とある暗部の暗闘日誌   作:暮易

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2014/03/13追記完了です。



episode21:心理掌握(メンタルアウト)

 

 早朝。産形茄幹(うぶかたなみき)は教室に踏み入り、即座に後悔した。自分の席がどこか、先に先生に尋ねておくべきだった。最後に登校したのは何時だったろう。朧げにしか覚えていない。ひと月以上は経っている。それだけは確実だ。どこに座ればいいかわからない。

 

 教室の後ろの扉から顔を現しただけで、彼の登場に気づいた数人が好奇の目線を送っている。茄幹はまるで一生に一度の挑戦に臨む様に、覚悟を振り絞った。

 

「ごめん。その……僕の席、どこかわかる?」

 

 入口から一番近い席にいた少年へと声をかけた。その少年は茄幹の存在には気づいておらず、前の席の友人と熱心に話し込んでいた。彼は会話を唐突に邪魔され、少々面倒くさそうに後ろを振り向く。茄幹に対面し、わずかに驚きを見せた。

 

「…………あそこ」

 

 その少年は口を開きそうになったものの、瞬時にそれを取りやめた。ぶっきらぼうに一言だけ零し、指先を窓際の、教室の後部席の方へ指し示す。明らかに最低限の意思疎通で済ませようしている。意図がありありと見て取れた。

 

「ありがとう」

 

 礼を述べて、茄幹は教わった席へと歩き出した。教室のざわめきはわずかに小さくなっている。部屋にいる生徒のほとんどが、こそこそと彼を盗み見ていた。

 

「……うそ。アイツ来たの?あ、ホントだ」

 

「来てんじゃねぇよー。今日具合悪くなったら絶対アイツ殴ってやる」

 

「マジ最悪。なんでアタシが前の席の時に出てきてんだっつの」

 

「大丈夫だって。今日だけ我慢しなよ。どうせ明日からまた"仮病"してくれるっしょ」

 

 皆、ワザと聴こえるように大声で話している。極力、聞こえないふりを装い、席を目指す。たった数メートルで、心は折れそうになっていた。

 

 茄幹が教室に入った途端に、場の空気が変わった。彼はひしひしと感じとっていた。気のせいではない。毎日毎日、こんな刺々しい雰囲気の教室で過ごしてるわけではないのだろうに。

 

 僕が努力すれば、この扱いは変わるのだろうか?でも、それまで耐えきれそうもない。

 

 机と机の間を跨ごうとした。虚をつく用に、足が飛び出た。座っていた男子生徒に足を引っかけられそうになる。このまま進めば転ぶ。ところが、それを茄幹は無視した。彼の予想通り、直前で慌てたように、出された足は引っ込められた。

 

 

 

 自分の席に座り、机にうつぶせる。直ちに寝たふりを開始。そして、彼は恐怖を飲み込んで、話し声に聞き耳を立てた。

 

 

 

「うわっ。あっぶねー。もうちっとでアイツに当たるとこだったぜぇー」

 

「オレも見ててビクったビクった。お前初っ端"感染源"に立候補してんのかと思ったっつの」

 

「いやオレもそれ考えて止めたんだよ」

 

 

 ぽつり、ぽつりと教室のあちこちから、茄幹を嘲笑する文句が飛び出してきている。すべてを耳にできておらずとも、茄幹はきっとそうに違いない、とより一層ぎゅうっと蹲った。

 

 先程、声をかけた2人に注意を向けてみる。彼らは茄幹もやっているネットゲームの話をしていた。そのゲームなら、僕だって詳しい。色々、話してみたい気持ちもあった。ところが、聞こえてきたのは。

 

 

「貴方はウブカタナミ菌に感染しましたー。俺に触るなよー?」

 

「ざっけんな。触ってねえだろ。机指差しただけだろが」

 

 会話の後に、制服を軽く叩く、乾いた音が生まれた。

 

「うわっナミ菌がクッツイタ。うわーうわぁー」

 

「ちょっとやめてよ!くっつけないでよッ!」

 

 騒ぎに乗じる生徒たちは嫌がっていたが、それでもどこか、楽しそうだった。一方、それに比して、茄幹の気分はどんどん追い詰められていく。

 

 茄幹は何も考えまいと苦心した。ホームルームの始まりをただひたすらに待ち望んだ。後悔が、鎌首をもたげていた。せっかく勇気を出して、学校に来たのに。来なきゃよかった。今からでも、帰りたい。でも、そうすれば、また"仮病"だって言われるに決まってる。

 

 

 

 僕はいじめられている。

 

 

 

 ふとしたきっかけだった。仮病を使って、嫌な授業をサボった。だんだんとそれがクセになって、学校を休んだりするようになった。いつしか、それが皆にも知られていて、更に学校に行きにくくなった。いじめのようなものが、いつの間にか出来上がっていた。

 

 僕に触ると、"ウブカタナミ菌"っていうのに感染するらしい。僕が目の前にいる時は、みんな必死になって、いつまでもいつまでも互いに擦り付け合って遊んでいる。

 

 僕の能力はレベル1、"病菌操作(ヴァイラルシミュレーション)"という。ウィルスや細菌、つまりは、風邪やばい菌、インフルエンザとか、そういう病気の菌を操作できる力だ。とは言っても、低能力(レベル1)だから、自ら進んで風邪を引いたりするとか、そういったちょっとした事にしか能力は使い道がない。

 

 シミュレーションという英単語には、"仮病"という意味もあるらしい。そこから、僕には"仮病"っていうあだ名が付けられていた。僕が休んでいる間に。

 

 明日、学校に来ている気がしないけど。今日くらいは。今日だけ、頑張って授業に出よう。また"仮病"って言われるのは嫌だ。中学校には、とうとう嫌な思い出しか残らないかもしれないな。中学一年から、僕はこんな有様だった。

 

 

 

 しかし、結局。茄幹は教室の雰囲気に耐え切れず。午後から"発熱"し、自宅へ帰宅した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 担任から連絡が来ていた。風邪の具合が悪くなれば、保健室で休んでよいから、せめて出席でもしてはどうか、と。出席日数が危うい状況になっているらしい。

 

「いけるわけないだろ」

 

 茄幹はベッドの中で寝返りを打った。横になったままで、昨日、学校であったいやなことを回想する。それだけで、身が軋む。悔しい。悲しい。誰に怒りをブツければいい。それでも、理解はできていた。原因を作ったのは自分自身だ。だから、自分が問題を解決しなければならない。その努力をしなければならない。

 

 しかし、茄幹の眼前には、とてもじゃないが攻略不可能な、巨大な現実という壁が聳え立っていた。そんな風にしか、彼には現状を認識できなかった。

 

 

 

 再びメールが届く。今度は違う相手からだった。あいにくと、彼には同じ中学に友達はいなかった。いや、正しくは、途中から消えてしまった、と言い換えたほうがよいだろう。となれば、そのメールの送り主は。ネットゲームで知り合った、仮想世界の友人たちからだった。

 

 ネトゲの誘い。茄幹はだらだらと起き上がり、PCの前に座り込む。いつものゲームを起動。

 

 

 

 

 

 ものの数分で、ギルド"リコール"の拠点へたどり着く。

 

『ごめん。遅れた。ミスティ』

 

『気にスンナよ、ヴィラル。シュマリが連絡ギリギリにしたのが悪いんだ』

 

『いいじゃん。どうせ皆学校行ってないんでしょ?』

 

『いくわけねえだろぉぉーーーッ!ここは学園都市だぞーぉぉッ!どこかしこに、必ず潜り込める学校があるんだからよぉぉぉーーーッ!』

 

『ブッチー五月蠅い。エコー駆け過ぎ。早く切って』

 

『スンマセン、姐さん』

 

『ウッドペッカー、今日は何の集まり?』

 

『Hi. ヴィラルくん。今日はオフ会のお知らせだって。ついに日程が決まったみたい』

 

『その通り。いよいよやろうかって話さ。howdy ヴィラル?』

 

『howdy オージ。このカンジじゃあ、皆参加するってこと?』

 

『オフコース。当然だろ、ヴィラル。オレもキミに会ってみたいよ』

 

『私も、ヴィラルくんに会いたいかも。ちょっと怖いけど、それを凌駕して、皆と会いたいって気持ちが優先しちゃうかな。皆何ともないように見えるけど、きっと案外、緊張してるんじゃない?』

 

『あのシュマリだってオーケーしたんだしさ。ヴィラルも勿論来るよな?』

 

『わかった。行くよ』

 

『おーっ。ヴィラルもクンのか。心配だったシュマリとヴィラルが二人とも。これは奇跡だな』

 

『めっちゃ楽しみになってきたぁぁぁぁーーーぁぁーぁぁぁぁーーッ』

 

『うわっ、ウルセッ!』

 

 

 

 

 

 心臓がどくどくと波打っている。初めての、オフ会への参加。ギルド"リコール"は、自称、不登校and引きこもりの馴れ合い集団を求む、みたいな触れ込みでメンバーを募集していた。茄幹はそこに惹かれ、加入を決めた。"リコール"には歌い文句通りに、コミュニケーション能力がそれほど高くない人たちもちらほらいて、ゲーム下手な人もいたりして。その上、ゲーム攻略にだって、力を入れていなかったから、人はほとんど集まらなかった。

 

 最終的には、今いる6人のメンバーで固定されてしまっている。仲良くなって、ぽつぽつ、現実での話をするようになっていた。メンバー同士、互いの身の上話など、色んなことを知った。みんな本当に、学校で上手くやれていないって奴らばっかりだった。きっとみんな、勇気を振り絞ってくるんだろうな。

 

 よし、行こう。茄幹は覚悟を決めた。

 

 

 

 翌日から。長らく不登校で引きこもりだった少年が、自宅から姿を消した。

 彼が棲んでいた寮の寮母さんは、よくあることだと大して気にもとめなかった。どうせ引きこもっているんだろうと高を括っていた。あるいは、自分の目を盗んで出入りしているか。部屋に出向いて不在の確認すら怠る有様だった。居なければ大方、スキルアウトにでもなったんだろう、と。確かにそれは、この街ではごくごくありふれたことだった。態々、騒ぎ立てるほどのことでもない。そう考え、軽率に扱った。報告を怠ったのだ。もともと、彼女は職務に怠慢な人間でもあった。

 

 彼の身に責任を負うべき人間は、この街に、もう一1人いた。茄幹の担任の先生だ。彼は茄幹の普段の素行から、武装無能力集団へ参加する危険性等は考えもしなかった。彼に対しては、穏やかで優しい、繊細な少年だとの印象が強かったからだ。

 

 こうして。誰もが、産形茄幹の失踪を発見できなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 早朝から一仕事済ませ、ややお疲れムードの雨月景朗は、偶然にも第七学区南エリア、"学舎の園"の近くへと出張っていた。

 

 彼はもののついでとばかりに、思い出深いカフェテリアへと足を延ばす。学舎の園のゲートの目の前、対面に位置する、中学時代よく火澄や手纏ちゃんとお茶をした馴染みのカフェテリア。高校生になってからは、一度もやってきていない。その店のコーヒーを、景朗は密かに懐かしむ。

 

 一人で行っても大丈夫だろうか?いいや、突撃してしまえ。女の子しかいないだろうけど。そんなことより、久しぶりにあの店の珈琲を堪能したい。なんせ、青春の味だ。なんてな。景朗はてくてくと坂道を登って行った。体感的には、ほとんど夏だ。六月だろうと、暑いことには変わりはない。景朗の脳内を、アイスコーヒーという単語が埋め尽くしていく。

 

 

 

 六月も終わりかけ。七月が、夏が迫っていた。ついこの間、夏服へ移行したばかりだったのに。景朗は月日の流れに思いを馳せた。高校一年の春。印象深いのは、上条たちと学校でバカをやって騒いだ思い出ばかり。それも仕方ない。ほとんど長点上機学園には通っていないわけであるからして。

 

 

 四月の半ばに、火澄と手纏ちゃんに彼が"超能力者"だったと露見した。火澄とは喧嘩別れをしてしまい、手纏ちゃんとはまともに会話する機会がないままに。それから今までずっと、彼女たちとは奇妙な冷戦状態が続いていた。

 

 何時ぞやの、連絡を全く取り合わない、制裁をくらっていた状況とはまた少し異なる事態であった。連絡や、会話ならば、ぽつぽつと散発的にメール等で取り合っている。ただ、両者互いに、確信には一切触れずにいるのだ。どちらかが一歩踏み込めば、とたんに静寂は崩れ、また込み入った話をすることになる。その緊張を肌で感じ取り、景朗だけならず、火澄まで、大きく行動を見せずにいた。

 

 光陰矢の如しとはよく言ったもので、そうやって、あっという間にふた月が過ぎた。その二か月間、丹生多気美はどちらの側にも付かず、意図せずして、両者間の橋渡しのような役を担っていた。景朗も、火澄や手纏ちゃんも、丹生への態度は、依然と全く変わりない。

 

 この頃、丹生はしょっちゅう、景朗へと進言を繰り返してくる。彼女曰く、景朗から話をするべきだ、と。

 

 火澄は景朗への後ろめたさから、思い切って話題を持ち出すのを躊躇っているらしい。確かに、景朗が長年苦心して秘密を守ろうとしていたことを、彼女たちが招いた失態で台無しにした事実もある。

 

 景朗が口を閉ざしてきた理由にも、十分に正当性があった。しかし、それは最早露見し、二人が事実として知るところとなっている。景朗から歩み寄らなければ、事態は変化しないのではないか、と丹生多気美はしきりに景朗に忠告する。

 

 

 景朗は、ただひたすらに、巻き込んでしまった事実を思い出し、二人に顔向けできないと考えていた。このまま黙って彼女たち二人が離れていくならば、それも悪くない。

 

 謝り足りない想いもある。だが、再び口論になるのはつらい。あの後、幾度も謝罪の連絡やメールを行ったが、相手は遠慮気味に、ぎこちなく振る舞うばかりだった。

 

 

 口でどう説明しようとも、彼の置かれている状況は変わらないし、彼には改善しようもない。いや、改善できない、というのは、適切な表現ではないかもしれない。リスクさえ決意すれば、いつでも改善のために、行動を取ることはできる。

 

 ただ、景朗にそのリスクを犯す意志が欠片ほども存在しないだけなのだ。暗部に人質のように狙われるかもしれぬ、彼の大切な家族たちを、危険に晒す。そんなことなど、もってのほかだ。それを自ら積極的に行うようなマネなど、正気の沙汰ではない。景朗にとってしてみれば。

 

 

 もうひとつ。解決だけを追求すれば、別の手段もある。馬鹿げているが、それは、景朗が自決することだった。"第六位"の完全なる消滅。もしそれが現実となれば。然るに、彼の身近な人たちは、暗部の狂人どもには見向きもされなくなるかもしれない。しかし、それはその可能性が高いというだけでもある。彼の死後、本当に彼の大事な人たちが、闇からの魔の手に脅かされなくなる、という完璧な保障はない。特に、相手があの幻生ともなれば尚更だろう。

 

 

 思わず嗤いが溢れる。何を考えてんだ。くだらない。そんなに火澄たちにバレたのがショックだったのか?もっとポジティブに行かなくてどうする。よし。せっかくだ。店で一番高い珈琲を選んでやろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 思う存分思案に耽りながら歩き続けた景朗は、目的のカフェテリアにたどり着く。店内もテラス席もやはり、お嬢様方で占められている。野郎1人であるので、普通なら気後れする場所だ。にもかかわらず、彼の表情は明るい。どこにも怯みはない。

 

 幸いにも景朗は店長さんと顔見知りだったのだ。顔を合わせれば、互いに軽口を突き合う仲である。入店した景朗が、レジへ近づいたその時には既に、店長さんに姿を見咎められていた。

 

「おや?キミ、いつもの彼女たちはどうした?」

 

 向けられた不敵な笑みに、景朗は何故だかわからぬまま無意識のうちにたじろいでしまう。

 

「ははぁん。どうやらその様子だと喧嘩でもしてるみたいだね?」

 

 バレてる。どうしてわかるんだ。ええい、クソ。こんな話、いつまでもツッコまれたくないぞ。

 

「そそそ、そんなことないっスよ」

 

 彼がひねりだした答えは、どうしようもなくお粗末なものだった。店長さんは、ひとりで来るだなんて、珍しいじゃないか、とでも言いたげな目線と表情を送ってくる。慌ててフォローを追加する。

 

「こ、ここの珈琲に中毒性があるんですよ。久しぶりに飲みたくなってしまいましてね」

 

 店長さんは合点がいったように、何度も小さく頷き返した。

 

「そうかそうか。それなら自分からさっさと謝っちまいなよ。後悔するぞ?」

 

 一体何を納得されたんでしょうか。相手をするだけ墓穴を掘りそうだ。手早く注文してズラ刈ろう。

 景朗は見覚えのある、一番長ったらしい名前のスコーンを追加注文した。目ざとい店長さんは、またぞろ口を差した。

 

「へぇ。キミ、もしかしてそれが気に入った?」

 

「いえ、なんてーか。これだけ食いそびれてたっていうか……」

 

 正面に、満面の笑顔。

 

「はは。そうか。横取りでもされてたのかな?」

 

「いやぁ、ハハハ」

 

 俺のたじたじの受け答えに、店長さんはようやく、申し訳なさそうにほほ笑んだ。

 

「ごめんごめん。イジリ回して悪かった。それじゃ、あとはごゆっくり」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 運よく、"指定席"が空いていた。テラスの最奥の位置。火澄や手纏ちゃんとお茶をするとき、空いていれば好んで使っていた席だった。ようやく腰を落ち着けた景朗は、なんとはなしに、唐突に思い出した。花華に連絡を入れておかねばならなかったと。なんと、実はその日。午後から花華と、彼女の友達、所謂女子中学生たちに、勉強を教える約束をしていたのだ。

 

 

 

「花華、すまん。昼すぎからっていってたけど、もうちょい遅れてからでいいか?」

 

『えー?もう、仕方ないなぁ。それじゃぁ、何時から行けばいいの!?』

 

 景朗は携帯越しで無意味だというのに、バツの悪そうな顔を浮かべている。周囲の女学生からはくすくすと笑われていた。野郎たった1人である。その場では明らかに、彼の存在は浮いていた。

 

「ごめんって。ええと、三時くらいかな?悪いな。お友達さんは怒ってない?」

 

『大丈夫だよぉー、ルイコちゃんもアケミちゃんもマコトちゃんも気にしてないって!』

 

 花華の無邪気な態度は正直、有難い。彼女に火澄たちとの冷戦を隠し通せるはずもなく、花華は花華なりに、俺たちの仲を取り持とうと色々と画策してくれているようだった。

 

 今回の勉強会?なるものも、彼女のそういった意図が多分に含まれているのだろう。

 

 今日は休日。六月の終わりの、貴重な休みである。つまり、七月初頭の学期末テストならびに身体検査(システムスキャン)の一大苦痛イベントを目前に控えている状況でもあるのだ。

 

 最初の方は、火澄の方に頼んでみれば、と提案しようとしたが。すぐに景朗はその考えを却下した。最近花華は「いいかげん火澄姉と仲直りしなよ」とうるさかった。その話を蒸し返されたくはない。ならば、言いなりになっておこう。

 

 花華は俺の様子を見るついでになのか、テスト勉強を教えてちょうだいとお願いしてきた。花華1人だと思って快く承諾したものの、後日、追加で面倒を見る子が増えていた。長点上機学園の高校生に勉強教えてもらう、みたいなことを花華が友達に漏らすと、一緒に連れてって!と懇願されたらしい。花華本人の例にもれず、彼女の友達も皆、好奇心旺盛な子ばかりらしい。ルイコちゃん、アケミちゃん、マコトちゃん?だったろうか。本当はもう一人来る予定だったらしいが、用事ができて来れなくなったと聞いた。

 

 

「てか、今どこいんの?もう第七学区にはいるんだろ?」

 

『第七学区の公園の~、クレープ屋さん!』

 

「それって、一応は勉強してんの?」

 

『い、う。一応ねッ!』

 

 威勢の良い花華の返事。だが、高性能な景朗の聴覚は騙せない。電話の向こう側、彼女の背後から、わいわいとはしゃぎ声が溢れていた。

 

「こりゃ、今日は大変そうだなぁ」

 

『じゃ、じゃあね!景兄!早くねッ!』

 

 花華は素早く会話から逃げだした。景朗は口元をほころばせ、携帯をテーブルに放り出す。

 

 周囲を少しだけ観察した。ちらほら視線が飛んでくる。周りの娘たちにだいぶ注目されてるな。それもやむなしか。この野太い低音野郎ヴォイス、このあたりじゃ俺だけだもんな。仕方ない。

 

 景朗は気を取り直して、お目当てのアイスコーヒーを呷った。気分爽快。幸せなひと時。

 

 

 

 

 

 

 

 しかし、まあ。彼の幸せな"ひと時"というのは、文字通り、長くは続かない。

 

 彼の一服を邪魔するように、土御門からの電話が襲来した。だいたいの悪夢は、この土御門の報告から始まるんだよな、と。景朗は彼に対応する前に、たっぷりとひとつ、深呼吸した。

 

 嫌々ながら、通話ボタンを押す。

 

『今朝、盗みがあった。薬味のところだ。やれやれ。こいつはちょっとした事件になりそうだぞ』

 

 景朗はやるせない気持ちで一杯になる。なにも、土御門が事件を起こしているんじゃないんだぞ、と心の内で、念仏のように唱えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜霧流子(やぎりりゅうこ)は闇に包まれていた。ダイビングスーツを通してひんやりとした液体の冷たさが伝わってくる。レギュレーターから息を吸い込み、ただひとつの目的を想い、精神を乱さぬよう集中する。上下も左右もわからぬ暗黒と浮遊感の中、その日のために何度も練習してきたことを、必死に脳内で繰り返す。

 

 必ず盗み出して帰還する。仲間のために。"リコール"のために。"復讐"のために。

 

 

 

 夜霧流子は今、目標とする病院の地下深くに"潜って"いた。それも、まるでスクーバダイビングをするように、必要なダイビング器材を完璧に身につけた状態で。言葉通りに、彼女は現在、病院の真下にいる。彼女の位置情報を仮にGPSなどで辿れば、それを目にした者たちは皆、理解に苦しむことになるだろう。何せ、正真正銘、夜霧流子はたった今、病院地下の地盤のど真ん中に身を宿しているのだから。そのまま情報を鵜呑みにすれば、地中深くにポツリと女子中学生が身体を埋めている事になる。

 

 事実として、夜霧流子は位置情報と違わぬ場所にいる。それ故に、土砂に包まれたままだ。しかし、彼女は押しつぶされてなどいなかった。それどころか海の中を泳ぎ回るように、自由に地面の中を動き回れた。彼女は、夜霧流子は。土砂だろうが、コンクリートだろうが、分厚い岩盤の中だろうが、内部を通り抜け、自由に移動できる。全ては彼女の能力のおかげだった。

 

 

 "底無し沼(シンクホール)"。それが夜霧流子の能力だ。効果は、物質(個体)の液化。大抵の物質ならば一時的に、冷えたスープよりもさらさらの液体状に液化させられる。半信半疑で耳にした"あの曲"を聞いてからは、見違える程、"能力"が上昇している。息継ぎと浮力さえどうにかなれば、今のように周囲の物質だけを溶かし、どこまでも壁を突き抜けて移動できるようになる。

 

 このように能力を応用して、彼女は"とある病院"の地下室へ押し入り、"とある物品"を奪取する腹積もりだった。

 

 

 

 はてさて。コンクリートジャングルとはよく聞くが、それならば、この"コンクリートが液状に溶けた海の中"はどう表現すればいいのだろう。

 

 不意に浮かんだ疑問に気を取られる前に、彼女は慌てて上方へと移動した。目の前に映るヘッドマウントディスプレイ上の光点が、Y軸上に動いていく。その光点は、たった1人連れ立つ仲間、"ブッチー"の位置を表している。この暗黒の中、その心拍センサーによる位置情報のみが頼みの綱なのだ。

 

 

 

 

 "リコール"のギルドメンバーである、夜霧流子と洞淵駿(うろぶちしゅん)は二人組(ツーマンセル)で行動をともにしている。目的は、目標の病院地下室に存在するであろう、とあるウィルスを盗み出すこと。方法は、2人の能力を使用した壁内の直接移動。地下深くから地盤を上昇移動し、病院の分厚い壁内を物理的にすり抜けて、誰の目にも触れずに事を成し遂げる。

 

 "幻想御手(レベルアッパー)"により大能力(レベル4)級に性能が向上した、夜霧流子の"底無し沼"、そして洞淵駿の"透過移動(フェージング)"ならば可能な試みだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 パートナーの夜霧同様に、洞淵駿も病院地下施設の壁内に躰を留めていた。彼の能力、"透過移動(フェージング)"の効果が為せる技である。洞淵は自身の躰に、あらゆる物体を透過、要するに擦り抜けさせる性質を付加できる。ただし、能力の効果範囲は厳密に自身の肉体のみに適応される。例えば、割らずに卵の殻に指を透過させ、黄身を引っ掻き回すことができる。しかし、効果範囲は彼の肉体のみにとどまっているため、殻を割らずに中身を取り出すようなマネはできない、といった具合だ。

 

 物質に肉体を同調(フェイズ)させている間は、必然的に呼吸は不可能となる。かろうじて、潜り入った物体内での移動が可能であったのが、唯一の救いだった。

 

 

 

 緊張に緊張を、慎重に慎重を重ね、洞淵はゆっくりと時間をかけて病院の地下施設を探っていった。ほんの僅かな刹那の時間だけ、洞淵は顔を施設内部の壁、その表層に浮き上がらせる。施設内部の様子を一瞬で判断し、目的の場所へ手探りに向かう。直ぐ傍にぴたりとくっついて行動してくれる夜霧が、彼のぶんの酸素ボンベを運んでくれている。そのため、呼吸については心配せずに済むんでいた。勿論、時間制限は存在するが。

 

 

 

 

 

 洞淵はようやく、視界に願っていた光景を捉えた。滅菌のために備えられたシャワールーム。それは彼らの目的地を示す目印であるも同然だった。彼らが求めている"とあるウィルス群"は、その危険性から、研究・保管の際には、須らくそれなりの設備・器材が施設に必要とされる。大抵、人体の安全を考慮する故のその設備は、物々しく、巨大になる。

 

 次第に充実していく設備を目にし、洞淵は確信を抱く。事前にそこそこの知識を蒐集して来た彼には、施設内部の様相から、重要なウィルスの保管場所を推測するのは簡単であった。

 

 

 

 順調だ。自分たちはだんだんと目的地へ近づいている。未だ、2人の侵入がバレた形跡はない。"ミスティ"は外の様子を一切確認できずにずっと、闇の中を漂っているままである。それなのに、"ミスティ"は落ち着いていた。自分を信頼してくれている証拠だ、と洞淵も気を引き締める。彼女はただひたすらに、洞淵の心拍音をセンサーで拾い、彼の足跡を辿っているだけなのだ。懸命に恐怖に耐えながらも。"ミスティ"の事を想っていると、心が温かくなっていく。こんな場所で考えるような事じゃない。洞淵は雑念を振り切ろうとした。

 

 全てが終わったら。"復讐"が終わったら。何も残らないだろうな。数え切れないほど考え抜いた、遠くない未来を想像して。この期に及んで、洞淵の胸中に後悔の念がじわり、じわりと押し寄せてくる。

 

 

 彼はついに、それらしき空間を見つけた。清潔に輝く強化ガラスが美しい。外界と遮断された、無菌に保たれる厳ついキャビネット。この辺りに、目的のウィルスがあるはず。いよいよだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 なんたる僥倖だろう。目当てを付けたアンプルは、一度で的中した。一言も声を漏らすわけにはいかない。故に、夜霧から返って来たのは作戦成功を示すハンドサインだった。

 

 ここまでは上手くいった。喜びと安堵が全身に染み渡り、洞淵は気を緩めてしまいそうだった。それも無理はない。これまで発見されずに来れた。後は来た道を戻ればいい。

 

 帰路の確認の為、今一度注意深く、静寂の空間へと顔を覗かせた。

 

 

 

 そして、息を飲む。女性のシルエット。看護婦さん。なんだ。看護婦さんか。全く足音がしなかったために、彼は少々我を忘れた。彼女は幽霊のように、地を滑るように歩いていく。待ち伏せてやり過ごせばいい。動けずに停止していた後で、後から捕捉するようにそう思いついただけだ。とっさに対応策を判断できなかった。異様な圧迫感を受けてか、洞淵の思考は止まっていた。

 

 いつの間にか、看護婦さんを見つめ続けていた。彼は目が離せない。

 

 

 静けさが機械音をくっきりと特徴づけた。洞淵は何も考えずに、ただ眺めていた。彼女の背中から、六枚の、"何か"でできた花弁が花開くのを。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜霧は手に入れたウィルスのアンプルを丁寧に、持参したケースに封入した。この病院に目をつけた"ヴィラル"の、お墨付きのケースだ。彼女たちが盗み出すウィルスは相当に危険な代物らしく、運搬には緊張を感じずにはいられない。でも、あの"ヴィラル"が選び抜いた密封容器だ。だから動揺するな。今は彼を信じろ。夜霧は自分に言い聞かせた。

 

 

 

 帰ろう、と"ブッチー"へサインを送ろうとした。伸ばした手が空を切る。次に突然。何度も、痛いほど頭をこずかれた。思わず沸騰しかけた夜霧は、そのサインの意味を把握して凍りついた。

 

 "ブッチー"は全速力で逃走しろ、と伝えていた。彼の現在位置を知らせる心拍音が堰を切ったように動き出す。

 

 数秒、動けずに固まった。だって、彼のぶんの酸素ボンベを持っているのは夜霧なのだ。ピリピリと震えが伝わってくる。近い場所で、振動が生じている。最悪の事態を想像して、胃が冷たくなった。こういう状況に陥った場合、どうするか。必死に覚えこんできた対応を噛み締める。逃げなければ。手に入れたものを仲間に届けなければ。"ブッチー"を置き去りにして。

 

 学園都市の研究機関から盗み出した、特別仕様のボイヤンシー・コンペンセイター(浮力補助装置)が一息に開放された。夜霧は生み出せる最高速を用いて、地下深くへと急速潜水していった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今朝方の話。今年の三月に、景朗が薬味久子の任務を受けた時に訪問した、あの奇妙な病院。あそこに盗みに入った輩がいたらしい。複数犯で、まんまと病院に保管してあった貴重な細菌やウィルス等を盗みだした。あの病院から盗みを成し遂げるとは、ただ事ではない。確かに空恐ろしい話だった。というか、あそこに貴重なウィルスなんて保管してあったんだ。

 

 どう考えてもきな臭い。気合を入れて事にかからねばならない、とは思うものの。事件を覆う闇を目にして、取り組む前から景朗は疲れを感じえない。

 

「それで、どうなったんだ?」

 

『病院のセキュリティが1人殺ったが、残りは取り逃がしたそうだ。遺体からは身元が判明している。名前は洞淵駿(うろぶちしゅん)。第十八学区に通っていた、高校生。"透過移動(フェージング)"の強能力者(レベル3)だ。物体、それこそ防壁やガラスなんかを物理的に透過する、すり抜ける能力だな。レアな能力だ』

 

「そりゃあ盗みに向いてそうな能力だ。他にわかったことは?」

 

『いや、今んとこそれだけだ。とはいえ、身元が判明しただけ御の字なんだよ、この有様だと。人間だった頃の名残は、影も形も残っちゃいない。ぐちゃぐちゃに潰されている。ありきたりだが、歯の治療痕から判別したらしい。にしても……こいつを殺った奴は何者なんだろうな?たかが病院の守衛が、これをやったとは』

 

 まるで、今現在、実際にその遺体を目にしているかのような、土御門の受け答え。景朗は躊躇なく浮かぶ疑問をぶつけていた。

 

「もしかして現場にいるのか?」

 

『言ってなかったか?今、オレも現場にいる』

 

 土御門の答えに、景朗は驚きを隠せない。

 

「どうしたってんだ?お前がそんな出しゃばってくるなんて。なんかこう、お前っていつも、なんか一見してわけのわからん、みょ~な事件にばっか関わってんじゃん。こういうまっとうな物件は大抵俺に押し付けてさ」

 

『危険なウィルスが盗まれたからだ。天然痘ウィルスだ。伝染病だよ。バイオテロが危険視される、特別ゴッツイ代物だ』

 

 なるほどな。舞夏ちゃんに危害が及びそうな事件は、お義兄さんがシャットアウトします、と。

 

「天然痘、か。確かにまずそうなフレーズだ。詳しくは知らないけど。でもたしか、何年か前に学園都市が抗ウイルス薬を開発したんだろ?」

 

『その通りだ。たった少量のウイルスじゃあ、盗み出したところで何の意味もない。例え犯人が奪った少量のウイルスを特定個人の殺害に使おうが、なんとかそいつを培養させてテロを起こそうが、学園都市は速やかにウィルスの暴露を発見し、被害者へ抗ウイルス薬を処置できる』

 

 学園都市、暗部も含めての学園都市が、簡単にテロには対応できる。そのように語る土御門だったが、今なお、彼の口調は硬いままだ。まだ何か、気になっていることがあるのだろう。

 

「じゃあなにが気になるんだ?」

 

『ここは学園都市だぞ?あらゆる可能性を模索しておく必要がある。今言ったことは、犯人だって百も承知の上だったはずだ。少量天然痘ウィルスを盗み出したところで、おいそれとは役立てようがない。それなのに、何故、危険を冒して盗み出した?』

 

「それは……。犯人はそいつだけを狙ってたのか?ほら、お前さっき言ってただろ。そこ、他にも危険なウィルスが保管されていたと」

 

『ああ、そうだ。もっとヤバいブツも大量にあった。それこそ興味深いものが山のようにな。お前の言いたいことはわかる。無論、犯人が苦し紛れに盗んでいった可能性もあるが……にしては、選り好みされていたように感じる。最初から狙って持っていった風に思えてならない』

 

「了解だ。で?つまり、何を危惧してるんだ?」

 

 土御門は重要なのはいよいよこれからだぞ、と言わぬばかりに、会話にタメを作って語り出した。彼は、とにかく、話し方がうまい男だった。

 

『そこでだ、雨月。お前、知っているか?ひょっとしたらこの事件と関わっているかもしれない案件でな。……"幻想御手(レベルアッパー)"という名前に、聞き覚えは?』

 

 "レベルアッパー"。その音感、どこかで耳にした。一時、景朗は記憶を手繰り寄せた。聞き覚えがある気がしてならない。だが、それだけだ。土御門の言う"幻想御手"なるものはついぞ知らぬものである。

 

 沈黙を肯定とみなしたのか、土御門は声のトーンを一段低くして、再び尋ね直す。

 

『知っていたか?それなら話が早いんだが』

 

「ああ、いや、すまん。まったく知らねえ」

 

『……そうか。それならいい。いいか、レベルアッパーっていうのは、名前通り。そいつを使えば能力強度が上昇するって噂のブツだ。俺も最初は眉唾だった。実際に存在するなら、そういう代物がまず最初にやってくるのは』

 

 土御門の会話に割り入り、景朗は後を繋ぐ。

 

「俺たち暗部の業界に、って話になるよな。俺は寡聞にして聞いたことないな。そんな便利なモノ、あるんなら絶対に噂になってる」

 

『それがだ。どうやら、本物らしくてな。奇妙なことに、一般学生や、スキルアウト達が発端となって街中に拡散しつつあるらしい』

 

 景朗は声を荒げてしまっていた。到底、信じ切れない。

 

「"暗部"が情報を収集しきれてないのか?アレイスター直近の俺たちだって知らないんだぞ。……アレイスターが黙認している?」

 

『断定はできんぜよ』

 

 土御門も、恐る恐るそう口にした。

 

『ち。話が逸れたぞ。話題を戻すぞ。はっきり言うとだな。盗み出された天然痘ウィルスを、能力を使って"操作"できる可能性のある人間が、学園都市には数人いるんだ、雨月』

 

「ッ。そうか。そういうことか、お前が心配しているのは」

 

『ああ。こちらで少し調べたが、まともにウィルスを悪用できそうな能力者の身元は、きっちり掴んである。だがな。もし、レベルアッパーが本当に有用な代物であれば……』

 

「悪用できる能力者たちが、リストに増えるのか」

 

 景朗を嫌な予感がつつむ。気が滅入る。その感覚は今まで彼を裏切ったことがない。

 

『その通りだ。無能力者まで範囲に入れて洗い出した結果。すぐに情報を掴めなかった奴が一人だけいる。産形茄幹(うぶかたなみき)ってやつだ。そいつは書類上、第七学区、学舎の園の近くに住んでいることになっているが……。不登校に引きこもり、だそうだ。もし自宅に居なければ、今はどこにいるのか見当もつかない。』

 

 握っていたアイスコーヒーのコップが、ぐしゃりと潰れてしまった。あああ、勿体ない。

 

「お前、俺が今どこにいるかわかってて連絡したんだろ??」

 

『理解が早くて助かるぜい。雨月、ちっとばかし、そいつの家を確かめてこい』

 

「はぁぁぁぁ。……わかった。大人しく従うさ」

 

 

 

 景朗は土御門に住所を教わると、すぐさま通話を打ち切った。今回ばかりは、素直に彼の命令を遂行するつもりだ。放置して、後で悲惨な目に遭いたくはない。

 

 

 

 

 

 スコーンを一口に、一気に口に放り込み、咀嚼する。さて、行くか、と景朗が席を立った、その時。

 

 

 

 

 

 

 

「へぇー?そういうお仕事してるんだあ、"第六位"さんは?」

 

 ごふり、と景朗はスコーンの残骸をノドに詰まらせた。不意打ち。誰だ?!警戒に警戒を重ねた草食動物を覗わせるような、素早い動き。景朗はその声を認知したその瞬間には、声の主を振り返っていた。

 

 

「面白そうなお話してたわねえ?」

 

 セーラー服に身を包んだ、黒髪、おかっぱの女子生徒。ピースサインの決めポーズ。なんというか、危ういオーラはいか程も纏えていない。だが、只者ではないはずだ。

 

「初めまして。"第五位"の"超能力者(レベル5)"、"心理掌握(メンタルアウト)"です☆あ、言っておくけど、この子は私の連絡係(アンテナ)に過ぎないからあ。襲っても無意味よお?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 洞淵さんが帰ってこない。夜霧さんが人目を憚らずに泣いている。部屋の隅、壁にぐったりと寄りかかり、微かに震えながら。それでも、彼女は持ち帰った。次のステップへ進む鍵。世界屈指の伝染病、"天然痘"のウィルスだ。空気感染する化物。大勢が死ぬ。だからこそ、変えられる。

 

 賽は投げられた。そのはずなのに。茄幹の脳裏に浮かぶのは、これから先、立ち向かうべき敵の影ではなく。仲間と過ごした、過去の楽しかった記憶ばかり。

 

 

 その宝物のような思い出は、失った"平穏"の象徴だったのかもしれない。今は違う。学園都市の執行機関が血眼になって、自分たちを探しているだろう。本当の意味での、"日常"から"非日常"への変遷。茄幹は漸く、後戻り出来なくなったのだ、と実感した。

 

 

 

 茄幹は懐かしむ。"リコール"のメンバーと、最後にカラオケに行った時の事を。

 

 

 

 初っ端、男で唯1人だけ高校生だった洞淵くんがドギツいアニソンをぶちかました。それで、皆にまとわりついていたぎこちないわだかまりが一気に溶けた。

 

 それからだ。生身で面と向かい合わせて固まっていた"リコール"メンバーたちは各々、ゲームの中ではしゃいでいたのと全く同じように、現実世界でも騒ぎだした。

 

 ビックリするほど楽しかった。ゲームの中で培っただけの絆が、現実世界にまで昇華された。茄幹はそう感じとっていた。きっと、他のメンバーも似たり寄ったり、同じ気持ちだったんじゃないだろうか。

 

 

 洞淵くんはそれからも、ブレずに特濃のアニソンメドレーを展開していった。ネトゲでの振る舞い通りにテンションがすごく高いヤツだったから、彼だけは一目見て"ブッチー"本人だとすぐに判明したよ。

 

 実は僕も人のことをどうこう言えずにアニソンばっかりだったんけどね。野郎2人でアニソンという針のムシロに座ろうかと覚悟していたその時。意外にも、夜霧さんがアニソンをかぶせてきた。これでアニソン勢力が半数。おかげで居心地の悪い想いをせずに済んだ。

 

 貴重なアニソン勢力の女の子だった夜霧さんは、1人だけ一学年歳下の中学二年生。なのだけど、女の子の中で一番背は高くて。それに加えてブカブカのパーカーにジャージという服装で。その格好が余りにも似合い過ぎていて、スキルアウトさんなのかなって最初は勘違いしてしまった。彼女は外見を裏切って、重度のアニメ好きだったのだ。皆にツッコマれ、ちょと前にスキルアウトはヤメたんだよ、と言い訳してた。それから照れくさそうに、短気な性格と男勝りな喋り方は元からなんだって教えてくれた。

 

 そうそう。驚いたことに、女の子3人の中で一番可愛かった娘は"シュマリ"だった。あのゲームの中ですらネガティブ思考全開の彼女が、まさかあんなに愛らしい顔付きをしていたとは。太細朱茉莉(ださいしゅまり)と名乗った彼女は、苗字がキライだから名前で呼んで、とぶすりと不機嫌そうに語った。オンラインネームもそのまま"シュマリ"だったしね、本人の言うとおり名前の方は相当お気に入りらしい。カラオケでの選曲は性格を見事に反映した、聞いているこっちまで鬱になりそうな暗い曲ばかり。でもまあ、普段じゃなかなか聞かないようなメロディで、新鮮でもあったかな。

 

 あと、悲しいことに。"オージ"とかいうクールキャラを気取ってた変態は、今大路万博(いまおおじばんぱく)とかいうイケメンだった。何をトチ狂ったのか、洋楽ばかり熱唱してちょっと空気外してた。僕と洞淵くんはそれで救われたよ。"オージ"ざまぁ。ちょっと悔しいことに、歌自体はうまかったけど。

 

 でも、みんなの中でとりわけ、一番歌うのがうまかったのは嘴子さんかな。彼女がずっと歌ってたのはR&Bっていうらしい。僕にはJ-POPと区別ができなかった。ていうか、正直アニソンしか聞かない僕には判断しようがなかっただけだけどね。なんというか、フツーの、オタクっぽくない曲にも興味がわいてきた。試に勉強してみようかな。そしたら、嘴子さんともうちょっと会話できるかもしれないし……。

 

 ネトゲで皆のまとめ役だった"ウッドペッカー"こと嘴子千緩(くちばしちひろ)は高校生だった。僕はやっぱり年上だったか、と納得したよ。なんやかんやで、彼女は現実世界でもまとめ役に落ち着いた。その甲斐もあって、まんま、ネトゲでの掛合いがリアルの関係にまでシフトしたようで。それまでの人生で、誰かと過ごしてきた中で、最高に居心地が良かったな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 気が付けば、涙を必死にこらえていた。もう、戻れない。でも、それは最初からわかっていたことだ。

 

「産形クン。もう後には引けないからね」

 

 朱茉莉さんが覚悟を問いただすように、僕を正面から見つめていた。

 

「わかってるよ」

 

 今大路がうなだれたままの夜霧さんへ手を差し出した。

 

「ブッチーは一杯喰らわせたい、一矢報いたいって言ってただろ。アイツはやり遂げたんだ。ここで止めてしまうのか?ここでそいつを差し出して白旗なんて揚げたら、ブッチーの行動が無駄になってしまう。ミスティ、まだ何も変わってない。大事なのはむしろこれからだろ?」

 

 夜霧さんは憎しみを露わに今大路の手を取った。

 

「もういい。言わなくていいっての。ブッチーの仇をとってやらぁ!」

 

 夜霧さんの咆哮に微笑む朱茉莉は、淡々とメンバーを順番に眺めていった。今大路は最後にもういちど、計画の確認を全員に要求した。

 

「それじゃあ俺と朱茉莉は用意を急ぐ。ミスティ、ウッドペッカー、ヴィラル、気をつけろよ」

 

 2人は迷い無く、拠点とした第十学区のマンションを後にした。その間、夜霧は寂しそうに2人の背中を盗み見ていた。

 

 ウィルスのアンプルを取り出し作戦へ取り掛かろうとしていた茄幹は、唐突に気づいた。知らぬ間に嘴子が傍へに寄り添っていた。

 

「茄幹くん。辛い?」

 

 純粋に相手を慮る、憂いの顔色。向けられた柔らかな心遣いに、正面から見つめかえすのは照れくさかった。手元のウィルスの入ったケースに目線を固定させ、茄幹は努めて気丈に振舞った。

 

「大丈夫。問題なくやれるよ。レベルアッパーで十分に能力の強度は上昇してる」

 

 嘴子さんは口を噤んでしまった。最近、彼女の反応が変だ。最初の方は彼女の方こそ、嘴子さんの方こそ、"復讐"に燃えていたってのに。茄幹は様子を窺うように、嘴子に問いただす。

 

「お父さん、殺されたんでしょ?"アンブ"の人たちに。理事長へ抗議活動してただけで暗殺。そんな相手なんかに、嘴子さんは少しも遠慮する必要なんて無いよ。僕も手伝う。今は逆に、少し怖いかな。嘘っぽいけど、噂通りに"ケルベロス"ってのが襲って来たら……犬にウィルスが効くかどうか、流石に自信ないからね」

 

 おどけた風に肩をすくませる茄幹。彼の精一杯の冗談に、嘴子は無理矢理に微笑みをねじりだした。

 

「任せなさい。その時は私が戦うから。貴方は計画だけに集中して。邪魔はさせない。それに、"ケルベロス"は、もしかしたら父さんの仇かもしれないから。躊躇なく殺してみせる」

 

 嘴子は目に憎しみを宿らせて、殺す、と言い放った。その言葉に当てられたのか、より一層自らを鼓舞するためか。茄幹も頬を歪めて犬歯を剥き出した。

 

「僕だって復讐してやりたいんだ。どっちにしろだいぶまいってたから。まっとうに戻れる気、全くしてなかったから。」

 

 "復讐"が成功したら、きっとせいせいするだろう。最高の気分にちがいない。仲間との繋がりも、いつかは消えてなくなる。僕たちは嫌というほど知っていた。現実という壁が、すぐに僕らに立ちふさがってくることを。だったら、最後までこの悲しみを自分ひとりの身に塞ぎ込み、儚く消えていくか?それは

 

 

 

 "リコール"メンバーには、共通したひとつの意思がある。僕らは全員、"学園都市"が死ぬほど嫌いなのだ。この街をこの街たらしめている、ムカつく奴らを陥れてやりたい。

 

 

 

 人間はどうしようもない生物じゃないか。弱いものいじめが大好きだ。そのために、どれほど労力を惜しもうか?呆れるくらい、なんでもやってのける。日がな一日、他者を排斥するその行為にのみ心血を注ぐ。それが至高の快楽だと言ってのける人間が多すぎる。

 

 しかしながら、レベルが上の能力者たちに足蹴にされるのはまだ我慢できる。この街を支配する身分制度だ。同じ穴のムジナは沢山いる。耐えてみせよう。しかし、等しい立場の人間からはじき出されたらどうすればいい。ここには親もいない。街には大人すらろくにいない。この巨大な都市の八割が学生、子供なのだ。

 

 学園都市に一度入れば、大人になるまでは外には出られない。学校を転々しようと、"いじめられていた"事実が後から後から物好きな輩に掘り出されてしまう。子供が船頭となれば、精神を虫食う陰惨な行為がすべて、"いじめ"の三文字で素通りしていく。

 

 

 落ちこぼれは武装無能力集団(スキルアウト)だと言われて蔑まれる。でも、少なくとも彼・彼女たちは1人じゃなかった。もし、スキルアウトにすら馴染めなければ。絶望するしかない。

 

 やがて、不条理に晒され続けて生じる、抑えがたい怒り。逃避と憤怒が混ざりあい、縮合し、諦観と復讐心が取って代わる。

 

 その折に、偶然にも。仲間に与えられた"幻想御手"が、産形茄幹に力を与えてくれた。怒りを解放する術とともに。茄幹は目を向けた。夜霧が命懸けで奪取した"力"。その途方もない可能性を肌に感じ取り、彼の躰は漠然とした憎悪を燃料に動き出す。

 

 これからは"病菌操作(ヴァイラルシミュレート)"の出番だ。ギルド"リコール"には最初から目的があったのだ。名前が指し示している。どうせならこの街を創り出した奴ら全員に、"Recall"を要求してやる。そのための巻き添えを喰らうのは、今までメンバーを虐げて来た奴らになるだろう。だから、気持ちいいくらいに言ってやる。そんなの知ったことか、って。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 突然にコンタクトを取られたため、咄嗟に慌てて付近の人影に一通り目を通した。無駄だと分かっていても、行動せずにはいられない。

 

 予想は覆らなかった。それらしい少女は、この女学生を操っている"第五位"らしき姿は何処にも見当たらない。会話を続けるしかない。急ぎの用があったが、とある事柄が脳裏をよぎり、景朗は敵意が面に表れぬよう穏やかに会釈を返した。

 

「あー……、ビックリしました。すみません。どうもどうも」

 

 少女は景朗のことを"第六位"だと呼んだのだ。彼女が本当に"第五位"かどうか知る由もないが、捨て置けない。この場所で接触を図ってきたのも気に触る。景朗はしばし、眼前の相手へ対応するしかなかった。

 

 

「安心していいわよう?私、あなたの考えていることがさっぱりわからないの。まあ、それでもあなたが私を警戒しているのはバレバレだけどねえ。うふふ。ねえ、私、あなたの考えてること、ちっともわからないわあ。くすくす。これってとっても普通のことよねえ?」

 

 薮から棒に話しかけて来た少女は脈絡もなく、物凄いニヤけ面を披露した。気味の悪い挙動と意味深な発言。不覚にも、景朗は彼女の存在に怯えを感じつつあった。

 

 この女、俺の素顔を知ってるのか。仮にも超能力者を前にしてこの余裕。他にも色々と知ってそうな態度だ。なんにせよ油断できそうにないな、危険な奴だ、畜生

 

 相手が何故そのように愉しげに微笑むのかまるで理解不能だった。さりとて、景朗と敵対する意思はほとんど感じられなくもあった。

 

「とりあえず、座って話をしないか?なあ?」

 

 このカフェテリアには男子生徒は景朗しかいない。手持ち無沙汰なお嬢様方が、自分たちの会話を盗み見ているやもしれぬ。立ち尽くしていると目立つ。目の前の少女を見つめ、景朗は恐る恐る椅子を引き、元いた場所にゆっくりとした動作で座り直した。

 

「俺と電話相手の会話、聞いたのかな?俺の声はともかく、ケータイの音量はものすっごく小さくしてあったんだけどね」

 

 話しかけてきた少女は返答も無しに、大胆に景朗の真横の席に腰を下ろす。景朗はピリピリとした緊張に包まれていた。だが。交渉相手はそうでもなかったのか。

 

「それにしても、久しぶりねえ。ずっと、こうしてお話してみたかったのよう?去年の冬頃から、ねえ、"第六位"さあん?」

 

 "第六位"だと言われるのが癇に障る。"第二位"もからかい混じりに景朗をそう連呼した。思い出したくもない、彼と戦ったあの日の出来事が記憶に蘇る。

 

「あのさ、ひとついいかな?あんた、さっき自分が"第五位"だとか俺が"第六位"だとか言ってたけどさ。俺、実はそんなことはどうでもよくてさ。あんたが何者かも興味は無い。悪いけど立て込んでるんだ。単刀直入に言って欲しい。俺に何の要件なんだい?」

 

 余計な注目を浴びたくなかった景朗は、最低限に声を絞り少女に尋ねた。彼女は貼り付けた笑みを崩さずに、妖しく口元を広げた。

 

「大丈夫よお、そんなに怯えなくても。だあれも私たちの会話を盗み聞きなんてしてないからあ。"第五位"の、この食蜂操祈さんが保証してあげる」

 

 景朗は自称"第五位"と憚りもなく名乗り続ける少女の言を聞き、なに食わぬ顔で己が五感の性能を極力向上させた。近辺のお嬢様たちの行動を、くまなく確かめる。

 

 そこで、はっと気づく。彼女の言う通り、誰ひとり、景朗たちを目に留める人間はいなかった。先程一人で珈琲を嗜んでいた時は、好奇の目線が止むことがなかったというのに。それが、今ではまるで。景朗の存在すら、人っ子一人、微塵も意識のうちに捉えていない。不自然だった。

 

「おーけー。君の話、こっちも真剣に聞かせてもらうことにしたよ。さっきも言ったけど、俺に何の用なのさ?」

 

 少女は景朗の質問に答えなかった。頬に手を当てて、まじまじと景朗の顔を観察している。物憂げな表情を見せると、つぶやくように口を開いた。

 

「くすくす。不思議ねえ」

 

 1番不思議なのはあんたの挙動ですけどね。景朗はもやもやと湧き上がる煩わしさを押さえ込んだ。話が進まない。

 

「こんなに近づいてやっても効かないのなら、どうやら本物のようねえ。私の干渉力が効かない人間がまた1人、登場って訳かしらあ。でも、まあ、あなたの弱点はうーんと、それこそあなた本人よりよおく知ってるから、問題はないのよねえ」

 

 相手曰く、近くに来ている、と。……駄目だ。察知できない。景朗は歯を軋ませる。近くとは言うものの、それは相手からしてみればの話。仮に本当にこの少女が操られているとして、その犯人は景朗が捉えられる距離には居ないようである。

 

「俺の弱点、か。試しにお聞かせ願えるかな」

 

「よろしい。今日からあなたは正式に、堂々と"超能力者(レベル5)"を名乗っていいわよぉ?私のお墨付き。ちゃあんと歩をわきまえて私の"下"にランクインしたことだしい☆」

 

 満足げに顔をほころばせ、少女は足を組み替えた。プリーツスカートがはためき、奥底がちらりと露見した。欠片ほども彼女は心に留めておらず、景朗も嗜める心持ちではなかった。

 

「おい――」

 

「そうそう、私、とっても気になってたことがあるのよお。一端覧祭の最中だったかしら?手纏さん、あなたの家にお邪魔したんでしょう?ねえねえ、どうだったあ?彼女、あなたに告白するつもりだったみたいなのだけど。ちゃんと告白してもらえたの?」

 

 

 さっきから会話になっていない。いい加減答えろよ、と口調を荒らげようかと思った矢先。彼女の口から飛び出した"手纏"という単語に、景朗は思考と動きを同時にピタリと静止させた。まずい。あの2人のことまで知られている。

 

「ッやはり知ってたの……か……ッてぇ――へ?え゛?」

 

 なにを言い出すんだ、こいつ、一方的に。俺の家に手纏ちゃんが来たことまで知られている?というか、告白?

 

「あらあ、せっかく私の干渉力が効かないのに。その顔じゃあ台無しよう?なんてわかりやすいのかしらあ。その様子。あの人、あなたに何も言えなかったみたいねえ。残念」

 

 景朗は動揺するまいと、一度、精神を落ち着かせた。嘘八百。この女、俺の心をつついてかく乱させ、何かを企んでいる。下手に動けない。相手はあの2人を……クソ、告白って、こいつ。

 

 景朗の横で、少女はつまらなそうに息をこぼした。景朗は胸の内で冷や汗を流し、引きつった。この相手は、彼が"超能力者(レベル5)"になる前から、景朗たちを観察していたに違いない。

 

 "第五位"の超能力者の、その能力は"心理掌握(メンタルアウト)"。本人の言葉に従い、相手の背景を推測する。"第五位"の力ならば、確かに俺たちを観察するのは簡単だ。そもそも、本物の"第五位"であればあの2人をよく知るのは当然である。食蜂操祈は常盤台中学の二年生。去年は彼女たちの後輩だったのだから。本当に、"第五位"?

 

「ま、待ってくれ。君、本当に、"心理掌握(メンタルアウト)"なの、か?」

 

「あらあ、疑り深い"獣"さんねえ。でも、無理もないことかしら。あなたみたいに"闇"の存在を知る人間は、言って聞かせるだけじゃあ簡単には信じなくても当然、かあ。ふふん。それじゃあ、取って置きのネタばらしをしてあ・げ・る☆」

 

 少女は勢いよく身を乗り出し、景朗へと迫ってきた。正面から見つめ合う。瞳に浮かぶ奇妙な紋様。その模様を見ているだけで、胸騒ぎが彼を襲った。

 

「今でも思い出すだけで笑えるわあ、あの時のこと。あなたは間違いなく覚えているはずよお、見てきた中で一番いい顔してたもの!このカフェで。あの時の、手纏さんの"罵倒"」

 

「そんなのまで知って?!」

 

「うふふ。そうよお、あの時の罵り言葉、実はねえ……提供したのは、このわ・た・し☆手纏さんも一生懸命考えてたのだけど、ほら、彼女、そういうのにあまりに疎すぎるじゃない?だからあ、私やきもきしちゃって☆あなたが喜んでくれるように、あれでも色々と工夫したんだゾ☆う、うくく、うふふふふふッ!」

 

 暑いはずなのに、寒気を感じていた。容易に想像できる。一体この少女は、いつから俺たちの交遊をのぞき見ていたのかと。

 

「もしかして、あんた、ずっと俺たちの様子を……」

 

「勿論よ。だって、このお店は私の庭だもの。アンテナちゃんたちの、"学舎の園"の外部への発信基地ってとこかしら。そういうわけでえ、ここで起きたことは当然、全部私には筒抜けなのよねえ」

 

 景朗はあまりの衝撃に、言葉を紡げられなかった。ひたすら大人しく、少女の語る事実に耳を傾け続けている。

 

 

「去年の春からね。貴方たち三人の、甘酸っぱい青春ラブストーリーには楽しませて貰ったてたのよお。世間って狭いのねえ。あれだけがっついてた男子中学生が、今じゃあレベル5の一角なんだもの。意外と最近だったわよねえ。去年の冬くらい?」

 

 食蜂操祈が景朗たちを観察し始めた時期は、彼が中学三年になった当初から、ということになる。景朗が強能力者(レベル3)出会った頃から、ずっと通して見物されていたのか。

 

 今更ながらに、火澄と手纏ちゃんに何も打ち明けていなかったのは正解だった、と景朗は思い直していた。"第二位"に襲われていた時もそうだ。彼女たちが景朗の秘密を知っていれば、その時点で駆け引きできぬほど敵側に情報を握られてしまっていたのだから。

 

 いや、そもそも。彼女たちとすっぱりと縁を切れていれば、こんなことにはならなかったか。少なくとも、"第二位"と"第五位"には火澄たちのことはバレなかった。暗部部隊に加入する時点で関係を精算しておくべきだった。いいや、今更後悔しても遅い。

 

 そういえば、一体どうやって気づいたのだろう?景朗が去年、一年の間に、レベル3から順にレベル5まで上昇した、その事実を。気がつかぬ間に、食蜂操祈に頭を覗き見されていたってのか?

 

 景朗は思い出した。つい先程、彼女が口にしたことを。景朗の思考は読めない、と。何度も話していた。ならば、尚更一体?知り様はないはずだ。考えが読めないと言ったのも嘘か?自覚はないだけで、俺は操られているのか?全く判断できない!

 

(ええい、クソ。この女の言うこと、どこまで真実なのかわかったもんじゃない。だいたい、手纏ちゃんが告白ってなんだよ?なんてこといいだすんだ。すごい気になるけど、こいつに聞き返したくはない。すごく気になるけど。クソ、畜生、バカ野郎)

 

「なにが望みなんだ?どうして俺を脅す?あんたは"第五位"なんだろう?何でも操って好きにすればいい」

 

「あらあ?お馬鹿さんねえ。脅す?いつ、私があなたを脅したというのかしら?わざわざあなたに接触したのなんてえ。そんなの、あなたに私の能力が効かないからに決まってるじゃない。あなたを能力で好きにできるなら、こうやって面倒なことしないわあ?」

 

 警戒を露わに無言となった景朗に、にこやかに少女は微笑んだ。

 

「これ、内緒の話よお?私の能力、"人間"にしか効かないの。あなた、とっくに人間やめちゃってるじゃない。そもそも、あなたたちの会話を覗き見し始めた発端はねえ、何を隠そう、あなたの考えが突然読めなくなってしまったからなのよお?」

 

「人間やめた?……それ、去年の五月くらいの話か?」

 

 景朗の質問にだんだんと答え始めてくれている少女。ひとさし指を当てた唇を尖らせ、上目遣いに小首を傾げる彼女は、どこからどう見ても愛らしく。その姿に騙されてはいけない、と景朗は無理矢理に気を詰め直す。

 

「そのくらいだったかしらあ?それ以前だと一度だけ、あなたの考えを読んだことがあったのよねえ。その時は他の人たちと一緒。あなたは特別ではなかった。やろうと思えば何時でも干渉できたのよ。それが一転して。突然、ふとした拍子に、あなたの考えが読み取れなくなった。もやもやとして、記憶の断片しか覗き見れなくなってしまったのよう。気になって気になって、あなたたちを監視しはじめたわけでえ。何時の間にか、それが楽しくなってたのねえ」

 

 景朗は激しく警戒していて、それまで認知できていなかった。ここに来て、ようやく気がついた。目の前の少女は、一貫して、どうやら景朗に好意的である、と。何度も気のせいで済ませようとしていたが、否定するのは難しくなっていた。少なくとも敵対しようとする意思は見られない。彼女は見かけ上は、景朗と会話を楽しんですらいるようなのだ。

 

 

「去年の冬ねえ。とうとう、あなたに通じる干渉力がゼロになったのは。……そういえば、あなたが"超能力者"へ到達したタイミングを判断できたのは偶然なのよねえ。私が情報を得たのは気まぐれの産物が功を奏しただけなのだし。でも、あなたが"第六位"に加わるまで"第六位"の情報は録に出回っていなかった。裏で糸を引いていた誰かさんは、あなたが遅かれ早かれレベル5になることを予測していた、と私は考えちゃうわよお、これじゃあ」

 

 どうやらそうらしい。景朗が"第六位"だと勘違いされているのは、"第六位"の情報が彼の台頭まで全く露出していなかったことが大きな要因となっている。未だに、本来いるべき"第六位"の情報は耳に入れられていない。

 

 

「あなたたち3人のやりとり、見ているのは嫌いじゃなかったのよ。ほんと、リアルタイムで人間ドラマを見ている感覚なの。流石の私にも画面の中の人間の考えはわからないしい。それと同じなのよねえ。考えの読めない敵は大嫌いだけど、あなたみたいに無害だとわかってる人間なら、ねえ。まったくう。目の前で青春繰り広げてくれちゃってえ」

 

「俺が無害?暗部にどっぷり浸かっているこの俺が?」

 

「ぷっ。あなたが"暗部の人間"?どうにもピンとこないのよねえ。仄暗さんの思い出の中じゃ、あなたおねしょしてぴぃぴぃ泣いてたクセにい。あらあ、怖い怖い。犬歯が丸見えよお?私を襲ったら、あなたの大事な人たちがどうなるか、勿論理解してるでしょお?」

 

 

 でも。幻生やアレイスターの命令で、色んな人間を殺してきた。"第五位"からしたら、その程度のこと些事に過ぎないのだろう。ほかの人間には、怖くて知られたくない。クレア先生や花華たち、火澄たちに、自分がやってきた事を正直に話す勇気は無い。そんなもの、もう景朗には残っていない。

 

 このまま話していても、埓が明かない。景朗は試しに、素直になってみた。質問を変えてみる。

 

「なあ、それじゃあ、今日はどうして俺に接触したんだ?今更、このタイミングで姿を現すなんて、一体どうした変わりようだ?今まで秘密裏に監視できてたのにさ」

 

「あらあ、ようやく気づいてくれたみたいねえ。私にはあなたを脅すつもりも、命令を言いつけるつもりもなかったってことに。……そろそろ、お喋りも終わりにしましょうかあ。このくらいでいいでしょう。あなたも私の話を少しは信用してきてくれているみたいだし。それに、あなたにもお仕事があるものねえ?」

 

 景朗は信用なんてしていない。しかし、ここは納得したように見せかけて、彼女への対応は後回しにせざるを得ない。土御門から頼まれた仕事がある。嘘をついているに違いない。景朗は心の中でそう繰り返した。手纏ちゃんが告白?手纏ちゃんの罵詈雑言を提供した?内心、それが事実なのか大嘘なのか、景朗には気になる部分もありはしたけれど。

 

「今日、こうして話しかけたのは。要するに、あなたに協力してあげてもいいゾ☆、ってことなのよ。盗み聞いた感じだと、何やら大変そおだしい?あなたに貸しを作っておくのも悪くないと思ってねえ。なにせ、あなたが相手なら保険も十分。私の話を聞いててよおくわかったでしょう?私が、あなたの弱点をどれほど深く理解しているのか、ってねえ☆」

 

 

 少女は言い放つと、テーブルに腕をのせ、その上に頭を乗せて寄りかかった。興味津々に、景朗の反応を待っている。

 

「馬鹿言わないでくれ。俺たちと関わるつもりか?」

 

「そんなつもりは毛頭ないわあ。純粋に、あなたと個人的な関係を持ちたいだけよお?ヘンな意味じゃなくってねえ?」

 

 正直、景朗は火澄と手纏両名の存在を言及されてから、何時脅されるのやら、と不安に思っていた。しかし、"第五位"を騙るこの少女からは、やはりその意図は感じられずにいる。ただ、彼女が景朗の大切な友人2人の重要性を啄いてくるため、放置して逃げ出すのは得策ではない。

 

「とりあえず、あんたの意思は把握した。よぉく理解したさ。あんたが俺の弱みを握っているっていった、その意味もね。でも悪いが、今は冗談抜きで立て込んでいるんだ。申し訳ないが、また後でお相手させてくれないかな。約束は守る。この場はこれで」

 

「はあい☆それで構わないわあ」

 

 意外にも、二つ返事に承諾された。了承の返事とともに、彼女は携帯電話を取り出した。

 

「それじゃあ、この子のケータイと連絡先交換してちょうだいッ☆」

 

 景朗はかっちり硬直した。少女の精神を操っている犯人などおらず、実際にこの娘本人が会話の相手ならば。連絡先を交換するのも、気は咎めない。しかし、もし本当に操られているだけの、微塵も関係のない一般人だったら気の毒だ。

 

「あんた鬼だな。暗部の人間と無関係の子を」

 

 堅気の人間をぽんぽんと暗部の人間に関わらせる彼女の行動に、景朗は嫌悪感を浮かび上がらせた。

 

「仕方ないわよお!事が事だもの。それじゃあ、さっきのウイルスのお話。私たちにも危険が及びそうだからあ、ちゃあんと報告するんだゾ☆」

 

 少女は初めて不満そうに頬を膨らませた。

 

「やっぱり、全部聞いてたんだな」

 

 返されたのは、可愛らしいウインクがひとつだけ。ためらいもなくしなをつくって取りなそうとする彼女に、景朗はそれ以上追求する気概が失せていた。

 

「だいぶトゲが取れてきたわねえ。うふふ。なんだか、人間不信に陥った野良イヌさんを相手にしているみたい。またお話ししましょうねえ、約束よお?"三頭猟犬"さあん?」

 

 軽く目配せし、会話を断ち切るように席を辞した。背後では、彼女は未だに、なにやらポーズを決めてかわいこぶっている様子であった。だが、彼は最早振り向かず、迷いなく次の目的地を目指している。

 

(心配しなくとも、あとで決着がつくまで話をさせてもらうさ。にしてもだんだんと"三頭猟犬"って、言い得て妙な感じがしてきた。笑い事じゃないか。俺を締め付ける首輪がどんどん増えていく。頭三つじゃ全然足りないっての……)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 景朗は標的である産形茄幹の自宅へと、急ぎ駆けつけた。彼が住むマンションのセキュリティはそれほど仰々しいものではなく、難なくマンション内に潜入を果たす。

 

 至極自然な感想が浮かぶ。どこからどう見ようと、一般的な、第七学区の平均的な中学生が住まう寮といったところだろう。

 

 若干、景朗は悩んだ。産形の友人を語り、正面から管理人とコンタクトを取って彼の不在を確かめる。そのように、シンプルな方法で済ませようかと考えた。けれども、すぐさまその案は切って捨てた。

 

 産形茄幹とやらがクロだった場合を考慮する。不審人物が、産形茄幹の在宅を確かめに来たという、その事実すら明るみに出ぬように行動しようと心がけた。

 

 景朗は能力を展開させ、体色を周囲に溶け込むように変化させていく。簡単に言えば、極めて精巧になされた擬態、所謂透明化だ。彼がよく用いる手段である。透明になった自身の両手を眺めて、景朗はひとつ息をついた。最近、やたらと透明になる癖がついてしまってるかもな、と。

 

 そうして、姿を消したまま、景朗はマンションの横壁、絶壁を軽々と登っていった。音を立てぬように動くのにも、随分と慣れてしまっていた。

 

 

 監視カメラ等の存在にしっかりと対処し、景朗は産形茄幹の自宅、そのベランダへとたどり着いた。カーテンが隙間なく広げられていたが、大した障害にはならない。外からでも、彼ならば生活音を逃さず聞き取ることができる。

 

 直ぐに結論が出る。物音一つ聞こえない。産形茄幹の家には誰もいなかった。それならば、と景朗はベランダ周辺、エアコンの室外機を探す。

 

 透明であるからして、景朗の表情は誰にも窺い知れなかったが。その時、彼は顔付きをしっかりと濁していた。彼は俄かに、するすると、躰から透明の細い触手を伸ばし、室外機の奥底へと這わせていく。

 

 触手の先が、室内に顔を出した。その先端には、多種多様な感覚器官、神経が張り巡らされており、匂い、湿度、温度、光センサーの役割を果たすようなものまでが器用にこさえられている。

 

 そこで。産形茄幹の部屋で、景朗は想像していた内でもっとも厄介なものを発見してしまった。手作り感あふれる、お手製の警報器。自宅への侵入者を察知する目的で設置されているのだろう。引きこもりが、グレてスキルアウトになったとして。どうしてこんなものを、仰々しく自分の家に用意しとく必要がある?後暗いことをするつもりだ、と、自ら白状してるようなものだ。

 

 その光景を目にして、景朗は新たな騒動の始まりを予感した。

 

 




次はepisode22を。話が続いているので間を開けたくはないんですが……
二つ目の闇の魂が私を誘いますorz
とっくに書き始めてはいるんですが

設定集もぼちぼちあげます。episode22の投稿前に、すぱっとあげようと思ってます。あんまり内容は濃くないのですが一応。

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