意:終わり、おしまい
戦車道のプロ選手となってから、アンツィオ高校で統帥として皆を率いていた時など比べ物にならないぐらい、アンチョビは忙しい日々を送っている。戦車道の試合はもちろんだが、他にもメディアのインタビューを受けたり、プロ選手として戦車道のニュースや新聞で解説とコメントをしたり、さらには月刊戦車道の表紙の写真撮影、果てはコラムの作成まで、とにかく忙しかった。
そんな忙しい日々の中で、今日は戦車道の世界から解放される貴重な休日だ。戦車道が嫌いになったわけではないが、忙しさから解放されるという意味で嬉しい日だった。
時刻は昼前。
今アンチョビが歩いているのは、大きな港から伸びる大通り。この街には学園艦が寄港できる大きな港があるので、規模が大きく店も多い。
そして向かっている場所は、そんな街の一角にある1軒のイタリアン専門店である。緩やかな上り坂の途中にあるので、振り返ってみると港とその先に広がる海が見える。
目的のお店の前にたどり着くと、既に何人かのお客が並んでいた。割と繁盛しているようで何よりだ。アンチョビは最後尾に並んで、静かに順番を待つことにする。
「アンチョビ姐さん、早いっすね!」
その声の主である女性は、アンツィオにいた頃と同じで黒いおさげが特徴のペパロニだ。背丈は伸びたが、昔と変わらない爽やかな笑みを浮かべ挨拶をする彼女の左手の薬指には、銀色の指輪が嵌められている。
アンチョビは『先を越されたか・・・』とちょっと残念がるが、それは決して顔に出さず、腕時計を見て待ち合わせより少し遅れているのに気づく。
「遅かったじゃないか」
「ウチの子が一緒に行くって駄々こねて聞かなくって。旦那にちょっと頼んでたっすよ」
口では不満そうに言うペパロニだが、その顔は全く嫌そうではない。むしろ楽しんでいる節さえ見える。
アンツィオにいた時は、(失礼かもしれないが)ペパロニが結婚して家庭を持つというビジョンがあまり想像できなかった。だが、平穏無事に暮らしているあたり、それも杞憂だったと今は思える。
かくいうアンチョビ自身も、もうすぐ結婚する予定だ。もしかしたら、自分よりも早く結婚したペパロニに色々と教えてもらうところがあるかもしれない。アンツィオの時は自分が導く側だったというのに、おかしな話だ。
「それにしても、ずいぶん久しぶりな気がするっすね」
「ああ、そうだな。お前はどうだ?」
「順調っすね。まー、ちょいちょいへこたれそうになる時もあるっすけど、そんな時は・・・旦那が支えてくれるっすから」
今のアンチョビ同様、ペパロニもプロの戦車道選手となっている。
所属はアンチョビとは違うが、ペパロニは新天地で切り込み隊長として活躍している。また、ノリと勢いで仲間たちを引っ張っていく、ムードメーカーのような存在になっていた。
そしてペパロニもアンチョビと同じで、プロになってから何かと忙しくてスケジュールが合わなかった。だから電話をすることがあっても、直接顔を合わせるということも中々できなかった。
「2人とも・・・元気にしてるかな?」
「それは今に分かることさ」
数組のグループが店を出て、入れ替わるように順番待ちをしているグループが入店していく。
そして十数分ほど待って、ついにアンチョビとペパロニの番になった。
扉を開けて中に入ると、全体的に木をイメージした店の内装が目に飛び込んでくる。店内に設置されたスピーカーからは、落ち着いた雰囲気を壊さない程度の音量でイタリアの舞曲・タランテラが流れている。スペースは広すぎず狭すぎずの、ちょうどいい具合だ。
「いらっしゃいませ―――あっ、ドゥーチェ、ペパロニ!」
2人が中に入ると、テーブルを拭いていたエプロンを付ける金髪の女性が、アンチョビたちに気づくと嬉しそうな声で笑いかけてきてくれた。
「ドゥーチェと呼ぶな、今の私はアンチョビだ」
「あっ、失礼しました」
「久しぶりだな、カルパッチョ」
その女性―――カルパッチョはテーブルを拭き終えると、改めてアンチョビとペパロニに正対する。
「久しぶり~」
「ええ、久しぶり」
「本当に久方ぶりだなぁ」
「そうね。皆忙しいから・・・」
カルパッチョが苦笑しながら言っているが、アンチョビはカルパッチョもまたプロの戦車道選手だということを知っている。
カルパッチョもペパロニと同じで、アンチョビと同じチームには所属しておらず、3人ともそれぞれ別々のチームだ。カルパッチョはその所属するチームでは、アンツィオで副隊長を務めていた経験と、その冷静で真面目な性格を買われて、今も副隊長を任されている。
挨拶もほどほどにして、カルパッチョが2人を席に通そうとする。が、アンチョビから『あいつの顔も見たい』という言葉を受けて、厨房に面したカウンター席に案内する。
このカウンター席からは、厨房の中が見えるようになっている。アンチョビとペパロニがちょっと体をずらして中を覗いてみると、その人はいた。
白いコックコートを着て、フライパンでパスタのソースを手際よく作っているその人は、調理に集中しているようでアンチョビとペパロニに気づいていない。
美味しそうなオリーブオイルやトマトソース、チーズの匂いが漂ってきて、アンチョビとペパロニの食欲を掻き立ててくる。
水とおしぼりを持ってきたカルパッチョに、アンチョビが尋ねる。
「イタリアで修行したんだって?」
「はい、3年ほど」
「すげーなぁ」
ペパロニが心底感心したように呟くが、カルパッチョは少し寂しそうな顔を浮かべる。
「あの人がイタリアに行ってる間は・・・寂しかった」
だろうなと、アンチョビは思う。当たり前だよなぁと、ペパロニは頷く。
3年もの間、顔を合わせることも、姿を見ることもできなかったなんて、辛すぎることこの上ない。手紙や電話でやり取りはしていたものの、それでも寂しさを埋めるには至らなかった。
その時の辛さや寂しさを埋めるように、結婚してからはずっと一緒にいるという。
すると、白いコックコートの男が、香ばしいソースのかかったパスタの盛り付けられた皿をカウンターに置く。
「ひな、3番卓さんにカルボナーラ。ラザニアはあと少しでできるって伝えてくれ」
「はぁい」
カルパッチョがカウンターに置かれたカルボナーラの皿を持って、テーブルへと向かう。
そこでようやく、そのコックは目の前のカウンター席に座っているアンチョビとペパロニに気づいた。
「ああ、アンチョビさんにペパロニ。お久しぶりです」
「おお、久しぶり。元気そうで何よりだ」
アンチョビがコック―――アルデンテのことを見上げながら挨拶をする。ペパロニも『おっす!』と軽く手を挙げて挨拶をした。
「中々いい店じゃないか」
「ありがとうございます」
「儲かってる?」
「だからお前はそうやって明け透けにものを聞くなって・・・」
アンツィオの時のように、あまり頭でものを考えずに率直な疑問をぶつけてくるペパロニ。アンチョビはそれを咎めるが、アルデンテは昔と変わってないなと思うだけで不快な気持ちにはならずに質問に答える。
「まあ、ぼちぼちってところだな」
「でもこの前、雑誌に載ってたっすよ?」
そう言いながらペパロニは、バッグから1冊のグルメ雑誌を取り出して、ある見開きのページをアルデンテに向けて広げる。確かにそこに載っているのは、この店だ。
「『本場イタリアの味がリーズナブルな価格で楽しめる話題のお店』か、ほう」
アンチョビがその記事のタイトルを興味深げに読み上げる。
「確かに取材も来たし、有名人も割と何人か来てるな。ほら」
アルデンテが、ラザニアの準備をしながら反対側の壁を指差す。アンチョビたちが見るとその先には、確かに芸能人らしき人物のサイン色紙が何枚か飾られていた。
「『とても美味しかった』って言ってくれたよ。ひなも喜んで握手してもらってた」
「やるじゃないか。それだけお前の料理の腕が確かだってことだよ」
「いやいや、まだまだですよ」
アンチョビが褒めるがアルデンテは『そうでしょ?』と傲慢な態度をとらずに謙遜する。こういったところも、昔とは変わっていない。
「まあ、それ以来客は増えて、特に土日祝日は忙しいです」
「大丈夫なのか?」
「まあ、そういう時はペスカトーレとアマレットに手伝ってもらってます」
「あの2人に?」
アンチョビたちはもちろん、ペスカトーレとアマレットのことを覚えている。
あの2人はアンツィオ在学中もアルデンテの屋台を手伝っていたよしみで、休日の忙しい時間帯にこの店を手伝ってくれている。
ペスカトーレは軽薄だが根っこのところはまじめなので今は堅実に働いている。アマレットはそれを支える主婦兼戦車道選手だ。もちろん、そんな2人をタダで働かせているわけではないので、ちゃんと気持ち程度で申し訳ないが日給は払っているし、夕食をご馳走したり、ねぎらいと称して店が休みの時は4人で出かけたりもする。
その話を聞いて、アンチョビは『ほー』と納得したような声を洩らして、改めて聞いてみる。
「イタリアで修行したんだろ?」
「ええ。そうでもしないと、個人経営のイタリアンはやっていけないと思いましたから」
アルデンテはそう告げると、ラザニアの準備があるのでと断りを入れて、オーブンが設置されている厨房の奥へと引っ込む。
カルパッチョが戻ってくると、アンチョビはぽつりと少し寂しそうに言う。
「もう、『カルパッチョ』とは呼ばないんだな」
先ほど、アルデンテはカルパッチョのことを『ひな』と呼んでいた。
「・・・結婚して夫婦になったのに、あだ名で呼び合うのも変かなって」
「そうか・・・ちょっと寂しいな」
「カルパッチョはアルデンテのことなんて呼んでるの?」
「うーん・・・基本『あなた』かな?」
「おー」
ペパロニがカルパッチョの言葉に反応するが、アンチョビは少し考えこむ。
アンチョビも、自分にとって馴染みのある名前で呼ばれないことが寂しいと思う。今アンチョビが付き合っている男性も、アンチョビのことを『千代美』と呼んでいる。勿論、相手に悪気がないのは分かっているが、アンチョビは皆から『アンチョビ』と呼ばれることが多かった。だから、その名で呼ばれないことがこそばゆく、寂しい感じがするのだ。
だが、カルパッチョはすぐに明るい表情を浮かべる。
「それに、名前で呼び合った方がもっと仲良くなれると思ったんです」
カルパッチョの笑いながら告げたその言葉に、アンチョビはふっと小さく笑う。
これはアルデンテとカルパッチョの間での話だ。2人とは親しい仲ではあれど、夫婦間のやり取りにどうこう言うことはできない。これ以上言うのも無粋だ。
それに、今こうして2人で普段から店を切り盛りしているだけで、2人とも仲良くやれているのが分かる。というか、アルデンテとカルパッチョが夫婦喧嘩をする様子が想像できない。
お互いに、自分たちが同じ境遇で、同じ性格をしてて、他にもいくつもの共通点があるが故に惹かれ合い、そして添い遂げたのだ。簡単にその仲が拗れることはないだろう。
「でも、『カルパッチョ』ってあいつから付けられた名前なんだろう?結構思い入れがあると思うが・・・」
「ええ、もちろん思い入れはあります」
その『カルパッチョ』という名前は、アンツィオでの自分の現況に悩んでいた彼女に、アルデンテが真剣に悩んだ末に付けたものだ。他人からすれば『たかがあだ名』と思うだろうが、カルパッチョからすれば思い出の詰まった大切な名前で、たかがあだ名とは思っていない。
故にカルパッチョはその名前を未だ捨てることができず、プロ選手に登録する際も芸名のような感覚で『カルパッチョ』と登録している。ペパロニも同じく『ペパロニ』で登録してあり、それぐらいの寛大さを戦車道連盟は持っている。
それに、名付けた本人からその名前で呼ばれなくても、カルパッチョは大丈夫だった。
「それでも、ウチのおすすめメニューを見れば分かると思いますよ」
「え?」
いわれてアンチョビとペパロニが、メニューを開く。
メニューの1ページ目は『当店のおすすめ』というタイトルで、写真付きのメニューが載っている。
その中身を見て、アンチョビは『あっ』と声を洩らし、ペパロニも『おっ』と声を上げる、
「・・・向こうでラザニアは一番最初に極めて、ほかにパスタとかピッツァとか色々修行して」
アルデンテが出来上がったラザニアをカウンターに置き、メニューを見て笑みを浮かべるアンチョビたちに話しかける。カルパッチョは先ほどカルボナーラを運んだ3番卓にラザニアを持っていく。
「それでまあ・・・ひなにとっては重要なその料理も、修行しました」
そのアルデンテの言葉が聞こえていたのか、カルパッチョは戻ってくると、柔らかい笑みを浮かべてアンチョビとペパロニに聞く。
「ご注文はお決まりですか?」
アンチョビはペパロニの方を見て、ペパロニは頷く。今ここで食べたい料理は2人同じのようで、アンチョビはメニューを指差しながらカルパッチョに注文を告げた。
「この『当店おすすめ』の、『ラザニア』と『カルパッチョ』を2つずつ頼もうかな」
これにて、カルパッチョとアルデンテの物語は終わりです。
長い間ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
前作以上に試行錯誤した末に完結しましたが、
いかがでしたでしょうか。
今回も、このような作品に評価をしてくださった方、感想を書いてくださった方、
本当にありがとうございます。とても嬉しかったです。
次回作を出すのはいつになるかは分かりませんが、
次の主役は赤星小梅か、レオポンさんチームの誰か、あるいはサンダースの誰かになると思います。
その時は、また応援してくださるとうれしいです。よろしくお願いいたします。
改めてもう一度。
読者の皆様、ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。
また次の機会にお会いしましょう。