Fate/White Christmas   作:カタストさん

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黒い激突

夜の森で、艶やかに触手が翻った。

叩きつける、薙ぐ、突き立てる。その動きを素早く行い、次第に人の体では反応しきれなくなる。腐食は次第に同心円状に広がっていき、自分が立っている地面さえも黒々と変色していく。

蹂躙、その言葉が最も似合う。人間二人の手には余る舞台だ。

俺でも、自分の肉体を極限まで高めて、ようやく触手の一撃を避け続けることが出来るのだ。

彼女―――杏梨と呼ばれていた少女の戦闘力は、先程会ったライダーを除いてしまえば、俺が今まで会った中で余裕で頂点に立っているのは間違いないんだ。

「あっははは! 楽しいね!楽しいね! お兄ちゃんとこんな事が出来るのが夢みたい!いつまででも続けられればいいのに!」

「俺には、お前みたいな妹は居ねぇって何回言えば良いんだ!!」

目を爛々と輝かせ。口角を切れそうなほど上げ。心底楽しそうな声を口遊み。

まだまだ杏里には余裕があるらしい。こちらには、攻める手段が少なく困っているんだ。

ただでさえ、相手取るのが厳しい相手だというのに。

「嗚呼、楽しいなぁ・・・! ほら、踊ってよ!」

そう喚くように言いながら、()()触手を閃めかせる。

このフィールド自体は、俺に有利だ。森は視界を狭めるのに効果的で、身が軽やかな俺がスピーディーに動くことで杏梨の触手に対応する算段だった。だが、触手のパワーと腐食作用が強く、思ったように動くことが出来ない。

結果として俺はさっきと同じように、身体強化を限界まで引き上げ、トラックが人間をそうするように触手を弾き飛ばす。そうするしか無いのだ。

触れるのは一瞬だが、数回蓄積されたダメージが手袋に響いている。着け心地が悪くなり、内側がささくれ立ってきた。

体も魔術を行使し過ぎた反動がやってくる。全身を螺子(ネジ)で固定されるような感覚、きっと後数分もこの状態を。或いは限界を数度迎えたならば。俺の体は壊死してしまうだろう。

「ふふっ、お兄ちゃん。踊り疲れちゃった? 休ませてあげよっか?」

むかっ腹の立つ声だ。網膜に張り付くように印象的な笑顔も一緒になって、自然と腹が立つ。

俺はそれを見て、挑発には乗ってやろうと力をもう一度脚に込める。

「ほざけ!」

さっき触手を弾き飛ばしたのと変わらない速度で、杏里に直線的な攻撃を仕掛ける。

今まではそれで問題なかったのだ、考えなしの突撃であろうと、魔術を知ること無い人間には、いや知っていたとしても、来ることが判っても反応できる速度ではないからだ。

だが、目の前の相手は違う。戦い慣れでもしているのか、俺の突撃でどう動くかをある程度予測が出来るらしい。

予測さえできれば、後は彼女は触腕を壁に見立てて防ぐだけで良い。

何度目かになる激突。触手はパワーに優れない。だから、簡単に突き飛ばすことが出来る。

だがスピードはそうでもない。俺と拮抗しうる程度には素早い・・・俺には敵わないが、この場合においてはそれで十分なんだ。

なぜなら、長い体。蛇が鎌首をもたげるようにして、もう一度触腕の腹を叩きつける。

「そーれっ!」

子供のような声を上げるが、その実態は相手を腐らせて殺すことだ。

俺は身体強化の限界を保ちながら、とっさに出た手で、もう一度弾き飛ばした。

また一段と、手袋が崩壊の度合いを増す。

俺の体も悲鳴を上げていた。螺子は錆び、骨は灼け始めている。

「はぁ・・・はぁ・・・」

息が切れ始めてきたが、その声でさえ遠くから響くようだ。視界も霞み始めている。

もしかして、同じようにして俺の思考も鈍化しているのだろうか。骨を前に出された犬のように、真っ直ぐ突き進むしか出来なくなっているのだろうか? もうそんな事さえ分からない。

「私は判ってるよ? お兄ちゃん」

杏梨の声が嫌に脳に反響する。

「この森に私を追い込んだ理由は、自分に有利な場所に戦場を移す他に、私の伺い知れぬ所で真流お姉ちゃんにトドメを刺してもらおうとしてるんでしょ? 大方、どこかで静かに狙撃の準備でもしてるんじゃないかな?」

「・・・どうだかな」

返事から表情をさとられないように、必死に脳をクールダウンする。 だが、火照った体は考えるより前に声を口に出してしまうほどに、思考を放棄させていく。

「あの原っぱだと、真流お姉ちゃんを守って戦えるか微妙だったもんねぇ。 懸命な判断かも知れない。でも、それならさっさと逃げちゃえばよかった。 少なくとも、こんな所で消耗するよりかは、戦いをサーヴァントに任せればよかったんだよ。判ってたでしょ?」

過剰に熱せられた体を、投げかけられた言葉で冷やす。ほんの少し取り戻された思考を必死に掻き回し、返答を編む。

「いいや、真流は守る。お前も倒す・・・。 それで俺の勝ちだ・・・」

「・・・そう」

ほんの少し、飽きたような顔を杏里は浮かべた。

不思議に思う暇もなく、触腕が動く。俺の後ろで真流が立っていることを確認し、避けられないことを確信する。

もう一度弾き飛ばす。 また一段と崩壊が進む。

 

 

『早く逃げろ』と、言葉に出されなくても判っていた。アイツの背中は、言葉以上に態度でその心情を示していたからだ。

黒々と光る触腕、魔術によって強化された肉体。どちらも芸術にまで昇華されたような、超一流の代物だった。

私がここに居るのが場違いなのかという錯覚さえ思わせる、これはまさしくサーヴァント同士の衝突にも似た、災害の極致なのだろう。

本来なら、私は背を向けて逃げるべきだ。本能がそう囁きかける。時間が経つごとに、それは囁きから問いかけに、叫びに変わっていくのかな。

私は、ほんの少し彼が止まった時間を見つけ、口を開く。

「私の事は気にしなくていいよ。 武器もあるし、体を使うのも叩き込まれたから」

震える手をもう一方で押さえ込み、精一杯不敵に笑ったつもりで言葉を編み出した。

ほんの少し、時間が止まったように感じた。今まで止まること無く、ミシンのように動いていた彼は、私の宣告によって電源を落とされたのだ。

「信頼して、良いんだな?」

訝しむような声が頭上から降ってくる。当然だ、私はさっきまで足がすくんで動くことすら敵わなかったんだ。

でも、もう止まってなんていられない。

黒戴は強い、戦いを見てて判った。きっと橙乃でさえ、彼女には手も足も出せないのかも知れない。

それはきっと、私が足手まといだったからだ。私が何も出来なかったから、出来ていなかったからだ。

だったら、私が変わらなきゃいけない。足手まといから、しっかりとした彼の相棒に。

静かに私はうなずく。 それを見た橙乃は顔を目の前の敵に戻した。

そこから、戦いは激化した。橙乃の立ち回りは、明らかに別の人間の様になっていたからだ。

今まで直線の動きでしか戦いをしていなかった橙乃は、周囲の木々や素早く動く触腕さえ巧みに利用した頭脳的、三次元的な挙動を見せていた。

それはまるで時空さえ自由自在に操っているようだった。

さっきまで余裕の笑みを崩さずに居た杏里ちゃんでさえ、時々苦悶の声が混じっているのが見える。

なんで、そんな事が出来ることを封印して、直線的な動きをしていたのか。 私は何となく分かる気がした。

私が、足手まといだったから、だ。 橙乃は私を守るために、守るためだけに、私をすぐに守りに行ける、黒戴と私の直線上だけで戦っていた。

だったら、今の素晴らしい動きをしている本意は、『次に攻撃されても、守れない』って事なのかも知れない。

私はそれを心の奥底で考えながら、懐に手を忍ばせる。

拳銃を探り、片方無くなっていることに気づいた。ああ、そういえば、さっき彼女がぶつかってきた時に言ってたっけ。

“すみませんが、借りますよ”

正直、あの瞬間には彼女が何を思っていたのか分からなかった。今になってようやく盗まれたことに気づくなんて、彼女が相当な悪者だったのか、それとも私が間抜けていたのか。多分両方なんだろう。本当に私は莫迦だった。

そっと安全装置(セーフティ)を外す。 これが私の初陣だ、せめてアイツの笑い種にならないようにしないと。

「何笑ってるの?」

声に顔を上げる、すると黒戴がこちらを見て攻撃態勢を取っていた・・・というか、既に触手をこちらに飛ばしてきている。

だけど、橙乃の牽制と、距離が離れてることもあって、見てから十分避けることが出来る。

当然追撃しようともう一度迫る黒い腕。だけど、こっちだって丸腰というわけでもない。

避けた間に、拳銃を構え、一度二度と引き金を引く。只事ではない反動が腕を襲うけれど、正直慣れてしまい、取り沙汰する程でもない。

杏梨ちゃんは、銃撃は流石に無事では済まないと判断したのか、触手を曲げて盾に見立てて弾を防ぐ。見た目以上に硬く作ってあるのか、拳銃の弾は何処へともなく弾かれていった。

だけど、今彼女と敵対してるのは私だけじゃない。杏里ちゃんの背後から、橙乃が拳を振るっているのが私からは丸見えだ。

「っ・・・!」

短く杏梨ちゃんが息を漏らすのが見えた。流石に大振りで振るわれたパンチは防ぐことが出来たらしいけど、その陽動に誘われた形だった。

二撃目として密かに放たれた左手での一撃は、完全に防ぎ切ることが出来なかったみたい。小さく、頬が切れて血が数滴滴り落ちる。

「おや? ・・・なるほどね、さっきとは違うって訳かぁ」

自分で触れて漸く気づいたみたいな声を出した後に、ハイエナのように笑みを浮かべる。どうやら、自分が傷つけられたという事実に対しては全く恐怖は無いらしく、ただ淡々と『自分の見当が甘かった』という風な本音と一緒に、でも辛辣な程の優越感を覚えているらしい。

対する橙乃も、声を出さずに、構えを取り直す。その東洋拳術にもボクシングにも似たような佇まいの裏側には、鷲のように鋭く、或いは撮影機(カメラ)のように予断無く、じっと黒戴の動きを見極めんとする眼が見える。

二人が向かい合う姿は、まるでピンと張られたバイオリンの弦だった。二人の闘気に当てられて、彼らが風を巻き起こしている感覚さえ感じ取ってしまう。もしくは、私も知らない内に弦の一部に縫い込まれたのかも知れない。闘気の威圧の中に、私は踏み込まなければならないんだから。

私が駈けたのが先か、二人がぶつかったのが先か。相対してる私でも分からないぐらい同時に、私達全員が動き出した。弦が切られて跳ねるように。

 

 

触手という腕と、本物の俺の腕。 形こそ全く違うが、その本質は似通っていた。

一度本格的な一撃を入れてしまえば、そこでお(しま)い。入れられてもお終い。詰まる所、この勝負はどちらが攻撃を当てるか、そこに集約していた。

そのために必要なことは、相手を翻弄すること。俺が空を跳ね、そこを触手が捲り上げる。

共に相手を陥れることを考え抜く中で、次第に杏里の顔が焦燥にゆがみ始める。その訳は、杏里の背後に有った。

森の中から、思いの外静かに銃弾が飛ぶ。消音器でも着けているのか、銃声はかなり小さかった。注意していなければ聞き逃してしまうレベルだ。

しかし、杏里は気づいていた、或いは気づいていなくても触手が自動でそうやって動くのか、とぐろを巻くようにして触手は杏里を守った。だが、そうやって守れば、リーチは短くなり、触手の可動範囲は短くなる。

俺はそれを明確な攻め時だと判断して、攻撃を仕掛ける。そりゃ、何度か守られるし、急所に当てられるはずもない。だが、触手は奇襲には強いが猛襲には弱いらしい。一度の交錯、その瞬間に杏里の脚を攻撃することが出来た。

たまらず杏里は手を地面につく。俺はここで追撃を仕掛けることも考えたが、杏里は触手を生きている植物のように動かし、迎撃の手段を取っている。ここで攻めるのは危険だ。

それに、どこか脳裏に嫌な予感がチラつく。 気のせいだと振り切りたいのは確かなんだが・・・。

俺は立ち尽くして、杏里が立ち上がるのを待った。 地面に手を付けていた杏里は、もうすぐ立ち上がるという所まで来た時に、背後の森から銃弾が杏梨目掛けて飛んだ。

銃弾は弾かれる、小手先で、まるで全身を生きているように動かして。だが、真流は触手の操作に集中しなければならないのかもしれない。立ち上がるモーションは止まり、ただ拳銃が飛んできた方向を見つめている。

好機だ。 俺はそう思い、彼女の横に移動する。戦い慣れしているために俺の挙動を捉えることは出来るのかも知れないが、元来人間に反応できる速度で動いているとは思っていない。俺は杏梨の横腹を蹴り上げるようにして脚を振るった。

触手は動き、彼女の盾となる。 杏梨自身も、胴部を壊されるよりはというようにして、腕で腹をかばう。 だが、俺はそんな事も関係なく、躊躇なく振り上げた。

流石に衝撃を殺しきれなかったのか、今までに見せなかった苦悶の表情を浮かべ、杏梨は地面を無様に転がっていった。 俺は確かな手応えを感じたが、直後脚に激痛が走り、俺は立っていられなくなり膝をつく。

一瞬その脚が目に入ったが、酷いものだった。 外套(コート)はついに耐えかねて、俺の脛は外気にさらされていた。 その脛は一瞬なりとも触手に直に触れていたのだ。腐食効果の餌食となって、赤黒く変色している。激痛ばかりが俺の脚から帰ってきて、動けと指令を飛ばしても応えてくれない。

「あっはは、無様だね。 無理するからだよ」

杏梨が立ち上がる。 その顔は笑いながらも影が差していた。

どうやら、勝利そのものは確信したらしい。だが、痛みには彼女自身思うところがあるようだ。

なんて言ったって、彼女の腕も俺の蹴りによって歪んでる。強烈な衝撃で骨にまで異常を来したらしい、治療しなければ動かすことは無理だ。

「お互い様のようだがな・・・」

俺は強がりを吐くかのように思いながら言葉を返す。

嫌な予感はどんどんと強くなっていく、動きを止めて尚、心音はどんどんと大きくなっていく。

「そうでもないよ。 お兄ちゃんと違って、私は動く必要はないからね。 まだ戦いは終わってない」

どうやら、本体のダメージは触手には伝播しないらしい。黒々と悍ましい動きをする触手は、彼女が初めてそれを見せたときのように、高速な動きを保っていた。

俺と杏梨のダメージは、同等では有っても等価ではない。 俺は脚を潰されて動きを阻害されているが、杏梨は腕を壊されても攻撃性能を落としていないんだ。

「まぁ、これから終わるけどねぇ」

彼女は触手を俺に向かって素早く動かした。 それは俺を正確に捉えるのだろう。脚に魔術を込める、傷ついている脚を無理矢理動かすのには相当の痛みと代償を伴うが、四の五の言っていられないのも確かなんだ。

俺は横向きに跳んだ。代償を払った甲斐は有ったようで、触手は俺が居た場所を素通りしていき、止まること無く突き進んでいく。

俺の背後に有った森を急速に腐らせる。 触手があんな所に有るんじゃ、防御は疎かになるだろう。 密かに笑ってる杏梨を討つチャンスは今しか来ない。俺は動かぬ脚に鞭を打ち、なんとか立ち上がる。

未だ笑いをやめない、黒戴に嫌気がさす。 なぜ笑いをやめない? その考えが脳裏をよぎった瞬間、それは俺の背筋を伝って、冷や汗として俺の身を冷やした。

「まさか・・・」

「―――!」

背後から聞こえた声は、叫び声のようでは有ったけど、断末魔でもあったのか。

嫌な予感の正体は、銃弾が飛んできていた方向だったのか。森の中から撃って、自分の姿を見せなかったつもりなのだろうが、真流は常に同じ位置から銃を構えていた。それは、少し注意力があれば読み取れることだ。

案の定、杏梨は真流が居る位置を悟った。 そうなれば、脚を怪我してしまって俺がかばうことが出来ないタイミングで、真流を狙うのは必然だ。

その結果―――俺は冷や汗を止めることが出来ずに振り返る。そこには、脚を腐らされ、無様に這い蹲る真流が居た。

「う、うぅ・・・わ、私は大丈夫。 だから、早く杏梨ちゃんを・・・」

真流が無理して笑いながら言った台詞を言い終わる前の事だった。

触手は無慈悲に彼女に叩きつけられ、脚と同じ様に真流の体全体が腐らされていく。骨や臓腑さえも、あまりにも簡単に溶けていった。

少しの時間が経った時、彼女が居た場所には、彼女が持っていた拳銃だけが名残のように残っていた。

「さて、うざったい涼お姉ちゃんはコレで居なくなったね。 じゃ、二人だけでやり直そう!」

と、杏梨がそう囀るように言う顔は、あまりにも無邪気だった。 誰かが死ぬことの意味を知らずに、笑う子供のようで。

今はその笑顔が、真流を死なせた自分と同じ様に憎かった。

急速に魔術を全身に通す。 脚は傷ついているが、そんな事はもう気にならない。寧ろ、脚が壊れるという事より、杏梨を殺すことの方が重要項に思えた。

「お兄ちゃん、顔怖いよ? もっと笑ってよ~」

「もう俺に勝ちはない」

おどける杏梨をよそに、俺は呪文を唱えるように、或いは詩を唄うようにして言葉を出す。 これは、杏梨にというよりは、自分に言い聞かせるようだった。

「真流は死んだ。 俺の勝利条件は消え失せたんだ。だから、その代わりが必要だ・・・だが、俺に思いつく勝利の対価(もの)は一つしか無い。俺が欲しいのは―――」

“お前の命だけだ” その言葉は果たして杏梨には聞こえたのか分からない。 その言葉を置き去りにする気で俺は強化された肉体で走った。

その結果、加速・速度は最高度に達していた。 いや、強化の魔術そのものの練度が、今までよりも一段階上のレベルに達しているのだ。初めて、本気で戦わなければならないと思ったから。

杏梨が笑いを崩す前に、冷や汗が落ちる前に、拳を振るう。  杏梨は触手をかろうじて盾にすることが出来たが、触手そのものが軋むのが手袋の向こうから感じる。

だから、俺は拳を握り直し、数度と言わず何度でも触手を殴る。 これが原因で手が壊れても後悔はしない。

「うっそ、触手(これ)が怖くないの!?」

口を苦しみに歪ませながら、杏梨は触手を横薙ぎに振るった。 横腹をえぐられたら、流石に俺とて無事とはいかないだろう。

だから、俺は跳んだ。 飛んでる内に、逆向きになり、空中で俺と杏梨が向き合う形になる。

「怖くないさ」

見上げる彼女は、ほんの少しだけ笑いを取り戻した気がした。

「俺の腕、俺の命より、お前の命の方が重要だからな。 それが“勝つ”って事だ」

彼女の背面に着地した俺は、もう一度力を込め、砲弾になったかのように突撃する。

杏梨はこちらを向けないのは当然として、触手でさえも反応が一歩遅れていた。 結果として、数度の拳との激突の末、触手はついに弾かれていき、真流と俺の間を遮るものはなくなったのだ。

「お前の命を奪えるなら、お前に勝てるなら、俺は何であれ支払うんだ!」

彼女の背中に、掌をぶつける。 掌底の形で衝撃を与えられた杏梨は、紙がそうなるように、森へと吹っ飛んでいった。

破砕音の後、何かにぶつかるような音が聞こえた。 近寄ると、木に背中を強かに打ち付け、苦しそうに悶える杏梨が居た。

集中が途切れたからか、触手はすでに消えていた。 だが、杏梨本人は戦う意志を途切れさせていないようで、まだ目は死んでいなかった。

「ま、まだ私は・・・」

杏梨は立ち上がろうとする。俺は拳を構えた。だが、ふいに杏梨の動きが止まる。

いつの間にか、杏梨の喉元には濡れたように光っているナイフが突きつけられているからだ。その持ち主の一存で、杏梨の細い首は切り裂かれてしまうだろう。

「はい、やめ。 これ以上余計なことをするなら、切っちゃうよ? 喉。」

「え、なんで・・・」

ナイフの主は、さっき腐らされていくのを見たはずの彼女だった。

真流は、手首こそ痛々しく血を垂れ流しているが、少なくとも死体だと思うには血色が良かった。

「おまえ、なんで・・・」

思考を放棄したかのように、真流に問いかける。

だが、真流はチェシャ猫のように、含みの有る笑いをこちらに投げかけた。

「それは後ででいい? とりあえず、今はこっちでしょ」

「あ、あぁ。頼む・・・正直、限界・・・だ」

真流が生きていた、その安堵は全身に伝わっていった。温かみのある感覚とともに、脱力感が全身・・・特に脚部を襲う。

俺はもう立つことも出来ずに、倒れ込んでいた。

「さて、何から聞こうかな~。 取り敢えず、メジャーどころから聞こっか。“光”のサーヴァント、情報全部頂戴?」

「い、言うわ―――」

杏梨が言い切るより前に、真流はナイフを脚に突き刺し、そのまま魚でも捌くように、無造作にナイフで引き裂いた。

「うん、杏梨ちゃんは賢いもんね。 だから、立場を教えるのはコレぐらいで良いでしょ?」

そう言い聞かせ・・・いや、躾けて、真流はナイフを喉に触らせ直す。

次は喉を容赦なく切り裂くのだろう。  真流はそれだけの凄みを持っていた。

だが、自分の命が危機にさらされたからと言って、杏梨はその姿勢を突き崩すことはないようだ。その目は、決意の色を帯びて真流を見つめ返していた。

「ちぇっ・・・橙乃、この子、どうする?」

杏梨から情報を搾り取るのは無理だという判断から、真流は俺に判断を仰いだ。彼女自身は杏梨をどうしても良いのだろうが、どうやら俺はそうではない、という判断を下したらしい。

「・・・好きにしろ。 俺はもうそいつに用は無い」

「そう、じゃぁ私はこの子を持って帰ろうかな。 私は拷問は専門じゃないしね」

拷問、とか恐ろしい単語が聞こえた気がしたが、気の所為・・・なんだろうな。 きっと。

ともあれ、俺達の勝利でこの戦いが終わる・・・かと思われていた。

何の前触れも無く、世界が光に包まれた。いや、包まれた・・・と言うには、多少その光は荒々しかった。

俺たちの目はすっかり闇に慣らされていて、急激に襲った光に対応が効かなかった。とっさに目を瞑ってしまう。

数秒、視界が白く染まった後に目を開く。既に光は無く、月明かりだけが森を照らしていた。だが、眼の前の景色は既に変貌していた。

杏梨が既に居なかったのだ。 一番近くにいた真流が、杏梨を探し始めているということから、彼女は何者かによって逃されていたのか。

「誠に申し訳ないけど―――」

背後から声が聞こえる。 俺と真流は、立ち上がり、すっかり腐食した森の真ん中に立つ誰かを見据えた。

パーカーを目深に被り、目さえも見せない小柄な誰か。 声色からして、少女だろうか。

そいつは、杏梨を軽々と持ち上げていて、お姫様抱っこの形を取っていた。杏梨は腕の中で暴れてはいるが、全く離す気配を見せない。見た目以上に剛力なのだろうか。

「この子は死なせるわけには行かないからね。 不承不承ながら、この子を救いに来た」

そういう彼女の口元は笑っていた気がした。

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