よくある提言だが、古代に日本という国家はない。そこには倭という地域があり複数のクニが雑居していた。まあこれも後漢書東夷伝の記述をもとにした史観なのであるが…。
そんなことを言ったら何も論じられなくなる?いやはや何かを論じるというのは思ったよりも難しい。生まれも環境も思想だって違う人間に、生まれも環境も思想だって違う人間が自分の考えを話すのだ。これだけ聞くとちぐはぐな結果になると思うだろう。しかし、そうならないのは我々に知能があり日本語という共通言語があるからだ。
人間という境界はハッキリしてるのに、国という境界は曖昧だ。人間の幻想なのだから、当たり前だが。
第四十話 雪中旅路の果てに
しんしんと降る雪に、ザクザクという足音のみが聴こえる。真っ白な世界に妖怪一人。最早どこが道なのかも分からないが、街道沿いに植えられている木を頼りに道の目星を付けて歩いて行く。どこかの駅家で聞いた話だが、大和国というのは急速に軍拡を進めていて近畿から五本の街道が各地に延びているらしい。東海道、東山道、北陸道、山陽道、山陰道の五本。街道を整備することは即ち兵站を確保することと同義である。街道がしっかりしていれば兵士や物資が送りやすくなり、更には人々が盛んに行き交うようになって商業も発展するのだ。
そんな訳でオレは諏訪を出て東山道を西に進み、琵琶湖を横目に近江・山背を抜けて今は丹波に入るところだ。季節は秋を駆け抜けて冬に至る。
主「大分歩いてきたな。さてさて、ここらの人の話ではこの先は
妖怪の楽園は人里離れた山中に存在しているらしい。人間との接触を断ち、容易く近寄られないように神隠しの噂を流しているのだとか。更には周囲に李内さん曰く奇妙な術を使ってその楽園自体の存在を外部から見えないようにしてるが、一部に術式の綻びがあり、普段はそこから出入りしているのだという。そんな綻びを探しながら山登りを開始して小一時間‥。
主「ここら辺…かな?」
オレは掌から発している妖力の流れから、不自然に阻害している障害物を前方から感知した。恐らくこれは………ッ!?
主「……おいおい嘘だろ」
目の前にある目に見えない障害物に触れてみたハクに走った感情は
主「これは結界…しかも、“結界操術”で作られた結界だ…」
この山の中腹を覆うように展開された結界から、ハクは懐かしき朧山での修行を思い出す。あの時、あの洞窟の社にて触れた青白晶。練られた上古の術式、血管を巡る螺旋……ああ間違いないっ!
主「生き…残りがいるのか…?」
淡い希望である。しかし、そう片付けてしまうには余りにも衝撃的な事象。白狼族の生き残り______ハクにとってはあの日以来永劫の別れとなってしまった同族たちの子孫がこの先にいるかもしれない。
そう思うと同時に右手に力が入っていた。無意識に結界操術の力を発現させ、目の前の結界と共鳴するかのようにその術式を解いていく。ただの綻びに過ぎなかった通り道は、ハクによって広げられてその先の景色が見えた。
ハクが綻びを見つけた場所は獣道すらない雑木林の中であった。それなのに、結界を解いた先にあった空間には整備された道が奥へと続いていた。道草に紛れて名前も知らない花々が広がり、その花弁が穏やかな風に揺れる。左右に蛇行した緩い上り坂の先には、確かに複数の妖気が感じられた。
主「…お邪魔しますよ」
ハクは開けた入口を通り向けて結界の向こう側へ出る。すると、結界には自動修復機能でも付いているのか、彼の後ろでは結界が元の状態に戻り始めていた。…相当に高度な術式らしい。白狼族であるハクとしても、このような作用をする結界は見たことがなかった。
それからしばらく、この道の先にあると思われる楽園を目指して歩を進めていたハクは、ある地点で足を止める。
主「これはこれは…」
妖怪がくる…っ!
「お早いお着きでェ御客人〜。」
空から飛来したのは、一見するとただの人間だった。短槍を小脇に抱えて外来物の外套を羽織った初老の男は、終始笑顔に努めているようだったが、その両眼の動きはこちらの腹を探っていた。
主「ここは妖怪の楽園…であってるかな?」
「そう…呼ばれておりますなァ外界では。…」
その言葉の後に溜息を吐くように一拍を取ると、男は姿勢を正して軽く頭を下げた。
「ようこそ、妖怪の楽園もとい“幻想郷”へ…。あっしはここの主人である八雲紫様に仕える式、名前を五郎と申します。どうぞお見知り置きを」
五郎「…して、何用でここに参ったのですかなァ?」
主「これはご丁寧にどうも、五郎殿。オレは狗剱ハク、ただの妖怪だ。…ここへ来たのはある用事があってね。とりあえずこの手紙を見てはくれないか?」
そう言ってハクは李内から預かった手紙を五郎に渡す。五郎は少々訝しげな顔をしていたが、それを受け取ると中身を読み始めた。
五郎「! 諏訪国……成程。人妖共生、その理念の実現の為に紫様にお会いになりたいと?」
主「ああ、今の妖怪たちの現状を見れば悪い話ではないと思う。その手紙にも書いてある通り、近年人間たちは力を付けてきている。オレたちの未来…延いては人間たちとの未来のため、八雲さんに協力をお願いしたいんだ。」
頼む、とハクは頭を下げてお願いをする。それに対して五郎は腕を組んで何かを考え込むようにして数秒沈黙すると、答えを出したのか口を開いた。
五郎「…否、そういった理由であるのならばお通しすることは出来かねます」
主「くっ、そこなんとか頼めないか!」
五郎「成りませぬ」
主「……では、どうしたら会える?」
五郎「あっしを倒せば」
主「ッ!?」
五郎「御運が開けるでしょうなァ」
不意に生暖かい風がハクの髪を揺らす。額には一条の汗が伝う。
五郎「ここ幻想郷では強い者が全て。…覚悟有れば構えませェ」
主「!!」
その言葉を皮切りに、2人は干戈を交えた。
五郎「そりゃッ!」
五郎は短槍を右手にこちらに突進してくる。それをハクは体を左に捻って横回転しながら避けた。自分の攻撃が避けられたことを気にもせず、続けて五郎は高速の突きを複数繰り出す。首、肩、右脇腹、左膝をそれぞれ狙って突き出されたその槍に対して、ハクはすぐさま後ろに跳び、瞬時に結界操術で錬成させた短刀を逆手に持ってそれらを打ち返す。山の中には甲高い得物の合わさる音がこだました。
主「づあッ!!」
五郎のそれは槍術というより体術だった。過去、白狼親衛隊のタダノの槍使いを見ていたハクは、彼のそれが通常の槍術とは異なることを感じ取った。短槍の刃に近い部分の柄を持って、ただでさえ短い槍を相手にもっと短く見せる。それによりリーチは短くなるが、その分相手は自分の懐近くまで入り込んでくるようになる。そこを右手の槍をスライドさせて押し出して、一気に攻撃範囲を伸ばしたカウンターで急所を狙う。相手を騙して攻撃を誘いカウンターで必殺の一撃を繰り出す、武術ではこれを後の先と言う。
五郎「軽い軽いィ〜。御客人、もうちっと力込めねェと死にまっせ…!」
五郎の場合、槍による攻撃は滅多にしてこなかった。その代わり、相手の隙を作り体勢を崩すために、掌底や足払いをかけてきた。体全体をひとつの流れと見なし、決して途切れることはない体術と槍術。全くもって隙がなかった、だが…。
主「“
不意に振り下ろしたハクの斬撃。それを槍で受け流そうとした五郎であったが、どうしたことかその攻撃を刃に当てた途端凄まじい衝撃を感じて、そのままハクの短刀に振り回させる形で体勢を崩した。瞬間、五郎の腹に鈍痛が走る。それにより吹き飛ばされる直前、ハクが自分の腹を蹴り上げているのが見えた。
主「飛んでけッ!!」
ハクの蹴りによって吹き飛ばされた五郎は地面を転がる。その間痛みに悶えながらも先ほどの斬撃について考えていた。
五郎(さっきまでのとは明らかに違う…、異様に重い一撃。こやつ何を…)
倒れた五郎はすぐさま立ち上がり、再度槍を構えて向き合う。
五郎「…ソレが御客人の能力かいィ~。肉体強化系の能力ですかな?」
主「外れ…、だよッ!!」
ハクは両手の重力結解を両足に叩いて纏わせて、その部分の重力を軽くして五郎に向かって跳び出す。その動きを目で追うのがやっとであった五郎は、一瞬反応が遅れて彼の得物を縫うように懐に入り込んできたハクを正面に捉えたまま驚愕する。そのままハクは逆手に持った短刀を五郎の腹に…
主「これで、八雲さんに会えるかな?」
刺さなかった。
飽くまでもハクは諏訪国からここ“幻想郷”への平和的な使者として訪れたのであり、これ以上のことは必要ないと判断した。故に短刀をすんでのところ止め、結んでいた結解を解く。相手からの返事を求めるハクは、五郎から少し距離を取って彼の目を凝視した。彼の額に汗が滲む。
五郎「ムッフッフッフ。お強いですなァ御客人…否、ハク殿。えェ、男には二言はございませぬ、直ぐにでも手配しましょう。ですが…」
五郎は槍の刃の部分にカバーをかけて腰のところに差すと、くるりと反転しハクに背を向けこちらを振り返りながら勧告するようにこう言った。
五郎「紫様は他者を容易には信じませぬ。…それが人間とのこととなれば尚更。余り、期待はせぬ方がよいでしょうなァ」
そうすると五郎は、こちらですと自分に付いてくるようハクに促す。ハクは彼の言葉通り彼のあとを追って歩き、一つの集落へと至った。
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諏訪国のはずれにある小さな墓に、その妖狐“李内”はいた。さらっと積もった雪の化粧の地面には彼の足跡だけが残り、そこが余り人通りの多い場所ではないことを物語る。李内は雪の上も構わずどかっと墓の前に腰掛けて、懐から小さな握り飯を二つ取り出して、一つを目の前に供えた。そしてしばらくそのまま墓石を見つめた後、手元に残った握り飯に齧り付いた。一つの塊になっていた握り飯は口の中で米粒に分解されて咀嚼されていく。ほのかな塩味は悲しみにも似ている。偶には具なしのおにぎりを食べたくなる、今日はそんな日だ。
李内「俺はあんたとの思い出も記憶も数えるほどしかないな…。こうやって来るのは迷惑か…。」
誰が答える訳でもなく、ひとり呟く。
李内「……ハクっていう妖怪が、俺らのために西に向かった。…あんたは望んでるかは知らないが……宇歌はそう望んだ。あんたも応援してやってくれ」
李内「ずっと気になってたんだが、…何であんたは“妖怪の楽園”のことを知ってたんだ?西の、都よりも西の楽園。人間はおろか妖怪たちの間でも知ってる者はごく一部だ。…その場所の事をなぜお前が知っていた?………ま、今となっちゃ永遠の謎か。」
手に付いた米粒を食べながら、妖狐は白銀世界を見つめていた。
【補足】
遠心・二倍(スイング・バイ):遠心力の作用を二倍にする技。元ネタは、宇宙飛行における惑星・衛星の引力を利用した加速方法のこと。