その昔、友の処刑を止めるため強走薬を飲んで走り続けた男がいたそうな…。

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「その昔、友の処刑を止めるため《強走薬》を飲んで走り続けた男がいたのよ…。」

byモガの村の雑貨屋のお姉さん


走れドロス

 

 

ドロスは激怒した。必ず、かの苛政の王を改心させなければならぬと決意した。

 

 

ドロスには政治がわからぬ。ドロスは村の牧人であった。回復笛を吹き、ムーファやケルビと遊んで暮らして来た。けれども邪な悪に対しては、人一倍に敏感であった。

 

 

今日未明にドロスは村を出発し、野を越え山を越え、十里離れた王都にやって来た。ドロスには父がいない。母が女手1つで育ててくれた。そして、ドロスには女房も無い。 母に、16の内気な妹を加えた3人暮らしだ。

 

この妹は、村のとある律気な一牧人を近々花婿として迎える事になっていた。結婚式も間近なのである。ドロスはそれゆえ、花嫁の衣裳やら祝宴の御馳走やらを買いにはるばる王都の市にやって来たのだ。先ずその品々を買い集め、それから都の大路をぶらぶら歩いた。

 

 

ドロスには竹馬の友があった。ゲリョヌンティウスである。今はこの王都の市でゴム材工をしている。その友をこれから訪ねてみるつもりなのだ。久しく逢わなかったのだから、訪ねて行くのが楽しみである。

 

だが、歩いているうちにドロスは都の様子を怪しく思った。

 

ひっそりしている。もう既に日も落ちて市が暗いのは当たり前なのだが、なんだか夜のせいばかりでは無く、市全体がやけに寂しい。のんきなドロスも、だんだん不安になってきた。

 

路で出会った若い衆をつかまえて、何かあったのか、2年前にこの市に来たときは、夜でも皆が歌を歌い、市は賑やかであった筈だが、と質問した。若い衆は首を振って答えなかった。

しばらく歩いて老婆に出会い、こんどはもっと語勢を強くして質問した。老婆は答えなかった。メロスは両手で老婆の体を揺さぶって質問を重ねた。老婆はあたりをはばかる低声で小さな声で答えた。

 

「王様はね…人を殺すんだよ」

 

「なぜ…?なぜ殺すのだ?」

 

「悪心を抱いている、というけれど誰もそんな悪心を持っては居やしないさ」

 

「たくさんの人を殺したのか…?」

 

「ああ、はじめは王様の妹婿さまだった…。それから御自身のお世継ぎ…。それから妹さまにさえその手は伸びた。更に妹さまの御子さまを。それから皇后さまを。それから賢臣のコトル様をね…」

 

「驚いた…。国王は乱心か…?」

 

「いいや、乱心なんかではないさ。人を信ずる事が出来ぬ、と仰っているが…。この頃は臣下の心をもお疑いになって派手な暮らしをしている者には、人質ひとりずつ差し出すことを命じて居るよ…。命令を拒めば十字架にかけられて殺されちまう。今日は六人殺されてたね…」

 

 

 それを聞いてドロスは激怒した。

 

 

「呆れた王だな…。生かしてはおけない…!」

 

 

 ドロスは単純な男であった。買い物を背負ったままで、のそのそと王城に入っていった。

たちまち彼は巡回の警吏に捕縛された。調べられたドロスの懐中からは短剣が出て来たので、騒ぎが大きくなってしまった。

 

ドロスは王の前に引き出された。

 

 

「この短刀で何をするつもりであったか。言え!」

 

 

暴君ブラキディオニスは静かに、けれども威厳を以って問いつめた。その王の顔は蒼白で、眉間の皺は刻み込まれたように深かった。

 

 

「市を暴君の手から救うのだ!」とドロスは悪びれずに答えた。

 

「おまえがか?」

 

 

王は、嘲笑した。

 

 

「仕方の無いやつだ…。貴様には我の孤独がわからぬ!」

 

「言うな!」とドロスはいきり立って反駁した。

 

「人の心を疑うのは最も恥ずべき悪徳だ。今の王は民の忠誠をさえ疑って居られる」

 

「疑うのが、正当の心構えなのだと我に教えてくれたのは、お前たちだ。人の心はあてにならない。人間はもともと私慾のかたまりさ。信じてはならぬ…」

 

 

暴君は落着いて呟き、ほっと溜息をついた。

 

 

「我だって、平和を望んでいるのだがな…」

 

 

「黙れ!なんの為の平和だ!自分の地位を守る為か!?」

 

 

こんどはドロスが嘲笑した。

 

 

「罪の無い人を殺して、何が平和だ!」

 

「黙れ!下賤の者!」

 

 

王は、さっと顔を挙げて報いた。

 

 

「口では、どんな清らかな事でも言える!我には人の腹の奥底が見え透いてならぬ!貴様だって、今に磔になってから泣いて詫びたって聞かぬぞ!」

 

「ああ、王はお利口だ。自惚れているがいい!私はちゃんと死ぬる覚悟で居るというのに。命乞いなど決してしない。ただ――」

 

 

ドロスは足元に視線を落とし、何か思いつめたように言葉を放った。

 

 

「ただ、私に情をかけたいつもりなら、処刑までに3日間の日限を与えて下さい。たった1人の妹に亭主を持たせてやりたいのです。3日のうちに、私は村で結婚式を挙げさせ、必ず…必ずここへ帰って来ます」

 

 

「ばかな」と暴君は掠れた声で低く笑った。

 

 

「とんでもない大嘘つきがいたものだ!逃がした小鳥が帰って来るというのか!?」

 

「そうです。帰って来るのです」

 

 

ドロスは必死で言い張った。

 

 

「私は約束を守ります。私を3日間だけ許して下さい。妹が私の帰りを待っているのだ…。そんなに私を信じられないならば…よろしい。この市にゲリョヌンティウスというゴム材工がいます。私の無二の友人だ。彼を人質としてここに置いて行こう。私が逃げてしまって、3日目の日没までにここへ帰って来なかったら、あの友人を絞め殺して下さい。頼む…そうして下さい」

 

 

 

それを聞いて王は、残虐な心持ちで獰猛な笑みを浮かべた。

 

(生意気なことを言いおる…。どうせ帰って来ないにきまっている…!この大嘘つきに騙されたふりをして、放してやるのも面白い…。そうして身代りの男を3日目に殺してやるのも気味がいい…!人はこれだから信じられぬと、我は悲しい顔してその身代りの男を磔刑に処してやるのだ…。世の中の正直者とかいう奴等にうんと見せつけてやりたいものだ!)

 

「ふむ…願いは聞いてやろう…。なら、その身代りを呼ぶがよい。3日目には日没までに帰って来い。少しでも遅れたらその身代りを殺すぞ…?

何、ゆっくりと遅れて来るがいい。おまえの罪は永遠に許してやろう…!」

 

「何だと…?何をおっしゃる…」

 

「くはは…!命が大事だったら遅れて来るがよい!おまえの心はわかっているぞ!」

 

 

 ドロスは口惜しく地団駄を踏んだ。何も言いたくなくなった。

 

 竹馬の友、ゲリョヌンティウスは深夜、王城に召された。暴君ブラキディオニスの面前で良き友は、2年ぶりに出会うことが出来た。

ドロスは友に一切の事情を語った。ゲリョヌンティウスは無言で頷き、ドロスをひしと抱きしめた。

友と友の間はそれでよかった。ゲリョヌンティウスはすぐさま磔にされた。

ドロスはすぐに出発した。初夏の、満天の星空の下である。

 

 

 ドロスはその夜、一睡もしなかった。十里の路を急ぎに急いで、村へ到着したのは明くる日の午前。陽は既に高く昇って、村人たちは野に出て仕事をはじめていた。

 

ドロスの16の妹も今日は兄の代りにムーファ達の番をしていた。よろめいて歩いて来る兄の、疲労困憊の姿を見つけて驚いた。そしてうるさく兄に質問を浴びせた。

 

 

「なんでも無い」ドロスは無理に笑おうと努めた。

 

 

「市に用事を残して来た。またすぐ市に行かなければならぬ。明日、おまえの結婚式を挙げる。早いほうがよかろう」

 

 妹は頬を赤らめた。

 

「嬉しいか…?綺麗な衣裳も買って来た。さあ、今から村の人たちに知らせて来い。結婚式は明日開かれると…」

 

 ドロスはよろよろと歩き出し、家へ帰って神々の祭壇を飾り付け、祝宴の席を調えてから間もなく床に倒れ伏した。そして呼吸もしないくらいの深い眠りに落ちてしまった。

 

 眼が覚めたのは夜だった。ドロスは起きてすぐ、花婿の家を訪れた。そうして、少し事情があるから結婚式を明日にしてくれ、と頼んだ。

 

婿の牧人は驚き、それはいけない、こちらには未だ何の仕度も出来ていない、シモフリトマトの季節まで待ってくれ、と答えた。

ドロスは、待つことは出来ぬ、どうか明日にしてくれ給え、と更に押してたのんだ。婿の牧人も頑強であった。なかなか承諾してくれない。

 

夜明けまで議論をつづけて、どうにか婿をなだめ、説き伏せた。結婚式は、真昼に行われた。

 

新郎新婦の、神々への宣誓が済んだころ、黒雲が空を覆い、ぽつりぽつり雨が降り出し、やがて車軸を流すような大雨となった。

 

祝宴に列席していた村人たちは何か不吉なものを感じたが、それでも気持ちを引きたて、狭い家の中で、陽気に歌をうたい手拍子をした。

ドロスも満面に喜色を湛え、しばらくは王との約束すら忘れていた。

 

祝宴は、夜に入っていよいよ乱れ華やかになり、人々は外の豪雨を全く気にしなくなった。

ドロスは、一生このままここにいたい、と思った。この良き人たちと生涯暮らして行きたいと願ったが、今はままならぬ事である。ドロスは疲労を訴える身に鞭打ち、ついに出発を決意した。

 

明日の日没までには、まだ十分の時がある。ちょっと一眠りしてそれからすぐに出発しよう、と考えた。その頃には雨も小降りになっていよう。少しでも永くこの幸せを見ていたかった。

 

ドロスほどの男にも、やはり未練の情というものはある。幸せそうな顔で喜んでいる花嫁に近寄り、

「おめでとう。私は疲れてしまったから、ちょっと眠ることにするよ。眼が覚めたらすぐに市に出かける。大切な用事があるんだ。私がいなくても、もうおまえには優しい亭主があるのだから、決して寂しい事は無い…。おまえの兄が最も嫌いなものは、人を疑う事、それから嘘をつく事だ。おまえもそれは知っているな?亭主との間にどんな秘密でも作ってはいけないぞ…?おまえに言いたいのはそれだけだ。おまえの兄は立派な誇り高き男だ。おまえもその誇りを持っていくようにな…」

 

 花嫁は、夢見心地で頷いた。ドロスはそれから花婿の肩を叩き、

「仕度の無いのはお互さまさ。私の家にも、宝といっては、妹とムーファ達だけだ。他には何も無い。全部あげよう。もう1つだけ…。ドロスの弟になったことも誇ってくれ」

 

 花婿は何処と無く照れていた。ドロスは笑って村人たちにも会釈をし、宴席から立ち去ってムーファ小屋にもぐり込み、死んだように深く眠った。

 

 眼が覚めたのは翌日の薄明の頃である。ドロスは跳ね起き、しまった、寝過したかと慌てた。

 

いや、まだまだ大丈夫、これからすぐに出発すれば、約束の刻限までには十分間に合う。

きょうは是非とも、あの王に人には信頼する心があるところを見せてやろう。そうして笑って磔台に上ってやる。

 

ドロスは悠々と身仕度をはじめた。雨もいくぶん小降りになっている様子である。身仕度は出来た。ドロスは両腕を大きく振って、雨の中、矢の如く走り出た。

 

 私は今宵、殺される。殺される為に走るのだ。身代りの友を救う為に走るのだ。狡猾であり、老獪である王の目論見を打ち破る為に走るのだ。走らなければいけない。そうして、私は殺される。

 

心に迷いが生まれ、幾度か立ちどまりそうになることもあった。その度にえい、えいと大声を挙げて、ドロスは自身を叱りながら走った。村を出て、野を横切り、森をくぐり抜け、隣村に着いた頃には雨も止み、日は高く昇ってそろそろ暑くなって来た。

 

ドロスは額の汗をこぶしで払い、ここまで来れば大丈夫、もはや故郷への未練は無いと思った。

妹たちはきっと仲睦まじい夫婦になるだろう。私にはもう、なんの気がかりも無い筈だ。まっすぐに王城に行き着けばそれでよいのだ。そんなに急ぐ必要も無い。

 

ドロスは、ゆっくり歩こう、と持ちまえの呑気さを取り返し、好きな小歌をいい声で歌い出した。

だが、ぶらぶら歩いて二里行き三里行き、そろそろ全里程の半ばに到達した頃、目の前に信じられない光景が広がっており、ドロスの足は止まってしまった。

 

 

 

 

 

 

なんだ、この激流は。昨日の豪雨のせいで山の水源地が氾濫でもしたのか? 絶え間なく上流から叩きつけて来る激流は轟々と唸りを上げ、来るときには架かっていた筈の橋さえ押し流してしまっていた。

 

ドロスは茫然と立ちすくんだ。あちこちと眺めまわしたが、船渡しの様なものも、この激流では居るはずがない。

 

ドロスは川岸にうずくまり、泣きに泣きながら空に手を挙げて哀願した。

 

「ああ、誰か沈めてくれないか!この荒れ狂う流れを! 時は刻々に過ぎて行く…!太陽も既に真昼時だ…。あれが沈んでしまわぬうちに、王城に行き着くことが出来なかったら、良き友が、私のために死んでしまうんだ…!」

 

 だが激流は、ドロスの叫びを嘲笑うかの様にますます激しく暴れ狂う。ドロスが絶望している間にも、時は刻一刻と消えて行く。

 

そして、とうとうドロスは覚悟した。泳ぎ切るより他に無い、と。

 

いいだろう、今こそ見せてやる。 

濁流にも負けぬ、信頼が生み出す偉大な力を。今こそ、その力を発揮して見せる。

 

ドロスは自ら激流に飛び込み、まるで怪物の様な暴力を振るってくる波を相手に、必死の闘争を開始した。

 

満身の力を腕にこめて、押し寄せ渦巻き、自分の体を引きずり込もうとしてくる流れを、なんのこれしきと掻きわけ続けた。

 

そんな姿を天使か何かが見ていたのか、自分に手を差し伸べてくれたらしい。

ドロスは波に押し流されつつも、見事に対岸の樹木の幹にすがりつく事が出来た。

 

ありがたい。ドロスはガウシカの様に大きな胴震いを一つして、すぐさま走り出した。最早、一刻の時間も無駄には出来ない。陽は既に西に傾きかけている。

 

 

ドロスはぜいぜいと荒い呼吸をしながら、峠を登り続ける。

だが、目の前に現れた物を見て、ドロスは凍りついた。

 

 

「あ、青い狩人…!」

 

 

そこには、青い斑模様の鱗で身体を覆われた、どこか鳥の面影を感じさせる怪物が3匹。今にもドロスに襲いかかろうとしていた。

 

 

「怪物達よ…!私には約束した友の元へ向かわなければならないという使命がある!

たとえ人々から恐れられる様なお前達が相手だろうと、私は退かぬ! その道、通してもらおう!」

 

 

ドロスは懐から短刀を取り出し、猛然と青い狩人達に向かっていった。

神経を擦り減らしながら、そして身体のあちこちに牙や爪での傷を受けながらも、ドロスは懸命に闘った。

そしてとうとう、ドロスは青い狩人達を撃退してのけた。

 

 

 

 

 

だがドロスの負った傷も軽いものではない。

ドロスは幾度となく眩暈を感じ、とうとう足から力が抜け、その場に崩れ落ちてしまった。

 

 

ドロスはとうとう天を仰いで、くやし泣きに泣き出した。

 

 

「ドロスよ…。ここで倒れては王の思う壺だぞ…。 立ち上がれドロスよ…。」

 

 

ドロスは自分にそう言い聞かせる。 だがドロスの身体は微塵とも動きはしなかった。

 

 

「このままでは我が友、ゲリョヌンティウスが殺されてしまうぞ…? 立ち上がらないか、ドロスよ…」

 

 

ドロスは何度も自分を鼓舞する。だがそれでもドロスの身体は応えなかった。

 

 

「このままでは、里にいる妹達も大嘘つきの一族だと笑われてしまう…。 それでもいいのかドロスよ!」

 

 

だが、だめだった。もう動けない。 身体のあちこちに出来た傷が痛み、じりじりと照りつける灼熱の太陽がその傷に塩を塗り込む様に追い打ちをかける。

 

「すまないゲリョヌンティウスよ…」

 

 

 

そう言葉を落とし、ドロスは意識を手放しーーー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「御仁、そんなところでどうした?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ドロスは不意に不思議な格好の男から声をかけられた。

男は橙黄色の膨らみを持った服の様なものを身にまとっていた。

 

 

「旅のお方よ。私は今、友を救うために走っている。 だが、力尽きてしまった。

今日の日没までに、私が王都へ行かなければ友が私の代わりに殺されてしまうのだ…。

頼む…後生の頼みだ…!何とか友を救うために協力してほしい…!」

 

 

ドロスは藁にもすがる思いでその男に助けを求めた。

 

すると、その男はにやりと笑みを浮かべた。

 

 

 

「いいだろう。では御仁、この薬を飲むが良い。

そうすれば御仁には無尽蔵の力が湧いてくる。

きっと王都まで走り続けることも出来るであろう」

 

 

そう言って、男は懐から黄色い液体を取り出した。

ドロスは覚悟を決めてその液体を飲み干した。

 

すると何ということであろう。 今まで感じていた疲労が一瞬にして消え、身体の奥から無尽蔵の力が湧いてきたではないか。

 

 

「旅のお方よ、感謝する! これで私は再び走り出すことができる。もう時間がない…。お礼をしたいところだが今は先を急がせてもらう」

 

 

「案ずるな。友のために走るが良い、御仁よ」

 

 

ドロスは再び走り出した。

 

 

 

 

ドロスは風の様に駆けた。先程の薬液の所為なのか、身体が疲れを一切訴えない。どこまでも走り続けることができた。

 

ドロスの心中は希望で満ち溢れていた。わが身を殺して、名誉を守る希望である。

日没に刻一刻と迫っている太陽は、赤い光を樹々の葉に投じ、枝葉を燃えるばかりに輝かせている。

 

 

日没までにはまだ間がある。

私を待っている人があるのだ…。

少しも疑わず静かに期待してくれている人があるのだ…。

私は信じられている。

私の命なぞは問題ではない…!

死んでお詫び、などと気のいい事は言って居られぬ…!

私は、信頼に報いなければならぬ…!

いまはただその一事だ!

 

 

走れ!ドロス!

 

 

 私は信頼されている!先刻の、あの悪魔アイルーの囁きは…あれは夢だ。悪い夢だ。忘れてしまえ!

ドロス、おまえの恥ではない!やはり、おまえは真の勇者だ。再び立って走れるようになったではないか!

 

ああ、陽が沈む。どんどん沈んでいく。待ってくれ、太陽よ!

ドロスは生まれてからずっと正直な人間であったのだ!このまま正直な人間でありながら死なせてくれ!

 

 道行く人を押しのけ、ドロスは風を切り裂く様に走った。

野原で開かれている酒宴の側を疾風の如く駈け抜け、酒宴の人たちを仰天させた。

野を駆ける大猪すら追い抜き、小川を飛び越え、少しずつ沈んでゆく太陽すら追い越す、迅雷の如き速さで走った。

 

 

一団の旅人とすれちがった瞬間、不吉な会話を小耳にはさんだ。

 

 

「今頃はあの男も磔にかかっているよ。可哀想に…」

 

 

なんてことだ…。その男を死なせてはならない…!急げ、ドロス!おくれてはならぬ!信頼が生み出す偉大な力を、いまこそ知らせてやるがよい!

 

風態なぞどうでもいい。ドロスは今、ほとんど全裸体であった。全力で走り続け、傷口からは血が噴き出た。だがそんなことは気にしない。

 

…見える!はるか向こうに小さく、王都の塔楼が見える!塔楼は、夕陽を受けてきらきら光っている。

 

 

 

「ああ!ドロス様!」

 

うめくような声が、風と共に聞こえた。

 

「誰だ!?」ドロスは走りながら尋ねた。

 

 

「プケプケラトスと申します。貴方の友、ゲリョヌンティウス様の弟子でございます…!」

 

その若いゴム材工も、ドロスの後について走りながら叫んだ。

 

「もう…駄目でございます…。無駄でございます…!走るのはやめて下さい…。もう…あの方をお助けになることは出来ません!」

 

「いや、まだ陽は沈まぬ!」

 

「ちょうど今、あの方が死刑になるところです!ああ…あなたは遅かった…。お恨み申します…!ほんの少し…もうちょっとでも…早かったなら…!」

 

「まだだ!」

 

 

ドロスは胸の張り裂ける思いで、赤く燃える夕陽を見つめていた。最早、走るより他は無い。

 

 

「やめて下さい!走るのは、やめて下さい…。いまはご自分のお命が大事です。あの方は…あなたを信じて居りました。刑場に引き出されても、平気でいました。王様がさんざんあの方をからかっても、ドロスは来ます、とだけ答え、強い信念を持ちつづけている様子でございました!」

 

「それだから、走るのだ!信じられているから走るのだ!まだだ!間に合うか間に合わぬかは問題でないのだ!私はもっと大きく、そして譲れないものの為に走っているのだ!ついて来い! プケプケラトス!」

 

「ああ…あなたは気が狂ったか…。それでは、うんと走るがいい…!ひょっとしたら間に合わぬものでもないかもしれない…。走るがいいさ…!」

 

 

 言うまでもない。まだ陽は沈まぬ!最後の死力を尽して、ドロスは走った。何一つ考えていない。ただ、わけのわからぬ大きな力にひきずられて走った。

 

 

 

 

 

 

 

夕陽は、少しずつ地平線の向こうへと消え、まさに最後の一片の残光も、消えようとしたその時、ドロスは疾風の如く刑場に突入した。

 

…間に合った!

 

 

「待て!その人を殺してはならぬ!

 

ドロスが帰って来た!!

 

約束のとおり、たった今、帰って来た!」

 

 

ドロスは大声で刑場の群衆にむかって叫んだつもりであったが、喉がつぶれて掠れた声が小さく漏れ出たばかり。

群衆は、1人として彼の到着に気がつかなかった。

 

すでに磔の柱が高々と立てられ、縄を打たれたゲリョヌンティウスは、徐々に釣り上げられてゆく。

 

ドロスはそれを目撃して最後の勇気を振り絞り、途中、激流を泳ぎきった時のように群衆を掻きわけて進んだ。

 

 

「私だ、刑吏! 殺されるのは、私だ!ドロスだ!!

 

彼を人質にした私は、ここにいる!!」

 

と、最早声になっていない声で精一杯に叫びながら磔台に辿り着き、釣り上げられてゆく友の両足にしがみついた。

 

群衆はどよめいた。あっぱれ、ゆるせ、と口々に喚いた。ゲリョヌンティウスはとうとう磔から解放されたのである。

 

 

「ゲリョヌンティウス…頼む…目を開けてくれ…!」

 

 

だが、ゲリョヌンティウスは反応しない。 いくら磔から解放されたとはいえ、相当に衰弱している筈だ。

 

ドロスの頭に最悪の結末がよぎり、何度もゲリョヌンティウスを揺さぶる。

だが、ゲリョヌンティウスはうんともすんとも言わなかった。

 

 

「ゲリョヌンティウス……」

 

 

ドロスは最早、物言わぬ屍と化してしまったと思われる友の身体に縋りつこうとしてーーー

 

 

 

「我が友ドロスよ…。どうだ?私の死に真似はなかなかのものだろう?」

 

 

ゲリョヌンティウスが笑った。

その途端、観衆から大歓声が沸き起こった。

 

そうだ、わが友は昔からこの様な真似が上手かった。 なんだ、今回も一本取られてしまったな。

 

 

「ありがとう友よ…。君のおかげで私は助かった!」

 

ゲリョヌンティウスが私にそう告げる。

 

「感謝を述べるのはこちらだ。ありがとう友よ!」

 

 

 2人はお互いにひしと抱き合い、互いの無事を喜んだ。

 

暴君ブラキディオニスは、群衆の背後から2人の様をまじまじと見つめていたが、やがて静かに2人に近づきこう言った。

 

 

「見事であった…。お前達は我の心に見事勝ってみせたのだな…。信頼とは決して空虚な妄想ではなかった…!どうか、我もその仲間に入れてくれまいか…?どうか…我の願いを聞き入れて、お前達の仲間の一人にしてほしい…!」

 

 どっと群衆の間に、歓声が起った。

 

「万歳…!王様万歳!」

 

 

 ひとりの少女が、橙黄色のマントをドロスに捧げた。ドロスはつい、まごついた。

そんな様子を見ていたゲリョヌンティウスは、友のために気をきかせて教えてやった。

 

 

「ドロス、君はまっぱだかじゃないか!早くそのマントを着るがいい。この可愛い娘さんは、君の裸体を、皆に見られるのが、たまらなく口惜しいのだ」

 

 

 そんな友の言葉を聞いて、勇者はひどく赤面した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その後、強力な強壮効果を秘めたモンスターの体液を活用して、身体から無尽蔵のエネルギーを引き出す薬品が発明された。

 

人々は、ドロスがやり遂げたこの行いに敬意を讃え、その薬品を『強く走り続けれる薬』

 

『強走薬』

 

と名付けたそうだ。

 




NPCからこのお話を聞いてから、いつか書きたいと思ってました。

しかし、ゲリョヌンティウスの語呂が悪くて悪くて…。

人物名はモンスターからとりました。


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