名前を付けてくれた人   作:プロッター

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nome(ノーメ)[name]【男性名詞】
意:名、名前、名称


Nome

 アンツィオ高校学園艦は、全体的にイタリアらしいイメージがある。

 建造物はほぼ全てがイタリア風で、スペイン階段風階段、三神変形合体教会、パンテオン、コロッセオなど、実際にイタリアにある建造物を再現したものまである。その再現度の高さは、学園長が『ローマよりもローマ』と豪語するほどには高い。

 楓が学校でコックコートから制服に着替えて急ぎ足でやってきたのは、トレヴィーノの泉。ここもイタリアの名所をモチーフにした場所で、基になったのはもちろんトレヴィの泉。後ろに聳える宮殿風の建築物の壁と一体となったデザインで、泉には石膏像が何体も立っている。多分に漏れず、ここも忠実に基となった場所を再現していた。

 日没から大分時間が過ぎて泉はライトアップされており、幻想的な光景を見せてくれている。だが、楓は先ほども少しだけ言葉を交わした少女と待ち合わせをするためにここに来たのであって、見物をしに来たわけではない。

 泉の前に着いて辺りを見回すと、その金髪の少女はいた。両手で鞄を持ち、先ほどと同じアンツィオの制服を着て、ライトアップされた泉を眺めている。

 その姿を見ると楓はすぐに声を掛けようとするが、重大なことを見落としていた。

 

(名前、何て言うんだっけ・・・・・・)

 

 自己紹介をした覚えはない。アマレットが彼女のことを『副隊長』と呼んでいたのは覚えているが、面識もそこまで無い野郎がいきなり『副隊長』と呼ぶのも馴れ馴れしすぎる。かといって肩を叩くのも周りからすれば少々変に見えるかもしれないし、『あのー』と声をかけるのも何か違う。

 声をかける前に詰んでしまったかと楓が思ったところで、少女もまた楓に気付いたようだ。

 

「あっ・・・どうも」

 

 向こうから声をかけてくる。それは図らずも、どうすればいいのか分からず動けなかったので、楓としては助かった。

 少女は穏やかな笑みを浮かべながら楓の下へ歩み寄る。

 

「すみません、着替えていて遅くなってしまいました」

 

 この泉に来る直前に見た時計では、まだ約束の19時半にはなっていなかった。それでも、少女を待たせてしまっていたことには詫びなければならない。そう思って楓は先んじて謝った。

 

「いえ、そんな・・・。時間ぴったりですし、私も今来たところですから。謝ることはないですよ」

 

 そんな楓の謝罪を、少女はやんわりと否定して手を横に振る。知り合って間もないということもあるが、少女が気遣うような態度を見せたことに、楓も少し感心する。

 同じ状況で、相手がペスカトーレやアマレットなどの標準的なアンツィオ生であれば、『なんか奢って詫びてみせろ』とでも言ってきただろう。楓はそんな場面を何度か見たことがある。

 それにそもそも、アンツィオの生徒は基本的に大らかで、待ち合わせ時刻ぴったりに来るということがあまりない。きっちり間に合うようにしている楓や金髪の少女が、若干異質なのだ。

 

「さて・・・これからどうしましょうか・・・」

 

 楓が辺りを見回しながら呟く。

 待ち合わせ場所をこのトレヴィーノの泉としたが、恐らくこれから少女が話したい内容は、立ち話では済まないようなものだろう。なら、どこか腰を落ち着けることができる場所で話した方が良い。

 だが、生憎泉の周りのベンチは、夜の犬の散歩に来たおばあちゃん、イチャついているカップル、ライトアップされた泉をスケッチする少年など、様々な人が座っていて全て埋まっていた。

 金髪の少女も、困ったように形の良い眉を八の字にする。

 悩んだ末に、2人はトレヴィーノの泉近くにある和食レストランに入ることにした。

いくらアンツィオの創始者がイタリア人で学園艦全体がイタリア風であっても、店まで全部がイタリア風というわけではない。イタリアン以外のレストランはあるし、コンビニも24時間営業している。

 忘れてはならないが、アンツィオ高校学園艦はれっきとした日本国籍の学園艦であり、属する生徒も皆日本人である。だから、日本人らしく和食の味が恋しくなることだってある。そんな生徒のために、今楓と金髪の少女が入ることにしたような和食レストランがあるのだ。尤も、その店の外観はやはりイタリア風の石造りであったが。

 2人が店に入ると、客入りはそこそこでアンツィオの生徒らしき少年少女が何人かいた。だが、見た感じではその中に2人の知り合いはおらず、向こうも楓たちのことは特に気にしていないようだ。

 窓際のテーブル席に楓と少女は通されて、店員は水とおしぼりを2人の前に置くとお辞儀をして厨房の方へと行ってしまった。

 これで、残されたのは楓と少女だけである。

 

「「・・・・・・・・・・・・」」

 

 そこで、楓と少女は黙り込んでしまった。ここにペスカトーレやアマレットがいれば他愛もない話で場を盛り上げるだろうが、楓にはその手のスキルはない。こういう時は男の楓の方がリードするべき、ということは頭では分かっているのだが、現実はそう上手くいかないものだ。

 話すことは色々あるのに、何から話せばいいのか分からない。それが今の楓と少女の現状だ。

 しかし、このまま黙り込んだまま無為に時間を過ごすのも耐え難い。

 そこで先に口火を切ったのは、少女の方だ。

 

「あの、今日はすみません。突然お話がしたいなんて言い出してしまって・・・」

 

 少女が頭を下げるが、楓は男として、女の子に気遣わせてしまったことを後悔して自分も頭を下げる。

 

「いや、場を改めて話そうと言ったのはこっちです。こちらこそ、呼び出すような真似をしてすみません」

 

 ぺこぺことお互いに頭を下げ合う。それが少し可笑しかったのか、少女はくすりと笑う。釣られるように楓も小さく笑い、それでようやく緊張も解れて本題に移ることにする。

 

「それで、話とは・・・・・・」

 

 そこで少女は言葉を詰まらせる。

 楓は、少女を急かして言葉を無理矢理引き出させるようなことはしない。静かに、少女が言葉を纏められるまで待つ。

 

「・・・私、昔からおどおどした感じの性格で、友達もあまりいなくて・・・。親友って呼べる幼馴染の子は、別の学校に行っちゃって」

 

 少女は、楓と目を合わせようとはせず、テーブルの上に置かれた白いおしぼりを見ながら言葉を紡いでいく。

 

「このアンツィオに来たのは・・・自分の性格を変えたいと思ったからなんです。でも、ここにいる皆は陽気でフレンドリーで、私とは正反対・・・。変えようって思う前に、私なんかがここにいていいのかなって、悩むようになって・・・」

 

 楓は、その気持ちが分かるとばかりに頷く。

 だが少女は、重要なことを言い忘れたという風に、『あっ』と小さく声を上げて取り繕うように話す。

 

「でも、戦車道を通してアンツィオでも友達はできました。ペパロニっていう子なんですけど、その子もまた私と真逆の性格をしてて、まさにアンツィオって感じの子なんです・・・」

 

 『まさにアンツィオ』という評価を聞いて、楓はペスカトーレのことを思い出す。あいつも確かに、アンツィオの校風を体現しているような性格だ。だからそのペパロニという少女も、ノリがよくて明るいがどこか抜けていてそれでも憎めない子なのだろう。もしかしたら、ペスカトーレと気が合うやもしれない。

 それはともかくとして。

 

「アンツィオでも友達ができたのは嬉しいんですけど、やっぱりペパロニや皆は私にはない明るさを持ってるから・・・。なおさら皆との間にある『差』が気になって仕方がないんです。それで・・・アンツィオの空気とは違う性格の私がここにいていいのかなって、悩んでるんです」

 

 少女の言葉、その心の中にある悩みを聞き届けて、楓は頷き、言葉を発する。

 

「・・・分かります、その気持ち」

 

 少女がこのアンツィオで初めて聞いた、自分の中の悩みに同意するような言葉。思わず少女も、おしぼりから視線を上げて楓のことを見る。

 

「俺も元々・・・人付き合いが苦手で、今よりもずっと暗くて、友達と呼べる奴もあんまりいなかったんです」

 

 自嘲気味に楓が告げるが、少女は同じ境遇の楓の話に興味があるようで、少しばかり身を乗り出してくる。

 

「そんな俺がアンツィオに来たのは、この自分の性格をどうにかしたいっていうのもあったし、それに・・・・・・」

 

 楓がこのアンツィオに入学したのは、自分の性格を変えたいという理由の他に、もう1つの理由がある。だが、そのもう1つの理由については今は置いておく。

 

「とにかく、俺もあなたと同じで自分の性格を直したかったんです。明るくてノリのいいこの学校に来れば、変わることができるかもしれないって」

 

 今度は少女の方が、楓の言葉に同意するかのように強く頷く。やはり自分と同じ境遇の人がいるというのは、それだけで心強いし、何より親近感を覚えやすくなる。

 

「でも、やっぱり周りの空気になぜか溶け込めなくて・・・その理由に気付いたのは、結構最近でした」

「え?」

 

 楓はコップに入った水を一口飲み、喉を潤す。キョトンとする少女に向けて、楓は少し困ったような笑みを向ける。

 

「自分の心のどこかで・・・ストッパーがかかってたんですよ」

「ストッパー・・・?」

 

 少女が聞き返すと、楓は頷いて続けた。

 

「他のアンツィオの皆のように、明るくてノリがよくて、今が楽しければそれでいいっていう風にはなりたくないって、思っていたんだって気付いたんです」

 

 少女の手元のコップの中の氷が、カランと音を立てる。そして少女は、ハッとしたような顔をする。

 

「で、そのストッパーに気を取られ過ぎた結果、性格は昔とほとんど変わらなくて、今でもギャップを感じて悩んでいるわけです。ペスカトーレやアマレットと言った友達はできましたけど、それでもやっぱりそいつらとの間にある『差』を感じて悩んでる・・・。そんな現状です」

 

 少女は、びっくりしたような表情をする。

 不思議と、今の楓と少女のそれぞれを取り巻く状況も、アンツィオに入学した動機も、ほとんど一致していたからだ。

 そして、楓の言う『心の中のストッパー』についても、同じだ。

 

「・・・確かに、私もそうなのかもしれません」

 

 少女もまた水を飲んで、憑き物が落ちたように微笑む。

 

「私も本当は・・・心の中では、今が楽しければ良くて後先のことは考えない、という考え方を避けていたのかもしれません」

 

 少女は自分の目の前に座る楓と同様、アンツィオの中では冷静で落ち着いた性格をしていて、そんな自分は真面目な方なのかもしれないと思っている。

 だから、今だけではなくて先のこともちゃんと考えなければと無意識に考えていたから、その考えがストッパーとなって、性格が変わらないのだ。

 自分の性格が変わらず周りとの差を感じて悶々とし続けていたが、その理由に気づくことができた少女は。

 

「あなたと話ができて、本当によかったです。私自身気付けなかった、自分の気持ちに気付くことができましたから」

 

 穏やかな笑みを楓に向ける。楓はその少女の笑みを直視することができず、コップに残った水を飲むふりをして視線を逸らす。

 

「あ、何か食べましょうか?」

「そ、そうですね・・・」

 

 少女が思い出したようにスタンドに立ててあるメニューを手に取る。楓もまたもう1冊のメニューを開き、先ほど自分の心に浮かびかけた感情からひたすら目を逸らそうとする。

 先ほど少女が自分に向けてくれたあの笑みが、楓はとても可愛らしいと素直に思った。元々少女は可愛らしい顔立ちなのだから、その笑みも同じく可愛いと思うのはおかしなことではない。

 だが、楓は可愛いと思うと同時に、『その先』の感情まで芽生えそうになった。

 しかし楓はその感情が芽生えるのを抑えた。その気持ちを抱くのはまだ早すぎるだろうから。

 一方で少女は何を注文するのかを先に決めたらしい。楓も流石に『2度も』待たせるわけにはいかないので急いで何にするかを決めて、少女に確認を取ってから楓が先んじて店員を呼んだ。

 注文は、楓も少女も同じ日替わり定食だった。同じメニューを注文したことが何だか可笑しくて、店員が注文を確認して戻った後で、2人は思わず小さく笑う。

 

「・・・さっきの話の続きなんですけど」

 

 少し落ち着いたところで、楓が再び話を切り出す。

 

「ここの校風とは全然違う自分がここにいていいのか、なんて思わない方が良いです」

「え?」

 

 少女はどうしてそう言えるのかと、楓を見て無言で問いかける。

 

「アンツィオに来た以上はアンツィオの空気に合わせなくちゃならない、という決まりはどこにもありません。それに、例え自分の性格がアンツィオらしくなくても、自然と周りには溶け込んでいますから」

「溶け込んでいる・・・?」

 

 楓の言葉に対して、解せないとばかりに少女が首を傾げる。お互いに、自分を取り巻く環境や自分がどんな性格なのかを分かっているのに、どうして楓は『溶け込めている』と言えるのか。

 

「あなたにはそのペパロニという友達ができて、俺にはペスカトーレやアマレットという友達ができた。周りに溶け込んでいないと、友達なんてできません」

 

 その言葉に、少女も『あ』と小さく口を開ける。

 

「それに・・・・・・」

 

 その先のことを言おうとして、楓は逡巡する。

 少し格好つけ過ぎじゃないだろうか。

 クサいと思われないだろうか。

 そんな迷いが楓の中に現れて、僅かな沈黙を生み出す。楓が何かを言いかけて動きを止めてしまったので、少女は頭に疑問符を浮かべているような顔をする。

 しかし、言えるタイミングは今ぐらいしかない。

 言ってしまえ。

 そんなことを言うのは自分の性格ではないと分かっているが、言わずにはいられなかった。

 

「こうして話をして、俺とあなたは性格とか境遇がいろいろ似ていると分かりました」

「・・・・・・」

 

 少女は何も言わず、楓の言葉を待つ。

 楓は、意を決して言いたいことを告げた。

 

 

「俺たちは、お互いに境遇が似ているということで、俺とあなたには繋がりがあります。だから、浮いているなんてことはありません」

 

 

 それが、楓の言いたかったことだ。

 だが、結構踏み込んだことを言ったという自覚もある。今日会ったばかりの少女にこんなことを言って、馴れ馴れしいと思われるかもしれない。引かれてもおかしくはない。

 相手がペスカトーレやアマレットなど根っからのアンツィオ生であれば、先ほどの言葉を聞いても引いたりなどせず『嬉しいこと言ってくれるじゃないか!』と肩を叩いて笑ってくれるかもしれないが、相手は自分と同じく冷静で真面目な性格の持ち主の、しかも少女だ。

 反応が怖くて、恐る恐る楓は少女のことを見る。

 

「・・・・・・」

 

 少女は、少しだけ顔を赤らめていたが、少なくとも引いているようにも、嫌悪感を抱いているようには見えない。それだけでも本当に助かった。

 

「・・・ありがとうございます。そう言ってもらえて、嬉しいです」

 

 少女の言葉を聞いて、楓はホッとする。

 そこで店員が、頼んでいた日替わり定食を持ってきた。今日のメニューは鯖の味噌煮だった。

 

「・・・それでは、食べましょうか」

「そうですね」

 

 楓が提案すると少女は頷き、手を合わせて『いただきます』と挨拶をしてから食べ始める。やはり食へのこだわりが強いアンツィオでは、そう言った食前食後の礼儀も欠かさないのだ。特に、楓は常日頃から屋台でラザニアを作っている身であるから、食に対する礼儀もきちんとしている。

 食事をしている間、2人の間に会話はない。楓も、金髪の少女も、会話が無くても別に緊張はしないタイプなのだ。

 そうして2人が黙々と食事を進め、定食を食べ終えたのは食べ始めてから大体20分後だった。

 

「あ、ところで・・・・・・」

「?」

 

 食べ終わりおしぼりで口を拭いているところで、楓は肝心なことを思い出した。少女はキョトンとした顔で楓を見る。

 

「まだ、自己紹介をしてませんでした」

「あ・・・・・・」

 

 少女も今頃それに気付く。どうやら、お互いに相手と繋がりを持つことができたことが嬉しくて、大事なことに気付けなかったようだ。

 まず最初に、楓がぺこぺこと頭を下げる。

 

「すみません、名乗りもしていないのに色々偉そうなことを言ってしまって・・・」

「いえ、私の方こそ名前も言わずに話がしたいなんてお願いをしてしまって・・・」

 

 少女もまた、楓と同じようにぺこぺこと頭を下げる。

 閑話休題。

 小さく息を吐いて、楓は少女に向き直る。

 

「改めまして・・・。2年生の楓隼介です。皆からは、『アルデンテ』と呼ばれています」

「アルデンテ・・・?」

 

 楓のあだ名を聞いて、少女は小首をかしげる。

 アンツィオ高校の生徒に付けられるあだ名は、大体が『ペスカトーレ』や『アマレット』と言ったイタリアの料理やお酒、『アンチョビ』や『ペパロニ』等イタリア料理の食材の名前だ。

 しかし少女の記憶では、『アルデンテ』とはイタリアの言葉ではあるが、パスタの茹で上がる状態の目安を意味する言葉のはずだ。なぜ食材や料理の名前ではなくて、あくまでパスタの『状態』を示す名前を付けられたのだろう。

 

「さっき言ったように・・・俺は性格が変わってるって皆から言われて。だからあだ名も変わったものにしようってことで、普通の料理や食材の名前じゃなくてこの名前になったんです」

「なるほど・・・・・・」

 

 しかし、変わり者にもあだ名をつけると言うあたり、アンツィオの大らかさが窺える。

 

「私も2年生で・・・・・・」

 

 少女も同じように自己紹介をする。

しかし、楓と違うのはあだ名が無いということだ。

 

「あなたのような『あだ名』は・・・付けられていません」

「そうでしたか・・・・・・」

 

 本名を名乗った後で寂しそうに告げた少女の言葉に、楓は胸が締め付けられるような思いになる。

 『アルデンテ』というあだ名が付けられている自分とは違い、この少女はそのあだ名さえも名付けられていない。

少女からすれば、せっかく似たような境遇の楓と出会うことができたのに、その楓とも『差』があった。それで恐らく、少女は大なり小なり落ち込んでしまっているだろう。これが原因で、先ほど楓と話をしたことで少女の中に生まれた安心感が失われてしまうのは、何としても避けたい。

 だから楓は、多少図々しいと思われようとも、一つの提案をした。

 

「もし・・・よろしければですけど」

「はい?」

 

 寂しそうな顔を下げて、少女は楓のことを見る。楓はその少女の顔から今度は目を逸らさずに、告げる。

 

「俺が・・・・・・あなたのあだ名をつけてもいいですか?」

「えっ?」

 

 困惑したような声を洩らす少女。やはり出過ぎたことを言ってしまったと楓は自省して撤回しようとする。

 

「あ、すみません。変なことを言ってしまって、忘れてください」

「いえ・・・・・・あなたに付けてもらいたいです」

 

 だが、少女は首を横に振った。少女が楓の提案を飲んでくれたことが意外過ぎて、楓は言い出した身ではあるが思わず『えっ?』と聞き返す。

 

「あなたは・・・・・・」

 

 少女は、そこで少し恥ずかしそうに視線を下に逸らし、頬をわずかに紅く染める。その表情に、楓は釘付けとなってしまう。

 そして少女は視線を楓に合わせて告げた。

 

 

「このアンツィオで初めて会えた、私と同じ境遇の繋がりある大切な人ですから」

 

 

 その言葉に、楓は思わず顔を押さえて天を仰ぐ。

 大切な人だなんて、そんなこと言われたの初めてだ。

 胸が温かくなり、目頭が熱くなり、ともすれば血までも沸き上がりそうだ。

 

「だから・・・あなたに付けてもらいたいです」

 

 改めて少女が懇願する。

 楓も少女の言葉で昂っていた気持ちを落ち着かせて、少女のことを見る。

 

「・・・本当に、いいんですか?」

「はい」

 

 少女は力強く頷いた。迷いは無いらしい。

 楓は考え込む。下手な『名前』を付けることなど許されない。だから真剣に考える。

 恐らくは、人生で一番か2番目ぐらいに頭を使っている、と言えるぐらいには悩み、考えている。

 やがて、1つの名前を導き出した。

 

「・・・少し、変に聞こえるかもしれませんけど・・・」

 

 考え抜いた末に思いついた名前だが、その理由は適当や何となくなどという薄い理由ではない。ちゃんと考えてはいる。だが、名前の響きは楓も言った通り変に聞こえるかもしれない。

 それを前もって言って、少女の顔を見る。真剣な表情で楓を見つめ返していた。

 楓はそれを見て、自分が考えた少女の『名前』を告げた。

 

 

「『カルパッチョ』・・・なんてどうでしょうか」

 

 

 カルパッチョ、という言葉は少女も聞いたことがある。生の牛肉や魚にチーズやソースなどの調味料をかけて食べる、イタリア料理だ。ちなみに、楓の『アルデンテ』もそうだが、その『カルパッチョ』という名前は少女の本名とは一文字も合っていない。

 

「・・・・・・どうして、その名前を?」

 

 少女が問いかける。それはただ単にその名前にした理由が聞きたかったからだが、今の楓からすれば『どうしてそんな変な名前にしたのか』と責められるようなニュアンスを含んでいるようにしか聞こえない。

 少しそれが怖くて、楓は少女から目線をわずかに逸らしながら理由を述べる。

 

「・・・イタリア名物のパスタは大体茹でるし、リゾットは煮込んで、ラザニアもラグーを煮込んでオーブンで焼く。他の料理もそうですけど、イタリア料理は大体が火を通す者が多いです」

 

少女は頷き、楓は続ける。

 

「俺と同じように、あなたも他のアンツィオの生徒とは少し違う。だから、火を通す一般的なイタリア料理とは少し違う感じの名前にしようと思いまして」

 

 少女は真摯な目つきで楓のことを見つめ、その理由に耳を傾けている。

 

「それで考えたのが、火を使わないイタリア料理です。その中でも、響きが可愛らしいと思ったのがカルパッチョ、というわけです。えっと・・・生意気言ってすみません」

 

 踏み込み過ぎてしまったと、楓は思う。

 『カルパッチョ』という名前の響きは考えた時は可愛らしいとは思ったが、そう思うのが楓だけという可能性もある。人によっては変に聞こえるかもしれない。

 それを少女が気に入るかどうかだって分からない。『変な名前を付けるなんて』と憤慨するかもしれなかった。

 おまけに、途中で自分らしくもない『可愛らしい』なんてことを言ったものだから、拒絶された時のショックは相応のものだろう。

 けれど、その心配もいらなかった。

 

「『カルパッチョ』・・・いい名前ですね」

 

 微笑みながら、そう言ってくれた。

 社交辞令かもしれないが、それでもそう言ってくれるだけ安心した。

 

「ありがとうございます。そして・・・・・・」

 

 少女―――カルパッチョは頭を下げて、そして右手を楓に向けて差し出す。

 

「これからも、よろしくお願いします。アルデンテさん」

 

 彼女もまた、楓のことをあだ名で呼んでくれる。あだ名で呼ぶということは、相手と親しくありたいということ。そしてその証拠に、彼女は自らの手を差し出している。

 それを見て楓は―――アルデンテは、その差し出された手を見て少し迷ったが、おしぼりで手を拭いてからその手を優しく握る。

 

「こちらこそ、よろしくお願いします。カルパッチョさん」

 

 カルパッチョの手は、男のアルデンテからすれば少しだけ小さくて、そして温かかった。

 そしてなぜか、自分の心がわずかに高鳴っている。ただ、手を握っただけなのに、どうしてこうも心が躍るようなのか。

 それでもアルデンテは、このカルパッチョの手の温もりは覚えておこうと、心に決めた。

 

 

 それから少しして、2人は席を立ち店を出る。最初にカルパッチョは自分の分は払おうとしていたが、それよりも先んじてアルデンテが全額を払った。これはデートと言うつもりはないが、男女で食事をして女の子に財布を出させるわけにはいかない、という男の意地のようなものが働いた。

 外へ出て、ライトアップされた時計塔を見上げると、時刻は20時半過ぎ。随分話し込んでしまったから、1時間近くあの店にいたようだ。

 もう遅いので、アルデンテが寮まで送ると自分から告げて、カルパッチョはアルデンテの気遣いに感謝して一緒に帰ることになった。

 その寮までの道すがら、カルパッチョはアルデンテに話しかける。

 

「さっきつけてもらった『カルパッチョ』っていう名前なんですけど・・・」

「?」

 

 やはり気に入らなかったのだろうか、とアルデンテの脳裏に一抹の不安がよぎるが、そう言うことではないらしい。

 

「私と2人きりの時にだけ、そう呼んでもらえませんか?」

「え?」

 

 突然の申し出に、今度はアルデンテが首を傾げる。

 

「やっぱり、急に自分から『こう呼んでほしい』っていうのは少しハードルが高くて・・・。もう少し自分に自信が付いたら、皆にそう呼んでもらいたいなって思っています」

「・・・・・・なるほど」

 

 カルパッチョの言葉を聞いて、アルデンテも最初に自分がその『あだ名』で呼ばれた時のことを思い出す。その時は確か、ペスカトーレだかアマレットだかが勝手にそう呼んできて、それが自然とクラスの皆にも広まって、いつからか教師以外のほぼ全員から『アルデンテ』と呼ばれるようになった。今ではもう、本名で呼ばれることはほとんどない。

 しかし『カルパッチョ』は、ついさっきアルデンテ自身が付けた名前である。アルデンテの時とはわけが違った。いきなり自分からあだ名を名乗るのも勇気と覚悟を要するもので、カルパッチョにはまだそれが無いのだろう。

 

「分かりました。では・・・・・・その時以外はどう呼べば・・・」

 

 アルデンテの問いにカルパッチョは少し夜空を見上げて考えるが、やがてこう答えた。

 

「『ひな』で構いませんよ。さっき言った幼馴染の子も、私のことは『ひなちゃん』って呼んでいたので」

「・・・・・・『ひな』か『ひなさん』でいいですか?『ひなちゃん』は流石にちょっと」

 

 旧知の仲でもないのに、男が女をちゃん付けで呼ぶのは周りからの誤解を招きかねないし、馴れ馴れしい。それは避けたかったから、『ひなちゃん』と呼ぶのは控えさせてもらう。

 カルパッチョは頷いて、さらにもう1つの提案をしてきた。

 

「私たち、同じ2年生ですし・・・敬語は無しにしませんか?」

「・・・・・・」

 

 敬語は無し、つまりタメ口で話すということは、相手に対して良い意味で遠慮をせず、相手のことを信頼しているからこそできることである。

 だからカルパッチョの提案も、アルデンテを信頼しているからこそのことだろう。それにアルデンテは気付いて、その自分への信頼を無下にせず、そして裏切らないようにしようと決意して、少し笑って頷いた。

 

「分かった・・・カルパッチョ。これからもよろしく」

 

 すぐに敬語を外して、カルパッチョに話しかける。それで緊張が取れたのか、カルパッチョもふわりと笑ってアルデンテに告げた。

 

「・・・こちらこそ、よろしくね。アルデンテ」

 

 

 

 寮の前に到着すると、アルデンテとカルパッチョは別れた。恋愛に情熱的なアンツィオであっても、『女子寮に男子は入ってはならない』という規則はちゃんと存在する。逆もまた然り。

 なので寮の敷地内にまでアルデンテは足を踏み入れたりはせず、小さく手を振り合いながらカルパッチョと別れて、そのまま男子寮へと向かった。

 夏が近づいて夜になっても少し蒸し暑い感じがするが、その蒸し暑さも今のアルデンテは気にしていなかった。

 寮までの帰路でアルデンテが気にしているのは、カルパッチョのことだ。

 今日の昼休みに初めて会ったことが嘘であるかのように、彼女との仲は進展したと思う。

 お互い悩みを打ち明けて、似た者同士なのが分かって、『カルパッチョ』という名前を付けて、そして少しだけだがタメ口で話して。

 恐らくだが、この日はアンツィオに入学して以来一番色々あった1日だと思う。

 

「・・・・・・」

 

 歩きながら、先ほどカルパッチョと握手を交わした右手を見て、改めてカルパッチョのことを思う。

 今日の昼休みに初めて会った時は、その容姿に『見惚れた』。

 悩みを打ち明けられた時は、力になりたいと切に思った。

 自分と同じ悩みを抱いていると知った時は、とても共感できた。

 自分の考えた『名前』を気に入ってくれた時は、純粋に嬉しかった。

 お互いにタメ口で話そうと提案された時は、自分のことを信頼してくれているという事実に感動した。

 

(・・・・・・俺って)

 

 気が付けば、カルパッチョのことが頭から離れない。

 その可愛らしい姿も、ふわりとして澄んでいる声も、話したことさえも忘れられない。脳裏に焼き付いて、消えることはないだろう。

 そう考えてしまうのは。

 

(あの子のこと・・・・・・好きなのかも)

 

 だが、そう思ったところで頭を横に振る。

 初めて出会った時からその姿に惹かれていたような気がしたが、それはつまり一目惚れに近い。だが、そんなのは自分の性質じゃないし、そうじゃないだろうと冷静になる。アルデンテ自身も同じ境遇の人と出会えて浮かれているんだろう。

 思い上がり過ぎだ、と自分の頭を冷やそうとするが、それでもカルパッチョのことが頭から離れることはなかった。

 

 

 私は部屋に戻って、さっきまでの出来事を思い返す。

 

「カルパッチョ・・・・・・か」

 

 アンツィオに入学してから2年目にして、初めて私に付けられたあだ名『カルパッチョ』。

 そして、その『名前』を付けてくれたアルデンテ。

 あの人は、愚痴もこぼさず私の中にある悩みを聞いてくれて、そして共感してくれた。

 あの人も、私と同じような悩みを抱えていて、その根っこにある理由に気付かせてくれた。

 あの人は、私に可愛らしい『名前』を付けてくれた。

 

「・・・・・・ふふっ」

 

 まだ出会ってから1日しか経っていないのに、私はアルデンテに対して悪い印象なんて何も抱いていなかった。

 アルデンテの全てが、私には輝いて見えた。わずかに見せる笑みも、私の話を聞いている時の真剣な表情も、そして私に言ってくれた言葉も。

 

『俺たちは、お互いに境遇が似ているということで、俺とあなたには繋がりがあります』

 

 繋がりがある、という言葉だけで私の心は救われたようだった。

 そして、私と同じような人がいるだけで、私はここにいていいんだと思うことができる。

 アルデンテと交わした言葉と、短いはずの時間が、私の中にかけがえのない大切な思い出として積み重なっている。

 そして今日のアルデンテとの間に起きたことを思い出すと、私の心が温かくなるのを感じる。

 とても穏やかな気持ちになれるこれは一体、何だろう?

 

「・・・・・・」

 

 ベッドに仰向けになって、白い天井を見上げる。

 部屋の照明が眩しくて、腕で目を隠す。

 

「・・・はぁ」

 

 それでも、目を閉じても、アルデンテのことを思い浮かべてしまう。

 それでも私の気持ちは、とても心地良いものだ。




ようやく、『カルパッチョ』の名前が出ました。
それにしても1日に3話かけると言う相変わらずのスローテンポぶり・・・。
ごめんなさい。

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