしたのは、無意識のことだったらしい。彼女は、素早く手を離すと、半歩後退し、俺から距離を取った。この様子だと、しばらくはまともに話はできないだろうな。
新生、"ハッシュ"の、前線部隊は今のところ3人。残りの一人は静かに腕を組み、俺とオレっ娘の会話を淡々と眺めていた。
「君たち2人は顔見知りだったのか。これは、色々と手間が省けそうだ。」
俺より年上、高校生だろう。俺と同じくらいの身長だろうか。面長の整った顔は、俺をまっすぐに見つめている。時たま、
「
「どうも。
握手をしようかとも思ったが、そんな雰囲気にはならなかった。彼は、すぐさま、てきぱきと端末を操作して、メンバー全員に、"ハッシュ"に関する情報を送信してくれた。
「へぇ。あんた、
この郷間陣丞と名乗った男。能力名に、
「すまない。説明が難しくて……。11次元がどうこう書いてあるが、よくわからない。簡単に言えば、どういう能力なんだ?」
仲間の能力の概要くらいは理解しておきたい。まあ、暗部組織では、一種のタブーとして、暗黙の領海のうちに、相手の"奥の手"までは根掘り葉掘り尋ねない、というものがあるのだが、この場合はそうも言ってられないだろう。
「そうか。そうだな、"
全くもってわからない。横で熱心に資料を読んでいた丹生にも訪ねてみる。
「いいや。わからない。…おい、オレっ娘。君は知ってるか?」
「ふぇっ。え、あ、いや、わかんない。」
郷間はピクリとも表情を変えずに、つらつらと話の続きに入った。
「語源となったギリシア語を直訳すれば、"何処にも存在しない場所"という言葉になる。俺の能力はその通りに、自身の肉体の空間の位相をずらし、この身を三次元世界から"隔離"させる。つまりは、自由に肉体をこの世から消失させ、いかなる攻撃からも身を守れるということだな。」
おいおい、そんな絶対防御の能力が、ただの
「唯、問題もある。体を"隔離"させている間は、その場からほとんど移動できない。また、長時間の"隔離"もできない。能力の使用中は呼吸できないからな。閉所で毒ガスのような攻撃を受ければ、結局は身を守る術がない。」
冷ややかに、抑揚なく自らの弱点を吐露する郷間だったが、俺は彼にニヤリと笑いかけた。
「でもあんた、どうせガスマスクや酸素ボンベを使ってるんだろ?」
俺の問いかけに、会ってから初めて、郷間は口元に笑みを浮べた。
俺たち2人に取り残された丹生は、キョロキョロと交互に2人を見やった。そのうちしょんぼりと肩を落とし、「あぅ……。」と一言。
その後、今度は俺と丹生、能力の説明をしていない2人が幾許か資料に補足を行おうとしたものの、郷間は時間がないと言い出して、すぐさま席を外してしまった。
彼は退出する間際に、「俺の能力は他人と連携を行うのには不向きだ。」と言っていた。"ハッシュ"の前線部隊の指揮は、満場一致で、最も経験のある郷間が行うことになっている。彼は、基本的には任務中、1人で行動するつもりのようで、俺と丹生に2人組(ツーマンセル)を組ませると言っていた。
そうして郷間は、俺たちの能力については資料で十分に確認した、と告げた後、そのまま俺たち2人を置いたまま、個室サロンを後にした。
丹生に対しては、俺の能力の説明をする必要が無かった。とっくに、実物を拝んでいたからな。一方の俺は、直前に"粉塵操作(パウダーダスト)"に目を潰されていたために、丹生の能力を碌に観察できていなかった。
ということで、丹生多気美に、彼女の能力の説明やら何やらを教えてくれるように頼んだのだが。彼女はおもむろに、肩にかけていたゴツい水筒を外した。
喉でも乾いたのか、お茶でもご馳走してくれるのか?と思ったのも束の間。彼女が水筒の内蓋を開けた瞬間。ドロッとした銀色の液体が、水筒から吹き出し、彼女の手に集まった。なるほど、肩にかけていた無骨な水筒は、自前の水銀の容器だったのか。
そういえば、以前の任務で彼女に出くわした時は、彼女がこんなに可愛い娘だとは全く思ってなかったな。目の前で何やら楽しそうに「何から見せようかなー。」と水銀をぐにゃぐにゃとさせている、丹生の姿を今一度観察した。
ショートヘアの黒髪を、サイドポニーに纏めている。肩にかけた水筒と、ショートデニム、ヘソ出しトップスとジャケットが、ボーイッシュ雰囲気を醸し出しつつ、同じくボーイッシュな言動とマッチしていて。ていうかそんなんどうでもよくて、ぶっちゃけカワイイ顔してた。
あ、あれ?可愛いオレっ娘と個室サロンで2人きりて。ふう。平常心、平常心。くそ。やめろ、俺、やめるんだ。妄想を止めろ。あーもうどうしよう。"俺が守ってやるぜ"的なフレーズが次から次へと脳内で浮かんでは消えていくぜ。おいこれ暗部だからな、俺。脳内ピンク色にしても無駄だからな、俺。
いつの間にか、目の前でくにゃくにゃと水銀をいじっていた丹生の手には、まさしく"西洋風の直剣"とでも言うべきものが握られていた。
「もしかして、それ、この間俺を切ったやつ?」
俺の質問に、オレっ娘は自信満々に、違う、と答えた。心なしか、郷間がいなくなって、緊張がほぐれてきているみたいだな。
「この間お前を切ったのは刀で、"
「……ん?え、なんだって?」
そう言って、彼女は誇らしげに手に持った直剣を振り回した。
「"
なんの変哲もないショートソードが"エクスカリバー"で、その剣幅の増量版が"カラドボルグ"。なんかギザギザしてるのが"ダインスレフ"……う、うーん……。
こちらの呆れ顔に全く気付かずに、彼女は一生懸命にお手製の武具の紹介に勤しんでいる。まるで、些細な情報の行き違いが、生死の境を分かつと言わんばかりに。
ボサっとしているあいだに、いつの間にか彼女の手に持っている武器が槍に変わっている。どれも同じ形に見えるんだが……。
手にした資料に目を向ければ、そこにはズラァーっと並ぶ、数十の、厨二病的なファンタジー武器の羅列が。郷間、この資料で十分だったと?
「な、なぁ。剣とか槍とかはもう十分わかったからさ。大丈夫だ。と、ところで、コイツはなんなんだ?"貪喰なる悪狼の足枷"って、これ……な、なんて読むんだ……?」
「ああ。"
予想に反して、以外にまともな使い方だった……かな?てか、一言で言って投げ縄ならもう投げ縄でいいじゃねぇーか。
「じゃあ、最後にコレ。"熾天覆う七つの円環・・・"とは?名前から全く想像できないんだが、何だこれ?」
「それは"
丹生は説明と同時に、手持ち無沙汰に弄っていた水銀を、傘を開くように円形の盾に形作った。喉からツッコミが出そうになるのを、必死に抑えた。「盾として使う」もなにも、それ盾以外の何に使うんじゃボケェ。傘か?一瞬傘に見えたから傘に使うのか?
「そ、そうか。覚えとくよ。……んあ?こっちには、"蛇神の輝く鏡楯"ってあるけど、これは盾じゃないのか?」
「そっちは"
そんなドヤ顔で言われましても。咄嗟にこの二つの単語を使い分けろと仰るんですね。こいつ、こんな調子でよく今まで生き残って来れたな。
資料を読み直す。こいつが暗部で仕事を始めたのは……げぇッ。俺より早い。今年の6月からだと。この調子でよく4ヶ月も生き残って来れたな。先輩かよ。しかし、まぁ、なんだ。さっきのコールサインの序列だと、俺が"ハッシュ2"で、こいつが"ハッシュ3"だったんだが。この事は知らせないでおいてやろう。年が気になるが、記載されていない。まぁ、暗部の仕事に個人の年齢なんて関係ないからなぁ。
「おい。丹生。話は変わるが、お前、年はいくつなんだ?」
俺の質問に、丹生は不審そうな表情を隠しもせずに、悪態を付いた。
「どうしてそんなことを、あんたみたいな得体の知れない奴に教えなきゃならないんだ。」
まあ、当然の反応だな。仕方ない。コイツになら俺の個人情報がちっとばかしバレたって大丈夫そうだし。
「俺の名は雨月景朗。霧ヶ丘付属中学に通う中学3年生だ。どうだ?俺のことは教えたぞ。はぁ。お前さんの学校なんかこれっぽっちも興味ないから、年齢だけ教えてくれよ。」
俺の発言に、丹生の奴は慌てた様子を見せた。俺がそこまで言い出すとは思わなかったらしい。
「あ、あんた、何考えてるんだよ!こ、個人情報を……。」
「おやおや。それで君は俺をどうこうしようとお考えなのかな?外部に俺の通う学校の情報でも売るかい?それで"ハッシュ"が窮地に陥ったら、遠慮なく君を処分させてもらうぞ。」
俺の物言いに、丹生はむっとした表情を返した。しかし、ころころと表情が変わるやつだな。暗部に向いてないよこいつは、絶対に。暗部の人間と話をしているって空気じゃない。まるで友達と話をしてるみたいな……
「そんなことするか!……わかったよ。しかし、同学年だったとは。年上だと思ってた。」
あ?今なんて言ったこいつ。"同学年"って……まさかこいつ
「丹生多気美。あんたと同じ中学3年生。満15歳。どうだ?これで満足か?」
おいおいおいおい、こいつが同い年だと!絶対年下だと思ってたよ。しかも満15歳って、俺より誕生日早いんですけど。
俺のずいぶんな驚愕ぶりに機嫌を悪くした丹生は、腕組みしたままジト目でこちらを睨む。
「そんなに驚くことか?」
「あ、ああ。驚いた。……しかし、お前、15歳って。それじゃあ、ギリギリ14歳の俺から言わせてもらおうか。……こほん。」
「む。」
姿勢を正し、改まる俺に対して、丹生も構える。彼女の水銀を掴む腕に、力が篭った。
「お前、"
俺のツッコミに、丹生はみるみる顔を赤らめる。
「あ、う、うううううううう。うう、うるさいッ!だってだって、いっぱい種類がって、一個一個名前を付けとかないと忘れちゃうんだよ!アタシだって工夫してるの!ほっといてよ!」
「いやでも、さすがに名前ややこしすぎて、そばで聴いてるこっちはわけわからないぜ。」
「うう。で、でも、アタシもうこれで覚えちゃってるから、死にたくなきゃそっちが努力してよ!」
一応自覚してはいたのか。言葉遣いまで変わっちゃってら。ハイハイと適当に相槌を売って、話をうやむやにした。恥ずかしさを自覚した上でやってるんなら、放っといてやるか。
「おーけーおーけーおーけーわかったから!槍をこっちに向けるな振り回すなうねうねさせるな!もうこのことには触れないでいてやるから!」
「むー!」
そんなに恥ずかしく思っているなら、今からでも名前を変えればいいのに。資料にまで自作の武器名を載せちゃってるから、後戻りできないんだろうか。彼女をなだめつつ、それからも俺たちは、戦闘状況時の連携について、一通り話合った。
彼女の言うとおり、もしかしたら、それが互いの明暗を分けることになるかもしれないからな。まあ、俺はぶっちゃけた話、
「やっぱりさ。俺が"剣"って言ったらどれでもいいから剣出してさ。そんで"槍"って言ったら適当な槍をだすって風にしてくんないか?」
「でも、それだと、武器によって長さとか強度とか色々違うし。どれを出せばいいか……」
「その辺の判断は、丹生に全部任せるよ。少しは仲間を信用しなきゃ、やってらんないからな。」
丹生のヤツは、ぽかん、としていた。以外な言葉を聞いた、とでもいうような態度を見せた。
「"仲間"だなんて。そんな言葉、暗部に入ってから初めて聞いた気がする。」
丹生の言葉を聞いて、俺もそうかもしれない、と同意した。心の内では仲間だと考えていても、言葉に、口にした記憶は無いと思う。
「あー……まあ、
「う、うん。」
丹生のヤツ、顔合わせの時よりは随分、落ち着いてきたな。ちょっと頼りないが、他人のことを駒としか見ていない、典型的な"暗部の仕事人間"よりはだいぶマシだった。……あ、いやいや、ここは、可愛い女の子と一緒に任務ができて最高だ、と考えるところだろ。以前の俺ならそう考えていたはずなのに。今の俺は一体どうしたというんだ。いかんな、暗部に染まってきてるぜ。
"ハッシュ"のメンバーと打ち合わせをした数日後。"ハッシュ"リーダーこと、郷間陣丞から、初任務の招集があった。
第十六学区のカラオケボックスで落ち合った俺たちは、そこに並べられた数々の電子機器を見て、ちょっとした疑問が浮上した。
「郷間、まさかとは思うが……ここが、俺たちの拠点、というかその……」
「もちろん違う。これは俺の私物だ。」
郷間の毅然とした否定の返事に、息を撫で下ろした。しかし、だとしたら、こんなカラオケボックスに何なぜこのような機器が累々と。
「今回受けようと考えている任務は、"上"からの命令ではない。俺が昔所属していた組織からの、別口の依頼だ。所謂、小遣い稼ぎというやつだな。学生の身には、小遣いというには少々過ぎた額となるが。君たち2人が望まぬというのなら、この話は無かった事にするが、どうする?」
郷間の提案に、俺と丹生は2人して互いの顔色を窺った。俺としては、ペナルティの少ない、比較的安全な任務ならば大歓迎だった。
なにせ、俺ときたら、致命傷が致命傷にならない、どんな怪我をしても立ち所に癒えてしまう、ほとんど不死身の肉体をもつ化物である。どんな任務が来ようと、基本的には断る考えは無かった。
だが、側に控える丹生にとってはまた違う話になるだろう。怪我を負う危険の高い依頼ならば、よほどのことがない限り遠慮被りたいはずだ。
そこまで考えて、未だ依頼がどのようなものか、尋ねていないことに気がついた。
「すまないが、郷間。どんな依頼か先に聞いてもいいかな?」
郷間にとっては、当たり前のように予想された質問だったらしい。打てば響くように、依頼の説明が始まった。
「現状では情報が少なく、大したことは判明していないが。逃亡者の捕縛の依頼だ。標的は1人。この十六学区を逃走中だ。今の言葉から分かるだろうが、決断は早く行え。」
「任務失敗のペナルティは?」
「我々の株が下がり、次から依頼を受けづらくなることくらいか。もともと、報酬も暗部を動かそうと考えれば、端金といっていい金額だ。最初に行ったように、小遣い稼ぎの感覚で行け。むしろ、俺が今回の任務で期待するのは、君たちが何処まで使えるのかを、この目で確かめる所にある。」
ペナルティが無いも同然ならば、俺は賛成だな。真横に侍る丹生は、未だ迷っている様子だ。
「丹生、怪我しそうだったら、俺が矢面に立ってやる。俺の言葉が信じられないんなら、依頼中に危険だと感じた時点で、お前はその場で帰ればいい。……ん?いや、そもそも、お前の助けはいるのか?」
郷間に目配せをしたら、彼も首を横に振っていた。
「まあいい。とにかく、俺はこの依頼を受ける。丹生、お前は好きにしていいぞ。手伝ってくれりゃ、分け前は三等分……あー、まあ、報酬の話は後でもできるか。
だがまあ、任務に失敗したとき、俺たちの評判が落ちるのが嫌だってんなら、手伝うべきかな。
さっきも言ったけどさ、俺はめちゃくちゃ頑丈なんだ。危険なことは、俺に任せてくれればいい。怪我を負いそうな状況の時は、俺が盾になってやるよ。ま、俺のことが信用できないなら、無理にとは言わないけどな。」
暗部にいる奴らは、皆事情は違うものの、ほとんどが金策に悩まされているヤツばかりである。丹生にとっても、この話はみすみす見逃すのは勿体なかったようだ。彼女は、キッ、と野郎2人を睨み、威勢良く宣言した。
「う……。わかったよ。アタシも……ッ。オレも!オレも受ける!報酬の件、忘れるなよ。」
3人の意見が合致し、すぐさま、現場へ急行することとなった。郷間にも行かないのか?と疑問を投げかけたところ、彼に笑われてしまった。
後方で情報的支援を行う奴がいなくてどうする、と。郷間曰く、今回の依頼に彼の能力は不向きであり、また彼は、情報処理や後方支援は不得手ではない、とのこと。
確かに、依頼者と情報交換をする奴がいなくなってしまうじゃねぇーか。ましてや今回の依頼は
目の前を、茶髪のポニーテールが駆け去っていく。キャップに隠れて顔はよく見えないが、背格好から女性だとは判別できた。
深夜の、第十六学区。俺にとっては、十分に明るいこの街も、常人にとっては、街明かりの照らさぬ部分は暗くてよく見えないだろうに。
命をかけた、夜間の、超高層ビル郡を駆け抜けての、
ビルとビルの隙間。約10mを、軽々と彼女は飛び越えた。続けて後を追う。時々、標的はこちらを振り向き、焦った様子を見せる。ダメですよ、そんな動揺を見せちゃ。相手がやり易くなるだけですよ。
なんにせよ、逃げまどう標的、茶髪の女性的なシルエットが、何らかの能力を使用していることは明白だった。10mを、ハリウッド映画のアクション並みに、軽々と飛び超えるのは、常人には成し得ないことだ。
俺と似た肉体活性化能力かとも考えたが、それだと挙動に僅かだが違和感を覚える。先ほど感じたように、まるで映画ののワイヤーアクションのような…物理法則が捻じ曲げられたような動きに思えてならない。
自分で考えても答えは出そうになかった。今のところ追跡は出来ている。純粋な速度ならばこちらのほうが速いのだが、相手の奇妙な軌道に煩わされ、確保できずにいる。
丹生の奴は、最初の接敵で置いてきてしまった。遂一、標的の動きを郷間に伝えているから、そこから予想された逃走経路を先読みして、彼女にバックアタックさせる予定ではあるが。その成功率は低そうだな。
ふと眼下を覗けば、大きな交差点が目前に迫っていた。当然、高層のビル郡を駆け抜ける俺たちも、空宙の十字路にぶつかることになる。
向かいのビルまではかなりの距離があるが、標的は直進する様子である。愚直に追跡し、ようやく機が巡ってきた。直進速度ならこちらが圧倒しているはず。チャンスは逃さない。この機にとっ捕まえてやる。
目前で奴が跳躍した。より一層加速し、空宙で背中から補足してやる。そう思い、勢いよく、俺も跳躍する。そして、目に映る、あまりにも予想外な光景に、しかし、宙に浮かんだままではなにもできず、呆然と眺めるだけになる。
標的は、跳躍の直後、背後に迫る、俺の両の足が地を離れたのを確認した後。その進路を突如変化させ、正面のビルではなく、通りをはさんだ右のビルへと向かったのだ。
宙に投げ出された体が、空宙で進行方向を変えた。クソ。一体なんの能力だ。
彼女は、悠々と遠く離れたビルの側面に足をつけた。捕まるところは何もない。のっぺらとしたビルの側面に、真横からぶつかれば、そのまま落下するのが必然であるはずなのに。
そびえ立つビルに直交したまま、彼女はピタリと足をくっつけた。重力、はては引力か、電磁力か、念動能力か。どんな能力かは知らないが、彼女は今、重力のくびきを解き放ち、ビルの側面に、身を90°傾けたままで、直立している。
「丹生。今スグ合流ダ。状況ガ変ワッタ。」
『ふぇっ!?ど、どうしたんだ?』
『何が有った、雨月。』
遠間から悔しそうに見やる俺をちらりと目視し、彼女はそのままビルの側面を駆けていった。畜生。してやられた。郷間と丹生にすぐに連絡しなくては。仕切り直しだ。ひとつだけ。奴の匂いを補足できていることだけが救いだった。
丹生と合流すべく、居場所を聞いたところ、彼女はここから三つばかし離れたビルの真下にまで来ていた。案外、移動速度が早いな。俺たちはビルの屋上を散々直進していたってのに。まあ、標的がやたら複雑な軌道を取って移動していたからってのもあるかもしれないが。
丹生に最も近いビルに辿りつき、ビルから降りて合流しようかと持ちかけたが、対する彼女からは屋上に向かうから待っていろと返ってきた。時間が惜しく、すぐに来るように伝えたが、何分かかることやら。
そう思っていたんだが。意外にも、彼女は2, 3分足らずで、俺のいるビルの屋上に辿りついた。器用に、ロープ状に変化させた水銀を使って、ほぼ垂直にビルの壁面を登ってきていた。最後には、何と水銀をハシゴのように変化させ、極めて安定した姿勢でこちらに顔を出した。
「スマン、丹生。見直シタヨ。正直、今マデ馬鹿ニシテタ。度胸モ技量モチャントアッタンダナ。」
「あ、ありがとう。……ッて!聞き取りにくかったけど、今、オレのこと『馬鹿にしてた』って言わなかったか?!」
「ソ、ソンナコトイッテナイヨ。キキマチガイダヨ。」
疑いの眼差しでこちらをジト目でみる丹生を、狼ヅラのまま見つめ返した。ふはは。狼の表情なぞわかるものか。いや、完全な狼じゃないんだけどさ。
ヘッドセットのアイレンズが捉えた、標的の映像。そして、彼女の能力の挙動。それらを伝えた郷間から、数分で連絡が返ってきた。たったこれだけの時間で、よく情報を集められたな。やっぱあいつ、エリートなのかな。
『
郷間からの報告に、俺は納得するものを感じていた。彼女のように、暗部組織に追い回されるような状況に陥る時点で、詰めが甘い。素人か、暗部に入りたての新人。もしくは、哀れな
「そんな……」
丹生は、相手が素人だと知って、後味の悪そうな表情を浮かべていた。お優しいことに。でも、こうなっては、俺たちにできるのは、釜付がしでかした"悪さ"が大それたものでなかったように、と祈ってやることくらいしかないだろう。
『能力名は"撞着着磁(マグネタイゼーション)"。どうやら、磁性体、非磁性体を問わず、周囲のどんな物体でも任意に磁化できる力だな。なるほど。そこが"撞着"の所以か。』
そうか。磁力か。釜付の、ワイヤーアクションばりの挙動の秘密は。俺の服を磁化させて逃げなかったのは、AIM拡散力場の干渉を受けてか。それならば、なおさら。
「オイ、丹生。オ前ノ能力デ操作スル水銀、釜付ノ能力ノ対象ニナルト思ウカ?」
俺の質問に、丹生はしばしの間、思索し、すぐに答えを返した。
「いや、ならないと思う。自慢じゃないけど、アタシの能力、出力と強度には自信があるんだ。AIM拡散力場の影響は強いはず。きっと能力者本体よりも。」
おい、口調素に戻ってんぞ。ツッコミは無しのまま、俺は考えていた。策と呼ぶには少々お粗末な考えを、2人に話した。
時間もない。とりあえず、俺の考えを即興で試すこととなった。
「たっ、頼むから、アタシを落とすなよぅぅ。」
背中で情けない声を上げる丹生を宥めつつ、今一度、ビルの屋上を飛び進む。風に乗って漂ってくる、釜付の匂いをたどりながら。
程なくして、釜付の存在を感じ取れる位置に付いた。幸い、まだ見つかっては居ないようだ。
ぜぇ、ぜぇ、と、大きく息をつく釜付の吐息が、俺の聴覚に反応する。釜付の息は荒く、今は仕方なく一息ついている様子である。
あれだけ俺と追いかけっこしてたんだ。疲れて当然だ。こんな狼ヅラした化物に、ずーっと付きまとわれて、全力で走って。能力まで使わされて。
能力者全般に言えることだろう。前提として、能力者は、その能力を使う体力が弱点となる。疲れれば、能力の使用は困難となり、集中力が乱れれば効果的な運用すら難しくなる。どんなに強い能力でも。いや、逆に強く、出力の大きい能力こそ、操作にはそれ相応の体力が必要となる。
ま、俺にはその弱点、存在しないけどね。俺と闘う能力者の皆さんには、是非とも体力切れの心配をして貰いたい。ちなみに、俺は七日七晩戦い続けられる自信がある。
背中に負ぶさった丹生とアイコンタクトを取る。彼女も覚悟は決まっているな。できる限り、音を立てずに、限界ギリギリまで釜付に接近する。
キョロキョロとしきりに忙しなく、周囲を見回す釜付だったが、まだこちらに気づいていない。匂いがわからないって、不便だよなあ。
残り10mほどといったところで。俺は思いっきり、ヤツ目掛けて丹生を放り投げた。
しかし。丹生がその銀色の触手で釜付を絡みとる前に。偶然か、必然か。釜付は迫り来る丹生の存在に気づいてしまった。
間一髪。銀の触手が彼女を捕える、その刹那。彼女は一気に、不自然なほどに加速して、真上に飛び上がった。
能力を使ったな。磁力で反発力を生み出したか。マズい。逃がすか!いきり立ち、釜付へと飛びかかる俺だったが。
飛び上がった釜付は、そのまま能力を使って、すぐ近くのビルの側面へと吸い付いた。返す刀、俺は丹生を背中に乗せ、すぐさま釜付を追いかける。
君の息切れまで、あとどのくらいだろう?釜付君。
しばし、俺たちは空の上で追いかけっこを続けた。命掛けのパルクール。だんだんと、釜付の動きが悪くなってきた。
ところが、ようやくこれから、というところで、背中の丹生に異変が起きていた。どうやら大変、お疲れのご様子。
なんでお前がゼェゼェいってるんだよ、とツッコミを入れたいところだったが。いやまあ、こいつには色んなツッコミを我慢してきてるんだが。いやはや、仕方がないか。とんでもない高速で動き回る大男の後ろに、これだけの時間しがみついていたんだからな。
一応水銀の紐で俺と丹生の体はぐるぐる巻きにしてあった。これをやるときは、丹生のヤツ、散々嫌がってたけど。俺がキリッと、仕事だ!と言い切ったら、呆然としていやがった。
よし。勝負をかけるか。次、ヤツが長距離を跳躍した時に、仕掛ける。再び、丹生に合図をして。
釜付が、ビルの合間を跳躍した、その瞬間に。俺は同じく跳躍し、同時にヤツ目掛けて丹生を投げつける。
釜付の奴も、俺が丹生を放り投げるのは予想していたようで、能力をつかって、難なく交わす。丹生は、外した水銀のロープを今度は近くのビルの外縁に引っ掛けた。
釜付は、俺たち2人を躱して油断している。俺は、背中にくっついた、水銀のロープを思い切り引っ張り、すぐさま飛び出す前のビルに戻り、壁に足をつけた。もう一度だ。
右を向いて、正面の、釜付が飛び移ろうとしているビルへと、全力で蹴り飛んだ。もちろん釜付目掛けて。
油断した釜付の、がら空きの背中へ、体当たりを食らわせつつ。釜付を胸に掻き抱き、正面のビルのガラスを突き破り、中へ転がり込む。
俺に下敷きにされ、マウントポジションを取られた釜付は、必死の抵抗を見せる。
「無駄ダ。俺ガ何キロ有ルト思ッテンダ。」
俺に憎悪の視線を向け、釜付はひたすら罵倒する。暴言を吐く。際限なく。
こいつが俺のことをどう思ってるか知らないが。俺は、素人丸出しの釜付を自分の手で捕まえたいと思っていた。暗部の人間は、人の命をどうとも思っちゃいない奴等ばっかりだ。こいつが殺される前に、生きたまま捕まえてやれば、最低でも、こいつの命は助かるのだ。
涙を流しながら抵抗する釜付の、その姿を見て、つい、口から慰めの言葉が漏れ出ていた。
「……アンタノ処分ガ軽ク済ムヨウニ、祈ッテルヨ。……命ダケハ助カルヨウニナ。」
俺の言葉を聞いた釜付は、静かになった。黙したまま顔を隠し、その後は、ひたすら悔し涙を流しつづた。
数分後、やっと丹生がやってきた。女を下敷きにしている俺に、微妙な視線を送ってくる。しゃーねーだろうが。これ以上暴力ふるいたくないんだよ。
丹生に頼んで、水銀で手錠を作れないかと尋ねた。まかせろ、と軽快に答えた彼女は、水銀の輪を器用に巻きつけ、釜付を見事に拘束した。
郷間に状況終了、と連絡を入れ、クライアントがよこす迎えの人員に釜付を引き渡した。"ハッシュ"の時間外任務は、これで終了だ。
人気のない路地裏で、呻き声をあげながら、牙と、爪を引き抜いた。息も絶え絶えの俺の様子に、そばで見ていた丹生の奴が、ドン引きしている。
「はぁ、はぁ。だっ、だから、何も面白くねぇって最初に言っただろう、がァッ。」
丹生を睨みつける。正直、こっちだって恥ずかしいんだぞ。今、半裸だし。
「わ、悪い。だって、気になったんだもん。あの幸薄そうな顔してる雨月が、あんなゴッツい狼男になっちゃうからさ。変身するとこ見せてくれなかったし。
慌てる丹生から、彼女が手に持っている俺の服を受け取った。着込む前に、ハサミもくれ、と要求した。人狼化をとく前に、ハサミ、ハサミ、と繰り返した俺の言動に、合点が言った、とでも言うような表情を見せた。
「あ、そっか。髪の毛もこんなに長くなってるもんね。フフ、切らないと可笑しいね。」
だから、口調。元に戻ってますよ。丹生の言葉にツッコむ気力もない俺は、震える手で自らの髪を切っていく。
「あー。待って。アタシが切ったげるよ。辛そうだし、さ。」
まあ、自分の髪を自分で切るのは、誰にだって難しいことだろう。降って湧いたせっかくのお誘いを無碍にせず、素直にハサミを差し出した。
しゃき、しゃき、と髪の毛が切れる音だけ。この静かな路地裏で聞き取れる音は、それだけだった。
女の娘に髪の毛を切ってもらうのが、どうにも照れくさい。気まずさから、口からいつもは言わないような、さらに照れくさい言葉が出てくる。
「
「うん。初めて見た。というか、その存在を雨月で初めて知った。」
うーん、と。えーっ?と。そうやって、独り言をつぶやきながら、想定外に、真剣に髪の毛を切ってくれている丹生に向かって語りかける。
「驚きの
「そう言っておいて、本当に危ない時には、オレを変わり身にする。暗部の人間の上等手段だな。」
丹生の返答に、俺も心の中で、そうだな、そういうもんだよな、と納得してしまう。全くもって、間違いなく、同意できる話だ。
「そうだな。本当に信用できる奴なんていないよな。……じゃあ、こういう風に言っとこう。どうあがいても死にそうな状況に陥ったら、俺を頼ってみろ、いいことがあるかもしれないぜ。」
そこまで言うと、丹生が背中で、突然に笑い出した。
「プッ。アハ、アハハハッ。どうしてそこまで必死なの?そんなにオレに死んで欲しくないのかよ?怪しいなー」
「クソー。笑うなよ。必死というか、信用されなきゃされないで、何か悔しいんだよ。もうこの話やめようぜ。早く髪切ってくれ。」
ひとしきり笑ったあと、ポツリ、ポツリ、と彼女は語りだした。
「まあ、なんとなく、だけどさ。まだ短い付き合いだけど、雨月のこと、少しはわかったよ。そのへんの暗部の連中よりは、もっとこう、普通のモラルを持ってるみたいだって。」
「あー。まあ。油断はしないことだな。」
「ふふ。さっき、釜付が素人だってわかったあとさ、雨月、気合の入りようが全然違ってた。アイツが殺される前に、なんとか助けたかったんだろ?バレバレだよ。」
マジで?!バレバレだったのか?おいおいおい恥ずかしいぞそれは。結構恥ずかしいぞそれはぁ。
「あんたが新しいメンバーで、ちょっと安心した。これからのこととか、色々不安だったけどさ。」
丹生の言葉に、俺は素直に返事を返す。
「それは俺も思ったよ。そこそこ可愛い女の娘がいて嬉しいなってな。前のとこは男臭かったからなー」
肩を握る丹生の手に力がこもる。
「おい、なんで、『そこそこ』をそんなに強調して言うんだよっ。」
さらなる追撃だ。
「あとさ、俺さ、オレっ娘っていうの?自分のこと、『オレ』っていう女?初めて見たー。というか、その存在を丹生で初めて知った(キリッ」
「あうううう。うるさい!やめろよ!ハゲにするぞ!」
10月の第二週。最近では、もう火澄や手纏ちゃんに連絡を試みるのを諦めていた。ふと、暗部の任務も、授業も、何もなく、暇で暇でしょうがなかった時間に。火澄たちに連絡を撮ってみた。すると。
『どうやら、きっちり反省したようね。わかったわ。許してあげる。もう私も深咲も怒ってないから安心しなさい。』
お、おおお。ようやく許してもらえたようだ。いえー。またランチをご一緒しようぜ、っと。
『それが、今、一端覧祭の準備で死ぬほど忙しいのよ。私も深咲も、学舎の園を出る時間すらないの。3年は特にね。絶対に外せないわ、この状況じゃ。悪いけど、一端覧祭が終わるまで会う暇はないわね。ごめんね。』
ちょ、ええっ。あとひと月近くあるじゃないですか。待てないッスよ、そんなの。そんなこと言って、また煙に撒く気なんですか?と。
『お望みなら、一端覧祭までまた無視するけど?』
大人しく待ってます、と。
とういうわけで。
『それで、暇で仕方がなかったからって、オレに電話した、と?正気か、雨月。』
暇なんで丹生に電話してみた。そしたら説教されました。暗部の人間関係を軽く見すぎだろって。あと、お前みたいな胡散臭い暗部の人間とプライベートで関わり持つ馬鹿はこの世にいないよって。
いや、もしかしたら、丹生さんなら、そこで丹生さんなら、なんとかいけるんじゃないか。って思ってましたって、正直に言ったら、その場で通話を切られてしまいました。あー。次の任務で顔を合わせるの辛いなー。はぁ。いけると思ったんだけどなー。
"撞着着磁(マグネタイゼーション)"、釜付白滋を捕縛して、さらに数日が経った。"ハッシュ"の前線部隊に、四人目のメンバーが増えた。
彼、四人目のメンバーと顔を合わせてからは、それからほぼ毎晩、よく分からない、工場のような施設の警護任務に就いている。
監視カメラの映像がずらりと立ち並ぶ、守衛室にて。俺と丹生は、俺が持参したコーヒーに舌鼓を打っていた。郷間と魚成にも勧めたんだが、彼らは興味が無い様子だった。最近は、なんだか、俺と丹生を1セットにして、お子様扱いしている気がしないでも……。いや、俺に関しては、少なくとも戦闘能力や判断力自体は買ってもらっているようだが。丹生は……察してください。
丹生の顔を覗く。ちょっと眠そうだ。おいおい、まだ慣れないのかよ。危ないぞ。喉から小言が出そうになるのを我慢する。俺はお母さんか。べ、別に丹生にウザがられるのが嫌だったワケじゃないんですよ?
「うー。やっぱ苦いよ、ごめん、雨月。」
手渡した紙コップをテーブルの上に置き、申し訳なさそうにする丹生に、謝る必要はないと返した。
「はいよ、砂糖とミルク。ちなみにさ、丹生は何をよく飲むんだ?」
「あ、ありがとう。んーと。紅茶かな?」
彼女に砂糖とミルクを手渡した。チィッ。ここにも紅茶派が。火澄も手纏ちゃんも丹生も、皆、紅茶派だとは。幻生くらいしか、コーヒーを語れる輩がいないじゃないか。……って、あのジジイのことを考えるのはやめよう。飯が不味くなる。あらゆる意味で。
ガチャリ、とドアが開いた。魚成だ。定時の見回りから帰ってきた。となると、もうしばらくたら、俺の番か。施設の見回りをしに行かなきゃならない。
「そういえば、雨月、あの電話、一体なんだったんだよ?」
「へ?何?」
「お前が真昼間に、いきなり掛けてきた電話だよ。暇だったからとか言ってたやつ。アタシ……じゃなくてオレ!オレさ、あれ、意味がわかんなくて。雨月のことだから、何か別の意図があったのかなって、電話切ったあと、考えてたんだ。」
いや、全くもって全然なんの考えもなしに電話かけたんだけど。どう答えたものか。そのまま正直に答えたら、更に俺の株が下がりそうだしなぁ。
「ああ、あれか。……あれはな、実は……」
「じ、実は、どうしたんだ?」
丹生が真剣な眼差しで見つめてくる。そんな顔をされたら、期待に応えないわけには行かないじゃないか。
「実は、平時の時間に、表の時間にな、いきなり電話をかけて、お前がどんな反応を返すんだろうかって試してたんだ。いや、さすがは丹生だな。慌てもせず、俺を疑い、逆に詰問し返してきた。ああ反応されては、調べることなんて何もないからな。適当に、暇だったから電話したってごまかしたってワケさ。」
クソみてえな言い訳だな。あーもうダメだ。郷間がニヤついてるぞ。畜生。
まあ、だが。肝心の丹生は、ちょっと嬉しそうだった。
「そ、そっか。やっぱりな。ま、まあ、アタシだって、暗部の人間だし。あれくらいは……。」
何処に騙される要素があったんだよ、今の。極めて下らない言い訳だったはずだよな?言い出したこっちの自信が無くなってくるわ。やっべぇー、可愛いんだが、この娘。守ってやりてぇ。
「そういや、電話越しに、話し声がガヤガヤと聞こえてきたな。いいな、丹生には友達がいっぱい居そうで。ぶっちゃけた話、俺、学校に1人も友達いないんだ。所謂ボッチって奴さ。羨ましいなっ……って、ハハッ。俺、暗部の奴に何言ってんだろうな?」
「む。雨月、友達居ないのか?意外だな。」
意外だと感想を口にした丹生は、しかしどうしてか、俺を訝しむ事なく、ちょっぴり嬉しそうな顔を崩すことはなかった。
「あ、あのだな。じ、実は、オレも、学校に友達、居なくて。1人も居ない、んだ。」
んあ?え?こいつに、友達が1人も居ない?な、なんでだ?本当に意外な事実だぞ、それは。
「お、おい。本当か?それ。お前がか、それ?……意外ってレベルじゃないんだが。意外過ぎるぞ。」
一体全体なんでだろう?正直、丹生みたいな
あ、もしかして。
「あのさ、丹生。もしかして、お前の"
丹生は、俺の言葉を聞いたとたん、耐え切れずに、両手で顔を覆い隠した。おお。図星だったとは。
恥ずかしそうに話しだした丹生の話によれば、暗部に入る直前、緊張のあまり学校で厨二武器を振り回して練習しちゃったそうで、それが皆にバレて……意地張っちゃって。それが始まりで……って、これ以上聞きたくない。うわあやめて。こっちの心までイタくなっちまう!
「雨月。時間だぞ。」
郷間の横槍が入る。ちぇ。楽しかったのに。もう丹生との癒しの時間はオシマイか。こんな辺鄙な、何作ってるか分からない工場、誰が襲撃するんだよ。はぁーあ。気が進まないが、仕事は仕事だ。俺は無線機片手に、広々とした、ほのかに肌寒い施設の廊下へと歩き出した。
「こちら雨月。定時連絡。施設内に異常なし。繰り返す、異常は無い。」
『了解した。こちらの監視カメラにも異常は見当たらない。帰投しろ。』
「はいはい。」
何もないだだっ広い施設を真夜中に淡々と歩き回るのは、そりゃもう半端なくツマラナイ。早く帰って、丹生とお喋りしたかったが、次の当番はあいつだしな。
あくびをひとつ噛み殺し、守衛室へ帰投しようとした、その時。
背後で、突如の、轟音。爆発音。
頑丈なはずの、施設の壁に大穴が空いていた。穴の外からは、人の足音が。
ちょ、おい!今さっき、『異常無し』って報告しちゃったのに。どうしてくれる!