レプリカ成分多めな御手杵と焼失前の彼に対する執着が消えきらない日本号の話。日杵。あと鶴さんとか大包平とか。弊本丸未実装な大包平さんがめっちゃしゃべるし捏造設定がいっぱい。R-18部分がなかなか書き上がらないので全年齢バージョンだけ先に置いておきます。

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明晰夢

 

 御手杵という槍は、とっくの昔にもうない。俺はその名前を継いだだけのただのひとがただ。記憶がどうとかの話ではなくて、ただ松平の宝槍はただの一振りしかあり得ないという話だ。

 

 だって、もうない物にどうやって付喪が憑くと言うんだ。

 

 レプリカだとかいうわけじゃない。家康公は権現様ではないし道真公は天神様ではないというだけ。だいたい付喪の分霊だなんて、自分で言っていて馬鹿らしくならないか。もちろんこれは俺の考えでしかないから、他の男士は無論のことよその本丸に顕現された「御手杵」は違うことを思っているだろう。

 

 

 

 曇った夜は嫌いだ。なんだか空が溶けていくようで。雨なんて降った日には最悪だ。

 そのくせ昼間降った雨が止むのも怖いんだ。溶けるのは空ばかりではないような気がしてしまう。

 

 

 

 御手杵という刀剣男士は、たった一振りから成る訳ではない。初めの頃こそ粟田口の脇差たちのように焼けて記憶が失われているのだと思っていたが、どうにもそれだけではないようだった。

 

 あんな槍をオレは知らない。

 

 焼け溶けた手杵が知る由も無いことをあいつは知っていた。レプリカの三槍が揃って展示されたことだとか、どこぞの神社の参拝者達の願いだとか、鉄砲隊の演武がどうとか、そういう話を。関ヶ原に参陣したというなら、まだそういう伝承もあったのだろうと言えた。オレも後藤又兵衛の名前くらいは知っている。首団子の話だとか、盲になった奴がいたのだとか、白蛇の山神を殺したとか、空だか龍神だかを脅しつけて雨を降らせたとか、そういう記憶がある分には構わないのだ。それらは手杵の槍への信仰の一部分なのだから。けれど御手杵はそういった話の代わりに、平成よりも後の話をする。それを聞くたび、どうにも座りが悪かった。

 

 

 

 天気なんて何だって同じだ。強いて言うなら出陣先の雨と外で飲んでるときの雨は土が泥濘むから勘弁して欲しいくらいか。

 

 

 

 地面すれすれから掬い上げるようにして脇差を裏返す。蜘蛛の足も人の上体もばたついているが、元の通りに身を起こすには至らない。片手で自身を返して膨らんだ腹に突き立てながら次の敵を探す。

 槍、圧切が止めて青江が回り込む。太刀、次郎を押さえてるが時期に片がつく。槍、フリー、いや次郎が太刀に巻き込んで仕留めるな。打刀と脇差、撃破済。骨喰が次郎の方へ向かう。大太刀、広光が押さえているが長くは持ちそうにない。

 地を蹴って駆ける。横合いから攻防に入り込むような形になった。大太刀はとてつもなく大柄な体躯だがオレも長柄物だけあってそれなり以上の長身、心臓を上から貫くくらいはわけない。

「おっと、足元がお留守だぜ」

 敵の視界に収まっていることを承知で、殊更に鋼を閃かせて突く。意識が足元に向くか端から此方を無視するようならその隙を突いて心臓を貰う。意識が此方の槍に向けば──そら、広光が首を落とした。

 

 刀装兵まで含めて辺りの敵は掃討した。味方は軽傷にもならない擦り傷程度。オレも含めて部隊の全員が極か練度上限(レベル99)に達しているのだからそうでないと困るが。

「貴様はまた酒など飲んで……戦場だぞ」

 祝杯がてら一杯、と徳利を傾けているところに水を差してくる無粋者が一振り。そう目くじらを立てずとも、備えを怠った覚えはない。

「敵が知覚範囲にいないことくらいは確認してる。索敵はオレが出張るよか向いた奴らに任せちまった方が良いだろ」

 まあこんなことは小言を言われるたび散々話しているので、今更こう言ったところで圧切が考えを変えるわけはないのだが。ちらりと次郎の方に視線をやれば僅かに視線が上下した。

「そういう問題ではない。だいたいそうでなくともこんな真っ昼間から……」

「まあまあ、いいじゃないか。アタシもだけど飲んでる方が調子良いんだろう?」

「まあな」

 飲めば飲むほど強くなる、というのは別に嘘じゃない。昨日西洋の火酒を開けて足下のおぼつかなかったばかりで言っても何の説得力もないとは思うが、オレが言っているのはよそから買ってきたものじゃない。顕現したときからともに在る自分の酒の話だ。次郎もそうだが、これは霊力さえ尽きなければいくらでも出てくる(そのための消費量も一晩飲み明かしても精々が紙で切れた指先を治す程度のものだ)これは、一定以上に酔うこともない。高々気分が高揚して少々痛みに鈍感になる程度のこと。足を引っ張るようなまねはしないさ。

 

 戦場(ここ)はいつ来ても晴れだ。白い雲の二つ三つ浮かぶばかりの空は地上の争いなぞ知らぬ顔で照るだけ。人の行く末も刀の未来も真実知りはしないのだろう。けれど人の信仰を受けるばかりで返すことなどない天の采配を、誰もが信じようと懸命になる。何か掬い上げるものがあるのだと。ああ。これはオレの話だ。日本一と語られながら人じみて半端な希望を忘れられない馬鹿な男。この同じ空から炎の雨が降ってあれを焼いていったのを今からでもどうにかしたとして、それでも変わらず日は照るのだろう。

 

「おい日本号、何を呆けている。置いていくぞ」

「ああ、今行く」

 

 

 

 

 蜘蛛糸のように細い細い雨が降っていた。

 今時分じゃ藤が見頃か。この本丸には藤棚はないが、朝までにこれが止めば葉も花もいっぱいに露で濡れてさぞ美しいことだろう。肴に飲みたいくらいだ。大きな集まりではなく、精々が二、三程度で。そんなことを思いながら杯を傾ける。

 

「お、飲んでるなあ。もらっていいか?」

 酒は嫌いじゃない。日本号のように年中飲むつもりにはなれないし、そもそも甘いものの方が好きだけど。自腹で買ったものならともかく共有棚の菓子は管理が面倒だとかで夕飯後に食べてはいけないことになっているので、夜に何か食べたい時はだいたい余り物の入っている方の冷蔵庫(食材だけの大きなものとは別のやつ)の中身を貰う。今日は昨日の肉じゃがの残りを持ってきた。夕飯に出る時は少し薄めの味付けだけど、一回温め直した後に一晩煮汁に浸かっているから酒か米が欲しくなるくらい濃くなっているはずだ。皿は一つしかないけど、箸は二膳あるから大丈夫だと思う。

 

 御手杵が差し出してきた丼鉢みたいな皿からよく味の染みた白滝や人参をつまむ。毎度のことだが昨日の夜の時点で肉は取り尽くされたらしい。御手杵の杯が乾いたのを見ては次を注ぎ、向こうも注いでくる。先日万屋の店員に薦められた品だが、なかなか悪くない。酒は好きだ。好きと言うか、飲んでいなければオレではないと言うか。別に飲まなくても生きて(この表現はどうかと思うが)はいけるのだろうが、それはそれとしてオレが日本号(オレ)であるためには欠かせないものだ。

 

 

「なあ日ノ本」

 もう随分お互いに酒が入っている。今日は珍しく日本号も自分の徳利だけではなく、市販の酒を注いでいた。気の迷いなんかではないけれど、これは酔った勢いだということにさせてくれ。そうでないならせめてこんな馬鹿なことをと笑ってくれ。真摯に断るのだけは、どうか。

 

「抱かせて」

 

「……は?」

 はじめ、御手杵が何を言ったのか飲み込めなかった。次いで困惑と、同じくらい強い怒りが浮かぶ。衆道に思うところがある訳じゃあないが、抱くものと抱かれるものがいるのなら俺はこいつだけは相手にしちゃならねえ。こいつが東の手杵の槍だと言うのならなおさらに。

 ただ対等であれると思っていた。並ぶものなきこの身に、ひのもといちのこの槍に、同等と呼べるものがあるのなら東西の片割れでしかない。だというのに。そのはずだというのに。請われるのでなく挑まれるのであればそれもいいのかもしれない、だなんて一瞬でも思ってしまった自分が何より許せない。

 

「だからさ」

 実はどっちがどっちとかはどうでもいい。というか俺の下で喘いでる日本号に興奮できるかって言われると怪しいところがあるので逆の方がいいのかもしれない。でもそれはそれとしてあっさりと受け入れるのは何かが違う。めんどくさいやつだと笑えばいい。

 刺すことしかできないと言いながら、最早槍ですらない。この身が天下三槍だと、自分が御手杵であると断言できない。この劣等感が失せるのは戦場だけだ。けどこれはそれを消したいからじゃない。それだけじゃないはずだ。

「呑み取らせてよ、あんたのこと」

 俺はあんたが欲しいんだ。それもできることならあんたの心が。俺にどれだけのものが欠けていても、俺の内のどれだけが紛いものでも、それでもこの思いだけはきっと本当だ。

 本物だから性質が悪い。これは確かに俺の思いで、俺の思いでしかないのだから。

 

「…………」

 自前の徳利から酒を注いだ。始終飲んでいるこれはオレの一部で、だからどれだけ飲んでも酔いつぶれるようなことはない。それを知っているはずの御手杵は、けれど躊躇うことなくそれに口をつけた。はっきり言えば突き返されると思っていた。こんな不均衡な勝負を吹っ掛けるなどらしくないと揶揄いの一つも飛んでくるとばかり。

 

「ほら、あんたも飲めよ」

 これがもう勝負事ですらないなんてことはわかっているけれど、別にどっちが抱くとか抱かれるとかはどうだっていいことだ。大杯(おおさかずき)でも使うならともかく、賭け飲みで呑み取ろうなんて真面目にやる方が馬鹿を見る。だいたいこんな小さな猪口で酒に弱いわけでもないあやかしの(たぐい)を酔い潰そうなんて何十杯必要だかわかったものではない。

 

 一杯だけ口をつけた。御手杵は何も言わない。自覚していたよりも酔っていたようで、熱に浮かされた頭が強制的に冷めていく。これだからこいつはどれだけ美味くても酒としちゃ二流なんだ。

 もういい。茶番はやめだ。

「……手杵の」

 これが酒に酔った間違いなんかであっていいものか。

「アンタ、どうしたいんだ」

 

「あんたと…………対に、なりたい」

 俺があんたにとって無二である証が欲しい。俺は東の槍ではなく、あんたの方も西の槍でないかもしれなくても。正三位とか雪降らしとか天下三槍とかそういったことを全部取り去ったあとでなお対であれたらと思う。何もかもを取っ払ったあとに残るものをと思って七世の契りに行き着いたのはまあなんというか自分でも馬鹿だとは思うけど。抱く抱かれるに君臣の別が付随しないのなら、と思ってしまったんだ。

 

 ああ、オレがどれだけ手杵のやつに執着したところでここにあるのはこの槍なのだ。

 馬鹿だな、と言って襟首を掴み胸元に引き寄せる。だったら呑み取りの逸話なんか出すんじゃねえ。

「なら始めっからそう言って口説くんだよ」

 

 

 

 

 

 

 空は薄雲のかかった朱色で、本丸でなければ鴉の十や二十は飛んでいそうだ。俺は手入れ部屋入りが最後なのをいいことに修復が終わっても布団に包まっていた。あいつの方が言ったわけでもないだろうに日本号に抱かれたことをなぜか鯰尾が知っていて、そこから脇差と粟田口の半数にまで広まっていた。おかげであちこちで揶揄われる。かといって私室は当の日本号と相部屋であるので引きこもっているには向かない。審神者の執務室やこの手入れ部屋、あと下世話な話をすると歌仙の拳が飛んで来かねない厨などに入り浸るようになっていた。

 

 あの日からずっと、自分が御手杵というものを取り返しのつかないほど汚してしまったのではないかという思いが頭を離れない。

 俺は御手杵を名乗っているし、義助()に打たれて以来の記憶が確かにあるけれど、実のところそれらすべてが映画のスクリーンでも見ているかのように遠い。炎ばかりがずいぶん痛くて、それ以外の全部を焼いてしまったようだった。代わりに、俺の燃えた大戦(おおいくさ)のずっと後に打たれた写しや複製(レプリカ)の、宿すものも宿らない茫洋とした思いまでもがこの身には詰め込まれている。

 そんな俺が御手杵であるような顔をして、よりにもよって東西の片割れに情けを乞うたのはひどい侮辱であったのではないかと思ってしまう。それなのに、そうだというのに俺はあれから何度も日本号に抱かれている。

 だって最低なことに、あれはとても気持ちよかったんだ。

 

 身を起こしてぼんやりと壁を眺めていると、目の前に真白い手が出てきた。手の大きさからしても気配を消し切れていないあたりからしても打刀かそれより長い刀剣。手首がくるりと返って大輪の花が咲く。まあ鶴丸だろうな。

「どうだ、驚いたか?」

 鶴丸だった。驚いたよ。でも花よりもあんたが来たことよりも、あんたが俺のとこに来たことに驚いている。俺が今まであんたの驚きとやらの被害に遭っていなかったのは、心が死んでいく最中のやつを選んでいたからなんだな。けどめちゃめちゃ忙しいときに限って長谷部にちょっかいかけにいくのはやめた方が良いと思う。

「手品はいいぞ」

 何を言ったら良いのかよくわからないで黙っていると、鶴丸の方から捲し立ててきた。今誰かと話す気分じゃなかったんだけどなあ……。

「英語じゃマジック──魔法と言うらしい」

「俺たちには手足がある。口もある。こうして魔法だって使える」

「夢みたい、だな」

 夢のようだった。こうして人の形を持っているのも、戦場で樋に血を流すのも、日本号や(演練でだけど)蜻蛉切に会えたのも。夢のようで、ひどく都合がよくて、いつか唐突に目覚めてしまいそうだった。

「お、ようやく口をきいたな。そうだな、夢か。いいね、良い言葉だ」

 夢とやらは、ずいぶん手杵の槍から遠いものだった。

 戦場そのものがなくなっていくのを見ていた。平和になって、中身のない鞘だけの「俺」が掲げられたこともあった。雨が降って欲しいと思ったのも降らないで欲しいと思ったのも俺じゃあない。そうやって、俺の出番は狭まっていく一方だった。いつだって武器を使うのが人であったように、未来を思うのは人の特権だと思っていたんだ。

 

 でも。今の()は眠れば夢を見る。鋼は眠らないから、夢がいつか覚めてしまうものだということすら俺は知らなかった。

「これが末期の夢でないという証拠が欲しいんだ、と思う」

 我思う故に我在り(コギト・エルゴ・スム)と人は言う。世界で確かなのはただこの意識だけであると。だが、もの語るが故に物語と言うならこの身に宿る思いが保証するのはいったい何なのだろう。

「悪魔の証明というやつだな、それは」

 鶴丸曰く、証明しようのないことを示せという無理難題を悪魔の証明というらしい。自分が人か蝶か誰にもわからないように、自分が本丸(ここ)()ることを示せるはずがないと。

 

 この本丸の鶴丸は落とし穴を掘らない。土の中に埋まるのは自分くらいで良いと言う。

 でも俺はずっと埋まっていたかった。いいやこれも正確じゃない。一度くらい土に埋もれてみたいだけだ。この俺はあのとき燃えた槍とはべつものなのだから、自分が土に埋められたかのような表現は正しくない。正しくないんだと、思いたい。

 俺は俺でしかないんだと思いたい。

 

 

 

 御手杵は元寇防塁、博多と圧切は主の手伝いで書類と格闘中、厚や小夜は京都に出陣、次郎は手隙の筈だが騒ごうって気分じゃない。陸奥守は昼から飲むやつじゃないし記憶が正しければ畑当番だ。ついでに蜻蛉のやつはいまだに本丸に来やしねえ。そんなわけで部屋の障子を開け放して青空を眺めながら一人で飲んでいたところに、赤髪の太刀が通りかかった。

「よう、新入り。一杯飲んでくかい?無理にたぁ言わねえが」

 徳利を掲げると、太刀は訝しげな顔で首を傾けた。

「お前は……?」

「日本号。槍だ」

 思い返せば大広間で簡単に顔合わせをしたくらいで、まともに話したことはなかったはずだ。となればこちらが誰だかわからないのも道理か。

「ここには槍もいるのか。俺は大包平」

「応。よろしくな」

「ああ。だがこんな昼間から酒は関心せんな。茶なら貰う」

 古い備前刀ってのはどいつも茶を好むのだろうか。いや、三日前に参陣したばかりでは単に大方茶と酒以外の飲料を知らないだけだろう。だがあいにく普段この部屋にいるのは歌仙が見れば呆れてものも言わないような安物でも構わないやつだけだ。平安刀、それも鶯丸の同門に飲ませるようなものはないんだが、まあ勘弁して貰うか。

「昼にしか見れねえ肴もあるぜ。ま、潰れるくらい飲むのは夜になってからだよ。茶か。煎れてくるがたいしたもんじゃねえから期待すんなよ」

 

 あの包平、開口一番に「本当にたいしたものではないな……」はないだろ。いや安物だけど。我ながら正三位の飲むもんじゃねえとは思うけど。

 

 包平の太刀はかなりの聞き上手で、ずいぶんと喋らされた。本丸には慣れたかとか、馬や畑の世話など武器にやらせることではないとか、今度非番の夜にでも旨い酒を飲ませてやろうかとか。鶯丸の奇行だとか、青江連中のふざけた言葉遊びだとか、三池の太刀どもの無駄に有り余った霊力で起きた怪奇現象だとか。

「しかし『日本号』とはまた大層な名だ」

「『大包平』の台詞じゃねえな」

 包平の傑作、すばらしきもの、天下を二分する美の結晶。オレは槍だから太刀の見方は分からないが、伝え聞く扱いからして途轍もない代物であるのだろう。天下を二分する鋼の頂点、その西の方。刀か槍かの違いこそあれど、オレたちは最もうつくしきものだ。ひとがたの方はさておき。

 

「あー、東の刀は来てねえんだったか?」

「む、童子切はいないのか?俺はまだ全員と顔を合わせたわけではないんだが」

「よそも含めてそういう話は聞かねえんだよなあ」

「そうか。このような状況なら俺の方が上だと示せると思ったのだが……」

 東西の両横綱はどちらが上というでもないらしく、けれど一方で童子切安綱だけが天下五剣に数えられているのだという。

「天下五剣、ねえ。(オレ)に言われてもなあ」

「まあ確かに俺も槍の良し悪しはよくわからんが」

「けどまあ、あれだ。手前で手前の価値がわかってんならそれでいいんじゃねえか」

 他者からの評価なんてのはおまけみたいなものだ。武勲も逸話も名の知れた主も、位とて不要。ただオレが日本号(オレ)であるだけでこの身の価値は十全に担保されている。

 

「……おまえは、三名槍に数えられているからそんなことが言えるのではないか?」

「あー、そう見えんのか。なるほど」

 天下を二分する刀でありながら天下五剣に入らない、と言うこいつからするとそうなるのか。しかしオレは天下三槍以前に正三位の位持ち、そしてその前に日の本一の槍だ。オレが三名槍に数えられているのではない。あとの二振りがオレと並び称されているのだ。と言ったんだが。

「……とりあえず相容れんということはわかった」

 正直に話したらどん引きされた。解せねえ。

 だいたい蜻蛉のやつだって秋津洲になぞらえて日本切と称されるところだったのだ。日本一なんて誰もが名乗りたがる称号にどれほどの意味があるというのだろう。とまあこれもまた傲慢だと言われるんだろうが。

 

「アンタは、どうしてここに来たんだ」

 仮にも古備前の千年刀、そして一方でこれだけ我の強く眩しいくらいに優しい刀だ。救いたいものがないとは思えない。日本一と言われるような良い刀なら歴史修正主義者だか正史編纂委員会だか、連中に声をかけられもしただろう。

「どういう意味だ?」

「連中に声かけられなかったのかって話だよ。アンタの依代が鹵獲されたって話は聞かねえからなあ」

「俺は『大包平』だからな。あれだけの評価と扱いをしてもらってその生き様を変えようとは思わんさ」

「そうか」

「……おまえは違うのか」

「オレは池田屋で鹵獲された。……その前の記憶はほとんどないから聞いてくれるなよ」

 御手杵を殺したところで、たとえ折って燃やしてしまったとしても。あの槍が戻るわけではない。ならその時に戻ればと思ったことがないわけではない。というかかつてのオレは事実そう考えたのだろう。市中の陽動部隊は太平洋戦争の阻止が目的だったはずだ。

「…………」

「そこまで露骨に引かなくてもいいだろ……」 

「いや、すまん。そういう身の上の刀は他にもいるのか?」

「ああ。とはいえ微かにでも記憶のあるオレはかなり珍しい方だが」

 連中は刀剣を真に兵器として扱った。依代を通じてしか呼べぬものも現物のある刀剣も一緒くたにして、記憶を封じ、自我を奪い、意図を消して自分たちにとって必要な戦場にだけ送り込んだ。オレはさぞや扱いにくかっただろう。反省も後悔もする必要性は感じないが。

 包平のやつが悩んでいるのはそれだけ多くの刀が歴史改変を試みたことだろうか。それとも歴史改変を試みた刀剣を抱え込んでまで戦っているこちらの戦況についてだろうか。

「池田屋は陽動だ。これは明石国行も同意している。延享の鹵獲刀剣は記憶持ちが今のところこの本丸に来てないんでなんとも言えんが、おそらくあれも本題じゃない。主だって別にお人好しだからオレたちを抱え込んでるわけじゃねえよ」

「……お前は、」

 こちらを見る鋼色の瞳に疑念が浮かぶ。そういう思いがあることまでは否定しない。だがオレが数だけでくくられる槍の一振りとなってまで救おうとした奴らの一振りは、多少歪ではあれどこの本丸にいるのだ。

「まあ、救いたいやつがいないつったら嘘になる。だがもうこの世にないやつもここなら呼べるからな」

「聞いていないぞ、そんなこと……」

「薬研通か、加州清光って赤目の打刀に会ってないか?」

 清光は近侍刀をつとめることが多いし、薬研通吉光は夜戦部隊の隊長を任されている。顕現直後の本丸の案内はこのどちらかが請け負っただろう。

「加州清光には会ったぞ。なにせ近侍刀ということだったからな。……待て、あれが現存していないと?」

 現存刀と何も違いがわからない、と言うがオレだってわからん。

「あいつはそれこそ今話に出た池田屋で折れている」

 おう、そりゃ混乱するよな。

 自分が失われるという歴史を守る。それがどれほどの苦痛でありどれほどの誉であったのか、オレには想像も付かない。きっと包平からしてもそうだろう。だが彼らはたしかにそこまでの覚悟を決めていた。それを見せられて厚顔にも裏切りに走れるほどオレというものは安くはないのだという、それだけだ。言葉にすれば、オレがここにいる理由なんてそれだけのことだった。

 たとえ練度(レベル)が1でも、主が無名でも、位階が失効しているだろうと言われても、自身がここに数ある刀剣の一つに過ぎなくても、それでもこの槍(オレ)がここにあるのだから。自分自身にかけて、矜持を汚すような真似はできない。

 

 

 

 雨が降るたび、オレと御手杵は床を共にした。抱くこともあれば、文字通りに同衾するだけのこともあった。

 

 

 

 溺れるのは酒に失礼だというのがオレの持論だ。だからというとこいつに悪いが、御手杵を抱いた翌日は酒を控えている(飲まないとは言ってねえが)。なんというか、あれに欲情していることそのものが方々に悪いと思ってしまうのだ。東の槍の屍を抱いているのならまだマシで、あれは手杵の子のように見えるのだ。死んだ友人の子、それも生まれて自分の半分も過ごしていないような赤子を抱いているような気がしてしまう。その感情そのものがまた御手杵に失礼だというのもわかっている。わかっているけれど、オレにとってあのひとがたは天下三槍ではあれど東西二名槍とは呼べない。オレがそう呼ぶのは後にも先にもただ一条だ。

 

 髪の長さと今一つ締まらない表情を除けば、この男は手杵に瓜二つだった。こうしてこいつが目を閉じていると尚更それが顕著で、手杵のやつが還ってきたような気になる。

 並べた布団越しにそろそろと手を伸ばして、恐る恐るに額へ触れた。瞼が上がって、榛色の瞳が顔を出す。

 

「どうかしたのか?」

「……いいや、なんでもねえ」

 

「そっか。……なあ」

 この槍がどうしようもなく東の御手杵を忘れられないのを俺は知っている。俺が炎の夢に魘されてるときなんかは、こっちまで悲しくなるような顔をするのだ。だからどれだけ気休めに過ぎないとしても一回くらい俺はこいつに言っておくべきなのだろう。誰も等しく御手杵の槍を愛していたということを。ただその果てがああであったというだけなんだ。

「俺は燃えて消えたけど、それが悲しいことだとは言われたくないな」

 だって愛されていたんだ。どうしようもなく大事にされていたんだよ。俺にだって伝わるくらいそれは明らかなんだ。裏目に出たくらいでその愛を否定して欲しくはない。

 

「なあオレは、」

 御手杵がゆっくりと首を振る。言ってくれるなと、比べてなどくれるなと。

 

 今がどれだけ幸福だったとしても、全部いつか覚める夢でしかない。それでいい。愛に溺れて戦から引きはがされるくらいなら、恋に溺れてお前の心を失うくらいなら。おれたちはこれでいいんだ。

 

 もしも手杵が燃えてしまう前にこうなっていたのなら、お前は今でもあの夜以前のように笑ってくれたのだろうか。それとも、何百年も先にお前たちの笑顔を失っただけだったろうか。

 オレはずっと待っている。この夢が終わる日を、これが夢だと告げられる日を。希望を捨てても良いと言われるその時を。ふと気づくとガラスケースの中に収まっていることを。五感のどれとも六感ともしれぬ茫洋とした知覚だけの鋼に戻る日、色変わりする目の日本号(にほんごう)から倶利伽羅竜と螺鈿柄の日本号(ひのもとごう)に還る時を。手杵(おまえ)を救えるのではないかと思わずに済む日々を待っている。

 

 

 今日も、雨が降っている。

 

 



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