とある暗部の暗闘日誌   作:暮易

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投稿が遅れてすみません。
新キャラ二人組の口調を考えるのに思った以上に・・・


でも、あの、読者様が今回の話で衝撃を受けてくだされば、もう私としても感無量です!


episode38:悪魔憑き(インヴォケーション)

 

 

 

 

 

 9月20日。太陽はまだ昇っていない。

 景朗が賄賂を渡し、頼み込んで味方に引き入れた猟犬部隊の"同僚"は11人ほど。

 

 木原幻生から貸し出された移送用大型ワゴンを仮の拠点に、景朗と残る3名は会話もなくひたすらに待機中だった。

 

 8名は4人と4人の2分隊に分け、それぞれ幻生と"コウザク"のもとへと既に派遣してある。

 

 この場の3名と景朗は、別働隊として幻生の次の指示を待っている。

 

「ヘンリー、連絡が来たらすぐに俺にも転送してくれ」

 

「了解、スライス」

 

 猟犬部隊の同僚たちは、ある程度まとまった金を握らせているので最低限の指示には従ってくれるだろう。ただ、景朗が貸し付けた"命の恩"がどこまで通用してくれるかは怪しいものだ。

 

 走行中の車両から、景朗は苦も無く飛び降りた。着地と同時に、ため息すらつく暇もなく仮面をかぶった。青髪ピアスとして、大覇星祭2日目の競技場へと向かわねばならなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 昼休み。デルタフォース(三馬鹿)からこっそり抜け出した景朗は、すっかり大得意になった人目を盗んでのサボタージュを敢行し、第六学区の秘密基地へと戻ってきた。

 

 

「ダーシャ、進展あったか?」

 

「ううん、無い。クサツキはゲンセイが動かしているのは小規模なんじゃないか、って言ってたわ。シスターズにも検索は引っかかっていないって」

 

 手段を選んでいるわけにはいかなかったとはいえ、蒼月に景朗と手纏ちゃんの個人的な関係を知られたくは無かった。

 その代わりに、景朗は木原幻生の素行を怪しみ、"あえて彼の下について目論みを探っている"という体を装い、蒼月に依頼をかけている。

 前回食蜂と接触したときに伝えられていた"妹達"という線からの捜査依頼だ。

 

 協力の見返りに、黒幕は幻生もしくは食蜂だという情報を教えてしまっている。

 また、手纏氏と蒼月とのあいだにもコネクションが構築されているのであれば、手纏氏を抑えておくように頼んでいた。

 実際に、手纏氏は"警備員"に行方不明の報を届けており、"警備員"に圧力をかけられる"迎電部隊"の助太刀は非常にありがたかった。

 

 ひとまず、新たな問題は生じていない。今は全力で、手纏ちゃん(人質)を取り返すだけでいい。

 ここで万が一アレイスターから咎められれば、その時は"幻生の狙いが読めていないので泳がせている"という名目を貫き通すしかない。

 

 景朗は爪を噛んだ。幻生は相当な準備をしてこの凶行に及んでいる。

 "迎電部隊"ですら、手がかりをまた掴めていない。幻生及び食蜂の狙いは、そのうちの少なくともひとつは"妹達"だと当たりを付けられているというのに、だ。

 

 

「ウルフマン、ハウンドドッグのテレサから連絡が来たわ」

 

「わかった、でるよ」

 

 ハウンドドッグ共用の通信機で着信に出る。だが、出迎えた相手は"同僚"ではなかった。

 

「どうした?」

 

『"猟犬部隊"の記憶を読んだわ。とびっきり上等な言い訳でも聞かせてもらえるのかしら?』

 

 年若い少女の、甘く高い声。

 誰何もなく、初っ端から問答無用の問いかけには、敵意がふんだんに含まれていた。

 

 

 番号は間違いなくテレサの通信機から。

 幻生に貸していた"猟犬部隊"は"心理掌握(メンタルアウト)"に襲撃され、その手に堕ちてしまったと考えねばならない。

 輪をかけて悪い事に、食蜂は景朗が対応に出るとあたりを付けて連絡をしてきた。

 それができる程度には、情報を回収されてしまっているのだ。

 

「……食蜂……先に罠にハメてきてたのはそっちだろ。おかげで俺は幻生に疑われて人質まで取られてる」

 

『まったく。人質ねえ。……お互いに時間はなさそうだし、最後に訊かせて。あなたはどちらにいるの?』

 

「どっちにも居たくないさ! でも人質は守り切る、何があろうとも」

 

『そう。ブレてはいないのね。大切な人を守りきる、と。ねえ覚えてる? "私も大切な人を守るためなら、一切引く気はない"って。そう言ったわよね』

 

「覚えてる」

 

『よかった。それじゃあ、悔いのないようにねぇ』

 

 

 その言葉を最後に、食蜂との通信は一方的に切られてしまった。

 それから遅れて、遅れに遅れてだった。

 幻生の部下から『借りていた"猟犬部隊"は全員負傷した』との連絡がきたのは。

 

 

 景朗は待った。

 

 そして、昼休みが終わる直前に。

 ようやく待ちに待った幻生からの連絡がやってくる。

 

 『残りの隊員を貸してくれ』と。

 

『ひとまず"第二学区"に向かわせておいてくれたまえ』

 

「手配します。ですが先生、いい加減、人質の場所だけでも教えてくれませんか。ウチの隊員は食蜂の洗脳を受けました。俺はかなりの代償を支払っていますよ?」

 

「うん、まあ状況もよい塩梅だし。そろそろ君にも準備しておいてもらおうかな」

 

「聞こえてますか? その前に人質の安否だけでも確認させろ、って言ってるんです。どうしたんですか? いつもならそれくらいさせてくれる余裕があるでしょうに。まさか食蜂にしてやられてるんですか? だったらなおさら、先生が負けたらもう自分が迎えに行きますから、場所だけでも教えておいてくださいよ」

 

 せめて手纏ちゃんの居場所だけでも聞き出せれば。おとなしく答えるとも思えないが、毎回、粘れるだけ粘ってやる。

 

「ンッフッフ。言うじゃないか。お望み通り会わせてあげよう。指定の実験場に、指定時刻までに向かってくれたまえ。キミのお友達もそこにいる。そもそも、最初からそこで会わせてあげるつもりだったんだけどね」

 

 そう言って幻生がこぼした場所は、ある兵器開発工廠の実験場だった。

 奇しくも、その実験場は先程幻生が指示した"第二学区"にある。

 はっきりいって全く期待をしていなかった景朗は困惑すらすることになった。

 あの老人が珍しくも素直にエサを差し出したのである。

 何か裏がある。

 

 すぐさまダーリヤに目的地を伝え、蒼月に情報を精査させるように指示。

 景朗自身は、幻生が答えた場所に直行する。

 

 "第二学区"への道すがら、ダーリヤからメールが届いた。

 蒼月から提供された推察と、幻生が口を割った場所が一致した。

 

  両者は同じ名前の施設だった。

 "第二学区"のその施設周辺の監視カメラや入出ログから、幻生とつながり深い研究者の出入りが確認できたという。

 手纏ちゃんの居場所だという可能性は、これでかなり高くなった。

 

(ダーシャ、ありがとう)

 

 もし幻生が嘘をついていたら。つまり、さらに景朗をハメようとする罠だったとしたら。

 まんまとその罠に嵌っていたずらに時間を消耗してしまえば、状況はさらに悪くなる。

 文字通りの急がば回れ。

 そんな疑いがよぎり、ぐるぐると猜疑心が回っていたところだった。

 

 それにしても、どうしてわざわざ"そこ"を選んだのか。

 必然性がまるで理解できない。

 

 目的地は"第二学区"の、"化学兵器実験区画"の一棟だ。

 

 耳にした瞬間に幻生の新しい罠かもしれないと疑ってしまったのも、無理はないだろう。

 だが、これで迷いはなくなった。

 当然ながら心の中は嫌な予感で蔓延していたが、向かわないという選択は無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ようやく来たのね、雨月くん。急ぎなさい。大至急、"先生の実験"に取り掛かります」

 

 快く景朗を迎えた女性研究者。彼女の香水や体臭には、覚えがあった。

 小学五年生。幻生と実験を繰り返していた日々。

 面と向かえば、彼女の臭いも記憶とともに蘇ってくる。

 

 数年ぶりの再会となる。あの時の実験、"プロデュース"で自分を担当した女医だ。

 この人は木原幻生の部下で間違いない。

 彼女との再会で、瞬時に悟らねばならなかった。

 凶悪な実験によく顔を出していた、この女医がここにきて再登場したということ。

 彼女が口にした"先生の実験"というワード。

 景朗に実験を処す。その意向をあの老人は最後まで、この場所に来るまで隠し通した。

 幻生の狙いは手纏深咲ではなく、雨月景朗にあったということなのだろう。

 

 この実験場から手纏ちゃんを連れ出すのは、一筋縄ではいかなくなるだろう。

 

 彼の直感は、第六感は、警鐘を最大音量で鳴らし続けている。

 それでも、実験がどのようなものであろうと、取り返さなければならない。

 

「……わかりました。でもその前に約束を守ってもらいます。俺の関係者に会わせてもらえます?」

 

「もちろんよ。あなたが時間を無駄にさえしなければ、機会は必ず"与え"ます」

 

 エレベーターという限定空間に、たった2人。鉄の箱は、地下へと降りていく。

 

「懐かしいわね。貴方をこうやって何度も実験室に案内したけど、5年も前になるのね」

 

 こちらの気も知らず、しみじみと過去を偲ぶ研究員に、景朗は返事をする気にすらならなかった。

 

(頭おかしいのかこの女)

 

 景朗は人質に会いに来たのだ。世間話を談笑できるとでも思っているのだろうか。

 

「友達は無事なんですよね? 傷一つなくお返しするって先生は何回も言ってくれてましたけど」

 

「もちろん。昨晩運び込まれたばかりだから、まだ彼女の意識は正常だと思うわよ」

 

「……早く会わせろよッ」

(手纏ちゃん、これで何度目だろう。ごめん、昨日話した矢先に。クソが……ッ)

 

「ここよ」

 

 エレベーターが止まる。加速度が減少していく。

 その時に感じるわずかな浮遊感に、これまたかすかに違和感を感じるも、今はその一点に集中しきるわけにもいかなかった。

 その大規模な実験室は、ブルーライトやイエローライトで無機的にデコレートされた、しかし凶悪な刺激臭がところどころから漏れ溢れていて、生命とは無縁の世界を印象に抱かせる光景だった。

 みえないところからも研究員の足音はいくつも聞こえている。

 彼らは皆あくせくと何かの準備に夢中だ。

 守衛も小銃を抱えこんでおり、監視用なのか観測用なのか区別はつかないが、ドローンも多数浮かんでいて、厳重なのは間違いない。

 

 表向きには、この兵器工廠は生物化学兵器の開発局である。

 その名にふさわしく、高価そうな実験機械がいくつも並べられている。

 用途に想像がつきそうなものもあれば、そうでないものも沢山ある。

 

 

「奥へ行って。さて、それじゃあ実験を始めましょう。担当するのは私、木原加硫とあちらの無水です。無水とも昔顔を合わせているのだけど、覚えているかしら?」

 

「……んなことどうでもいい、何だよアレはッ、どういうことだ、アァ?!」

 

 とりわけ目立ち、存在そのものが謎を産む、中央の巨大実験機械。

 その周囲には、いくつかの繊維ガラスっぽい透明な部材で造られた、人が丸々数人は入れそうなフラスコ状の水槽が輪を描いて囲むように間隔をあけていくつか隣接してあって。

 

 その中のひとつに、手纏ちゃんの姿があった。

 巨大フラスコの内、裸に剥かれた少女は真ん中にぽつんと設置されたシートに固定されている。

 

 長時間放置されていたのが窺える。抵抗する気力はとうに無くしていて、恥部を隠すこともできず、うつらうつらと眠気からか船をこぎかけている。景朗には気づいていない。

 

 近づいていくと守衛が寄って来て銃を構えてきたが、気にも留めずに友人の無事を確かめる。

 少なくとも外傷は無いが、どうしてか異様に体力を消耗していて、呼吸が辛そうだった。

 かすかに、フラスコ内から耳慣れない超音波が聴こえてくる。

 とてつもなく嫌悪感を催す旋律と周波数で、思わずそのノイズの波長域を部分的に聞きづらくするように能力を使っていた。

 "AIMジャマー"だ。フラスコ内はこの不快音で満たされている。

 

「AIMジャマーは切れないんですか」

 

「"大能力者"よ? 必要な措置でしょう。健康面には問題ないので」

 

「……あぁ、わかりましたよ! さっさと先生の実験とやらを終わらせましょう!」

 

 幻生がそうであるように、ここにいる部下の研究者たちも必要ならば平気で嘘を吐くだろう。

 健康面には問題がないと言ってきたが、景朗の突発的な反乱に保険を掛け、手纏ちゃんに投薬や洗脳をほどこしていたりする可能性は十分にある。

 一刻もはやく助け出すには、命じられるがままに頷いて、全てを速やかに終わらせるのが一番の近道らしい。

 

「元気いいわね雨月くん、どんどんこの調子でいきましょうか! うふふ、実は私も今日はテンションが極限まで昂ぶっちゃってるのよ。とっても危険な実験なのよね、今回のは!」

 

「俺も"あの中"に入ればいいんですか?」

 

 巨大フラスコの一本には、一人の研究者がかかりきりでチェックを入れている。

 登乗用の車輪付きの足場もそばにある。

 近寄っていくと、すんなりと中に案内された。

 

「待ちなさい。私の説明に注意を"加え"なさい。みなも命がけになるのだし、必ず後悔することになるわよ。今日はキミに一番に頑張ってもらわなきゃイケないんだから!」

 

 唐突に、室内のいくつかのモニターの画面が一斉に切り替わる。

 そこには久しぶりに目にする幻生のにやけヅラが映っていた。

 

『おお、景朗クンもお早い到着かい』

 

 景朗は我慢できずに大声を上げていた。

 ずっと衆人環境で裸体をさらされ続けている友達へとジェスチャーを向けて。

 

「幻生先生ッ! 何の意味があるんですかコレは?! 俺の友達に無意味な恥辱を与えて、一体な」

「無意味じゃねえよクソガキ。意味ならあるっつーの」

「はい? あんた誰ですか、聞いてないんですけど」

 

「木原無水だ。今日はよろしく。お前のカノジョ、全然チチ無えのな。そういうシュミ?」

 

 木原無水と名乗った軽薄そうなサングラスにスキンヘッドの研究者は、手にしていた計器のスイッチを切り替えた。

 

「おい変態(ロリ)野郎。あの極まったセクハラにまっとうな言い訳があるんなら言ってみろ。なあ? オタクら専門の科学的な動機付けってヤツでもあんのか? 言えねえか? ならテメエらが家に帰って女子高生の裸体で自家発電にフケる前に、お前ら全員の脳みそは俺がシェイクしてミキサーにかけてやるよ」

 

 がばっ、と手纏ちゃんの顔があがった。透明な材質越しに景朗と彼女の視線がつながる。

 恐らくは実験室内の音声が手纏ちゃんにも聞こえるようになったのだろう。

 

「そりゃ暗殺者クンはろくに尋問もできずに殺してるから知らないよな。どの文化圏でも昔から拷問官は被疑者から衣服をはぎ取るもんなんだよ。人間は物理的な鎧を"奪われ"無抵抗さを自覚すれば、心の鎧まで自分から脱ぎ捨ててしまう生き物だ」

 

「ふぅん? その口ぶり、あんたがこのしょうもない痴漢プレイの発案者っぽいね。覚悟しようね、彼女が受けた屈辱は必ず思い知るぜ?」

 

「はっは、今日の"実験の後"に君がやってくれる仕返しかぁ。興味深いねぇ。どうぞ、何でもやってごらん?」

 

 らんらんと眼を獣のように光らせる景朗に対し、木原無水はどこまでも実験動物を観察するような態度を崩さなかった。

 2人の口論がそれ以上白熱する前に、幻生は煩わしそうに水を差した。

 

『そうムキにならずとも、我々だって不埒な考えがあったわけじゃないよ、純粋なる知的探求心を追い求めんがための、手段のひとつじゃないか』

 

「手纏ちゃん、聞こえてる?」

 

 手纏ちゃんはうっすら瞳から水滴を垂らしつつも、うんうん、とうなづいて必死に口をぱくぱくと動かしている。

 景朗のフラスコは完全には閉じられていないが、彼女のほうは密閉されているらしく、声は聞こえてこなかった。

 

『さてさて、レベル6シフトの並行実験も開始しよう。景朗くん、突然だけど今このときにも、御坂君、御坂美琴君の"LEVEL6化実験"が稼働中でね。まあ、十中八九、いや"十中十九"、彼女のLEVEL6化は失敗しちゃうから、そうなるとほら。取り出したエネルギーが逃げ場を失って解放されるからね、この街くらいは簡単に吹き飛んでしまう。はずだ。だから今日は君にも"絶対能力者もどき(神を模した身で天上の意思へ羽ばたくもの)"になってもらって、街の焼失を防いでもらいたいんだ。これはお願いじゃなくて命令に近いね。やってもらわなきゃ、困るよ?』

 

「……あんたは、何を言ってんだ? 説明する気ないのか?」

 

『だから。"超電磁砲(レールガン)"の御坂美琴クンを、LEVEL6シフトさせているんだ。たった今この瞬間にも継続中なんだよ』

 

 

「"レベルシックス"? 街が吹き飛ぶってなぜ? ぜんぜんわかりませんよ! もしかして"妹達"がどうのこうのって、そういう話で(前回のLv6計画)? 意味が分からないッ、"一方通行(アクセラレータ)"ですら"妹達"を何万人も」

 

『詳しい説明をしている時間は無いんだ。重要なのはLEVEL6化して不安定になった御坂美琴が自壊するのがほぼ確定事項だから、その後始末をキミにやってもらわなきゃ困る、ってことなんだよ』

 

「どうやって?」

 

『だから、キミにも"レベル"を上げてもらって、さ!』

 

 突飛な話題に、不完全な理解。景朗はただただ、モニターの幻生を睨みつけた。

 

『く、ふふふふふふ! もう、もう、どうしてこの話題になるととぼけちゃうんだい? まったくキミの臆病さんには困っちゃうねえ』

 

「またか。……いい加減に、いい加減にしろよッ、木原幻生ェッ! んなチカラは無いッて! そんなことできないって言ってるだろッ! あんたが何をしたいのかもわかってねえヤツにッ、そんなことさせるなよッ! 俺を"あて"にするなよッ! とにかく街が吹っ飛ぶって何だ?! 先に説明しろッ!」

 

『フホホホホホホッ! 嘘はよくないッ! 今日という今日は嘘は通じないよぉ景朗クン! 確かに"あの時点"ではできなかっただろうがね、今でも"そう"なのかい? キミはヒントを得てるんだろう? "第二位"君との戦いでキミは答えを得たはずなんだ! そうでなきゃ"第二位"に太刀打ちできたはずがないっ! さあさあ景朗クン、こうして使わざるを得ない状況を作ってあげたんだ。大丈夫、心配しなくても最高の状態で観測できるように準備は万端だよ』

 

「いいから説明しろッ! 街が吹っ飛ぶってナンなんだ!?!」

 

「おやおやおや。今日は一段と聞き分けが悪いねぇ。私が実験のことで嘘を吐いたことがあったかね? 本当も本当だとも。極めて高い確率で起こりうるんだよ。心して聞きたまえ。何度も言っているけど、現在進行形で御坂美琴をLEVEL6へシフトさせている最中なんだよ。ただし御坂君はピーク到達時にコンマ数秒の世界で崩壊することになる。彼女が正常にLEVEL6へ至ることはまずもってありえないからね。問題はここからだ。彼女が崩壊すれば、行き場を失ったエネルギーは間違いなくこの街を覆うだろう。爆発を起こすか、そのまま熱に変わって街中に広がるか。確証はないがエネルギーの解放は確定なんだよ。"今の景朗クン"ならそれがどのぐらいの物理的スケールを持つか想像つくよね? キミが何もしなければ街は跡形もなく焼け消』

「だったら今すぐその実験を中止しろよ! 御坂美琴を止められなかったらどうする? 俺が失敗したらどうするッ? うまくいく確証なんてない!」

 

『ホッホ。これだから学生は。絶対に成功する実験なんてやる意義が無いじゃないか? 失敗してもそれは科学の進歩の礎になる。一体何が問題なんだね?』

 

「大アリだ! めちゃくちゃだ、俺に何ができるってんだ? わけのわからん買いかぶりはもうやめてくれ! 俺なんかがセーフティになるかよ! 無理だ! 無理だろッ! 頼むからやめてくれ、やめてくださいよッ!!」

 

『残念だが賽は投げられた。実験の失敗を恐れるならば、キミがいっそう奮起するしかない。何度も言わせるな。泣いても笑っても、キミが何とかするしかない状況なんだ。そう"した"と言っただろう。Level6化した御坂美琴を倒すなり、なんなり。諦めておとなしく実験を遂行したまえ。この私が見たいと言っているんだ、キミが"何をやれる"のかを、さ。フッフ、"できない"とは言わなくなったね。結構、結構』

 

 実験に狂う幻生にもはや言葉は通じない。説得などとっくの昔に諦めるべきだった。

 ひと暴れしてこの場をぶち壊してやりたい。

 だが、手纏ちゃんが拘束されたカプセル内を観察するに、彼女は人質として機能するようにそこに据えられている。

 景朗が逆らうようなマネをすれば、即座に彼女には何らかの投薬や外傷が与えられるはずだ。

 

 最初から景朗はアレイスターに泣きつくべきだったのだ。

 用意周到に準備されたこの場所にのこのこ現れた時点で、詰んでいた。

 手纏ちゃんの安全か、自分の安全か。

 

 もはや、このどちらかを選ばなくてはならない。

 

『くれぐれも手を抜かずに全力を出すんだよ。キミならば想像がついてるよね? 絶対能力のエネルギースケールを。まず間違いなく、中途半端に能力を使っても太刀打ちできっこないからね』

 

「加硫さん、"羽化昇天(アセンション)"の初導出とそれに伴う諸現象の観測準備、整いました」

 

 研究員が準備完了の呼びかけすると、幻生の話を遮るまいと押し黙っていた木原加硫女医が改めて発言を求めた。

 

「了解。先生、時間です。"OSTRA BRAMA"シフト実験、開始できます」

 

『ああ、わかったよ。ただ、景朗クンに最低限のインストラクションを授けておかなくては』

 

「手短にお願いします」

 

 

 

 

 

 "羽化昇天(アセンション)"。

 "OSTRA BRAMA(オストラブラーマ)"。

 

 初めて耳にする二つの単語。

 

 疑問を発する前に、幻生は自らその答えを語った。

 

『あのね。私はずっと嫌いだったんだよ、"悪魔憑き(キマイラ)"なんてキミの本質を表してもいない名前はね。今回、改めて君の"超能力"を確認できたら、私が命名した能力名で正式に登録してあげよう!』

 

 興奮と至福を大いに表現し、唾を飛ばす勢いで幻生は吠えた。

 

『君の超能力名は"羽化昇天(アセンション)"とした! あえて宗教用語から拝借したが、キミの本質をぴったり表しているとは思わないかい? "次なる次元"への進化。キミだけが持っている隔絶したポテンシャル。"進化能力"の正式名だよ! キミがアレイスター君とやっている奇妙な実験とは無関係の、ね。キミの能力はシンプルで美しい。あぁ、きっと羽化した姿も美しいんだろうねぇ。フッフッフアッハッハ! やっとこの目で拝める日がやってきた! まったく、"7人の超能力者"だなんて、わざわざ仰々しく呼ぶほどの代物じゃあないよね、君の能力と比べればさぁ。格が劣るにもほどがある。キミのはたった一度でいいんだから。たった一度使うだけで完結する能力! 実に美しく、これぞまさに"超能力者(レベルファイブ)"。"真に完結するチカラ"だもの』

 

 

 

 口をはさむことのなかった景朗の瞳は、ドロドロに濁っていた。

 冷たい殺意。

 息の根を止めて口を封じることだけを望んでいた。

 

 幻生は殺す。殺して黙らせる。

 それしかないだろう。

 

 この老人は、景朗のたったふたつしかない"聖域"を両方とも踏み躙ろうとしている。

 

 ひとつ。必死に守り通してきた人達。友達を人質に取った。

 ふたつ。必死に律してきた禁忌。生きる意義を奪う気だ。

 

 この気の狂った老害は、景朗の全てを終わらせようとしている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 記憶は過去へとさかのぼる。

 

 景朗が"超能力者"として覚醒した日に。

 "悪魔憑き(キマイラ)"へと名付けられた日に。

 木原幻生に"超能力者"だと認められた日へ。

 

 

"それなら、先生は俺の能力を何と名付けるんですか?"

"そうだね……進化能力(エボリューション)……"

"ふむ。限界突破(ブレイクスルー)"

"いや、限界突破(リミットブレイク)、これも違うか……おお、そうだ"

"限界突破(レベルアッパー)はどうかね?景朗クン?"

 

 昔々の、あの会話には続きがある。

 

 

 今になってようやく理解が追い付いた。

 この狂気の科学者は、実はその日からずっと。

 この日が訪れるように、ずっと計算ずくで動いてきたのだ。

 

 

 

 確かに、幻生は"悪魔憑き(キマイラ)"という呼び名を嫌いだと言っていた。

 現に、彼は一度として景朗をそうは呼ばなかった。

 

 

 

 

 

 この会話をした日は。

 たしか、これからは理事長にも仕えねばならないと報告した、その日だった気がする。

 

「"悪魔憑き(キマイラ)"か。キミの能力をただ眺めて決めた、そんな名前だね。気に入らないね。話にならないよ」

 

「あの、自分は本当に"超能力者"なんですか? 公式にそうなってしまったんですか?」

 

「正式に"超能力者"として登録されたわけではないよ。何しろまだキミは一度として"超能力"を行使していないのだからね」

 

「やっぱりそうですか。よかった! ふぅ。でも、ですがそれなら、なぜ自分は"超能力者"と呼ばれてるんですか? 先生も自分を"超能力者"扱いするじゃないですか?」

 

「まだ使っていなくとも、疑いなく使えることが分っているからさ」

 

「それって……もしかして"あの話"ですか?」

 

「その通り。全く勿体ない。何故"あそこ"で止めてしまったのかねぇ」

 

「これでも十分ですよ。自分は変わってしまいました。変わり果ててしまいましたよ」

 

「もっと進化できたはずだろう? たかだか大能力どまりの能力者にならなくても。もっと素晴らしい存在になれただろうに?」

 

「だから……前もお答えしましたけど、よくわかりませんよその話は。想像もできない、思い描くこともできない存在に、いったいどうやって成れっていうんですか?」

 

 景朗は扉へ向かって歩き出した。木原幻生は口惜しそうに、ぶつぶつと独り言を唱え続けている。

 

「……どうしたものかね。設計図の不足。アークテクチャを組み替えるスペックがあっても、肝心の設計図が無ければ……ああそうだ、景朗クン」

 

 少年には気狂いの老人と仲良くお喋りする趣味なんてこれっぽっちもなかったが、無視するわけにもいかなかった。

 

「っ。なんですか?」

 

「"超能力者"であることに変わりはないよ。キミの演算能力は既存の"超能力者"たちと遜色がないレベルに達しているだろう」

 

「正直そこまでの実感は無いです。出力は上がりましたし、できるようになったことはめちゃくちゃ増えましたから強くなったつもりには……成れてたんですけど」

 

 景朗はアレイスターに殺されかけたばかりである。

 彼の自信がひどく失われた要因は、単に敗北を喫したという事実にはない。

 アレイスター・クロウリーが"何をして"自分を倒したのか、まったくもって理解が及ばなかったところにある。

 

「違う違う。違うよ景朗クン。躰を変化させる能力なんてどこまで行っても"大能力"どまりさ。躰を変化させるのにキミにはまだ摂食が必要だしね。しかしそれではなくほら、それだけじゃあないだろう、今のキミにできることは」

 

「……?」

 

「この街の能力者の中には、キミよりも大規模な能力行使ができる者がいるけれども。キミにしか、キミだけにしかできないことがあるじゃないか。ホッホッ。"脳"だよ。君だけは"脳の構造"を組み替えられる。筋肉を変化させることとは比べ物にならない。どれほど偉大か、理解できてないのかね??」

 

「だけどそれはさっきも話した通り、どう組み替えるかがわからなきゃ意味がないじゃないですか。現状、何の意味もないじゃないですか」

 

「今はまだ、ね。だが、他に誰も居ないんだよ? "自分だけの現実(パーソナルリアリティ)(ソフトウェア)"を書き換えられても、"脳の作動ロジック(ハードウェア)"そのものに手を加えられる機能(スキル)を持っている者は。持て余しているからと言って忘れてはいけないよ」

 

「あの、この話って今しなきゃならないことですか?」

 

「私達生命は未だに"脳細胞"、神経という物理的制限から解き放たれていない。

"特異点(シンギュラリティ)"は知っているだろう?

高度に発達したAIが、やがて自分自身でより高機能なソフトウェアを書き出し、自ら高性能なハードウェアを設計し、ついに人類の手を借りることなく、マシンスペックを次々とグレードアップできるようになってしまう瞬間を指す言葉だが……」

 

 幻生は"能力者"を"マシン"に例えたいらしい。

 "パーソナルリアリティ"がソフトウェアに当たる。これはどんな能力者でも鍛えることができる。

 ただし、ハードウェアに相当する"脳という器官"は、コンピュータのように一時的に電源をOFFにしてパーツを交換するというわけにはいかない。

 人間には、脳のネットワーク構造や思考ロジック、脳細胞の強度を物理的に別物に取り変えることは不可能である。

 ……はずだった。"悪魔憑き"という例外が出てこなければ。

 

「君は地球史において、どの生命種よりも先んじて"有機的特異点"へと至る力を手に入れているんだよ?! ひとりの科学者としてキミが、あぁぁぁっはっは! 羨ましい、君が羨ましくて妬ましいよ!」

 

 景朗は付き合っていられないとばかりに、とっくの昔に退室していた。が、それでも、木原幻生はひとり、愛を囁き続けていた。廊下を歩く景朗が聞き耳を立て、その話を聞き続けていたのを承知していたかのように。

 

「…………だから私はねぇ。キミがだぁぁぁぃ好きなんだよ、景朗クン」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ぽかん、と顔をあけた手纏ちゃん。

 戸惑いを隠せていない彼女の表情が、妙に可愛くて。

 ほんの少しだけ、景朗を絶望の淵から救い上げた。

 

 

 荒唐無稽な話だと思っていた。

 神のごとき存在へと至れる。

 

 脳みそを……なんかもうちょっとうまくイジくるらしいんですけど、と。

 はは。ほらみろ、と。

 結局のところ。"どう"イジるかが問題だ、と。

 

 神様になる?

 

 どうやって? 見たことも無い、想像もつかないものにどうやって変身すればいいと?

 

 

 まさしく幻生の言った通り、生命として次の段階へと、高次元生命体へと進化したくとも、その為の道しるべが、設計図が存在しないのでは、どのみち足踏みすることしかできないではないか。

 

 

 

 

 ……そういう風に、ほんのちょっと前の景朗は考えていた。

 

 

 でも、今では。

 アレイスターの下僕として、世界の裏側をずっと覗いてきた今の景朗は。

 拭えぬ恐怖感とともに、こうも思えるようになっている。

 

 

 

 

 

 神にはなれなくとも。"悪魔"にはなれるのかもしれない、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 "第二位"たる"未現物質(ダークマター)"と戦い、退けたとき。

 景朗の姿は、神話や御伽噺で耳にするような幻獣とでもいうべきものだった。

 

 羽を持った狼には、蛇の尻尾が生えていた。けれども。だけれども。至極真っ当に考えよう。

 そんな中途半端な生き物に、生物としてさほど強みがあるとは思えない。

 第二位の能力を打ち負かすような力が出せるわけがない。

 

 

 なのになぜだ。

 魔法のような幻想の炎が、実際に、現実の世界に導出されてしまったのだ。

 景朗は"紫色の炎"を吐いた。

 もちろん、能力で火を噴くことはできる。

 炎色反応を応用すれば、紫色の炎を吹きだすこともできる。

 

 

 ただ。重要なのは色ではなく。

 

 "未現物質"を打ち負かすほどの"特性を持った炎"を産み出すことは、景朗の能力では不可能だったことにある。

 

 

 

 あの"炎"は、御伽噺の世界からやって来たのか?

 

 "魔術"。蒼月が言っていた"別の異能"なのだろうか?

 

 あの時。景朗は知っていた。

 

 "第二位"を打ち払える炎を産み出せると知っていた。

 

 なぜなら。

 

 なぜか変身できた狼の姿から、なぜか羽と蛇の尻尾を生やしてしまった、その途端に。

 "得体のしれない知識"がどこからともなく湧いてきて、景朗に"使えるぞ"と囁いてきたからだ。

 

 

 "使える" "できる" "やれる"

 

 

 "誰"が囁いた?

 囁いたのは"何者"だ?

 

 

 

 

 悪魔という存在がもし本当に在るのだとしたら。

 その"囁く者"をそう呼称することが、ひどく自然なことだと。

 そう景朗には思えてならなくて。

 

 

 

 

 

 

 

 その先に行ったら、どうなる? "彼ら"と同じ場所へ辿り着いたら、どうなる?

 

 景朗は恐怖から逃げるように、その答えを考えないようにするほかなかった。

 

 

 "悪魔"はきっと、何でも知っている。

 自分が知りたいことは、何でも知っている。

 

 宇宙の神秘。生命の意義。

 

 でも。

 知ってしまえば、人格は変質する。

 

 

 "全知全能の悪魔"と同じだけの"全知"を手に入れてしまった存在は。

 その存在は、"悪魔"と一体どこがどれだけ違う?

 

 

 

 知りたくない。

 このままでいたい。

 雨月景朗のままで在りたい。

 

 

 頭の良さ? 賢さ? 何を知っているか? 何を考えられるか?

 

 それらが人間のアイデンティティを織り成す根幹なのだとしたら。

 

 

 

 触れてはならない。

 人間のままでいたいなら、これ以上、もうこれ以上は、"思考回路"を変革させてはならない。

 

 

 

 

 

 景朗の感じている畏怖。

 

 昨日あったできごとを思い出していた。

 

 昨日の朝。丹生を待つダーリヤは手持ち無沙汰に、街路樹の側を通っていた蟻の行列を、一匹一匹、一心不乱に潰していた。

 

 

 それこそ自分たちはきっと、あの"悪魔"と比べたら、あの蟻のようにちっぽけな存在なのだ。

 

 もし。

 一匹の働きアリが、ある日突然、進化して"高次元の生命体(ひとりの人間)"に成ってしまったとしよう。

 

 突如として人間の思考を得た"彼女"は。

 

 それまでと同じように、姉妹(蟻)たちを愛せるのか?

 それまでと同じように、女王アリのためにせっせと道端の虫の死骸を集めるのか?

 それまでと同じように、街路樹の隅の小さなアリの巣を、自分の帰る場所だと思うのか?

 

 自らが帰属するべき場所であると、そう信じ続けていられるとでも?

 自分が元は"蟻"だったという、実感がそこに在りつづけるとでも?

 

 あなたには、たったの5秒前まで蟻だった記憶が鮮明にある。

 たった今、巣には別種の蟻という外敵がやって来て、同朋を襲い危害を加えている。

 あなたは、ほんの5秒前までそうしていたように、足元に在るコロニーのために命を捧げられるだろうか?

 

 

 

 きっと忘れ去ってしまう。

 実感は失われてしまう。

 

 景朗は人間だったことを覚えていても、人間社会のその全てに価値を見出さなくなるのだ。

 雨月景朗であったことに価値を見いだせなくなるのだ。

 

 

 人間は、一匹一匹の蟻の名前を見分ける能力は合っても、人生に捧げる意義を見いだすことはない。

 自分がもし、無事に"次の存在(LEVEL6)"へ至れたとしても。

 

 

 

 クレア先生を、火澄を、丹生を、ダーシャを……手纏ちゃんや、あの園のチビどもを。

 今までと同じように、心の底から大切だと想うことはできなくなる。

 

 そんな風に、すべての価値観を変質させて失ってしまっては、雨月景朗という人間は、その人生は、その歴史は、失われたも同然だ。

 

 雨月景朗という、暗部で汚名を受けるがままの存在でも。

 それでも、それは捨て去ってしまうわけにはいかないのだ。

 

 

 幻生は、LEVEL6に成れという。

 

 では、LEVEL6になった"あと"で、何をすればいいのだろう?

 

 あの深い叡智を備えた研究者にすら、その答えにはたどり着けていないのだ。

 

 

 だったら。"LEVEL6"になんか、絶対に成ってはいけないのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『独国の哲学者、ショーペンハウアーは言った。全ての真理は三段階を経る。最初は嘲弄され、次は反対され、結局は自明の理だと受け入れられる、と』

 

 あのとき馬鹿馬鹿しいと一考だにしなかった景朗は、今ではツバを飛ばして全力で不可能だと叫んでいる。

 だが、モニター越しの幻生の瞳は狂信的であれど、"羽化昇天"の発動をまるで疑ってはいない。

 『景朗くんも早く"自明の理"を受け入れなよ』と言っている。

 

 

『年貢の納め時さ。さあ、オストラ――ああ、言い忘れていた。景朗クン、キミが成るのは"LEVEL6(SYSTEM)"ではなく"別の存在"(OSTRA BRAMA)だよ』

 

 

「……なんですかソレは。前は"絶対能力者"だって言ってたでしょう」

 

『それがねぇ。良く考えてみたら"羽化昇天"を迎えることができてもねぇ、"SYSTEM"とは言え無さそうなんだよねぇ」

 

 

 |"神ならぬ身にて天上の意思に辿りつくもの"《SYSTEM》

 LEVEL6と同義とされる、学園都市の目指す究極。

 

 

『"一方通行"クンとは違って、景朗クンの場合は思考アルゴリズムごと変わってしまうだろうからね。もしかしたら塩基配列どころか珪素生命化するくらいの変質をみせる可能性もある。それはもう同一生物の進化前と進化後と呼ぶより、種からの逸脱に近いからさ。

 "SYSTEM"とは別枠として

 "the Ostracised from the biogeneration of mankind(進化の系譜から追放されしもの)"

 の頭字語で便宜的に"神を模した身で天上の意思に羽ばたくもの(OSTRA BRAMA)と呼ばせてもらうよ。

 もともと"ostra brama"(オストラ ブラーマ)という門がリトアニアにあるんだけどね、"夜明の門"というあだ名があるんだ。これまた君の偉業に相応しい名前じゃないかい?』

 

 

「はッ。"偉業"ですか」

 

 呟きは乾ききっていた。

 自らの"自意識の終焉"をことさらに偉ぶって呼ばれても、嬉しくも何ともない。

 

 

『偉業……そう。偉業には違いない。だがそれは残念ながら"SYSTEM"では非ず。

 だからずっと、ずぅぅぅぅぅっと、ボクは想っていたんだよ。

 OSTRA BRAMA("羽化昇天")SYSTEM("絶対能力")にぶつけてみたい、って。

 

 キミを。景朗クンをさ。フフ、カゲロウ。フフフ、"蜉蝣"さ。

 

 キミと言葉を交わすのも最後になるかもしれないし、やっぱり話しておこうかね。

 諸君、すまない。もう少しだけ時間をくれたまえ』

 

 木原加硫と木原無水。他に実験室にいるすべての研究者は、慶弔するように動きを止めた。

 

『カゲロウクン。キミと同じ名前の羽虫は知っているよね。

 

 "カゲロウ"には、沢山の別名があるんだけれども、どれだけ知っているかい?

 はは、時間もないか。今はね、その中の"一日飛虫"という別名について考えてほしいんだ。

 "一日飛虫"。

 羽化して飛んだら一日で死んでしまうからそう名付けられたんだろうね。

 さもありなん。

 カゲロウの中でもオオシロカゲロウという種の寿命はすごく短いんだ。

 なんと成虫になって30分たらずで寿命がつきてしまうんだと。

 彼らの死体が川べりに積み重なって、まるで雪のように見えることもあるらしい。

 しかしなぜ、その30分のためにカゲロウは命を尽くすのだろうねぇ。

 まあ普通に考えれば、生き物なんだから。世代を重ねるために。続けるためだけに。

 遺伝子を残すためだけに、彼らは飛ぶんだろうねぇ。

 

 しかしだね。

 

 ……カゲロウクン。この地球史上で一番最初に、自らの意思で空を飛んだ生命体を知ってるかい?

 

 生命がまだ、海から上がって陸を支配しつつあった頃の話さ。

 

 そう、キミと同じ名の、最も原始的な翅を持つ虫。

 "カゲロウ"だったと言われている。

 

 

 3億年くらい前の石炭紀にね。

 雨が良く降る熱帯の世界だったと考えられている。

 木々が生い茂り、のちの石炭の元になった。

 

 

 想像してごらん。

 太古の月も今と変わらずさぞ見事なものだっただろうが、いつも雲でかげっていたことだろう。

 名月が雨雲で隠れる。

 そういう様をね、なんというか知っているかい?

 "雨月"と呼ぶんだ。

 

 思い浮かばせてごらんよ。

 最初の一匹を。

 真なる意味で、一番最初に、この惑星の歴史上、一番最初に空を飛んだ小さな羽虫のことを。

 

 カゲロウはつがいを探すために空を飛ぶ。

 

 しかしその羽虫の羽ばたく先にはまだ誰も"いない"のだ。

 

 まっこと生命なき空。完全なる未開拓の次元。

 手つかずの新たな領域に、ただひとり可能性を求めて飛び立つリスクは計り知れない。

 

 それでもその羽虫は飛んでくれた。

 雨の降る夜。"雨月"の晩に、最初の"蜉蝣"は空を飛んだ。

 

 だから今の世にこれほど空を飛ぶ生き物が溢れているんだ。

 

 分るかね? 先んじる為だけに、自らを犠牲に新天地を(ひら)く!

 キミもひとりの学徒として浪漫を感じずにはいられないだろう??

 

 頼むよ、景朗クン。いまこそ羽化すべき時なのだ!

 実に運命的じゃないか!

 "雨 月 景 朗(最も先んじて空を翔けた生命)"。

 新天地への開拓者の名が君の由来なのだから!』

 

 

 

 

 幻生の話を耳に。自らの名前に隠された意味を語られ。

 

 ただひたすらに。

 気分が悪くなる。畏れを知る。

 

 自分は孤児だ。ただの偶然に決まっている。だがもし、そうでないのならば。

 誰かが狙って付けたのだとしたら。

 

 自分の運命は一体どれほど"前"から操られていたことになる?

 

 

『ああ、その素敵な名前は、いったい誰が付けたんだろうねぇ、まったく』

 

 

 景朗は浮遊していたドローンの、小さなカメラを凝視した。中継カメラがそこあることをわかっていた。

 その一点を睨んだ時に幻生が反応したのを、見逃していなかったからだ。

 

(あんたじゃないのか??)

 

 疑惑の視線は、幻生へと届いていた。

 

『はっはっは。僕じゃないよ、そうだったらよかったんだけども。どこの誰だろうねぇ、まるで名付けたその時、既に。君の未来を予知していたかのようじゃないか』

 

 

(幻生じゃない? 誰だ……誰だ……誰だ……)

 

 

『よろしいかな。この実験の意義を理解してくれただろうか。

 私のためだけになんてせせこましいことは言わない。

 危機にさらされている学園都市の人々のために!

 科学を奉ずる全人類のために!

 

 どうか今こそ我らの"OSTRA BRAMA(夜明の門)"をくぐりたまえ!

 

これは君にしかできない、君のための役目なんだ!』

 

 

 

「わかった。もうわかりましたから……もう黙ってください。それ以上喋るなよ…………殺してやる……殺してやるぞ幻生、てめぇ……」

 

 

 

 

『こほん。さあそれじゃあ、"羽化昇天(アセンション)"誘発実験("OSTRA BRAMA"への進化)に入ろうか』

 

「「"OSTRA BRAMA"シフト計画 phase01, 開始します」」

 

 木原加硫と木原無水は同時に復唱した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 モニターから幻生が消えると、実験室には実験作業員たちの慌ただしさが戻った。

 

 景朗の真正面に陣取った木原加硫は、おもむろに縁の厚いメガネを外した。

 うっすらと青い目が自分を狙っている。彼女の八重歯が鈍く光った気がした。

 

「さあ無水っ、今回もどちらの研究哲学が本質に近いのか、徹底的に討論しようじゃないかっ!」

 

 加硫女医は突如としてそれまでのクールビューティっぷりを放り捨て、高らかに、そして快活に声を張り上げた。

 木原幻生という上司の監視から逃れた開放感か。

 いや、それだけでは到底説明できない、別人のような陽気さだった。

 

「ようやくだ!」

 

 加硫に名指しされた無水も、歓声を上げてサングラスを外した。

 

 しかして、その直後。

 あらわになった無水の素顔に喜びの感情はどこにも無く、彼はひたすらに冷たい鉄の無表情を、能面を顔面にかぶり付け、始終そのままになってしまった。

 

「特例中の特例の素材だ。今までにない知見が得られるのは確実だな」

 

 淡々と独り言のように繰り出した口ぶりは冷静さに満ちていて。

 景朗に食ってかかってきた先程までの獰猛さは、見事に霧散してしまっている。

 

「年寄りはハナシが長いねぇ」「あの人の悲願のひとつだ。無理もない」

 

 それからの木原コンビは、まるで互いの口調と性格を入れ替えたかのような様変わりを見せたあと、宣言通りまたたくまに実験を主導し始めた。

 

「服を全て脱ぐんだ。全部溶かされても構わないのならば好きにしなさい」

 

 またしても無水は独り言のように語りかけてきた。

 相手の返事などどうでもよさ気な意志の薄弱さだ。

 今の無水を相手に問答は無意味かと悟った景朗は、大人しく靴まで脱ぎ捨ててフラスコの外に放り投げた。

 するとすぐさまハッチが閉じられ、彼の際立った聴覚でも、もはやうっすらとしか外部からの音が拾えなくなってしまった。

 

「聞こえるかなっ?」

 

 加硫はニィッと色気のある嗤いとともに景朗の躰をなめまわすように、食い入るように見入った。

 不躾な視線の直撃。別種の興奮を匂いたたせているが、隠す気もないようだ。

 眼鏡とともに、完全にクールな女医のイメージは崩れ去っている。

 

「ようやく実験の注意点を説明できるねっ。もう一度言うけど、これからの作業はワタシと無水が担当するよ。ワタシたちの指示は"先生"からだと思って逆らわずに従うこと。でなければ――"こう"なるよ」

 

 そういって加硫から目配せを受け取った無水は、手元の端末の数値をイジったようだった。

 

『っか、はっ――――』

 

 今になってやっと聞こえた、スピーカーから伝って漏れる手纏ちゃんの第一声は小さな悲鳴だった。

 

「やめろッふざけんな! 何もしてないだろッ!」

 

 空気が突然送られなくなったのか、不器用で歪な呼吸のリズム。

 苦しむ手纏ちゃんの姿を見る無水の目付きには、当の昔に実験し尽くした"実験動物(ラット)"へ向けるような、興味も薄く感情のこもっていない無機質さしかない。

 

「私は実験操作に専ら"単純化(奪うこと)"を試みる。無酸素の苦しみ、"酸素剥離(ディープダイバー)"には新鮮だろうか」

 

 加硫はバチッと指を鳴らして景朗の意識を自らに誘導し、続けて操作を行った。

 またもターゲットは景朗ではなく手纏ちゃんだった。

 ビクビクッと少女はのけぞり、白い肌を惜しげもなく振り動かした。

 

「はぁーい、電流を流してまぁーす! ワタシは無水とは違ってイロイロな刺激を"与えて"反応を見ていくからねっ」

 

「従う! わかったからやめろ! 何でもやってやるよ! 今すぐ元に戻せ!」

 

 加硫の口元で鋭利な笑みのカーブがトガる。

 "その激怒と承諾の言質を待っていたんだよ"

 彼女がそう伝えたかったのだと理解が及ぶ。

 

 手纏ちゃんへの拷問は中断されたようだ。

 しだいに彼女の容態は落ち着いていく。

 しかし今でも、冷や汗を流して粗く息をついている。

 

 

「ハイハイ、ほぉら。怒らないで。百聞は一見に如かずと言うからね」

 

「こんな調子で今まで拷問まがいのことをしてたんだな?」

 

「心外だなぁ。そんなことないよ。ね、無水。あれ、ちがった?」

 

「"多少の動作チェック"以外は何も」

 

 景朗はこの実験フロアに入った時、既に手纏ちゃんに抵抗の意思がなくなっていたことをしっかり覚えている。

 動きを止めて、じっと瞑想でもするように、景朗は息をひそめた。

 その悔しさと憤怒を、今は溜めれるだけ溜め込み。己の身にあまさず刻み込まんとするかのように。

 復讐を果たすまで永遠に忘れてなるものか、と。燃え上がる寸前の輝くフィラメントのように。

 

「実験は積極的に受けてやりますよ。でもその前に、俺の友人にしたことを正確に、全て教えてください。幻生先生は傷一つなく返すと約束してくれてたんだ。あんたたちが破っていたとなれば話は変わってくる」

 

「まちなよ、彼女の体を見なよ。傷なんてついていないだろう?」

 

「――"実験"を台無しにしたいんですか?」

 

 挑発しているとしか思えない加硫の態度に、景朗はついに殺意を明確に発露し、牙を見せつけた。

 

「仕方がない、了解だ。了解しよう。君が従順でいるかぎり彼女には手を出さない」

 

 無水はそう返事をしたものの、彼は景朗など観ておらず、手元の端末に釘づけだった。

 

「だから他に何をしたって聞いてるんだ。全部言えよ、どうせ薬でも盛ってあるんだろ?」

 

「あーもうウッザいなぁコイツ。無水、さっさと答えちゃいなよ」

 

 イラだつ加硫に頓着することなく無水は気だるげに頭を上げ、まさしく他人事のように答えた。

 

「薬か。特に体内に残るものは何も。強いて言えば"幻想御手(レベルアッパー)"で脳波を調整してあるくらいか」

 

「レベルアッパー!?」

 

「"先生"の指示だったんだよね」

 

 自分たちに責は無い、とあっけらかんと示す加硫。景朗はくちびるを噛んだ。

 

(だからこいつは"まだ意識は正常"なんて言い方をしたのかッ)

 

 手纏ちゃんを助けても"幻想御手"の解除手段を得なければ、いずれ意識を失ってしまう。

 

「加硫、話に構うな。そろそろ始めよう。何時までも付き合ってはいられない」

 

「そうだね。この辺でご納得していただこう」

 

「クソが。――――ッ?!」

 

 実験動物の反論など一考だにするつもりがなかったのだろう。

 景朗が悪態をついたその刹那、それが起こったのはほぼ同時だった。

 

 2人のどちらかが実験機械を運転させたのか。

 

 突如、強烈な浮遊感が景朗を襲った。

 直後、躰の重心や平衡感覚に圧倒的な違和感が発生して。

 

 フラスコの底にしっかりとくっついていた足の裏の感覚は消え去り。

 

 文字通り、景朗の躰は空中に浮遊していたのである。

 

 

 

 フラスコの中心で浮遊は落ち着き、手足はどこにも触れることなく。

 景朗はまるで金魚鉢の小魚のように漂っていた。

 

 奇しくも水槽で逆さまに浮かぶ"アレイスター・クロウリー"のように。

 

 ただ"あの男"と違っているのは、景朗が水中ではなく文字通り空気中に"浮遊"している点にある。

 

 

「驚いたのかい? アハハ、むしろこっちこそ驚きだよっ。キミは重力系の能力者と戦った経験が無かったのか!」

 

「重力、これが反重力?!」

 

「そうそう。取り付けに時間がかかったんだよぉ。これから扱う"試薬"には色々と難点が多くてさぁ」

 

「反重力場生成型非接触式揚撹拌炉(レビテーティブ・メルティング・ファーナス)。かの"ダイヤノイド"の建設基礎技術。重力制御機構が使われている」

 

(試薬。非接触。撹拌炉。どんな劇薬を俺に浴びせる気だよ?!)

 

 しかし。景朗は己の判断が正解だったと内心では安堵していた。

 幻生が景朗の秘密を、"羽化昇天"の秘密を手纏ちゃんにまでバラしていた、あの時。

 

 彼は何度も、何度も考えていた。

 能力を即座に発動させ、実験室、いやこの実験棟の全員を瞬く間に殺戮し。

 手纏ちゃんだけをとっとと連れ帰ってしまおうか、と。

 

 だが、景朗が浮かぶフラスコと手纏ちゃんが拘束されているフラスコは恐らく同じ装置に繋がっている。

 だとすれば景朗の反乱と同時に手は打たれ、手纏ちゃんに即死級の劇薬を浴びせかけられていた可能性も十分にある。

 

 この場は言いなりになるしかない。全て受け切って、受け止め続けて……しかし。その先は?

 彼らは景朗が"羽化昇天(アセンション)"を発動させ、"OSTRA BRAMA"なる"LEVEL6もどき"に変わり果てるまで、まさにこの場で実験を延々と続ける気なのだろうか?

 

 だとすれば。いくら景朗でも永遠に"実験"とやらを持ち堪えられ続ける自信はない。

 

 どうすればいい。景朗は必死のこの状況を覆す必要がある。

 "羽化昇天"を使わずに済ませる方法を。

 

 

 

 

 

 

「ッ?!」

 

 唐突に呼吸がままならなくなり、景朗はその負圧の原因を観察した。

 フラスコ内に繋がれたダクトから急速に空気が吸われていき、このままだとじきに真空に近くなる。

 

「雨月クン、キミから空気を奪っている。だがある意味でこれは新しい環境の提供そのものでもある。キミはどう思う? "奪うこと"は"与えること"だろうか? ならば"与えること"は"奪うこと"でもあり、一長一短に物事の単純化は難しいと言わざるを得ないだろうか?」

 

(知ったことか!)

 

「あ、まずい。声が聞こえにくい。無水、やっぱりアルゴンだけでも先に充填しといて」

 

「だから言っただろう」「はぁ、言ってないでしょ?」

 

 徐々にフラスコ内に空気が戻っていく。されど、どんなに吸っても息苦しさは戻らない。

 景朗は"能力"を使わねばならない。体内に溜め込んだ酸素を消費して考える。

 永遠にこのフラスコに留まることはできない。

 これで、短くはないがゴールまでさほど遠くもない制限時間が設けられてしまった。

 

「"羽化昇天(アセンション)"君。広く遍く、我々人類には共通認識がある。生物の存在意義について、それは子孫を増やし、勢力を広げること。効率よくそれを行うために不死を捨て、世代を繋いで進化する選択肢を掴んだ。つまり生命は増えるために率先して死を創り出したともいえる。では、"生を与える"とは"死を与える"ことであり、我々の本質は"与えること"なのだろうか?」

 

「頭狂ってんのか? 今の俺の状況みろやヴォケッ! んなこと真面目に考えられる状況かよ?」

 

「聞きたまえ。これは実験を有意義にするために知っておいてほしい前置きだ。少なくとも理解が及ぶのは、我々にとって"死"はこの上なくわかりやすい"結果"だということだ。Survival(生存)というtrial-and-error実験の、エラー表示であること。死が結果報告でもある以上、生と死を分かつ我々そのものが同時に"何者か"にとっての実験体でもあるわけだ」

 

「は。"エラー表示"を失った俺は人間じゃないんスか?」

 

「心配ご無用。それはこれから十分に確かめられるさ。生命の本質は"奪うこと"か"与えること"か。同種族間では"増えること"は"生を与えること"であり"死を与える"ことでもある。しかし更なる"進化"をたどれば、やがて我々は"奪い続ける存在(不死)"へとたどり着くだろう。

 一方、異種族間を包括するような大局的な視点で言えば、与えることは多種の命を奪うことでもあり、逆も同義だ。

 まだ結論は付けられない。我々にとって両者はまったくの同義か、否か。"羽化昇天"()の躰(能力)にもこの問いの答えを聞きかせてほしい。能力の使用に感覚器官はどう作用している? 生とは脳髄だけでは完結しない。刺激こそが生を生む末端であり本質だ」

 

「ハハハッ。禅問答は禅寺でやれよ。白衣着てやることじゃねえだろ。もしかしてそのスキンヘッドはギャグでやってるの? じゃあここ、笑うところ? 無水さん、お袈裟着てくれたほうがもっと笑えるよ」

 

知的生命体(我々)は複雑化することで文明を得た。だがその中からようやく君というもっとも単純な存在へと還る個体が現れたというのに。愚かにもその自覚がまるでない。今日もまた単純化から始めよう。生を絞ろう。今日はカラカラになるまで、"絞ろう"」

 

「アッハッハ。禅問答じゃあないよ。禅問答には悟りや仏陀っていう、明瞭だか不明瞭だかよくわかんなくても一応のゴールがあるじゃない。ワタシたちがやりたいのは"実験"。観察し、仮定し、まだ見ぬゴールを考察する。仮定なき試みはただの再現検証でしょ? でも、そうだなぁ……」

 

 加硫は端末をイジくって、実験室の横壁のスクリーンにこれまで"先祖返り"が行ってきた"肉体変化"の実験の記録映像を流し始めた。

 翼竜。首長竜。正確には恐竜ではないものも含まれている。

 

「そういう意味で言うとさぁ、キミは一体どうやって実験もせずにこれらの運動能力を獲得したんだい? 人間は手足を使って泳げるし、操縦桿を操って飛行機にも乗れる。だが、翼を動かして空を飛び、発電器官をいとも簡単に造り出し、鰓呼吸をなしとげる神経網は持っていない。人間はね、翼が生えたからって、そのまま使いこなせるわけじゃあないんだよ。 鳥でさえ羽ばたき空を飛ぶのに練習をしてるじゃないか。ねえ、一体、キミはそのソフトウェアはどこから調達してきてるのさ?」

 

「さあ? 最初からできたんだから、太古の本能とかじゃないか?」

 

「違うんだよねぇ。我々が先祖をたどり、遺伝的に繋がっている一本の糸をたどっても、電気ウナギや鳥類にはたどり着かない。"飛行"や"発電"。これらはワタシたちのご先祖サマが分化した後に、末端でそれぞれ獲得した能力(スキル)なんだから、さ?」

 

「……」

 

「"どこから"持って来たのか、教えてくれない? それともワタシたちにナイショで試行錯誤(trial-and-error)してたのかナァ?」

 

「そうそう、それ。"試行錯誤"してたんですよ」

 

「そうかっ。それじゃあワタシとも試行錯誤しましょうね。よしさっそく、まずは反応性の高い物質に雨月クンがどこまで耐えられるか、いってみよーう」

 

 研究従事者たちは加硫の指示を受け、フォークリフトに似た作業車で次々と薬品の詰まったタンクを動かし始めた。

 

「試してみたい試薬、いっぱいあるんだけど全部知ってるかな?

 色々あるよ。コンクリートを燃やす3フッ化塩素。重金属のアジ化物とか。

 キミ、生物毒にはめっぽう強そうだから、致死量優秀なジメチルカドミウムとか、悪臭最強チオアセトン

 オススメは硫酸の1京倍の強度の酸、フルオモアンチモン酸。最強の酸だね。あとは生分解性がめちゃ低だからヤバいって報告のあったイオニックリキッドは最後らへんにして……」

 

「死にそうなんだが?」

 

「えー、ほんと?」

 

「頼むから、他人に試す前に自分でやってくれ」

 

「アハハッワタシだと即死だよ。やる前から分りきってる。"超能力者"でも。うん、"第三位"くらいまでしか耐えられなさそうなのもいっぱいあるかな?」

 

「まあ、でも。ボクは奪うのは好きだけど、他の誰かから時間を奪うってのは、さすがに趣味じゃないんだ。だから、最初から一番強力なのでいこう。フルオロスルホン酸。ハメットの酸度28。人類が手に入れたもっとも反応性の高い物質のひとつだよ。生命VS科学。その最先端のせめぎ合いだと言えないかい?」

 

「加硫。真面目にやれ。初手で終わらせる気か」

 

「ちぇー。あながち間違いじゃないと思うんだけどなぁ。生と死の落差。そこの開きが大きければ大きいほど奪いがいがあるじゃない?」

 

「先に警告しておくぞッ! 俺でも本当に死ぬぞ! 死ぬッ、死んじまうって!!」

 

「その時は仕方がないよ。殺す気でやってみて、わずかでも生き残ってくれさえすればいい。だから」

 

 加硫はわざとらしく両手を胸の前で組み、少女漫画のワンシーンの様に瞳を潤ませて歌劇的に振る舞った。

 

「集中して! キミは生き残る事だけを考えてくれればいいんだっ! あ。そうだ忘れてたよ。死なれる前に、遅ればせながらこの実験の目的をキミに共有しといてもらわなきゃ」

 

 加硫は作業をやめて景朗に向き直った。

 それはずっと端末のデータ整理にかかりきりだった無水も同じで、数歩近づいてきて景朗を見上げた。

 

「幻生先生は"羽化昇天"の発動に、生命活動の下限値までの低下が最適だと仮定したんだ。だから、ワタシたちの実験操作の目的は」

 

 二人の木原は息を揃えて言った。

 

「キミに極限まで死を"与える"ことさ」「君から極限まで生を"奪うこと"だ」

 

 

 無窮の興味関心を思う存分に晴らせる機会。それをようやく得た科学者たちの笑みは、そこだけ切り取れれば美しかったと評せたかもしれない。

 天使のような悪魔の笑顔。使い古されたその単語が、今ここではふさわしい。

 

 

 加硫はカチッと、赤いボタンを押した。

 とうとう、言うべきことは言いつくしたらしい。

 

 

 景朗は声もあげられなくなった。

 

 フラスコ上部から未知の刺激臭を放つ液体が降り注ぎ、気化したそれは一瞬で"モルモット(景朗)"の眼球や口腔粘膜を焼け爛れ溶かした。

 

 

 それは小さな爆発でも生じたかのような光景で。

 

 実のところ、それは実験なんてしろものではなく。

 扱われる劇物を考えれば、拷問ですらなかった。

 

 延々と続く、投薬による処刑の始まりだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 新たな"試薬"(処刑法)が投入されるたびに、景朗は全力全霊で対抗した。

 躰の体積を削り。質量を消費し。命を維持しつづけた。

 

 合間合間に、なんとか目玉を再生させて、フラスコの中から友達が無事か確かめた。

 

 手纏ちゃんは、時には耐え切れず目を逸らしたし、時には無音の叫び声を上げていたけれど、それでも涙を流し続けてくれた。

 

 それはまぎれもなく、景朗が"羽化昇天(アセンション)"を拒否しつづけることができた要因のひとつに数えてよいだろう。

 

 

 

 

 それでも、もう景朗は諦めつつあった。

 直に、この躰のリソースも消費し尽くす。

 

 そうなれば生物としての本来の死か、羽化による価値感の死滅か。

 必然的にどちらかを選ばねばならなくなる。

 

 

 もはや取り返しはつかない。

 景朗は重大な判断ミスを犯したのだ。

 

 そもそも、ここに来てはいけなかった。幻生の命令に従ってはいけなかった。

 アレイスターに頭を垂れて、幻生と闘い、手纏ちゃんが無事に帰ってくるという低い確率に乗るしかなかった。

 

 

 事ここに至っては、もはや選ぶしかない。

 

 人として死ぬか。

 人間を捨てるか。

 

 

 

 自分のために泣いてくれる手纏ちゃんに縋れずにはいられなかった。

 この気持ちを無くしてしまうのは死ぬのと同じくらい恐ろしかった。

 

 覚悟なんてできてなかった。いつ死んでもいいなんて、そんな覚悟は自分にはなかった。

 準備もしていなかった。

 

 だって、ここでただ無為に殺されてしまったら。

 

 ダーシャや丹生はどうなる? 

 彼女たちをほったらかしにして、ただここで薬液に溶けて亡くなってしまっていいのか?

 

 

 でも。それでも、景朗には自信がなかったのだ。

 

 "羽化昇天"して、"OSTRA BRAMA"なるものに成ったとして。

 

 僕はダーシャや丹生を助けようとしていたことを、覚えていられるだろうか。

 

 

 反応性の高い物質。つまりはそれは、爆発や腐食を引き起こすということ。

 それらから身を守るために、景朗は自分の表面積を抑えなければならず。

 

 質量をすっかり失った彼の肉体は、今では四肢の"もがれ"、頭部を胴体に埋め込んだ醜い肉達磨となって、なんとか命を繋いでいる状況だった。

 

 木原一族、その2人のテンションは最高潮に達している。

 加硫は座布団サイズの肉玉になった景朗に対して、さきほどからうるさく叫んでいる。

 

 『わぁ雨月クン、ずいぶん小さくなったね。ん? なになに……あははっ! キミ、そんな体たらくになっても諦めずに体内で磁場を発生させて電波を飛ばしてるんだっ。"や・め・て・く・れ"、だって? うわぁ~! なんだろう、なんだろうっキミって、とっても、可愛いなぁ! なんだかカワイイなぁっ! 死なせるのがもったいなくなってきちゃったなぁ!』

 

『計測質量が50kgを切り始めた。やはり弱い試薬から試していて正解だっただろう?』

 

『だねっ! よぉぉし、ついにとっておきの番がきたぁ! フルオロスルホン酸の投入だぁ!』

 

 

 眼球を再生させられる余裕がなくなっていたので、外の状況は音声からしか判断がつかない。

 ただ、加硫の台詞を聞くからには、恐らく次の投薬でもう、自分は持たないだろう。

 

 最後の最後まで、景朗は決めかねていた。

 

 まんまと"羽化昇天"を使うか。人間としての尊厳を守るか。

 

 どちらを選んでも、遺してしまう火澄や丹生、ダーシャ、手纏ちゃんの身の安全を確保できるかわからないところが、悔やんでも悔やみきれない後悔だった。

 

 

 最後に手纏ちゃんを観よう。

 まだ自分のために泣いてくれてるんだろうか。

 

 "羽化昇天"を使わずとも。

 あの"羽狼蛇尾"の姿になって、このフラスコをぶち破って木原どもを皆殺しにしてやれないこともない。

 だが、それでは。自分と同じ実験器に繋がっている手纏ちゃんにも即座に投薬が行われ、彼女は即死するだろう。

 即死されては、もういかようにも助けられそうにない。

 

 

 

 

 "肉の海星(ヒトデ)"に成り果てた景朗は、躰の中央に眼球をひとつだけ創った。

 手纏ちゃんの姿を観るためだけに。

 最後の瞬間に、自分を好きだと言ってくれた女の子をみるためだけに。

 

 

 

 視界が形作られる。

 

 手纏ちゃんは泣き叫んでいた。鼻水まで垂らして、みっともなく。

 やっぱり、どうしても。あの子を死なせるわけにはいかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その時起こったことを、奇跡と呼んではいけないのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 "囁き声"が聞こえた。

 "囁く者"が在った。

 

 

 

 

 ひとつ目玉の、人肉の海星。

 異形とかした景朗に、囁きかける何か。

 

 

 

 その姿は、まさしく。

 

 

 

 

 

 景朗は知らなかった。

 

 

 

 

 

 その姿は、とある魔道書に記された。

 

 "とある男"が魔道書に記した。

 

 

 とある"悪魔"の似姿に、あまりにもそっくりだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 "慧眼の星(デカラビア)"

 

 "地獄の大侯爵は、五つ光の星形で現われる"

 "彼は知っている。あらゆる薬草とあらゆる宝石を統べる術を"

 

 

 

 

 

 

 

 景朗には知る由も無かった。

 肉体に"慧眼の星(デカラビア)"を憑依させたその手法を。

 魔術師たちはこう呼んでいることを。

 

 "悪魔憑き(インヴォケーション)"と。

 

 

 

 

 

 だが、名前など知らなくとも、景朗は囁き声を信じていた。

 "慧眼の星"は、あらゆる薬草(有機物)とあらゆる宝石(無機物)を支配する。

 

 

 

 

 前触れは皆無だった。

 

 その時。

 

 実験室中の薬品が、一斉に爆発した。

 

 

『なにごとだ!?』

 

 木原加硫はエマージェンシーのスイッチを叩いた。

 

 すでに倒れているモノ。発火して床を転がっているモノ。叫び逃げ惑うモノ。

 

 その中で、たった一人だけが、"慧眼の星(景朗)"の目を見つめて、凍りついたようにあらゆる動きを止めていた。

 

 都合が良かった。

 

 大惨事にもかかわらず、その場で糸の切れた人形のように立ち尽くしていた木原無水は、唐突に持っていた端末を触った。

 

 

 同時に。

 

 手纏深咲の拘束が自動で解かれ、フラスコまで開いた。

 

 

『何をしてる無水!!!』

 

 

 憎しみに染められていた少女は、AIMジャマーの電源まで切れている事に気づく。

 

 感情のまま、少女は大能力を炸裂させた。

 

 殺意に身をゆだね、解き放った。

 

 

 "慧眼の星"と化した景朗には、その光景がスローモーションのように映った。

 

 木原加硫の顔面付近で"酸素剥離"による爆発が生じて、彼女の両眼はあべこべの方向に弾け飛んでいった。

 

 

 

 

 

 

 






軽くまとめます。

新出単語が分りにくかったと思いまして…。


実は、今まで景朗は大能力級の能力しか使ってなかったんです。だから下手を踏んだりしてたんです(という言い訳)

悪魔憑き(キマイラ)は悪魔憑き(インヴォケーション)という魔術名をアレイスターが直接そう呼びたくなかったので間接的に名付けたもの。


景朗の科学サイドオンリーの超能力名は今まで名づけられてなかったんですが、今回、幻生が"羽化昇天(アセンション)"に決めてくれたってカンジです。


"羽化昇天(アセンション)"の力は、"人間から卒業して次の次元の生命種に進化する"こと。

なので景朗くんは使う気ありませんでしたし、実はどんな姿に進化すればよいのかもわかってなかったので使いたくても使えなかった、ていう状況だったり。


次はOSTRA BRAMAについて。これはSYSTEMとの対比させてます。


原作では 絶対能力(レベル6)これが "SYSTEM" と同義だとされてますね。

んで、SYSTEMのルビに"神ならぬ身にて天上の意思に辿り着くもの"



景朗の場合は、このSYSTEMには至れず、別の存在である"OSTRA BRAMA"にしかなれません。

このOSTRA BRAMAのルビに"神を模した身で天上の意思に羽ばたくもの"がやってきます。




いやぁ、やっと、温めて来た、最初から温めて来た"雨月景朗"の名前に込められた魔術的意味を披露できましたぁ・・・


元ネタっていうか、発送元は
F○TEのギルガメッシュ君を呼び出す"世界で最初に脱皮した蛇"です。

そこに魔術的意味が発生するなら、世界で初めて空という領域を開拓した生命体にもなんか偉大な力がやどりそうだなぁ、と。

なんぞF○TE/ZEROを観ながら思ってて、雨月景朗って名前を考えました。うーん、たぶん、当時の自分はこのネタを誰かに見てもらいたくて暗闘日誌を書き始めたところが多分にある気が・・・する・・・お恥ずかしながら・・・

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