Fate/White Christmas   作:カタストさん

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嗤う少女

お兄ちゃん。その呼び声に対する俺の情動は、単なる疑問符を超えていた。

なぜその呼び方をしている? お前は一体誰なんだ?

だが、それらの疑問は一旦横に置くしか無い。臭い物に蓋するように。

俺はこの一瞬で、生と死の淵に立たされたと気づいたのだから。

 

俺を狙って振り下ろされた触腕は、その巨大さ相応の膂力を伴って叩きつけられた。

辛うじて受け止めることは出来たものの、勢いはあまりに強く、両腕は受け止めた拍子に悲鳴を上げていた。

「マサキ!」

隣で心配そうな声を掛けてくるセイバーが居る。

それが何となく癇に障り、半ば怒声となって返答をした。

「心配、いらねぇよ!」

だが、触腕の膂力に、俺の全身は限界を迎えようとしていた。

それとは他に、受け止めている手のひらに痛みが走る。温めすぎた食器に触ったような、鋭い痛みが。

そんな事に、ふと寒気がして、我慢できずに横の地面に叩きつけるようにして受け流した。その拍子に土の破片が飛び散る。

「あっはは! 惜しい惜しい!でも、まだまだ終わらないよ!」

少女は笑いながら、触腕を動かす。滑らかに、艶やかに動く蛸のような触腕は、墨で染めたように真っ黒だった。

地面から俺の顎を砕き割ろうと振り上げられる触腕を、今度は避ける。しかし、十数メートル離れいても尚触腕の先端は俺の遥か後方にある。

太さ、長さ共に十二分に常識の範囲を超えている。さながらそれは、ゴルゴンの体のようだ。

空を切る音を聞きながら、背後から触腕の先を(やじり)のようにして突き刺す動きを、体を捻らせて辛うじて躱す。

触腕は一本だが、それは一個の生命体と言うより、複数の生命の集合体のようにさえ感じた。それほどまでに、触腕の動きは自由度が高く、避け続けるのには想像以上の疲労を伴う。

その触腕は()()()()()()()()()()()()なら尚更だ。

()えた臭が鼻を突く。先程地面を叩きつけた触手が、触れた所を腐らせているからだ。

あれは相当の呪詛を込めて造られているらしい。 命を持った劇薬があるならこうなるだろうか。先程受け止めた手だって、ほんの少し離すのが遅れていれば今頃腐食作用の絞りカスだ。

触れるのには細心の注意が必要で、そんな触腕が相応の速度と威力で何遍も迫る。

おかげで俺が自由に動かせるのは首から上だけだった。だから、口を開いてセイバーに指示しようかと思ったところだが、その頃セイバーはすでに動き始めていた。

俺を攻撃の目標と定めているだろう触腕を華麗に避けつつ、避ける手間を考慮してもただの人間には反応し得ない速度での接近。

そして攻撃。まさしくその剣閃は、彼女の胴部を貫き通し、戦闘続行は不能な一撃を与えていただろう。

そこに居るのが彼女だけならば。

虚空から揺れるように現れた青年が居た。その男は初めからそこに立ち尽くしていたかのような安定感を伴っていた。

騎士のような見た目の男が、重みを思わせる長剣を握りしめていた。

それだけでも異様なのに、その彼は()()()()()ように見えたのだ。

異常に肥大し、黒光って節くれ立つ腕。 さながら、魔導書に登場する悪魔のようだ。こんな魔術を使っている少女に付き従っているのは、お似合いな雰囲気も有りげだが、今はそんな呑気なことを言っている場合ではなかったのだ。

剣を持って立っていた青年が動く。人外の見た目をしていたのは伊達ではないらしく、少女の前に立ち塞がりながらセイバーの剣を簡単に受け止める。

「聖杯戦争の戦場において、常道というのは確かに存在する。魔術師はサーヴァントには敵い得ない。ならば、サーヴァントは魔術師を攻撃するのが常道だろう」

騎士の声が響く。その声は、鍔迫り合いと触手が乱舞する音の中でもよく響いた。冷静な青年の声。

しかし、静かな熱意をも孕み、青年の声は更に続けた。

「しかし、常道というのは悉く打破されるものだろう! “闇”のセイバーよ!」

青年が騎士剣を振りかぶり、力強く振り下ろされる。その剣気は阿修羅の剛毅さを持ち、二、三度剣がぶつかり合っただけでセイバーは抵抗する間さえ無い。のけぞらないように耐え忍ぶので精一杯なのだろう。

俺が助けに行くべきなのかも知れない。 だが―――

「いいねお兄ちゃん! 良いダンスだよ!大会に出たらいいんじゃない?」

礼服の少女の攻撃もなかなか苛烈だ。 セイバーを助けに出ようと体勢を変えれば、そこを叩き潰される。

そして、それは即ち死を意味するのだ。迂闊にそんな事できない。

「生憎だが、ダンスに専念できるほど暇じゃねぇんでな・・・!」

その場で体を(ひね)り、(よじ)り、(しぼ)る。

確かに、出来損ないの社交ダンスでも踊っているようだ。

しかし踊ってるばかりでは、戦いを長引きこそすれ終わらせることは出来ない。石でも投げればいいかもと思ったが、それは違うのだ。

何かを投げた所で。俺が居る位置から、少女までは少々距離が開いている。 何かを投げても、届くのに《一瞬》という訳にはいかない。

だったら、触腕で防ぐのも簡単だろう。 銃でも有れば話は別だったかも知れないが、無い物ねだりはさもしいだけだ。

結局は何が言いたいか。

二つの戦局は、お世辞にも芳しいとは言えない。不意打ちされた以上、俺等の不利は決定的だったのだろう。

ここから見える限り、相手方二人はどちらも汗一つかいていない。余力の引き出しはまだ尽きていないのだ。

ここまで限られた状況で、俺達の考えは共通していた。

徹底した時間稼ぎ。 攻めず、攻めさせない動き方を突き詰める。真流達が来ることを信じてるからこそ出来るこの戦い。

正直な所、それだけでもキツイ。

激流の中に足を突っ込んで、その中で立ち尽くすような感じ。 一度決壊すれば、俺達の命はない。

足がもつれそうな動きの連続の中で、精一杯生を繋ぐ。 それしかない。

「そっちのセイバーも、結構食い繋ぐじゃない! 二人共お似合いだよ!」

触腕が、横から薙ぐように振るわれる。

遠心力を伴って放たれる一撃。 “速度”は即ち“重さ”となって、俺の腕にのしかかる。

瞬間、うずく触覚。 これ以上触れるのは危ないと感じ、いなして触腕を体からずらす。

その間は、数秒となかっただろう。だが、俺の外套(コート)は摩耗したかのようにささくれて、白く特異臭のする煙をくゆらせた。

「・・・もう、腕は使えねぇな・・・」

俺はぼやいた。いや、ぼやくしかなかったのか。

そうしている間にも次の攻撃が差し迫る。休憩の暇なんて、息を()く余裕さえ無い。

ふとセイバーの方を見やると、彼女も似たような物だった。

少女が引き連れていたのは、見た目に違わない剛剣の持ち主だ。技術も速度も、セイバーを上回るが、何より違うのは(パワー)だ。

腕力や脚力と呼ばれるような、全身の筋力をふんだんに用いた、力強い剣。用いている刀剣も、クレイモアと呼ばれる類の、大きさと重さに優れたものだ。

彼の戦い方は戦車に似て、多少の小細工は力で捩じ伏せると言わんばかり。

事実、細剣(エストック)での華麗な剣技で攻め立てるのが主な戦い方のセイバーは、彼相手に剣を突き出せずに居る。

まるで暴風にあおられるしか無い枯れ枝だ。 あれでは彼女に勝ち筋はない。

「セイバーは、最優の二つ名を与えられるサーヴァントでもある。 だが、お前の戦い様はどうだ? 俺に傷の一つでも、付けてみせろ。 でなければ、私と同じセイバーとして、拭い得ぬ恥になろう!」

あの男もセイバーなのか・・・。 という事は、剣使い(セイバー)同士の対決という事になる。

だが、彼女は本来、剣で戦うべき英霊ではないらしい。 どんな由来であろうとも、剣という土俵の上で、本物に勝る道理はない。

青年が吠えたが、その憂いとも言えるような挑発と同様に、切り傷一つつけられずに負ける可能性は大いにある。

対する俺の方も、正直限界がやってきそうだ。 疲れが体に蓄積して、足はいつもつれたっておかしくない。

腕で受け止めれば、今度はこの地面と同じように腐り落ちるのは目に見えている。

剣戟、風切る音。 それら全てが一つ鳴るたび、俺等は背筋を仰け反らせる。

圧倒的な力で押され、そうするのが精一杯だったからだ。 だが、それも既に終わりの時が訪れる。

 

セイバー同士の衝突は、佳境を迎えつつ有った。

幾度となく交わされる剣。 その中に、“闇”のセイバーが優ったものは一つとしてなかった。

次第に、次第に。 力が抜けていくように膝が屈し始め、背筋は曲がり始める。いくらサーヴァントであろうと、圧倒的な実力の差を前にしてまともに立っていられるほど、心は強くなかったか。

「ぐっ・・・は、はぁ・・・」

吐く息が苦しさを帯びる。 隠しきれない程の息苦しさを感じても戦いを止めないのはなんとも彼女らしかったが、埋まらない力の差に苦悩しているようにも見えた。

「初陣がこのような戦いだとは・・・。 ライダーはこんな小娘相手にしてやられていたらしいが、ここまでして抗えぬようなひ弱な女ではないか」

“光”のセイバーは、剣を振る手を一度止め、彼女に語りかける。

「これでは、戦いとは言えぬ。 戦えないサーヴァントは、私には必要ない。早々にこの世界から去ったほうが、互いのためではないのか?」

“光”のセイバーは、かなり癇に障る台詞を吐いた。

毒のある言葉だが、この様子を見ている限り、彼の顔には悪意の類は浮かんでいないように見える。つまり、これは彼の単なる感想。

侮蔑でも挑発でもなく、この台詞は自分の胸中を忌憚なく吐露したものであり、同時に相手・・・つまり俺等への慈しみさえ含めた言葉だった。

それを感じ取ったからか、“闇”のセイバーは一際大きく息を吐き、笑いながら言った。

「どうでしょうか? 確かに私は、他のサーヴァントより大きく劣るかも知れません。ですが、それは即ち、私の価値の全てを決められるものではありませんよ? なんせ、私はまだ諦めてませんから」

圧倒的劣勢に立ち。死の淵に立ち。服の間から覗く絹のような肌には、微かなれど切り傷が痛々しく存在する。

それでも尚笑って、“光”のセイバーに啖呵を切ってみせる。

彼女の見目は確かに弱々しいものだったが、この時、“光”のセイバーは言えも知れぬ風格を感じ取ったらしい。

彼の先程のような哀れみの目はもう沈め、一転して期待さえ覚えさせた。

単なる負け犬の遠吠えかも知れない。 追い込まれたが故の、捨て台詞的な側面も有ったかも知れない。

だが、もう一度、目を掛ける価値はあると。そう思えた。

「その言葉、嘘ではないな? ならば仕切り直そう。次こそ、私を楽しませてみせろ!」

今までよりも、大きく、力強く剣を振る“光”のセイバー。

「っ、うぁぁぁ!!」

一度は受け止めてみせた。 だが、二度三度と同じことを繰り返されればその限りではない。元々女の細い腕と剣で、まさしく悪魔的な膂力を受け止めようというのが無理があるのだ。

その剣気に圧倒され、今までの風格も虚しく、構えた細剣と共に力無く“闇”のセイバーは吹き飛ばされる。

どこまでも、吹き飛ばされた勢いそのままに良く転がり、同じように力強く()()()()()

「きゃぁ!」

高い声が聞こえた。 セイバーの凛とした声とは違う、少女の声。

絡まりあった二本の毛糸のように、ある種芸術的に彼女達は転がっていた。

もう一人の少女は、セイバーとは違い現代風の服を纏っている。 早い話が、後から追いついた真流だ。

追いつき、ようやく戦いに交じることが出来る。そんな矢先にセイバーに躓き、転ぶだけならまだしも数メートル転がったのである。多少混乱するのも仕方ない。

なんとも間の抜けた話だが、今が命を賭けた戦闘中であることを誰もが思い出したのは一瞬の間を置いてからだった。

「ねぇ、ちょっと! セイバー! どうしたの!」

地面に背中を付けながら、“闇”のセイバーの頭を揺らす真流。 無気力に頭をふらされるセイバーは、何やら力の抜けたように言った。

「す、すみません。 彼、中々力が強くて・・・私の力では受け止めきれませんでした・・・」

「彼?」

そこで、真流は初めて“光”のセイバーの姿を確認したらしい。驚きを隠さずに、彼をよく観察している。

「う、うわぁ・・・。 なんともあの子らしいサーヴァントだね・・・」

それだけではなく、マスターである少女のことも知っていたらしい。

セイバーの事は初めて知っただろうが、あの禍々しい少女の事が既知だったのなら事前に教えてほしかった・・・というのが本音なのだが。ここはぐっと抑えよう。

何はともあれ戦闘に視線を戻すと、剣を小手先で振り回しながら“光”のセイバーが歩み寄っているところだった。

「なるほどな。 そっちの望みはランサーだった・・・と言う訳か。 確かに有効かもな・・・私は、お前がランサーを従えていることは知っていても、それ以上の情報は持っていないからな。間違いなく、私はより不利になったと言える」

「はぁ。こうなること判ってたから、出来るだけ早く決着付けたかったんだけどねぇ」

あの少女さえも、今だけは攻撃の手・・・もとい触手を休めて、セイバーと話し込んでいた。

「えぇっと、杏里ちゃん? まさかこんなに早く再会の時が来るなんて思ってなかったんだけどなぁ」

真流は立ち上がりながら、ゆっくりと少女に語りかけた。

「それがねぇ、真流お姉ちゃん。 私にも、それなりの事情があるんだ~。 ただ、お兄ちゃんを殺したいだけ~。だから、下がっててくれる?」

まるで、幼気な子供が我儘を言ったかのように。 言葉の残酷さとは掛け離れた可憐さが杏里・・・と、呼ばれた少女から出る。

先程まで使っていた腐食の魔術も、今だけは鳴りを潜めて、真流と杏里との花が咲くような黄色い声の会話に発展した。

「お兄ちゃんって、橙乃君の事? 困るなぁ、彼はウチのチームの貴重な仲間だよ? 早々に殺されちゃったりでもしたら、私が大変なことになっちゃうよ?」

「イイじゃんイイじゃん。 これ以上迷惑かけないからさぁ? 私の目的はお兄ちゃんだけ! お兄ちゃんだけ殺せたら、後の人はどうでもいいんだもん!」

「そもそも、なんで彼のことをお兄ちゃんって呼んでるの? 私も初対面でお姉ちゃんって呼んでたけど」

「教えなーい!」

二人共、笑顔を崩さない所が恐ろしい。 談笑しているように見せかけて、双方心の中にドス黒いものを溜めているのが丸わかりだ。

そして、俺も正直そこは思うところだった。 俺が聞きたいことを聞いてくれた真流には感謝だが、そう簡単には行かないらしい。

「とにかく、お兄ちゃんを殺したいだけなのに・・・。邪魔するんなら、お姉ちゃんだって容赦しないよ?」

これ以上の会話は無駄だ。 杏里の笑顔の仮面が剥がれ・・・いや、笑顔は保ったままだが、質が変わったように見える。

俺を殺意の対象にしているのだが、彼女はそれだけじゃない。 俺を殺すためなら、何を犠牲にしたっていいという狂信者にも似た性根を抱えている。

アイツは危険だ、戦闘力、人格共に常軌を逸している。 この女の目標が、戦闘にある程度心得のある俺だったのはある種救いだったのかも知れない。

そうだ、救いだったのだ。

俺の胸中を知りもしない真流は、静かに懐の内に手を入れる。

手を取り出せば、そこにあったのは一丁の拳銃。 真流が・・・というより、誰の手にとっても多少巨大に見えるそれを、真流は簡単に持ってみせた。

だが、この場面での武装は、杏里への返答を言外に意味している。

彼女だったら、言葉にするならこう言いそうだ―――『やりたいなら、私も一緒にやってみなよ』。 俺はそう言い放つ彼女の姿を想像して、少し笑みがこぼれてしまった。

「そっか、そういう事ね・・・。 じゃ、二人一緒に殺しちゃおう! セイバー!それでいいよね!?」

「だそうだ。 私としては、二対一は避けたかったところだが―――」

“光”のセイバーが漏らした言葉を、無理矢理に中断させる存在が有った。

真流が居た場所、その更に後方から、まさしく風のように現れた()()は、“光”のセイバーの胴に鑓を突き立てんと突撃、いや激突したのだ。

「嘘をつけよ」

ニヤリと音がするように笑い、ランサーはセイバーに向かって言った。

「テメェ、笑ってるぞ? ホントはこうなるのを期待してただろ?」

槍を難なく剣で受け止めているセイバーは、指摘された表情を更に強めた。

図星を突かれても表情を直そうとしないという事は、彼自身その感情の出処を理解していたのだろう。

「本当は、正々堂々と、正面に向かい合ってから武器を構えたかったのだがな・・・。 元より此処は戦場、どうやって攻撃されようと文句はない!」

セイバーとランサー。 数度打ち合う。その様子は、今までのセイバー同士の打ち合いが猫か何かの喧嘩のように思えてしまう。

二人の動きの速さが違う。ぶつかりあう金属の音の重さが違う。躍動感が違う。―――すべてが違う。

その様子は、事情を知らない人間が見れば、魅了さえされてしまうような戦いだった。

「嘘・・・セイバーと、同等だなんて・・・」

杏里、と呼ばれた少女はその戦いを見て冷や汗を一筋垂らしていた。

相当にそのサーヴァントに対して自信を持っていたのだろう。だが、あのランサーは神話に謳われる英雄だ。古今東西、彼に適う戦士はそう居ないだろう。そういう意味で言えば、むしろセイバーの方が健闘していよう。その証拠に、真流も誇らしげな顔をしていながら、少しばかりの驚きが見て取れる。

「むぅ。 こうなったら、先にマスターから!」

戦いを()いた杏里が、触腕を振り下ろす。

その速度を初めて目にした真流は反応しきれなかったらしい。触腕が迫るのを見ても立ち尽くすばかりだ。

「チッ!」

舌打ちと共に、俺は触腕を蹴飛ばす。

真流が驚き顔でこちらを見つめていた。 庇われたのがそんなに衝撃だったのか?

「ったく、真流! 戦えねぇなら離れてろ!」

「いや、戦えないはずないじゃん! 今のは反応が遅れちゃっただけ! それよりも・・・」

真流は俺の体を見て、つぶやいた。

「言っとくけどね、橙乃君。 ()()()()()()()勝てる相手じゃないからね?」

「・・・すまねぇな。 ちょっと考え事してたんだ、すぐにやる」

俺の誤魔化しは果たして通じたのだろうか。なんにせよ、俺が魔術を使っていないことが見ただけでバレるなんて思っても居なかった。

「え? まさか、今までずっと・・・?」

杏里がさらなる驚愕を(あらわ)す。 それも無理はない。お前は今まで人を殺す魔術を使っていた。その相手が魔術を使わないで戦っていたなんて、俄には信じられないのだろう。

急速に魔力を通す。 身体強化の魔術は俺の十八番だ。いくら焦っていたとしても、この魔術の手順を踏み間違えるなんてことはない。今までは魔術を使わずに勝とうと思っていた。

が、状況が変わった。 確かに彼女の言い分通り、杏里は魔術を使わないで勝てる相手ではないらしい。

だから、此処からは本気だ。

「うっ・・・。 それが、なんだって言うの!お兄ちゃん!」

杏里の顔が変わる。俺の雰囲気の変化に圧倒されたか? 微妙な焦りの感情が、俺には感じられた。

先程俺に蹴飛ばされた触腕が、横から俺等を打ち倒そうと迫る。

速度は十分。 だが、()()()()()。触手の攻撃そのものに重さはない。それを速度で補っているから、パワーがあるように感じられるだけだ。

ゆっくりと振りかぶり、触手に拳をぶつける。それだけで、触腕ははるか天上に突き上げられた。

「はっ・・・?」

真流が驚いている暇はない。

今は触手が俺の攻撃に当てられて、はるか上にある。なら、今ほど攻撃しやすい状況はない。

俺がすぐ近くに居るのに気づいたのは、彼女が(おとがい)を上げてから少し経ってからだった。

その直後、俺は両手を突き出す。 掌をぶつけるようにして放つこの攻撃は、まともに喰らえば内臓からズタボロになるような危険な技だ。

だが、彼女は俺の掌が体に触れる直前、触手を間に挟み、直撃を防いだのだ。かなり力を込めて突き上げたはずだが、真逆俺の攻撃に間に合うとは思いもしなかった。彼女は後方に吹き飛ばされ、平原の端から鬱蒼と広がる森まで行ったはずだが、少なくともまだ戦える状況であるはずだ。

「俺の本当の実力を知った以上、今のように不意打ちをすることは難しいはずだ。 あの触手の力を図り損ねてたな・・・」

「まぁまぁ、橙乃君が実力を出してくれたようで助かったよ」

真流が俺の横に立った。

戦力が二倍になるだけで、此処まで心強くなるものか。今まで一人で戦ってきたから、分からないこともあるというものだ。俺は心を奮い立たせ、誰もに聞こえるように号令を上げた。

「セイバー、ランサー! お前らはそのサーヴァントを押さえていろ!俺等は杏梨を倒す!」

「了解!」「承知しました!」

二人は快く受け入れてくれた。俺の言葉を、疑う余地なく正しいと思ってのことだろう。

マスターはマスターで。 サーヴァントはサーヴァントの戦いを。この戦場の(ことわり)を漸く理解してきた。

ならば、俺等も反撃の狼煙を上げるとしよう。


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