とある暗部の暗闘日誌 作:暮易
一年・・・経つの・・・早いですね・・・
また新たな生活環境に慣れるのに時間を要してしまいました。
この長い休み期間に、感想を数件分お返事できずに貯めてしまってますね。
あとしばしお待ちを。おまたせしすぎて申し訳ないです。
数日中にお返事します!
白黒のお姉さんの話はまた今度聞けばいい。
ここでドレスの女を取り逃がすなどありえない。
決断を下したかどうかの、その間際に、景朗は少女の腕を掴んでいた。
カラダはまるでそのことを予知していたのか、捕食動物が狩りをするような俊敏さだった。
「あら?」
捕まったと言うのに少女は慌てもせず、余裕のある動きで見上げてきた。
視線が交わった。彼女の目つきは明確に語ってきた。
不埒を働いてきた男を見ているようで、しかし意識はそこに向いていない。
何か別のことを一生懸命に考えている――何かに集中している。
少女が能力の発動に意識を割いている。
慌てないのは、己の能力に全幅の信頼を寄せていたからなのか。でも。
「貴方、何ッ」
少女は、目まぐるしく油断と失策を悟ったようだ。
当然である。彼女の能力の正体は知らなかったが、恐れる必要などなかった。
以前、そのチカラは自分には通用しなかったのだ。
「シッ!」
とはいえ暗部で糧を得ている少女である。怯みはしなかった。
即座に攻撃を判断し、膝で金的を打ってきた。続いて流れるように、ドレスを着ているとは思えない切れ味の良いハイキックへとつなげてみせた。
身長差から頭部を狙えないと判断したのか、首の頸動脈を狙った技アリの一撃だった。
ただし残念なことに、一般人レベルの暴力が景朗に通じるわけもない。
「わっ! わっ! 何事だ!? 暴力はいかんよ、とにかく!」
「落ち着いて。"第六位"だよ。六位じゃないんだけど」
「あっ、貴方――ッ!」
「君も面識があるのか知らんがッ、いきなり女性を掴むのは紳士的じゃないぞッ。やめっ、ほら! やめたまえ!」
服の内側をまさぐり、武器か何かを取り出そうとしていたドレスの少女は、ためらいを見せつつも動きを止めた。
目の前の男の言葉を信じるかどうか。彼女の焦る表情は葛藤を隠せておらず、掴んだ銃器を握りしめるみしみしという音は、戦いを選ぶか今なお迷う、そのためらいを伝えてくる。
覚悟を決めたのか、少女は一度はぁっと浅く息を吐いて、じっと景朗を見つめてきた。
恐らくもう一度、彼女の精神系能力とやらを使用しているのだろう。
何度も反芻するように、当時の感覚を思い出すように、念入りに時間をかけている。
「本当にあの時の"貴方"なの?」
改めて通用しないことを悟って、抵抗するのをようやく諦めたらしい。
「休みの日はこんな"
「な、なんだ?! "第六位"? 何を言っている?!」
接客に加えて荒事にもまるで慣れていない白黒の知的なお姉さんは、どう仲裁すべきか盛大にテンパってくれている。
これは好都合な状況かもしれない。その時、衝動的に浮かんだ"ひとつのひらめき"に逆らわず、お姉さんの意識を自分に釘付けにできるであろう言葉を脳裏に秘めて、景朗は勝負に打って出た。
「お姉さん、先ほどの話、実に興味深かった。できれば、というかどうしても続きが聞きたいんですが、たった今、外せない用事ができてしまいまして。またあとで改めてお話するために、連絡先を教えてもらえません?」
「……君ね、この狼藉を前にして素直に教えると思うのかい? まず、そう、とりあえず、その子を放したまえ」
「そうよ。離してちょうだい」「それはできません。絶対に。でも! でもですね、あの、たった今これだけのやりとりでどうしてそう思い至ったのかうまく説明できないんですが、ずばりお姉さんとお付き合いしたくなったってのは嘘偽りのない本心なんです、もう告白しようって決めちゃってますので。なのでどうしても教えてほしいんです。知的なところが好きです。付き合ってください」
「……はぁ?」
「あらら。お邪魔しちゃってたのかしら。それなら大人しく消えるわよ?」
告白がドレスの少女にではなく、まさかの自分に向いているのだと察すると。
お姉さんは瞬く間に顔色を赤く染めてしまった。
接客、荒事に続き、色恋にもなれていないようである。
景朗ごときが色恋を語るのも生意気だろうか?
「いや本当に。一目惚れってあるんですね。大人っぽいというか、理知的というか、落ち着いた雰囲気にときめきました。恋に落ちた自覚があります」
「ハァッ?! にゃ。にゃ、にゃぅんだと。き、君、からかってるんだろ。そうだろ?!」
変装している景朗に怖いものなどない。彼は恥ずかしげもなくキリッとお姉さんを見つめ続けた。
いやもう凝視し続けたと言っていい。
(マ・ザ・コ・ン?)
ドレスの少女が淡い抵抗とばかりに口パクでからかってきたフレーズだったが、景朗はなぜかはっきりと理解できてしまった。
『黙れ』と意志を込めて少女を握る手に少し力を入れる。
指摘されて初めて気づく自分がいた。
(あれ? 俺ってマザコンなのか? ……どのみち)
どのみち素顔だったら絶対にこんな真似はできなかったよな、と。妙な奇妙さが湧き出て来て、原因不明の笑いが出てきそうで、景朗は我慢した。
ドレスの少女の腕を掴んだまま告白をぶちかます。景朗は非日常感には慣れっこのはずだった。しかし如何とも殺し合いはまるで別種といえる緊張感が、彼の思考を目まぐるしく明後日の方向へ追いやっているのに本人も気が付いていないらしい。
「そ、そ、そ、そぉぉっ! れなら、なおさらその子を放したまえっ! 話はそれからだっ!」
当然だが、手を離せるわけがない。
しかしそのために、からかわれているだけだと判断したのか、ついにお姉さんもちょっぴり怒気が表れてしまった。
「そうか。ならば断らせていただこう!」
地面に散らばっているインディアン・ポーカーを残したまま、お姉さんは最後にひとたび刺々しく景朗を睨みつけると、それから脱兎のごとく駆け出した。
やがては路地から抜け出した彼女の「警備員! 喧嘩だ! 来てくれ! 警備員!」という大声が聴こえてくる。
「フラれちゃったわねぇ。残念。さ、慰めてあげるから、どこへなりとも連れてって頂戴。それとも真っ直ぐ"彼"のところへ向かう?」
喧嘩だ、喧嘩だ――という叫びは遠くなっていく。
「ぜひとも。と言いたいところだけど、俺は本当に喧嘩をしにきたんじゃないんだよ。ただ繋いでほしかっただけ、君を探してたのはね。俺が会いたがってるって"彼"に伝えてくれないかな? もちろん、お礼はする」
景朗はしっかりと少女の瞳を見つめながら、ゆっくりと手を放した。
「そうだったの。でも蹴り飛ばしたのは謝らないわ。貴方は不躾だったもの」
「こちらこそごめんなさい、謝ります」
「はぁ。いいでしょう。彼に伝えとくわ。そうね……返事は、ここでしましょうか。その時はたっぷりお礼をちょうだいね」
彼女はポーチから名刺を取り出した。
名刺と言っても、極彩色あふれるカラフルさ。
セラピスト。サービス。
きちんと読む前からそんな単語が飛び込んでくる。
(こ、これは、名刺といっても、俗にいう如何わしいお店でなんちゃら嬢に貰う系の名刺なのでは??)
紙切れ1枚が『浮気』『離婚』だと男女間にトラブルを引き起こす系の……。
「あのぅ、これは?」
困惑度100%の景朗の質問。
少女は今までのお返しとばかりに、まともに答えてはくれなかった。
「予約制なの。早めに指名してね」
そう言い放ち、ウィンクを飛ばして、ふぅと息を吐いてしゃがみ込み、彼女は残されたインディアン・ポーカーをしげしげと眺め出した。
「これ、どうしたらいいと思う?」
「……そんじゃあ、俺が買い取っとくから、必要なら全部もってっていいよ」
第六学区にはこれからよく顔を出すことになる。あの白黒のお姉さんにもう一度会えたら、お金を渡そう。
「ありがと。それじゃあもらっていくわ。全部はいらないけど」
景朗は少女と一緒にカードを拾い集め、去っていくその姿をただ眺めて見送った。
実を言うと、ダーリヤは蒼月とやらの依頼にかなり乗り気だった。
インディアン・ポーカーで迎電部隊を欺いている奴らがいる。
つまり学園都市の検閲機関をダマして、外部へ情報をリークする手段があるのだ。
犯人を捜すことは、すなはち"アレイスターにバレずに情報交換できる技術"に迫ること。
迎電部隊に先んじてリーク手法を解き明かせたら、自分たちだけで犯人たちを始末してその技術を独占してしまえばいい。
独占が厳しい状況ならば、そのまま迎電部隊に成果を差し出し、恩を売り付ければいい。
そう言ってダーリヤは不敵で子供らしからぬ、欲にまみれた攻撃的な笑みを浮かべたのだ。
……なので、この一連のやり取りが取らぬ狸の皮算用にならぬように。インディアン・ポーカーとはどんなものか。まずはそこから知らねばならないと。
実際にカードと記録装置を入手して検討するべきだ。
ダーリヤはそう提案した。
しかしてさらに、彼女は"夢の記録装置"の設計図を見て『これくらいのなら造れる』とすら豪語したのである。
であるなら、景朗の役目は速やかに必要なものを揃えることだった。
「おら、買ってきたど!」
「おおー」
インディアン・ポーカー記録用デバイスの製作に必要なパーツは、玩具の部品からでも代用できる。そうダーリヤは言ってくれたが、サンプルや見本はあればあるだけ困らないはずだ。
結局、景朗はアンダーグラウンドなマーケットにまで足を運び、よそ様制作の記録用デバイスから見本品のカードまでひととおり揃えてきてしまった。
「あれ、作ろうと思ってたのにウルフマン買って来ちゃったのね。パーツは?」
「パーツも買って来てるよ。一応、見つけたから他の人がつくった録"夢"装置も持ってきた」
「うわぁー! よしよし。……分解するわ!」
秘密基地に帰ってきてそうそうに、景朗はそこが定位置だといわんばかりに喫茶スペースへと直行した。作り置きのアイスコーヒーで喉を鳴らすと、それからは作業するダーリヤをほうけた様に眺めることにした。
飽きもせずずっと見つめられていることに、少女はさっぱり気づいていない。
カードを明かりに透かして観察したり、買ってきたばかりの記録用デバイスを分解したいのか工具をしたためたりと、彼女はインディアンポーカーにかかりきりだった。
「ダーシャ、マジで造れるのか?」
「造れる。設計図があるでしょ」
手持ち無沙汰に話しかけた景朗に、なんども分かり切ったことを質問してくるな、と返事はぶっきらぼうになっていく。
買い出しに行く前に聞いたところでは、暗部組織ではずっとこういう事を勉強させられていたのだという。
天才児って本当にいるんだなぁ、と何度目かになる驚きを反芻しつつ、同時にそれが彼女の暗い運命を決定づけた原因であることにも思い当って、景朗の口は鈍くなった。
ふと、ありもしない想像に思いを巡らせてしまった。
ダーリヤに、その才気あふれる頭脳が無ければ、今頃どこにいたのだろうか、と。
やはりロシアにいたのだろうか。そこで幸せに暮せていたのだろうか。
自分だったら。
もし景朗に、超能力者に至る素養がなかったとしたら?
その仮定には容易に結論がつけられる。
今頃、自分は至って平凡な人生を送っていただろう。
血なまぐさい経験をすることも、取り返しのつかない業を背負うこともきっと無かったはずだ。
ならば……いや、違う。
自分とダーシャは、同列には語れない。
ダーシャに選択肢はなかった。
彼女は生まれてすぐにスパイとして教育を受けさせられた。
もし彼女の頭が悪ければ、途中でお役御免だったか? 普通の子供として育っていたか?
そんなわけがない。
むしろそのような境遇では、頭の出来が悪くて競争に勝ち抜けなければ、より不幸な事態に陥っていた可能のほうが高いだろう。
「そういえばウルフマンの言ってた"詳しそうなお姉さん(白黒頭のお姉さん)"って見つからなかったの?」
「あぁ……見つかんなかった。一応ね、十五学区(繁華街)も通って来たんだけどね」
工具箱が若干重かったのか、ダーリヤはそれを開ける時に顔をしかめたものの、あとは慣れたように目当てのツールを探っている。
こうして彼女の働く様を見ていると、映画に出てくる天才メカニックキッズそのものである。
おままごとのような光景だが、現実なのである。
しかもこんなヤツらが、どうやらこの街では珍しくもないときている。
たとえば、彼女の昔の職場の同僚とやらも。
景朗はそのまましばし眺め続けた。
ダーリヤが軍用ラップトップ(景朗は何台も買わされた)の画面を覗きこみ、チマチマやりだすようになって、一息ついたのかな、という空気感になってから。
彼はおもむろに語りかけた。
「……なぁダーシャ。そういや殺したいヤツがいるって言ってただろ? 誰なんだよ?」
「"死者の詩(ゴーストチャント)"」
「Ghost Chant? 能力名で呼ぶって相当嫌いなんだな……まておい能力者ってことは歳は? キミとそう変わらない歳のガキんちょじゃねえだろうな?」
「"くそがき"よ。小6だから……12才? ほんとくそがきだからハナシが通じないのよ」
「小学生……あのなぁ……9歳児に依頼されてのこのこ12歳児をブチ殺すと? 俺がそんなことをすると? 本気で思ってたのか、コラ……」
呆れる景朗に、ダーシャは予想外の怒りを表明した。
不機嫌さを隠しもせず、いかにもな暴投でダーリヤは端末をぶん投げてきたのである。
飛距離すら足りていなかったが、危なげなく景朗は腕を伸ばしてキャッチすると、何すんだと睨みつけた。
「だってキショいのよ」
しばらく睨み合ったが、ダーシャは頑なに端末を見ろ、見ろよ良いからはよ見ろよゴルァ、とジェスチャーを繰り返すのみ。
埒が明かないので手元の画面に目をやった。
「あ。すまん」
くだんの"死者の詩"のプロフィールが表示されていた。
「"死者の詩(ゴーストチャント)"。死体から記憶を読むサイコメトリー。能力者本人が対象を殺害した場合はより高精度な読み込み(リーディング)が可能。能力の対象生物は人間のみならず、幅広く脊椎動物を包含する……」
「ヒトだけじゃなくて、ノラネコとかスズメとかカラスなんかもナイフで殺してたわ。わざわざ毒を塗って。けらけら笑っててキッショい"がき"なのよ!」
「便利だなぁこれ。現場で飛んでた小鳥なんかからも情報収集できるわけか。で……んあー、目の下にデッケーくまができてんなぁ、ついこないだまでの誰かさんみたいに。こいつ、仕事は楽しんでやれてなかったクチか?」
「知らない。キョーミないわ。いっつもガイコツみたいな顔しててフラフラのくせに。ちょっとカラダがデカいからってワタシにボーリョクをふるって自分のシゴトを押し付けてたわ。今からでもウルフマンにコロしに」「ハイわかった! もう俺のチームに居るんだからいいじゃん。二度と会うこともないじゃん? 忘れようよ。蒸し返して悪かった。あ、そうだ。なんか甘いもの食べようぜ?」
ダーリヤは不満さを隠さぬ一方で、文句を垂れつつもちょこまかと動かしていた手を止めた。
1日の糖分摂取量を適正値へと矯正させられた今、甘味の魔力にはいかんとも抗えないのだろう。
「食べるっ」
「おkおk」
景朗は最後にもう一度だけ"死者の詩"の顔写真に目にとめた。
なんだか、初めて会ったときのダーリヤに印象がかぶる。
子供には不釣り合いな巨大な目の下の隅は、たしかにガイコツを彷彿とさせるほどに黒ずんでいた。
業務用のくそでか冷蔵庫から、買い置きのエクレアを取り出すと、ダーリヤはスソサスススッ、トタタターッ、と近寄り見る間に奪い去っていった。
なんと軽い足音なのだろう。本当に体躯は子供そのものなのだ。
ダーリヤを助けて、身近において暮らす様になって、景朗はふとした瞬間に考えざるを得なくなった。
統括理事会が創ったこの街の裏社会。
その最下層で使われる暗部の子供たちの中には、ダーリヤと同じような境遇の者がまだほかにもいるはずなのだ。
当たり前のことなのに、これまで深く考えようとしなかった。いや、深く考えても意味がないと、それで済ませてしまっていた。済ますことが、できてしまっていた。
しかし、今となっては……。
四六時中、『疑問』が脳裏から離れなくなってしまっていて、景朗はまた気分転換にアイスコーヒーをガブガブとあおらなくてはならなかった。
実際のところ子供とはいえ、暗部で手を汚した倫理無き犯罪者たちには変わりない。
だから誰も彼らを助けないのだろうか?
助けに期待する馬鹿馬鹿しさを悟っていたが故に、ダーリヤは景朗を探し続けたのだろうか。
救援を求めるのではなく、ただ寄り添える大樹の陰を。
せめて等しく、暗部の絶望に立ち向かってくれる頼もしい仲間を。
景朗は誰かに助けなど求めなかった。
今まで気が付かなかっただけでそれは、ダーリヤが縋りついてくるほどの強さを、自分が持て余してきたということなのだろうか。
それでも、いくらダーシャが罪を犯しているとはいえ。
不運の果てに暗部へ落された弱者であれば、助けを望む資格はあってもいいはずだ。
でも景朗は、彼らの内のいくばくかにでも救いの手が差し伸べられたという話を聞いたことが無い。
悪がはびこるのが世の必然なら、それに抗する善なる者たちも少なからず現れて然るべきなのに。
暗部から救済される。そんな夢みたいな話がどこかに転がっていないかと、他人事でもいいから耳にしてみたいものだと。
そう期待して来た1年だった。
だが結局、この街の闇には、かすかな光すら届くことはなくて。
この街にだって少なからずいるはずの善なるものが、何もできないというのなら。
それはいったいどうしてなんだろう?
景朗なりに理解に至った結論はある。
ダーシャのような子供たちが苦しんでいる状況が、この街ではそもそも"悪"だとみなされていない。
そうとしか考えられない。
子供が消費されるのは悪ではない。
立場の弱い者が地獄を見るのは、予定調和であり、イレギュラーではない。
この街のシステムが許容している"必要性"だ。
それが正常だとして成り立っているのだ。
そのクソみたいなシステムを創って、運営しているのはどこのどいつか?
暗部の人間ならば、統括理事会と答えるだろう。
……だが。
景朗は数奇な運命から、理事たちよりもっと"上"の存在へ。
この街の裏世界の、もっとも強大な核心部分に身を置けている。
実のところ理事会すら恐れる、頂点に立つ支配者の存在。
あの"もやし男"さえ――。
本当に本当のところで、"あいつ"が許しさえしなければ、"あいつ"がこの惨状にNOと言ってくれさえすれば、この街では善行でも悪行でも、何ひとつ成り立たないのだと漠然と理解し始めている。
つまりは。
ここで繰り広げられている"できごと"はあの男が意図して創り出し、是として運営しているということになる。
"あいつ"にはそれだけの責任があるはずなのだ。
たった1人の"あいつ"の意志によって、多くの運命が捻じ曲げられている。
そこに自分だって含めていいはずだ。
歪みは連鎖して、弱い部分から順番にひび割れを起こしている。
ダーリヤを手元に置いたのは、景朗の単なるエゴだ。
何かを救済する行為とは、ほど遠い。
"あいつ"さえどうにかなれば、光明だって見えてくる。
いつ。だれが。どうやって。
ただ――――良いことをすれば、悪いことがチャラになるわけじゃないんだ。
目的はいつだって絞らなければ。
からんからん、とグラスの氷で音を立てる。
――――なあ、最近。調子に乗ってないか。
たったひとりガキンチョを助けたからって、なんだよ、何か変ったのか? 変えられたつもりか?
聖人君子になった気分か? 今までのがこれでチャラになるのか? お前正気か?!
そもそも、"助けた"って胸を張れる状況かい?
こどもをひとり"助けてみた"って、そのへんの動画のしょうもないタイトルみたいな、チンケな話じゃないのか――――
「ムグッ、フマン! 手が空いたらカード使ってみるって言ってたでしょ! ムグ、ングッ。はやくしてッ!」
エクレアにかぶりついていたとてダーリヤはやっぱり目ざとく、何もせず眺めていただけの景朗にしっかりと腹を立ててしまっている。
「あうお、オッケー」
I.P.(インディアンポーカー)カードを額において横になる。
しかし。
最後に寝たのいつだっけ?
と自問自答して明確な記憶がでてこないくらいには、"眠りにつく"という行為から景朗はすっかり離れていた。
(あれ?)
すんなりと意識を手放すことができない。
だがここであっさりと諦めるなんて、もってのほかだ。
自らに強く、再認識させる。
もし、本当にインディアン・ポーカーで内部機密をリークしている奴等がいるのなら。
そいつらは相当に上手くやっている。
なんぜ、あのアレイスターの目をかいくぐり、外部と情報を交えているのだから。
ダーリヤの気の入れ込みようは当然だ。
今もっとも、自分たちに必要な技術なのだから。
とりあえず、横になって意識を落として休息をとる。
だが流石に、この労役から長く解放されてきた景朗とて、無意識のうちに脳を休ませてはきたはずである。
たとえば、一部の海生哺乳類や鳥類が右脳左脳を交代々々にして片脳ずつ睡眠をとるように。
さりとて、今の今になって所作がわからなくともやるしかない。
起きつつ、眠る。同時に何とか為し得ないか。
そもそも睡眠に近づけば近づくほど、能力使用のための集中力は無くなっていく。
かといって、意識を手放せるように臓器に仕掛けを施してしおうかとも考えるが、問題がある。
"脳みそには極力、手を加えたくない"のだ。
それは誓いや信仰にも近く、破ろうとすれば猛烈な忌避感を景朗に与える行為だったが、ダーリヤの期待に応えようとする気持ちがこの時ばかりは勝利したようである。
警戒に割いていた集中力が低下していく。それに伴う凶悪な不安感も押しとどめる。
車の排気音や人の話し声といった耳に入る外界の情報が、どこまでも遠く離れていく。そんな感覚だった。
そろそろだと確信が己のうちに沸いたころに、景朗は天井のその向こうを、別の世界を空想して凝視した。
初めは、それが夢の中だとは気づけなかった。
バグを起こしたゲーム画面のような、真暗で何もない空間が、ただそこにあるだけだった。
この闇こそが"無意識"なのか、と勘違いすらしたが、そうではなかった。
突如、一人の人物が出現したからだ。
なんとも夢だと分りやすいことに、見覚えのある人物だった。
つい先ほど見かけた白黒メッシュ2原色のお姉さんだ。
ただ、白黒頭の知的なお姉さんは、景朗のことなど瞳に映してはいなかった。
昼間の打てば響くような知性は鳴りを潜め、ただただ陶酔し切ったかのような演技ぶりで、一方的に口上を垂れてくるだけである。
景朗のほうから話しかけても会話は成立しない。
まさしく、再生された動画に視聴者が画面外から相槌をけしかけるような無意味さである。
これが、明晰夢を味わっている感覚なのだろうか。
明晰夢とは、夢の中でこれが現実ではなく夢であると自覚できるものを指す。
それにしても。
『放置できない脅威』『脅威を排除することはさらなる脅威を産み出すことになる』
お姉さんは不安を煽るだけ煽って、具体的なことは何一つ言わない。
"暗号"なのか?
特定の誰かに向けたメッセージなのだろうか。
暗部のド外道どものことを指しているような気もするが。
おおざっぱすぎる主張で、このカードの作成目的がさっぱりわからない。
この謎のお姉さんにはもう一度話を聞いてみたいものである。
まどろみを自ら打ち切った景朗は、音もなく上体だけを起こした。
ゆっくりと含みを持たせた動きで、真横を向く。
いつのまにか横たわる自分の姿をデジカメで撮影していたダーリヤに、そして無言の抗議を送る。
もちろん、女児童の行動には気づいていた。
眠りについた景朗を見て何らかのチャンスと思い立ったのか、ここぞとばかりにダーリヤは撮影ツールをどこからか取り出してスタンバイ。
それはさながら希少生物の映像をハントするために、大自然に根を張るプロフェッショナルな撮影クルーのように。
遮熱シートらしきものをかぶり、カメラだけをこちらへ向けている。
「満足スか?」
「ウルフマンのすいみんシーンは貴重だわ」
「なんだろ、なんだろ。この何かを失った感。何も損はしていないはずなのに」
ダーリヤも取れ高に満足がいったのか、ぱちりとそこで録画を終えた。
小さなため息とともに立ち上がった景朗は、呆れがそうさせたのか、わずかに怒った風をよそおい、わざと声を荒げてみせた。
「こんなに散らかすのはいいけどさ、録夢デバイスはできたんかい?!」
「ソコ!」「あえ?」
ちっさな指が指し示す、カウンターテーブルの上の無機物はまさに。
I.P.(インディアンポーカー)作成装置の完成品と思しき機材だった。
「はええなぁ……いやそうじゃないのか。俺、どのくらい寝てた?」
「30分くらい?」
「そんなにか! ……すまん、最速で作ってくれてお疲れ様でした」
景朗の体感では10分も躰を横たえてはいない。
改めて睡眠の無防備さと記憶の曖昧さに身震いする思いだった。
忘れるのは一瞬だ。
睡眠をとらずに活動ができるようになって、1年も経っていないのに、である。
「早く動作チェックしてっ!」
「また寝ろとぉ? たった今目が覚めたんですけどもッ!」
今しがた眠って起きたばかりの人間に向かっての、容赦のない要求だった。
じんわり湧いてきた無情感を追い払って、ダーリヤ手製の記録装置に手を伸ばそうとして。
その前にふと振り向く。
ダーリヤは先程から遮熱シートの下で伏せたまま動いていない。
カメラをオフにしたのに撮影機材の撤収作業に入らなかったのでヘンだと感じていた景朗だったが、ここで得心がいった。
クソチビはこれからの録夢テストもばっちり録画する算段なのだ。
「ふぅん、そういうことかい。ふぅん、だからカメラ片付けないのね」
景朗は意地の悪い笑みを浮かべ、カメラの撮影範囲からわざと離れたところで横になった。
ぱたぱたと慌てたようにチビガキは動き回る。愉快そうに笑いながら、景朗は目をつむった。
なんとも呼び名に困る迎電部隊クリムゾン01こと自称蒼月氏から進呈された"疑わしい能力者リスト"――ダーリヤが書庫や暗部のデータベースで調べてひとりひとりに注釈をつけてくれている――を上から下までスクロールしながら、景朗は実際にインディアンポーカーを試遊して察した結論を不意にぶちまけていた。
「眠りながら能力を使うのって、普通の人間にできるかね?」
「ワタシにはムリだわ」
「だよなぁ」
ダーリヤからの同意もあった。
景朗はむくりと寝転がっていた床から身を起こし、真面目な会話をしよう、と少女に向き直った。
「おもいっくそ当てずっぽうの直感なんだけどさ、俺は眠っているときに能力を使えるヤツを当たってみたい。どう思う?」
「そんな能力者、もうとっくにスパークシグナルが抑えていると思うわ」
「あー、違う。夢を操る能力じゃなくて、能力で嗅覚そのものを鍛えてる奴らを調べるんだ」
「そういうこと。……わかったわ。それはたしかにウルフマン向きね」
眠っているときでさえ意のままに能力を使える能力者。
精神系能力者にはそれができそうな者がいそうだが、もしそんな例外があったとしてもだ。
その例外たる能力者を除いて、能力は基本的に起きてる時にしか能動的に使うことはできない、と仮定してしまってよいのではないか。
これが、実際にカードを試遊してそれを実感した景朗の結論である。
肉体系の最高峰であるという自分ですら、睡眠をある程度のレベルで操るのに手間をかける。
どこぞにいる犯人が、覚醒中、つまり目覚めているときに能力を使ってカードに細工しようものなら、その時の記憶を感知系の能力者にすっぱ抜かれることになる。細工された夢を見た者も、同じくだ。
迎電部隊は学園都市の出入ゲートに張り込み、検閲を行っている。
念話能力(テレパシー)、精神感応(テレパス)、念写能力(ソートグラフィー)、読心能力(サイコメトリー)。
抜け目なく感知系能力を揃えてる迎電部隊を誤魔化すなんて方法は、景朗にはさっぱり想像もつかない。
「ここまで迎電部隊が手をこまねいてるってことは……能力を使ってる当人に犯罪の片棒を担いてる自意識がないって可能性もあるんじゃね?」
「ワタシもその仮定はアリだとおもうわ。リストには一般人(非暗部)が多いし、スパークシグナルも一般人を利用して犯行が隠蔽されているって疑っているんだと思う」
暗部組織は、ある意味で、学園都市理事会の完璧なコントロール下にあると言ってよい。
この暗部組織の中に裏切り者がいると迎電部隊が疑っているのなら、景朗に助けを求めてなど来ないはずである。
インディアン・ポーカーという新ツールは、瞬く間に学園都市全体に拡散しつつある。カードの枚数は180万人もいる学生が日夜作成しつづけ、もはや1枚1枚管理するのは難しくなっている。
この状況に紛れて何らかの工作を行っている犯行グループだが、彼らの手口は未だに露見していない。
蒼月が景朗に協力依頼を送ってくるほどである。
景朗とダーリヤも、やはり迎電部隊と同じ疑いに到達した。
犯行グループは、全く関係のない無垢なる学生のインディアン・ポーカーに細工を行い、自らの手駒としている。当人にすら気づかせることなく、恐らくは秘密裏に。
「俺が気になるのはリストに載っていない、この4人だよ。
"猫耳猫目(キトゥニッシュ)"
"繊維織り(シルクワーム)"
"金属探知(メタルチェッカー)"
"宝石鑑定(ストーンエッセンス)"」
ごっつい軍用ラップトップをイジったままだが、ダーリヤはちゃんと聞き漏らさずに「選んだ理由は?」と続きを促してくる。
「蒼月にもらったリストに載ってるやつらは全員、普通の人間では知覚できない匂い、"超嗅覚"を利用できている。けど、こいつらのほとんどは能力による知覚、第六感(ExtraSensory Perception)で認知してるだけだろ? だからたぶん、寝てる間は上手に能力を使えないと思うんだ」
寝ている間や無意識に能力が発動することはある。だがそれはAIM拡散力場や能力の暴走といった代物であり、能力の適正活用には、極度の集中力が必要である。
それは『寝ていながらにして数学の問題を解け』という矛盾した行為に近いのである。
「けどこの4人は、なんというか、能力の使用履歴や"超嗅覚者としての俺の経験とカン"からさ。能力で嗅覚を底上げして匂いを感知してる"ニオイ"がするんだよな。五感、つまり嗅覚で匂いを嗅ぎ分けてるわけだから、睡眠中、無意識で能力を暴走させた状況でもカードを使える可能性があるかなぁと」
「もしかして、さっき寝てる間にそれを確かめてたの?」
「まあね。……んで、コイツ等4人のレベルは低いんだけど、超嗅覚を発揮できるポテンシャルはありそうなんだ。"猫耳猫目(キトゥニッシュ)"、本人曰く『ねこのチカラ』。夜目と聴覚の発達。でも嗅覚は? 本人が幼くて気がついてないだけってセンもありそうでさ。次、"繊維織り(シルクワーム)"は雑草から糸を紡ぎ出すって能力で。……どうやって草木から有用な繊維、つまりポリマーだけを選り分けて抽出してる? ってところで嗅覚で選別してるかもしれないってわけ。3人目、"金属探知(メタルチェッカー)"。コイツ、盗難車の追跡をしたことがあると資料に載ってる。嗅覚も利用してる可能性大だろ? 最後の"宝石鑑定(ストーンエッセンス)"は……コイツは直接触らないと能力が使えないらしい。ガラス越しではダメだと。なのに、目隠しして当てることはできるらしい。自覚が無いだけで嗅覚も利用してる可能性アリ、かな」
「とにかく今は手がかりが少ないから、現場に打って出るのは賛成するわ。それでワタシ次は、インディアンポーカー記録器作り終わったし、スパークシグナルの"ウラ"を取ってみたいのよ。ずっと気になってたのよ、この一件の事実確認。どこまで本当なのか」
「あ、それはもう、たのんます……」
「"ウルフマン"、じゃなかった。"三頭猟犬(ケルベロス)"として調査に当たるわ。いい?」
「いいよ」
「蒼月から追報があったら……あれ? これってハウンドドッグとしてじゃなくて、ウルフマン個人への依頼なのよね?」
「ああ、そうだよ。だから"猟犬部隊"には内緒で。ああ、そういや先に蒼月のところに顔だして依頼を受けるって伝えるか。その後で」
景朗はもう一度、ピックアップした4人の能力者の資料に目を落とす。
「"猫耳猫目"と"金属探知"は今日中にでも当たってくる。猫耳ちゃんは小学生で、メタル君は……"風紀委員(ジャッジメント)"かいっ。これで"クロ"だったらなんというかドラマチックだな……」
「……ウルフマンの仮説が本当だったとしても、ワタシにはまだ具体的な方法が思いつかないんだけど……でも"超嗅覚"で細工するってことは、インディアンポーカー自体は従来の使用方法になるでしょ。それなら"超嗅覚者の共感覚のデータベース"を作らないとダメ。となるとソウテイされる犯人たちは組織的にやっている可能性が高いわ。いちおう気をつけてね」
「わかってる。ま、元からダメ元だよ。……あれ、意味が被った?」
「……」
ダーシャ君の無言の沈黙が痛い。
――――無言の沈黙、これは、地の文まで意味の重複が生じてしまっている。
景朗はごまかすように、とりなすように、言葉を付け加えて外出の支度に取り掛かった。
「とりあえず安全確認もかねてさ! ほらこいつら、とくに猫耳ちゃんとかまだ小学1年生じゃん? 万が一、暗部のゴタゴタに巻き込まれてたらカワイソウじゃん」
「ふぅん……?」
ダーリヤは景朗の善人ぶった発言になんら理解を示してはくれなかった。
暗部のデータベースでは、ターゲットたる4名の能力者の住所が漏れなくヒットした。
景朗は最も可能性のある"金属探知(メタルチェッカー)"の自宅へとまず先に向かった。
彼は"風紀委員"に所属している。となれば、休日の明るい時間帯はパトロールやらボランディア等でまず確実に家を空けていると踏んでいた。
予想は外れず、家は無人だった。
景朗は手馴れたもので、誰にも悟られることなく侵入し痕跡すら残さず、インディアン・ポーカー事件に関連のありそうな証拠を物色したが、めぼしいものを見つけることはできなかった。
第七学区には残る3人のうち2人、"繊維織り(シルクワーム)"と"宝石鑑定(ストーンエッセンス)"も住んでいたが、在宅状況は掴めていなかった。
一方で、十三学区にいる"猫耳猫目(キトゥニッシュ)"はダーリヤの事前調査で、外出中だと判明している。何でも彼女の寮のフードサービス会社の手配ログを暗部のネットワーク経由で調査したら、昼食用のお弁当の申請があったという。
目ざとく喫茶店のテラス席に腰を据え、どちらに行こうか迷っていた景朗だったが、そこで聞き覚えのあるエンジン音を察知してしまった。
話を通しておこうと思っていた蒼月たちの乗る、移送防護トラックが、ひとつ離れた通りを横通っていったのである。
「協力に感謝する。念を押すが、君個人への依頼だ。くれぐれも"猟犬部隊"には手を出さないで貰いたい」
ヒッチハイクの真似事にもきちんと対応してくれた"迎電部隊"のドライバーに胸の内で軽く感謝をつぶやきながら『その条件で構いません、依頼協力に対応しましょう』と景朗は蒼月に向かって返答した。
「そう、その件ですよ。ひとつ……あー、ひとつと言わず色々知りたいんですがまず、どうしてそこまで自分個人への契約に固執するんですか? 依頼を受けるといっても"猟犬部隊"ひいては上部組織への背信行為はできませんからね?」
「それで構わない。君なら理解してくれるはずだが、端的に言うと"猟犬部隊"が絡めば死体袋が大量にできあがってしまうだろう? 今回の案件では我々はそれをタブーとしているんだ。それが一番の理由だ」
景朗は蒼月の皮肉めいた言い方に何の反論もできなかった。木原数多が舵を取る猟犬部隊はそもそも迅速に対象者を(殺して)制圧する部隊である。ひとたび動けば、すなはち誰かを殺している。
「ですが状況が状況なら、手が足りていないのなら選択の余地はないのでは?」
ただし。さりとて景朗ひとりの協力も惜しい状況なのであれば、一応は等しく理事会を上部に持つ暗部組織同士である。連携を取れないこともないはずだ。
「いいかね。私たちは諜報組織の面も持っている。君たちのように純粋な執行部隊ではないんだ。いわばスパイ行為を監視し、時には我々がスパイ行為を行わねばならない。スパイ、諜報活動は組織と組織の交渉が欠かせず、互いに二重スパイを抱えあう。情報は情報でしか入手できない場合があるということだ。前回、"アレイスターの案内人(ムーブポイント)"の一件で君は極力誰も殺さないようにしていたね。私からは100点を送りたい。人質を取ることこそ我々の仕事の第一歩なのだよ。殺してしまえば情報も吐かせられず、相手組織との交渉どころか無価値な感情的対立を産んでしまう」
「だから、つまり、たったそれだけ、俺が殺さないように気をつけたってだけで。それだけが理由だと本気で言ってるんですか?」
「『それだけ』では済まされないんだよ。諜報では敵対機関とのコネクション作りが不可欠だ。君にはまだ理解できないかもしれないが、ある程度、情報を売り買いするのは我々の世界では黙認されている行為なんだよ。それこそ"猟犬"並みの浅はかさで殺し回られたら損失は計り知れない。私は君を"初めて目にして、見直した"んだよ。君が実戦で見せた姿勢が何よりの証明だ。"アレイスターの執行人"、"アレイスターの忠犬"。君の資料からは殺人嗜好しか読み取れなかったのだが、噂は所詮噂に過ぎなかったとこの眼で拝見させてもらった。君の資質はその能力も含めてスパイ向きだ。ウチに引き抜きたいくらいさ」
(俺が手早く片付けてしまうしかないんだよ。"あいつら"に殺されるより俺に殺された方が苦しまなくて済むんだから)
"猟犬部隊"の隊員たちは木原数多が選んだということもあって、皆、実戦の場では特段に品性が下劣になる。相手が弱ければ"殺しで遊びだす"のだ。
人のことを悪しざまに言える立場ではないと自覚はあるが、少なくとも猟犬部隊で働く時、景朗はターゲットに麻痺毒と睡眠毒を必ず併用している。
余計な痛みもなく、眠るように意識を手放せるように。
しかしその精一杯の足掻きは、暗部の報告書には決して現れないようだ。
むしろ"三頭猟犬"は理事長のために率先して殺害数(キルスコア)を稼ぐ猟奇的な存在として知れ渡っている。
のだが、この蒼月はそうではなかった。景朗の気持ちを、ほんの少しは理解してくれている、らしい。
この程度でデレてたまるか! と景朗は心の中で叫び倒したが、それでも、次に口からでた言葉は、ほんのりと笑いを誘うものだった。
「はぁ。そうですか。なんというか……木原数多にその話、是非とも通しておいて欲しいですね」
景朗の愚痴に、フッ、と蒼月は鼻だけで笑みをこぼした。
「現場で敵対者と対面しても、極力殺さずに捕まえてくれ。君なら容易なはずだ。今回の事件にはいや今回の事件にも当然CIA(ラングレー)が絡んでいる。その他に彼らと連携して動いている可能性は――大きなところでNSAやUSCM、日本企業。一番の懸念はCIAの連中だ。奴らは荒っぽい、多少は目をつぶるが――」
「ちなみにロシアは?」
「ロシアが気になるのか?」
はばからず景朗の顔面をずっと観察していた蒼月は、いっそう探るような眼でこちらの表情を読もうとし始めた。
蒼月に対する印象は前回会った時よりも多少はよくなった気がするのだが、景朗はどうしても不信感を拭う気になれなかった。
この男の言葉からは、気に食わないニオイを感じずにはいられなかった。
「あくまで私の見立てではヨーロッパ勢力はあまり。米国が主犯格で間違いないと見ている」
「そうですか。ありがとうございます。なんというか自分は。そりゃサボタージュや、アサシネートは得意ですよ。でも交渉は苦手です。ほとんどやったことがない。ので、そこまでの責任は負いかねますよ」
「もちろん。交渉は互いに衝突の結果がわかりきっているときにだけ起こる、妥協ゆえの行動さ。君にはわざわざ交渉をする必要がないだろう。誰が相手だろうと問答無用で無力化して捕まえてしまえばいい。単純だろう?」
「それじゃあ、今の捜査状況は? うちのバックアップスタッフにデータを送ってもらっても?」
「申し訳ないが、できない。だが、最低限の説明はしよう」
蒼月が語った内容は、景朗とダーリヤがたどり着いた推論からそう外れてはいなかった。
迎電部隊が持っている検閲のノウハウ。
高位能力者によるアナライズや最先端化学捜査機器の駆使。
敵対諜報機関経由での情報奪取。
それでも犯行の糸口が見えてこない。
唯一判明したのは、やはりCIAの影がそこにあったということ。
CIAの活動が活発化しており、流出した情報の事実確認がしたいのだろう、という推論だった。
今はまさに別の角度からの試み、例えば嗅覚の発達した景朗などに応援を頼んでいる状況らしい。
「あくまで、インディアン・ポーカーは疑わしいという懸念があるに過ぎない。あちら(CIA)に送り込んでいる"耳"が『カンパニー(本部)でカードの実物を見た』と報告してきた以上、可能性には敬意を持って当たり、顛末を白紙に記さねばならない。もちろん彼らは学園都市製品はすべからく吟味して調査しているようだから、特段高い疑惑があるというわけではなく……可能性はゼロではないという話さ。こちらも人員を割いて監視に勤めているが、こういう時の鉄則として、我々とは別の超感覚を持つ君にも同席しておいてほしいのだ」
(絶対嘘だろ。もうちょっと何か掴んでるだろ。この男、俺に何をさせたいんだ?)
景朗はダーリヤと立てた、『一般人がインディアン・ポーカーで情報漏洩の片棒を担がされてる説』を問うてみたが、あっさりと蒼月はそれも可能性の一つだと認めた。
景朗としてはひとまずこの仮説で捜査を進めたい、と進言するも、これまたあっさりと蒼月は許可をだしてしまった。
一体全体、協力しろと言って置きながら、具体的な要求が無いのは不気味である。
「はっきり言って、わざわざ"アレイスターの忠犬"という危険人物を選ばなくても他に適役がいたでしょう? 自分をそばに置いて、何に使う気ですか?」
「君を選んだのは役に立つと思ったからだ。仮に別の狙いがあったとして、本人を前にして正直に言うと思うか? 納得できないなら、この依頼を蹴るか?」
別にどちらでもいい。蒼月は言外にそう言っていた。
「全然まったく納得できていませんが、この依頼は受けます。受けさせてください。問題あります?」
「よろしく頼む」
景朗がそう答えることをまるで最初から知っていたかのごとく。
蒼月は感情を消したまま、握手のために手を差し出してきた。
第十学区の端で車から降ろされた景朗は、ダーリヤに当たり障りのない軽い報告を送ったあと、十三学区へと向かうことにした。
日が暮れ始めるまで、たっぷりと時間が残っているわけではない。
"猫耳猫目"ちゃんの留守中に、空き巣もとい調査を終えてしまわねばならない。
もはや家宅侵入に何の躊躇もなく、ナチュラルにちゃちゃっと済ませてしまおう、と罪悪感すらなく計画を組み立てていた景朗は、ちょうど第十三学区への通り道である第二学区(警備員や風紀委員の本部がある)で、正義に殉じようと訓練に勤しむ人々の凛々しい姿を見て、カチーンと思考が固まってしまったりしたとかしないとか、なんやかんやで。
"猫耳猫目(キトゥニッシュ)"の住む学生寮へとたどり着いた景朗は、そこでぴったりと出くわしてしまった。
焦げ茶色の長めの髪をツインテールにまとめ、えっちらおっちらと猫の入ったキャリーバッグを一生懸命に運ぶ小学生女子が歩いてくる。
写真資料と同じ顔だ。間違いなく彼女が"猫耳猫目"である。
猫を飼っていて、そんな少女が多様な動物と病院の残り香を漂わせている。
動物病院で飼い猫の検診にでも行っていたのだろう。
「暑づ~い。まぶし~い。マブシー!」
長々と歩いてきたのか、汗をかいてグチを交えてつつも、猫が怯えないように必死に腕をあげてバッグを揺らさないように頑張っている。
景朗はあらかじめ寮の前のベンチに座り、通行人を装って少女が目の前を通り過ぎるのを待ち構えていた。
彼には作戦があった。
少女がベンチの前を通り過ぎる瞬間、何気なく彼女と視線を交わす。
「あっ!」「……お?」
おや?! と少女が景朗の眼を見てざわつく。
景朗も同じように、今しがた気づいたかのごとく、驚きをわざとらしく表情に浮かべてみせた。
彼女の眼はまさしく猫目だった。
少女の瞳、虹彩は縦に裂けている。"猫耳猫目"の名にふさわしく誰がどう見ても猫の目である。
タペータムが太陽の光を反射させるがごとく、少女の目は特段にキラリギラリと陽光を跳ね返し輝きを魅せている。
そんな少女が驚いたのも無理はない。
景朗もまた同じように自らの眼を"猫目"に変え、彼女を見つめ返していたのだから。
「おにーちゃん、同じ能力かッ?!」「お前さん、同じ系統の能力者か?」
景朗の有する肉体変化系能力は、強度を問わず学園都市でも希少な部類である。
何を隠そう、景朗ですら同系統の肉体変化系能力者と初めて面と向かって顔を合わせたくらいなのだ。
"猫耳猫目"の驚きはさもありなん、である。
「おにーちゃんレベルはッ?」
チョロすぎた。もうどう見てもどう転んでもこのおチビさんは景朗に興味津々過ぎである。
「レベルファイブ」
「ウソッ!?」
「嘘だよ」
「ぇぁ~……」
少女はくんくん、と無意識に鼻を鳴らしていた。
その瞬間に、景朗は胸中で『勝った!(何に?)』とガッツポーズ。
猫が好む匂いを躰から分泌させていた景朗の作戦勝ちであった。
「いやー、同じ系統の能力者、初めて見たわ」
「ウチも、ウチも!」
景朗はわざとらしく、ケータイを取り出して『まだ時間に余裕があるな』感を演出し、ポンポン、とベンチの真横を叩いて座るようにアピールをする。
「んー、ほら。ちょっくらハナシでもすんべ? どや? ここ、ホラ?」
ほらほら、と手を振って児童(小学一年生)を誘う。
「ウ~ン。ウ~。……い~よっ!」
警戒心をなくした野良猫のように、"猫耳猫目"はよたよたと歩み寄ってきて。
持ってやんよと言わんばかりに手を差し出していた景朗に、猫の入ったキャリーケースを預け、隣に座ってくれたのだった。
「にーちゃん、名前は?」
「あ、え? 俺の? ……俺は、上条元春(かみじょうもとはる)だ!」
キリッ! という効果音が鳴り響いていそうなほど、自信満々で景朗は偽名を名乗った。
脳裏に浮かんだ2名に対しての、罪悪感はみじんも無かった。
「ほんとのレベルは?」
「えぇ~? おまいさんから教えてくれたら教えるよ。俺ばっかりじゃん」
「レベル1だゾ! ウチ、沙石安寿(さいしあんじゅ)!」
「アンジュ氏、ねぇ。そいじゃコイツは? この猫」
「ズシオウ!」
「猫の方が立派な名前じゃね……?」
「にいちゃん、レベルは? レベルは?」
「俺はレベル3だ。ふっふっふ。ちなみに学校はどこに行ってると思う?」
「えー? ワカンネ」
「長点上機だぜ? これホントウ」
「ナガテンジョーキ?」
「まだ小学生だもんな。知らないのか……ほら俺のケータイ見てみ、検索したらNo.1って出てくんだろ? すごい学校だろぉん?」
「うわー! まじカー! マジだー!」
「ふふふ、アンジュ氏、アンジュ氏。オヌシも拙者と同じ肉体変化系。ならば将来長点上機学園に入ることも夢ではないぞよ?」
「ホント? ホント? セッシャも入りたいゾ! 入りたいゾォン!!」
「"ふきだし"やってる? 俺さ、同じ系統の能力者と初めて会ったんよ。まー、それでさ、よければたまに連絡とりあおうぜ。もち、ムリには勧めないぞ?」
※("フキダシ"は禁書世界のL○NEのようなものです。詳細は超電磁砲コミックを参照)
「ウッ、ウーン。にーちゃん、まぁまぁカッコイイから、イイゾ……」
久しぶりに年下の子供と会話をした景朗は、聖マリア園のちびっこたちのことを思い出さずにはいられなかった。
懐かしさからか、いつしか純粋に会話を楽しんでいた景朗からは、胸がほこほこと暖かくなるような優しい雰囲気が現れていて。
その気持ちが伝わったのか、沙石ちゃんはふきだしのID交換に応じてくれて。
その後、あっというまに二人は打ち解けて、なんと本人から『ズシオウにエサやってもイイゾ!』と、自宅へ遊びに来てもいいとの誘いを受けるまでに至ったのである。
「いんでぃあんぽーかー? 持ってるゾ!」
「俺も持ってるゾ! そいじゃ、あとで交換してみる?」
「スル~。スル~」
エレベーターの中でもアンジュ氏との会話は弾んだのだが、母親の話題に変わると、彼女は少しずつ元気をなくしていった。
それも仕方のないことだった。彼女の母親は大病を患っていて、学園都市の外へと頻繁にお見舞いに行っている状況なのだそうだ。
エレベーターから出て、廊下を歩き、彼女の部屋へと入る。
その途端に、景朗は無言になった。
「ズシオー、タダイマ~」
猫用キャリーケースのフタを開けると、ズシオウは景朗から逃げるように部屋の奥へと駆け出してしまった。
安寿はそれを気にもとめずにそのままスタスタと洗面台に向かっていった。
「カミジョーにーちゃんも手を洗わなきゃダメーだゾ!」
アンジュの部屋は、小学生にしてはきちんと掃除がなされていた。
いや、なされすぎていた、といってもいい。
アンジュは気づいていないようだが。
景朗は部屋に入った瞬間に気づかざるを得なかった。
かがみ込み、猫が駆けていった絨毯に顔を近づけ、匂いを嗅ぐ。
ダメだ。異質だ。
この部屋には"匂いが無さ過ぎる"。生活臭が無さ過ぎる。
ズシオウという猫を飼っているのにも関わらず、だ。
匂いがない。"匂いの無いニオイ"。
景朗はこのニオイを嗅いだ経験がある。
安寿とは正反対で、似てもにつかない、暗部という非日常の中で。
学園都市の暗部部隊で好んで使われる、消臭剤。
これはそんじょそこらの一般家庭では決して使われることがない。
なぜなら、目が飛び出るくらいに高価な代物なのだ、この消臭剤は。
用途は限られている。
例えば、プロがプロの追跡部隊から身を隠す場合などに、だ。
「にーちゃん聞イテルー?」
安寿は人間以上の嗅覚を有している。それは先ほど確かめた。
だが、それでもこの無臭の異常さには気づけまい。
無いものの"無さ"には、気づけまい。
「……アンジュ氏。それじゃあ、"月に何度も"学園の外にお見舞いに?」
「そうだゾ~」
景朗は洗面台で手を洗い終わったばかりの安寿に近づいて、できうる限り明るい声を作った。
「なーなー、具体的に何回くらい?」
「えー? ワカンネ。でも行く日はカレンダーにマルつけてるから、ほらアレ!」
キッチンの壁にカレンダーが下がっている。
安寿の話しぶりより予想以上に、付けられた丸は多かった。
この少女は週に1日、多ければ2日ほど。
この街から外に出て、家族に会いに行っている。
匂いの無い暗部のニオイ。
それがここに存在する理由は、なぜか。
景朗は己の第六感の鋭さをいつも呪ってきたが、今日という日ばかりは呪いに呪い、悪態をついた。
初めて投稿をした年からだいぶ時間が経ちましたね
2013年から・・・2021年!?
8年の重みがぁ~!!
なんかもう最近は、とにかく終わらせることが最優先で、
中身を吟味して質をよくするより、とにかくプロットに味付けするくらいで
ずばばばーんとスピード投稿するべきなんじゃないのか?と割り切れてきてる感があります。
・・・ある気がするってだけにならないようにしなきゃ(なんとか感)