疾風が、山にのさばる霧を裂く。そう錯覚させるほどに、鬼役のタケ爺の逃げ足は速かった。木から木に渡り、見た目からは想像も出来ない俊敏さで、その様は猿を思わせた。
ハクは、そのあとをまた追うが、先程の二の舞にしかならない。己の能力に頼ろうとするも、相手が俊敏過ぎてその効果を発揮できずにいた。
主「くそっっ!!」
思わず苛立ちが口に出てしまった。それもそうだ、鬼ごっこが始まる前にタケ爺は確かに言った「話はそれからだ」と、つまりこれは単なる
タケ爺「何じゃ。彼奴の子だからと期待しておったが、そんなものか」
主「な、なにをぉ~!く、これでもくらいやがれ!」
ハクが腕を振りかぶり、自身の目の前に振り下ろした。
タ「ぬ!?」
その瞬間、タケ爺の体が重くなる。その重さに耐えきれずにタケ爺は膝をついてしまった。
主「はっ!もらった!」
隙ありと見るやハクはタケ爺の方へと駆け出し捕まえようとする。ハクの手がその肩に触れようとしたその時、タケ爺は
ばかな、ハクは思った。あの状態で消えたように見えるほど速く移動するのは不可能だ、一体どんな…。そう思案していると、後ろから声がした。
タ「一介の妖怪が持つには強大過ぎる能力じゃのう…。ワシでも危うかったぞ。」
飄々と何処からともなく現れるタケ爺。危ういと言いながらもその表情にはまだ余裕があった。
主「おい!じいさん!今一体なにをした?“重力を2倍”にしたっていうのになぜ動けたんだ?」
タ「“重力”やはりのう…。何、ワシは動いてなどおらぬよ。ただ、」
タケ爺はおもむろに杖をトン、と地面についた。すると彼の体から蒸気が噴き出し、霧となって辺りに溶け込んだ。
主「うおっ!?これは、もしかして爺さんの…」
タ「そう、ワシの能力は“水蒸気を操る程度の能力”、先程のは全身を瞬時に蒸発させ、キミの重力に身を任せただけよ。それよりもキミの能力を改めて教えてくれんかの」
主「オレの能力は“重力を操る程度の能力”。ははっ、さっきのはそういうカラクリだったんだな。よし、さあ逃げろよじいさん!今度こそ捕まえてみせるからよ!!」
タ「いや」
タケ爺はハクの言葉を否定するように杖を振り、その状態を解除した。
主「え?」
タ「キミのことは十分わかったよ。次の修行へと参ろう。」
主「いいのか?」
タ「ほっほっほ、元々捕まえられるなど思っとらんよ。キミのお父さんでも無理だった。」
主「さっきから気になってたけどよ…、父さんのこと知ってるのか?」
タ「彼奴を鍛えたのはワシじゃぞ。それに親衛隊の者共は皆、ワシに師事しておる。」
主「! そ、そうだったのか。あー、なんか失礼な態度とってすんません…」
タ「よいよい。威勢がよいほうが鍛えがいがあるからのう。」
そう言って笑うタケ爺は、先程の竦んでしまうような雰囲気はどこかに飛んでおり、最初に会った時の穏やかな表情に戻っていた。
主(この人は怒らせないほうがいいな…)
心に決めるハクであった。
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その後もタケ爺の厳しい修行は続いた。能力の制御という分かりやすいものから、最初に行なった鬼ごっこのような一見意味の分からないものまで。それらを日の出から日没にかけて、毎日ヘトヘトになりながらも何とか食らいつき、期間が残り一週間となった時には目に見えて彼の教えが身についているのが実感できるようになった。そんな折、日の出とともに始まる修行が突然中止になり、タケ爺から洞窟の奥に来るように言われたハクはそこに向かっていた。
主「突然何なんだろうな、日課のランニング(山の周りを十周)もしないでよ」
いつもはこのようなことなどない。時間に厳しいタケ爺のことだし、こうして歩いている時間も勿体ないと言いながら何かし始める人だ。この呼び出しにも何か意味があるのだろう。
主「まさか、この洞窟自体がオレを鍛えるための訓練施設とかになってないよな? 罠とか仕掛けられてたりして…」
注意深く進んでいると、ついに奥が見えてきた。
主「なんだ、なんもねーじゃん。…ん?」
そこには
タ「おい」
後ろから来たタケ爺の言葉ではっとし、正気に戻る。
タ「大丈夫、か? おぬし…」
主「…タケ爺。いや、なんかぼーっとしててよ…。」
その瞳は一瞬虚空を見つめているように見えたが、すぐにいつもの眼差しに戻った。彼自身も自覚した様子はなく、ただその場で無為に時間を過ごしただけ、そういった感じに見受けられた。
タ(ハク君、キミは一体…)
主「それよりも! 何の用だよ、こんなとこまで呼び出してよ。途中罠でも仕掛けられてんじゃないかと、ひやひやしたぜ」
タ「………そろそろ良いかと思ってね。キミに“秘術”を授けようと思う。」
主「“秘術”? …!、まさか!」
タ「白狼一族に伝わりし秘術、その名も“
結界操術とは、その昔白狼の祖先が身体防護の為に編み出したとされる、“結界”という「外界との隔離」という性質を持つものを、様々に変形させ操る術のことである。祖先たちはこの術を使い、先の大戦を生き抜き、「その強さ、鬼と同格」と称されるまでに白狼という種族の地位を高めた。過去、この術は広く万民が有していたが、心悪しき者がこの力を使い反乱を起こしたことにより、力を認めし者だけが伝授される“秘術”として今まで伝わってきた。
ハクは、父のその術を幼き頃より近くで見てきており、憧れも人一倍であった。それが遂に自分に伝授されるとなって、彼の心は踊っていた。
主「おおお!!! ついにオレも!」
タ「どれ、こちらに来なさい。」
タケ爺は社の扉を開けてその奥へと入っていく。ハクも後を追い、鳥居を模した扉をくぐった。
社の内装は質素なものだった。米・酒・塩などの
主「タケ爺、あの鏡はご神体か何かか?」
ハクが質問すると、タケ爺は何かが入った木箱の蓋を開けながら答えた。
タ「左様。あれはご先祖様が神から
タケ爺が箱の中から丸い石のようなものを取り出してハクに触るよう促した。ハクはごくりと生唾をのみ、意を決しその石に手を触れた。すると徐々に石が青い光を帯び始め、やがてハクの身体もすっぽりと覆ってしまった。そのなかでハクは目を閉じる。漆黒の海に在るは、幾層にも重なり合う青白き紋様が彫られた板。それらが己の周りを包み、自身の中心へと収縮していった。それは一点となり、心の臓に収まる。それは一線となり、血管を流れる血液に流される。それは体内を何周もし、らせんを描いていった。
主「!」
いつの間にかハクの周りには結界が展開していた。そのことに気付いて目を開けると、パリン、と展開していた結界が割れた。
主「………、」
タ「どうやら、無事に継承できたようじゃな」
主「そう、なのか?あんまり実感はないが…」
タ「うむ…、実感が無いのは当たり前じゃ。今おぬしに伝承されたは能力の素養だけ、扱うにはまだまだ鍛練が必要じゃ。」
そう言うとタケ爺は石を箱に戻して出口へと向かう。
タ「一週間でそれをものにしなさい。」
今日の修行が幕を上げた。
【補足】
朧山に発生している霧はタケ爺の能力によるものでした。その霧はセンサーのような役割を果たしており、山に入ってきた者たちを把握することが出来ます。前話で記述した「山での死亡者がいない」訳はこのためです。
また、山の中にある洞窟内部の社を侵入者から守るためにも、この霧は役立っています。タケ爺は何千年もこの山で侵入者から秘術と御神体を守り、白狼一族に秘術を授ける役目を請け負っています。
御神体の鏡は“先の大戦”の終戦に尽力した民族に、高天原の神々より贈られた鏡です。ちなみに白狼以外の下賜された民族は、鬼と天孫(現在の月の民)。
ハクが結界操術の継承に使った石は、青白晶(せいはくしょう)と呼ばれています。先人たちがつくりあげたもので、朧山奥の洞窟、社に保管されています。