とある暗部の暗闘日誌   作:暮易

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投稿再開いたしました。
どうかよろしくお願いいたします。

今回、いっきに3話投稿しました。

episode32
episode33
episode34

以上です。
episode32からご覧ください!

……4年たってるので、episode32から読んでも覚えていらっしゃいませんでしょうがああ
すみませぬ!


episode34:座標移動(ムーブポイント)

 

 

 

 土御門は結標を捕まえろと指示したが、それはアレイスターの命令というわけではなかった。

 そもそも全力で逃げに入った学園都市最高の"空間移動能力者"は、おいそれと1人で出歩く程度では捕まえられない。

 景朗といえど捕獲するなら待ち伏せして不意を打つしかないが、呑気に学校に通わせられている任務状況では、ろくに張り込みすることもできない。

 第一に、彼は結標には同情的だったのである。

 毎回体調を悪化させて怯えながら、窓の無いビルの案内人をこなしていた彼女を知っている。

 命令もされていないのに自主的に追い詰めようとは、到底思えなかったのだ。

 

 それに"捕まえろ"という土御門の言葉。決して"殺せ"ではない。

 彼も結標を何とか助けたいのだろうと、想像はついていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 だがしかし、景朗は今、ダーリヤを保護している。ほっぽりだして結標を探しに行ける状況ではなかった。

 

「ウルフマン、これ、はぁはぁ、いっ、生きてる? まだ"生き"てるぅ? えい!」

 

 ボウルの中で水を吹くあさりを見つけて、ダーリヤは由来不明の興奮をたぎらせている。

 景朗とダーリヤは第七学区のセーフハウスにいた。

 ここはマンションなので平凡だがキッチンがある。

 景朗は夕食の調理中で、まちどおしそうに様子を見に来たダーリヤがめざとく小動物を見つけてしまったという構図である。

 

「いやぁほら、お前さん、麺類ならグダグダ言わず食べるじゃん。今日は肉も魚も嫌だ嫌だって突っぱねやがるから、ボンゴレ――ビアンコなら、どうよ? ってハナシ」

 

 裏ルートで入手しているワインを戸棚の下から取出し、景朗はニンニク刻みを再開する。

 白ワインは良く飲んでしまうので心配したが、今回料理する分はまだ残っていた。

 

「うるふまん、これっ、こっ、これっ、焼くの? フライパンに入れるの?」

 

 ダーリヤはあさりをガシガシと突っつきながら、ごくり、と喉を鳴らした。

 

「そりゃそうっしょ」

 

「ならわたしがっ、わたしが入れたい! おねがいヤラせて!」

 

「いいけど、そんなら最初から最後までお前さんがやってみるかい?」

 

「ええー、キョーミないわ。あさり入れるだけでいい」

 

「……そうっすか」

 

 ふらりと猫の様にダーリヤが逃げて行った。

 入れ違いになるように、ぶるぶるとケータイが鳴った。

 丹生からだった。遊びに来ていいか、とのメッセージ。

 ダメだ、と返すも、既に近くに来ているらしい。

 

 ダーシャに会いたいんだろうな。

 ホントはダメなんだけど、ついでに風呂に入れてもらうか。

 何度言ってもまともに洗いやがらねえ。

 

 料理はもとから大量に作ってしまうタチなので、1人増えても十分に足りる。

 

 

「おーい、ダーシャ、そろそろあさりを投入してくれ~」

 

「Ypaaaaaaaaaaaaa!」

 

「ゆっくりだぞ、ゆっくり……」

 

 ダーリヤは椅子を持ってきてコンロの前に添えて、飛び乗った。

 ゴキゲンな動きであさりの入ったボウルを掴む、そしてひっくり返す。

 

「地獄の業火で苦しみなさい! ひゅーっひっひっひゅ!」

 

 声なき声を上げて死滅していくあさりたちを、愉悦と恍惚の笑みで見下ろしている。

 

「あ~、死んでるわ、しんでる。ふひゅ~――あっ!」

 

 白ワインをかけてフライパンにフタをすると、邪魔すんぢゃねえ、と抗議の目線が飛んでいた。

 

「いや、蒸し焼きにしなきゃなんないから」

 

 サドッ気全開のダーリヤの挙動にも、もはや動じない。

 なにしろ、放っておくとこの娘、ネズミ捕りに引っかかって死んでいく鼠の動画なんかを延々と視聴してたりするのである。

 延々とネズミ捕りの動画を上げている人がいるのだから、まぁ、世の中にはそれを見る人も当然いたのだなぁ、と納得してしまった……。

 少女の過剰な攻撃性は、彼女の"マーマ"とやらの教育方針だろうか? 

 しかしながら暗部で生きていくには今のほうが向いているといえば向いているから、どうこう言わずである。

 

 

 ピッピッピッとセキュリティのアラームが鳴った。

 

「え? 誰?」

 

 ダーリヤがビクついた。

 

「丹生だと思う。ロック開けてやって」

 

「チッ。何しに来たのよ、メス」

 

「こえーよお前……」

 

 

 

 

 

 

 

 キャリーバッグを引き摺って来た丹生は「子供の頃の洋服を持って来たんだ―!」

 と、わたし妹が欲しかったのと言わんばかりのひとりっこあるある(?)を炸裂させた。

 

 のだが、ルンルン気分で丹生がカーペットの上にぽんぽん並べていくおさがりの子供服を、丹生なんて毛虫くらいにしか思っていないダーリヤは、サッカーでいうPKの練習みたいに次々と蹴っ飛ばして遊んでしまった。

 

 わくわくを隠せず「ささ、どれを着る~?」とニコニコして後ろを振り向いた丹生は、散乱した洋服をみてしおしおと崩れ落ちてしまった。

 

「ひっ、ひどすぎる……ッ帰る!」

 

「あ、ちょ、まてい、丹生ッ!?」

 

「フシーッ! わたしのほうがウルフマンと付き合いが長いのよ!」

 

 泥棒猫を追っ払うような威嚇で、ダーリヤは逃げ去る丹生に追い打ちを浴びせた。

 すごい気迫だ。勘弁してほしい。

 

「ばかああああああああああああああああっ! 何で追いかけてこないのっ? かげろうのばっかあああああああああ!」

 

 丹生が追いかけてこいと催促しています。

 

「行く行く! 今行くから、待って!」

 

 だって大した距離も走らずにお前さんがすぐ近くで止まったから。

 こっちは足音が聴こえてるんだからわかってるのよ。

 

「ダメ! いっちゃだめ、ニウのワナよ。うるふまん、うるふまんっ!」

 

 外へ出る景朗を追いかけようとしたが、ダーリヤはひとりで外に出るのが怖いのか、玄関の前で憤怒の形相のまま立ち尽くした。

 

 

 

 

 

 夏といえど、外は暗い時間帯だ。

 丹生は非常階段から暗闇を眺めていた。

 

「もー。あのガキンチョは気に食わなかったらシメていいから。こないだみたいにさぁ」

 

「まっ、前のはちょっとやりすぎただけ、頭に血が昇っただけ! ホントはもっとお淑やかなんだからッ」

 

「おしとやか~? だいたい出会った頃の"俺ッ娘"はどこ行ったんだよ?」

 

「それは言うなああああああ! もういいの、かげろうのおかげで暗部卒業できたしもうやめたの!」

 

「あれは別に悪くなかったよ。いや、むしろなかなか良かったよ?」

 

「そ、そう? じゃあ……たまには"おれ"って言った方がいい?」

 

「え? 頼めばやってくれんの?」

 

「……恥ずかしいからかげろうの前でだけだけど」

 

 そう言って、すっごい親しげにちらちら見つめてくる。

 

 お互いに無言になって、しばし見つめあう。

 

 ――なぜだろう。

 なんなら、今ここで丹生に抱き着いても拒否されないような。

 そんな雰囲気だという、直感があった。

 すこし、欲が湧いた……ところで。ハッと思い出す。

 

(パスタ作ったばっかりなのに、のびちまう!)

 

「さ、早くもどろうぜ。メシできあがったとこなんだ、食ってってくれよ」

 

「!? いっ、いい。まだもどらない」

 

 丹生はちょっと悔しそうに、意地を張っている。

 

「え~?」

 

「ダーリヤちゃんの味方ばっかりするからだよっ」

 

(けっこう君の味方してる気がするんですけど……)

 

「小学生と張り合うなよ……」

 

 あ、丹生がそっぽを向いてまた景色を眺めだした。

 

「ねえ、ダーリヤ返しちゃうの?」

 

「おう。その前にちょい記憶イジって」

 

 「アタシのことは忘れさせないでいいから」と丹生は小声で言った。

 もとからダーリヤは彼女をある程度知っていた。

 景朗も小さく「そうする」とだけ返した。

 

「助けてあげないの?」

 

 自分を助けたように。丹生の眼は真剣だった。

 

「ダーシャは複数の外国の諜報機関に追われてる。元から暗部に居ないと"詰み"なんだ」

 

「そうじゃなくてッ」

 

「ダーリヤを助けるのはリスクが大きすぎる。色んな組織を敵に回すんだ、そのせいで自分たちに被害がでるなんて考えられない。俺にだって支えられる限界がある」

 

「そうだよねっ……そっ、かぁ」

 

 景朗も、しばし夜のとばりに耳を澄ませた。

 

 待ちかねたように、うるふまーん、と小さな子供が呼んでいる。

 丹生には聞こえていないようだ。

 

「もういこう、御飯さめちゃうぜ?」

 

「景朗みたいに食い意地はってるわけじゃない」

 

「うう、じゃあ何? どうすればいいの?」

 

 ぷいぷい、と丹生が手まねきする。

 近くに寄れと?

 

「ご……ご褒美、とか?」

 

 丹生は髪をサイドでまとめたしっぽみたいな短いテールをつまみ、それを筆の様にして、景朗の肩をくすぐった。

 

「ぇっ……?」

 

 なに、この距離感。さっき一瞬、えろいことしても良さそうな空気になったんだけど、その続きをしろと言ってるのだろうか、丹生さん。

 ご褒美って、俺にご褒美!?

 

 

 でも、部屋にダーシャがいるし。ち、ちがうよな?

 

 

 固まった景朗の勘違いを知って、丹生は赤くなって大いに否定した。

 

「もっ、物とか! 具体的なものなんてないけど、強いて言えば小物がいいな。たとえば……日常的に使う、っていうか、身に付けるっていうか、金属製の……?」

 

「あー、新しい水筒ね。変な水筒あつめてるもんな」

 

「はぁ?! ひどッ! あつめてねーよ! ぜんぶ気に入ってるのに! って違う! 水筒は違う!」

 

 一瞬、真顔で怒っていた。そうか、水筒はバカにしちゃいけないのか。

 

「違ったか。なぁ、やっぱ具体的に欲しいものがあるんならはっきりと」「水筒はダサいの買ってこられたら毎日それ持ってかなきゃならなくなるからNGなだけですっ!」

 

 ちょっとからかい過ぎただろうか。

 

「おーけーおーけーあれでしょ? 金属製で、小さくて、キラキラしてて……わかったから、はやくもどろ」

 

「やっりぃ! すんごい期待してますから」

 

 

 

 

 戻った景朗がスパゲティを配膳する間に、喧嘩の決着は付いてしまった。

 

 クソガキ! ヒンニウ! とお約束的なドタバタが発生し、丹生が対ダーリヤの為に練習した四の字固めが炸裂した。

 

 仕方なく、景朗がかわいいダーシャが観てみたいなぁ、と呟くと、ほんとうに仕方なさそうに、ダーリヤはやっと着せ替え人形に甘んじた。

 

「ダーリヤ、足が長いからやっぱサルエル似合うね!」

 

 股下がぽっこり伸びたデニムサルエルにパーカー姿で、ダーリヤは食卓に着いている。

 少女が「コアラの育児嚢みたい!」と喜んだので、それが決め手になった。

 

 丹生に育児嚢(いくじのう)ってなに? と聞かれたが、景朗も答えられなかった。

 ネットで調べたら、コアラにはカンガルーでいう子供を育てる袋がケツに下向きについてるそうである。ダーシャはケツに袋がついてることをあんなに喜んでたのか。流石である。

 

「うるふまん、明日こそうどんが食べたいわ」

 

「またぁ?」

 

 早速、丹生をシカトして、ダーリヤはもぐもぐとスパゲティを頬張っている。

 ダーリヤに飯をつくり始めて3日。気づいたのだが、このガキは口では嫌だ嫌だとなんでもかんでも食べたくないと文句を言う。

 が、いざ食わせてみるとあっけなくなんでも食べてしまうのである。

 スパイに育てられた、というだけはある。

 

 

「うどん好き過ぎじゃない?」

「明日もきていい? 新作カレーが完成したんだよね!」

 

「うどんはね、マーマと一緒に食べに行ってたから一番好きなのよ」

 

「ほ~ん」

 

 感化されやすい丹生は、性懲りもなくうるうると瞳を潤わせ「ダーシャ、カレーうどんって知ってる?」としつこく食い下がっている。

 

「ニウはダーシャって言わないで」

 

「ちぇー」

 

 唇を尖らす丹生に対し、ダーリヤは頑なである。

 

「あっ、"うるふまん"は特別だから……ダーシェンカって呼んでもいいわよ?」

 

「ダーシャじゃダメ?」

 

「いいわよ」

 

(俺のいう事だけは素直に聞いてくれるよな……食べ物以外は)

 

 偶にダーリヤはあだ名を変える様に催促してくるが、その割に丹生にはイジワルをする。

 

(そういえば俺だって小さい頃は、あだ名をコロコロ変えて友達と呼び合ってたっけ)

 

 意外なところに子供っぽさが残っていて、うっすらにやけてしまった。

 

 ただ、丹生は新メンバー(?)が加入したかのように扱っているが、ダーリヤをそう長く保護はできないことを自覚してくれているのだろうか。

 彼女をプラチナバーグに返す、と言ってあるし、その前に食蜂に火澄関連の記憶を消してもらって……それ以降は、どうしようか。

 ダーリヤは暗部の人間だ。丹生は接触を絶った方がいい。

 彼女もわかっているのだろうけれど。

 

 ……預かり続けることはできないが、猟犬部隊の立場を使って、できる範囲でダーリヤを援助してあげられたらいいな。消極的だが、景朗だってそう思っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 才波徹兵(さいばてっぺい)は異能力"最高傑作(コンプリート)"を持っている。肉体強化系のこの能力は、学習能力を大幅に強化してくれる。格闘技・スポーツは言うに及ばず、勉学・専門技術などもあっという間に習得していく。

 二週間前、"蜂の巣"でCIAが雇った米国人傭兵をあっというまに鎮圧した男を、姐さんは超能力者だと看破した。それを聞かされたのは、1日でプロ級に鍛え上げたスナイピング技術を、衝槍弾頭(ショックランサー)という野暮な弾で台無しにしてくれたCIAを蔑すんでいたときだった。

 自分の直感は外れてはいなかった。相手が本当に超能力者だったのなら、どのみち無意味だっただろう。

 

 

「徹兵、お前ほんとにヘリ運転できんのかよ?」

 

 強能力者"分割移動(バイロケート)"の七分咲宗吾(しちぶさきそうご)は軽口を叩いたが、徹兵に向ける笑みは信頼を映し出していた。

 

「シミュレーターは完璧に仕上げただろ?」

 

 何ともないように返答する才波の、熟練ドライバーのようにワゴン車を"ココ"まで運転したハンドル捌きは、少なくとも本物だ

 

「ありがとう」

 

 注射を打たれた久留須獏弥(くるすばくや)は、注射痕をちり紙でぬぐってくれている、強能力者"引出移動(ドローポイント)"の牡丹要(ぼたんかなめ)に礼を言った。

 獏弥の腕には、この場で出来たもの以外の沢山の注射痕が残っていた。

 

「何度もごめんね」

 

「要さんが謝る必要ないよ」

 

 獏弥はうっすらとワゴン車の窓を開けて、ほのかにカレーの匂いが香るマンションを見上げた。

 この匂いって、平和を感じるよなぁ……と、今までの、そしてこれからの非日常から逃避するように、気分を落ちつけていく。

 

 注射したのは巷で"不死鳥の血"と呼ばれている、レベルが上がるという眉唾のドラックだ。

 噂を全て知っている訳ではないが、この"真紅の液体"は本物だ。

 

 獏弥は、集中力が異常なほど高まっていくのを実感する。

 それだけではない、筋力、持久力、視力、聴力、嗅覚、ほぼすべての身体能力が研ぎ澄まされていく……。

 何度も使ってきたので、経験則で知っている。この効果が半日ほど持続することを。

 

 獏弥は胸元に抱くプラスチックケースに意識を向ける。中には、宗吾たちが見つけて来たロシア帽が入っている。

 

 久留須獏弥の能力は、なんの変哲もないダウジングとサイコメトリーの間に位置する、"愛着探し(アタッチメント)"である。

 異能力のままでは探しきれなかった距離を、不死鳥の血が拡大してくれている。

 やっぱり、間違いない。この帽子の持ち主は、あのマンションにいる。

 ここしばらく、夜はあの家から動いていない。

 昼間はどこに行っているのかわからなくて焦っていたけど、今日、ようやく目的は達せられる。

 

 

「絃木、そいつは頼むぞ」

 

「わかってるよ」

 

 最後のメンバーである、絃木弓鵜巳(つるぎゆうみ)が、ここに来るまでに誘拐してきた能力者の様子を見ている。

 絃木は薬物を扱うのが得意で、攫ってきた能力者に投薬して意識を奪うと、その状態で彼女の能力"催眠能力(ヒュプノーシス)"で逃げ出さない様に処理をしてしまっている。

 

 あと一人、あのマンションにいる能力者を攫えば、ワゴン車メンバーのミッションは達成に近づく。

 仕掛けるタイミングは、姐さんからの合図。ひたすらに、それを待つ。

 

「超能力者って、ほんとかな?」

 

 不安そうに要が言った。

 

「信じられねえよな。でも、姐さんは『この街が馬鹿正直にレベルファイブの人数を公表するわけないでしょ』って言うし。てか、徹兵の言う強そうな男以外にも、まだいるって姐さんいってたよな? それじゃ7人じゃなくて9人じゃね?」

 

「アホ。姐さんを淹れたら10人だろ」

 

「そういやぁ、藍花ってのはホントにいるのかねぇ」

 

 絃木が発言すると、残りが一斉に次の言葉を待つように押し黙った。

 

「なんだよ、黙るなよ。……いやなに、もし、藍花ってのがフェイクなら、誰が第六位なんだろうね?」

 

 "第六位・藍花悦"には色んな噂がある。ひとつが、藍花悦と名乗る人物が多すぎて、結局、本物はいないのでは、という都市伝説だ。

 

「姐さんに一票……ま、んなことこれからどうでもよくなるけど、さ。おい獏、大丈夫か? 静かだけどよ」

 

「大丈夫。いい気分なんだ。って、おい、宗吾たちも今日は"使う"んだろ?」

 

「やべっ、そうじゃん、俺たちも急いで"打た"ねえとッ」

 

 不死鳥の血を手にする要に向かって、宗吾は言い放つ。

 そこで彼は、トリップしたように宙を眺める牡丹要の異常さに初めて気が付いた。

 

「要? どした?」

 

 その症状に心当たりがある獏弥は、ゆっくりと要の手から注射器と不死鳥の血を取って、宗吾に腕を出すように顎をしゃくった。

 

「最初にコレを打つとね、万能感でボーっとしちゃうんだ。あれでかなり要さんは集中してるよ。遠くの音とかが良く聞こえて、面白いんだよね……あっ、そっか」

 

 七分咲宗吾は、両手両足が義手義足である。

 戸惑う獏弥に、宗吾は不安そうに己の首を差し出した。

 

「姐さんの合図が来るかもしれない。はやくしろ」

 

 徹兵がイラつきを抑えた声で、そういった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……ほんとに、わかっているのかな?

 週末。日曜。丹生が景朗のところにまた遊びに来た。

 ダーリヤにカレーを作ると言って、食材をぶら下げている。

 

 彼女の首元には、景朗がプレゼントしたロザリオ(ガリウム特殊合金製)もぶら下っている。

 ニッコニコである。そいつを見せびらかしたいからって、連日、遊びに来ないでほしい。

 

 ……今日は、食材を買って来てしまっているので、仕方ない。

 けれど、このままズルズルとこんな関係を許してはダメだ。

 ……これで最後にしよう。丹生にそう言おうと景朗は決心した。

 

 

 

 そう、なのだ。実はまだ、ダーリヤ・イリイーニチナ・モギーリナヤこと欠損記録(ファントムメモリー)は、景朗の家にいる。

 

 プラチナバーグからも、スパークシグナルからも、木原数多からも音沙汰がなく、ダーリヤを預かってからなんと2週間も経過してしまった。

 

 【ほんとは全部解決してるけど、クソ木原が景朗に連絡を寄越すところで止めているだけの嫌がらせ説】を疑って、昨日、木原数多に喧嘩腰で通話をしてしまったのだが、盛大な罵り合いにハッテンしただけで、大した収穫もない。

 

 

 

 

 ぐつぐつと煮える寸胴鍋の前に、エプロンを着た丹生と、子供用エプロンを着させられたダーリヤが"仲悪く"並んでいる。

 

「ダーリヤ、味見」

 

「んぐ。……うぇっ~、ちょっと、これカラいわ」

 

 実のところダーリヤは、わりと、というか、なんでも食う。

 けれども、辛いといって渋る表情はほんもので、これは流石に食べられるか怪しい。

 

「えっマジ、しまった。これでも辛いかー、牛乳と……粉チーズを入れるしかないか」

 

 粉チーズ、粉チーズ、と丹生は袋を探したが、はたり、と動きが止まった。

 

「大変! 粉チーズがない!」

 

 くるりと振り向き、タブレットを弄っていた景朗に、聞こえているのに大声でなんども繰り返しなさる。

 

「大変! 粉チーズがありません!」

 

「はあ、そうですか。うちも粉チーズは買い置きしてません」

 

「大変! 粉チーズがありません!」

 

「……」

 

「大変! 粉チーズがないとダーリヤちゃんがご飯をッ」「わかった買って来る」

 

 やれやれ、と腰を上げた景朗を、丹生はものすごくうれしそうに見送った。

 

「ウルフマン、わたしも行くわ」

 

「ダメですー」

 

 着いてきたいと言う割にダーリヤは玄関内で立ち止まり、動かない。

 

「なんか欲しいのあんの?」

 

「"グレネード"買って来て」

 

「え…? グレ? マジ?」

 

「"グレネード"ならなんでもいいわ」

 

「そんなお手軽に……」

 

 ダーリヤは唇を軽く噛んで、最後までじーっと、景朗が靴を履き、ドアを開けるのを眺めていた。

 

(しっかし、なんであんなに丹生は楽しそうなんだろ?)

 

 

 

 

 アジトにしている第七学区のセーフハウス(マンション)からでて、近くのスーパーへと向かう。

 駐輪場を流し見すると、丹生に買ってあげた単車が目に入った。

 

(丹生、なんだかんだで乗ってくれてるみたいだな)

 

 ふふ、と口元をほころばせ、マンション上階のカレーの匂いを堪能したところで、ケータイにメッセージが入った。

 

 差出人は"結標淡希"。

 

 要件は、"悪魔憑き"に助けを願う、と。

 急行してほしいと、切羽づまった内容だ。

 

 

 

 景朗は、丹生に万全の警戒をするように連絡を入れ、結標の指定した地点へと急いだ。

 

 場所は、窓の無いビル。

 要件は。

 アレイスターに詫びを入れたいので協力してほしい、とのこと。

 

 "悪魔憑き"がもたらす、あまり外れることのない第六感が嫌な予感を告げていた。

 もうすこしで夕暮れだが、無事、晩飯が食べられるといいな、と彼は呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 俺からアレイスターにとりなして欲しい。

 そう自分に頼んでくれた以上、できるだけ力になってあげようと思っている。

 

 相手はあのアレイスターだ。不安に思うの気持ちは分かり過ぎる。

 ぶっちゃけ、俺だって彼女と同じ立場なら、ひとりでアレイスターの前に出ていくなんてチビりそうでとてもじゃないが正気じゃいられないだろう。

 

 元気づけてやるつもりで、景朗は結標さんとくり広げて来たいつもの恒例ネタを準備していくことにした。

 

 つまり、大能力者の美人巨乳女子高生という学園都市の最高位カーストに君臨するお姉さまの好みのタイプを推測する体当たりのコーナーである。

 

 といっても、大した準備はできない。

 家から買い物に行くつもりで出て来たので、今はジャージ姿である。

 

 前は、さわやかサッカー青年系で駄目だった。

 今日は……何か、ネタを考えてなかったっけ。

 ああそうだ。声変わり前の小学生男子でどうだろ。

 

 そうだな、元ネタは○ィーン少年合唱団、あたりで。

 ジャージじゃムリか……?

 ま、いいや、テキトウで。

 

 待ち合わせ場所。

 窓の無いビルのそばに待機していた結標さんは、今にも死にそうな顔をしていた。

 こんな時に不謹慎かと思ったが、想像以上に思いつめている様子だった。

 

「あなた……その格好は……なんてこと。す、ばら…………どうしてここまでおぞましいの」

 

 深い懊悩にでも焚かれているのか、結標さんは歯を食い縛っている。

 やはりアレイスターへの恐怖は凄まじかった、ということだろうか。

 心中察するところだ。彼女の表情は苦しみに満ちていた。

 悲壮感に溢れている。

 

「どうしてジャージなの? それじゃあ小柄な中学生に見えるじゃない」

 

「……? あ、ああ、そうかもしれませんね。んえ? なんだかその言い方だと小学生が良かったみたいな言い方に」「馬鹿なことを言わないで。相変わらずいつだってくだらないわね。Lv5の余裕という奴かしら。こんな時まで私をからかって楽しいわけ?」

「そんなつもりは……あれ、でも今までで一番必死じゃないですか? いや、たしかに今回ばかりは冗談が過ぎたかもしれませんね。反省します」

「ええ。反省しなさい。それじゃあ89点よ。ギリギリ届かない」

「89点? え、点数やたら高くないですか? ジャージじゃなかったら90点越えしてたみたいな?」 

 

 ……あれ?もしかして案外喜んでます?

 

「……あなたは、わたしを元気づけようとしてきてくれたわね。だから、今までのお礼に、あなたにご褒美をあげるわ」

 

 結標は儚く笑って懐中電灯に電気を付けた。

 

 景朗はその瞬間、結標に向かって口を開け、舌をカメレオンのように射出して反撃に討って出ていた。

 

 しかし。学園都市最高の空間移動はそれよりも早かった。

 

 景朗の視界は暗転する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 叫び声も上げられなかった。

 自分がどこに転移されたかわからない。ただ、わかっていることはひとつ。

 このままここにいれば、自分は消滅する。

 

 大電流、過剰な摩擦。熱と衝撃と圧力。

 躰の組織がガリガリと強引に削られ、"悪魔憑き"は今も急激に質量を失っていく。

 一刻も早くここから脱出できなければ、自分は擦り切れた消しゴムのように存在を失ってしまう。

 

 重力を感じろ。ここがどこだろうと、方向がわかる。

 躰を伸ばせ。できるだけ堅固に。

 躰を削ってくる現象は、まるで異物を排除しようとする生命の免疫構造のような、流動性に富んでいる。

 だからこそ、もっとも抵抗が弱い場所を探せ。

 そこへ向かう。

 たどり着いたら、もう一度同じことをする。

 抵抗が弱い方へ。弱い方へ。

 

 景朗は幾度かそれを繰り返し、すっかりと溜め込んでいた肉体の質量を放出し、ようやく、ようやく、解放された。

 

 

 優先的に再生させた眼球が、その場所が一体どこなのか知覚した。

 

 ここは、窓の無いビルの、内部だ。

 

 なぜなら、目の前に真っ直ぐ浮かぶ"もやし野郎"の姿がある。

 

 景朗はひっくり返っていた身体を起こすと、必死に守っていたケータイを躰の内側から掘り起こした。安堵する。ケータイは無事だ。丹生たちに連絡が取れる。

 

 ……いや、取れない。ここは窓の無いビル。外界とは情報が一切、遮断されている!

 

 

「あ、アレイスター、さん。ここから出してください!」

 

 アレイスターは目を瞑り、静かに瞑想している。景朗のことなど眼中にないのだ。

 

 

 

(考えろ、考えろ。結標はどうして俺を呼び出して、すぐさまここに放り込んだ?)

 

 結標は最初から俺を殺す気だった? しかし、なぜ。危険を犯してまで、どうして?

 彼女にそこまでの恨みを買っていたとは思えない。

 

(他に、心当たりは!?)

 

 現在の心当たりは、ダーリヤと食蜂のこと。

 珍しくなかなか犯人を捕まえられないスパークシグナル。

 そして、突然アレイスターを裏切り、ゆうゆうと逃げ回っている結標。

 

 なかなかつかまらない、スパークシグナルが追う犯人。

 誰にも捕まえられない、学園都市最高のテレポーター。

 

 たったそれだけ。ただの直感にすぎない。

 

 

(丹生に連絡を取らなきゃ! 今すぐ!)

 

「アレイスターさん、お願いです! ここから出してください、今すぐ、お願いします!!

 出してくれ! 出せ! 出せよ! 頼むッ! 出してくれええええええええええッ!」

 

 正気を失ったように叫んでいた景朗を止めたのは、突然鳴り出したケータイだった。

 

(急に電波が入った?!)

 

 丹生からの着信。疑問などどうでもよい。

 

「どうした、丹生!?」

 

『ダーリヤが居なくなっちゃった! 連れてかれた! 襲われたんだよ、ごめん、景朗、ごめん! 守れなかった!」

 

「謝らなくていい! 丹生は無事か? 大丈夫なのか??」

 

『大丈夫、アタシは大丈夫だよ。ダーリヤが突然目の前から消えて、爆弾が現れたの。テレポートみたいに。とっさに防御したから、どこもケガはしてないッ……んんぅ!』

 

 ガシャリ、と丹生のケータイから大きな金属音がする。

 

「なにしてんだ? 丹生?」

 

『追いかけてる! 黒いワゴンが、猛スピードで逃げてる! ダーリヤに付けてた発信機もいっしょに!』

 

 丹生はあの単車で追いかけているようだ。

 

「は?! やめろ、俺がすぐ行く、危ないことはするな!」

 

『しないよ! 追いかけるだけ!』

 

「いいか、絶対に切るなよ!」

 

『うん! 信じて待ってる!』

 

 景朗はケータイを握りしめ、アレイスターに今一度頭を下げた。

 

「アレイスターさん、ハウンドドッグの任務で預かっている少女を助けないといけません。どうかここから出してください! はやく、お願いします!」

 

 そこで初めて、アレイスターはやっと、重たい口を開いた。

 

『その必要はない』

 

「なぜですか?!」

 

『もう一度だけ言う。その必要はない。放置してよい』

 

 アレイスターの言う『その必要はない』という発言に、景朗は頭が真っ白になった。

 アレイスターは知っている。状況を把握している。その上で、景朗には何もしない事を望んでいる。

 

 スパークシグナルが既に出動していて、景朗が出ていく必要がないということか?

 それとも、他の部隊が敵の動きを待ち伏せていて、今、一斉に検挙に向かっているとでも?

 つまり、雨月景朗が何もしなくても、ダーリヤは無事に帰ってくるって状況だということか?

 

 

 

 

 アレイスターは、もう喋らない。彼は、三度は言わない。

 

 

「丹生……まだ追いかけてる?」

 

『うん、どうしたの。今どこ景朗!』

 

「丹生、もう追いかけなくていい。今すぐ戻って。安全な場所へ逃げるんだ」

 

『はぁ!? えッ、いやだよ!』

 

「丹生、他の部隊が動いてる。俺たちが追いかけなくていいんだ」

 

『他の部隊!? それ、ホント?』

 

 景朗は黙った。本当かどうか、わからない。景朗の希望的推測でしかない。

 

『本当に本当にホントなの?! かげろうッ、ねえっ!!』

 

「丹生、危険だから戻れ!」

 

『いっ、嫌だよ! やだ! あたし追いかけるッ! ダーリヤを追いかけるッ!』

 

「もどってくれ!」

 

『ふざけんなッ! 何言ってんの?!』

 

「もどれ! もどれ! いいからもどれ!」

 

『景朗ッ本気?! 本気なの、ねえ!?』

 

「本気だよッ」

 

『何言ってんだよっ! ばかっ! バカッ! 馬鹿ヤロウッ! いいよ、じゃああたしが助ける! 死ネ!』

 

「ふざけんな! 暗部の仕事に首をつっこむな、やめろ!」

 

『グスッ』

 

 ケータイからは、丹生が悔し泣きでうめく嗚咽が混じるようになっていた。

 

『ふざけんなよ! 助けろよ! ダーシャを助けに行きなさいよ! ばかげろう!』

 

 丹生は叫んだ。景朗がやめろといっても、もういう事を聞きそうにない。

 

『あたし、ダーシャの気持ちわかるよぉ、ほっとけないよ!』

 

 丹生は動かない景朗に対する歯がゆさで、怒りを迸らせる。

 

『暗部でひとりぼっちのところを景朗が助けてくれなかったら、あたし発狂してたよ! 景朗がいたから暗部にいても怖くなくなったからッ、でも、ダーシャはまだひとりでそこにいるんだよ! あの子はあたしよりも賢いんだからもっと怖がってる! わかるでしょう?! どうして助けてあげないの? ッ助けろよ! 助けて、あげてよッ!』

 

 知っている。そんなことは知っている。わかっている。

 景朗だって理解している。泣きたいのは彼も重々いっしょだった。

 

『ダーシャはあたしにダーリヤって呼べって! お前はダーシャって言うなって言ってくんだよ、景朗がいないときにっ。景朗だけが"特別"だって、あたしは馴れ馴れしいって。だからムカついて調べたんだ、それでわかったのっ! ロシアではね、家族や親友は特別な"愛称"でお互いを呼び合うんだって。ダーシャは景朗にダーシェンカだとかッ、もっと違うあだ名で呼んでいいよって何度も言ってたでしょ? あれはね、親とか兄弟でしか言わないような、家族じゃないと呼ばないような"特別"な愛称なんだって。だからダーシャは景朗のことッ!』

 

 興奮しすぎていた丹生は息が続かなくなって、そこで一度大きく息を吸った。

 

『景朗はダーシャが『ウルフマンは"特別"』っていってたことを軽く見てる!

 あの子は何度も"特別"って言ってたでしょッ、あれは本物だよ、ダーシャの一番の願いなんだよ!!

 景朗は一番の友達で、お兄さんで、お父さんみたいで、初恋の人で、現実に表れたヒーローそのものでッ、それがみぃんな全部いっしょになった"特別"だったんだよ! ダーシャは暗部の絶望を景朗に託したかったんだよ、でもそれが言えなかったのは、賢いから、景朗が拒絶するってわかってたから、きっと今まで言いだせなかったんだよッ!

 オマエがッ、言わせなくしてたんだよ! ひどいよ!

 

 聞いてるッ!? 景朗!?

 助けないならあたしが助けるぅッバカヤロウゥッうぇっぐ、しねっ……ぐしゅ!』

 

 

 

 景朗はまるで電話ごしの丹生から逃げるように、水槽の中の男に背を向けた。

 

 

 

 帰ったら、ダーリヤはもういない。

 

 二週間は長すぎた。

 

 禁輸措置にしたお菓子を、ダーシャが丹生を使って密輸したこともあったな。

 帰ってきたときに、うっすらとお菓子の臭いがして、探し回ったが見つけられなかった。

 翌日、自分の洗濯前のシャツについたお菓子の臭いに気づき、負けたと思った。

 俺自身は、俺の臭いに鈍感である。

 あいつはそれを利用し、前日に「うるふまんの服で寝ていい?」と猫をかぶって景朗のシャツを着服。

 お菓子の隠蔽に備えていたのだ。

 

 

 はは。もう、そんなイタズラとはお別れか。寂しい、かな。

 

 

 ……丹生、マジで黙れよ。

 

 助けないなんて、ありえるか?

 あのチビガキを助けないなんて、ありえるか?

 助けたいに決まっている。

 気が狂いそうなほどに!

 

 

 でも。

 ダーリヤを抱え込んで、彼女を取り巻くトラブルが原因で、火澄やクレア先生たちに飛び火したら?

 

 それは、今まで殺した人たちにすら顔向けできない事態だぜ。

 

 だって、俺はそれを唯一の目的として、殺人を決行しているんだぞ。

 

 

 あくまで、アレイスターの意志で殺人が行われている。

 自分の意欲ではない。それが、景朗がしがみついている免罪符なのだ。

 

 だから。

 

 助けることにリスクが大きすぎるダーシャの保護は、それを破り捨てる行為なのだ。

 

 

 

 ダーシャはトラブルを抱えている。CIAや結標、ロシアの諜報機関に狙われている。

 彼女を引き込めば、俺の大切な人たちに更なるリスクを負わせることになる。

 そもそも、"彼女たち"からリスク遠ざけるために殺してきたんだぞ!

 ダーシャを守るために殺してきた訳じゃない!

 

 ダーシャを助けたいさ! けれど。

 ここでダーシャを助けて、リスクを増やして、そのリスクのせいでもっと人を殺して、助けて……それで、その繰り返しは、永遠に続いていくんだろ?

 それじゃあこの地獄から抜け出せないんだよおおおおおおおおおおおおおおおお!!!

 

 背を向けたまま、景朗はアレイスターを憎む。

 

 

 お前のせいだ。

 いつまでやればいいんだよ。

 

 お前さえいなければ……。

 

 人は俺をお前の忠犬だって呼んでるぜ……。

 

 誰だよ……ぶっ殺してやるよ!

 

 

 コポコポと、水槽で泡が立つ。

 その音の積み重ねが、逼迫する時の経過を知らしめる。

 

 

 ああ、ああ。時間がない。

 リミットが迫っている。

 

 

 

 ダーシャを助けなかったら?

 そんなことは考えられない。

 そんなことは考えたくもない!

 

 

 うるふまん、うるふまん、って俺の後ろをついてくるクソガキ。

 もうここでお別れか? 寂しいな。寂しいよ。俺がこういうと、なんて白々しいことか。

 

 

 ……ダーシャを助けなかったら……。

 

 その次は、いったい誰を助けられなかったと、後悔するのかな……?

 

 

 

 ……。

 

 ……いや……違うぞ……この先……俺は……。

 

 もう……誰も……助けないのかもしれない……。

 

 ……そうだ……そうじゃないか……。

 

 これほどまでに情のわいたあのガキんちょをここで助けないのなら……。

 

 俺はこの先、誰にも手を差し伸べることはないだろ……?

 

 冷たい現実。それは誇張なんかじゃなくて。きっと、永遠に。

 

 

 そしたら。そうしたら。なんだ、流れている噂話は、実物と遜色ないじゃないか。

 誰も助けない、冷酷な殺人狂。

 アレイスターの猟犬そのものに、なってしまう。

 ……なる? それは違う。その言い方じゃあ、遠い未来に、やがてそうなってしまう、ってニュアンスだ。

 

 違う。そんなに遠い未来の話じゃない。

 

 むしろ、俺が"そうなる"かどうか、決まるのは、今この瞬間じゃないか?

 だって、そうだろ。

 たった今、このときから、未来永劫、誰も助けることはないと、俺自身が悟ったんだから。

 だったら。俺は既に……こいつの犬そのものに、成り果てている。

 

 

 

 なぜ、今まで気が付かなかったのか?

 雨月景朗がアレイスターの猟犬に成り果て堕ちるのは、遠い未来の話ではなく。

 

 それが決まるのは、この瞬間、この時の選択によるのだ。

 

 いいや。過去、悩み、苦悩し、"現在"を選択してきた、その瞬間ごとに決まってきたことなのだ。

 未来を決めるのは、現在の自分の意志なのだ。

 

 

 

 アレイスターの忠犬のまま終わるのは、死んでも御免だ。

 俺は散々、そう嘯いてきたじゃないか。

 その言葉に偽りはないか? 偽りなどない。

 文字通り、死んでも嫌だ。

 終われない。こいつの犬のままで、死にたくない。

 

 

(景朗にやりたいことがあるんなら、他人の目なんて気にしないで)

("不老不死"、あなたは、心を生かしなさい)

(働きたくない悪事なら、やめてしまえ!)

 

 

 うるっさいな。人に説教してんじゃねえよ。

 

 そもそも、そんなことはどうでもいいんだよ。

 ダーシャを助けたい。死ぬとか、未来とか、そんなことどうでもいいから。

 

 

 夜中に泣き出していたダーシャ。

 精一杯強がっていたダーシャ。

 

 

 なあ、ダーシャ。

 君のマーマは、君を愛してなかったから消えたのかな。

 でも、君はえらく攻撃的で、傲慢なほど不屈で、誰にでも負けん気を持って立ち向かっていく。

 嫌い嫌い食べたくない、と吠えながら、食わせたものは全部、行儀よく食べてしまう。

 

 俺は、君のお母さんが、君を愛してそういうふうに育てたんだと思ったよ。

 

 結局、俺は今まで、ひとりで死んでいくのが怖かったんだ。

 でも、君の中に、君のお母さんの愛情を見出して、思い直したよ。

 

 人って死んでしまっても、思っていたより、人に多くの物を残せるのかもしれない。

 

 だからさ。

 そんな君がこんなところでいなくなってしまうなんて。

 どうやら俺は、そんな結末は死んでも許せないようだ。

 

 アレイスターが他の部隊を動かしているかどうかなんて当てにできない。

 自分でオマエを助けないと気が済まない。

 

 ああ、さっさとダーシャを助けに行きたい! 一刻も早く!

 

 

「丹生ッ、まだ聞いてる?」

 

『きいてるよ!」

 

「そのまま食い付け、絶対逃がすな」

 

『うん、わかった、わかった!』

 

 

 

 

 

 逆さまに浮いている"もやし野郎"に、景朗はもう一度、頭を下げる。

 心などこもっていない。結標が、笑顔を殺して景朗をハメたように。

 

 暗部の流儀で、お前にあいさつをくれてやる。

 

 

「アレイスターさん、お願いです。どんな手段でも構いません、俺をここから出してください。死んでも構いません。どうかお願いします。お願いします」

 

 膝をつき、手を着いて、頭を垂れた。

 

 アレイスターの返答など、どうでもよかった。

 

 彼が無視をするなら、最後の"切り札"、あの炎を吐く狼の姿になって、力の限り暴れてやるつもりだった。命が続く限りに。

 

 

 

 ほんの少し、部屋に明るさが増した気がした。

 そう思った時、景朗の視界はここへ来た時と同じように、また暗転していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 窓の無いビルに入った時の様に、ご丁寧にもアレイスターは壁の中に景朗を埋めて放り出した。

 入った時ほどは体重は削られなかったが、都合2回の極死芸当を敢行させられた彼は、その辺を歩いている男子学生より、よほど躰が軽くなっていた。

 

「……う。きっつ。躰が軽い。能力が発揮できない。時間がねえってのに」

 

 どこかで蛋白質を大量に補給しなきゃならない。

 

「き、きみっ! 大丈夫かい!?」

 

 警備員のお兄さんが、血だるまで四肢欠損状態の景朗を見つけて、血相を変えて駆け寄ってくる。

 

「あー、いいですか、ちょっとこっちに」

 

「なんだい!?」

 

「おらっ」

 

 ぷしゅっ、と景朗は麻酔針を警備員に突き刺した。

 気の毒だったが、救急車を呼ばれでもしたらめんどうだった。

 

 景朗は物陰に警備員を引き摺り、服を奪って、駆け出した。

 ところで、すぐに立ち止まった。近くに食べ物の匂いがする。

 

 そばの路地裏に入る。どんどん走る。

 目的は、どでかいゴミ捨て場だ。

 そこには、ほっかほかのファストフードや残飯が廃棄されている。

 

 嫌な予感はあたるものだ。丹生のカレーを食べられるはずが、こんなものを大量に食う羽目になるとは。

 ダーシャの顔を思い出して、景朗は勢いよく残飯にかじりついた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ってぇッ! コイツ、噛んでる! 放せ、放せ、放せやガキッ!」

 

 絃木はワゴン車の中で懸命に暴れるダーリヤに注射を打とうとするも、その行為を理解している少女は力の限りに抵抗を見せている。

 

 手伝え、と絃木は声を上げたかったが、他のメンバーはそれどころではない。

 ワゴン車の背後からは、全身銀色の甲冑をキメたイカれライダーが、クラッシュ上等とばかりにフルスロットルで追跡してきている。

 だから、運転手の才波と怯えている久留須以外、つまり力を貸してくれそうな武闘派の2人は、サンルーフから顔を出しっぱなしだった。甲冑ライダーへライフルを向けて、かれこれ数分は撃ち続けているのだ。

 

「クソ、かってえ! あいつレベル高けぇぞ!」

 

「ヘリまでもてばいい!」

 

 宗吾のグチに、徹兵が返す。

 一心不乱に撃ち続けていた要も、さじを投げつつあった。

 

「だめ! 頭に当ててもバイクにあてても効いて無い。全体を覆ってる!」

 

「徹甲弾でもだめか、なら、ヘリに乗ってる口径のデカいやつを使うか……獏、そこに曳光弾とかスタンシェルがあるだろ。RPGじゃねえけど、物理がダメなら電気や炎だッ」

 

「ねぇ、なんか臭くないッ?」

 

 押し黙っていた獏弥がようやく大声を出した。

 

「おいっ、ウッソだろコイツっ!」

 

 暴れつづけたダーリヤだったが、そうそう体力がもつものではない。

 ぐったりとしたスキを見計らって絃木が注射の準備をしていたところだった。

 

 絃木は己の膝から下が、ぐっしょりと濡れていることにやっと気が付いた。

 ダーリヤはおもいっきり小便を漏らしている。

 

「ばーか!」

 

「ふざけやがって!」

 

 激昂した女子高生は、年齢差を気にもかけず、腕力にモノを言わせて童女を殴りつけた。

 顔面を、腹部を、何度も、何度も、何度も。

 

 他のメンバーは緊急事態ということもあって、あえて彼女の蛮行を止めることもできなかった。

 直にぐったりしたダーリヤは、何も言わなくなった。

 ところが。暴力が落ち着いたところで、殴っていた方の絃木も急に意識を失ったようにシートに倒れ込んでしまた。

 

「絃木っ、どうしたの?」

 

 動きを止めた姿を不審に思い、要は様子を探った。

 絃木の手首に、見慣れぬバンドが巻いてある。

 それは、ついさっきまで暴れていた少女がつけていたものだ。

 スタンガンの小型版か?

 

「隔し道具! やってくれるね!」

 

 要はライフルのストックで、今一度ダーリヤの額を打った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ねえ君っ、何をしてるんですかっ」

 

 ゴミ捨て場で大食い選手権の居残り練習でもしてるかのごとく、血相を変えて残飯を書き込む青年を呼び止めたのは月詠小萌だった。

 

 幾人かがチラチラと気の毒そうに景朗の様子を覗いている事は知っていたが、気にかけている暇などなかった。

 

「ほっとけよ!」

 

 いっそ眠らせてやろうかと思っていたが、今にも泣きそうでこちらに飛びかかって来そうな小萌先生が相手だと、どうしてか暴挙に出られない。

 

「そんなものを食べたら病気になっちゃいますよ。ほら、こっちを向いて。わたし、女の子を探してるんです。結標ちゃん、っていうんですが。この辺で見たって人伝に聴いて、よかったら彼女といっしょに君も晩ご飯を」

 

 それがどうしたと言わんばかりに、いい加減に煩わしくなってふり向きざまに月詠小萌を睨みつけた。

 雷に打たれた様に先生は凍りつき、息を止めてしまった。

 まるで、痛みで肺が動かなくなってしまったかのように。

 

 今は先生に構っている暇はない。

 次は水。食べ物はあらかた食べた。水が大量に欲しい。

 

 景朗は耳を澄まし、水の流れる音を探した。

 小萌先生を無視して、すすす、と消火栓を見つけして。

 ガキン、と蹴り飛ばした。大量の水が流れ出してくる。

 

「こ、こらっ、何をしてるんですかッ! あ、あああっ、こらっ!」

 

 景朗は手のひらでがしっ、と小萌先生の顔を掴み、眼を塞いだ。

 そして。大口をあけて、大量の水を飲みほしていく。

 

「なっなにを、してるんですか??」

 

 無視。無視だ。月詠小萌は無視。

 くそ、丹生も電話に出れないのか、先ほどから応答してくれない。

 急がないとマズイが、ダーリヤの位置がわからない。

 

 ……そうか、虫だ!

 

 ダーリヤが何度も握りしめようとしていた、スズメバチもどきの凶悪な羽虫を、景朗は大急ぎで大量に羽化させ、背中から群れを解き放った。

 

「わわわっ、なにごとですか?! って、あれ?」

 

 ぱっと青年が手を放した。きょろきょろと周りを確かめたが、小萌の眼にはもう誰も映ってはいなかった。

 

 

 

 

 

 

 体表に光学迷彩をほどこし、景朗は目の前のビルを駆けのぼった。

 ばら撒いた沢山の羽虫たちはダーリヤの臭いを記憶している。

 彼らが目標を探し当ててくれるのを祈るしかない。

 

 ……耳を、澄ます。

 

 遠くから、ブンブンブン、と特徴的な羽音。

 飛翔とはまた違う独特の、合図として教えた羽音だった。

 

 子分たちがダーリヤを見つけたようだ。

 

 景朗は大鳳に姿を変え、一直線に向かっていく。

 途中で彼自身も見つけた臭いの正体に気づいて、思わず歓声を上げていた。

 

「ハッハハハ、賢イナ、アイツ! 小便ノ臭イハ分カリヤスイゼ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 脱出用のヘリコプターの隠し場所は目前だった。

 姐さんたちと準備した、最新鋭とは言えないが現行の輸送機だ。

 

「ヘリにもう着く、ガキ2人を詰め込むのに時間がいるッ。時間を稼げ宗吾!」

 

「ああくそ、やってやる!」

 

 徹兵の頼みに、宗吾は吠えた。

 

「あのビルを覚えろ、あそこの屋上でオマエを拾う。とにかく勝てなきゃ時間を稼いであそこに来い!」

 

「マジで頼むぜ!」

 

「足元に牽引ロープあるだろ? フック付きのやつだ、アイツを引っけて飛ばせッ、電柱とかガードレールとか使ってえ!」

 

「やるって!」

 

 血相を変えて、宗吾はシート下のガラ袋からワイヤーを引っ張りだした。

 

「大丈夫、やれる?」

 

「うるせー話しかけんな。あそこにかけて、あっちと、俺は飛んで。――よッしゃ」

 

「気を付けてッ」

 

 獏弥と要に見守られていたが、宗吾には愛想笑いを返す余裕すらなかった。

 徹兵が上手くワゴン車の背後正面に銀ピカライダーを誘った、そのチャンスを狙った。

 

 改めて考えれば、100km以上速度が乗った中での綱渡り。曲芸だった。

 それでも、不死鳥の血がもたらしていた極度の集中力が、それを可能にした。

 

 追跡者も達者だった。

 宗吾が投げつけたワイヤーを躱してみせた。だが、躱した時点で、意識をワイヤーから手放している。

 

 今こそ能力を使う。分割移動(バイロケート)を。

 宗吾のグローブ型の義手の中に内臓されている、もう一対の腕。

 テレポートで姿を現した左右のチューブアームが空中に出現し、ワイヤーの両端の片方をバイクに、反対側を道路側のレールに引っ掛ける。

 狙い通りに、ワイヤーはポールに引っかかる。

 

「ああッ!? ぁぁあああああああああああああああ!!}

 

 ライダーが大声を上げた。無理もない。バイクはポールを支点にして、スリップして急角度。

 それまでの推進力に比する過激な向心力が発生し、突発的な円運動へと発展したからだ。

 

 

 丹生多気美はバイクごと道路の外へと向かって跳ね上がった。

 

 

 死が間近に迫って、時間がゆったりと流れていく。

 不死鳥の血のおかげだろうか。

 

 ――――そう、七分咲宗吾が奇跡の芸当をやり遂げられたように。

 丹生とて景朗の血を服用しているのだから、対抗できないわけではない。

 

 とっさにバイクから液体金属の鎧を分断し、防御姿勢を取る。

 体中からハリネズミのように銀色のかぎづめを伸ばし、どこでもいいから引っかけて威力を削る。

 

「ぅぐッ」

 

 最優先で頭を守った。ゆえに背中から落ちたので、凶悪な打撲の衝撃がそこにはある。

 だが、大丈夫。痛い。痛いけど、これは痛いだけですむやつだ。

 

 弾けるように起きる。標的を急ぎ確認する。ワゴン車が走り去ってしまう。

 カィィン、と金属音がして丹生の肩を銃弾が弾けていった。

 逃げていく方向とは別からの攻撃。

 グローブを付けた少年がアサルトライフルを構えている。

 見たところ相手は1人。足止めする気だ。

 

 

 "水銀装甲(シルバーメイル)"は大能力相当の出力なのだ。

 銃弾なんか怖くない。ダーシャを見失うほうが怖い。

 足止め役になど目もくれず、丹生はワゴン車へと走り出した。

 

 流動する金属の動きを応用して、大地を凶悪な力で蹴って駆ける。

 

 

 

 しかし、もともと強能力だった"分割移動(バイロケート)"も、現在は大能力並みの力を出している。

 宗吾は腕部のテレポートを器用に繰り返し、信号や照明柱をとっかかりにターザンの綱渡りのごとく自らの肉体を空中で運ぶ。

 そのまま勢いを殺さず、雄たけびをあげて丹生の背後から飛びかかった。

 

「うおおおおおおおおおおおおおああああッ!」

 

 仲間を追わせやしない。その粋は良く、また注意を引き付ける意図もあったのだろう。

 しかし結果的に、宗吾の上げた大声は攻撃の好機を逃した。

 丹生が接近に気づいて反撃を見舞ったのだ。

 

 流銀の甲冑が振るう腕に追従し、銀の鎧は溶け出して長槍となった。

 

 大きく、そして鈍い金属音。

 

 薙ぎ払われた槍が宗吾の左足に直撃していた。

 

「くっそがあああ! 逃げるな! 来い!」

 

 

 手早く左足の破損状況をモニターする。底部についていたセンサー類は完全に故障した。

 駆動系への被害はすくないが、右足よりはるかに動きが悪い。

 

 

 一方、丹生はとっさに槍を振るったものの、相手の足を壊してしまったかと一瞬ためらい、続いて響いた金属音に中身が機械の類だと気づき、警戒を強めた。

 あれは武器も同然だ。防御により一層の集中を。

 

 

「うおらあっ!」

 

 宗吾は全霊で腕を振りかぶった。相手の肉体に直接届くようバイロケートさせて拳を放つ。

 甲冑野郎、いや、胸部装甲にふくらみがあるので甲冑女騎士か。どちらでもいい。

 相手がどこのだれだろうと、自分たちに余裕はない。

 

「ぐぶッ」

 

 丹生は腹部に衝撃をうけ、のけぞった。

 とてつもなく痛い。けれど、皮膚に張り付くように覆っている銀膜がガードの役に立った。

 

 

「らあっ!」

 

 悔しそうに叫び、宗吾はもう一度拳を放つ。貫通させたはずなのに、相手は能力で防いでしまった。しかし、ダメージは入っている。殴り続けて、時間を稼ぐ。

 蹴りを放ちたかったが、左足は壊れかけている。これ以上、脚部にダメージを蓄積させて走れなくなったらお終いだ。

 

 

「ぎっ! ぐぅっ!」

 

 続けざまに2発の衝撃を受けて、丹生は呻き続けた。

 

 確かに効いている。甲冑女は足を止めている。

 時間を与えるな押し切れ、とばかりに宗吾はラッシュを迫る。

 

 

「ぅぐ! ぐぐ!」

 

 悲鳴が心地よい。

 

 しかし。

 もう2発、左右の拳を放ったところで、宗吾のパワーアシストグローブにエラーが発生した。

 破損の警告がでて、そして、あっけなく、システムダウン。

 

「な、なんだ!? なにしやがった!」

 

 急ぎ甲冑女から距離を取って、腕を注視する。ビキビキメキメキとパワーアシストツールが音を立てて壊れていく。

 同じく、内臓されているほうの触手チューブアームにも違和感が発生する。

 ――腕の中で何かが蠢いている?!

 

「うおあっ、ざッけんな!」

 

 宗吾は慌ててパワーアシストグローブをパージした。両手からグローブを外したので、テンタクルアームが露出する。よかった、内臓アームは無事だ。

 

 ぎしり、と歯を軋ませる。

 彼は何をされたのか理解した。

 

 

 甲冑女は液体金属を操る。

 宗吾が殴った時に、彼女はグローブに少量の液体金属を忍ばせ、パーツの隙間から沁みこませて破壊したのだ。

 

 

 

 丹生は2発目のパンチを貰った段階で、"分割移動"のからくりに気が付いていた。

 奇妙な能力だが、あれはテレポートだった。あんなテレポートがあるのかと驚いた。

 

 だが、相手の手脚が機械だとわかれば、こっちのものだ。

 景朗と暗部時代に練習したとっておきの攻略法があった。

 精密機械に液体金属を浸透させ、一気に膨張させて内部から破壊する攻撃手段だ。

 

 

 続けざまにパンチをワザとくらって、ダメージを大げさに受ける。

 相手が詰めてきたら、こちらが罠を仕掛ける。

 

 そしてそれは無事に成功した。

 帰ったら景朗にキスしたい。

 

 

 さあ、テレポート野郎は腕と脚を壊されて動揺している。

 ワゴン車はもう見えなくなっている。

 この相手を捕まえて吐かせるか。

 

 

 丹生が更に仕掛けようと機を図ったところで、唐突に相手の少年が踵を返した。

 一目散に逃げ出したのだ。

 

 果敢に少年を追いかけ走る丹生は、ヘリコプターの飛翔音が近づいてきて、焦る。

 やつらは飛んで逃げる気だ。

 

 そこでハッと気づいて青ざめる。

 景朗から連絡が着ていたじゃないか。

 わかってはいたが、しかし、追跡と戦闘のさなか、余裕はなかった。

 しかしそれでも、応答を第一に優先すべきだったのに。

 

 とにかく、最後に届いたメッセージを見る。

 ()()()()

 そこにそう書いてあって。

 丹生は泣きそうになって息を漏らした。これで何とかなる、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 テレポート少年はすぐ近くのビルへ入り、上へ上へと逃げていく。

 丹生も後をついていくが、移動速度ではテレポーターに迫るので精いっぱいだった。

 

 

 屋上にでたところで、ちょうどヘリに乗り込む少年を目撃した。

 ヘリの側面には銃座がついていて、そこにポジショニングしていた女の子が強い眼差しを送ってくる。

 口径の大きなガトリング。人間が制御できる携行武器の威力を遥かに超えている。

 丹生の能力でも衝撃を完全に殺しきれるか自信はない。

 今までに受けたことが無い攻撃だった。

 

 まずい。とっさに飛び跳ねたが、屋上のコンクリート材ぐらいでは弾丸は突き破って襲って来る。

 丸裸も同然だった。

 

 

 GYEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEEE!

 

 空気を引き裂く2種類の音。

 一つは発砲音。そしてもう一つは。

 

 

 弾丸の衝撃が来る前に、丹生の身体は巨大な生き物に包まれていた。

 

 間一髪まにあった景朗が、彼女の盾になったのだ。

 

 

 

「景朗、よかった、よかった!」

 

「ケガシテネエナ?! タマクラッテネエナ?!」

 

 景朗は巨大な翼竜にも似た姿で丹生の身体を見回し、さすりあげた。

 緊急事態でお互いに照れはなかった。

 

「ケガはしてないと思う」

 

「良カッタ、無事ダ」

 

 ガトリングでの銃撃を続けたままヘリは高度を上げて逃げていく。

 ダーシャを乗せたままに。

 

 

「オマエハココニイロ!」

 

「行く! 乗せて!」

 

 景朗と丹生は見つめ合った。

 いつもなら彼女を戦いに巻き込みはしなかっただろう。

 

 だが、今の景朗は、質量が足りない。利用できる肉体が小さい。

 

 

 距離が離れすぎて、ヘリはとうとう銃撃を止めた。

 

 景朗は丹生が跨りやすいように巨体を伏せた。

 万が一の事態が起きそうになれば、身を挺す覚悟だった。

 

 1人と1匹は飛び立った。

 甲冑女騎士と翼竜。

 女竜騎士(ドラグーン)だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「もう撃つな要! 撃つなッ! 下の奴らにあたる!」

 

 撤兵の制止で獏弥は飛び掛かって、興奮とパニックで撃ち続ける要を抑えつけた。

 戦いの緊張のせいか、要はヘッドセットをつけ忘れている。

 これではヘリのエンジン音で仲間同士の会話すら聞こえない。

 

 猛る要にヘッドセットを付け、獏弥は跳弾や流れ弾で被害がでることを叱りつけた。

 要は石のように固まっている。

 

 

 獏弥はほっと胸をなでおろして、機内を見渡した。

 さらってきた少年と少女。少女は抵抗をあきらめたが、まだ意識がある。

 目があうと、この世すべてを睨みつけるような苛烈な敵意で獏弥に唾を吐きつけてきた。

 

 

 姐さんが絃木を雇った理由がよくわかる。催眠能力(ヒュプノーシス)でも使わなければ、この少女は自分たちに協力などしないだろう。

 

 追っ手を撒いたからか、絃木は再び薬品を取り出して少女への投薬を準備し始めている。

 宗吾は壊れかけた脚のメンテに必死だ。

 絃木を手伝おうかと獏弥が向き直ったその時だった。

 

 チカッと目に光が差した。

 寒気がして、獏弥は双眼鏡を取り出し、のぞく。

 

「敵だ! さっきのヤツがまだいる! 撤兵、みんな、敵だ!」

 

 

「ふざけんなよ! 超能力者ぅ!」

 

 注射器を握ったままの絃木が激高して叫んだ。

 

 

 

 

 

 第五学区でヘリに乗り換え、すでに第四学区の上空を通過している。

 

 信じられないことにヘリの後ろからは、得体のしれない飛行生物に乗った甲冑女が執拗に追いすがってくる。

 

 

 撤兵はなぜ相手が仕掛けてこないのか訝しんだ。

 もしや自分たちが撃つのを止めたのと同じ理由か?

 ここはまだ第四学区。食品関連のオフィスや工場が立ち並び、地上には人の群れがある。

 こんなとこでドンパチをしたら、無関係な人たちが血を流す。

 

 

 

 ……だが、最終目的地である第十九学区は、学園都市で最も寂れた学区だ。

 古い町並み。背の高い建物は少ない。人も少ない。

 だとしたらアイツラは必ずそこで仕掛けてくるだろう。

 

 ならば。ならば。……ならば。

 ミラーで仲間たちを見る。

 壊れた手足の撤兵。泣きそうな要。覚悟を決めた獏。

 ここで敵に捕まれば、仲間は死ぬより悲惨な目に遇う。

 撤兵は自分の良心を殺さなければと思った。

 

 第四学区にいる間に追跡者を撒かなければならない。

 

 

 操縦桿を握り、ヘリコプターの高度を下げた。

 

 オフィス街の中へ入り、ビルとビルの間を飛ぶ。真下には通行人がいる。何事かと見上げている。

 

 

「獏。ヘリにほんの少し角度をつける。アイツラを撃て」

 

「え?」

 

 獏弥も硬直した。先程撃つのをやめたじゃないか。相手だって。

 そこで獏弥も、撤兵の懸念に気が付いたようだ。

 

「やめろ。相手も撃ってねえ!」

 

「そうだよ!」

 

 恐れおののくテレポーター2人を見て。四肢の壊れかけた宗吾を見て。

 獏弥は唇を噛み切り、銃座についた。

 

「やめろ、獏! 下に人がいるだろぉが!」

 

「いいから撃てッ!」

 

 冷酷な相貌の撤兵が、ハンドガンを宗吾に向けていた。

 

「てめぇ!」

 

「殺すぞ! わかってんのか? ここで捕まったら死んだほうがましなメにあわされるんだぞ! 俺たち全員がだ! やりきるしかないんだ!」

 

 上体を起こした宗吾に、なおも撤兵は拳銃を突き付けた。彼が足を狙って撃とうとした、その時。

 

「獏、撃って。私がリロードする」

 

 要が銃座のそばについた。宗吾もあきらめたように唇をかんだ。

 

 

 そして、被害の省みられない銃撃が始まった。

 

 

「絃木ッ。宗吾の手が壊れた以上、そのガキには催眠をかけて走らせる! 今から能力を使っておけ、早くしろ!」

 

「わぁったよ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「景朗、追いつけないのッ?」

 

 歯痒そうに叫ぶ丹生に、景朗は何も言い返せない。

 

 第四学区、上空。地上には人がわんさか歩いている。

 

 ここでは攻撃を仕掛けたくなかった。

 追いつければいいのだが、相手は最新鋭ではないものの現行の学園都市性ヘリコプターである。

 最高速は時速300kmを超える。

 一方で、空を飛ぶ鳥の最高速は、ツバメがやっと時速170kmをマークする程度。

 飛行性能にそもそもの絶対的な壁がある。

 とはいえ、躰に燃料をたっぷり積んだ状態ならば十分に手は打てた。

 しかしながら、今の景朗はカラッカラのガス欠状態だった。

 

 懸命にチャンスを待ち続けていた景朗だったが、前方からマズルフラッシュが煌めきだして、さらなる覚悟を決めなくてはならなくなった。

 

「わっ」

 

 相手がしびれを切らして銃撃を再開してしまった。

 

 丹生をもっとお尻のほうに移動させる。

 景朗はのけぞるように躰に角度をつけて、発射された弾丸をすべて躰で受け止める。

 下には落とさない。

 自分はアレイスターの犬じゃない。誰に認められなくても、行動で示す。

 此れは俺の私闘だ。絶対に誰も死なせない。

 

 

 ヘリは銃撃のために機体をわずかに横に向けている。

 暴れているダーシャの姿を、景朗の卓越した視力がとらえた。

 

 

 

 

 

 その瞬間。肉体系超能力者の真価が発揮された。

 

 翼竜は吸い込んでいた空気を吐き出し、威力を抑えに抑えた空気砲を放った。

 それはヘリに命中し、大きく揺らす。

 

 

「わあああああああああああああああああああああああああああああああっ」

 

 

 ヘリ内で固定されていなかったダーシャが、見事に青空に投げ出される。

 

 

 

 景朗は高度を下げて急加速した。

 

 間に合う。間に合わせる。

 

 

「うっ、うるふまん!」

 

 

 景朗の頭に、ダーシャのお尻が乗った。

 

「うづふまぁん!」

 

「ダーシャ!」

 

 丹生が手を伸ばす。

 しかし邂逅はわずかの間だった。忽然とダーシャの姿が消えた。

 

 大能力級に底上げされた"引出移動(ドローポイント)"が、少女を再びさらっていた。

 

 やはり、ヘリをなんとかしなければ。

 

 

「景朗ッ!」

 

 丹生が叫ぶ。

 ヘリに乗り込ませろと言いたいのだろう。

 不思議なもので、言葉を交わさずとも景朗は察していた。

 

 

 

 

 

 

 迷う。丹生の能力を信じるか?

 

 

 

 夕暮れが始まっている。

 相手も、明かりのついていない窓を狙ってはいるようだが、これ以上はもうやらせない。

 

 ……だが、景朗の肉体は限界に差し迫っている。

 物資が圧倒的に足りていない。

 残飯と水だけでここまできた。

 持ってくれ。

 あの"切り札"を出すことを考えたが、現在のコンディションで意識を保てるか確信がもてなかった。

 

 

 とうとう、時間切れになった。

 ヘリの銃座が、今度はビルの窓ガラスを銃撃し始めたのだ。

 

 あの高さで、あれだけの量のガラスが降り注げば、死人が出る。

 

「ニウ!」

 

 景朗は吠えて、丹生をヘリ目掛けて放った。

 彼女は銀色の鎧で、しっかりとヘリの後部に取りついた。

 

 "それ"を聴覚だけで把握しつつ、景朗は翼を広げてガラスをすべて身に受ける。

 

 破片を受け止めると、今一度、銃撃の嵐に自ら躰を差し出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ヘリの後部に取りついた丹生に向けて、宗吾と要はライフルを手に取り、銃弾を叩き込んでいた。

 だが、弾ける。甲冑には通用しない。

 

 撤兵が叫ぶ。

 

「テーザー銃を使え! レーザーでもいい、溶接機でもいい、熱と電気だ!」

 

 宗吾がスマートライフルのスイッチを切り替えた。

 銃弾に多量の静電気を込めて発射する、VOLTモードへ。

 

「ぎいううッ!」

 

 銃弾は効かずとも、電流による激しい痛みが丹生の動きを縛ってしまった。

 

「撃ち続けろ!」

 

 要も静電気弾に切り替えて射撃する。

 あと少しのところだったが、丹生はたまらずヘリのテール部分へと後退し、身を隠した。

 

 

「絃木! 終わったか?」

 

 撤兵の催促に、絃木は目を血走らせて怒鳴った。

 

「ムチャ言うな! この揺れで注射が打てっかよ!」

 

 

 ヘリはめちゃくちゃに揺れている。投薬に使う薬品の種類も分量も、目分量だ。

 それでもかまうものかと、彼女は投げやりだった。

 

 戦闘の余波とダーリヤの抵抗で、注射器は2つも駄目にしてしまっている。

 最後の三つ目だが、こうなればどこでもいいから刺してしまったほうがいいのか。

 

 少女に近づく。ヘロヘロの抵抗だ。揺れで手元はガクガクだが、もう知ったことか。

 絃木がダーシャに迫った、まさにその時だった。

 

 怪物の咆哮が轟いた。ヘリのエンジン音に掻き消されぬほどの、エールだった。

 

「ヘッドバットォ! ダーシェンカアアアアアアアアアア!!」

 

 ギラリと憎らしい目つきが光った。ダーシャは力を振り絞ってジャンプした。

 硬いオデコが、絃木の顔面にクリティカルヒットした。

 

「ごッガァッ!」

 

 絃木は大量の鼻血が噴き出してよろけた。

 しかし。注射器はダーリヤの首に突き刺さっていた。

 

 

 

 

 

 

 タイミングは重なった。

 ヘリは、オフィス街をちょうど抜けたところだった。

 その先は第十九学区。

 人はいない。寂れた工場跡。

 

 

(もういい。持ってくれよ俺の躰!)

 

「ローターヲ斬レエエエエエエエエエエエエエエエエエ!!!!!」

 

 景朗の渾身の叫びに、丹生も全霊で応えた。

 液体金属の流動カッター。

 これだって、景朗と一緒に練習して磨き上げた技だ。

 

 白銀の刃は、ヘリコプターのローターを見事に切断した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ヘリは火花と回転を加速させ、墜落する。

 

 大地に衝撃を与える前に、ところどころから血しぶきを噴き上げる巨大で透明なシルエットが、機体の真下に取りついていた。

 

 土埃が舞う。

 

 

 

 9月14日。

 結標淡希の一味として反乱に加担した5人のメンバーは、墜落したヘリの中で全員が無事に目を覚ました。

 不思議なことに、いつのまにかヘリの中には"残飯の香りがする粘つく綿"が充満していて、それが衝撃を受け止めてくれたらしい。

 

 

 

 虫の羽音で意識を覚醒させた撤兵は、ハンドガンを手に取ってつぶれた機体から這い出した。

 なんとかそこまで移動はできたが、気が付くと血まみれの青年が目の前にいて、大した抵抗もできずに殴られて気絶した。

 

 

 

 

 

 

「ダーシャ、おい、ダーシャ!」

 

 ダーシャの意識は朦朧としていた。

 呼吸がおかしい。明らかに異常だった。

 

 景朗は細い神経の触手をダーリヤの首につないで、彼女の反応を確かめる。

 かなり危険な状態だった。

 薬物の成分が、脳にダメージを与えてる。

 

 景朗はどんなケガに対しても、自前の能力で応急手当を施す自信はある。

 だが、たったひとつのウィークポイント。脳みそには打てる手が限られている。

 

 丹生が茫然としてダーシャのそばに座っている。

 誘拐犯たちは5人とも羽虫の毒で意識を奪っている。

 

 景朗はヘリの中から薬品の詰まったケースを取り出し、絃木という女を引っ張り出し、解毒してたたき起こした。

 

「おい、起きろ。起きろ!」

 

「……あ?」

 

「この子に何を注射した?」

 

「……知らねえ」

 

「死ぬか?!」

 

「あぅっぐ! ああああああああああああああ! 本当だッわからねえんだッ手元がブレてどれを注射したかわかんねえんだッああああああああああああ!!」

 

 景朗の触手が絃木の神経を直接締め付けると、彼女は穴という穴から汁を出して泣き叫んだ。

 わからないのは真実らしい。

 

「くっそがあああああああああああ! 俺はなにやってんだ!」

 

 どれかはわからないが、薬は手元にあるのだ。

 じゃあ、全部試せばいい話ではないか!

 何十とある種類のそれらを、血まみれの青年は躊躇いなく飲み込んでみせた。

 

 

「かげろうっ?」

 

 鼻水を垂らす丹生の目の前で、景朗の眼球が血走った。

 リソースが少ないギリギリの躰だが、体当たりでどれがダーシャに入ったのか探してやる。見つけてやる。まってろ。待ってろ。待ってろ!

 

 

 脳を酷使した疲れか、呻くように、手を着いて。

 景朗はよだれを垂らして微笑むと、ダーシャのおでこを撫でさすった。

 

「……ぁぅ。……うるふまん?」

 

 戦闘の後だが、知ったことではなかった。

 そこには、素顔でにっこりとほほ笑む雨月景朗が、ダーシャを迎えていた。

 

「気分はどうだ?」

 

「痛い……」

 

「ほら、これでどう?」

 

「んぅ……あれ、痛くないわ」

 

 ダーシャは寝転がったままで、景朗を見た。

 

「うるふまん……わたし……これからどうなるの……?」

 

「心配するな。今は眠っていいよ」

 

「うん……」

 

「よかったぁ」

 

 安堵した丹生は、ダーシャの顔をハンカチで拭っている。

 

 唐突に、すくっと立ち上がると、景朗は丹生とダーシャの前に立ちふさがった。

 

 スパークシグナルの班長、クリムゾン01が、息を切らせて飛び込んできた。

 

 相手に敵対する意思が無いことを見て取っても、景朗はその場を動かなかった。

 一方で、クリムゾン01は素顔の景朗を前にして黙ってしまった。

 改めて、嫌な臭いのする男だと景朗は思ったが、そんなことは今、関係ない。

 

「何の御用ですか?」

 

「……あれだけ騒動を起こしておいて、か? こちらで尻ぬぐいをしているんだ、少しは協力してほしい」

 

 事態を把握したいのはどちらも同じだった。ここは情報を共有するべきだろう。

 

「こちらを襲ったメンバーは全員、そこで眠らせてある」

 

「ああ。途中から拝見させてもらっていたよ。……噂とはずいぶん違う戦いぶりだったな」

 

 クリムゾン01は、まるで大人をほめる子供のように柔らかな口調だった。

 景朗は若干面食らったが、直にどうでもよくなった。

 

「そちらはそちらで、別動隊とやりあってたと?」

 

「そうだ。結標淡希と、彼女と手を組んでいたCIAの潜入組を確保した。恐らくこれで一連の事件は収束するだろう」

 

「一連?」

 

「ツリーダイアグラムのシリコランダムの裏取引だ。そこの"欠損記録(ファントムメモリー)"はシリコランダムからデータを抜き取るためにCIAが欲していたんだ。だが本丸を抑えた今、もうその少女は必要ない。これまでご苦労だった。では、またな、"スライス"」

 

 不思議な男だった。機嫌良さ気に、彼は消えていった。

 

「よし。丹生、それじゃあ人が集まる前に――」

 

 景朗のケータイが鳴った。

 統括理事会委員の1人、プラチナバーグからだった。

 

「レスポンス早ええな」

 

 景朗は哂って、通話に出る。

 

『やあ。無事に預かってくれて、礼を言おう』

 

「いえいえ。それで、ご用件は?」

 

『約束の受け渡しについてだ。その娘の返却は君の都合に合わせよう。君の方も忙しいだろうから、先に一報入れておこうと思ってね。ゆっくり休息できないだろう?』

 

「そのことですが、少々お待ちを。時間は取らせません」

 

 景朗はしっかりと電話口をふさいで、それまでの無表情を打ち払うかの如く、にっこりと笑う練習をした。

 続いてしゃがみ込み、ダーシャに話しかける。軽快な笑みとともに。

 

「ダーシャ、実は新しい活動を始めようと思ってね。腕のいいスタッフを探してるんだ。俺の仲間に入ってくれないか?」

 

「う、うん。入る、入るわっ!」

 

 ぽけーっとして、ダーシャは事の成り行きを見守っている。

 丹生も、もどかしそうにダーシャのおなかをさすった。

 あ、ダーシャにぺしっとはたかれた。。

 

 景朗はケータイを再び口元に添える。

 

「ダーリヤ・イリイーニチナ・モギーリナヤを僕のスタッフに移籍させてください」

 

『……その意味がわかるね?』

 

 プラチナバーグはそりゃあもう嬉しそうだった。

 景朗をパシる口実が、棚ボタで転がり込んできたのだから。

 

「はい。はい。では、急ぎの後処理がありますので」

 

 

 通話を切って、景朗はダーシャの前に三度、しゃがんだ。

 じっと、2人は見つめあう。

 

「さあ。うどんでも食って帰ろうか? 大丈夫か?」

 

「うん、あのね、うるふまん、わたし……あじがとう、わたし、こうなったらいいなって、ずっと思ってたば」

 

 丹生は泣いてるのを隠すように、ケツを軽く蹴って来た。

 

「さぁて、丹生さん。君、何回、死ねって言ったかな?」

 

「……ふん、だ!」

 

 景朗はからからと笑った。

 

 ダーシャはまだうまく起き上がれないようだ。

 景朗に、そっと手を伸ばしてきた。

 

 

「……?」

 

 

 ダーシャは、硬直してじっと見つめてくる青年の姿を見て。

 ――――わけが分からなくなった。

 

 

 

 

 彼は、ダーシャのオオカミのような琥珀色の瞳に反射した、自分自身を見つめていた。

 

 

 

 

 ――――この手を取った結末が、どうなるかわかってるか? その責任を負えるのか?

 

 大丈夫さ、そうはさせない。覚悟を決めるんだ。受け入れるときが来たんだ。

 

 アレイスターの猟犬として自分の命運が尽きる前に、やるべきことをやらなくては。

 

 もちろん、どうなるかなんて知っている。

 

 俺は何度も何度も何度も何度も、アレイスターに逆らった無謀者の末路を見てきたんだから。

 

 でも、それでも、この手は必ず取るぜ。心の底からそうしたいんだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 仲間にする。やっと、ウルフマンはそう言ってくれた。夢のような瞬間だった。

 涙がでてきて、止まらない。

 ただ。ただ。ただ……。

 ウルフマンは遠く遠くを見つめていて、その眼はダーリヤを通り越して、まるで未来を見通しているみたいだった。

 なんだかひどく怯えていて、ウルフマンは嬉しくないのかしら、とすこし不安になってしまった。

 

 ウルフマンが、ようやくダーシャの手を取ってくれた。

 

 ふわふわの大きな手だった。

 

 ダーシャは、その時のウルフマンの表情を、生涯忘れることは無かった。

 

 強さと弱さが織り混ざった、"特別"なその顔を。

 

 

 




これから、4年越しに頂いた感想の返信を必ず行います。


episode34はそもそも暗闘日誌で一番表現したかった内容です。

何度も書き直し、気に入らなくて、結局また勢いにまかせて
がーっと書いて、へとへとになってもういっか、で投稿しております。


あとからちょこっと最後の部分を編集するかもしれません。
と言っても、言っている内容を変えるわけではありませんので、ご了承お願いします。



何人もの方が、いつまでも待ってるぜ、2020年もまってるぜ、と温かい言葉をくださいました。
背中をめっちゃ押されました。
お礼を申し上げます。ありがとうございました。勇気が湧きました。


ふっかつのT!

レールガン熱、燃えてます!


はぁ。以前から暗闘日誌は欝っぽいと言われておりましたが。
書いてる奴が鬱病でしたからね。
そりゃあうつっぽいですよねwww


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