少年の目覚め
俺は蒼い地獄に居た。そこでは、誰もが紛れもなく敗者だった。
生者は居らず、死者さえ灼かれ、そこに残っているのは灰燼だけ。立っていられたのは俺だけで、まるで案山子のように、青の炎に満ちた地平線までのすべての景色を眺めていることしか出来なかった。
そんな、絶望がこの世に降ってきたような見渡す世界の中でも、立ち尽くしていることだけは出来なくて、他の生存者が居なかったか ひた走った。
手足はロボットのように思考から離れて動き、網膜が焼けた眼は残った視点で精一杯生存者を、焼け焦げていない肌の色を探した。
そうして、途方のない時間が経った。ついに肌の色を見つけた。俺は頬の肉が切れるんじゃないかと疑ってしまうほどに唇を釣り上げて笑いながら、その生存者の元に駆け寄った。信じていた甲斐が有ったと思いながら、その人を見た。そうすると、信じていた甲斐とやらが、一瞬で吹き飛んでしまっていた。
無事だったのは、胴体と腕の一本だけだ。まぶたを閉じ、静かに死を受け入れるような、聖母のような表情を浮かべて、その人は瀕死の状態に陥っていた。死んでいたなら、まだ受け入れられたろう。ましてや、
視界が歪んだと思った。それは自分の涙だなんて思えなかった。
喉が痛かった。泣き叫んでいたのは自分の喉だなんて信じたくなかった。
全部全部、揺らめく炎のせいにしてしまえればどれだけ楽だったか。
視界の端に誰かが映った気がした。・・・まるで、これが約束された結末。
止めてくれ、そんな目で見るな。そうすれば自分を許せなくなる。
―――ごめんね。
止めてくれ、そんな声を聞かせるな。そうなれば憎しみを抱いてしまう。
ああ、誰か俺を救ってくれ・・・!! この希望のない地獄から、誰か―――!!!
ドシン。自分の体を強かに打ち付ける痛みと音で目を覚ます。
「・・・はぁ、またこの夢か」
ベッドから落ちたのを、状況証拠から導き出して、毛布を寝台の上に置き直す。その時に、寝台と毛布にしっかりと染み込んだ寝汗の量を見て、『あぁ、やってしまった』なんて朝っぱらから多少なりとも悲観的な表情を湧き出させてしまう。
最近、なぜか夢見が悪い。 この夢ばかり見てしまう。夢・・・というよりは、悪夢だ。夢は記憶の整理だなんて話をよく聞くが、態々一番キッツイ記憶だけを再生させてくれる意味を誰か教えて欲しい。これじゃぁ整理なんて生易しいものでは決して無いんだが。
時計を見ようとしたけれど、太陽よりも早く起きてしまったから全然見ることが出来ない。仕方なく、照明を点けると、まだ6時にすらなってない。悪夢を見た日は、早く起きるからか途轍もなく疲れているのに、眠気は全く起こらないから困る。仕方ないから台所に行って朝食並びに昼食の準備を始めてしまおう。
とは言え、朝は食パンと焼いたベーコンと多少の野菜で済ませてしまえば十分だし。弁当の材料は昨日の内に大半を作り終わっていたから、箱に詰め直すだけの作業で終わらせてしまう。結局、大した暇潰しにもならないで、6時半には朝食と昼食の準備が終了してしまっていた。・・・無趣味な自分をこれほど呪うことはない。家に居てやることもないから、さっさと学校に行ってしまおう。そう思って、学校鞄を手にとって玄関から出ていってしまう。
玄関を出ても、歩く人間は一人も居ない。これは何も時間帯に限った話じゃないというのは悲しい話だ。
俺の屋敷があるのは、街の人間には死都なんて呼ばれてる寂れた路地だ。屋敷に訪れる人間は広告をポストに入れる郵便屋ぐらいしか居ないのだ。
ここらあたりの区画には、常に人が住んでいる家なんて数個もない。広い屋敷が並んでるだけに勿体無い気もするし、道路を歩いていてもタイヤの音一つしないのも違和感があるというものだ。
つい物静かだと、やることもなく思案に暮れてしまう。
俺――橙乃匡生は五年ほど前に門科市に越してきた高校二年の男子だ。一般的に言えば、家族とともに暮らしている年代なんだろうが、俺にそういう存在は居ない。
何故かと言われれば・・・多少暗い話になるかもだけど、五年前に居なくなったからだ。なんとも歯切れが悪い言い方になるのは、死んでいてほしくないなんて、『死体が見つかってない』しか根拠のない淡い願いを持っているからに過ぎない。きっと死んだんだろう。
門科市に引っ越してきた理由も、父の遺言だ。屋敷があるから、もし自分になにかあったらそこに引っ越すと良い。そんな言葉に従った訳だけど、こんな黙りこくった場所だと思わなかったわけで。
まぁ、物が少ない分悩みが少ないのはこの場所の少ない利得の内一つだったんだが・・・。
「ッ・・・!!」
キーーン・・・突然ジェット機が通り過ぎたかのような耳鳴りと共に、世界が暗転する。俺は思わず歩みを止めるが、それは一瞬の出来事で、すぐに景色は元に戻る。
最近、こういう事が多い。自分が感じていた世界が、急変し、それを確かめようとしたら元通り。もう数カ月は経つだろうか、こんな事が数百回と有った。自分の体の異常かと思って、病院に行ったこともあるが、結局異状なしで突っ返されたのも一度じゃない。それと、その暗転の中心は決まって・・・。
「今日も、十字架か・・・。 俺自身は無宗教のハズなんだがなぁ・・・?」
無宗教と言っても、最後の審判を頭ごなしに否定するわけでもない。ただ、特定の宗教に肩入れすることは無いという事。閻魔の裁判に掛けられるのかも知れないし、アヌビスの天秤に心臓を乗せられるのかも分からない。
否定しない代わりに、信じない。そういうスタンスで生きてきたはずなんだが。どうもここの所、この幻視とも呼べるコレのおかげで十字架をよく見かけるようになってしまっている。正直、慣れてきてしまった感はあるが、取り除かれるに越したことはない。今の俺の数少ない悩みの内一つでもある。
「・・・ジャンヌ・ダルクは、天使を幻視していたと言うが・・・」
もしや、俺も? と思った所で、思考を無理矢理断ち切った。疲れ過ぎて、他愛もない妄想に囚われるようになるのが一番怖い。矢張りこの幻覚は毒だ。早いところ取り除いた方が俺のためだ。
そんな風に感じてると、学校に到着してしまった。思考を幻覚に関することに割いていた分、歩いてる実感が無かったんだろう。
悪夢を見た日は、こうして自然と学校に来る時刻が早くなってしまう。職員も含めた学校に所属している誰よりも早く到着してしまうこともまぁまぁ有ることだから、いつしか本を学校に持っていく事が必須になっていた。今日の読書はエドガー・アラン・ポーの『黒猫』。ここの所、ライトなノベルばかり手にとっていたから、リハビリ代わりに選んだ本だった。
「さぁって、今日はっと・・・」
と、学校の扉に手をかけると、鍵はかかってなかった。今日の職員は、早く来てくれていたようで凄く嬉しい。そして、玄関で靴を履き替えてると、ふと人影が有るのが目に入った。そこに目を向けると、案の定居たのは、この学校の生徒会長だった。
「よう、
そんな風に声を掛けると、斎木は不機嫌そうな顔でこちらを見てきた。恐らく、早起きしたからじゃなくって、俺に不本意なことを言われたからだろう。
「無償労働ではない、生徒会長としての当然の義務と言ってほしいな。匡生君。 そういう君は、また読書をしに早起きしたのか?」
眼鏡が良く似合う美少年の瞳が、俺と視線を合わせる。 女だけでなく男も惚れるような美貌を持っていて、事実バレンタインは生徒会室がチョコ倉庫になったという。如何に貞淑な人間だろうと、彼の顔を見れば頬を染めねばならない。そんな男が、俺とは友人・・・というより、良く生徒会の仕事を手伝うビジネスパートナーである。ま、それぐらいの距離感のほうが丁度いいしな。
「好きで早起きしてるんじゃないのは補足しておく。最近不眠症気味なんだ。 それで?今日は手伝うことが有るんだろ?」
「あぁ。 運動部が注文した器具が昨日の夜に大量に届いたらしくてね。そういうのは、君の専売特許だろ?」
人より体が強いのは自負してるが、斎木は俺の事を肉体労働要員だと思っている気がする。勘違いしてほしくないんだが、別に俺は脳筋と言う訳ではなく頭脳労働もそれなりにこなせる。・・・まぁ、頭なら生徒会長だけで事足りるから俺を求めないわけだがな。
それに、こういう仕事は上手い鍛錬になる。 生徒会長に恩を売れて、体も鍛えられるんなら、別に断る理由もない。
「よし分かった。 今すぐ行くか?」
「少々長くなる。 先に荷物だけ置いてこい。集合は校門前だぞ」
と、生徒会長が忠告してくれた。 そこに俺は頷きだけで応じ、生徒会長と一度別れる。
「靴は・・・下駄箱に入れなくたって良いだろ。 ハァ、今日は『
そんな事を口遊みながら、階段を登っていく。
あぁ、静かな廊下は良い。普段が騒がしいからか、その
ダッダッダッ・・・。
・・・誰だろうか。 別に急ぐ必要もない時間帯だと言うのに、全く風情のない人間が廊下を超スピードで走っているのが聞こえる。運動部が朝練でもしてるんだろうか。それならば、脳まで筋肉という誹りを受けても仕方あるまい。
まぁ良い。教室に着いたし、さっさと荷物を置いて、斎木に合流してしまおう。そうすれば、この不快な気分ともおさらば・・・ん。
この時間帯、誰にもぶつからないと思っていたが、俺の胸に顔を埋めるようにしてぶつかってきた者が居た。教室から急いで出ようとしてぶつかったって所か・・・まぁ、こんな時間に来るような奴は一人しか居ないわけで。
「・・・今朝も息災みたいだな、真流」
多少呆れながら、答えてやる。 今、胸に埋まるようにしてぶつかってきたのは、真流 涼。中々良い所の娘らしいが、それを鼻にかけることもなく、本人のスペックも高い。 ラブコメから抜け出てきたような非の打ち所もない少女。 そして、その少女は・・・
「えっ? ・・・うわっ」
この第一声から十分すぎるほど分かるだろう。俺を嫌っている。
「橙乃・・・なんで・・・」
「なんでとは失敬な。お前と偶々同じタイミングで登校してきただけだ。なんでお前に糾弾されなきゃならないんだ。」
もう、こんなやり取りをするような女が俺の事を良く思っているはずもない。
それは絶対のことであり、もう確定事項。日が西から登らないのと同じように、此奴は俺の事を良く思っていないのだ。
とはいえ、此奴の能力は認められる。この学校でも指折りのスペックであり、コミュニケーション能力も低くはないから、それなりに友人関係もあるようだ。俺とは違ってな。俺の周りは俺に取り入ろうとする奴が多すぎてな・・・若干嫌になる。
まぁ、この教室そのものに用は無いから、さっさと荷物をおいて出て行きたいところなんだが・・・どうも真流が進路を妨害している。適当に何かを話してるみたいだが、正直頭の中に入ってこない。だから、適当に受け流して、さっさと話が終わらないかと願った。
「わ、私はもう行くわよ。 貴方と一緒に居たくないもの」
願いは叶いたり。 信じるものは救われるとはよく言ったものだ。ああ、適当に送り出してしまいたいところだったが・・・妙なものを発見してしまった。
――刺青? 真流は、刺青なんて入れるような奴じゃ無いんだがなぁ・・・。
だが、右手には確かに赤い傷跡が見えた。 右手の三本の傷は、精緻に入れ込まれた物のように思えて、一種の紋様のように感じ取れる。刺青と表現したほうがそれっぽいだろう。気の所為だと信じたいが・・・。
「そうか。 一つ聞きたいことがあるんだが? 真流」
早足で行こうとする真流を呼び止める。 当然、厭そうな顔をして、こちらを振り向く真流。なんでここまで嫌われてるんだか・・・。
そこまで嫌な顔をされると、正直あの傷の事を『それ、刺青か?』なんて聞けもしない。聞き方の問題もあるかもだが、そもそも上手い聞き出し方が思いつかない。
・・・う~ん、これは、今の所は諦めるしか無いか。
「最近この街がおかしい気がするんだが、心当たりは有るか? 真流」
この質問の意図は、正直俺の脈絡もない思考からだ。
あんな悪夢・幻視は、この街の異変が起きてるせいだ。なんて、理由もなく決めつけようとしている。
どうせこんな質問をしたって、否定されるに決まってる。
「さぁ、どういう風に異変があるのか言ってくれないと、私にも分からないよ」
・・・否定してこなかったな。
とは言え、説明できるようなことではない。『最近悪夢を見る』『最近幻覚を見る』・・・うん、やっぱり言えないな。上手く誤魔化すしかないか。
「・・・そうだな。言葉で表現できないような事だ。お前が分かんないって言うなら、多分感じていないんだろう。なら良い」
「じゃぁ、私もう行くわね。 麻加部くんを待たせてるものだから」
良かった。 上手く離れていってくれるらしい。真流も、上辺だけかもしれないが笑ってくれているから、致命的なほど悪い印象は与えなかったのかも知れない。
じゃぁ、さっさと送り出して、俺も斎木の所に向かうとしよう。
「ああ、真流。 手は大事にしろよ」
と、俺はこの発言が地雷だなんて思っても居なかった。だが、結果として、真流は心の底から、マムシか何かに出会ったように目を見開いて、驚いたようだ。
「え!?」
単なる直感だが、この驚き方は、
刺青のはずがない。だが、ここまで大きく驚かれると―――。
「わ、解ってるよ! じゃぁ、また後で!」
「待て真流! 止まれ!」
だが、走っていく真流を引き止めることが叶うはずもなく、俺は真流の右手に刻まれた紅い傷跡の事で悶々とするしか無かった。
「アイツ、本当に刺青を・・・?」
そう呟くのが精一杯の、自分の不可解な気持ちへの抵抗だった。