とある暗部の暗闘日誌   作:暮易

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2014/05/05 更新完了

続いて直ぐに次話、episode24を更新します。
明日更新できると思います。できたとこまで更新するので、ほぼ更新できると思うのですがorz

あと、感想の返信ですがもう少しだけ待ってくださいorzお願いします
更新の方を優先させたほうが喜んでくださるかと思いましたので


episode23:接触衝突(タッチクラッシュ)

 

 昼飯時に土御門から、朝方盗みがあったと聞かされ、景朗は産形の家に調査に行った。彼の自宅には長らく不在の痕跡が見受けられ、それだけでなく悪質な置き土産までされている始末だった。同日、午後昼過ぎ。今度は第十学区で遺伝子研究をしていた施設が襲われた。犯人は襲撃後、すぐ逃げ出し影も形も無く、朝方の事件との関連性は調査の真っ只中。現在も見つかっていない。施設襲撃時、不気味なことに天然痘ウィルスが使用されたという。

 

 土御門の杞憂。産形が"幻想御手(レベルアッパー)"とやらを使って、不可能を可能にできたらという予想。

 

 

 その彼の想像を構築する上で、必要な仮定がある。"幻想御手(レベルアッパー)"の存在だ。土御門は"幻想御手"が実在すると確かに言った。それが果たして如何程のものであろうかと景朗は半信半疑でもあった。それでも、土御門の懸念は端から疑ってかかるべきではない。結局は用心するにこしたことはないと、景朗は手を打っていく。

 

 2人が仮定した懸念。その鍵となる"幻想御手"について、景朗は心の底からはその存在を信じきれずにいた。存在するとしてもそれは成し得て、無能力者が低能力者や異能力者になるような代物なのではないかと。それ以上のものであるとは、易々とは確信を抱けずにいた。なにせ、スプーン曲げができるようになるのと、強能力や大能力を発現するのでは文字通りレベルが違う。

 

 強能力者や大能力者を続々と排出するような。そんなものが発明されたとなれば、幾らなんでももっと大きく、明るみになっているはずだ。今頃、ぽんぽんと強能力者、大能力者、超能力者が出現していなければおかしい。燎原に放たれた火のように、電光のように広がっていなければおかしい。だって、能力強度(レベル)はこの街の身分制度にも匹敵する、重要なステータスなのだ。

 

 更に、件の産形茄幹(うぶかたなみき)の大元の能力にも、考慮すべき点があった。"書庫"のデータを景朗も確認していた。"病菌操作(ヴァイラルシミュレーション)"。低能力(レベル1)、自分自身をようやく風邪に持ち込める程度の力だった。能力名が如実に表している。その能力の程度を。ヴァイラル、シミュレーション。"シミュレーション"だ。もっと直接的に細菌を操れるのであれば、例えば"エレクトロマスター"、"マグニトマスター"、"ハイドロハンド"、"エアロハンド"、といったように、"マスター"や"ハンド"などといった尤もらしい名前を冠するはずである。

 

 だが。産形の能力には、シミュレーション、と名付けられている。これはきっと彼の能力の研究を担当した人物が、産形の能力が持つ細菌への干渉力より、むしろウィルスに対する知覚能力に目を付け、重きを置いたからなのだ。だから、"シミュレート"が付けられたに違いない。それが、"レベルアッパー"を一度使えば、自在にウィルスを操れるようになるなんて。それが景朗の遺憾ない思いだった。

 

 確かに、不審な点も見受けられている。産形の不在は土御門の予想を補足する出来事だ。それでも、まさか本当に一連の事件に関連しているなんて。景朗は心のどこかで、諸処の心配事は骨折り損に終わるだろうと予想してもいた。

 

 

 今朝、薬味の所で強奪されたウィルスは少量だった。研究所で使用されたウィルスが施設でばら蒔かれたものと完全に同一のものならば、短時間でばら蒔けるほど培養されたことになる。その話を聞いて、景朗は確かに一度、"幻想御手(レベルアッパー)"の可能性を考えた。だが、直後に木原数多は真っ向から否定した。学園都市に、それほど都合よく遺伝子操作に関与できる人間などいないと。

 

 情報を手入した何者かがミスリードを狙い天然痘を使用したブラフの可能性だろうか。しかし、だとしたら何故そうする必要があったのか。研究所を襲った犯人どもの正確な狙いがわからない。それが問題だった。犯人は何故天然痘を使った?使えた?使うしかなかったのか、何かの目を逸らすために使ったのか。それとも、本当に偶然だったのか。

 

 簡易的に遺伝子操作を行える機械が、研究所にはあったという。まさか、産形がその場に赴いて、"幻想御手"とやらで有用になった能力で、出鱈目な細工を行ったのだろうか。飛躍した考えに違いない。そうであれば。低能力者で、引きこもりで、不登校だと聞く産形茄幹が犯罪集団の仲間であることになる。更に言えば、産形だけにこだわり事件を推理するのも危うい行為だった。ウィルスの個体に何らかの形で干渉できる能力者は希少であり、そこから犯行が可能な者を絞るのは有効な方法だろう。だが、何らかのトリックや発明品、もしくは別系統の能力者で代用できる可能性も残されている。

 

 

 

 諸々の事件を考察する上で重要な情報。判断のための材料がまだほとんど見つからずにいた。それ故、"幻想御手"の件をひとまず放置して、景朗は自らも直接、事件の捜査に加わることにした。彼の胸中には嫌な予感とともに、モヤモヤとした恐れがあった。その不安を打ち払うように、手がかりを探そう。今朝の事件も、昼の事件も、暗部部隊がとっくに捜査に乗り出している。学園都市を揺るがすテロリストどもの相手だって、彼らの本業なのだ。

 

 

 疑心暗鬼に陥っていても始まらない。土御門の心配事はきっとただの骨折り損に終わる。何はともあれ、事件解決は時間の問題だと希望を持とう。景朗は時を同じく、前向きに行動する腹積もりとなった。ところが、その考えも徐々に暗雲に覆われていく。"猟犬部隊"が研究所から逃走した者たちの足取りを見失ったのだ。2つの事件に共通して、犯人たちは暗部の追跡部隊を相手に全くと言っていいほど尻尾を露わにしていない。まだ事件が発生したばかり。すぐに解決するのか長引くのか、誰にも想像できなくなっていた。

 

 

 

 

 

 その折。食蜂操祈が見つけた異変を察知した。それが事件解決のヒントになるかどうか分かり得えぬものの、景朗は急行した。脳裏によぎる万が一の事態が、景朗を突き動かした。

 

 

 

 

 

 

 事態は急変する。電波塔内で景朗は驚愕した。産形茄幹を目撃することになったのだ。この状況で、この邂逅。彼らを何としても捕らえなければならない。有り得ないと思っていた予想に、景朗の意識が揺さぶられた。

 

 

 

 

 

 

 発見したのは、自分より年下に見えた少年少女たち。少女の制服は中学のものに見えた。高校の制服でもありうるかもしれない。相手は皆、自分と同じくらいの年ごろだった。ましてや、暗部部隊の追っ手を軽く躱す手練だとは露ほども思えない学生たち。

 

 しかし。産形の存在。大量のウィルスの存在。2つが目の前に現れた。景朗は悟り始めていた。それらの存在が強烈に主張する。真実は土御門の想像に近いところにあったのだと。景朗は気づくべきだった。景朗は疾うに知っていたのだ。いとも簡単に遺伝子操作を成し遂げられている人物を。その名は雨月景朗。自分自身が、その証明を既に成していたのだと。

 

 

 

 直面した現場で、まさに何かが起ころうとしていた。景朗が飛び込んだその電波塔で。だが、彼は間一髪間に合った。景朗は自分が現場に遭遇できたことに感謝し、相対する学生たちに慎重に対応しすぎた愚行を恥じた。

 

 脳裏で土御門の杞憂が現実味を帯びていく。景朗が遭遇してきた事実から目を背けられなくなっていく。明らかにせねばならない。恐らく、産形が培養した。産形が、何かをやってのけたのだ。そしてそれらは、まだ終わってすらいない。今この時、また別の何かをやり遂げようとしている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 少女2人は時間を稼ぐと言っていた。そのうちの1人は景朗がすでに昏倒させている。この場にはもう残り1人。しかし、焦りは依然としてにじみ出る。失念してはいけない重要人物が残っているのだ。産形が上階へ逃げて数分が経過してしまっていた。わずか2,3分。しかし、それが命取りにならないと誰に言えるだろうか。

 

「GVOAAAAAAAAAAAAAAAAHH!!!」

 

 三頭の巨犬は今一度、その喉奥から毒蜂を噴出した。二回目の羽蟲による攻撃。一度目は"ミスティ"の機転で躱されたが、彼女はもう動けない。景朗は予想していた。今相手にしている"ウッドペッカー"1人では、この数に物をいわせた一手に抗えない。

 

「ぎッ、……おおおおおおおッ!」

 

 雄叫びとともに、"ウッドペッカー"はペイント弾を乱射する。能力を応用した彼女は機敏に地を蹴り、宙を浮き、立体的に逃げ回った。デタラメな軌道だった。壁や天井に蜘蛛のように張り付き、自由自在に移動していった。

 

 だが、問題はなさそうだ。毒蜂は群れをなし、彼女の後をひたすら追走する。景朗は一瞬で判断した。詰だ。あれだけの高速移動。彼女の肉体には、相当な負荷や激痛がはしっているはず。それでも形相を醜悪に歪め歯を食いしばり、彼女は決して怯むことなく景朗に立ち向かってくるが、いずれ毒蟲に補足される運命にある。

 

 

 

 ダッフルバッグに詰まった大量のウィルス。それを見つめた景朗に迷いはなかった。大きな顎門が、限界まで開かれる。瞬き一つする間に、景朗はなんとそのバッグを咥え、丸呑みにした。

 

「ふざけるなァァァァァ!返せえええええええ!!」

 

 そう叫び返した"ウッドペッカー"であったが、存外に状況を冷静に把握していたらしい。黒く染まる毒蟲の大群は彼女の目前に迫っていた。蜂の群れは器用に分裂し始め、彼女の逃げ場を奪うように進んでいる。追い詰められた"ウッドペッカー"は、側面に空いた大穴の外へ退避せざるを得なかった。

 

 

 

 

 足場はもう、揺るがない。物体を溶かす能力者を仕留めたからだ。巨体に働く謎の引力は未だ景朗の自由を奪おうと、あちこちに彼の体を引っ張っていた。だが。足場さえ、物体さえつかめれば。後は自由に、如何様にも動ける。

 

 巨犬の3つの頭部のうちの、中央の顔の口元が緩んでいる。これで自由に動けると言わんばかり。微かな笑みがこぼれていた。この狭い塔で、あのように手当たり次第にバランスを取るための足場をクリームのように溶解させられては。猛烈に景朗を引き込む引力と相まって、相当に煩わしいものだったのだ。

 

 問題がひとつ解決された現状で巨犬が更に手を加えれば、あと幾ばくもなく目の前の三つ編みの少女との決着もつくだろう。けれども、景朗は今更になって不安になる。放置している産形の存在を忘れられない。

 

 "三頭猟犬"は巨体を機敏に翻すと、電波塔の側面を室内から打ち破り、側面を駆け上がりだす。

 

 あの女はどうせ追いかけてくる。そうでなくても、直に放った毒蟲が動きを奪うだろう。先に逃げた産形を探す。景朗はさらなる上層へと全速力で駆け登っていく。

 

 

「GOOOAAAAHH!」

 

 塔を猛スピードで這い上がる最中、"三頭猟犬"は煩わしそうに唸り声を漏らした。背中にへばり付く自動車が邪魔だったのだ。

 

 蠢く巨体。その背中から巨大な牙が突如、乱立し生え揃った。その背に張り付く自動車を囲むような位置取り。牙が力強く、閉じられた。

 

 牙は巨大な裁断機の役割を果たしていた。怪物にまとわりついていた自動車は、金属の塊が圧力に押され弾け飛ぶような澄んだ轟音を轟かせ、ひしゃげ、粉々になっていく。

 

 

 背中にくっついていた自動車を片付け、巨犬は頂上までスパートをかけていく。その矢先。たった今、邪魔だった重石を壊したところだった。そんな景朗の三対の眼に新たな影が飛来してきていた。

 

 

 彼の目には映っていた。彼方から、まるで電磁浮遊するように沢山の大型機械の山が、そこらじゅうから迫り来る。上層フロアで見かけたサーバーや電波の処理装置の影だ。それなりの質量があるだろうから、躰にまとわりつけば再び景朗の移動の邪魔をするだろう。明らかだった。"ウッドペッカー"の仕業だ。

 

 飛来物を触手や口から放つブレスで弾くも、まるで強力な磁石に引っ張られるように宙を浮く残骸の山が景朗へとまとわりつく。放置すれば重たい枷となっていくだろう。一つ一つ粉々に粉砕しなければならない。

 

 黒艶が波打つ巨犬の胸部が、メリメリと音を立てて横に裂けだした。間もなく、ぽっかりと空いたその裂け目は、馬鹿げた大きさを持つ新たな大口となった。血が滴り染まった、ほのかに透き通る凶悪な結晶の牙が、歪な音を吹き出し幾重にも折り重なり、屹立していく。

 

 怪物は飛来する金属の塊を片端から余すことなくひと口で咬み砕いていった。最早、巨体は止まりそうもない。"ウッドペッカー"がどう足掻こうとも。

 

 

 

 

(決める。死んじまって、後で情報が不足して困るって状況にならなきゃいいが……)

 

 最早明らかなのだ。こいつらは何かをしでかそうとしている。ウィルスをばらまきでもするのか。腹に収めたウィルスは今朝盗まれたものであるのか確証はないが、どちらにせよ危険な代物であるのに違いはない。

 

 この期に及んで、景朗の脳裏にチラついた。もうすでに、色んな人間を殺してしまっている。だが、未だに殺したことはなかった。暗部でもない子供は未だに。あいつらは十中八九テロリストだぞ。大量殺人を手に掛けようとしているかもしれない、テロリストだ。

 

 偽善。大馬鹿だ。それでも、最後の最後に、全く考えずにいられるかと言われれば、不可能だ。

 

 最初、彼らを見つけた時、景朗には躊躇があった。彼らが何か重大な犯罪を犯したという確証は未だなく、あるのは景朗と土御門が話した突飛な可能性だけ。死亡する恐れのある攻撃を、あの3人にぶちかますのは。それは幾らなんでも、短慮だと思った。彼らは怪しく、グレーであった。しかし、発見したウィルスを見て、景朗の頭は一気に覚めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 あと、もう少しだった。十数メートルほどで到着する。頂上付近の、吹き抜けとなった天井のないフロア。そこそこの広さを持つ、人が地に足を付けるエリアまで。

 

「待て!ケルベロス!!!」

 

 苦しそうな表情。毒蟲の群れをすぐ側まで貼り付けた"ウッドペッカー"が、この期に及んで景朗の足止めを図る。彼女は恐らく、自分自身に能力を使っているのだ。まっすぐ、景朗へと猛スピードで直進してくる。片手に何か荷物を抱えていた。

 

 "ウッドペッカー"の死を厭わぬ姿勢。景朗は甘く見ていた。これほどの意思。一体何をやらかそうとしているのだろう、こいつらは。早く、早く。逃げた産形のところへ!

 

(最初からこうしとくべきだった!)

 

 景朗は力強く触手を伸ばし彼女を絡め取ろうと待ち構える。このスピードだ。骨や関節、ヘタをしたら内蔵まで逝ってしまうかもしれない。

 

 時間を稼ぐと言いつつも、"ミスティ"が倒れた今、"ウッドペッカー"には為す術が無くなっていたのだろう。"底無し沼"が倒れた今、"悪魔憑き"を前にして、彼女は行動阻害すら成し得ていなかった。それでも、バカ正直に突っ込んでくる少女。景朗は難なく捕縛した。

 

「あッ!ぐぅ、がぁぁぅ!」

 

 無理を重ねた高速移動で、体はボロボロだったに違いない。触手に絡め取られた"ウッドペッカー"は全身の痛みにたまらず、言葉にならない悲鳴を漏らす。関節や靭帯、腱はあらぬ方向へとねじれ、断裂しているだろう。

 

 どうしてここまでして。絶体絶命の状況だ。それでも尚、彼女は景朗を射殺さんとばかりの憎しみを露わにしてくるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 化物め。"三頭猟犬(ケルベロス)"相手に、打つ手がなくなっていた。背後から迫る蜂から逃げつづけるのも難しくなっていく。体力も限界を迎えていた。嘴子千緩(くちばしちひろ)は唇を噛み締める。あの怪物、自分たちには命を奪わぬように手加減を加えてきた。そこに漬け込めると思った。

 

 賭けに勝った。真正面から近づけば、必ず捕まえてくると予想した。それは現実となった。体に巻きつく筋繊維から、針が差し込まれてくる。意識が遠くなっていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

「邪魔、ざぜない、ッ」

 

 "ウッドペッカー"が呪いを吐き出す。彼女に抵抗する力は残されていなかった。そのはずだった。それに加え、既に景朗は触手から意識を奪う毒針を打ち込んでいたのだ。そのような有様の彼女が剥き出しにする、理解不能なまでの激情。圧倒的な意志の奔流に、景朗は気を取られずにはいられなかった。

 

 景朗の瞳が映し出す。彼女が手に絡めていたリュックサック。そこから光が溢れた。

 

 あらゆる雑音で構成されていた世界が、僅かな間、轟く爆音に支配された。視界は炎で染まる。爆発が起きた。荷物の中身、そこには爆弾が詰まっていたのだ。

 

 

 力なく狭まっていく、触手の圧力。無残な焼死体が握られている。

 

 

 一途の虚しさ。景朗の躰はほぼ無傷だった。幾つか眼球が焼け爛れたが、かすり傷のうちにも入らない。

 

 

(死にやがった……。なんなんだ、こいつら。なんなんだ。狂ってやがる)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 恐れが景朗を逸らせる。本当に、奴ら、無差別テロを引き起こすつもりだったのか?

 

 爆死した少女。あの憎しみ。激しい憎悪。破壊に取り付かれてしまっていても、何らおかしくない状態であった。正気を失い、蛮行を繰り出す人間であってもおかしくない。そう思えても不自然ではないほどの、滾る感情の発露だった。

 

 少女の死。それにより景朗の行動を阻害していた、謎の引力は霧消している。塔の側面に全体重を引っ掛けるようにして登る必要はなくなった。景朗は怒涛の加速を行い、飛び出すように目的地へと巨体を転がせた。そこには。

 

 

 

 

 

 

 

 産形茄幹が立ち尽くしていた。目には涙が溜まっている。彼は景朗を待っていた。ただ純粋に、彼を待ち構えていたようだった。邂逅の後の、瞬きほどの時間。矢継ぎ早に、素早く産形の腕が動いた。カチャリ、と金属音が鳴る。彼は自らのコメカミに拳銃を押し付け、睨むように景朗を相手取る。

 

 なんの真似だ、こいつ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 景朗が産形茄幹を発見する前の出来事になる。

 

 

 救急車両のサイレンが鳴り響いていた。延々と、同じ音程のサイレンを耳に留めるのは初めての経験だった。今大路万博(いまおおじばんぱく)はストレッチャーに腰掛け、窓の外、景色を眺めていた。"警備員"の救急車両の後部、搬入スペース。彼と太細朱茉莉(ださいしゅまり)はそこにいた。

 

 地下から侵入させた残りの"リコール"メンバーと施設を襲撃した後、何食わぬ顔をして、2人は元から人質であった体を装った。それが可能になるように、入念に下調べと準備を行ったのだ。

それでも、部の悪い賭けだと思っていた。

 

 もし気づかれてしまっていたら、どうなっていたことだろう。再び地下から逃走した産形、夜霧、嘴子の3名の成功を居るしかなくなっていた。

 

 

 こうして無事、被害者として"警備員"の救急車両に搬入された以上、怪しまれてはいるだろうが、施設襲撃の容疑者としてガッチリとマークされている可能性は低いだろう。今大路は思い出すようにそれまでの記憶をなぞり、その推測が間違いでないかどうか確かめた。

 

 "リコール"メンバーが施設を襲撃し、目的を完遂し終えた後。予定通りに、元から人質にされていた風に振る舞う今大路と朱茉莉。彼らは緊張に身を固くしつつも、"警備員"の突入を待っていた。

 

 予想していた時刻よりも随分と早く、"警備員"は踏み込んできた。2人は決死の覚悟で、人質を演じきった。警備員たちはどのような対応に回るだろう。祈る2人だったが、特筆して目をつけられる様なことはなく、胸をなでおろした。

 

 "リコール"メンバーは、施設内に産形が培養させた天然痘ウィルスを散布していた。それは2人が被害者として混じりやすくなるために行ったことだった。突入の後、感染の恐れのある人間は速やかに、第五学区にある病院に搬送されることになる。何とかその場を乗り切った今大路と朱茉莉。2人は恋人同士だと偽り、同じ救急車両に載せてもらえるように作業員に懇願した。願いは叶えられ、2人は今、第五学区の病院へ送られる最中であり、車両は第七学区の街中を移動している。

 

 

 ここまでは計画通り。無事に被害者として病院へ送られることになった。しかし、実は両名、いずれはこの車両から逃走しなくてはならない状況にある。2人が偽装のためウィルスに感染した、その時。同時に、産形が作成したワクチンも摂取していたのだ。故に、このまま時がすぎれば犯人の一味であったことが露見してしまう。

 

 今大路は唇を噛む。しかし、実は逃走せねばならない理由はそれだけではなかった。"警備員"の車両から逃げ出さねばならない、本命の理由は別のところにある。それは両名の今後の行動方針に直結している。差し迫った彼らの目的。そのために今大路はこうして、外の景色を確認し、機を見計らっている。ただ逃げるだけでは不十分だった。いつどこで逃げ出すか。それが肝心なのだ。

 

「ご、ほッ」

 

 今大路は咳込み、かすかに不審に思った。研究所で確かに、治療薬を摂取したはず。朱茉莉に渡されたそれを、今大路は確かに注射した。だがそれでも、どうにも体調が悪化している風に感じるのだ。キチンと効くはず。ヴィラルと一緒に、あの複合シーケンサーで造ったんだ。俺たちで。自らにそう思い込ませるように頭を振る今大路だったが、彼の肉体はだんだんと、熱を漸増させ、意識はハッキリとしなくなっていく。

 

 

 

 

 

 

 車内には今大路と朱茉莉の他に、2人の"警備員"の救命担当者が乗っていた。現在進行形で、その彼・彼女らは運転席と助手席を挟み、凄絶なる舌戦を繰り広げている。

 

 勤務中なのに。後ろに患者が待機してるっていうのに。あろうことか彼らは互に罵り合い、気もそぞろに怒りを解放し、唾を飛ばしあっている。朱茉莉の能力は恐ろしい。今大路は朱茉莉を見つめた。彼女は心地よさそうに、いがみ合う大人たちの様子を眺めて愉しんでいる。

 

 彼女の能力名、"憎悪肥大(ヘイトコントロール)"。名称が効力を示している。人を自制の効かなくなるほど興奮させ、怒らせ、苛立たせ、狂乱状態へと洗脳する。"リコール"メンバーがゲノム情報医科学研究センターを襲った時も、彼女が能力を大規模に行使した。"レベルアッパー"で力が上昇した彼女の能力は、あの施設のセキュリティスタッフを完璧に錯乱状態へと陥れていた。

 

 "ミスティ"と"ウッドペッカー"が尽く監視カメラを破壊している間も、その情報は彼らにはありありと流れていたはずだ。施設に侵入してくる何者かの存在。だというのに。それすらも無視して、奴らは"シュマリ"の力にまんまと踊らされ、仲間内で争いあった。身内同士で暴徒鎮圧用の銃を打ち合うほどに。

 

 今も、目の前で。アンチスキルどもが、今にも仲間同士で殴り合いをはじめようとしている。それほどまでに烈火のごとく憤怒し、互いに罵詈雑言を擦り付け合っている。

 

 彼らの諍いが一体どういった理由で始まったのか、今ではもう覚えていない。どうにも初めの方は、その日の残業をどちらが受け持つか。そのような所が発端になっていたような気もした。そこまで思案して、今大路は思い出すのをやめた。考えるのが億劫だ。どうでもいい。なんであろうと、そんなことは気にかける必要もない。

 

 

 

 彼らを乗せた救命車両は、第七学区を北上している。車外の建物を窺っていた今大路は、そろそろ、自分たちが事を起こすのに都合の良い地点へ近づきつつあると判断した。すぐさま、朱茉莉へ合図を送る。

 

 

 

「なあ!ちょっとこっち来てくださいよ、こいつの様子がおかしいんです!早く、早く見てください、見てください!」

 

 朱茉莉が固定されたストレッチャーの上で、もがき苦しむ演技を模していた。助手席に座っていた警備員の女性が慌てて席を立ち、運転席と車両後部を繋ぐドアを開けた。

 

 朱茉莉の元へ寄り添う警備員。彼女を見送った今大路は、開いたままとなったドアを乗り越え、助手席へ身を乗り出した。

 

「道を空けろよ馬鹿どもがぁ」

 

 たった今、患者が容態の急変を訴えたというのに。車両後部の騒動など我関せずと、運転席の男は渋滞に気を取られている。熱を上げ、視線は道行く別の車へ。歯を剥き出し睨みつけ、腹立たしそうに体を揺らしていた。だから。彼は今大路の行動に気づけなかった。朱茉莉の能力には、こういった使い方もある。理性を失うほど怒り狂った人間は、怒りの対象に注意を取られ、その他の物事に散漫となってしまう。

 

 

 

 今大路は前部座席から、暴動鎮圧用の散弾銃を盗み取った。静かに、くるり、と背後を振りく。朱茉莉に必死に対応する、女性警備員。彼女には、彼の挙動は見えていない。

 

 ゴム弾といえど、ほぼゼロ距離のこの位置取りから放てば。相手はウィルスの二次感染を防ぐために防疫マスクを着用しているが、それでも無事では済まないだろう。にも関わらず。今大路は迷いすらみせず、冷徹に彼女の後頭部へ発砲した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 第七学区の南部で、交通事故が発生した。警備員2名、学生2名の計4名を乗せた救命車両が道路脇の商業施設へ突入し、現場では重体となった警備員2名が発見された。ところが、同車両にて搬送中であった学生2名はその場で発見されず、姿を忽然と消していた。追って入った情報によれば、重体となった2名の警備員は、両者ともに頭部に重症を負っており、それらは事故による負傷ではなく、至近距離からゴム弾を受けた外傷だと判明した。搭乗していた学生らがその容疑者に挙げられ、2名は逃走したものと見られている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「わり、い。シュマリ。ホント、マジでゴメン。俺、ワクチン効いてない……みたいだ」

 

 今大路はフラつく足取りを懸命に抑えていたが、とうとう耐え切れず、ビルの壁に手を付いた。第七学区と第二十二学区の中継点を位置取る駅に、ようやくたどり着いた矢先の出来事だった。

 

「せっ、かくっ、駅に着いたってのにっ。ぅぅ……」

 

 意識が朦朧とするほどの高熱。立っているだけで辛い。それほど容態は悪化していた。初めて味わう経験。疑いようがない。今大路は忸怩たる思いで、言葉を紡ぎだした。

 

「すまん。シュマリ、すまん。俺、無理っぽい。足、引っ張ってしまう……」

 

 まだ仕事が残っている。それを済ませてしまわなければ、今日、自分たちが決起し、行動してきたこと全てが無に帰す事態に陥ってしまう。重々、理解しているはずなのに。理解しきっているはずなのに。

 

 今大路は、とうとう立っていられなくなた。腰が抜けたように、壁に背を押し付け、座り込む。やっとの思いで眺めた、朱茉莉の顔には、少しの動揺も含まれていないように感じられた。

 

「いいから。もういいから、オージ。不測の事態は必ず起こる、って自分で言ってたでしょ?」

 

 そう口にする朱茉莉はひたすらに無表情のままで。今大路はそのことに、かすかに違和感を受け取ったりもした。近づいた朱茉莉は彼の腕を掴むと、ゆっくりと立ち上がらせる。

 

「自分を責めないで。ワクチンが効かない可能性も少なからずあったでしょ?大丈夫。後はワタシ一人でやってみせる。オージはあっちのベンチで横になってて。全部終わったら、ワクチンをもう一回とってくるから。ここで待ってて、ね?」

 

 朱茉莉はオージを支え、駅ビルの手前の広場、その場に並ぶベンチへと座らせる。この駅が指定のポイントだった。先に逃げたヴィラルたちがこの駅のロッカーに、改造した特別性の天然痘ウィルスを隠してくれている。そこには予備のワクチンも置いてあるはずだ。だが、時間がない。今は、今この時は、一刻も早く、目的を達しなければならない時。

 

 ただでさえ不慮の事態を招き、格好の悪いところを見せてしまっている。そう思う今大路は、精一杯、カッコ付け、恐怖を押さえ込んだ。本当は、今すぐワクチンを打ってほしい。怖い。でも。朱茉莉にはカッコつけたい。

 

「シュマリ、終わらせて来てくれよ。それまで待ってるぜ」

 

 苦しそうにベンチにもたれかかる今大路は、踵を返し、人ごみに消えゆく朱茉莉を祈るように見つめ続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 朱茉莉は嘴子たちと示し合わせておいたロッカーから、目当てのモノを取り出した。産形と今大路が複合シーケンサーを用いて細工した、特別製の天然痘ウィルスだ。ようやく、ここまできた。これで、望みがやっと叶う。この手の中に、最後の鍵がある。朱茉莉はついに、耐え切れなくなった。

 

「ぷ、くく。ぷくふ、ふふふ、あはははははは。うっふふふふふ……」

 

 後少しで、自分の目的が叶う。いいや、ここまで来れば叶ったも同然だろう。もう、我慢しなくていい。朱茉莉は盛大に笑う。周りの目を気にする必要がなくなったと言わんばかりに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 朱茉莉は走った。バスを降りれば、"学舎の園"はもうすぐだ。現在時刻も、ほとんど自分の計画通り。朱茉莉はメールを確かめる。

 

 朱茉莉の脚を動かす速度が一段と速くなる。問題無し。いける。大丈夫。目的地まで、一目散に走っていった。

 

 

 

「太細……」

 

 約束の場所に、1人の女子中学生が不安そうな顔を浮かべて、立ち尽くしていた。朱茉莉の到着と同時に、彼女は苦心して、強気な表情を形作った。

 

 朱茉莉とその少女の関係は、元クラスメート同士、というだけでは説明が足らない。イジメられていた者と、イジメていた側。そこまで言わなければ適切な関係を表せない間柄だった。

 

 朱茉莉はこの時間、まさに、"リコール"メンバーの決起のタイミングに合わせ、仲間にすら秘密裏に、この少女を呼び出していた。この場所、"学舎の園"を覆う外壁の外縁。しかも数少ない、セキュリティゲートからほどなく離れた人気のない地点へと。

 

 

「さあ。約束通り中に入れてよ。早く」

 

「はあっ!?何言ってんの太細!何が約束だよ。勝手に呼び出してさぁ?何様のつもりだッつの」

 

 朱茉莉に呼び出された女子生徒は懸命に、気丈に振舞うものの。朱茉莉の一言に敢え無くその行為は無駄になった。

 

「いいから言う通りしないとあんたのカレシのことバラすよ?」

 

「ッ……!」

 

 彼女が朱茉莉の呼び出しに応じた理由はそこにあった。長い間、諦めたように抵抗することなく、いじめられ続けてきた太細朱茉莉が、今、隠していた牙を剥き、彼女の弱みに付け込んで命令を下している。

 

「急いでるってメールしたよね。早くして?こっちは退学するんだから、さ。後腐れなく、あんたの秘密全部バラしてっても、何も都合悪くならないってわからないの?」

 

「……どうやって知ったんだよ」

 

「とっととやれって言ってんじゃん!頭にくるなあ!あんたらアタシを虐めまくって退学まで追い込んどいて、最後になんの変哲もない、アタシのお願いすら聞いてくれないの?」

 

 少女は動転していた。朱茉莉がそこまで怒りを顕にしたのは初めてだった。長年彼女を槍玉に挙げ、屈辱を浴びせてきたが、ここまで自制の効かなくなっている様相の太細朱茉莉の姿は見たことがなかった。

 

「訳わかんないよッ?!だいたいどうして私にそんなこと頼むのッ?ゲート以外から生徒を不正に"中"へ入れたのがバレたら、大変なことになっちゃうだろっ!」

 

 少女の返した答えに、朱茉莉は凄絶に哂ってみせた。愉しむ様に声を漏らす。

 

「じゃあ選びなよ。アタシにバラされてあんたの身辺滅茶苦茶にされるか、大人しくアタシのお願い聞くのかを?まだバレると決まってないよ?アタシの侵入の件は」

 

 『ダサ』こと、太細朱茉莉に対しては、いつも群れてイジメをしていた。しかし今、ここには自分1人だけ。狙い撃ちされている。彼女の学校では、異性との交際は固く禁止されていた。全く問題のない中学生らしい清い交際であるなら、まだ良かった。だが、どうやらそれ以上の秘密まで握られている。メールには、全てを知っているとしか思えない内容が記されていた。

 

 脅され、退路を絶たれた少女はゆっくりと朱茉莉に近づく。そして、彼女と、彼女が身につけていたバッグにそっと手のひらを這わせた。

 

「約束は守るから安心して。ただし、荷物までちゃあんと失敗せずに送ってくれたらね?」

 

 朱茉莉は大事そうに、腕の中のバッグをぎゅうっと抱きしめる。間もなく、少女が能力を使用した。途端に朱茉莉の姿は物理的に掻き消え、どこか別の場所へと転送された。送られた先は疑いなく、壁の向こう側、"学舎の園"の内部だろう。

 

 少女が使用した力、"射出移動(アスポート)"。それは"空間移動(テレポート)"の劣化版だと言えた。手に触れた物体のみを、任意の場所へ空間移動させる力。自分自身の肉体にまで能力の対象を含められれば、即ちその時点で大能力者(レベル4)へとレベルアップする代物だ。だがしかし。そこには、少女が側に立つ外壁よりも、もっと大きな壁がそびえ立っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 朱茉莉は通っていた校舎の屋上で、最後の景色を楽しんだ。

 

「みんな、びっくりするかなぁ、ふふ」

 

 これから自殺するんだ。朱茉莉はようやく、肩の力を抜いた。疲れが取れていくような気分を感じていた。休日の、この時間帯だ。部活動にいる生徒もちらほら居るだろうけど、たまたまこの現場に居合わせるなんて偶然は、幾らなんでもそうそう起こりえない。あるとすれば。"念力使い(テレキネシスト)"に落ちている途中で出くわせば、飛び降り自殺は失敗してしまうかもしれない。だがしかし。運悪くそのように助けられようとも、単純に"飛び降り"が失敗するだけだ。願い自体はどうなろうとも叶うはず。

 

 

 

 朱茉莉は疲れていたし、うんざりしていた。そして何より、諦めていた。彼女の能力、"憎悪肥大(ヘイトコントロール)"。名前だけ聞けば、"コントロール"と付けられているが故に。他人の中にある憎しみの感情を操れそうに聞こえるが。本質はかけ離れていた。

 

 朱茉莉は確かに、他人が持つ"憎悪"の感情に干渉できた。ただし、彼女にできるのは、その"憎悪"を増大させることだけであった。能力を発動させたのは、能力開発(カリキュラム)が始まった年からだったと記憶にある。そしてその時から、朱茉莉の人生は変わってしまった。

 

 "憎悪肥大(ヘイトコントロール)"は常時発動した。朱茉莉の意志とは無関係に、周囲の人間全てに影響を与えた。そう、朱茉莉に触れる人間は皆全て、彼女への憎しみを増大させていったのだ。ずっと、ずっと、小学校のころから、ずっと今まで続いている。

 

 能力を発現させることは、必ずしも幸せなことではない。朱茉莉以外にもきっと居た。社会生活と上手く折り合いがつけられなくなるような、とんでもない能力を身につけてしまった、不運な子供たちが。

 

 当然、そういった生徒たち専用にカウンセリングを行う機関が、学園都市にも存在する。されど、彼らにだって、まるごと全部の問題を解決できる能力はない。そこまでの万能を求められない。朱茉莉は駄目だった。彼女が出会う、その機関の担当者たちは皆が皆、朱茉莉を嫌い、助ける意志を失くしていってしまうのだ。

 

 生みの親たちにさえ、能力は作用した。朱茉莉には最早、彼らに直接会う勇気はない。学校では激しいイジメに遭う。いつでもどこでも。余りにも絶え間ないので、もう朱茉莉には降りかかる出来事に抗う気力は無くなっていた。

 

 ただひとつ。長年の努力。必死に能力を制御しようと苦心して来た結果、ひとつ判明したことがある。朱茉莉の能力の対象となる人物に、元から強力な憎悪を生み出す対象がある場合。時として、その人物たちは朱茉莉に攻撃性を示す前に、胸に巣食っていたその憎悪に怒りを集中させ、朱茉莉を無視することがあったのだ。その結果、朱茉莉にそれほど嫌悪の感情を示さない、というような事例が幾つかあった。ただ、それだけだ。

 

 

 

 

 そのような状況であるからして、彼女は当然のごとく、ほとんど学校に行かなくなっていた。それでも人との接触が恋しかった、そんな彼女にとって。オンラインゲームは大きな救いになった。

 

 ネットを通せば、彼女の能力が絡む余地はない。いつしか、朱茉莉は"シュマリ"として、親愛を抱く5人の友達を手に入れていた。

 

 ギルド"リコール"のメンバー6人はイジメを受けている連中だった。自然と気が合い、メンバーたちは想像以上に早く深く、仲良くなっていった。そのうち自然な流れとして、生身で会って親交を深めたい、という気持ちが強くなっていく。その結果、オフ会をしよう、という話が何度も持ち上がるようになった。

 

 中々OKのサインを返さなかったシュマリと"ヴィラル"が遂に折れ、オフ会は実現することになる。朱茉莉とて、会いたかった。ネットを通してだが、確かな絆を獲得できている、と思いたかったのだ。

 

 しかし、それでも自信はなかった。しっかりとした交友を築いたメンバーたちすら、自らに呪いのように備わる能力によって豹変してしまったら。もう立ち直れそうもない。

 

 朱茉莉はオフ会に行く前に、必死に探した。能力を抑える術を。そして奇跡的に発見した。まるで、地獄の釜の底へ落とされた一本の蜘蛛の糸を手繰り寄せるように。見つけ出した。"幻想御手(レベルアッパー)"を。能力強度(レベル)が上がれば、能力を完璧にコントロールできるようになるかも知れない!

 

 

 

 

 コインの表裏が入れ替わるように、朱茉莉の希望は一変して絶望に塗り変わった。能力強度(レベル)が上昇したことを、肌身に感じとった、その結末に。

 

 "幻想御手(レベルアッパー)"を使用しても、何も変わらなかった。自分には人の心の中にある憎悪を、醜く膨れあがらせる力しか備わっていなかったのだと、はっきりと判明してしまったのだ。

 

 

 朱茉莉は失意に暮れた。オフ会で、どう振舞おう。朱茉莉の脳裏に、思いついてはいけないアイデアが浮かんでいた。メンバーには皆、他人への強い憎しみの心があった。朱茉莉はそれを良く知っていた。それほど仲が良かったのだ。悩みを語り合ったから。

 

 だから。彼らの憎しみを、能力強度(レベル)の上がった"憎悪肥大(ヘイトコントロール)"で強化しつづければ。仲間はきっと、朱茉莉を排斥することはなくなるはず。だが、それをしてしまえば。いつかは、終わりが来る。

 

 能力を使わずに生身の、素の自分を晒すべきか。だが、だが。ギルドメンバーに嫌われるなんて、絶対に嫌だ。死んでも嫌だ。死んでも、嫌だった。朱茉莉は。そして。

 

 朱茉莉は能力を使用した。彼女には勇気が残されていなかった。もし、その日、朱茉莉が能力を使わずに現実と戦っていたら。もしかしたら、違う結果が訪れていたかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 電波塔の下層フロアを速やかに制圧した産形たち。3人は塔のはるか上階まで続くエレベーターが降下してくるまでのその間。扉の前で計画の最終確認に入っていた。警備員たちを制圧したのは、正しくは嘴子と夜霧の2名の活躍によるところが大きかったが。

 

 3人は持ち込んだウィルスの入ったビーカーと組立式の小型ミサイルを丹念にチェックした。"ウッドペッカー"と"シュマリ"がどこからか手に入れてきた、液体をエアロゾル化させて噴出する、スプレーの時限爆弾みたいな装置だ。ミサイルは上空から、農薬の散布機のように、ウィルスをばら撒いてくれる。問題はなさそうだった。これで"復讐"が達成される。

 

 そこには、産形茄幹自らが作製したウィルスの治療薬も含まれていた。時間が限られていたというのに、特に神経質になって創り出した一品だった。肝心の、散布用のウィルスよりも、能力を強く駆使して生み出した。何故だろう。茄幹は知っていた。オージとシュマリに渡した後、それ以降はほぼ使われる機会は無いに等しいと、わかっていたのに。

 

 

 

 音が鳴り、エレベーターの扉が空く。その到着を知らせる音と同時に、何かが変わった気がした。茄幹は胸のつかえが取れた気分になっていた。理由もなく。どこか晴れやかに、胸の内がすうっとして、開放された感覚があった。本当に、脈絡も無く、そうなっていた。

 

 

 

 

 荷物を丁寧に詰め直し、ウィルスの詰まったバッグを夜霧が持ち上げ、ミサイルのパーツが入ったリュックサックを茄幹が背負う。

 

 エレベーターへ向かおうとしたのは、嘴子千緩だけだった。産形と夜霧の脚は地に打ち付けられたかのように動かず、2人はその場に立ち尽くしていた。

 

 歩き出していた嘴子も立ち止まり、2人を振り向いた。嘴子の表情は凍りついていた。背後の2人、夜霧と産形は蒼白を通り越し、顔色悪く、肌を青色に染めて嘴子を見つめ返している。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 2人も同じ気持ち?硬い表情は、さっきとは打って変わっている。全員を包む雰囲気も180°変化している。茄幹はそう感じてならなかった。

 

 

 一体、僕はどうしたというんだ?!さっきまで、あんなに殺る気だったのに。……いいや。違う。一体、僕はどうしてたっていうんだ!!どうして無関係な、罪もない人たちを、大勢殺すような、こんな、こんな、非道で、残酷なこと……。幾ら僕をいじめてた奴らが許せないからって、ここまでやるなんて、常軌を逸してた!

 

 怖い。怖い。怖い。ここまで来ておいて、何を言い出そうとしてるんだろう、僕は。今さら、"復讐"をやめたいなんて。ああ、なんてことをしでかしてしまっているんだ!怖い!それでも、これ以上、続けられるか!続けてなるものか!?

 

 

 

 

 

 

 

「やめ、よ……っやッ!やめようよ!やっぱり!!」

 

 勇気を振り絞り、喉の奥から声を張り上げたのは茄幹だった。怖気づいたと思われたら。その場で制裁を喰らうかも知れない。それでも、茄幹は叫び声をあげて、拒絶の意志を発露した。

 

 嘴子は張り詰めた顔つきで2人を見比べているままだった。

 

 その3名の内、最も強いのは嘴子千緩だった。彼女は既に産形と夜霧の体に触れている。その能力でいつでも2人を無力化できる。2人を痛めつけられる。茄幹は夜霧の反応を窺った。自分1人では計画を止められない。次に力を持っているのは夜霧だ。彼女も茄幹に賛同してくれれば、なんとかなるかもしれない。

 

 

 ゴクリ、と夜霧の喉が鳴った。その後直ぐに、彼女は意を切ったように、口を開いた。

 

「アタシも嫌だ。ヴィラル。アタシもヤメたいよ。こっ。こ……殺したく、ねえよ」

 

 夜霧は茄幹に寄り添うように、一歩、彼へと近寄った。2人は祈るような思いで、嘴子を注視しつづけた。

 

「やめましょう。2人とも、怯えないで。やめるから大丈夫、大丈夫だから」

 

 嘴子は淡々と、静かに2人に歩み寄る。夜霧と産形は怯え、後ずさった。無理もない、と嘴子は思う。なにせ、この"復讐"の計画は、嘴子と朱茉莉がその発端となったのだ。その他の、計画を成功に導くための緻密な対策は、今大路と洞淵が頭を捻らせた。

 

 

「本当にやめる。私も、無関係な人を死なせたくない……そう、だ。オージとシュマリは?!2人も止めないと!」

 

「ッ、僕がオージに電話する」

 

 茄幹が反応した。夜霧は息を呑み、皆を眺めていた。仲間たちの意思が、計画の中止で統一されているのかイマイチ信じきれないようで、疑うように嘴子としばし見つめ合う。嘴子も、その対応に納得している風に見えた。

 

 

 夜霧へと、優しく語りかけるように嘴子がケータイを取り出した。

 

「私がシュマリに連絡するから。貴女はしっかりとウィルスを持っていて。ね?」

 

 

 

 

 

 

「オージ!今どこにいるッ?なあ、オージ、聞いてくれ。やっぱりやめよう。"復讐"なんてやめようよ。いいかい、どちらにせよ僕たち3人はやめる。やめることにしたよ。今から君たちを止めに行く!」

 

 一口に言い切った茄幹のケータイの電話口からは、ざわざわと騒めく、駅前の喧騒が響いていた。速る気持ちを押さえつけ、茄幹は待つ。今大路からの返答を。

 

 

『……いいん、じゃないか?それで。おれも、いやになってたところだ。はは。みんなおなじたいみんぐでいやになったのか?う、ごほッご、ほ、う』

 

 帰ってきたのは、今大路からの息苦しさに満ち満ちた、霞がかかったようなはっきりとしない返答だった。不審さを感じ取った茄幹は、思わず今大路に詰め寄っていた。

 

「オージ?どうしたの?」

 

『ヴぃらる、おまえだめじゃんか。あれ、わくちん、きいてねえよ、おれわくちんきいてないみたいなんだ。いますっげーくるしくて、しょうじき、いしきとんじまいそうだよ。どうなってんだヴぃらる」

 

「そん、な。効かない訳ないよ!絶対に効くはずだよ!そんな、ホントに!?ホントなのオージ!」

 

 茄幹は今大路から耳にした言葉が信じられず、無意識のうちに声を大きくしていく。

 

「駄目!シュマリに繋がらない!」

 

 すぐ傍で、嘴子が舌打ちした。まずい。急いで今大路から朱茉莉の行方を聞き出そうと考えた茄幹であったが、電話相手の口にした次の台詞が、彼の思考を硬直させた。

 

『たしかにちゅうしゃしたぜ?もしかしたら』

 

「注射?何を言って……注射器で注射したってこと?」

 

『あ?どうした?そうだよ。ちゅうしゃきでちゅうしゃしたんだよ。だから、もしかしたらはりがうまくけっかんにはいってなかったんじゃないかって、おれは――』

 

 朱茉莉。何をした。茄幹は戦慄した。

 

「オージ!僕はシュマリに注射器なんて渡してない!治療薬として渡したのはビーカーだ!それに注射なんかしなくていい!ただ深く、肺の奥まで薬を嗅ぎ込めばそれで良かったんだ!だいたい、君もそのことは知ってたろ?!」

 

『は、あ?マジ、かよ。いや、でも……ああ、でもどうなんだ、ヴぃらる?そのくすり、べつにちゅうしゃでからだにいれてももんだいなくきくんだろ?どうせ?』

 

「本当にそれが僕たちの創った治療薬だったらね、オージ!シュマリはどこにいった!こっちもシュマリに連絡してるんだけど繋がらない!」

 

『なんだよそれ。しゅまりがそんなことするわけないだろ、おれだってしってたさ、ほんとはくすりをちゅうしゃするひつようないってことくらい。でもしゅまりがわざわざちゅうしゃをもってきてくれたんだ、だからそうしたほうがはやくききめが、で、ゴゥホ!ガホ、ガホ』

 

「いいから!オージ!シュマリはどこにいるの!」

 

『わからないんだ。しゅまりはおれをおいてさきにいった。ひとりでやれるっていって、とっくにひとりでいったんだよ。おれもしらねえ、しゅまりはどこにいるんだっ!?』

 

 

「ダメだ!オージも知らない!」

 

 その返答に、嘴子は茄幹と視線を合わせ、悔しそうに言い放つ。

 

「GPSも反応しない。シュマリのケータイも追跡できない!」

 

 ふと、夜霧の様子を確認した。彼女は何か思い当たることがあったのだろう。焦りを顔中に貼り付け、自身のケータイに張り付いている。

 

『なあ、ヴぃらる、おれ、こわいんだ。ほんとにくるしくてさ。でも、だいじょうぶなんだろ?ヴぃらる。まだゆうよはあるんだよな?』

 

 茄幹のケータイから、今大路の震える声が届いていた。

 

「ああ。そうだよオージ。大丈夫。まだ猶予はある。ウィルスの件に関してはだけど。オージ、君が打った注射の中身が問題だ!何が入ってたかわからないんだ。今君が苦しんでいるのもきっとそれが原因だよ」

 

『どうすれば?どうすればいい?』

 

「仕方がない。オージ。救急車を呼んで……そうだ、オージ、今どこにいるの?」

 

『だいなながっくの、えき。ふぅ、ふ……おまえらとうちあわせてた、あのろっかーのあるえき、だ』

 

「わかった。オージ、救急車を呼んで。捕まってしまうけど……怖いかい?」

 

『ああ。こわいぜ。ひとりでつかまるのは。だって、おれ、さっき、うっちまったから、うう、ぐす、うっちまったんだよ、ヴぃらる、あんちすきるのあたま、うっちまってさぁ……くそ、ううぅぅ、しんでねえといいなあ、しんでないでください。ああ、ああうう』

 

「いいかい?オージ。怖かったら、そこにいて。シュマリを止めたあと、絶対に迎えに――」

 

 茄幹の声は、突然の、夜霧の泣き喚く声でかき消される。

 

「ウソだろ、マジかよ!マジかよ!シュマリ、シュマリィッ!ぁぁ……っ」

 

 夜霧が見ていたのは、一部の学舎の園の女子生徒たちが使っている掲示板のようなものだった。朱茉莉が女の子同士だけに、こっそりと教えていたサイトだった。

 

 夜霧が見ていたケータイを奪い取った嘴子は、画面を目にし、呆然とした。

 

「シュマリ、学舎の園で飛び降り自殺した、って、茄幹、くん……」

 

 朱茉莉が死んだ。驚きと悲しみが茄幹に打ち寄せた。だが、それと同時に、頭の中に残っていた冷静な部分も、答えを導き出していた。

 

「まずい。シュマリ、ウィルスをバラまいてるはずだ……学舎の園に。計画通りに!きっと!」

 

 茄幹が零した言葉を補足するように、嘴子が泣き出した。

 

「どうしよう!どうしよう茄幹君!学舎の園の一部の区域で、防疫システムが稼働してるみたい!建物のシャッターが突然降りだしたって書き込みがある!」

 

 

 茄幹の胸が、恐怖で埋め尽くされた。このままじゃ、僕らは大量殺人を犯すことになる……。ここまでやらかしておいて、ごめんなさいなんて、謝って、誰が許してくれるというんだ。止めなきゃ、なんとかしなきゃ!なんとかしなきゃ!

 

 

 

「エレベーター!乗って!急いで!上に行こう!」

 

 茄幹は硬直した空気を吹き飛ばすように、号令をだした。

 

「はやく!荷物も全部のせて!」

 

 少女2人は涙を流しつつも、茄幹の言葉に合わせてエレベーターへ搭乗した。茄幹は時間との勝負だと言わんばかりに、エレベーターの最上階へのボタンを殴りつけた。

 

「私のせい!私のせいだ!どうしよう!ごめんなさい!ごめんなさい!」

 

「いいから、落ち着いて、嘴子さん。大丈夫だから!」

 

 半ば錯乱したように取り乱す嘴子へ、茄幹は安心するように、と落ち着いて語りかけた。茄幹の落ち着いた様子をみて、夜霧は泣き止み、彼の言うことを聞き漏らすまいと視線を上げている。

 

「大丈夫。今からでも遅くない。たぶん、ウィルスがばらまかれて、まだそんなに時間は経ってない。今ならまだ十分間に合う。これから治療薬を"学舎の園"……いや、"学舎の園"だけじゃ足りない。"学舎の園"から東、シュマリがたどった可能性のあるエリア全域をカバーするように、治療薬を散布しよう。道具ならここにあるから大丈夫。運が良かった。散布が必要なエリアは一直線じゃないか。きっとできるよ。風がないといいけど――」

 

 茄幹の台詞を途中で打ち消すように、夜霧が疑問を口にした。

 

「何言ってんだヴィラル!治療薬っつったって、ビン一本分しかねえだろーが!」

 

「大丈夫ッ!」

 

 夜霧に真っ向から向き合い、茄幹は吠えた。

 

「これから増やす!僕たちが"学舎の園"に散布する予定だったウィルスを使う。必要なのは瓶の中に入ってる培養液なんだ。割らないように気をつけて!僕が創った治療薬はバラまく予定だったウィルスだけを特異的に殺す、ウィルスの変異体みたいなものだって言ったでしょ。だから僕の能力でビンの中のウィルスを殺して、残った培養液で増殖させられる!」

 

 夜霧の顔に、うっすらと笑顔が滲む。

 

「ほん、と?」

 

 呆然としていた嘴子も、縋るように茄幹へ呟いた。茄幹はしっかりと力強く頷き返し、希望を取り戻しつつある2人へ、追加の条件を繰り出した。

 

「でも、量がちょっと足りない。ここにあるウィルスの培養液を全部使っても足りなくなる。散布するエリアが増えてしまったから。それに安全を帰すなら、散布予定だったウィルスより多めの治療薬を散布ミサイルに積まなきゃならない」

 

 緊張したように険しい表情で茄幹を見つめる夜霧へ、それでも彼は、うっすらと微笑んだ。

 

「けど大丈夫。それもカバーできる。僕の血を使う。僕の体内でなら治療薬を増殖させられるから。どれだけ血を抜けるかわからないけど、もし僕が気絶したら2人に発射を頼むよ」

 

「わかった!」「最高だぜヴィラル!」

 

 もう直ぐ、エレベーターが最上階へ到着する。3人はその日それまで感じてきたものとはまた違った意味合いでの緊張に体を縫い止められていた。

 

 

 

 エレベーターのドアが開くと同時に、3人は駆け出した。時間がない。実は、茄幹が細工したウィルスの特性を考慮すれば、猶予はそれほど無かった。そのことは2人にも伝えてある。

 

 故に、茄幹は体中にウィルスを振り掛け、それを探知機のように使い、塔の頂上へ登る間、他に自分たちの邪魔をするものがいないかどうか、神経を張り巡らせるつもりだった。

 

 なぜ、塔の頂上へ行かねばならなかったのか。それは、嘴子と朱茉莉が用意したミサイルの性能と、"学舎の園"のセキュリティがネックとなったからであった。

 

 "学舎の園"の外壁には、外周から飛来する不信な飛行物体、たとえば小型の無人飛行機、ラジコンのようなものに対する防衛機器が備わっている。外周から無策でミサイルを打とうとも、無様に撃ち落とされてしまうのだ。故に、散布機で"学舎の園"内部にウィルスを散布するためには、極めて高い高度から直下するように、ミサイルを打ち込む必要がでてきたのだ。だが、リコールが手に入れたミサイルには、それほど自力で高度高く、上昇していく性能がなかった。そのために彼らは最初、わざわざ電波塔に登ろうとしたのだ。

 

 もうひとつ、"学舎の園"内部にウィルスを暴露する良い方法がある。外部からやろうとするから難しくなるのだ。内部に侵入してからならば、もっと簡単にことを運べる。だからだ。リコールメンバーが2チームに分割された理由。それは茄幹たち3名が外部から、朱茉莉たち2名が内部から、というように、策を二つにわけ、より確実に"復讐"を行えるようにするためのものだった。

 

 万が一、不足の自体が起きた場合。茄幹たちは第十五学区へ。朱茉莉たちは第七学区、もしくは第十八学区へ目的地を変えるつもりだった。

 

 朱茉莉たちのテロの候補地には、第七学区、第十八学区も含まれている。だが、時間から推測して、朱茉莉はどう考えても、まっすぐ"学舎の園"に直進していったとしか考えられなかった。その道すがら、道中に幾つか、茄幹たちが渡してしまったウィルスを朱茉莉が仕掛けた可能性も残っている。散布エリアに漏れがあれば、茄幹たちは大量殺人犯の仲間入りだった。いや、もはや、どのみちその謗りを受けざるを得ない状況になっていることだろう。だがそれでも、出来うる限り。自分たちが危機的状況にいることを、3名が3名とも、理解していた。されば、絶対に、命を賭けてでも――!

 

 

 

 

 

 

 

 頂上へと駆け上る最中。茄幹の能力が、ひとりの不審者を捕えた。祈っていたのに。茄幹は悪態を付きそうになった。邪魔者と出会いませんように。そう、願っていたのに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 青年が現れた。そして、その次は。信じられない。夢でも見ているのか。化物が現れた。とてつもなく、巨大な。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 いや。一番信じられないのは。信じたくない。後からくるはずの、"ウッドペッカー"も"ミスティ"も、やってこない。それどころか。

 

 爆発音が聞こえた。嘴子さんが持っていたはずだ。もしかしたら使うことになるかも知れない、と言って、決起前に、彼女は茄幹に爆弾を見せてくれていた。きっとその音だ。だとしたら、"ウッドペッカー"が、嘴子さんがやってくれたのか?!

 

 嗚呼。もし。もし、もし、あの爆発の後で、姿を現すのが、あの化物だったら。いったい、彼女たちは、どうなったというのだろう?

 

 

 

 

 

 

 

 

 一心不乱にミサイルを組み立てながら、茄幹は恐怖で頭がおかしくなりそうだった。はやく来てくれ。はやく、はやく来てくれよ。嘴子さん!、"ミスティ"!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 現実は残酷だ。茄幹は涙を必死にこらえた。駄目だ。人が死んでしまう。どんなに悲しくとも、辛くとも、やるべきことがある。

 

 遂に。おぞましい化物が、金属と石の割れ裂ける破壊音とともに、塔を登り切った。見知った顔の少女2人が登場するのを待ちわびたが、そうはならなかったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 手遅れなほどイカれちまってるのか?自分の頭に拳銃突きつけて、それで何のつもりなのだろう。

 

 ひとつ息つくよりも早く、瞬きする間よりも短く。対峙する緊張をものともせずに。景朗は有無を言わさず、数本の触手を射出した。目の前の少年目掛けて、カメレオンが羽虫を捕食するように。体の自由を奪い、絡め取った。

 

「うッ、ぐ」

 

 打ち出された速度が速度だ。産形は痛みに体を強ばらせた。景朗は捕まえたその人物に、それ以上何もさせる気はなかった。素早くあたりを見渡す。彼の背後には作りかけに見える、ペットボトルロケットのようなものが転がっていた。ペットボトルと例えたが、言うほど雑な作りのものではなく、むしろ、精巧にあしらえられた、学園都市製の機器だとすら思えるものだった。

 

 

「ぼ、僕を殺す前に聴けえ!!」

 

 産形は雁字搦めにされ、圧迫に苦しみながらも。腹の奥底から怒りを吐き出した。

 

「治療薬!ウィルスの治療薬が必要なんだろ?!」

 

 景朗の動きが止まった。油断なく、少年が余計な行動を取らないように、細心の注意を貼り付けて、彼に言葉を続けさせる。

 

「僕を殺せば、治療薬は手に入らなくなるぞ」

 

 治療薬は勿論、手に入れたい。景朗は産形の目を、三対の眼で睨みつけた。産形は身体をかたかたと震わせていた。それでも、巨犬に威嚇するように吠えてみせた。

 

「治療薬は全て僕の体内にある!こッろされるくらいなら全部消してやる!!」

 

 景朗はじりじりと、産形を引っ張り、たぐり寄せる。焦る産形は必死に喚き、叫び続けた。

 

「話を聞いてくれ。僕たちはウィルスをばらまこうとなんてしてない!逆だ!僕たちはウィルスの治療薬を散布するつもりだったんだ!ぐぅ……それだけじゃないっ。今すぐ、今すぐここから治療薬を打ち出さなければッ大勢が死ぬ!時間がない!」

 

 本当に狂ってしまっているのか。よりにもよって、そんなことを言い出すとは。景朗は腹に収めた、ウィルスの入ったバッグを意識した。こいつをどう説明する気だ!

 

「何ヲ言ッテイル?オ前等ガタッタ今、ソレヲヤロウトシテイタンダロウガァッ!!」

 

「ちがう!ちがう!お前こそ何を言っているんだ?!もうとっくにウィルスはばら蒔かれてしまっているじゃないか!」

 

 訝しむ。確かに、犯人がこいつら3人だけとは考えにくい。だからこそ、景朗は殺さぬように捕らえようとした。景朗は考える。まだ残った奴らが居て。そいつらが、まんまと仕掛けたのだろうか。

 

「どうして知らないんだッ?だ、から、僕たちを襲ったんじゃないのかぁっ?!」

 

 景朗は勢いよく、産形へ伸ばした網を巻き上げた。そのまま彼の身体を持ち上げ、引き寄せ、地面に押し付けた。

 

「あがぁ、ぐぅぁ!」

 

 衝撃に呻く産形へ、触手から針を幾本も突き刺していく。脈拍、心拍数、神経伝達物質、微弱な生体電気信号。針からもたらされる産形の生身の情報。その情報の意味までは、詳しくはわからない。だが、産形の動揺や感情の変化程度くらいならば、何とか掴んでみせる。

 

「何モスルナ。ジットシテイロ。殺スゾ」

 

 景朗はするすると、"三頭猟犬(ケルベロス)"の巨体から、人間の姿へ躰を造り変えた。体中から突き出る、みっしりと筋繊維の詰まった、筋肉の管だけは残したまま。そうして、産形を凶悪な力で押し付け続けた。

 

 縮み行く景朗の躰から、飲み込んだバッグが音を立てて転がり落ちる。血に染まって赤く色づいたバッグを目にした産形は、気が触れたように騒ぎ出した。

 

「お願いだああ!聞いてくれえっ!時間がないんだ!頼む!僕に、僕にやらせてくれ!このままじゃ大変なことになってしまうんだぁッ!」

 

 景朗は器用に取り出したケータイの電源を入れた。この電波塔に侵入する前に、念の為に電源を切っていたのだ。微弱な電気、微かなケータイの稼働音。光。電波。そういったものを感知する能力者がいれば、奇襲をかけられない。暗部で使う特殊な通信機器ではなかったから、癖でそうしてしまっていた。

 

 

 怒涛のように押し寄せる、食蜂からの着信履歴。景朗は彼女へ連絡を取る。喚き続ける産形の耳をふさいだ。

 

『もおおおおう!どうして通話にでないわけええええ!』

 

「文句は後だ。何があった?要点だけ言ってくれ!」

 

『アナタああ!良くもエラソーにい!盛大にヘマしてくれちゃってる分際でええ!』

 

「ヘマ?!」

 

『そうよお!あっちの中学の周りで、なんだかウィルステロらしき騒ぎが起きてしまっているんですけどッ!』

 

「本当なのか」

 

『ウソなわけないでしょお!本当よお!防疫セキュリティが反応して隔壁が降下していってるわよお!どーするの?どーするのっ?!これ、アナタたちが言っていた件のウィルスがウチに撒かれてしまっているんじゃないのおっ?』

 

 

 景朗は産形の喉元の拘束だけを緩めると、ぎしりとその他の身体部位を締め付けた。

 

「あ、が、は」

 

「産形!お前は産形茄幹だな!?」

 

「そうだよっ」

 

「治療薬を散布しようとしてたって、それは仲間を裏切ったってことか?!」

 

「違う!もうやめたんだ!僕たちは確かに直前まで実行するつもりだった!でも、もう止めたんだ!ひとりだけだ!ウィルステロを実行したのはっ。他は皆やめようとしてたっ」

 

(やっぱり目的はバイオテロだったのか!)

 

「仲間は何人居る?!テロは何箇所で起きる!?ウィルスがばら蒔かれたといったのは何処だ?」

 

「学舎の園だ!あともしかしたら学舎の園の東から、第二十二学区の境界まで、あそこの駅までの間にウィルスがバラ巻かれているかもしれないっ」

 

(一致してる。"第五位"が言った事と一致している)

 

「一体どうやってやったんだそいつはッ」

 

「仲間にひとり"学舎の園"の子がいたんだよ!その子がやった。自分で。今はもう死んでしまったよっ!」

 

「死んだ?!」

 

「自殺だよ。飛び降り自殺だ。くそおッ。あんたは何も知らないのかよッ!?」

 

(飛び降り自殺……)

 

「名前……言えッ!そいつの名前を言えッ!」

 

「太細朱茉莉だ!チクショォ!全部教えてやるッ!教えてやるからッ!僕たちは6人いたッ。全部言うッ。だから早く治療薬を散布させてくれッ!危ないんだよ!ウィルスの刻限が迫ってる!僕たちが研究所で何をしたか知らないだろう!危――」

 

(そう易々と信用できるか!お前を自由にさせる訳無いだろ!)

 

 喉を枯らす勢いで鳴く産形の口と耳を再び塞ぎ、景朗は食蜂にまた話しかけた。景朗が放置していたせいなのか、若干、むくれているようだった。

 

「"第五位"。飛び降り自殺した生徒がいるって言ったよな?名前わかるか?」

 

『あらん、やっぱり関係あったのね。太細朱茉莉って娘よ、隣の中学校の三年生ねぇ。随分といじめられてたみたいね、その娘――』

 

 食蜂はまだ何かを言おうとしていたが、景朗は被せるように言い重ねた。

 

「第五位!兎に角その辺は危険だ。屋内に避難しといてくれ!それにまだ別の犯人がその辺を彷徨いているかもしれない。不審な奴を見つけたらすぐに教えてくれ!」

 

『別の犯人?その言い方だと、自殺した子が犯人だったみたいねえ。情報ありがとねえん。そうそう、私の心配ならご無用よん。それより、この惨状を何とかしてくれないの?私の庭が――』

 

 今度は彼女が言い終える前に。景朗は無理やり通話を切断した。焦っているんだ。勘弁して欲しい。景朗は"第五位"の機嫌が悪くならないように、と。ほんの1秒間だけ、空に祈った。そして直ぐにケータイの画面を切り替え、土御門へと繋ぐ。

 

 

『ようやく出たか雨月!何故連絡してこない?!状況は――』

 

 電話越しの出会い頭、土御門は糾弾の文句を繰り出した。景朗はそれをすっぱりと断ち切った。

 

「知ってる!んなことよりとりあえず俺の話を聞け!捕まえた!産形茄幹とその仲間2人だ。こいつらが裏で動いていた!お前の予想はほとんど当たってたぞ!きっと午後の研究所襲撃もこいつらだ!」

 

『ッ!良くやった』

 

「第十五学区の電波塔で3人捕まえた。1人死んじまって、1人は気を失ってる。今最後の1人、産形を尋問してる。さあ言えよ!仲間の名前を全員言うんだ!」

 

 産形はとうとう、泣き出した。

 

「死んだ?死んだ?!殺したな?!……うああ、は、ああう。ううううッ!うあああああッ!だっ、誰をッ」

 

「殺そうとした訳じゃない。自分で爆弾を……!」

 

 仲間を殺された怒りからか。産形は床に押し付けられたまま景朗を睨み、怨嗟の唸りをあげていた。

 

「あんたたちは知らないんだろう。僕たちがゲノム情報センターで何をしたのかッ!もう時間がない。あんたたちのせいで僕たちはッ!助けられるのにッ」

 

「ク、ソ、テメエ!言えよ!仲間の名前を!捜査のし易さが雲泥だ!直ぐにお前の話だって聞いてやる!テロを起こす気がなくなったって言うんなら、先にこっちに協力しろよ!」

 

「だから!それを証明するために言ってるんだ!このまま治療薬を使えずに時間が過ぎて

しまえばッ全てが御終いになる!」

 

 ぎしり、と痛いほど床に押し付ける。それでも、産形は景朗を睨みつけるのをやめなかった。

 

『待て雨月。聞くだけ聞くぞ。状況はよくわからないが喋らせよう』

 

 景朗は産形と目を合わせた。顎を差し向け、彼に合図を送る。話してみろ、と。

 

「あんたたちも知ってる通り。今日、僕たちは第十学区の研究所を襲って、そこにあったゲノム解析マシンで、朝盗んだウィルスを改造した。その改造したウィルスが危険なんだ!」

 

 景朗も土御門も、産形が続けるままに、話に耳を傾けた。

 

「通常の天然痘のウィルスは感染すると潜伏期間を経て発症する。でも!それは普通のウィルスなら個人差はあるけど、一日や二日で発症するものじゃないんだ。感染しても直ぐにこの街の治療薬を投与すれば、ほとんど問題にならない!学園都市の治療薬が効かなくなるようにウィルスの遺伝子を改造する手もあったけど、それはやらなかった!この街の研究者たちは優秀だからね!もともと天然痘ウィルスは昔から長いこと研究されてたから、塩基配列は解明されてしまってる。だから対処しやすいんだ。ちょっと突然変異させたくらいのウィルスじゃ、造ったってその端から新しい治療薬を開発されてしまう。それだと失敗に終わる」

 

 産形は自分のしでかした罪に慄くように、悲鳴を上げた。

 

「だから僕は能力とマシンを合わせて特別な改造をやったんだ。とにかく早く、追加の治療薬が間に合わなくなるくらい、早く人体に増殖し、発症し、致命に至らせる、スピードに特化したウィルスを!シュマリがウィルスをバラまいてから、もう20分近く経ってる!僕のウィルスは……1時間経たないうちに感染者の体内に行き渡ってしまう。そうなったらもうどうやったって助けられない!わかるだろ?猶予がない!ウィルスはどんどん拡散していってる。今すぐに治療薬を散布すれば間に合う!感染拡大も防げる。もし手遅れになれば……それでもきっと学園都市は死に物狂いで特効薬を用意できる。わずか2,3日で準備するかもしれない!だけどそのたった2日で感染した人たちは死んでしまうんだ!」

 

「な」

 

 驚いた景朗の口から、くぐもった声が漏れ出ていた。

 

「技術じゃ学園都市には敵わない。でも時間なら別だと思った!時間との勝負に持ち込めば勝てるかもしれないって!」

 

『産形茄幹。オマエはレベル1だろう。レベルアッパーとやらを使ったのか?"書庫(バンク)"が更新される間によくそこまで能力を扱えるようになったな?』

 

 土御門の疑問にかち合うように、景朗も口走っていた。

 

「あの研究所を襲った目的がようやく……けどな、そんな超速で増殖するウィルスをお前はたった20分近くで創ったってのか?」

 

(木原は不可能だと言っていた。俺だって疑問だ。あんな短時間でウィルスをどうこう出来るなんて。そんなこと……)

 

 だが、疑いない事実として、"学舎の園"の一部地域に、何らかのウィルスが暴露されたのは本当のことだ。確認は取れている。産形の話を信じないのならば。それでは一体、何がばら撒かれたことになる?それとも、やはり産形は嘘をついている?景朗たちを騙し、まんまと別の目的を遂行せしめんとする腹積もりか。

 

「ああそうだよ。レベルアッパーを使ったよ。だからできるようになったんだ!」

 

『レベルアッパーの効果は個人差が出る。大層レベルが上がったようだな。オマエの言を信じれば、そういうことになる。雨月の疑問も尤もだ。それほどの短時間で良くやれたな。大能力級の現象だぞ?』

 

 景朗も土御門とて、"幻想御手"の情報は録に持ち合わせていない。産形からもっと聞き出したい。ただし、できれば自分たちが"幻想御手"の概要すら知らないという実態を、この少年に悟らせたくはないが。

 

「力技でやろうとすれば、僕なんかのレベルがいくつ上がったところで到底出来ない芸当だったよ!でもあの研究所には最新の複合シーケンサーがあっただろう。学生の僕たちでもちょっと勉強すれば操作できた。最高の機械だったよ。そいつを上手く利用したんだ。レベルアッパーを使ったって言ったって、僕のレベルはいいとこレベル3に届いたくらいだった。でもそれで十分だったんだよ!僕の能力は直接ウィルスの遺伝子を変化させられるほど、上等なものにはならなかった。でも、それでも事足りた。ウィルスの個体そのものを、一株一株を物理的に操れる力は十分に上昇した!」

 

『ほう?』

 

「あのマシンを使う時、僕の能力を使ってウィルスのDNAに特異な変化を付けた。ランダムに手を加えて、馬鹿馬鹿しい数の突然変異したウィルスを創り出したんだ。勿論狙いは付けていたさ。後はその中から選び出せば良かったんだ。いいかい、僕の能力で特殊な環境に置かれたウィルス群の、その中から!何兆っていうバラバラの個体の中から、進化した、凶悪な一株だけを見つけ出せればよかった!後は取出したその一粒を選択的に培養してやっただけだ!僕の進化した能力を使って!」

 

 自らが危険な立場に置かれていると認識している上で。それでも産形は、真摯に、自分の行った悪事を告白していった。電話越しに耳にする土御門にとっては、それは本当の事だと確実に信用できる裏付けは何もない、どうにも取れない話であったろう。しかし、景朗にとってはそうではなかった。

 

 今もなお、産形の血管や神経に刺し伸ばした針が、情報を送っている。それが、景朗に訴えていた。唸り、口走る彼の生体反応は猛々しく、感情の荒波に大きく揺られていた。だが、それでも虚偽の匂いはしていなかった。産形が語り始めてから始終、たった今この時も、彼の肉体は正直だった。産形は、嘘をついていない。景朗の感じ取る感覚を信じてよいのならば。

 

 景朗は思考した。思考のその先に到着する、論理の終着点がもたらす種類の懼れ。推理の結末が、彼の身の内に萌芽しつつあった。

 

「治療薬を散布するつもりだったって言ったな!じゃあ、このウィルスの入ったビンはどう説明する?どこが治療薬だ!騙されないぜ。これは人体に有害だろう。治療薬なんてこの中には入ってない!」

 

 荒々しくバッグを手に取り中身をまさぐる景朗へ、産形は今度こそ、喉を枯らして吠え猛った。

 

「やめろ!乱暴に扱うなァ!触るなバケモ―――っ!?あ、んた、なんでわかる?ビンの中身、なんでわかる……?」

 

「残念だが俺にはわかる!お前の嘘は通じない!治療薬を散布する?よくもこの有様でそんなことが言えたな!」

 

「さっき言っただろ!治療薬はボクの血液に入ってるっていっただろ!ワクチン散布を考えたのは直前になってからだ!だから焦っているんだ!まだ散布できるほどの量がない。今増やそうとしていた所なんだ。その瓶の培養液を使うつもりだったんだよ!」

 

「クソみてな言い訳しやがって!」

 

 産形の発言を切って捨てるような台詞をたたきつける。しかし、その態度とは裏腹に、内心では景朗は思案に暮れていた。

 

 針を通して送られてくる肉体の反応。嘘の匂いはないのだ。先ほどから、ずっと。景朗は行動に出た。バッグからウィルスの入ったビンを取り出す。少年の仲間の、2人の少女たちと争った時に接種したウィルスは、景朗の体内では正常に活動できず、すぐに死滅していた。今度は殺さない。

 

 景朗は生み出した触手の先端に、如何にも神経がそのまま剥き出たような、デリケートな細胞の束を創り出した。そしてその部位に、ビンの中のウィルスを貯蔵する。

 

 信じ切れずにいた。産形の話も、自分の能力も。他人の代謝情報を読み取り、対象者の真偽を測る能力。しかし、それは絶対の信頼がおける技術ではなかった。あくまで、景朗の主観による判断だった。その人物が、嘘をついているのか否か。100%の確証はない。自分でも、信じ切れない。

 

『雨月、信用しようがない。こいつの発言を裏付ける証拠は何一つ存在しない。こいつの言いようが本当なら確かに猶予はないが……さて。いい加減、オマエの仲間の情報を吐いてもらうぞ?』

 

「クソ!クソ!チクショオ!チクショウ!誰も信じない!そうさ!誰も信じない!捕まった後じゃ遅いんだ!だから!嘴子さんはいのぢをがげで!ぼぐを!ぼぐを!うっうううああああああああああああ!おまえらのぜいだ!後で知っで愕然としろ!今ここにあるワクチンを増やせるのは僕だけだ!助けられる時間内に、必要な量を揃えられるのは僕だけなんだ!このまま僕を連れていけ!それでせいぜい、救えなかった人たちに詫びようじゃないか!僕たちといっしょに侘びようじゃないかぁ!」

 

「うるせえ!お前は良いから、電話の相手の質問に黙って答えていろ!」

 

 景朗は指図しつつ、産形の後方に回った。彼に繋がっている肉手から血液を盗み取り、接種し直したウィルスと撹拌する。景朗特製の神経の束が、ウィルスの動向を推し量らんと脈動した。

 

(確かめてやる)

 

 観念したのか、産形は仲間の情報を答え始めていた。ところが、矢庭に質問に答えるのを中断し、景朗へ注意を向けてきた。

 

「待て。今僕の血を抜いたな?何してる?」

 

 産形の視覚と触覚では、何ら知覚できるはずがなかったにもかかわらず。血の中にあるという、増殖させたワクチン。そのワクチンの微量な変化を能力で捉えて、景朗の行動を悟ったのだろうか。

 

気づかれずに血を抜き取ったつもりだったが、失敗した。その事実を意識すらせずに、景朗は黙し続けた。産形と土御門のやり取りに耳を傾けてはいるものの、言葉を発さず、しばし、産形の血液の検証に集中する。

 

 

(途轍もない濃度だ。まぎれもなく産形の血の中には、何かのウィルスが混じっている。かなりの高濃度……こ、れ、は。死んでいってる。疾い。いや、死滅じゃない。まるで捕食だ。喰われている。喰っている。危険を感じていた方のウィルスが、どんどん喰われて死んでいく!……まさか、言う通りなのか?産形の血中ワクチンの方は、人体に有害ではなさそう、だ)

 

 

『雨月!産形の自供にいくつか信頼できる点が見つかりもしたぞ。犯人以外知る由もない、今朝見つかったばかりの洞淵の実名をコイツ等が知っていたこと。それに午後に襲撃のあった施設、あそこに、コイツの言う仲間、太細朱茉莉と今大路万博が社会見学の学生として確かに潜り込んでいた。おまけにその2人はうまく被害者になりすましたようだな。搬送中に救命員を襲って逃走している。確かに、コイツ等は事件に関わっていたようだ。だが、それでも……雨月?返事を寄越せ!勿論理解しているとは思うが、それでもコイツの与太話は話にならない。コイツの言うことを裏付ける証拠なんて一つもない。事件の全貌が掴めていない現状じゃあ――』

 

 

 

 この期に及んでも尚、景朗は土御門に返事を返さなかった。土御門の言うことはもっともだ。だって、土御門は知らないのだから。バッグのビンの中に、産形が説明する通りの危険なウィルスが入っていること。そしてそれが確かに、産形の血液から発見した高濃度のワクチンによって攻撃され、死滅していくということを。問題はないように思えた。人体に悪影響はない、と感じ取った。産形の言うワクチンの性質は、人間には害がないとしか思えなかった。

 

 

(このワクチン、確かに人体に害はない。でも、いくらなんでも、この状態では産形は危険なはずだ。どんなウィルスだろうと、これほど高濃度のものを体内に留めておくのは危ない。どうして態々そんな危険を犯す?コイツは俺がウィルスを知覚できるだなんて、露ほども予測してなかったはずだろ?誰にも分かってもらえるはずないのに、こんな危険なマネをしてたのは……!)

 

 

 

 景朗は土御門に、朱茉莉という少女の自殺時刻を尋ねた。おおむね今より20分ほど前らしい。ウィルスが巻かれて少なくとも20分ほどが経過している。景朗へ語りかける土御門はそのままに、景朗はさらに悩むことになった。

 

 

(わからない!確信が持てない!クソ、クソ!あやふやな判断はできない!信じられるか?!自分の能力を。100%間違いでないと?!もし俺が勘違いしてしまっていたらどうなる!産形は嘘をついているのか?本当なのか?)

 

 

「な!?うわぁっ」

 

 突然、地に押し付けられていた産形の体が起き上がる。景朗が拘束を緩めたのだ。彼は両手だけを筋繊維の束でからめ捕られている状態となった。

 

(俺には、"現段階"のワクチンの性質しかわからない。このワクチンは本当に安全なのだろうか。時間経過で、急に人体に害を及ぼすように突然変異しないとは言い切れない。……自信がない。だが、だが、少なくとも、ビンに入っている危険な方のウィルスとは別物だ。とりあえずワクチンの方を散布して、様子を見るか?それで時間は稼げる。時間さえ有れば学園都市の技術力で挽回できるかもしれない。いや……このビン詰ウィルスと同じものが学舎の園でばら撒かれたものと同一とは限らない。学舎の園で撒かれたものが別物で、もしこのワクチンと反応して有害なウィルスに化けでもしたら?でもそんな器用な真似、この男にできるか?たった20分だ、コイツがウィルスに細工できた時間は。クソ、時間が過ぎていく)

 

 景朗は身を起こした産形の表情を見つめていた。涙の痕を気に留めることなく、相手は景朗を真剣に見つめ返していた。随分と長い間見つめ合っていたように感じていたが、時は幾ばくも経っていなかった。その間、ほんの数秒足らず。

 

「産形。妙な真似を見せたらその針からお前の脳髄を掻き回す。時間がない。とりあえず散布に必要な量のワクチンを準備しろ」

 

 景朗はバッグをそっと手繰り寄せ、産形の手前に静かに放った。

 

『聞こえたぞ!?何を言い出す雨月!?ふざけるな!』

 

 景朗は土御門の罵声を無視し、驚愕で動作を停止させている産形を無理やりバッグの前へ引き倒した。

 

「信じたのか?僕のこと、キミの能力は一体……??」

 

「完全に信用しているだなんて思うな、念のためだ。時間がないんだろ?早くやれよ!けど肝に銘じとけ、俺にもウィルスの状態が把握できる。不審な動きがあれば必ず殺す」

 

『オマエはいつもこうだ!何を考えている!?』

 

 振り向きざまにケータイを拾い、景朗はすぐに土御門に説明した。

 

「土御門。産形が所持していたウィルスらしきものは確かに危険な代物だった。本人が言うように、危険なヤツだった。それで、ワクチンのことも今確かめた。念の為にこいつの血液も確かめたんだ。俺も疑わしかった、けどな……血中に、高濃度の不自然なウィルスが増殖していた。ビン詰めの方のウィルスと混ぜて確かめたよ。たぶん、ワクチンだ。こいつの言ってることは、ある程度本当かもしれない」

 

『……それは確かなのか?オマエには確信があるのか、雨月?』

 

 自信はない、と言いたかった。しかし、それを産形の前で発言するのは躊躇われた。景朗の物言いにしばし絶句していた産形は、すぐに正気を取り戻していた。すかさず、ウィルスのビンを取り出し、何かを確認していた。

 

(そうだ。産形が騙しているかどうか、"第五位"に協力してもらえば一発でわかる!問題は協力してもらえるかどうかだ。時間的にはギリギリ間に合うか?学舎の園まで飛んでここまで連れて……来て……)

 

 そこまで考えて、景朗は直後に硬直した。

 

「とにかく情報をくれ。なんでもいい、何かわからないのか?!産形は仲間の情報を吐いただろ?わかったことはないのか?助けてくれ土御門。俺はどうすればいい?」

 

『クソ、とにかく早まるな!何か裏取れないかやってみる。だが忘れるなよ雨月!まだ事件は終わっていない。そいつが嘘をついていて、情報が未だ入っていない残りの仲間が何かを企んでいるかも知れない』

 

「わかってるさ。やるのはあくまで用意だけだッ。そんな軽々とできるわけねえだろ!」

 

(なんてこった。"第五位"だって信用できない。タイミングが怪しすぎるじゃないか。今日無理矢理に俺に接触を測ってきて。事件に関与したがってきて。できるか?できるのか?仮に連れてきたとして、それで、産形の言っている事は本当だから、急いでワクチンを散布しろって"第五位"が言い出したとして。クソ、どちらにせよ信用できねえ!……いや、でも学舎の園には行く必要がある!そのビンの中身と、学舎の園で暴露されたモノが同じかどうか確かめないと――――)

 

 

「ダメだ!足りない、足りないよッ!」

 

 産形の悲鳴が思考を遮った。足りない、とは何事だろうか。景朗は向き直った。息苦しそうに顔を引きつらせた少年が景朗にわななく。

 

「容器がふたつも割れている……これじゃ、足りない。バッグに入ってた容器全部の培養液が必要だったんだ。必要量が足りていない。僕の血でカバー出来る量を超過してる。これじゃあ、効き目が……エリアを全部カバーできるかわからないッ!」

 

 時間がないというのに、トラブルが出没してしまった。景朗は頭を抱えたくなった。既に30分が経過しているのだ。

 

「お前の血液をそのままあのミサイルにブチ込むつもりだったのか?」

 

 景朗は放置された、組立途中の散布機に目をやった。そして気づく。まずい。あれだってまだ組み立てていない。もし、本当にワクチンを散布しなければならない事態に落ちいった場合。あれではどうしようもないではないか。

 

「そうだよ。準備してたウィルスはもともと7リットル。でもあんたが2つ割ったから5リットルだ!僕の血を全部入れても、10リットルに届かない……」

 

「ああ!?お前の体格じゃ1リットルも血を抜けば死ぬぞ!?」

 

「それでもやる!僕たちの責任だ……!」

 

 この少年は10リットル散布機に積む予定だった。もともとあった7リットルで計算しても、あと3リットル必要になる。産形茄幹の体格を考えてれば。3リットルの失血。間違いなく死ぬ。そもそも、この少年の全血液量は、多く見積もっても4リットルに届かない。全体量の三分の一、血が流れれば普通の人間は助からない。

 

 景朗は覚悟を決めた。どのみち、準備だけはしようと決めたのだ。

 

「よく聞け産形。俺が血を分けてやる。それで試してみろ。できるだけ、普通の人間の血液の成分に近づけてみる」

 

「は?あんた何を言ってるんだ?」

 

「俺の能力でお前に血を分けてやれるんだよ!余計な質問はするな!言われたことがやれない時だけ口にしろ!それ以外は準備に集中しろよ!」

 

 景朗はそう言いつつ、身体から太い触手を伸ばした。彼方から作りかけの散布機を取り寄せると、散布する液体を入れるであろうタンクを産形へ手渡した。

 

「一時間経たないうちに、って言ったな。安全が確保できる制限時間はもっと短いのか?」

 

「45分程度なら、まず間違いなく大丈夫、だと思う……」

 

 最早、タイムリミットまで12,13分しか残されていない。嘘であってほしい。景朗は強烈な不安に襲われていた。祈らずには居られなかった。嘘であってくれ。この産形とかいう少年が、非道な人間であってくれ、と。嘘を付いている、と。しかし。既に、学舎の園へ、少年の仲間が散布しているのだ。非道な奴らであれば、どちらにせよ。学舎の園の少女たちが危険に晒されている。それに、第七学区にいる人たちも巻き込まれているかもしれない。

 

 自分の判断は正しいのか。本当に、今日は呪われている。景朗は歯を軋らせた。思いもしなかった。朝、こんな一日になるとは想像もしていなかった。できるわけがなかった。

 

「身体に直接血を送って欲しい。一番疾く培養できるんだ。自分の身体を使うのが一番早い」

 

 自らの血液をウィルス詰めの容器に流し込み終わったあと、産形はそう言った。

 

 景朗は本人の要望通りに実行した。時間に余裕はない。何かにチャレンジしている暇はないのだ。本人がそれが最も手堅い培養方法だと口にした。ここはそれで済ませるしかない。

 

 治療薬を用意し終えたら、続いて直ぐに散布機の組立に取り掛かれ。景朗の要請に、産形は激しい能力の使用に耐え顔をしかめていたものの力強く頷き返した。

 

 




今回、"!"マークを滅茶苦茶多用してしまいました。
それと同時に、雨月のセリフがかなり攻撃的になってます。
厳しめの感想でも、構いなくコメントしてください……


タイトルの接触衝突(タッチクラッシュ)は嘴子千緩の能力、コライダーキスの正式名って設定です。くちばしちゃんは正式名がカッコ悪いので、厨二な名前を勝手につけて隠してます。学園都市にはそういうふうに能力名をアレンジしちゃってる子がいっぱいいると思います!

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