とある暗部の暗闘日誌   作:暮易

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※全話、episode24の終わりに追加で大量追記しています。どうか一目確認の後、episode25をご覧下さい


episode25:酸素剥離(ディープダイバー)

 

 

 

 上条当麻はこの上なくアレイスターに目をつけられている。純粋にその点だけ切り取ってみれば、景朗と似た者同士だ。だが、ふたりには大きな違いがあった。

 

 ずばり、あの化物じみた統括理事長から直接干渉を受けているかどうかだ。

 

 景朗はアレイスターに人質を取られ、意に沿わぬ命令に従わされている。それは雑用の一言で済む簡単なものから、後味も悪く罪の意識に苛まれ手を血に汚すような事件に関わるものまで千差万別であった。

 

 一方、上条は監視こそされているが、それ以上は何も手出しをされていない。それどころか、何も知らされず、逆に大事に大切に扱われている。

 

 自分たちの監視の目を除けば、上条はアレイスターから一切の操作を受けていない。そのことは最初のひと月ほどで重々理解できた。

 

 

 

 三月の終わり。冗談めいたやり取りを土御門と交わしつつも、潜入任務への準備に臨んでいた時だ。"上条当麻"が誰かも知らずにいたが、景朗はしっかりと標的の人物に対して警戒を募らせていた。短い付き合いではあったが、それまで何者にも興味を示さなかったアレイスターが唯一、執着してみせた対象だったからだ。

 

 

 件の重要人物との接触には神経質にならざるをえない。もしかしたら対象は景朗たちよりもっと深い闇に位置する、危険極まりない人物かもしれない。それこそ、普段は多くを語らぬ上司が目を剥くほど"命令"に注文を付けてきたくらいだったから。

 

 

 故に。通常の"任務"よりも、下手を打てば厄介な状況に陥ることだろう。仮にそうなってしまっても、なるべく自分ひとりだけに被害を留めたい。

 

 用心に用心を重ね、しばし徹底的に、景朗は全神経をターゲットの観察へと傾けた。

 

 

 

 その結果の話だ。たったひと月ほどで結論は出た。まず間違いはない。上条当麻は頑として、暗部に欠片も関わりはない。それどころか。

 

 控えめにも、良識ある好青年と呼べる人物だった。特筆すべきはその正義感だろう。迷いすらみせず、こちらの"任務"の妨げになるほどに色々な諍いに乗り込んで行き。常に誰かを助けようと藻掻く。

 

 それも尋常な数の"人助け"ではない。全くもって呆れるほど上条は多くの諍いに直面していった。それが可能なほど、不思議な事にこれでもかというほどトラブルが彼へと吸い寄せられていくのだ。理由はたった一言で説明できる。

 

 上条当麻は単純に、超のつくほど"ツイていない"少年だったのだ。

 

 運命の存在を半ば信じずにはいられなくなるほど、上条の周囲では一種の"トラブル"と呼ぶべき事件が発生する。本人が"不幸"と言い出すのも、あながち糾弾できない。当初は景朗ですらそう思ったほどだ。少し目を離せば、上条は様々なトラブルに巻き込まれていく。

 

 

 街を歩けばスキルアウトに絡まれ、しょっちゅう財布を紛失し、物珍しい類の事故はワザワザ上条の直ぐ側を選んでやって来る。おかげで最近、暗部任務以外の生活で意外性を感じる出来事が少なくなってきた。

 

 

 そして、その割には。決してめげず、トラブルに巻き込んだ人たちに媚びたりもせず。逆に片っ端から目に捉えた理不尽な暴力や悪意に立ち向かい、自ら解決に乗り出していく。

 

 

 

 話題が反れた。そう。確かに、上条当麻は"ツイていない"奴だった。あらゆるしがらみ無く接していれば、景朗はまた違った種類の印象を彼に浮かべたことだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 そういう事だから、青髪ピアスの仮面を被るその度に。景朗は何度も彼の口から"不幸"の一言を耳にする羽目になった。

 

 飽きるほど同じ単語を聞いていればそのうち何も感じなくなるかと思っていたが、そうはならなかった。景朗は"不幸"の言葉が出る毎に、だんだんと考えさせられていった。

 

 "不幸"だ。そう、ため息をつく上条。しかし、なぜかどうして、その時。彼の表情は、どこか誇らしげで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 言うほど、こいつは不幸だろうか?

 

 ふと沸いた疑問。その疑惑を推し進めていく過程で、景朗は悟った。それはすなわち、自分と上条を比較する行為を意味するのだと。

 

 

 とうとう、上条が知らず知らずの内に暗部のゴタゴタに首を突っ込み、その尻拭いを"護衛監視任務"に就いていた景朗がなさねばならなくなった時。

 

 

 悲劇の渦中で涙していた被害者へ向けて、"助ける"と豪語した上条。彼の、去りゆくその満足気な背中を、景朗は"暗闇"からひとり眺めた。

 

 暗部組織と生じた、絡み縺れたトラブルも。彼が助けた気になっている被害者の行く末も。結局は裏で、景朗が始末をつけた。

 

 

 そうして。遂に思い至ったのだ。上条はそれほど"不幸"ではない。自分と比べたら大したことないではないか、と。よっぽど自分のほうが、"不幸"なのではないか、と。

 

 

 

 

 

 何故なら、同じくアレイスターに首根を押さえつけられている身分であるにも関わらず。上条は自ら口にする"不幸"とやらのどん底で、陰りのない笑顔を浮かべてみせる。

 

 "幻想殺し"は、景朗とは違う立場に居る。アレイスターに悲惨で陰惨な命令を押し付けられ、片時もその重圧から逃れられることのない"悪魔憑き"とは違っている。

 

 

 

 詰まるところ。そのような上条の口から"正論"が飛び出すたびに、無性に、どこか胸の奥がささくれだつのだ。

 

 気が付く頃には。使えるものは全て、それこそ能力すら使って。景朗は上条に対する悪意の発露を無理矢理に押しとどめていた。極端に否定的な感情は"任務"遂行の邪魔になるからだ。

 

 

 いいや。理由はそれだけではなかった。景朗は同時に気づいてもいたのだ。自身の甘さや負うべき責任まで、アレイスターや幻生に押し付けていることを。また、そこから生じてくる上条を妬む気持ちに、傲慢で横着な自我が含まれていることも。

 

 だから、ひたすら無視した。上条への嫉妬や悪意を意識しないように、有耶無耶の内に醜い衝動を抑え付ける。そんな術しか、彼には選択できなかったのだ。

 

 

 闇に浸かる彼の周囲に導を授ける大人は居らず、彼自身もそういった類の人間との接触を拒んでいた。もう随分と、クレア先生の顔を正面から見つめていない。

 

 

 景朗にとって、上条当麻は好きな部類に入る。だが、どうしても好きになれない部分もある。人間だからそのくらい当然だ、と深く考えないようにしてきた。でもそれは結局。納得した体を装い、自分自身の醜さを放置していただけだったのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんな"上条当麻"がこうして目の前で。遂に直接、景朗の裏の仕事にまで現れ、障害となって立ちふさがってくれやがる。

 

 

("イマジンブレイカー"には、手の内はなにひとつ晒せない。ほんっとに面倒だな。……冷静になれ。抑えろ。怪我なんてさせられないし。かといって下手を打てば今後の任務にどう響いてくるかわからない。ああクソ、不用意にガスなんて吹くんじゃなかった)

 

 決まると思っていた。ガスを少しでも吸い込めば、それで上条は眠りにつくはずだった。ところが、今まで退治してきたどの敵対者よりも疾くツンツン頭は右手をかざし、ガス攻撃に反応してくれた。存外にそれが悔しく、気づけば皮肉を吐き出していた。

 

 

 眼前の"障害"を改めて考察する。右手を使った防御は反射速度が図抜けていた。しかし難なく防がれてしまったものの、その咄嗟に自らを庇う反射行動は良いヒントになってもいた。

 

 

 こいつの喧嘩は、幾度となく観察してきた。そこから、臨戦状態に陥った相手のとる行動が何となく予想できる。景朗は彼の性格を熟知していることに気づいたのだ。

 

 

 

 上条の顔色を、今一度窺う。一切油断なく景朗を注視している。

 

「テメェは誰だ」

 

 発された一言が、キリキリと場の緊張を高める。子供の兄貴に化けていた不審人物に対し、警戒心を極限まで昂ぶらせている様子だ

 

(ああ、こいつのこの顔。殴りたい。でも……少しフェイントかければ、直ぐに手が出るな、この警戒ぶりじゃ。そりゃそうか。よく考えずとも、兄貴の化けの皮をかぶった謎の男の登場、なんてあまりに不気味だもんな。……にしても、なんでバレたんだ?)

 

「いいからガキは置いていけ。痛い目みるぞ。できれば手をかけさせないでくれ」

 

 吹っかけられた質問に答えず、警告だけ言い放ち。景朗は大胆にもずかずかと、上条との間を詰めていった。

 

 

「兄ちゃん……?」

 

 ターゲットの少年は、現実と願望との狭間で葛藤を繰り広げている。頭では、目の前の兄の姿をした人物が危険人物だと理解しかけている。けれども感情と景朗の完璧すぎる偽装が、その理性に歯止めをかけているのだろう。

 

 

「近寄るな」

 

 少年を庇うように、淀みなく前に出る上条。不審者の動きに隙を見せぬ、研ぎ澄まされた刃紋を想像させる集中力。彼の喧嘩の強さが垣間見える対応だった。

 

 

 一触即発の空気をとっくに察しているのだろう。通常時の彼ならば、相手との暴力はできるだけ避けるように、敵対した相手ともコミュニケーションを図ろうとするものだが。今はただただ、すり寄ってくる不審人物の動きに汗を滲ませている。

 

(何時も何時も、後からこうしておけば良かったって事ばかりだ。昼間のウィルス騒ぎも然り。変装なんてまどろっこしいことなんてしてないで、不意を突いて襲っとけば……いや、できればカミやんにはちょっかいかけたくなかった。

 

 変装が成功しとけばな。それがベストだったんだ。状況は変わった。今はもう、生身でこいつの相手をしたほうがいい。どうせこいつには右腕一本しか武器はない。変身やら何やら、俺の他の能力は見せずに済ませられるさ。このまま……)

 

 さらに一歩、景朗はゆったりと踏み込んだ。体重移動は敢えて不自然に行った。フェイントに見せかけるためだ。さすれば。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「が、は!?」

 

 呻き声が路地裏に走る。迎え撃つのに最適なタイミングで拳を突き出したはずの上条が、地面に叩きつけられていた。

 

 

 

 一瞬で決着がついた。攻防と呼べるほど複雑なものはなかった。上条が景朗の誘いに反応してしまい、カウンターを受けた。所謂"後の先"を打ち込まれただけだ。

 

 

 先ほど誘い出されたフェイントに、上条は思い切りもよく右ストレートを撃ちだしていた。個人的には100点満点をあげたいほど、よくできた"幻想殺し"のパンチだった。しかし"悪魔憑き"が対象となると、点数は大きく下がったようだ。

 

 

 さぞやアスファルトで胸を強打したことだろう。一面に悲鳴が溢れた。しかし実はその叫びは、地面への衝突が理由ではなかった。

 

 知るのは景朗だけ。恐らく、倒れた側も何が起こったのか理解できていない。

 

 上条が倒れる、その直前に。放たれた拳を神速の疾さでくぐり抜けた景朗が、彼の腹部へ掌底を食らわせていたのだ。

 

 まっとうに動ければ、人間の反応速度を超えた体捌きだって披露できる。

 

 攻撃を避け、その所作の延長で掌底を返し、すかさず瞬きほどの時間もかけず次手へ繋げた。突き出された右腕を外から覆うような動作で掴み、捌き、ダメ押しで地面へと引き落していたのだ。

 

 

 

「逃げ?!ぐぅ―――!」

 

「兄ちゃん!」

 

 不利を悟り、逃げの合図を出した上条。その首根は掴んだまま地に押さえつけてある。それ以上発言させまいと景朗は力んだ。

 

 手のひらから小さな無痛針を伸ばし、自前の睡眠液を注入した。今度はきちんと能力が作動したらしい。人の意識を奪う針から、慣れ親しんだ感覚が肉感を通して伝わってくる。

 

 

「兄ちゃんっ!」

 

 怯えて立ち尽くす少年が、景朗か上条か、果たしてどちらを呼んでいるのか。最早どうでもいいことだった。

 

 動かなくなった上条の胴を軽く蹴り、何度も安全を確かめる。

 

(寝てる。腹殴ったけど大丈夫そうだ。アレイスター、これくらい勘弁してくれよ)

 

 睡眠液は疑いなく体内へと流れ、きちんと効果を発したはずだ。針を差し込んでいた時に、筋肉の弛緩する電気信号もキャッチしている。それはこれまで手を掛けてきた他の被害者たちと全く同じ反応であった。

 

 

 手加減に手加減を加えてはいたが、掌底のダメージも気になるところ。景朗が強能力"戦闘昂揚(バーサーク)"を獲得した頃からだろうか。少々の無茶では怪我一つ追わなくなった躰を手に入れて、だいぶ経つ。今では既に、強化された肉体が景朗の身体感覚のベースとなっている。

 

 であるから、ごく普通のノーマルな"人体"は、景朗からすれば脆すぎて扱いに困る代物としか思えなくなっていた。そのような有様なので彼は手加減という行為自体に苦手意識が有る。余計に上条の容態が気に障った。

 

 力を加減するのは簡単だ。しかし、その加減した力を受ける、肝心の人体が非常に弱いとくればどうしようもない。人によって打たれ強さ、肉体の頑丈さは異なるし、人間の躰にはいくつもの急所がある。打ち所が悪ければ、人は階段から落下しただけで死亡する。

 

 

 心配とともに上条の呼吸を探る。俄かに安心した。寝息はほどよく安定している。少々安定し過ぎているきらいもあるが、相手が無事であるのに越したことはない。

 

 上条は無事。目立った問題は無い。

 

 

「ひぐ」

 

 景朗は無造作に子供の首を掴んだ。細い首筋を握りこむと声が潰れていく。恐怖に萎縮し、立ち尽くす少年は無抵抗そのもの。まさしく、赤子の首をひねるように造作もなく意識を奪う。足元で寝転がっている人間にやったのと同じように、瞬時に眠らせる。

 

 

 

 

 

 

 間もなく、静けさが舞い戻った。

 

 夕暮れに染まる路地裏。転がる2つの影。一時はどうなる事かと思ったが、事態はあっけなく収束した。それでも一息つく前に、速やかにその場を離れようと迅速に対応するつもりだ。

 

 驚く程あっさりと"上条当麻(トラブル)"は過ぎ去った。

 

 

 少年を抱え上げ、上条を跨ぐ。間違って右手を踏まないように――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ピタリ、と景朗の足が止まった。意識は完全に"幻想殺し"へと向けられている。

 

 

 

(チャンス、だよな)

 

 

 

 "幻想殺し(イマジンブレイカー)"。

 全ての異能をかき消す、神秘の能力。その触れ込みに違わずたった今、景朗の十八番の毒霧すらも原理不明の力で無効化させた。

 

 事ここに至り、実際にその力を身に受けた景朗は強烈な違和感を感じ始めていた。

 

 路上の喧嘩などで"幻想殺し"が他者の能力を打ち消すのをちょこちょこ目撃してきたが、その時は疑問に思わなかった。スキルアウト程度が相手のストリートファイトでは、それほど高位の能力が用いられなかったせいもあるだろう。

 

 

 

 催眠ガスはあの時確かに、驚異的な速度で発射した。口から噴出されたその刹那に、上条の鼻腔に催眠成分は付着するはずだった。

 

 それが、上条の右手に触れた途端。じかに手に触れていないガスの末端部分まで、綺麗さっぱり分解され、消滅した。

 

 右手に触れた部分のガスだけが分解されるのなら、まだ理解しやすい。しかし、"能力(

ガス)"の一部に接触しただけで全体をまるごと打ち消してしまうとなると。

 

 例えるならば、まるで"能力"という概念そのものを解消(キャンセル)されてしまったような。よくよく考察すれば、あまりに理不尽な現象だ。これでは能力というより……都合の良すぎる"魔法"みたいだ。

 

 

 

 

 …………そう。"魔法"の如き能力だ。

 

 

 そこから閃いた"とある可能性"が、景朗をその場に留まらせている。

 

 もしその力が、能力で完全に活性化されている状態の景朗の細胞に触れたのなら、一体どうなるのだろうか?

 

 景朗は、そこにどうしても抗えぬ疑問を生じさせていた。

 

 

 "悪魔憑き"の励起された細胞に、"幻想殺し"の力はどう働く?

 

 

 

 もし。もし、"幻想殺し"に触れられた細胞が、破壊されることなく単に特性を失うだけ、となれば。より都合の良い結果を求めよう。もし、"悪魔憑き"の力で不正に歪められた細胞が、"幻想殺し"によって正常な状態に戻る、ということがあり得るのなら。

 

 景朗の細胞により弊害が生じていた丹生の内蔵も、上条の右手によって治癒できるかもしれない。

 

(今なら誰も見てない。邪魔も入らない……。めぐり合わせが悪かったと、アレイスターに言い訳もできる……)

 

 意外にも、それまで景朗には上条の"右手"へアプローチする機会が与えられていなかった。

 

 もともと監視護衛任務である以上、景朗と土御門は"幻想殺し"への不要な干渉を制限されている。ましてや、恐らくは上条当麻の価値そのものであろう"右手"への個人的な関与など言語道断だった。

 

 

 初めは上条の登場を快く思わなかった。任務を遂行する上で、神経をすり減らしやむなく無力化したものの。

 

 改めて考え直す。この"不慮の邂逅"そのものは、"思わぬ好機"に変えられる出来事なのではないか。

 

 常日頃、傍で監視の目を光らせている土御門も存在しない。彼は今、"幻想御手"が引き起こしたトラブルで忙殺されているのだから。

 

 残る上条は意識を失っている。今なら"右手"の力を好きに調査できる。

 

 

 "幻想殺し"の性能を試すまたとない機会。倒れた上条を心配する素振りを装い、"実験"を試みてしまえ。

 

 

 景朗は想像した。自分の能力で変質させた細胞が、こいつの力で自然な状態へと還るなんて事態が引き起こされれば。

 

 

 丹生を元に戻してやれる。希望が覗く。光明が射す。誘惑には逆らえなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

(こんな時に何をやろうとしている?)

 

 直前まで理性が働く。頭の中のひやりと冷えた冷静な部位は警鐘を鳴り響かせている。好意的に"幻想殺し"を捉えすぎだと注意を促しているのだ。

 

 最悪の場合。少しでもその右手に触れれば、"悪魔憑き"の肉体は深刻なダメージを受けてしまうかもしれない。

 

 加えて、第六感もうっすらとピリピリ張り詰める。上条の悪運を警戒しろ、と本能が囁く。

 

 

(これまで録にチャンスがなかった。今なら言い訳し放題だし。あとはこのガキを連れてくだけだ。少しだけ。少し確かめるだけで……)

 

 

 しかし、それらを差し止める欲望は余りにも強大すぎた。

 

 『治療法が見つかった』

 

 その一言を丹生へと告げられたなら、どれほど幸せなことだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 眠る少年を肩にかけたまま、ゆっくりとしゃがみ込む。投げ出された希望の"右手"へ、景朗はそっと左手を添えた。

 

 

 

「がっ!?」

 

 

 脳みその奥底で火花が散った。一瞬にして、悪寒と激痛が全身を包みこむ。"幻想殺し"との接触、そこには恐るべき不快感が待っていた。

 

 

 

 噛み締めた奥歯が軋む、ゴリゴリという音が脳内で反響する。

 

 もぞもぞと、体中の細胞が蠢いている。景朗はそう直感した。それに、異様に肩が重い。右肩に担ぐ子供の体重が、一気に増していく。

 

(ちがう。ガキの体重は変わらない。逆だ。俺の体が重くて重くて、重ったるしくて気持ちわるいんだ)

 

 "幻想殺し"の効果なのだろう。景朗の躰から力が抜けていきつつあった。それでも忘れることなく、左手の細胞に意識を集中させる。

 

「ぎ、う」

 

 喜びの声は醜い奇声となって喉から飛び出した。

 

 左手の手の平には、あらかじめ丹生の命を救った"細胞"を生成させていた。それは"幻想殺し"と接触すると、ゆっくり、ゆっくりと。だんだんと、通常の人間の細胞へと変成していきつつある。

 

(は、はは。はははははッ!泣きそうだ!俺の細胞は元に戻ってる!ちょっと細胞変化のスピードが遅いけど……なるほど、そうか。やっぱり細胞を爆発的な速度で変化させていたのは、俺の力によるものだったんだ。それができないもんだから遅いのか。俺の力でブースト出来ない分、細胞はゆっくりとしか変化できない。それでもだいぶ早いけど。……これが"幻想殺し")

 

 体中を取り巻く倦怠感が教えていた。今この時、景朗の体中の細胞が、非常に遅々とした速度で"本来"の状態へと戻りつつあるのだと。

 

 なんとも表現しづらいが、敢えていうなれば、"幻想殺し"は"悪魔憑き"の身体へと、いかにも"調和の取れた破壊"をもたらしていた。

 

 景朗は瞬く間に体の細胞を爆発させて変身できる。しかし、それは景朗自身の能力に裏打ちされた現象だった。

 

 細胞を自由に操るスキルが失われた今、景朗の肉体はゆっくりと、元の状態へと細胞レベルで変化している。まっさらな状態へと還っているのだ。

 

(めちゃくちゃツライけど、これなら。任務中でも軽くタッチされるくらいなら、なんとか耐えられそうだ)

 

 景朗は一言『ツライ』と表現したが、醜悪に歪む彼の表情は様相が異なり、深刻なレベルに達している。

 

 想像してほしい。景朗を襲う激痛。その痛みはいうなれば、肉体全身に一部のスキもなく蛆虫が巣食い、埋め尽くされ、さらにはその幾千の蟲が一斉に血肉を貪り尽くそうと蠢きだすような。そう例えられるほど不快感を及ぼし、脳髄を軋ませる苦痛であった。

 

 

 我慢できずにふらつき始める。少々、この状態は辛い。心臓はリズムを狂わせている。ひとえに丹生のため耐えに耐えた景朗だったが、限界が近づいている。

 

 痛みは時とともに結露のように全身に広がり、ボルテージを上げている。だがその苦しみも、とある少女の喜ぶ顔を思い浮かべた景朗には、なんというほどのことでもなかった。

 

 なんとも単純だったが、"実験"は成功した。

 

 

 ようやく。思うように力の入らぬ左手から、重ねるように力を抜く。

 

 

 しかし、振り払った左手から忌忌しい"右手"はなかなか離れない。

 

 

 

 

 感覚が馬鹿になってしまっていて、わからなかった。

 

 "右手"は力強く、左手を掴んでいる。

 

 景朗はぎらりと光り輝く、一対の黒目と視線を交錯させた。

 

 何が何でも助ける。その眼は、そう物語っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(あ?寝てたよな?こいつ。ありえねえ。間違いなく意識を失っていたのに。このタイミングで起きるなんてどういう――)

 

 

 考えている場合ではなくなっていた。突如息を吹き返した上条は姿勢を起こし、額を景朗の顔面に近づけてくる。

 

 その動きはとてもゆったりとしていた。見えている。景朗の動体視力をもってすれば、ほとんどスローモーションに近いほどに、完全に見えていた。

 

 しかし、思うように躰が動いてくれないのだ。この後どうなるか、彼には容易に想像できた。屈辱だった。避けられない。

 

 

 

 

「ぎあッ?!」

 

 頭突き。ただそれだけで、目の前で星が飛んだ。情けなく声を上げ、"たかだか鼻を打った痛みで涙目になる"。景朗はその事実に驚愕した。

 

 

「おあああああっ!」

 

 吠える上条は、決して"右手"を相手の体表から離さなかった。頭突きを見舞うとそのまま景朗へと組み付き、両者はもんどり打って地面に転がった。

 

 

「ボウズ逃げろッ!逃げろッ、走れッ!」

 

 乱闘の拍子に地面に投げ出された子供へ何度も呼びかけるが、反応はない。本来ならばそれで当然なのだ。景朗の催眠液を注入されれば、自然と目覚めるのに最低でも半日はかかる。

 

 そのはずなのに。

 

(マジか?毒を注入した瞬間には、絶対に能力はかき消されていなかったのに。催眠液が血管を流れて行って、右手まで到達した……?なんだそれ。それじゃ"右手"そのものが能力の本質みてえなもんじゃねえか)

 

 

 

「ぎッ!」

 

 組み付かれる前に咄嗟に躰をひねっていた景朗は、上条に背中からのしかかられる体勢だ。そこで無防備に晒されていた景朗の横顔へ、容赦のない左拳が打ち下ろされた。またしても痛みに声が漏れる。

 

 顔の皮膚が引きつり、感覚そのものが細胞ごと避けていく。

 

(まず、い顔が……)

 

 身体中の骨が軋む。痛い!痛い痛い痛い!声すら上げられず、立ち尽くし、悶えた。少しでもカラダを動かせば、計り知れぬ激痛。

 

「あ、が、離れろ、離れろぉッその手をどかぜえええええええ!!!」

 

「テメェ!ソイツに何しやがった!」

 

 組み付いた巨体は正気を疑うほど重たかった。到底人間の躰だとは信じられないほどの質量と密度。そのことが手足の感覚だけでも十分に測り取れる。

 

 上条は苦心してマウントポジションを維持しようと不審者を殴りつづける。そこに容赦はなかった。

 

 

 人間とはここまで恐怖に心を引き裂かれるのか。そう思わせるほど異様な様相だった少年。追うように彼を探しにきた、手の込んだ変装を用意してきた不審者。少年が口走っていた"殺されている"という単語。

 

 考えるまでもない。あの少年にはとてつもない危機が迫っている。

 そして間違いない。この男はそれに関係しているはずなのだ。

 

 

 

 

「があああああああああッ!!」

 

 景朗の凶悪な咆哮。直ぐそばで顔を密着させていた上条は、鼓膜の痛みに拳を振るう腕を止めた。

 

 屈辱的で、懐かしい痛み。どこが切れたかは知らないが、景朗の顔面から流血が路地に飛び散った。怒り狂い、闇雲に両腕を豪快に振り回す。

 

「ぐう!」

 

 デタラメな軌道とはいえ、腕一本で人ひとり分の重さがある。後頭部に流れたその質量に上条は呻き、意識が断絶しそうになる。

 

「離ぜッ!はなぜッ!はなぜやあああッ!があっ。ごあっ!」

 

「あの子に何をしたんだッ!答えろッ!」

 

 ミシリ、ミシリと殴打の衝撃が脳を揺らす。景朗はほんのわずか呆然とした。拳を頬に喰らうたびに、ついぞ忘れていた鈍い痛みが蘇る。

 

 それだけではない。余りにも長時間、"幻想殺し"に接触しすぎている。全身を襲う地震のような痛みは、遂に骨の芯にまで到達しつつある。

 

 

(今日は何から何まで馬鹿なことをしちまってッ!自業自得だ、けど、んの、野郎いつまで殴ってやがる!調子に乗るなぁッ)

 

 速やかに上条から離れなければ危うい。でなければ、じきに取り返しのつかない事態に陥る。景朗には直感があった。なんとかしなければ。じわりじわりと、"幻想殺し"による細胞の還元作用が拡大しつつある。

 

 放置しておけば、やがては……。骨格がよがみ捻じ曲げられる痛みなど、想像を絶するはずだ。

 

 

 身動ぎして、"右手"をはずそうと躰をひねる。しかし、どんなに暴れても"右手"は吸い付いたように離れない。

 

 上条も気づいている!"幻想殺し"を押し付けていれば、景朗が自由に身動きがとれずに難儀してしまうことを。

 

 悟っているのだ。自分が闘っている相手に隙を与えれば、すぐさま攻勢の立場が逆転するであろうことを。景朗の身体的能力が圧倒的に優れていることを!

 

 

「ごッ、ガッぁあっ!お前えええええッ!」

 

「泣きながらカタコトで言ってたぞ!『殺されてる』って!オマエ、この子に何するつもりだった!?」

 

 彼の意識は未だに、倒れて動かないままの少年へ向けられている。

 

 

「うごおおおおおおああああああ!」

 

 怒りと憎しみで躰を奮い立たせた。渾身の余力を込めて起き上がる。このまま、背に取り付く邪魔者を壁に押し付けて潰してやる。

 

「やらせるか!」

 

 やはり全力は込められない。背後で機敏に対応をとられてしまう。上手く体勢を流され、目論見は崩れ去る。

 

 左手で肩を抑えられ、"右手"で後頭部を掴まれる。逆に景朗の顔面が横壁に叩きつけられそうになる。

 

 だが、覚悟していた衝撃は来ない。巨大なクマほどもある景朗の肉体は、用意には動かなかった。

 

 しかし。その代わりに。

 

 

「ぷ、ぎああああああああああああああああアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!」

 

 

 "幻想殺し"が不審者の頭部に触れた瞬間。明らかに異なった反応が表れた。

 

 聞いている側まで不安にさせるような、絶叫と痙攣。

 

 躊躇が生まれる。戸惑うほどに相手は身悶え、のたうち回り、呼吸すらまともに行えなくなっている様子だった。

 

 

 

 

 涙、鼻水、そして流血で汚れる不審者の横顔が、ちらりと視界に映る。

 

 上条は戦慄した。先ほどと全く形相が違っている。それだけではない。

 

 なんと醜い顔だろう。その男のしわくちゃになった相貌は、完全に人間の顔つきから逸脱してしまっている。

 

 

「何者だ……何者なんだッ。てめえはッ!」

 

 理解のできない事象を目にした人間が感じ取る、畏怖の感情。上条はその感情をねじ伏せ、それでも果敢に謎の男へと挑みかかる。

 

「おまえがしっだごどがッ、あっ、ああ離せ、はなせはなぜッ、殺すッゾッ」

 

「殺すだぁッ?いきなり襲ってきやがってふざけるな。どんな理由があってこの子を……」

 

 

 体が機敏に動かせないのなら、優っている体重と筋力で力押しにするしかない。

 

 節々の芯から骨格が歪み、怪音がわななく。力を込めれば倍の音量が景朗の意識を切り刻むものの、上条にしてやられている悔しさがそれを打ち壊すバネになった。

 

「うう!ぐう!ううあああう!」

 

「く、そ、コイツなんて力……ッ」

 

 上条は全体重をかけて、不審者の頭部をビルの側面に押さえつける。そうでもしなければ、たちどころに反撃を喰らってしまう。

 

 "右手"で髪を絡め、しっかりと後頭部を掴む。一体何が起きているのか、わからない。しかし、この不審者は"幻想殺し"で頭を抑えている間は地獄の苦しみを味わうらしい。

 

「あの子を元に戻せ!さもなきゃ永遠にこのままだぞ!」

 

「お前は何も知らない!自分が何をしようとしてんのがわがっでんのがぁッ?!」

 

 気張り、懸命に両の腕を背後へ叩き続ける。背中の相手は大木で打たれたように、体中に痣をこさえているだろう。

 

「くっ。ぅあ、おおっ!だったら説明しろッ!してみろよッ!」

 

「お前に何がわがるぅぅぅッ、あああああああ!」

 

 ただ単純に、痛みを与えてくる上条が憎い。"幻想殺し"は頭蓋を透り抜いて脳みそを直接握り締めているのではないか、そう思わんばかりの効果を発揮している。その中で、声をやっと振り絞る。

 

「助げようとしてたんだッ。しゃしゃり出てくんじゃねえ!」

 

「この期に及んでっ。信用できるかッ!」

 

 義憤を携えた上条の左拳が、景朗の頬を打つ。

 

「あんな風に泣いていた子に、お前は"遊び"呼ばわりしやがった。如何にもまるで、何事も"大事"はなかったとでも言いたげな言い方だ!俺には逆に聞こえたぞ。自分たちが何か後ろめたいことをやってそうさせましたってな!違うか?クズ野郎!」

 

 脳髄の揺れはピークに達した。余すことなく全身の骨が隅々まで脈動している。自分がきちんと呼吸できているのかすら判断できない。唯一、体格が変わっているのはなんとか意識できる。

 

「ああああああ、邪魔しでんじゃねえ!手を離ぜぶっころすぞおおお!」

 

「殺そうとしてたのはお前らじゃねえのかっ!絶対に離さねえぞ!その子を元に戻すまでは!」

 

「違うううッ。助げようどしでんだ!助け――――」

 

 朦朧とした頭の中。それでも、景朗は今更ながらにある事実に気づき、言いよどむ。

 

 

(いや。違う。俺だって助けない……俺はあのガキが、ただ殺されないように。それだけ始終しただけだ。結局はガキを連れて行って、暗部に引き渡して。ガキは地獄に沈む)

 

 

 

 少しだけ、顔の表面の引き攣りが収まる感覚がある。恐らく変装が解け、完全に素顔が露出しているのだ。上条に"雨月景朗"本人の姿を見られれば、危うい状況だった。しかし。

 

 

 

 変装に使った人物を意識した景朗の脳内では、少年の声が反響している。

 

 

  『兄ちゃんっ』

 

(兄弟、だったのか)

 

 滅茶苦茶な状況の中で考えていたのは、視界の端で倒れている少年と彼の兄に関することだった。むしろ、意識が混濁しているからこそ、素直にそう思いついたのかもしれない。

 

(ああ、そうだよガキ。お前の兄貴は殺される。もう二度と会えないぞ。ガキ、お前は……。これから、俺みたいに……。小学生の時の、俺みたいに……)

 

 上条にしこたま殴られていたおかげで、既に目玉からは累々と涙が溢れていた。そこからさらに別の種類の涙が流れ出していることに、景朗は気がつかなかった。

 

(俺が化けたこいつ、兄貴、か。ガキを隠そうとしてたな。守ろうとしてた。

 

 残念だったな。お前は死ぬ。そんで、弟も虚しく地獄を見る。

 

 本当、残念だったな。俺はお前のこと笑わないよ。世の中、頭のいい人間ばっかじゃねえ。馬鹿だって大勢いるさ。気づいたら、こんなちっちゃな弟と暗部にはまってました。なんてこの街じゃおかしくないさ。

 

 マジで、残念だったろうな。悔しいだろうな。手を下した俺がこんなこと思うの間違ってるけどさ。

 

 こっちまで苦しくなるぜ。俺だって、それが一番怖いんだ。クレア先生や、火澄や、花華や、真泥や……。あいつらが幻生やアレイスターに……。ああくそ、怖え、怖えよクッソおぉが。けどもうやめられない。とまらない。あいつらは街そのものだ。たった一人で何ができる。

 

 アレイスターは、幻生は、会った時はあんなに近くにいたのに、深く知れば知っていくほどまるで遠くなっていく。

 

 あの水槽のガラスは綺麗だった。透明で透き通っていて濁りなんて一切ないんだ。中には白もやし野郎が入っていて、無防備な姿を堂々と晒してやがる。

 

 でも、俺は決して手を出せない。分厚いと思っていた善意は脆く紙くずで、一見して薄っぺらい悪意こそが、決して壊れないこの世界の真実だった。

 

 

 

 巻き込んでしまったんだよ、あんたは。弟を……。

 

 上条、お前にだって助けられない。ガキをアンチスキルに連れて行くか?暗部の手はアンチスキルまで回るぞ。統括理事会が噛んでいるんだ。どうせ運命は同じ。

 

 それとも、ずっとずっとガキの面倒見てくつもりか?そこまでやって初めて、救ったと胸を張るべきだ)

 

 

 

 

「どうした?なにか言えよッ」

 

 唸り声だけを響かせ、微かに逡巡するように黙していた。疑問を持たれ、ミシリと頭蓋を壁に擦りつけられる。

 

「俺は言ったぞ。お前は何も知らねえ、だから手を引けって。覚悟は出来てんだろうなぁッ!」

 

 景朗の返答は、少しだけ滑らかになっていた。呂律が回りだしている。"雨月景朗"元来の姿に近づきつつあるのだ。

 

「テメエなんぞに言われるまでもない!俺はその子を"助ける"!」

 

「ッ!」

 

 あまりの怒りに、景朗は言葉が詰まった。

 

「"助ける"だ?!」

 

 あざ笑うように、その単語を復唱する。

 

「この街に住んでおきながら、お前は何も知らない。暗闇を知らない。それは"幸運"なことなんだ!お前はまるで理解してやがらないけどな!」

 

「暗闇?なんの話を」

 

「最後の警告だ。お前みたいなラッキー野郎は首を突っ込むな!そこのガキに待ちうける運命をわかってんのか?知らねえだろうが!お前には何もできない。誰も助けられない!」

 

 

(お前は何も知らない。だから許されるべきだと思って自分を抑えてきた。

 

 でもな、いい加減、その偽善っぷりには反吐が出る。

 

 その子を助ける?この町の闇に真っ向から対立してか?

 このガキに関わることが、"そういう事になる"ってわからないお前に。助けられるわけが無い!

 

 さあ?どうする上条当麻!"助けられない"ぞ?どうする?また言うのか?"不幸"だって。

 

 いつも、いつも思ってた!

 

  『俺って不幸だよな』

 

 それがお前の口癖だ。でも気づいてるか?

 "不幸"、"不幸"と口にする度に見せつけてくる、その誇らしそうな顔つきはなんだ?

 何に勝った気でいる?

 

 "幸運"なお前にいちいちそんなツラされてさ。俺は毎回毎回。

 

 そのツラ、ぐちゃぐちゃに潰してやりてえって思ってたよ)

 

 

 

 

 

 パチリ、と思考を切り替えた。

 

 上条を殴り倒す。そう決めたからだ。

 

 能力が使えない。故に、冷静ではいられない。衝動が躰を突き動かす。

 

 もともと、自身の能力"悪魔憑き"は"幻想殺し"によって発動を封じられていた。けれども、"右手"が一瞬でも躰から離れた瞬間を狙い、懸命に能力の行使を続けてはいたのだ。

 

 それを、使うのをやめた。能力を全部切って、素の肉体で痛めつけてやろう。そう思ったのだ。

 

 能力の使用を中断した、その途端。幾分か、痛みが和らぎ、戒めが緩む。半端に能力を使わなければ、痛みは弱まるらしい。

 

 

 

 

 

 

 この一件には関わるな、と通告したものの、耳元からは勇気に溢れた返答が飛び出してくる。後ろを振り向かずとも、目に浮かぶ。うんざりするほど、意志の強いその表情が。

 

「説明になってねえぞ!この子を目の前にして見捨てる理由にはならな――――ぁが!」

 

 故に。景朗は返答も待たず、背後に肘打ちを放っていた。まだまだ精彩を欠く動きではある。しかし、ぎこちなさは薄まり、相手を十分に驚かす速度が出ていた。

 突然反攻にシフトした景朗に、上条は虚を突かれてしまう。

 

 

「かは」

 

「うおああっ!」

 

 呼吸を乱された上条だったが、"右手"は離さなかった。好機を逃さず相手ごと立ち上がろうと膝立ちになった景朗の、その顎に左フックが襲来する。

 

「ぎ、ぐ」

 

 力の抜けた躰を起こすには、両腕を地につかえる必要がある。全体重を盛り込んだ上条のパンチの応酬を無防備に受け、血が飛び散る。

 

(なんてことはないぜ。意識が飛びそうになってたのは"右手"のせいだったみたいだな。クソ痛ってえけど、お前のパンチじゃ沈まねえよクソ野郎)

 

 

 上条は急に良くなった景朗の動き、頑としてたじろがぬ無限のタフネス、そしていよいよ本格的に体感し始めたその常識外れの重量に困惑していた。立ち上がった景朗の首根にぶら下がり必死に殴打を続けてはいるが、その行為がそれほど有効ではないと気づいていることだろう。

 

(機敏に動けない。腕と足の一本一本が自分でも重くてしょうがない。パンチなんてやっても無駄だ。だったら代わりに地面にでも壁にでも叩きつけてやる)

 

 どこでもいい。身体のパーツをつかもうとした。が、先手を取られた。上条はするりと伸ばされた腕をかいくぐり、そばにあった横壁を蹴り上がった。全体重を、景朗の頭部に寄せて。

 

 ぐらり、と景朗の足が地面から離れた。上条の動きに沿って、頭からアスファルトに――突っ込まされる。見ようによっては、とある危険なプロレス技、垂直落下式DDTが決まったような形になった。

 

(ころす、こいつ、殺す)

 

 相手は動揺した。計り知れぬ体重を利用し、決め手となる攻撃を放ったつもりだったのだろう。

 

 自らの全体重を、能力が切られた状態で頭蓋に叩き込まれた。確かに、衝撃は相当なものだった。

 

 だがそれすらも、ものともせず。地に顔を擦りつけたまま、景朗はとうとう上条の右手首を掴み取った。その腕がどうなろうと知ったことかと、躊躇無く思い切り握り締める。

 

 

「ぅぐおおお、おお」

 

 上条の口からくぐもった叫びが飛び出す。握り潰せるほど力は入らない。しかし、常人に耐えられる痛みでもないはずだ。

 

「テ、メエは、加害者じゃねえのか?わけがわからねえ、なんで泣いてやがる?」

 

 指摘されて、初めて本人も気づく。無様すぎる。

 

「泣くくらいなら端からやるんじゃねえ!今すぐやめろよ!オマエの良心は――」

 

「黙れ!」

 

 右手はしっかりと上条の"右手"を拘束している。空いている景朗の左腕が伸びる。上条の抵抗はいよいよ激しくなった。掴まれれば終わりだと悟っているのだ。

 

 拳、蹴り、頭突き。苦し紛れに打ち込まれる攻撃を全て受けきり、ようやく。景朗は上条の腋を抱え、持ち上げた。

 

「うおおおおっ」

 

 焦っているのだろう。頭上で盛大に吠えられる。もちろん景朗はためらわず、彼をビルの壁に叩きつけた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「がっはぁっ、はぁっ、はぁっ、ぅ、待て」

 

 パラパラと、コンクリートの破片が舞う。地に倒れた上条はあちこち身体を痛めていた。どうみても立ち上がれる状態ではない。それでも構わず、声無き叫びとともに立ちふさがってくる。

 

 

 当然の如く察知する。離れた場所で眠りについている少年へ近づこうとしていたが、背後に冷徹な視線を飛ばす。

 

「まだ抵抗すんのか?本当に殺すぞ」

 

 上条は苦しそうに壁に寄りかかるも。景朗がどんなに殺気を出して脅しても、その瞳の奥。闘志の輝きは決して曇ることはない。

 

「暗闇だとか、そんなもん知らねえよ。だからってんな事にビビって、あの子を見捨ててたまるか」

 

「ああ?」

 

「オマエ、さっき俺には何もできないって言ったな。それは違う。目の前でひとつ起こるはずだった"不幸"を、この手でぶち殺せる!」

 

「いい根性してんなッ!死ぬまで殴り殺してやらぁッ!」

 

「うぐ!」

 

 既に、"幻想殺し"の影響からは逃れている。手加減はほどほどに、腹部に拳を打ち込んだ。上条は盛大に身をよじった。が、すく、と身を起こす。決意に顔を染め、正面から見据えてくる。

 

 やれるもんならやってみろ。そう表情が語っていた。

 

「勿論承知してる。俺なんかが世界一不幸なわけじゃない。見えないところで、世の中には沢山の"不幸"が転がっている。アンタが俺の何を知っているのか知らないが、俺が幸運だって、アンタにはそう見えるんだな」

 

「……」

 

「だったら、俺は幸運なんだろうよ。でもな、そんな幸運な人生を送ってきた俺だって、これでも色々な思いをしてきたんだ。俺程度が"不幸"じゃないってんなら、それでもいい」

 

 ぐらつく足元を気にもせず、両の拳を正眼に構え、景朗を射抜く。

 

「じゃあ俺より"不幸"だっていうテメエに訊くぞッ!」

 

 語調とは裏腹に、弱々しい上条の反撃を。

 

「らぁッ!」

 

 簡単に避け、仕返しに脇腹を打つ。

 

「ぐっ、が、ぁああ、テメエ!そこで立ち止まっていてどうする?"不幸"にあぐらをかいてて何になる?お前が"不幸"なら、あの子供を傷つけても許されるのか?

 

 お前の良心はどこにあるッ?」

 

「骨の髄まで正義ヅラかッ」

 

 胸ぐらを手繰り寄せ、頭突きを食らわせる。上条は意識を混濁させるも、口調ははっきりと答え続ける。

 

「オレより不幸だって言うんなら、お前はその分だけ悲しみや痛みを受け入れてきたってことだろ。例えそれが受け入れざるを得なかったことだとしても!」

 

 こんな奴の台詞を真面目に聞く必要なんてない。

 

「だったらわかってるだろうが!不幸を享受する人たちの苦しみや、助けを差し伸べる意味や、誰かに救ってもらえる幸福を!」

 

 殴る力が緩む。

 

「重要なのは、くそったれな状況に直面して、痛みを知って、悲しみを知っていけることだ。何故なら、人間は経験しなきゃ当たり前のことも実感できない生き物だからだ!そしてそっから、何をするかじゃないのか?!

 

 だからだよ。だから俺は、自分が"ツイている"なんて言われても嬉しくなんかない。自分から投げ出してみせる!」

 

 

 

 

 暴力を加える景朗の手が止まる。見つめ合い、意志がせめぎあう。

 

 

(実際に窮地に追い込まれてもいないヤツが、よく吠える!

 

 お前がそれを言うのか。アレイスターに見初められながら"幸福"にも、まっすぐと生きてこられた果報者が言うと説得力があるもんだな。

 

 なあ、正義魔マニアくん。なら、君ならどうしてた?俺と同じ選択を迫られたら、幻生やアレイスターに逆らうか?それでむざむざ敗北して、大切なものを失っていたかい?

 

 どちらにせよ、君は選択を叩きつけられていたとして。それでもそんな風に強がっていられるんだろうか。知りたいよ、上条当麻。そんな日は決してやってこないだろうけど。

 

 何が不幸だ?逆だ。"幸福"だったんだよ。だからこそ、そういやって正義ヅラしていられるんだ。

 

 お前は運が良かっただけだ。運良く、そのイカレタ右腕一本で解決できる、しょぼい事件に遭遇してきただけだ。図に乗るなよ。たかが"ツイてなかった"レベルの不幸を解決してきたくらいで、随分と偉そうに説教をカマしてくれるもんだ。

 

 

 てめえならどうしてたってんだ?軽々しく言いやがる!

 

 なんにも知らないガキの時分で、暗黒社会に飲み込まれていく恐怖。

 

 あの時、俺は自分の意思で、自分のエゴで道を踏み外したと思った。自分の能力が使われるだけで。ちょっとした頭痛、肉体的苦痛、ただそれだけを対価に、大金と幸福を得られると思って、のこのこ浅はかな選択をした。誰かに、無価値だと思っていた自分の能力を褒められて嬉しかった。本当に嬉しい事だった。

 

 自分を擁護する気持ちも皆無ではない。だが、今にして思えば。俺は最初から、目をつけられていたに違いないのだ。あの悪魔どもに。

 

 あの時、幻生の誘いに唆されず、自分の能力が日の目を浴びるかも知れない可能性を無残に切って捨てていればよかったのか?俺は子供だった。馬鹿にされ続けてきた"痛覚操作(ペインキラー)"が、なにかの役にたつかも知れないなんて。そんなの、宝くじに当たるよりよっぽど嬉しかったんだよ。

 

 

 きっと、俺は過去に遡ってやり直す選択の機会を与えられようとも。きっとあの時の馬鹿な道を何度も何度も選び続けたことだろう。

 

 そうさ。俺は馬鹿なんだ。愚かなんだ。なにか間違いをしでかしたあとで後悔をする。

 

 気づいているとも。自分がやっていることの、恐ろしさ。罪深さは)

 

 

 

 "人狼症候(レベル4)"になる前は生き延びるのに必死で、何も考える必要はなかった。相手と殺し合い、負けた方が死ぬ。だから殺してもいい。生きる伸びるために。死に怯える仲間を守るために。

 

 だが、"悪魔憑き(レベル5)"に到達した後では。殺人は変わっていた。変質していたのだ。

 それまでは、景朗が殺すか、殺されるか。その二択だった。

 今は違う。相手を殺すか、殺さないか。そのどちらかを自分が選択しなければならない。

 

 最早、生き延びるために殺す。その言い訳はできなくなっていた。

 だから考えさせられる。昔よりも尚更。

  『この殺人は何のため?』

 

 

(結局。馬鹿に生まれてきたのが罪だったのか?

 

 ああ、そうかもしれないさ!でもなぁ――

 

 てめえみてえなただの親切クンに、それ以上わかったような口は利かせねえ。悔しいんだ!お前なんかに言わせるか。喋る前に、その口を拳で止めてやる。

 

 目の前で説教を垂れるこいつが、どうしても気に食わない。力尽くでも黙らせたい。痛めつけてやりたい……

 

 良かったな、"カミやん"はアレイスターのお気に入りで!俺も一緒だけどさ!でもお前とはちがって、あいつに脅されてるんだよ!お前とは違ってさあ。いいよな、お前はそうじゃなくってさあ)

 

 

 景朗の全身に痺れが走った。上条の精一杯の反攻。力強く、"右手"で景朗の躰を掴んでいる。

 

「さっきあの子を助けるってほざいたな!それじゃあテメエが"助ける"んだな!?どうなんだッ!」

 

「ッ!」

 

 

 上条は震える両腕で、景朗のパンチを防ごうとした。その盾をぶち壊し、圧倒的な筋力で相手の顔に拳を叩きつけて。

 

 ガキリ、と奇怪な打撲音。上条はぐったりと、地面に横たわった。

 

 

 景朗はその様子を、もうそれ以上見ていられなかった。相手にするのも嫌だった。

 

 子供を抱えて、逃走した。上条はあきらめも悪く、這いずり、景朗を追いかけようとしていたが、到底追いつかない。彼の目に、うっすらと涙が光る。"不幸"を目前にしておきながら、打ち砕けなかった。その不甲斐なさが許せなかったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 どうしてこんなに心苦しい。今になって、上条を殴り倒した後味がひたすらに気持ち悪い。自分は悪くない。ちっとも悪くないんだって、開き直ってしまいたい。けれど、罪悪感は消えてくれない。

 

 原因はとっくに判明していた。ひとつ。命を奪ってきた人たちに、顔向けできないことがあるからだ。

 

 ……諦めている。景朗は、アレイスターや幻生に立ち向かうことを、とっくに放棄している。

 

 相手が強大だからと最初からさじを投げ、抵抗すらしていない。どういうふうにおもねり、怒りを買わないように動くか。そればかり考えている。

 

 ひたすら目を背け、彼らの言いなりになっている。あの時、胸を張って、少年を助けるとは言えなかった。

 

 

 

 布束砥信に頼み込み、暗部組織に自ら志願したこと。人を殺して金をもらおうとしたこと。とうの昔に後悔していた。

 

 てっきり、対峙するのは悪党が全てだと思い混んでいた。現実は違った。どんな世界にも、想像を超える事情を抱え、やむなくあがいている奴らがいた。丹生多気美のように。

 

 しかし。去年の梅雨。あの時。幻生の魔の手を避け、迅速に、大金を稼ぐ。そんな方法、暗部で戦う以外には残されていなかった。

 

 受け入れるべきだったのだろうか。皆とともに、荒廃する聖マリア園をおとなしく眺めていれば良かったのだろうか。

 

 

 

 今となっては、その考えも正しいのかわからない。例え、手を血に汚すのを良しとせず、奴らに反目しようとも。幻生やアレイスターが景朗を脅す手立てはいくらでもあっただろうから。

 

 幻生の言葉を思い出す。"超能力者"に成り立ての頃だった。

 

  "君が超能力者へ成り得ることは、過去の実験から既にわかっていたよ。

  五月の実験の時だ。『凡庸』な能力者は、『第一位』の演算特性を脳に貼り付けられると

  その『自分だけの現実』を受け入れるため、直ぐに抵抗をなくしていくものだった。

  数をこなせばこなすほど、よりはやく『第一位』の精神性を

  受け入れるようになっていったのだ。

 

  覚えているかな。君の場合は真逆だったね。

  徐々に、『第一位』の精神性に対抗できる時間が長くなっていっただろう?

  つまり、君だけだったのだ。彼の、『第一位』の『自分だけの現実』に

  真っ向からせめぎ合えていたのは。君は勘違いしていたがね"

 

 

 最初から、景朗は目をつけられていたのだ。一体何時からだろう。幻生の口ぶりから察するに、彼が低能力者(レベル1)だった時代以前からでも有り得そうだ。疑問が浮かぶが、それが重大な問題になる気はせず、別の考えが脳をよぎる。

 

 上条のふざけた台詞が、思考の内側で谺していた。

 

 良心を示せ――と。しかし、それは。

 

(勘弁してくれよッ。あいつらと敵対するってことになるんだぜ。あいつらなんだぞ。あんなにわけのわからない奴らなんだよ!)

 

 ああ。でも。これでは。全ての責任を幻生とアレイスターに押し付け、殺人に手を染める。都合の良い殺人者の戯言と何が違う。……悪党じゃないか。こうやって自分で自分の行動にすら、納得していないんだから。

 

 

 

 

 口では、頭の中では後悔していると言いつつも、その実、真逆の行動ばかりとってしまっている。アレイスターの下僕となってからは。今日の上条のように、必死に信じるモノのために命を懸ける奴らの前に立ちはだかり、殺したり、痛めつけたり、闇へ引きずり降ろしたり、そうしなければならなかった出来事に、今までに幾度も遭遇してきた。

 

 最近は特に多い。先ほどだって気が付けば、必死に子供を救おうとしていた上条を痛めつけて……。そんなシチュエーションばかりで。

 

 

 

 背中に眠りこけた少年の重みを感じ、嫌がおうにも上条の姿を思い出す。少なくともあいつは、ボロボロになるまでこいつを助けようと藻掻いていた。

 

 上条なんかには、状況を打破できない。少年を救うことなんてできない。景朗はそう考えて、奴を殴って、少年を奪い取った。

 

 結局、何も知らないあいつにあんなにも暴力をふるってしまった。

 

(……上条、あれじゃ病院送りだな。任務失敗か?素顔も見られたし、アレイスターにどやされるな。もう後悔しても遅いけど)

 

 これからどうする?あっさりと木原数多にこのガキを引き渡すか?

 

 それじゃ、あの暴力は何のためだったんだ?

 

(最後の最後で、それは……ダッセエなぁ)

 

 

 

 

 

「…………くそが」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ?もう一度言ってみろ?今なら聞かなかったことにしといてやるぞ?」

 

「別に聞こえてただろうに。何度でも言うさ。"ガキどもは俺が引き取る"って言ってんですよ」

 

 木原数多は景朗の突然な奇怪発言に、理解が追いついていない。

 

「俺が連れてく。構成員だった奴らとは別だ。明らかに"カプセル"って組織の意味すら分かってなさそうな4人のチビどもは、引き取って身内にする。あんたは知ってるだろ?俺が身内にだけは絶対に手を出させやしねえッてことを」

 

 待ち構えていた通りに、蔑みが純度100%に含まれた冷たい目つきが伺える。

 

「良ぉくわかった。遂にテメェをぶっ殺せる日が来たってことだろ?」

 

 トレーラーの荷台に積んであった無骨なショットガンを手に取り、その銃口を子供を背負った青年へと向ける。

 

「それで気が済むんなら、好きなだけ撃てばいい」

 

 銃を突きつけられた景朗は子供を庇う様に背負い直し、悠々と切り返した。歯がゆそうに銃を元の場所に投げ、木原は犬歯を見せつけて唾を飛ばす。

 

「連れてくってどこにだ?そのガキどもが収容される施設はとっくに決定してんぞ。頭の悪い事言い出すんじゃねえ、"三頭猟犬"」

 

「へえ。じゃ、教えてくださいよ」

 

 

 彼の要求は無視された。木原数多は通信機のスイッチを入れ、撤収作業のGOサインを出した。子供達だけをのせた"猟犬部隊"のバンの、エンジンが唸る。

 

 景朗は片腕を伸張させ、がしり、とそのバンの下部を掴む。車体を浮かせ、発進を妨害させたのだ。その間に、同時にもう片方の空いていた腕も、するりと木原数多の端末のひとつへ伸び、素早く奪い取っていた。

 

「あんまし舐めるなよ、クソガキ」

 

 複雑な配線だらけのグローブを手に、木原は神妙に敵意をあらわにする。

 

「舐めてるのはそっちだ。俺は本気で言ってんだ」

 

 子供たちの行き先を調べると、奇妙な事実が判明する。4人とも、暗部関連の牢獄とも呼ぶべきクソッタレな研究施設へ送られるのは共通していた。しかし。

 

「ひとりだけ"虚数研"に送られるのはなんでだ?それに、残りの3人は"特力研"って。どういうことだよ?"特力研"はもう存在しないだろ?」

 

「……馬鹿なんだからよ、難しく考えてんじゃねえよ。"存在しない施設に送られる"っつーのは、そういう事だ。使えねえガキは金をかけるだけ無駄だって――」

 

 その説明に奥歯を一瞬噛み締め、割り込むようにすぐさま疑問を呈す。

 

「ガキどもは全員、まだ録に"能力開発(カリキュラム)"も受けてない"無能力"と"低能力"の有象無象だぞ。どうして今の段階で子供たちの才能を判断できるんだよ?」

 

 不機嫌そうな木原数多であったが、不思議と口をつぐんでいる。違和感を感じる態度だ。普段の彼ならば、今のような景朗の物言いには必ず苛立ちそのままに言い返してきているはずだった。

 

「……ッ。薄々気づいてたけど、やっぱわかってんのか、お前ら……」

 

「さっきからピーピーとうるせーぞ小僧!」

 

 ギチギチと握り拳の音を立たせ、景朗の元へ躙り寄る。

 

「いい加減に車を降ろせ。オレに逆らってんじゃねーぞ」

 

 威嚇されようと、命令を無視するように睨み返す。引き絞られたその場の緊張が、数人残っていた他の隊員たちを寄せ付けずにいる。

 

「第一よお、テメェ、ガキどもを拾ってどうする?ここできっちり"見せしめ"やらねーと、後々尾を引くぞ」

 

「そうかな?」

 

「あぁ、そうだそうだ。それこそあれだ。"予防"になるぞ、オイ。ここで甘い沙汰を下してよぉ、これから幾度となく、今回みたいなテロの真似されてみろ?もっと被害が増えんぞ?だからよぉ、これは予防策だ。やらなきゃ被害が増加する。先を見据えて行動しなきゃなぁ、偽善者クン」

 

「……ああ、その通り。俺は偽善者みたいなんで、ガキんちょたちは連れてかせてもらう」

 

 木原数多を、正面から堂々と睨みつける。

 

「ここで俺たちが黙ってりゃ、ガキどもは死んだも同然だ。それに、"カプセル"は報復できっちり潰された。挙句、人的被害はゼロだったんだろ?誰も本気で関係者どもを恨んで、復讐に血眼になってくるような連中なんて居ないはずだ。仮に。多少、気に食わない結果になったと感じた奴らがいたとしても。そいつらはわざわざこの俺に、"アレイスターの懐刀"に喧嘩を売ってくる馬鹿だろうかね?」

 

 事此処に至っては、すんなりと景朗が納得するとは思っていなかったらしい。眉をアンバランスに釣り上げ、いよいよ木原数多は振りかぶる。

 

「お前、アレイスターに許可はとったのか?」

 

 効果は抜群だった。完全に、目の前で木原は停止した。

 

「そもそもさ、この件に関して俺になにかいいきかせたけりゃあ、まずアレイスターの許可をとってこいって話だ」

 

 "アレイスター・クロウリー"の名は、学園都市の闇に住まう奴らにとって、それも深淵に近ければ近い所に位置する奴らほど、特別な効力を発揮する。

 

「テメェはどうなんだ、あ?」

 

「自分で確認するといい。無駄になると思うけどな?……この街で、本当の意味で俺を脅せるのはアレイスターだけなのさ。俺に命令できるのもアレイスターだけ。ここにはお前の代わりなんて腐るほどいるが、俺の代わりはそうはいねえ。だろ?」

 

 アレイスターはきっと、今回の景朗の行動に興味を示さないだろう。ガキどもが死のうが生きようが、あのモヤシ野郎にはどうでもいいことだ、どうせ。心配なのは唯一、"幻想殺し"に手を出してしまったことだけ。

 

「ふ」

 

 景朗の口元が緩み、笑みをこらえた吐息が漏れ出た。

 

 それにしても、初めての経験だった。まさか、アレイスターの名を代紋代わりに使う日がこようとは。へんてこで、予想外で、至極愉快な気分にさせられる。景朗はにこやかに、笑いをこらえていた。

 

 ぷるぷると震える、木原数多。それも無理はない。景朗はアレイスターの名を出し、ここまで気分爽快な面持ちとなったのだ。彼は全く逆の心境となろう。

 

「調子に乗るなよ。アレイスターの"家畜"!テメエは犬ですらねえ。獲物を追い掛け回して忘れてるみたいだなぁ。テメエは牧羊犬ですらねえんだよ。アレイスターに骨まで利用される"家畜"だ。家畜同士、せいぜい傷を舐め合って自慰行為を楽しんでろ」

 

 寄せ、やめろ、と心の底から小さく声が聞こえてくる。しかし、その日は色々なことがありすぎた。大変な一日だった。景朗の抑えも、どうしてか緩くなっていた。

 

「もちろんさ!忘れた時なんか一瞬たりともねえよ!家畜か!いいだろう。じゃあ俺が家畜なら、お前はいいとこ牧羊犬だな。良くてこの群れのボス犬の犬っころだ。自分で言いだすとはよくわかっていらっしゃる。吠える吠える。なるほど。負け犬ほどよく吠えるって、こういうことか」

 

 胸ぐらを掴まれ、引き寄せられかける。しかし、体重400キロを超える景朗の躰を動かす力が、常人にあるはずもない。

 

「はっはっは。勘弁してくれよぉ。……俺の本命はオメェじゃねえってのによ!」

 

「面白え。殺して見せてくれ。本当にできんなら是非ともやってくれよ。俺だって知りたいんだ。どうやったら俺は簡単に死ぬのかってね。いいお勉強になる」

 

 一層、木原数多の眼光は細まり、鋭くなった。荒々しく景朗の襟を外し、静かに後退する。急なテンションの変わりように、景朗は初めて身構えた。

 

「クソガキ。それで救ったつもりか?虫唾が走るぜ。ああ、ああ!我慢ならねえなぁ、テメェのオナニーズラを見せつけられんのはなァ!」

 

 景朗の手にあった端末を奪い返し、何かの情報を引き出し、すぐさま投げ返してくる。

 

「なあ、お優しいケルベロスクンよぉ。そんじゃテメェはきちっと覚えてんだろうな?ちっと前に自分で殺したテロリストの名前くらいよぉ?」

 

 言われて、端末のディスプレイを覗き込む。そこには四ヶ月ほど前、その年の三月に景朗が請け負ったテロリストの一掃任務の報告書が映されていた。

 

「テメェがヤった奴らの中に、見覚えのある苗字があるな。嘴子緩一(くちばしひろかず)」

 

 かつてないほどに、にこやかに笑う木原数多。

 

「こいつ、今日死んだガキのたった一人の身内だったみたいだぞぉ?」

 

 返事は無かった。景朗は新たな事実の出現に呆然とする。端末を超速でスライドさせ、暗部の情報部の調査結果を猛然と飲み込んでいく。

 

「嘴子千緩だっけか?このガキ、身寄りがなくなっちまってたらしいなぁ、テメェのせいでよ。かかか、ヒャハハハハ!ま、良かったんじゃねえ!?お前が今日親父んとこめがけて、地獄へ送り出してやったんだからな」

 

 木原なんてどうでもいい。四か月前の任務の報告書に続き、今日の事件の調査報告の結果も探していく。今すぐに知りたかった。

 

「ウィルス使いのガキが死ぬ前に白状したんだってな。もともと、このガキの"復讐"が発端で今日の事件が計画されたんだってよぉー?」

 

 暗部の調査報告、本日のウィルステロについて。そのファイルを開く。今日の夕刻に、産形茄幹は各種臓器の機能疾患で死亡したとある。

 

(死んだ?……あとで会いに行くつもりだったのに……内蔵の機能疾患……?)

 

 死の直前まで行われていた尋問で、彼は伝えていた。

 

 今回の事件の始まり。それは嘴子千緩の復讐計画が大元になっていた。報告書には、何とも簡単に数行でまとめられている。

 

 "三頭猟犬(ケルベロス)"に唯一の肉親を殺され、天涯孤独の身となった元"風紀委員(ジャッジメント)"の少女、嘴子千緩。父親の残した情報から、彼女は犯人を特定した。そこで描かれた、学園都市上層部にテロを仕掛け、アレイスターとその手下"三頭猟犬(ケルベロス)"に報復する、儚い夢物語。

 

 そのために。"三頭猟犬"を殺傷し、テロを成功させるために、爆弾や各種ツールの協力を"カプセル"に仰いだのだ。見返りに、産形の"ウィルス"を引き渡すことを条件に。

 

 

「理解できたか?な?テメェが今回の件でいい子ちゃんぶるのは変だろ?プッ、クッ、ククッ、フハハ。にしてもひでえな、オイオイ、嘴子一族根絶やしにしちまってるよ。オレでもそこまで外道なこたァやらかした記憶はねえなぁ?フフ、フハハハハ!」

 

 表情を凍らせている景朗に改めて近寄り、その肩に手をかける。背中におぶさった、子供の寝顔を、まるで虫ケラでも見るような表情で。

 

「よぉくわかったろ。もう遅せえって。んなちっちぇえことちまちまやったって、今更意味ねえだろ」

 

 木原数多は満面の笑みを景朗に見せつけた。

 

「ちんけなオナニーはみっともなくて見てらんねえってことだ。……やめとけよ」

 

「……それでもやるぜ。止めたきゃ力尽くで止めろよ」

 

 わざとらしい、小さなため息が聞こえてくる。意気消沈した景朗の様子にだいぶ満足したようだ。

 

「あっそ。もういーわ。そんじゃ好きにしろ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 景朗は眠りについている子供たちを連れて、とある暗部御用達の技術屋、"洗浄屋"の所に直行した。

 

 "記憶洗浄(メモリーローンダリング)"。

 所謂仕事上の源氏名だろうが、それが今回世話になる"催眠能力者(ヒュプノーシス)"が公表した能力名だ。

 

 暗部で任務に従事しなければ、存在すら知らなかったであろう業界人たち。彼らは皆、色々と後暗い仕事をするものたちに都合の良い商売を提供してくれている。

 

 金に見合った仕事をしてくれるし、信頼も厚い。でなければ、すぐに殺される危険な仕事だ。

 

 

 景朗の目的は既に達してあった。高い洗浄料を支払い、4人の子供たちの今日一日の出来事を忘れさせ、新しく、都合の良い嘘の記憶を封入しやすいように調整してもらっていた。

 

 

 週明けからは七月。この季節、六月の終わりは年間で最も太陽が顔を出している時間が長い時期だが、とうに空は暗く、夜の帳は下りきっている。

 

「心配しなくていい。先方は絶対に断らない。……わかった。一報、連絡入れといてやるよ。ダメだったら連れて帰ってきてもいいから、やってくれ」

 

 馴染みの詐欺師に連絡を入れて、4人の子供たちを今から聖マリア園へ連れていくように頼み込む。

 依頼の相手は、裏切られたらいつでも速やかに手を下せるよう完璧に足元を抑えてある人物だ。そうでなくとも今までの景朗の頼みを全て堅実にこなしてくれている。軽く信頼を置いている業者だった。

 

 しかしながら、今回の景朗の頼みは、夜間に突然押しかけ子供4人を強引に引き取らせてこい、という無茶苦茶すぎる要請だった。相手はしばし対応に弱っていたが、強く押し通した。

 

 今日一日酷使したケータイの画面を確認する。バッテリーが切れる寸前だ。無理もない。今日は早朝からずっとずっと、誰かと通話していた。

 

 クレア先生へ電話しようとボタンを押しかけて、景朗は寸前でそれをやめる。

 

(先生が夜中に子供たちを追い返す訳が無い)

 

 クレア先生の声は聞きたい。でも、そんな気になれない。

 

「免許もってないけど、反射神経だけでなんとかなったなぁ」

 

 子供たちを運んできたバンの運転席に深く座り込み、大きく息をついた。いつものごとく、躰は微塵も疲れていない。でも、精神は一刻も早い休息を求めている気がする。

 

 その日は次々とトラブルが続き、録に落ち着ける時間がとれなかった。ここにきてやっと、ゆっくりケータイを確認できる。

 

 夕刻。丹生や手纏ちゃんから着信やらメールが届いていた。急ぎチェックしようと手を動かすも、おあずけを喰らうように電源が落ちてしまった。

 

 続きは帰ってからでいい。やっと家に帰れる。電話をしまう、その手が止まる。最後に厄介な問題を思い出して冷たい汗が吹き出した。

 

 カミやんとの一件は本当にマズい事態になるかも知れない。憤怒に身を委ねていたとは言え、深刻な怪我をさせぬよう、あれでも加減はしたつもりではある。

 

 景朗は意味もなく平静を装っていたが、内心では不安をはためかせていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 第七学区の自宅へと、やっとの思いで帰ってきた。通常の住宅地区は闇とともに静けさを増していくものだが、彼の済むその辺りは少々事情が異なっていた。

 

 治安の良くない地域は逆なのだ。一般的に日が傾き出してから徐々に人気に活気づき、深夜にその勢いがピークに達していく。

 

 早朝など目も当てられない。人っ子一人、通りを歩むものはいない。健全な市民は朝起きて夜寝るものだが、不良(スキルアウト)どもは反対だ。夜起きて、朝に寝る。

 

 中にはちゃんと昼間に活動し、狩り(カツアゲ)に精を出す者共もいるようだが。

 

 故に、夜行性の野生動物が闊歩するジャングルのように、景朗のアパート周辺では今この時こそ、住人たちは目を覚まし、コウモリのように忙しなく徘徊するのだ。

 

 "朝飯"を調理する様々な生活音と生活臭が、景朗の鼻をヒクつかせる。その中に、とりわけ景朗の気を引くものがあった。すこしだけ懐かしい気もする、濃厚なバターの匂いに、焼けたクッキーの香り。今日は珍しい。一体どいつがこんなファンシーな真似をしてくれている。

 

 

 

 

 

 彼はアパートの前までやってきて、はたと立ち止まった。彼の自室玄関の前に突っ立つ人影のせいだった。

 

 何故、この時間帯に手纏深咲が、玄関の前で待っている?

 

 ポケットの中、電源の切れたケータイをまさぐる。メールくらい、先に読んでおけばよかったと景朗は後悔した。

 

 如何用なのだろうか。見たところ、彼女一人の様子。一人でやってくるということは。突っ込んだ話をしに来た、そういうことなのだろう。

 

 いくらでも予想はつく。といっても、結局は一つの問題に収束するだろう。

 

 景朗がLevel5だと露見し、それ以来どこかギクシャクとしていた火澄たちとの関係。そのいざこざに、人知れず終止符を打ちにきたのだ。彼女はきっと。あれでいて手纏深咲は、想像の埒外の大胆なことを突拍子もなくやってのけてみせる娘だ。

 

 後悔は後からするものなので、仕方がない。覚悟を決めていけ。そう自分に言い聞かせ、アパートの前で足踏みしている景朗。その時点で覚悟ができていないじゃないか、と突っ込むものはいなかった。

 

 

 まごついている内に。突然アパート3階の別の部屋から出てきた住人に、手纏ちゃんが絡まれ始めた。景朗は勢いよく駆け出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ね、もうちょっと顔良く見して?」

 

「いえ、あの……い、嫌、です……」

 

 その野郎は、景朗が"クサメタル"と勝手に名づけて呼んでいる、隣室のさらに隣の住人だった。そいつは部屋に居る時は日がな一日中、クラシックとヘヴィメタルが合わさったような、独特の曲調の曲をガンガン吹き鳴らし、睡眠の邪魔をしてくる困りものだった。

 

 とはいえ、"クサメタル"の部屋は2つ離れている。異常な聴覚を持つ景朗でなければ聞こえていないレベルの音量である可能性もあり、文句を言ったことは今までなかった。……そのはず、だったのだが。

 

 

「なんか用?」

 

 ぬっ、と手纏ちゃんの背後から顔をだした。景朗の顔を一目見た"クサメタル"。彼は瞬きひとつの短い時間、ぽけーっと景朗の顔を眺めると。

 

「え、ちょ、おい!?」「きゃっ」

 

 血相を変え、アパートの共用廊下の手摺を乗り越え、3階だというのに躊躇なく1階へと身を踊らせていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 手纏ちゃんと2人して目をぱちくりと見合わせる。奇妙な空気が流れていた。しかし、居心地は決して悪くはない。

 

 ニコリと笑みを浮かべ、手纏ちゃんは可笑しそうに顔をほころばせた。

 

「なんだか、最初に景朗さんにお会いした時のことを思い出してしまいました。それはそうと、あの方に何かヒドイことをされてたんですか?」

 

 すぅっと、手纏ちゃんはそう口にした。その口調はそっくりそのまま、彼女と火澄、その2人とギクシャクしだす前の雰囲気に戻っていた。

 

「……はは。そういやそうだね。中1だったから、3年前か……、確かに、あの逃げっぷりはあん時思い出すかも。ってぇ!いやでも俺、"クサメタル"には何にも酷い事なんてしてないよ?ほとんど話すらしたことないし……あ、"クサメタル"ってさっきのあいつのことね」

 

「くさメタルさん、ですか?」

 

 やはり彼女が存ぜぬ単語だったようだ。興味津々なようで、どこか不思議そうな顔を向けてくる。図らずも彼女にまたひとつ、いらぬ知識を授けることになってしまった。

 

「あー。俺がつけたあいつのあだ名なんだけど、もともと"クサメタル"って言うのは俗称で、メタル系の音楽のジャンルの一つなんだ」

 

「そうだったんですか」

 

「うん。今度曲教えるよ。そんであいつさ、暇さえあれば家で"クサメタル"を吹っかけてるんだよ……奴が昼夜逆転生活してるせいもあって、それがよく、ちょうど俺が寝る時の邪魔になってね。だからあいつのあだ名、"クサメタル"」

 

「こ、今度、お聞きしてみたいです」

 

 ……全く、なにをアホなことを抜かしているんだ。瞬時に後悔で埋め尽くされる。手纏ちゃんは話を理解できていない。一生懸命に相槌を打とうとしているところは可愛いくて最高なのだが、それもまた景朗を追い打つ材料になりかけている。

 

「……あ、の……急に押しかけてすみません、景朗さん」

 

「ああいや、こっちこそごめん。忙しくてケータイをロクに見れてなかったんだ」

 

「いえ、私が……お会い、したかっただけなので」

 

 ごくり、と息を飲む。ついさっきまで顔を上げていた手纏ちゃんだったが、今は昔のように顔を俯かせている。

 

「手纏ちゃん、そのー、今日は……う、そうだ。とりあえず中に入ろう」

 

 鍵を探してポケットをごそごそと探る。

 

「だ、大丈夫です!今日はこれを……その、クッキーを焼いたんです。是非景朗さんにもお渡しできればと思って……それだけなんです」

 

 手纏ちゃんはガサゴソとバッグに手をいれた。バッグの口が開いた瞬間、その香りとともに懐かしい記憶が蘇ってくる。

 

(そうか、これ昔、火澄が作ってたクッキー……あいつが失敗してた頃の、生焼けの匂い……だからこんな懐かしいのか)

 

「あ、あの、今日は突然押しかけたので、長居は致しませんから!火澄ちゃんも心配します、から」

 

「俺のことは別に気にしないで。話したい事あるからわざわざ来てくれたんだよね?」

 

 景朗の言葉に、手纏ちゃんは手を動かすのをやめた。

 

「来週から7月になってしまいますよ、景朗さん」

 

「……早いね。でも確かに、この頃はそんな雨も降らなくなってきてるなぁ……」

 

 手纏ちゃんはじろーっと、ほのかに恨めしそうに見つめてくる

 

「……ですから今、テスト勉強のまっ最中です。少しも学校に来ない景朗さんとは違って。い……一体、毎日どうされてるんですか?」

 

「俺だって遊び呆けてるわけじゃないよ」

 

 質問にははっきりと答えずに、濁す。そんな景朗の反応に、彼女は意外にも、その日は微塵も物怖じしなかった。

 

「最近、予想外なことばっかりです。景朗さんがLevel5だったり……急によそよそしくなったり、色々と……。景朗さんはご存知ですよね。私が学舎の園を抜け出して長点上機学園に入った理由を。それは……それは、火澄ちゃんだけが理由じゃありません」

 

 少々薄暗くとも、景朗の視力ならばはっきりとわかった。彼女の顔や耳が徐々に赤くなっている。

 

「景朗さんとだって、もっと一緒に……っ!その……ん、んん。……こんなにも学校でお会いできないとは思ってませんでした。学校のクラスが違っていてもテスト勉強ならご一緒できますよね?わ、私は、したいです。是非とも」

 

 四月、"第二位"と戦ったあの日から。とりわけ関係がうまくいっていなかったのは火澄の方だった。手纏ちゃんとは彼女と比べれば多少はましであった。だが、常に火澄の傍にいるが故に、手纏ちゃんからのお誘いなどには否定的な返事ばかり返してしまっていた。

 

 照れるような内容を押し通し、頬を紅潮させつつも、しっかりと目を見て話をしてくれる。今日の手纏ちゃんは一味ちがった。

 

「実はね、俺、テストは受けなくてもいいんだ。あとそれだけじゃなくて授業も全部免除されてる。開発もね」

 

 疑問が発せられる前に言い切ろうと、手纏ちゃんの動きを止めるように口を開く。

 

「要するに、もうレベルが天上に届いて頭打ちになってんのさ。学校側もそんな俺に対してまともなカリキュラムを用意できない状況らしい。だから何も課題を与えようとしてこないのさ。だってそうでしょ?そもそもこの街が定義すらしていない曖昧な"Level6"を闇雲に目指せ、なんて誰も言ってこないよ。学校側はLevel5が在籍してるだけで満足してくれているみたいなんだ」

 

「で、でも!学校が指導してくださるのは"能力開発"だけではないでしょう?それで景朗さんのキャリアは大丈夫なんですか?」

 

 ふわりと脳裏をよぎる。"先祖返り(ダイナソー)"、"不老不死(フェニックス)"等々。"超能力者"として能力を制限して活動している表向きの"雨月景朗"には、いくつかの選択肢があった。そこそこの大金と、暗部と癒着した企業郡との薄汚れた将来が彼を手ぐすね引いて待っている。

 

 それに加えて。

 

「……少なくとも就職先には困らないかな」

 

 "猟犬部隊"、薬味久子、トマス=プラチナバーグ、木原幻生、アレイスター・クロウリー。わお、そうそうたるメンツだ。やっべえな、俺。悪そな奴らとは大体トモダチ……どころかビジネスパートナーだったりしちゃうのか。

 

「そう、なんですか。でしたら、これ以上この件には口を挟みません。景朗さんには既にやりたい事がお有りなんですね……」

 

 彼の口ぶりから、ある種の覚悟を感じ取ったのだろう。手纏ちゃんは微かにたじろぎ、寂しそうに呟いた。

 

 そんな彼女の言葉に、景朗は景朗とて自問自答する羽目になった。

 

(やりたい事?まさか、冗談キツすぎる。頭イカれてるぜ。こんなことを永遠に続けるくらいなら、いっそ死んで……)

 

 それは、嘘だ。だったらとっくに自害していなければならない。自分が真にやりたいこと。一番やりたいことはなんだろう。

 

(考えるまでもない。普通の生活送りたい。暗部なんて関わりたくない)

 

 だがそうあっても、同時に。運命というものの存在も否定できないのかもしれない。運命というよりは、宿命、という言い方がよりふさわしい考えだ。諦めが、景朗の心に薄ぼやけて現れてくる。

 

 すなわち。一度"超能力者"となってしまった人間には、平穏は二度と手に入らない。裏で蠢く学園都市の暗黒を目にすれば、漠然とそう感じてくるのだ。

 

 景朗が入手した他のLevel5たちの現状からも推察しても、第七位以外は皆どこかしらか、この街の闇の匂いが漂っている。

 

「いいや、さっき言った就職口が"やりたい事"だなんて、口が裂けても言えないな」

 

「は、い?」

 

「確かに学校には行かないとまずいかもね。このままじゃ"本当にやりたい事"はできなくなってしまいそうだ」

 

 セリフを全て聴き終えるまで、彼女は呆然と話を聞いていた。

 

「だったらどうしてっ?」

 

「今は他のことに煩わされてていっぱいいっぱいなんだ」

 

「違い、ます……違いますっ!それだけじゃないはずです。わた、私たちのことが嫌いになったからですか?避けてますよね!景朗さん、どうして私たちを避けるんですかっ!?まだ私たちを許してくれないんですかっ?!そうであれば――!」

 

 これほど長い間、彼女と視線を留め合うのは初めてだった。並々ならぬ気迫から、手纏ちゃんの振り絞った勇気と自分に向けられる熱意が受け取れる。適当な嘘をついて誤魔化すのに、心底嫌気が刺した。

 

「手纏ちゃんが言うとおり、避けてはいたよ。けど、それは2人が悪いわけじゃない。ただ単に、俺がそうしようと思って、そうしてただけ」

 

 ぐっ、と彼女の両手に力が入った。微かに筋肉が軋む音が聞こえ、その動きを感じ取れていた。

 

「……そうです。悪いのは私たちじゃありません。非道いです!解ってくださっていたのに!きっと知っていてわざとされているんでしょうけど、火澄ちゃんは……あれからずっと、見たこともないくらい消沈しているんですよ」

 

「だろうね」

 

「火澄ちゃんはどうすればいいか解らないんです。何時だって、景朗さんが悪い時は、あいつの方から必ず謝りに来てくれていた、ここまで頑なに拒絶されるのは初めてだ、って。……今回の件は、どう考えても悪いのは景朗さんの方じゃないですかっ。私だって何も思い浮かばず、行動できずにいて……」

 

 聖マリア園で、火澄とは姉弟のように育ってきた。小さい頃の記憶を手繰れば、幼少の頃に彼女と小さなことで喧嘩していた事や遊んでいた事を真っ先に思い出す。

 

 仮に、仄暗火澄が景朗の知らぬ間に"超能力者"に到達していたとして。景朗が彼女にしでかしたように、それを最後の最後まで秘匿されていたとなれば、景朗とて強大な衝撃を受けずにはいられないだろう。ましてや、あのように火澄と手纏ちゃんの2名を巻き込むような事態に発展する可能性を含んでいた案件でもあったのだ。

 

 無言で聴きづつける景朗の様子に、手纏ちゃんは何かに気づいたようにはっ、と表情を一変させた。一切の怒りや情動の兆しを消し去り、再び、真剣に景朗へと向き直った。

 

「すみません!」

 

 突然の謝罪。疑問符が現れる。

 

「?」

 

「すみません!違うんです!今日は景朗さんを責めるつもりで来たんじゃありません。そ、う、です。そうです!さっき言いました。景朗さん、もう七月です。夏休みが目前ですよ!」

 

「え?」

 

 急に変わり始めた話題に、軽く疑問の声があがった。手纏ちゃんは精一杯、場の空気が変わるように、人差し指で数字の位置を作り、くるくると宙で回す。

 

「この話は忘れましょう。今お話すべきは、夏休みのことだけでいいんです。なんといっても、高校生として最初の夏休みですよ?高校一年の夏休みは人生に一度きりだって、火澄ちゃんも言ってました。私はこのまま何とはなしにお休みが過ぎていくのが嫌だっただけなんです。前みたいに仲良く、夏休みはまた一緒にどこかへお出かけしましょう、って、今日はそもそも約束を取り付けに来るだけのつもりでした。すっかり忘れていました」

 

 うっすらと目元を赤くして催促してくれる手纏ちゃんに、吐き出されそうになっていたでまかせや誤魔化しの嘘が塞がれていた。話をシャットアウトするように、とうとう口を開く。

 

「前にも言ったよね。2人には何の非もないって。本当に本当だよ、2人ともちっとも悪くないよ。そのことはとっくの昔に言っただろう?……でも悪いね。俺は今更、そのことについて謝り直す気はないんだ。形だけだったけど、2人には一応謝罪した。それで十分だと思ってる」

 

「っ」

 

 手纏ちゃんは覚悟するように息を呑み込んだ。

 

「2人を巻き込んだのは、謝ってどうにかなる問題じゃないって気づいたんだ。だから……」

 

 なんと話せば良いか浮かばず、言い淀む。

 

「"レベル5"の方々との争い、ですか?」

 

「そうさ。……本当のこと言うよ。俺……それがいつ終わってくれるかわからないし、見当もついてない。どうやって解決すればいいかも全くわかってないよ」

 

 今度は彼女の両手に力が込められていく。握り締められたハンドバッグが潰れていった。

 

「それが理由なんですか?」

 

「俺、やっぱり甘く考えてたよ。あんなふうに想像もしないトラブルが起きてしまうもんだし、巻き込んでおいて今更だけど、俺といると危ないかもしれない…‥」

 

 未だに迷っている。自分と既に関わりがある以上、どのみち火澄は人質のように扱われることになる。綿密に連絡を取れる方が、なるべく近くにいるほうが彼女たちへ忍び寄る危機を早く察知できる場合もあるだろう。しかし、第二位は正にそこを突き、2人を襲った。

 

「一緒ですよ。私たちだって、景朗さんを心配していないとでもお思いですか?」

 

「これは俺だけが負うべき問題だから関わって欲しくない」

 

「嫌です。その間、景朗さんが苦しんでます」

 

「ありがとう。でも俺なら心配ないよ。それに、そのうちきっと――」

 

「そのうちってどのくらいですか?」

 

「ごめん。どのくらいかはやっぱりわからない」

 

「そんなに長い間、ほうっておけません」

 

「大丈夫だって、別にさ」

 

「……それでも、関係を終わらせたくありません」

 

「関係が終わる?何でそんな言い方になるの?」

 

「今の状態のまま時間が過ぎれば、景朗さんと疎遠になってしまう気がするんです。そんなの嫌です。は、離れたくないんです!」

 

 その時少し、景朗と手纏、2人を包む雰囲気が変わった。どこか投げやりにも見える態度であった景朗の返事に、不満を滾らせていた手纏深咲。両名、会話に火がつき、熱がこもり始めていた。景朗はたった今、そう感じ取っていたはずだったのだが。

 

(一瞬で、手纏ちゃん顔が真っ赤、あれ?え?これ……?)

 

「離れたくないって、いや、ちょっと嬉しいけ――」

 

「だ、だからっ!もうっ!好きだからでズッ!私、はっ、か、景朗さんのことが好きなんです!」

 

 手纏ちゃんの顔面が思わず心配するほど大変なくらい急激に紅に染まるもので、景朗はうっすらとドギマギしていた所だった。

 

  "ねえねえ、どうだったあ?彼女、あなたに告白するつもりだったみたいなのだけど。ちゃんと告白してもらえたの?"

 

 

「だから、あの、傍に居てもいいですか?あ、ああ、あの。あの、これこっくはくです。すぅぅ、ふぅぅ。……告白でしゅ」

 

 噛みまくりで、自分でも慌てて落ち着くように息を吸って吐いて、それから、改めて発音して。それでも最後にまた噛んでいた。それでも、意味は違いなく通じている。

 

「……ま……え?本気?」

 

「そおです」

 

 立ち尽くす景朗に対し、耳まで異様に赤くした手纏ちゃん。緊張のピークも通り過ぎたのだろう。無表情にも近い、すこしだけ怒りを備えた真剣な顔つきで、ただひたすらに景朗の顔を眺めてくる。

 

 彼女は今、怒りが羞恥を上回っているのだろう。しかし、このように怒気を孕ませて告白することを彼女が望んでいたとは思えないような、そんな話の流れだった気もする。

 

 それを裏付けるように、手纏ちゃんの表情から、少し後悔のにじみ出ているような気持ちも伝わってくる。それでも、景朗から本音を聞きだすために決行してくれたのだろうか?

 

(信じられねえ。まずい。早くなにか言わないと)

 

 だが、こればっかりは能力でもどうにもならなかった。咄嗟に言葉を返せない景朗の態度に、手纏ちゃんは後ろ向きな答えを想像したようだった。

 

「あ、あ、あの、大丈夫です。すみません。私、知っていたんですけど。景朗さんにこういうことを言えば、きっとお困りになるだろうなって予想していたんですけど。ですから、大丈夫です」

 

「待った待った!勘違いしてる、嬉しいよ、俺は、ただ……」

 

「大丈夫、大丈夫です。忘れてください!そのお顔で、全てがわかりましたから」

 

 彼女は泣きそうな顔で、声は震え始めている。堰を切ったように帰りだそうとしている彼女の様子に景朗は慌てた。

 

「どうすればいいんだよ?付き合うってなに?俺はまだまだ自分のこと子供だと思ってる。俺の相手したってたぶんなんにもならないよ」

 

 声を荒らげて、軽く走りだそうとしていた手纏ちゃんを呼び止める。

 

「でしたら私たちはいつ大人になるんですか?きっと、なろうと自分から踏み出さなければ、いつまでたっても変わらないはずです」

 

「でもそうやってってその結果何が結びつく?今の俺の状況で、そんなことしてどうなるんだって気がするよ。そんなのに煩わされる価値があると思う?」

 

「難しく考えすぎです!それに、まだ私も確かめていませんからわかりませんけれど、景朗さんのおっしゃる価値というものは最初から手に入るものじゃないと思います。きっと自分たちで育てていくものだと思います!」

 

「今の俺じゃ、そんなあやふやな物と触れ合ったって何者にもなりやしないよ!はっきりいってそんなのに付き合っている暇はない」

 

「それなら景朗さんがご自身であやふやかどうか確かめてください!わ、私はどんなことでも受けて立ちます!」

 

 手纏ちゃんは伸ばした手を胸に掲げ、勢いよく言い切った。彼女は興奮して景朗の直ぐ傍まで近づいており、間近で互いに顔を凝視出来ていた。

 

「へりゃ?それ、それって……っ?!」

 

「ああああ、ちちちち違いますよ?あ、ああああああのこれは――――く、クッキー!そうでした、景朗さん、クッキーを」

 

 彼女は後退しながらガサガサと再びハンドバッグをまさぐりだした。景朗は神速の速さでポケットから鍵を取り出し、鍵を開けてドアを開く。

 

「ちょい待ち手纏ちゃん!中はいろ?とりあえず中に入ろ?お茶入れるから、俺ら外だってのに話しすぎてるし」

 

「これです!これ、クッキーどうぞ!」

 

 景朗から距離を取るように腕だけを伸ばし、彼女は紙袋を差し出してくる。

 

「違うよ?ヘンなこと考えてるわけじゃないよ?ただもっと詳しく話を聞きたいだけ、純粋にそれだけ!だから、ねえ部屋で話しようよ?」

 

 彼女は一度視線を景朗へと飛ばすも、一瞬で逸らし、『言っちまったよー』とでもいうような表情を、この土壇場で初めて顕にした。

 

「いえ、もういい時間ですし、これでお暇させていただきます!かぁ、か、ぁぁぁ……火澄ちゃんが待ってますからぁ」

 

 彼女はぽとりと、景朗の腹部にクッキーを押し付けた。その細腕をつかもうと何度も思いかけるも、景朗は実行できなかった。

 

「でも話終わってないよ?!」

 

「すみませんー!」

 

 手纏ちゃんは共用廊下を走り出した。ちょうどそこへ、彼女を塞ぐようにぞろぞろと数人のスキルアウトたちが3階へと登ってきていた。あの人数であれば、手纏ちゃんは逃げられない。

 

「待って!マジで話だけだって!」

 

 クッキーを拾い追いかけていた景朗は安堵するも――。進路を塞がれた手纏ちゃんは、思いもよらぬ行動に打って出た。

 

 彼女は真横の手すりに手をかけ、足をかけ、身を乗り出して――あ、スカートがめくれて、見え……。

 

「うえ!待って、ちょお待ってっ手纏ちゃ、マジか?!」

 

 手纏ちゃんは手摺を乗り越え、3階から飛び降りた。着地の瞬間、彼女の足元から小さな竜巻が発生し、落下速度は驚く程弱まっていた。

 

 今更ながら思い出す。"火災旋風(ファイアストーム)"の片割れ、"酸素剥離(ディープダイバー)"。今は大能力(レベル4)クラスである。

 

 レベルアップに伴い、分子中の酸素原子を無理やり引き剥がし、物質を強制的に還元させ、そこから熱を引き出してセルフ"発火能力(パイロキネシス)"の真似事までできるようになっている。様々な現象に応用が聞くようになり、評価も高いと聞く。

 

 彼女は火澄と違いそれほど人前で積極的に能力を使用しないために、やはり珍しく感じてしまう。

 

 あっけにとられ、そのまま景朗は彼女の逃走を見守った。アパートの出口付近にたむろしていた数人のスキルアウトが彼女に興味を示し、近づくも。

 

「ふぎゃ!」

 

 突風に吹き飛ばされ、壁に激突していった。窮地に陥り、手纏ちゃんは能力を惜しみもなく使用しているみたいだ。

 

 間もなく、彼女は景朗の前から走り去っていった。

 

 同じく彼女の奇行を目的した3階のスキルアウトたちは、呆然とする景朗の様子に怯え、いそいそと部屋に入っていった。

 

「……くそが、"クサメタル"。今度会ったら垂直落下式DDTだ」

 

 八つ当たりを誓い、景朗はようやく家に入った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『――以上が、最終的なことの顛末だな。今のところは。オマエが言ったように、"憎悪肥大(ヘイトコントロール)"の能力は注目されていたよ』

 

「……そうか。それじゃ、生き残ったのは夜霧と、今大路って奴の2人だけか。色々ありがとな」

 

『オマエは知りたがると思ってな。それから……産形の死因の各種内蔵の機能疾患ってのは……要は、内蔵がスカスカになっていたってことらしい。栄養失調か、餓死か、そういった要因もあるみたいだな』

 

「……そっか」

 

 土御門の話に納得した。産形の死の原因。もっと早く疑問に思うべきだった。気づけたはずだった。

 

 産形は景朗が送った普通の人間の成分に酷似した血液でワクチンを培養した。ウィルスは彼の能力で莫大に増加し、その質量を増大させた。

 

 となれば、その質量はどこからきたのか?つまるところ、ワクチンとしてのウィルスが増加するために必要だった栄養は、どこから用意したのか。

 

 "内蔵がスカスカだった"とくれば、つまりはそういうことなのだろう。死ぬ気でやってみせる、と語っていた産形はそのまま、とうの昔にその言葉を実行していたのだ。

 

(なんだよ、それじゃ、あいつ、熱にうなされたたようにブツブツ言ってたのは……俺に一生懸命話しかけてたのは、遺言みたいなもんだったのか)

 

 結果はどうであれ、ただひとつ確定的に言える。

 あいつらは自分のしでかしたことに対して、命を懸けて償おうと行動した。言葉に違いなく、文字通り。最後には命を費やしてみせた。

 

 だが、この街では、どうやら。彼らの死後に残るのは"無差別大量殺人の未遂犯"、という汚名だけになりそうだった。

 

『奴は死ぬ前に、オマエに礼を言ってくれ、と言っていたそうだ』

 

「……命懸けで被害は防いだのにな」

 

『オマエは今日、良くやったよ。大勢の命を救った。奴らのことは忘れてしまえ』

 

 土御門は、存外に優しい声色で景朗に声をかけた。彼はこれでも、景朗のことを慮ってくれているらしい。

 

 景朗はあえて、その空気で口にした。ぶち壊してしまいたかった。

 

「なあ、土御門、突然ですまんが、ちょっとマズイことになったかもしれん」

 

『どうした?』

 

「上条に俺の素顔を見られた」

 

『……』

 

「待て。まだ続きがある。ひとまず言っとくぞ、青髪ピアスの正体が雨月景朗だってバレたわけじゃない……んですからね?』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ベランダに出て、そこにぽつんとひとつ置いてある椅子に座った。聴覚の能力をぐんぐんと上昇させて行き、付近の人々の生活音をBGMに、外の空気に触れる。部屋の中は自分の匂いでいっぱいで、外に居たほうが気が紛れるのだ。

 

 土御門は忘れろ、と口にしたけれど。

 

(忘れられそうもない。今日は……今日のことはほんっとに、忘れられそうにない)

 

 

 色々なことを思い出していた。

 

(あの女、俺を恨んでたのか。恨まれていたのか、俺。いつ来るかと思ってたけど、今日来たか。そりゃそうだよな。アレイスターやら、別の悪い奴に命令されてやりました、なんて言い訳したって、なんだそれは?って話になるよな。被害者たちからしてみれば)

 

 もしかしたら。茄幹たちは本当に、"憎悪肥大"のせいであんなことに手を染めてしまったのかもしれない。

 

 少なくとも、嘴子も産形も、命を懸けていた。ワクチンを散布して、自分の過ちを償うために。

一度罪を犯せば、死ぬしかないのか?どんなに後悔しても、命を懸けても?

 

(俺に礼なんて言ってどうすんだよ、産形)

 

 嘴子とやらの父親を景朗が殺していなければ、今日はまた違った日になっていたのだろうか。

 

(なんてめぐり合わせだ。奴らの奮闘を知っているのはこの世で俺だけなんてな。でも、証明なんてできない。それでもさ……)

 

「産形、朗報だ。お前らが盗んだあのウィルスでは、誰も死ななかったぞ。……お前以外は」

 

 もしかしたら。奴らは悪い人間ではなかったかもしれない。その可能性が残っている。そのことを考えると、胸が苦しくなる。死に値する奴等ではなかった可能性がある。いや、俺は必死に罪を償おうとしていた姿を目撃している。この俺だけが、その姿を目撃しているんだ。何もしなくていいのか?俺は死なせるべきじゃなかったと思えて思えて仕方がない。

 

 

 手に力が入り、クシャリと手元でクッキーの紙袋が音を立てた。

 

「はは」

 

 手纏ちゃんが癒してくれた。そう思った。告白の瞬間を反芻すれば、落ち着かない気持ちになる。

 

 景朗とて、彼女とのこれからを少々妄想するところだった。しかし、自分が関わっていた今日の事件が思考の隅に陰り、嘴子千緩の憎悪の死に様が脳裏にチラつき、最後にはため息をついていた。

 

「ああー!くっそ、勿体ねえな、もったいねええ!手纏ちゃんもったいなさすぎる!」

 

 クッキーを頬張り、にやけて、椅子を倒して横になる。彼女と会っていなければ、今晩、悪夢を見てたかもしれない。そう思うほどだった。

 

 しかし、どの道、景朗は悪夢を目にはしなかっただろう。彼はその日、眠らなかった。

 

 

 ずっと、ずっと、考えていた。彼の頭のうちに、確固たる思考の道筋が生まれることはなかったが、それでも、彼は思い浮かべていた。

 

 今日あったこと。昔のこと。今まで経験してきたこと。ずっと、ずっと考えていた。

 

 夜を通して。空が白ばみ、太陽が昇るまで、景朗はずっと、考えていた。青い髪の少年としての日常が始まるまで。

 

 その晩。景朗はずっと、石木のように。椅子に寄りかかったまま、想っていた。

 

 

 途中、気分が落ち込み切らずに穏やかな気持ちになれたのは、手纏ちゃんが会いに来てくれたからだと思えた。そのおかげで必要以上に落ち込まずにいられた気がした。

 

 なんだかんだで、今日は悪い事ばかりでもなかったと、景朗は開き直っていく。

 

 クレア先生は子供たち4人を新たに受け入れ、丹生の治療法に新たな可能性が開けたし、何より、人生初の、異性からの……。

 

 思いに耽り、そして。彼は朝になって思い出した。

 

「づあああ!!!第五位!やっべえ!どうするッ?!」

 

 

 

 




 大変遅れてしまいました。いつもの如く……。
 次の話でヒロインだす、といいつつ、まだ出せなくて申し訳ないです
 今回でリコール編が終わりましたので、次のストーリーはいよいよヒロイン登場のお話です!

 今回、雨月くんにまたドジを踏ませました。批判覚悟してますorz
 思う存分、ぶちまけてください。読んでくださった方の当然の権利ですorz

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