「そういえば、そろそろ御飯の時間だった」
箪笥に薪を仕舞いながら、ふとそんな事を思い出した。壁に備え付けられた時計を見ると、案の定時計は8の時刻を示そうとしていた。
夕食が8時なんて少し遅いかもしれないけれど、6時から魔術の鍛錬を始めると、疲れで体が錆び付いてくるのがそれぐらいだったから、自ずとその時間に夕食を用意してもらうのが当たり前になっただけ。ある種幼少期の習慣が抜けきれてないとも言える。
そんな体内時計の正しさに多少歓笑しながら、階段を上がる。
そして、自室に上がってきた時、ふと大事な事を指示し忘れたことを思い出して、ランサーの方を向き直る。
「そういえば、ランサー。サーヴァントは霊体化出来るって聞いてるけど、具体的にはどんな事になるの?」
「霊体化ねぇ。スズカが思ってるのとそう変わんないと思うぜ?不可視化と物理的干渉の相互不作用、と言った所だ。それが?」
「ふぅん。 じゃぁ、マスターとして最初の命令。これからは、基本的には霊体化して私と行動を共にして、人間に対して姿を現さないこと。緊急時とかは霊体化を解くタイミングはそっちに一任するけど、それ以外の時は私の指示が無い限り霊体化を解かないこと。 良い?」
と、令呪が刻まれた右手を突き付けて言う。
こんな事で令呪を使う気は毛頭ないけれど、一応『自分はマスターだぞ』という意思表示でもある。ランサーは私をマスターだと認めてくれてるみたいだけれど、違う人間で行動を同じくする仲間である以上、すれ違いを起こすことは許されないから。
で、当のランサーはと言うと、笑顔を全く崩さず承ってくれた。
「良いぜ。 元よりそうするつもりだったしな。」
そう言って、ランサーの体は青い霧のように崩れ、2秒もせずに消えてしまった。でも、私がマスターだからか知らないけれど、ランサーが変わらず私の前に立っている事が不思議と実感できる。
つくづく調子と物分りの良いサーヴァントを持ったなぁと感心しつつ、居間まで歩く。夜時は皆仕事だから、朝ほど喧しくないのは好ましい事なので、堂々と闊歩する。この季節は縁側に吹く夜風が肌寒いけれど、少々肌を刺す方が心地よく感じるのもあって、悠々と月を見ながら歩いた。
肝心の夕食も、鶏肉の照り焼きを始めとした数々の料理の載せられた皿を平らげることが出来て、久々に満ち足りて食事を終わらせることが出来て、私は至極満悦。30分もしたら食べ終わって、歯を磨いた後に、私室に戻った。
「そういえば、今日は授業の内容が何一つ頭に入ってこなかったし、復習ぐらいはやっておかないとなぁ」
思い立って、鞄から教科書と筆箱を取り出し、正座して書き物机に向かって、さぁコレから始めようと伸びを行った所で、障子の向こうから慌ただしい足音が聞こえてくる。縁側を誰かが走ってるんだろう。
この家は広いし、きっと遠くの部屋に急ぎのようがあったんだろうと聞き流そうとしたら、今度は勢い良く障子が開いた。開いた人は、私が名前を知らないような下っ端だけど、額に汗を浮かばせているのを見るに、ここまで辿り着く事への必死さが伺えた。
「お嬢! お知らせしたいことが!」
「何?」
「“蛇”が・・・! “蛇”が現れました!。 居住区の路地裏で、麻薬取引の現場を取り押さえられたようです!」
蛇、そんな何でも無いような名前に、怖気立つ。背中に戦慄が走ったように、震えが生まれた。
「麻薬ぅ? この街で?」
麻薬は犯罪だらけのこの街の中で、唯一と言っていいほど珍しく一切禁止している物だ。利益を追求するなら真っ先に手を出すべき代物であるべきなのではあるが、人道に
おおよそ、ルールも知らない仲買人が、自分で商売に手を出してしまったのだろうか。運の悪い人間も居たものだ。
「分かった、すぐに行く! ジャケットの準備をしておいて!」
私は半ば二つ返事で答えた。 彼は、承諾の声をあげた後、お辞儀をしてすぐに障子を閉め出ていってしまった。
それと入れ替わるように、ランサーが念話で直接私の心に話しかけてきた。
『まさか、蛇一匹でここまで騒ぐとはなぁ。 見かけによらず、腰抜けが揃ってるのかね?』
「茶化すのはやめて。 貴方が思ってる蛇とは別物だから」
『じゃぁ、ご教授願いたいものだなぁ』
部屋着から、外向けの服、それも長袖長ズボンの見た目度外視・動き易さ重視の戦闘用の服をチョイスして着替える。今までそんなことは無かったけれど、万が一アイツに遭遇したとしてもある程度は対処できるようにだ。
「“蛇”って言うのは、1,2年前からこの街の夜に現れるって言われてる通り魔のようなヤツ。私達の同職の中で、いわゆるやり過ぎた連中を狙って襲ってる。死者は出てないけど、その殆どが死亡寸前の重傷で発見されてる。計71人がやられてる。私達は節度を持ってやってるから、被害は何一つないんだけど・・・」
『ふぅん、じゃぁ別に目くじら立てて追いにいく必要は無いじゃねぇか。なんでわざわざ』
「それが問題大アリなの。 私達は名実ともに、この一帯の管理者だもの。本来は、そういう奴の始末は私達の仕事だから。仕事を横取りされてる形。
例えるなら、私達が落とした宝石のネックレスを、これはお前のなんだから返してやるよってこれ見よがしに言われて手渡しされたようなもの。得をするのは私達でも、信用を落とすのも私達って事。事実、5代に渡って作り上げた私達の威厳が崩れつつある。だから、早急に押さえる必要があるってこと。」
抽斗から拳銃を取り出し、机に置く。今頃用意してくれてるジャケットの内ポケットは、銃を収納する為だけに作られた物だけど、手元にない状況では仕方ないから机において置く感じ。
H&K USP。
『お? 随分と
「
さらに、マガジンを数個取り出して外に出る。数は重要じゃなくて、要は弾が入ってるのがあるってのが重要だから。
縁側を通って、玄関に到着すると、黒スーツの見知った組員が数人立った中に、爺やがジャケットを持って待っていた。黒革のジャケットを服の上から羽織られ、自分で袖を通し、内ポケットにさっきの銃とマガジンを通す。これで、戦闘用の私の形態が完成した。
「護衛は要らないよ。」
と、爺やが言うであろうセリフを先取りした挙句否定する。もちろん、その場に居る全員は驚くが、このやりとりそのものは何回も繰り返したものであるから、驚く以上のリアクションはしないでいてくれた。正直、そっちの方が遥かに助かる。
『本当に良いのか? 本当に?』なんて霊体となってるランサーが誑かしてるけど、絶対に本心じゃない。目につくような いやらしい笑いを浮かべてるのが目に浮かぶ。
「は、はい・・・。では。 場所はこちらです・・・」
なんて、爺やが小声で言いながらメモを渡してくる。そこまでして私についてきたかったのかは知らないけど、大人数で行動されるは私達の仕事柄よろしくない。そもそも、現場になった場所と、狙われた人間の様子を見に行くだけだから私だけでも問題ないし。
肝心のメモに記されていたのは、ここから10分と掛からないような近場だった。
それで、私は玄関から飛び出て、裏手の駐車場に停めてある自分のオートバイに
「そういえば、さっきは確認できなかったけど、ランサーは騎乗スキルは・・・」
『騎乗は持ってねぇから、
「あっそう・・・」
サーヴァントって皆こうなのかなぁ。それだったら、神代や古代の戦争で戦車に乗ってた英雄は皆、自分の足のほうが早かったりして・・・。
そんな事無いと信じるしか無いか。
と、半ば諦めに近い想像を振り切って、エンジンを吹かす。苦労して免許を取った甲斐があって、歩きだと20分は掛かるような場所まで7分で着けた。
現場は、想定通り人通りの少ない路地裏。繁華街から幾らか離れた場所であって、ビルの集合体なれど、街灯は無いような寂れた場所。ここを目的地と定めない限りここに限りつくことは困難だろう。おかげで、警察に知られる前に私が辿り着くことが出来た。
その中でも更に奥まった場所、入り口と出口以外存在しないような場所、裏社会の取引の場所としてよく使われる場所が、件の現場だった。
「暫くここは使えないなぁ・・・いい場所なのに」
そんな愚痴を零しながら、バイクから降りる。 ランサーも同じタイミングで私の隣に並ぶ。霊体化してるとは言え、バイクに走って追いついてる訳だし、敏捷A+は伊達じゃないって事か。
『そう言えば、聞いてなかったんだけどよ。 なんでソイツは“蛇”なんて呼ばれ方をされてるんだ?』
「あぁ、それ? まず解ってる情報として、そいつは素手で相手を殴り倒してるんだよ。護衛が何人で、どんな
『こっちでも“蛇”か・・・』
「その“蛇”は・・・拳法の一つ。ま、一種の都市伝説だよ。人体の破壊に特化した拳法だそうで、それを習得するためには赤子の頃から鍛錬と人体改造を欠かしちゃならないらしいけど、その詳細は誰も知らないなんて、やっすい小説に出て来るみたいな武術。だけど、それ以外にはそいつの正体に関する話は噂も流れないから、それの呼称も“蛇”になっちゃったって事。でも実際、素手で破壊したにしては破壊の痕はいつも酷いもんだよ? 爆竹の方が安全かもしれないね」
『はぁん。 なるほどねぇ?』
と、そんな事を会話してたら、現場についた。そこには、男が6人は転がってる。
“蛇”の現場を見るのは数度目だけれど、何度見ても凄惨なものだ。これを生きていると判断するほうが難しいと思える程に傷つけられている。ここまでやられたら、傷つけられていると言うより
「お、おぉぉ・・・」
と、私が検分してると、男の一人が目を覚ました。
ドラム缶みたいにぶくぶくと太った体つきの中年の男の顔に、私は見覚えがあった。足を洗ってこの組を抜けていった、古くの直属の部下だった。私達の管理が行き届いているこの街で、麻薬取引なんて納得の行かない事だったけれど、この男が持つコミュニティなら私に知られず行うことも決して不可能じゃないだろう。多大な苦労と犠牲を払うことになるだろうけれど。おそらく、外から
「お嬢・・・助けて下さい・・・。 救急車を・・・腹に、穴が開いて・・・。
知ってる。 その他に、螺旋巻きみたいに腕が取れかけてる。あの分じゃ生き残っても大腸大部分摘出+義手暮らしになる。その前に、何ヶ月かは病院で生活することに為るなぁ。となると、最早今まで通りに仕事できるかは分からない。
だけど、私はその懇願を突き放すために、敢えて冷たい無言を貫いた。さっきまでの寒さは、まるでダウンバーストのようにその男を道路に引き付ける。既に、意識は途切れ掛けてる。私が助けを呼ばなければ、数分かそこらで目を閉じ、そのまま目を覚ますことはないだろう。
だからこそ、私は口を開いた。
「貴方に私をお嬢と呼ぶ資格はない」と。
その言葉を耳から入れた男は、この世の終わりを見たみたいに、顔色を灰色に変えた。無様に開いた口が痛々しい。
「貴方は私の組から抜けた、その時点で貴方は私とは関係ない誰かになれた。でも、私の領地に手を出すような男は、等しく“私の敵”だよ。貴方は、私に助けを求めるべきじゃなく、私を敵と断定して無事な脚で逃げるべきだった。もしくは、その懐の
私がそこまで言い切ってナイフを取り出す頃には、男は涙を流して嗚咽を漏らしていた。だけれど、ここで情けをかけては何も進展しない。情を殺して、悍ましい形をしたナイフを首筋に当てる。金属の感触が恐ろしかったのか、男は小さく息を漏らした。
「そう言えば、聞くことがあった。 ソイツの特徴は覚えてる?見た目、声、癖・・・なんでも良いけど」
「いえ・・・全然分からなかったで―――」
全部を言い終わらない内に、ナイフで首を掻っ切った。真一文字に切り結んだように、コンクリート製のビル壁に血痕が付着する。このナイフの切れ味は保証出来る、これだったら失血死で苦しまず死ねるだろう。
ナイフを拭きながら、この男と過ごした日々の思い出に浸る。この男は悲しいことに、意味のない嘘は吐かない男だった。ここまで手ひどくやられた相手を庇うなんて事をする理由は、脅迫されてる・・・ぐらいしか無いけど。まぁ、ソイツが誰かを脅迫するような相手なら、すぐに尻尾を表すだろう。
なにせ、手酷くやられた相手に報復してくれるなら、その《手段》は誰だって良いと思う連中だって裏には潜んでるんだから。
『なるほど。 スズカも大概だが、ここは酷い』ランサーが、私に聞こえるような小声でぼそっと言う。
そもそも、念話なら私にしか聞こえないんだから、小声で言う必要すらないんだけど・・・。人間大声より小声の方が気になるものだから、つい反応してしまった。
「・・・まず、大概の意味から問い質しちゃおっか」
『言葉の通りだ。ま、オレがお前に惹かれる訳が分かったとも言える。会った時から、英雄の目をしてたからな。身内には優しく、敵には苛烈な者の目をしていた。それが、こういう訳とはな・・・。マスターとして心強い限りだ』
「こういう稼業の人間は、情を捨てる場面が多いからね。見せしめだとか、違反者の処断だとか、淡白でロクでもない理由で人を殺すことだって指じゃ数え切れないほど有った。きっと、魔術師としての気概も、早い内に身についちゃったんだよ・・・で? 本題は?」
『あぁ。 ここ、まるで
その発言に、私は訝しみを覚える。この災害は昨日か今日起きたばかりのモノじゃない。1年や2年も前から、起こってるモノで、サーヴァントが召喚できる時期よりも遥かに前から起こってる事だ。
・・・だからこそ、その結論に至るのが怖かったのかもしれない。
「まさか、受肉した英霊・・・。」
『それはねぇな。 受肉出来る実力の英霊なら、もっと魔力の残滓が残るはずだ。すぐに駆けつけたんだからな。だがここにはそれがねぇ。それに、同じ理由だが、破壊の規模が小さい。まぁ、それは幾らでも偽装できるが、それをするつもりならまずこんなに目立つ方法で魂喰いは行わねぇだろ。これじゃぁまるで食い散らかしだ。
だったら、結論は一個だ。サーヴァント級とは行かずとも、それなり強力な魔術師が行ったって事だろ』
そんな会話をしながら、路地裏から出る。流石に血腥い話を外に聞かれる訳にはいかないから、念話同士で会話を続ける。
『でも、そこまで強い魔術師がこの街に居るなんて・・・。私は
『四の五の言ってる場合じゃねぇのは解ってるだろ。兎に角、ソイツを見つけ出すしか無い。もし敵として立ちはだかられたら・・・ま、無ぇと思いたいがな』
そんな会話をしていると、ふと、視線が気になった。道路からじゃなく・・・上から見られていることに気づいて、探し始める。
すると、月を背にして、この市で一番高いランドマークビルの屋上に立ち尽くす人間を見つけた。おそらく、私から彼処まで、直線距離で500mはあろうかと言う所から、こちらを静かに見据えているだろう人間。
見られっぱなしと言うのも癪だから、こっちも視力を魔術で水増しして抵抗して覗き返す。
・・・そこには、見知った顔の人間が立っていた。なんで
まるで、私を見るのを楽しむようにこっちを視線で射止めている。
もう遅いかもしれないけど、私はそれに気づかないふりをしながらバイクに乗って帰るしか無かった。でも、その帰路が終わっても私の体から鳥肌は引っ込んでくれなかった。