とある暗部の暗闘日誌   作:暮易

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episode28:同調能力(シンクロニシティ)①

 

 

 

 

 炎の手裏剣は、炸裂音とともに黒煙を生み出した。あっという間に広がった煙は、薄いカーテンのように、"冷凍庫"メンバーの姿を撫でる様にさえぎった。

 

 

 しかしそれも、ほんの一瞬の出来事だった。煙幕は霞のように掻き消えていく。

 

 

 

 遥か頭上のビルに立つ3人は、元居た場所から一歩たりとも動いていなかった。何事もなかったかのように、皆が皆、"涼しい表情"で、平然とした態度そのものだ。

 

 至近距離で爆風を受けたはずの垂水(たるみ)は、不可解なことに全くの無傷だった。それどころか、熱に晒されたはずの彼らの衣服には焦げ跡ひとつ見当たらなかった。

 

 眞壁のあの不躾な一撃は、直撃すれば疑いなく病院送りになる代物だったはずだ。だが、彼女たち――"冷凍庫"メンバーにとっては、いちいち腹を立てる必要も無い瑣末事であったらしい。その男のニヤニヤとしたふてぶてしい薄ら笑いが、なお一層その事実を際立たせている。

 

 

 

 

 爆発が、思わぬ引き金になったようだ。

 

 前触れもなく訪れた、静けさ。いかんとも形容しがたい奇妙な停滞が空間一帯に縛り付き、まるで凍り付いたように誰も動かなくなった。

 

 眞壁の後に続く者はいなかった。新たな動きを見せるものは、いない。

 

 

 

 

 爆発の余波。その影響を受けなかったのは、先ほど垂水がビルの水道管から喚び出した水流だけである。その水の塊だけが、相も変わらずぷかぷかとその場の人間たちの視線を独り占めにしているようである。

 

 静けさに気後れする仄暗の視界にも、端的に"水の球"と形容するしかないような、巨大な水塊が浮かんでいる。ゆらゆらと波を掻き立てながら、宙に浮かぶ"水の塊"は順調に、丸みを帯びていく。

 

 ゆっくりと。ただひたすらにゆっくりと、巨大な水塊は大きさを増していく。水と水がぶつかると、波音が跳ねた。ちゃぷちゃぷとやさしい水音が、仄暗にはひどく場違いに聞こえていた。

 

 

 彼女は横目に、岩倉を眺めた。ギリギリとアーチェリーが引き絞られる音に誘われたのだ。弦は緊張が保たれたまま、矢尻は慎重に狙いを付けられている。

 

 常盤台中学では散々争った"一応の友人"は、高所に陣取った闖入者たちへまっすぐと視線を注いでいる。3年間の中学生活でついぞ見かけたことのない、狂おしいほどの集中と怯えが入り混じった顔つきだった。

 

 

 

 

 

 何故、誰も口を開かないのか。身じろぎ一つする者も居らず。仄暗は居心地の悪さに、ゴクリと息を飲みこんだ。

 

 眞壁の発言の意味が身に染みて蘇った。彼の言うとおりだ。そうだ。今こそ。今ここに。"キッカケ"とやらがあれば――――この沈黙は――――――。

 

 

 

 発火能力者たちと冷却能力者たちが、ただ立ち尽くし、ただ単に睨み合う。

 それはまるで喧騒と喧騒の合間を縫う、空白のような時間だった。

 

 

 改めて思えば、短いひと時だった。やがて。

 停止した時間を打ち壊す"異変"が、誰の目にも明らかに現れた。

 

 

 

 

 

 とうとう、ビルの中程の高さでゆらゆらと蠢いていた"水球"が、その肥大化を終えた。4, 5メートルほどに膨れ上がった水の大質量が、できあがっていた。

 

 それが、唐突に収縮した。ぐしゃぐしゃに押しつぶされた球体の、その挙動は――――既視感があった。潰れた水の球は今にも爆ぜようとする爆弾のように、ひどく不安定な状態に思えてならなくて――。

 

 

 

 

 何かが爆ぜた瞬間だけは、目に映った気がした。仄暗には目撃できなかった。

 

 "水塊"が軋むその刹那。より僅かに早く、"烈光"が空間を埋め尽くしていたからだ。

 その横槍は、まさしく"熾烈"と表現するほかない"まぶしさ"だった。

 そこから先は、まるで太陽が二つに増えたのか、と。思わずそのような文句がこぼれそうなほど、異様な明るさが周囲を包んだのだ。

 

 

 

 

 

――――嗚呼ああああああああああああああああああああッ!!

 

 

 

 

 うっすらと聞こえた何者かの雄叫びは、性別すら判別がつかない。少年の声色だと直感があったが、それも気のせいだと思えてしまうほどに――――わけのわからない、様々な種類の轟音が、仄暗の耳朶を埋め尽くす。

 

 だから全ては、鼓膜だけで判断した、当てずっぽうの推測だ――――。

 

 

 

 正体不明の叫びをかき消す、鋭利な噴出音。どこか遠くで火薬が一息に燃焼し、どこまでも果てなく伸びていく。

 かと思えば、前触れ無くあちこちから急沸する、無数の、蒸気の爆発。

 物体と物体が軋み、歪み、破裂する、衝突の悲鳴。

 

 

 

 

 音だけで判断せざるを得なかった。ジェット機で白雲に突っ込んだ時のように、突如現れた大量のスチーム(白い濃霧)があたり一面を覆い隠したのだ。

 

 仄暗は蒸れた風に押されて圧力を受けた。水蒸気爆発で生じた横風だろう。

 

 爆風に酩酊した少女は、白い蒸気で視界を失っていたせいで、そのまま一歩たじろいだ。

 途端に足首に、何かを引っ掛けられたような衝撃が襲った。

 

「わぁ!?」

 

 闇雲に踏み出した足のバランスを崩して、思わぬ悲鳴があがる。

 足首に絡み、まとわりつく重み。その感触は極めて独特で、すぐに理解できた。

 

(水!?)

 

 浜辺の浅瀬を歩いた時を思い出させる、特徴的な水の抵抗がある。そう気が付くと同時に、真冬の冷たさがスニーカーに浸水しはじめた。

 

「痛ッ!!」

 

 よろけた体を支えようと水面に手を付こうとした彼女は、続けざまに呻き声を漏らす。原因は、皮膚を突き刺す刺激的な痛みだった。

 

「なにこれ……」

 

 手に触れる、硬い感触。

 目撃した有りのままの光景を、俄かには信じられない。七月の真夏日の真昼間なのだ。それも、この場所は繁華街のど真ん中である。

 

 しかし。水の流れを感じた、その次の瞬間には――――液面が遠く彼方まで凍りついていた。見渡す限り、足元の路面には、うっすらと氷が張り付いている。氷に乗せた手の平の痛みは、冷気で熱を帯びていく。

 

 

 歩けない。足が動かない。

 すぐさまスケートリンクとして機能しそうな規模の路面凍結(アイスバーン)が、仄暗の足首を巻き込み、その場に釘付けている!

 

 垂水の罠だったのだ。ほんの数秒前、意識はまんまと、謎の水球に釘づけにされていた。あの場の全員の視線をうまく逸らして、足元から自由を奪おうとしたのだろう。地面から這うように染み込ませた水面を、火薬庫メンバーの動きを阻害せしめんと凍結させたのだ。

 

 

 

「眞壁さんをフォローっ!」

「やってます!」

「まず茜部だなッ!?」

 

「もちろん茜部ちゃんっ!紫雲にッ、気をつけろォッ!」

「ッやべえっ!垂水!」

 

 

 濃霧の合間から、"火薬庫"メンバーの会話が漏れ聞こえる。だが、その内容は仄暗の意識には届かない。同じく濃霧の合間から覗けた別の光景が、続けざまに彼女の意識をゆさぶっていたのだ。

 

 

 激しく、猛々しい水流がうみ出す、"生きた"水の飛沫(しぶき)。すぐそばで轟々と瀧が流れているとしか思えない。瀑布か、濁流か。水が物体を飲み込む野太い声が聞こえる、仄暗の視線の先には。

 

 

 二階建ての建物と憂に背丈を並べる、馬鹿げた大きさの"氷の巨人"が。

 氷柱にまみれた拳を、振りかぶっている。

 

 

 浪打だった水質の肌の、荒々しい泡立ち。うっすらと白く濁り凍りついた装甲。水の巨兵とも言うべき、見上げるほどの巨体。

 その巨体が、人間らしさをまるまる体現した軽快な動きで、陽比谷たちへ腕を振り下ろそうとしていたのだ。

 

 

 垂水洲汪(たるみすおう)の能力は純粋な"水流操作(ハイドロハンド)"であった。だが、他の能力者とは一線を画したその能力の雄大さからか、彼の作り出す巨人には通り名があった。

 "水氷巨像(コロッサス)"。名前のとおり、全長7mを超える人型の水塊。

 もうすこし詳細に形状を説明するなら、それは人型というより、巨大なてるてる坊主だった。そう説明したほうがより真実に近い。2本の腕が生えた水氷のてるてる坊主が、大地からニョキリと存在を訴えている。

 

 

 仄暗の思考は、巨体のひとつひとつの動作に食いつかざるをえなかった。

 つまりは、その8tを超える大質量が肩をいからせ、拳を握り、振り上げ――その氷塊の鉄槌を今にも振り下ろさんとしている状況だったのだ。

 

 

 

 

 きゅぅぅぅぅぅぅーーーーーーーーん、と。矢がアーチェリーから放たれていた。

 火矢はロケットランチャーの弾頭のように直線軌道を描くと、そのまま氷の巨人の方へ向かっていく。先ほどの噴出音の正体はこれか、と仄暗は察した。

 

「ショラアアッ!!!」

 

 眞壁も荒々しく、ベルトから凶悪なナイフを抜き取り、投げ放つ。

 

 

 

 想像した炸裂に、水の弾ける音は含まれていなかった。火矢は見当はずれのビルにあたって、無残に燃え上がる。

 狙いが外れていた。ほのかに、巨人の"姿"が揺らめいている。仄暗もバイザー越し目を凝らしていたため、その揺らめきにまともに騙されていようだ。

 巨人の姿は陽炎のようにブレている。あれでは的を絞れない。

 

 

 一方、回転する炎の円盤と化したそれは、岩倉が狙ったであろう場所へ運良く命中した。氷の巨人の肩に刺さったのだ。

 

 火薬でできたナイフは、猛烈な熱量を水塊にプレゼントしてみせたのだろう。ジュワジュワと水分が弾けて、濃い霧が吹き出す。まとまった水量が蒸気となり、巨人の腕は肩の付け根から剥がれ落ちた。

 

 直後。腕パーツの内部から、水中を透してあざやかな紫電(ライラック)が明滅した。

 

 コンマ数秒で爆散した水分は、冷えた空気で白濁していく。蒸気が泡立つ音は、想像以上に空気を振動させている。

 氷塊の巨腕は湯気と立ち消え、跡形もなくなった。

 

――陽比谷ナイス!

 

 眞壁がそう口にした。激しい雑音のせいか、誰もそのセリフを明瞭に聞き取ることはできなかったようだが。

 

 

 

 

 

 一連の光景を目撃した仄暗には、巨人の姿が揺らめいている理由に直感で思い至るものがあった。

 ちらりと除き見ただけだが、あの空気の揺らぎは見慣れたものでもあったのだ。自分だって熱を扱う能力者の端くれだ。その現象が何なのか見当がつく。

 あれはおそらく、蜃気楼だ。

 巨人の周辺の空気密度が、誰かに操作されていたに違いない。となれば、きっと茜部という少女の能力は――。

 

 

 仄暗の予想は的中していた。"幻氷地帯(アイスミラージュ)"。大能力(レベル4)の冷却能力である茜部晶(あかなべあきら)の能力は、そう呼ばれている。巨人の姿に細工を加えていたのは、彼女だ。

 

 

 

 

 

「もう一発ッ!ラストッ!」

 

 陽比谷の掛け声が、間欠泉のような噴射音と重なった。

 ケバケバしいライラックの光が、巨人の脚部に相当する部分でピカリと煌めいた。

 彼の能力が、再び"水氷巨像"の内部で発動したのだ。

 水が、醜く膨れあがっていく。巨人の内側に生じた大きな"あぶく"は、数秒と耐え切れずに決壊した。

 この一瞬で何度耳にしたか数え切れない、水蒸気の大爆発だ。

 

 

 

 ずしん!!と大地が揺れた。蒸気の膨張圧で、巨人が前のめりに吹っ飛んだのだ。

 

『蛍光灯野郎がぁッ』

 

 胸にズシンとくる低音が、垂水の意思を代弁して響き渡った。地に伏した巨像の肌は激しく波打ち、震えている。水がスピーカーの役割を果たしているようだ。

 

 

 

 

 "水氷巨像"はうつ伏せに倒れたために、その背中側が露わになっていた。巨人の肌にはトゲトゲしい氷柱が一面にびっしりと生え揃っていたのだが。

 濃紺のハンチング帽が、そのトゲとトゲの合間からピョコリと顔を覗かせている。

 

 

 帽子の持ち主である茜部は、巨人の背中に張り付いていたのだ。

 

「ちょッ。うあっ!」

 

 きゅぅーん、とすかさず炎の矢が彼女の真横を掠めていった。茜部が肝を冷やして頭を下げると、更にその上を炎の回転が通りすぎる。火花が彼女の目の前まで降り注ぎ、熱風がそよいだ。

 

「やっばい!」

 

 

 

 

 

 

「ゆらゆらとウゼえッ!さっさと茜部やるぞッ」

「同感ですっ!」

 

 "幻氷地帯"が生み出す幻影は、眞壁と岩倉にとっては予想以上に厄介に感じるものだったらしい。追撃を外した2人は声を荒らげて、続けざまに茜部を狙う。

 

 そうして攻撃の手は絶やさずに、眞壁は本命の敵の状態を問いただした。

 

「陽比谷、紫雲は!?」

 

「持って2分、がギリギリですッ。早くカタつけて、頼みます!っあああ、やっぱ2分持たない、1分もたない可能性もアリ、っくおおおおおああああああああああああああああああっ!!」

 

 

 

 なるほど、これが"明るさ"の正体だったのか。仄暗は陽比谷の視線の先を盗み見て、納得した。

 長大な光の柱が、上昇気流のように空へ立ち上っている。

 その炎でできた筒の真ん中には、宙に浮かぶ巨大な繭の如き物体が鎮座していて。

 その物体は、湧き上がる上昇気流に必死に対抗しているようにも見えた。

 

 繭は噴射される熱で、太陽と見間違わんばかりに輝きをはなっている。ビルの側面付近で煌々と流星のように空気を焦がしながらだ。

 

 彼は何をしているのだろう。あの光と炎でできた柱で、一体何を?

 陽比谷が全霊で能力を行使していることは、彼の顔中にくっきりと浮かぶ血管から容易に想像がつく。

 

 紫雲と呼ばれた少女を探すも、どこにもその姿は無い。

 もしかして、あの繭の中に?あの彗星のような火炎の中に?だが、そうとしか考えられない。

 

 

 

 なんだか嫌な予感がする。仄暗はとにかく何か行動にでなければいけないと、衝動的に能力を発動させた。

 足元の氷を、"不滅火焔"で炙る。盛大に水がはじけて、熱水と化した水滴が素足を撫でる。

 徐々に、氷は水になっていく。

 

 忌々しい熱さを乗り越えて、仄暗は水たまりから両足を引き抜いた。

 勢いよく飛び出して、彼女はその瞬間、盛大に転倒した。

 そういえば、足場はどこも完全に凍っていた。なんの変哲もないこのスニーカーでは、まともに歩けそうにない!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 茜部は、必死になって路面を凍結させていた。にもかかわらず。

 凍らせているはずなのになぜかすぐに溶け出してしまう氷の上を、"火薬庫"メンバーたちは"都合よく履いていたスパイクシューズ"で颯爽と移動してのけている。

 

「垂水さんアタシが狙われてる!早く早くッ早くッ」

 

 居場所がバレた茜部は慌ただしく口を動かしつつも、能力をさらに強く発動させた。

 ビシリと、一瞬にして火薬庫メンバーたちの足元の、溶けた水分が氷になった。だが。

 

 またすぐに、氷はふやけてもどる。何故だ?茜部はその原因の解明に躍起になって。

 地面が熱く熱く、発熱していることに気がついた。

 岩倉火苗の"過熱能力"か。

 

 

『先に眞壁だっ、眞壁を殺るぞッ』

 

「岩倉さんヤらないとちょこまか逃げられるッ!」

 

『いいや真壁だっ!あいつから――オマエッ、マズッ、水かぶれ!』

 

 とっさに水氷巨像の体の一部が溶けて、茜部の身体をまるごと包み込んだ、その時。

 ばしゅうううっ!と、彼女の肉体で盛り上がった液層から、蒸気の泡がゴボゴボと立ち昇った。

 

「あっつ!あっつぅ!熱、熱、熱ぅぅぅっぁぁ!」

 

 突如、熱湯と化した水中で、茜部は茹だてられる。中にいた人間は、暴れまわらずにはいられなかった。

 

『眞壁とヤる時は気ぃ抜くなって言っただろぉが!常に身体を冷やせっ!炙られたら口から空気全部抜けんぞ!』

 

 

 眞壁は摩擦熱を操る能力を持つ。垂水が機転を利かせて水を被せたが、彼が助けていなければ、茜部はその瞬間に火達磨になっていたことだろう。

 

 人体が火傷する間もなく、ごく刹那的な極小の時間のみ、体表を炎で包む。それが眞壁の十八番だった。炎はその一瞬で口内から酸素を抜き去り、対象者の意識だけを奪い取る。

 

 眞壁の通り名"人体発火(ウィッカーマン)"は、彼のこの得意技から広まったものだ。

 

 

「信じらんない!中学生女子相手にマジかよッ……おらあああああっ!!」

 

 手加減抜きだ。芯まで凍えろ。

 怒りのままに、茜部は全力で空間を冷却させた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「うおっ寒、さぶッ!」

 

 真壁の身体から3度、火花が激しく飛び散った。強引に暖をとった彼は、飛来してきた氷の砲丸を、身をひねって避ける。

 

「うあ、あぶねっ」

 

 直進する砲丸の先には、紫雲に心血を注ぐ陽比谷の姿があった。彼は言葉を発する余裕も無い様子で、迫り来る一撃に流し目を送るだけだった。とっさに逃げようとしたようだが、足元が一瞬にして凍りついて、彼は動けなかった。

 

 ジュワアアアア、と砲弾はすぐさま、火炎につつまれる。真壁が慌てて、砲弾を蒸発せしめんと能力を使ったのだ。

 

 しかし、圧倒的に時間が足りなかった。

 

 直撃するかと思えた、その時。陽比谷の目の前から突如、アスファルトの壁がせり上がり、砲弾の衝突を横合いから防いだ。

 

「陽比谷君、集中していてください!」

 

 岩倉は片膝をつき、地面に手を添えていた。

 地下で胎動していた彼女の能力が、窮地を救ったのだ。そそりたった赤熱の壁は氷の砲弾とぶつかって、ジュワジュワと勢いよく湯気を出している。

 

『うおおおおおいナァニ道路ぶっ壊してんだ岩倉ァ!』

 

「貴方がおっしゃいますか!?」

 

 続けざまに、ボコボコと数本のアスファルトの円柱が、"水氷巨像"を貫くように大地からそそり立った。巨像は岩石のアッパーカットを幾重にも見舞われ、空にはねあがる。

 追撃が、巨像を襲う。醜悪に空洞が開いた路面の穴底には、ブクブクと泡を立てる溶岩が粘り立つ。その常軌を逸した温度の液体が、盛大に穴から飛び出した。

 溶岩は巨人の皮膚と混合すると、盛大に蒸気を奪い取り、冷えて固まった。

 体積を削り取られていく水氷巨像は、ふたまわり以上も身体が小さくなっている。

 

 陽比谷の"乖離能力(ダイバージェンス)"も、溶岩を生み出す岩倉の"溶岩噴流(ラーヴァフロー)"も、人間が相手では、やすやすと力をふるまうことはできない。

 だが、このように――水の大質量が相手であれば、手加減など無用だった。

 

 

 

 

 

 

 

 陽比谷はメンバー同士の闘いを目の端でとらえつつ、次の一手を模索していた。

 彼は精一杯、紫雲が中に詰まっている"氷の繭"を、得意のプラズマウォールで空へ押し上げている最中だった。猛烈な火柱の上昇気流で、とっくに氷の繭は大空へ打ち上げられているはずだった。しかし……。

 

 氷の繭からは、薄く、透明な雪の結晶のような"イバラの蔓"が伸び出していた。それは生き物のように蔦をくねらせ、ビルの横壁へとたどり着く。そして、しっかりと氷の根を張っていくのだ。

 

 何本も何本も飛び出した茨の蔓は、繭ごと紫雲を地面へと引っ張っていく。ほどなく彼女は地上にたどり着く。

 奇跡的に隙を付き、彼女を氷のカプセルへ閉じ込める事には成功していたが。このままでは時期に、"防御不能"の反撃が繰り出されるようになる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『息をとめろ!』

 

 垂水の言葉に従って息を吸い込んだ瞬間に、茜部は水氷の巨人の内側に引きずり込まれた。その刹那。世界が色鮮やかに、オレンジ色の光に染まる。

 

「茹でダコにしてやるぁああああ!!」

 

 真壁は血管を浮き上がらせ、"摩擦炎上(フリックファイア)"に全霊を傾けた。

 水の巨人は言葉の通りに、火達磨と成り果てた。

 

『冷やせ茜部!冷やせ!!』

 

「もが、もぐもが」

 

 沸騰していた巨人の皮膚が、次第に穏やかになっていく。しかし、水温がぬるま湯程度まで変化したその時点で、温度低下は終わりを告げた。

 

『どうせすぐに紫雲が来る!遊んでやろぉぜ!』

 

「むぐーっ!」

 

 赤熱の石柱が次々と、絶え間なく地面から猛スピードで突き出ると、巨人の胸板めがけてぬかるんでいった。地獄の温泉巡りに終りが見えない茜部が、青ざめた。その時。

 

 

 

「岩倉!マンホールに近づくな!」

 

 マンホールの蓋が暴発し、暗闇から濁流が溢れ出た。意志を持つ大蛇となった水のうねりが、岩倉を飲み込もうとしていたが。

 

 危機一髪。岩倉が足をつけていた地盤が噴火し、彼女は空高く跳躍した。そのまま、ちょうど近くにあった街灯を両手で掴む。

 

 

 しかし。一連の隙を突いて。

 

「ぐ、ぎっ!」

 

 上半身だけになっていた"水氷巨像"が、眞壁に巨腕をふるっていた。カチカチに冷え固まった氷の拳が胴体に突き刺ささると、対象者が浮き上がって。

 

 青年はビルとビルの合間の路地へと吹き飛ばされていく。ところが、路地の横壁に激突する寸前に、彼のスーツはボンレスハムのように膨らみはじめていた。

 

「がっ、ああッ、クッソ痛えぇッ!」

 

 壁に打ち付けられた当人は、むくりと何事もなかったかのように起き上がった。腹部を押さえている彼の様子からは、むしろインパクトした氷の拳の方が痛みの原因なのだと察せられた。

 

「うお、マジか」

 

 覚醒した眞壁が、呟いた。失った水量を再び取り戻した"水氷巨像"を目にして、改めて放った言葉だった。

 

 装甲のように白濁した氷を纏い、巨人は両足を取り戻している。そして、ギリギリと身体を引き絞る、その腕の先には、巨人サイズの氷の槍が握られていて。最低限の"情け"だったのか、槍の先端は丸く潰れていたけれども。あの質量をそのまま身に受けでもしたら……。

 

「○ぬだろうがボケッ!」

 

 咄嗟に左手首を突き出す。彼は瞬時に、手首に装備していた小型のクロスボウを撃ちだした。

 火薬でできた小さな矢だったが、著しく高まったエネルギー密度が幸いした。

 

 投擲された氷の槍の先端へ、なんとか命中してくれたようだ。先端部が溶解して盛大に水をぶちまけさせた槍は、軌道を狂わせた。そして、ギリギリのところで身体からそれた。眞壁は水流に流され、さらに奥へと転がされる。

 

 ゲホゲホと水を吐き出して、彼は吠えた。

 

「……野郎、マジでぶっ○してやる!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 巨人をとりまいていた焔が消えた。眞壁がやられたのだと判断した茜部は水面から顔を出し、ぜぇぜぇと新鮮な空気を食らっている。

 

『ぃよぉ陽比谷ッ!くらえやッ!』

 

 眞壁へと追撃を放った垂水は、ただちに目標を変えていた。身体機能を取り戻した水の巨人を軽やかにステップさせ、豪快な蹴りを見舞う。

 陽比谷相手に手加減はいらぬと、茜部に足先を極限まで凍結させていた。直撃すれば、怪我はまぬがれない。そのはずだった。

 

 

 がきり、と陽比谷の前にアスファルトの防壁が飛び出し、彼を守った。割れた氷の破片がそばの自販機に激突すると、缶ジュースがポロポロと転がり出していく。

 

『茜部、岩倉を押さえろ!』

 

「わかってますよッ、っらぁ、凍れ凍れ凍れッ!」

 

 "溶岩噴流(ラーヴァフロー)"が操ろうとする物体をピンポイントに冷却して、茜部は岩倉の攻勢を果敢に削ぎ取っていく腹積もりだった。

 

 ところが。

 

「え?」

 

 茜部の足元が唐突に輝き、そして爆発した。

 

「わわわわわわッ」

 

 彼女はその勢いもろとも、近くのビル壁へと叩きつけられた。衝撃はそれほどでもなかったが、如何せん高さが二階建ての建物ほどもある。このまま落下しては、危険だ。

 一緒に飛ばされた水塊ごと凍らせて、茜部は横壁に張り付いた。

 直後。一際あざやかな、ライラックの輝きが目に付くと。

 彼女の目の前を、水の巨人が十メートル近く吹き飛ばされていった。

 マズイ。あの人への対応策はない。茜部は息を呑み込んだ。

 

 

 

 

 

 

「もうやめだ。眞壁さんもやられたし、馬鹿正直に固まってられるかよ」

 

『陽比谷ぁああああああああああああああああああああ』

 

 通りを挟んだ反対側で、転がった"巨像"が重低音の呻き声で呪っている。だが、陽比谷は年上の"水流操作(ハイドロハンド)"を気にもとめずに、通りを大股で闊歩した。

 

 

 神経を張り詰めた体勢で、彼は疲労を滲ませた岩倉をかばうように、前にでる。

 

 あれほど炙ってやったというのに、微塵もダメージを食らっちゃいない。

 彼の視線の先には、ようやく繭から抜け出した紫雲が、物憂げに、余裕たっぷりに、一見して隙だらけの姿を晒している。

 

 

「眞壁君、まだ元気みたいだけどね」

 

 ぽつり、と。その状況で、紫雲はそれだけを、呟いた。

 

 

 

 陽比谷の視界の片隅で、明るいオレンジ色の灯りが点滅した。

 焦げたハンチング帽が、ふわりと宙を舞う。

 気を失った茜部が、水に濡れてビルから落下しはじめた。

 

 そんな彼女を、突如壁から生え茂った氷の蔓が絡めとって、優しく受け止めた。

 

 

 

 

 

「その通り、まだまだこれからだぜ、紫雲!」

 

 路地から眞壁が顔を出した。隙を見せていた茜部を気絶させたのは、彼だ。かってにやられたと勘違いしていたのは、そちらの責任だ。そう言わんばかりの口調であった。だが表情には、不意をついた罪悪感がほんの少しだけ見受けられて。

 

 いいや。しかし、それでも。

 

 紫雲と闘うのならば、せめて頭数くらいは優勢でなければ。お話にならない。

 "火薬庫"メンバーの表情はそのように物語っていた。なかでも恐れに強ばった岩倉の緊張が、彼女の経験不足を如実に表に顕している。

 ほとんど経験もないのに、今日はよくやったよ。陽比谷は振り向くと、ウインクだけで岩倉にそう語ってきかせた。

 

 

 

 

 

『紫雲、頼むぜぇ!』

 

 垂水の遠吠えを合図に、紫雲はパチリと指を鳴らしてみせた。

 次の瞬間。

 

 微かに白く濁っていた水の巨人が、色を失った。

 透き通る身体は、いびつな嵩張りを見せている。

 無数の氷片が折り重なって、巨人の身体を構成しているようである。

 そのひとつひとつが、限りなく、どこまでも透明な氷の水晶。

 日光は氷の群れで乱反射して、巨体を美しく彩っている。

 

 

 陽比谷は舌打ちとともに、虚を突くように数発の"輝き"を"水氷巨像"へと打ち付けた。

 先程まで、こてんぱんに巨人を吹っ飛ばしていた"攻撃"だったが。

 

 

 眩しい照り付けが、虚しく消え失せる。

 損傷は、皆無。

 巨像には、傷一つ付着していなかった。全くの無傷だった。

 

 

 人類史の中でも、古い時代。紀元前900~600年ほどに発達したと言われている鎧のひとつに、ラメラー・アーマー(Lamellar armour)というものがある。金属の薄板が縫い合わされて作られた鎧で、日本語では薄片鎧、または薄金鎧と訳される。

 

 "水氷巨像"が纏った装甲は、まさにこのラメラー・アーマーそのものに見えた。

 

 巨像は騎士のように、重装甲を身にまとう。

 

 透明であるのに、計り知れない強度を感じさせる。幾重にも重なった、氷のプレート。

 

 今度は茜部ではなく、紫雲が事を成したのだ。

 

 

 

 

 

 紫雲の氷は、絶対に溶けない。絶対に割れない。絶対に、壊れない。

 陽比谷は彼女の能力を、こう推察していた。

 物質の振動を一瞬にして同期させ、停止させる。その気になれば、紫雲の氷はタイムラグを挟まずして、一瞬にして、氷点下270℃を超える。

 空気すら、瞬く間に凍てつかせ、液化させて。透明のイバラを創造してみせる。

 

 無敵の装甲を獲得した巨兵は、今までにない力強さと存在感を醸し出している。

 

 

 

 紫雲継値(しうんつぐね)。高校二年生。去年の秋に、唐突に"能力主義"に現れた新星。

 能力名、"同調能力(シンクロニシティ)"。バンクに登録されているその他の冷却能力(クライオキネシス)とは一線を画す、とびきり突き抜けた大能力(レベル4)だった。

 

 

 

 

 

 誰が名付けたのか。その通り名は、"絶対硬度(フローズンデッド)"。

 またの銘を、文字通りの、"破壊不能(ドーントレス)"。

 不変の氷。

 

 あの氷に拘束されれば、抜け出す方法はない。

 すなわち。彼女に捕捉されれば、一巻の終わりだ。

 

 

 

 

 

 

 

 






お待たせして申し訳ないいいいいい。
あと、今回の投稿はちょちょぎれた状態で更新させてますので、すぐに更新します。
(と、いいつつ、ちょちょ切れ状態でまるまる4ヶ月放置してましたorz)

実生活の方がようやく落ち着いたので、書ける、いやむしろ急いで遅れを取り戻して書くんだ!
書きます!
気合、入れて、行きます!(と言いつつ、艦これやめました)


あまりにも更新しなさすぎて、
このSS、もう賞味期限切れちゃってるくね?
感がでてましたよね。作者も怯えていました……

息を吹き返して、頑張ります
ストーリーが進むところまでは全速力で更新します(信じてください!)


活動報告、そして感想にコメントを下さったみなさん。お詫びします。
返信を書く気力がでませんでした。無礼な真似を謝りますorz
明日、明後日中に返信させていただきます。
感想は感想に返信を。活動報告の分のコメントは活動報告の所にそのまま返信いたします




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