僕の前から。跡形もなく。
世界が変わった。
僕の存在を。誰も知らない。
世界が終わる。
嗚呼。僕はひとりぼっちだ。
~朧山~
主「はぁッ、はぁッ、はぁッ…!」
ハクは朧山を登っていた。燃える故郷を後背に、疲れて縺れる足も気にせず唯我武者羅に走り続けていた。山は外とは打って変わって静かであり、鳥のさえずりさえも聴こえるのであるが、何か違和感を感じる。
そう、
主「くッ!」
不吉な思考が頭をよぎる。まさか、もう…
主「…って、そんなん考えてる暇あっかよッ!!」
ハクは頭をブンブンと横に振り、一途の望みにかけて気力を振り絞り足を速める。そんな時だ。前の林の向こうに光が漏れているのを見つけ、その先が開かれた空間になっていることがわかる。着いた___、ハクはそう直観し、その光に飛び込んだ。
~朧山 社の洞窟前~
主「…噓だろっ!? タケ爺ィッ!父さんッ!!」
ハクは開かれた空間に出る。そこには二匹の妖怪が倒れていた。
一人は朧山の番人 タケ爺。愛用していた樫の杖が粉砕されて辺りに散らばり、その身体は右肩から抉られて腕が無くなっていた。その後、何度も腹部を殴打されたのであろう。腹は血に滲んでおり、口からも吐血した血液が流れ出ていた。
そしてもう一人は…、親衛隊長 狗剱來寄。彼の父親であった。
主「父さんッ!!!おいッ大丈夫か!?死ぬんじゃねぇよォッ!!!」
來寄「ぐッ…、ハク…か?」
來寄は辛うじて息があるようだった。しかし、彼の愛刀が深々と腹に突き刺され、その傷からは今なお絶え間なく出血が続いており、このままでは死んでしまうだろう。それを察知したハクは羽織っていた上着を脱ぎ、彼の傷に押し当てて刀を抜こうとする。
主「いまっ、抜いてやるからなッ!」
來「…ハク」
主「死んじゃだめだ、死ぬんじゃn」
來「ハクッッッ!!!!!」
主「!?」
それはハクが今までに聞いたことがない大きさの父の声であった。しん、と周囲が静かになり、ハクも涙目で驚いて來寄の顔を見る。彼は顔を真っ青にしながらも、ハクの目をしっかりと捉えて話し始めた。
來「もう…よい、どうせ助からん…。それよりお前に伝えておきたいことがある…。」
息も絶え絶えに喋る來寄はハクの肩をガシッと掴み、絞り出すように言葉を続ける。
來「お前は、逃げろ…。俺らの事は全て忘れて、逃げて…どこかで幸せに暮らすんだ。…ここには二度と戻って来るな、鬼の里にも決して近寄るな…」
ハクは理解が出来なかった。父さんたちのことは忘れろ? 鬼の里に近づくな? 父が何を言ってるのか全く解らなかった。
主「は…? 一体どういうことだよ。それより誰にやられたんだ、オレが仇をとって」
來「ならんッ!!!」
主「!?」
來「それだけは…ならん、のだよ…。いいか、父さんの言う通りにするんだ。俺たちのことは忘れろ、そして早くここから遠くへ逃げろ…。」
主「で、でもッ! 逃げるにしても母さんは!? 母さんはどこにいるんだよっ!!」
母の名前を出すと一気に父の顔が暗くなる。目を瞑り、何かを思案したのち意を決したように言った。
來「…母さんは、死んだよ」
主「しん…、だ?」
來「ああ…、俺の前で殺された」
主「」
ぷつん。ハクの中で、何かが切れた。
主「………あああああ………」
來「…ハク。辛いかもしれないが、母さんのことも忘れt」
主「あはあははははははははははははははははははは!!!」
ハクは、慟哭した、叫喚した。発狂した、狂乱した。彼の世界の全てが無秩序になり、世界の全てが崩壊したのである。シヴァ神の上で踊り狂うカーリーの様に、或いはヨーロッパのダンス=マカブルの様に、世界はだんすだんすだんす。滑稽に滑り落ちて天空にはギャラルホルンが鳴り響く。そんなこの世の地獄あの世の天国。エレクトリカル『モダン・タイムス』。
主「あはあははあはあはっはああははあはは」
狂ったか、無理もない…。
來「ハク…、すまん。お前のためだ…。」
來寄は精一杯の力を振り絞りハクを包み込むように結界を展開する。
來「…っ、今からお前を出来るだけ遠くに飛ばす…。生き抜け…ハク! 幸せだったよ…、俺の人生っ…。くッ…はああああッ!」
涙をぼたぼたと零し右手に力を入れる。結界から光が溢れて輝く。刹那___辺りが発光し、それが収まった時にはハクの姿は消えていた。
來「…ははっ」
顔をぐちゃぐちゃにして天を仰ぎ見る。ああ、なんと幸福な人生を生きたか。多くの仲間と出会い、切磋琢磨し、共に暮らし、共に此処で死ぬ。___諸行無常の響あり、盛者必衰の理をあらはす。我が心鏡は荒波にして静寂よ。
來「生きろっ!ハク! 生きて生きて、この世界を生き抜け!! 俺の息子よぉーーーッ!!!」
ばたりと、彼は地に伏した。
△▼△▼△▼△▼△▼△▼
あれから幾日と経ったか…、ハクはひとり荒野を歩いていた。
彼は、気が付けば見知らぬ場所にいた。母さんは、死んだ。父さんも、恐らくこの世にいないだろう。
故郷は破壊された。大切な人々も、皆殺された。ひとりの少年が背負うには重すぎる運命だ。
こうやって行く当てもなく歩いていると、自分はこれから何ができるのか、否何もできないのではないのか。そう思うと途端に邪悪な考えに支配される。
主「死にたいな」
星も見えない盲目の鳥。自然界では真っ先に淘汰される存在である。意味なし、意義なし、価値なし。
本当にここはどこなのか。周囲の草木は枯れ、川の水も干上がっている。生物は地上には唯の一つもなく、空に鳥が1羽飛んでいるだけである。そこをふらふらと進む自分。すると眼前に赤の線が横に引かれた大地が現れる。盲目な彼はその意味を考えることもなく、線を越えて先へと進む。
暫く歩いていると、横から声をかけられる。
「そこの妖怪止まりなさい」
ハクがそれに反応して歩みを止める。声をかけてきた女性は弓をキリキリと引き、彼を威圧するように近づく。
?「…貴方、ここがどこだか解ってる? ここは月の都の領内。妖怪が、容易く足を踏み入れていい場所じゃないの。」
近づいてきた女性は赤と青の奇怪な服装に、長い銀髪を後ろで縛った容姿をしていた。人間だ、ハクは気づいた。というと、オレはいつの間にか“血の境界線”を超えていたのか。そう思考する。
?「聞こえてる? いい、私の質問に答えなさい。さもないと貴方をこの弓で殺すことになるわ」
腕を引き、更にその張力を高める。ハクはそれに恐れることなく、生気のない目で見ながら両腕を横に広げた。
?「…どういうつもり?」
主「殺してください」
一言、そう言い放つ。
主「だから、殺してください。おれは生きてる意味なんてない」
?「貴方…、正気? …自分からお願いする妖怪は初めて見たわね。それとも私の油断を誘うつもりかしら。」
主「おいッッ!!!」
?「…!?」
主「おれを早く殺せッ!! ぐっちゃぐちゃに、そう里のみんなと同じように殺してくれよぉ~~ッ!!!」
?「く、コイツ…イカれてっ!」
ハクが狂乱しながら女性に近づく。身の危険を感じた彼女は弓を限界まで引いて目の前の妖怪に狙いを定める。矢から指が離れようとした瞬間___、ハクはその場にへたり込んだ。
主「………おれには誰もいないんです。帰る場所もない。」
今度は無表情で涙を流し始めた。重症だな、女性はそう思った。医者である彼女は、この妖怪が度重なる心的ストレスによる精神錯乱・異常の類であることを読み取った。それを示す症状もいくつか見られる。………本来ならば血の境界線を越えた者は人妖怪問わず死刑となる。しかし、彼女の眼はこの妖怪のことを罪人ではなく、己の実験の材料として見ていた。
?(妖怪の被験体か…。最近はあの条約のせいでめっきりだったし、丁度欲しかったのよね。)
ふう、と女性は息をつき構えていた弓を下す。すると肩に掛けていたバックを漁り、小瓶と注射器を取り出した。瓶の液体を注射器の中に入れながら、彼女は座り込んで泣いている妖怪に声をかける。
?「はいこれ。これを打ったら死ねるわよ」
勿論噓なのだが。中身はただの睡眠剤である。それを知らない妖怪は神にすがるような目つきで女性を凝視し、彼女に問いかけた。
主「本当…か?」
?「ええ」
女性がそう答えると、妖怪はたちまちに彼女の手から注射器を奪い取って自分の首に刺した。
主「あ、あ、あ、うっ………………」
?「………私は“
…と言っても、このままでは可哀そうだ。暫くは彼の精神ケアに努めよう。被験体は、心身共に健康でなくてはならないからね。
【補足】
シヴァ神:ヒンドゥー教における最高神の一柱。破壊と再生を司る。
カーリー:ヒンドゥー教の女神。血と殺戮を好む。シヴァ神の妻の一柱。
ダンス=マカブル:14世紀にヨーロッパで猛威を振るったペストの影響で、生と死が曖昧になり、絵画などにおいて生者と死者が共に踊る様が描かれた風潮。
ギャラルホルン:北欧神話における最終戦争“ラグナロク”が始まるときに世界に響いたとされる笛こと。
モダン・タイムス:チャールズ・チャップリンの代表作。資本主義社会などを風刺した喜劇映画。