1枚、また1枚。パラパラとカルテを捲る指先に、ふと…仄かな日差しが差し込み始ていた。
今、永琳が居るのはこの永遠亭の中でも人里からやって来た病人達は入れない、永琳自身の能力をフルで活用する為に設けられた…端的に云えば製薬専用の、マイルームだった。
隣から、調合中の薬瓶から煮え立つグラグラとした音。数々の薬品とその材料による特殊な香り。そんな永琳にとって、ごく普通の時間を過ごしていた時の事だった。
「………ふぅ。少し、休憩しようかしら。」
…なんやかんやと思い返せば故あって、この永遠亭で薬師をする事を選択した過去の自分。
『あぁ、なんだか懐かしい事もあったわねー…』なんて1人で苦笑しながら、唐突に頭によぎる過去の風景を思い出していた。
永琳は両指を絡めた腕を天へと掲げ…ぐぐ…っ…と椅子に座りながら、凝り固まっていた身体を伸ばし始める。
予想外に身体からコキコキと、子気味のよい音が鳴ったことに対し、内心で少しばかり溜息を零しながら、今朝入れてからさっぱり放置していた所為でもう、とっくに冷めてしまっている珈琲を手に取り、口を付けた。
『あら永琳ってば何飲んでるのって…うわ何これニッガぁ!?毒ッ!?永琳これまさか毒なのかしらこれッ!?』
『はぁ…そんな訳ないでしょう、貴方バカなの?』
『酷いッ!?だ、だってこれ…めっちゃニガいんだもの…!!』
『ま、子供…いえ。普段から「わかりやすい」食材ばかり好んでいるもの。やっぱりまだ貴方にはこの良さは早かったんじゃない?』
『な、何て事言うのよもぉおおおおおおおお永琳のバカぁあああぁああッ!!!』
初めて珈琲を飲んだ時。そう叫び散らしていた輝夜を見て、まだまだお子様なんだから…なんて思ってしまった永琳。
涙目で恨みがましい視線を向ける輝夜を見て、いつまでも手がかかるんだから…そんな風には思った事も新しく。疲労感を感じていた目を覚ます様に刺激を与える苦味。そして鼻を抜けるスッキリとした香り高い風味によって、永琳は先程までの作業を一時中断し、作りかけだった新薬の論文から目を離す。
ココ最近。思いのほか新薬を構築する為の研究に没頭していた節もあったせいか…身体が少しばかり、動かしにくい事には気がつかない振りをしようとした時。
大方、庭で弾幕ごっこが始まったのだろう。何を言っているのかは聞こえてこないが…いつもより激しく、それに派手な音が永遠亭の外から聞こえてきた。
竹林から吹き込む風により、窓辺で一際大きくカーテンは揺れた。昼を告げるように太陽の位置は既に変動しており、日差しが差し込んでくる。
そんな時だった。
「す、すみませーん…あのー、師匠、今ってその、お時間は大丈夫ですか?師匠にちょっと相談というかその、伝えなきゃというか会わせなきゃいけない案件があるんですけどぉ…ひーん…」
声をかけてきたのは鈴仙だった。しかしこう、なんという弱々しい声を出しているのかしらこの娘ったら…
「ええ、大丈夫だから…入ってらっしゃいな」
さて…といっても鈴仙がこの時間に永琳の部屋へと足をかけてくることは珍しく、そもそも今日は人里まで赴いて薬を売りに行った筈だった。
自分のことを薬師としての師匠だと敬っている為、こんな風に多少へりくだった声音で話しかけてくることもあったものの…それにしても今日の様子はおかしい。
何があったのか。それとも、「誰が」居るのか…
そんな事を考えていた永琳だったが…答えが出る前に、どうやら目の前にある扉が開いていた。視界に飛び込んできたのは…ぐすぐすと半泣きになりながら、うさ耳をへにょりと垂れ下げている鈴仙と………
その隣に居た、1人の鬼だった。
「久しぶりだねぇー…永琳ちゃん?」
「…はぁ。それ、こっちの台詞よ。紬?」
幻想郷最強の鬼。名を紬。鬼子母神の2つ名を持つ、そんな大妖怪。
「実は用事があって、永琳ちゃんに会いに来たんだけどぉ…うふふ…お時間、大丈夫かなぁー?」
あぁ、だからこそ…そんな鈴仙の反応を見て。思わず永琳は納得してしまった。
「全く…最初から断らせる気なんて無いのによく言うわね…」
「あらら、やっぱり私の事ぉー…よぉーく分かってるね?」
「付き合い長いんだから当然でしょ…それで?貴方…私の助手がさっきからプルプル震えてるのだけど、何かしたのかしら?」
こちらを覗く鈴仙の目は潤んでおり、ここに来るまではさぞ、心をすり減らした事だろう。
そんな鈴仙をよそに、ニコニコと笑顔を浮かべる紬は永琳へと歩きながら、ここに来るまでの経緯を説明するのだった。
「いやー?ここに来た時に玄関が空いてたので、とりあえず入らせてもらったんだけどぉ…そこでこの娘にばったり出会ってねぇ?道案内というか、部屋案内に丁度いいかなって思ってねぇー…こう、お願いしたら快く引き受けてくれましてぇ」
「…コクコク」プルプル
鈴仙としてはいきなり鬼子母神と鉢合わせたのだから、生きた心地がしなかっただろう。そしてそんな存在からのお願いを断れる程、鈴仙という少女は肝が据わってる訳では無いのだから。
その姿はまるで、首根っこを掴まれた小動物…そんな様だった。
そんな鈴仙を見て、紬は更に笑顔を浮かべていた。
「この娘、とっても良い反応だねぇー?それに、何だかこう…仄かに霞ちゃんの匂いがするからねぇ…ついつい脅かし過ぎちゃったかも?」
…………霞の匂い?
「あら、それは災難ね…それと今日、あまり研究に集中出来なかったのって…もしかしたらアナタが来るせいだったかもしれないわね?」
「ふふふふふ、永琳ちゃんってばぁ面白い事言うんだからぁー…!!」
虫の知らせというべきなのだろうか?
今日半日の妙な感覚は、この時の為だったと決めつけても構わないのでは?
そんな風に思いながら、永琳も軽口を叩き始めていた。
昔から、紬との雑談はこんな感じだったわね…
「あら?珍しく、自覚があったのね。今日は雨でも降るのかしら?」
「いえいえ…今日という、私にとってとぉーっても大事な日にね?雨なんか降らせる訳無いじゃないってお話だからねぇー…それに万が一降ったら、その時はその時だよねぇ…??」
そんな中、突如紬の妖力が跳ね上がった。
衝撃で鈴仙が更に驚いているのを見て、これ以上に鈴仙に余計なトラウマを植え付けるのも大変だし…流石にそろそろ止めた方が良いと判断したのか、永琳は紬の頭に軽い手刀を落とした。
「はぁ…もう。言葉の比喩に対してそんな風に妖力を溢れさせないで頂戴?鈴仙がこれ以上使い物にならなくなったら、貴方が人里まで行って仕事してくれるのかしら?」
「はっ、いけないいけない…私としたことが、ついうっかりだねぇ…」
「まぁ、貴方だったら雨が降ろうが雪が降ろうが、何とかしてしまうんでしょうしね…」
落ち着いた紬を見て、永琳は中断していた話を進めて欲しいと話の道筋を整え始めた。
「…それで話って何かしら。もしかして…さっきから庭で騒いでる、輝夜とも何か関係あったりするのか…ね?」
「はっ、そうでしたそうでした。」
そういった紬は先程までの空気を変えるかのように咳払いを挟むと、くるりと永琳へと向き直って話を進め始めた。
「まぁそんなことは後で幾らでも話せるから、とりあえず説明は後でするんだけどね?というかここに霞ちゃん居るよねふふふ早く『霞の宿』が完成したって伝えたいけど今は輝夜ちゃん達の時間だから仕方なく永琳ちゃんにもお話しとこっか!!って感じなんだけど本当は霞ちゃん達に混ざりたいなぁ羨ましいなぁって事なんだけど、ああこれ以上霞ちゃんを待たせるのも嫌だから早く纏めておきたい事があるんだってというかここまで分かった?」
…本当にこれ、霞が絡むとどうしてこうなってしまうのか。普段の仕事が出来る分、如実にこの時の残念っぷりが出てしまっているのがなんとまぁ……
「…ええ。要約すると…今この幻想郷に霞が居て、それで貴方は彼用の家を作ったからその報告の為にここまで来た…って事で良いのかしら?」
「流石永琳ちゃん。ずばりそういう事だねぇっ!!」
そして、自分で出した言葉ながら……それもまた、永琳にとっては特別なものであって。
「…そう、ここに今…霞、ここに居るのね。成程…道理であんなにも輝夜が騒いでいるわけだわ…」
「そうそうそれでねぇー?そのついての事何だけどぉ…」
そこから更に、紬は言葉を続けて行く。
それを永琳はまた、興味深そうに耳を傾けており…
(…………………………今日は厄日だなぁ)
部屋から出ることも出来ないまま、鈴仙は1人震えていた。
もう、今日は早く寝たいなぁ……
まだまだ1日は長いらしい。
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「はぁー…生き返るわぁー…」
「普段ならやんないけど、今は同感だわー…」
迷いの竹林にある永遠亭において、他者との遭遇はほぼ無いと言っても過言では無い。そんな場所に、まず見かけない筈である…白い湯気が立ち込める、そんな空間が広がっていた。
弾幕ごっこを終え、お互いに煤けた身体とボロボロの服に嫌気が差し始めた頃の事。
辺りの竹林を眺めながら温泉に浸かる霞によって、輝夜は先程までの殺し合いなんてやっている場合じゃない…
そう気づいた一瞬の隙。それを妹紅は見逃さなかった。
「隙ありィ!!!」
「ちょ…っ…バカぁああああああ!!!」
背後から飛んできた妹紅の弾幕により、そのまま霞の方へと落下して行った。
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「うへへ…幸せだなぁ……もう。ずっとこの時間が続けばいいのに…」
「…そうさな。久しぶりというには時間が経ってしまった気がするが…まぁ、気にしないでおこうかな」
この男、本当に変わらない。
あの頃を思い出して少し懐かしくなった。
「へぇ。けど私は昨日から続けて入ってるから、その分勝ってるって事で」「うっさい」「…はぁ?」
「…ふーん。何?弾幕ごっこで負けたの、もしかしてまだ気にしてたりすんの?」
「アレ別に負けたわけじゃないから。下で霞が温泉造ってたから、そっちを優先しただけだから。」
「ボロボロになって頭から着水した癖に…」
「そんなの些細な事じゃない…どーせアンタも後から飛び込んだんでしょうに」
「…なんで分かんの?」
そんな2人を、霞は微笑ましい物を見る目で見つめていた。
「…それで、今はこうして私達と一緒に居る訳だけど、これから先のの霞はどうするの?」
「ん?どうって…この後の事かい?」
「そう。まさかとは思うけど…永遠亭にまで来ておいて『やぁ輝夜久しぶりだねじゃあもう帰るよ』なんて言葉を残すつもりだったら私。そんなの…そんなのは絶ッ対にッ!!ゆーるーさーなーいーかーらーねーぇーッ!!!」
そう、霞の目の前で天女の如く特上の笑顔を浮かべる輝夜の目は…全く、笑っていなかった。
…寧ろブラックホールのように、視線を吸い込まれる様な圧力も合わさることによって最早これでは夜叉と言っても過言では無いだろう。
「おい、痛い痛いってば…こら、私はまだ何も言ってないだろう?」
そんな輝夜の問いを受け、霞は少し考え込み始めた。
「…そうさな。久しぶりに輝夜に会えたんだから、もっと語らいの他に何かするのも良いとは思うんだがね?」
「そ、そうでしょう?それなら」
「けれど私はまだここに来て日が浅くてね…この世界の風景を眺める事ぐらいしか、なぁ。
…そういえば1人の時はしていなかった気がするんだよなぁ…さて、どうしようものか…」
大人しく、今後の事についてを整理しようとしたものの…そういえば、ここに来てからといえば誰かと温泉に入る事以外に何か大きな出来事はあっただろうか?
…元いた世界の代わり映えのない住処から一転した、色彩豊かなこの世界をの鮮やかさを、目に焼き付けていた時間が多かった気がする。
…そういった行為が目立って居た為、実際のところは未だにこの世界に何があるのかを霞は分かっていないらしい。
そんな霞はを見て、輝夜はこの後の予定を考え込み始めた。
自分にとって時間なんてものは永遠に近い程に飽和している。しかも昔とは違い、この世界では妖怪と人が共存している為………人里まで行けば、2人で一緒にお団子を食べたり、着物を見繕ったり。
それに、最後は夕陽の見える場所で霞とうふふふふふえへへへへへぇえ…!!
一瞬だけとても人には見せられないほどに表情の崩れてしまった顔引き締めると、輝夜は何かを真剣に考え込み始める霞へと向き直る。
…あの時の私は御伽噺のような箱入りの娘。しかし今の私には自由があり、更には外の世界から流れてきたであろう秘密の禁書や目録がある。
だからこそ、今なら。今なら彼と………
…デートだって、出来るかもしれない。
ならば、輝夜のとる行動は決まっている。
ここから、私が霞の手を取って…思う存分、連れ回してやるのよ……っ…!!
「…んっ、ふふ…えっとね、霞?そもそも折角ここに来たんだから、もっと私と昔みたいに2人きりでお話…とか、ね?」
「ん、それについても霞から聞いたけど…アンタってばいつも鬼子母神に邪魔され続けて、結局2人きりとかなったことないらしいじゃん?何をサラッと見栄張ってんの?」
「もぉおおおおおおおおおおおおおおあっ!!!!!!!」
ビュンッ
「うぉっ…危ねぇだろ!いきなり何すんだお前!?」
声にならない悲鳴が出た。このお邪魔虫、なんでそんなことまで知ってるのよバカッ!!!
そして叫びあげると同時に、霞の腕に張り付いている妹紅の顔面へと右ストレートを打ち込む…が、握り締めた拳が顔面へとめり込むであろう寸前。妹紅は勢いよく状態を逸らし、器用にそれを避けらてしまった。不覚。
しかし突然の強襲により、流石に焦った表情を浮かべていた。
…隣に居た霞にもたれ掛かるよう、その身体を密着させるように。
「おいコラ妹紅貴方ちょっとばかり私より胸が大きいからって……見せつけてんじゃないわよシバくわよ」
「へぇー、そりゃ大変。きゃー霞ーアイツ怖いわー」
「コイツぶっ殺」「落ち着け」
「「ぎゃんッ!?」」
そんなふたりの頭へ、霞による拳骨が降りてきた。あ、結構痛い。
「…温泉では静かに…はまだいいとして、2人とも少し落ち着こうか。妹紅は少し離れて…あと輝夜はもっと慎みを持つべきだと思うんだが?」
「うぅ…だってぇ……」
涙目の視線に対し、霞は言葉を選びながら…そんな輝夜へと口を開いた。
「…それにね、だっても何も、お前は充分綺麗なんだ。私にも原因があるのだろうけど…そんな風に、慎みを無くすもんじゃ無いと思うぞ?」
「か、霞……!!」
そんな霞の頭に浮かんでいるのは、何もかも気にしないほどあけすけな鬼の少女達や幻想郷の管理人。その他大勢の、信用がある為に…行動の一つ一つがなんとまぁ…大変とても絵面が悪いことこの上無かった人物達だった。
しかし言葉の前半を聞いてそれどころでは無い輝夜。
やったわ霞が私の事綺麗だって!きゃーーーっ!!!
満面の笑みでクネクネと動く輝夜を見て、妹紅は霞へと文句を言いたげな視線を向ける。
「ちぇっ。霞ってばさー…私には何も無いの?」
「…勿論、綺麗だと思ってるよ?」
…ふふん。
「ふーん…まぁついでみたいな感じだけど…へへ。ありがと霞」
なんだか聞き用によって、お世辞のように聞こえてしまうけれど…多分これ、本心からそう言っているのだろう。霞という妖怪と触れ合った事がある存在なら、まずこの言葉は信用出来る類だと信じられる筈だ。
思いの外にへにへと頬が緩んでしまう2人を見ていた霞の目が突如、何かを察したかのような表情に変わった事に緩みきっていた顔を直していた輝夜が気付く。
なんだろう、いつになく真剣な顔をしているけれど…それはまるで、これから起こる『何か』を朧気ながら察したようで。
「霞…どうかしたの?」
「…ん、あぁ…何だか近いなぁ…と思ってね。」
ん?近い?それってもしかして……
「…もしかして照れてたりする?ふふん。あの時は紬が居たからあれだけど…遂に私の魅力に気」
『輝夜ちゃん、私を呼びましたぁ?』
「え?だからそうだって───え?」
ここは永遠亭。普段ならここに住んでいる存在以外は滅多に遭遇しない隠れ里。
そんな場所に、聞きたくなかったはずのあの声が。まるですぐ後ろから聞こえてきて…
え?えええ?ま、まさか…………ッ!?!?
恐る恐る後ろを振り返った輝夜。
そして、そこに居たのは……
「はいー、輝夜ちゃんってばお久しぶりですねぇー?それにー、あぁ、確か…妹紅さんでしたよねぇ?あ!それに霞ちゃんも会いたかったよぉ!!」
やっぱりコイツだった。
「ぎゃあああああああッ!?!?」「うわあビックリしたぁ!?」
「…本当、今日は騒がしいわね?」
その後ろに居た永琳の溜息も消えぬまま、またもや永遠亭の庭に、輝夜と妹紅の絶叫が轟いた。
そして追い討ちの如く今朝の夢がフラッシュバックした事もあり、驚愕によって混乱した輝夜の耳へと聞こえてくる言葉の中に、ある種、とても聞き捨てならない言葉があった。
「挨拶は一旦ここで、置いといてぇ……えっとぉ、遅くなってごめんねぇ?それで霞ちゃん!遂に『私達の』お家が完成したよぉ!!」
「「……………はい?」」
当然の困惑によって、輝夜と妹紅の心は重なった。
加筆修正…思ってた以上に多いです。
読みやすい文章を目指すと際限が無くてどうしましょうこれ…