少しだけ時間を遡る。
同盟、フェザーンの侵攻も小康状態となった宇宙暦796年/帝国暦487年12月10日、連合行政府に来ていたヤン・ウェンリーはオーベルシュタインに呼ばれた。
ローザを伴って入ったその一室にはウォーリック宇宙艦隊司令長官代理とオーベルシュタイン、情報局長補佐アントン・フェルナー大佐、捕虜となっていたライアル・アッシュビー、フレデリカ・グリーンヒルがいた。
ヤンは呑気な感想を述べた。
「なかなか珍しい集まりですね」
オーベルシュタインが答えた。
「まだあまり広めたくはない話なので、少数の関係者だけ集まってもらいました。ヤン提督には同盟出身者としても見解を伺いたい。フェルナー大佐は、ライアル・アッシュビー中将の調査を担当しています。……統帥本部が私に付けたお目付役でもあるようですが」
フェルナーは本気で心外そうな顔をして答えた。
「とんでもない。私は局長の忠実な部下ですよ」
「ふん」
どうやらオーベルシュタイン少将のお目付役としては適任そうだなとヤンは思った。
オーベルシュタインは仕切り直した。
「用件に戻りますが、情報局はライアル・アッシュビー中将自身の同意の元、彼の遺伝子検査を行ないました。それでわかった事ですが、彼がブルース・アッシュビーの血縁というのは本当のことのようです」
ウォーリックが感慨深げな表情をした。
「ほう、それでは俺は本当に2代目対決に勝利したのだな。あの世で親父も喜んでいるかもな」
「それで話が終わればよかったのですが」
と、オーベルシュタインは続けた。
「連合が持つブルース・アッシュビーのゲノム情報は不完全ですが、それでも言えることはあります。ライアル・アッシュビーのゲノム情報はブルース・アッシュビーのそれと完全に一致しました」
それが何を意味するか、参加者には想像がついていた。
ローザが思わず呟いた。
「クローン……」
オーベルシュタインは頷いた。
「おそらくそうだろうな。だがそれは言うまでもなく禁忌技術だ。推測できるところもあるが、できれば本人の口から聞きたいと思ってな。……ああ、本当はもう少し早く聞きたかったのだが、アッシュビー提督の頭部の怪我が思いのほか深く、回復されたのが最近なのだ。それはともかく、アッシュビー提督、お話頂けますか?」
何故か目を泳がせているフレデリカの隣で、ライアル・アッシュビーが答えた。
「私の立場からすればもはや隠すことでもない。知っていることは話そう」
ライアル・アッシュビーの話が始まった。それは同盟の秘史というべきものだった。
「ブルース・アッシュビーの死後、同盟軍の中にとある組織が出来た。その名は「エンダースクール」。名前の由来は創立者の名前だとも、人類が地球に留まっていた頃の年少の英雄の名だとも噂されていたが、まあそれは重要ではないだろう。
それは最初はブルース・アッシュビーに続く次代の英雄を育てるための組織だった。同盟軍関係者の子弟の中で見込みのある子弟に幼少時から英才教育を施す組織だ。
帝国や連合の幼年学校と似ていると言えば似ている。違うのは非公開だったことだが。まあ、当初は大した秘密でもなかったので、噂は広まっていたがな」
ヤン・ウェンリーが口を挟んだ。
「たしかに、軍関係者の子弟に英才教育を行う組織があるという噂はあったな」
アッシュビーは話を続けた。
「エンダースクールは、期待と裏腹に大した成果は上げなかったらしい。
しかし、資金難に陥ったところにフェザーンが投資を持ちかけたことでエンダースクールは変質した。
ブルース・アッシュビーの後継者ではなく、ブルース・アッシュビー自身を生み出すための組織に。
ブルース・アッシュビーの血液検体からゲノム情報が調べられ、染色体が合成され、受精卵が作られ、代理母の子宮で育てられた。そして生まれたのがブルース・アッシュビーのクローンだ。
クローンは用意された教育環境で英才教育が施されたが、アッシュビーの能力を持った存在はなかなか出てこなかった。
環境の違い、ゲノム修飾の違い、理由はいくらでも考えられた。化学的な擬似記憶の移植処置、遺伝子発現レベルの調整、アッシュビー・クローン同士の殺し合い……試行錯誤が続けられ、その数だけ失敗作が生まれて処分された。
かけたコストに見合わぬ成果、もはや誰も止め時を見失っていた。
そんな時に生まれたのが私だった。
187体目のアッシュビー・クローン。
何が要因だったのかというと正直分からないが、私はブルース・アッシュビーと同等と言える戦術能力と相応のカリスマを備えていた。
私は別の名を与えられ、整形すら施され、士官学校に入学し、しばらくはただの軍人として活動した。必要な時に同盟やフェザーンの役に立つように。まあ私に関しては後はご承知の通りだ」
あまりの話に参加者は何も言えなかった。
アッシュビーが重苦しい雰囲気に気づき、言葉を重ねた。
「ああ、同情は不要だ。私自身が死んだわけでもなし。今や英雄でなければならないという呪縛もない。清々しささえ感じているぐらいだ」
オーベルシュタインが話を促した。
「エンダースクールの今について教えて欲しい。なくなったわけではないようですが」
「エンダースクールは、私というひとまずの成功例を生み出したことでようやく自分達を省みる余裕ができた。彼らは気づいたのだ。結局はクローンなどに頼らず、見込みのある子供に英才教育を施す方がまだしも効率的だということに。
それからのエンダースクールは、軍関係者の子弟に対する英才教育組織として機能した。初期のように。
私を生み出すための実験から教育ノウハウを得たこともあり、これは一定の成果を生み出した。
ここにいるフレデリカ・グリーンヒル中尉もエンダースクール出身者だ。彼女は常識離れした記憶力と情報解析能力を持っている。私の作戦にも不可欠な人材だった」
視線が集まって、フレデリカは恥ずかしそうにしていた。
興味深そうに見ているヤンの隣ではローザが不機嫌そうな顔をしていた。
「用心したまえ」
と、ライアル・アッシュビーは言った。
「エンダースクールの成功作と言える存在は彼女の他にも何人かいる。それに最近、エンダースクール史上最高の傑作が出たという噂もある」
オーベルシュタインが尋ねた。
「あなたを超える能力の持ち主なのか?」
「あくまで噂だ。それ以上の情報はないさ。私は戦術では誰にも負けるつもりも、負けたつもりもないしな」
そう言ってライアル・アッシュビーはウォーリックの方を見た。
アッシュビーからの聴取が終わり、艦隊が駐留する南部に戻るため旗艦パトロクロスに移動する途上、ローザはヤンに尋ねた。
「ライアル・アッシュビーの副官をどう思いましたか?」
「フレデリカ・グリーンヒル中尉のことか。うーん、情報解析のノウハウを一度ご教示願いたいところだけど。あと、美人だ」
「……閣下は彼女とはあまり関わらない方が良いと思いますわ」
「何故だい?」
「女の勘です」
「そう言われると困るな」
「……閣下、エルランゲンの危機の時、私はまだ軍人ではなく、ただの伯爵家の令嬢でした。閣下はまだ中尉で、食事をする暇もろくになくてサンドイッチを齧りながら脱出の指揮をとっていました。そのサンドイッチを喉に詰まらせた時、私が紙コップに紅茶をいれて持って行ったのですが覚えていらっしゃいますか?」
「……」
「その時閣下が何と仰ったかも?」
「……何と言った?」
「こんな美味しい紅茶は飲んだことがない、船の上でも飲めたらいいのに、と」
「……私の言いそうなことだ」
「……」
「……ラウエ少佐、まさか少佐が軍に入ったのは私に紅茶を振る舞うためではないよな?」
「それは流石に違います。私にも色々と事情がありますから。ですが、軍で閣下にまたお会いしたいと思っていたのも事実です」
「……あの時の紅茶の味は覚えているよ。でも不思議と今の方が美味しい気がするんだ」
「練習しましたから」
ローザはそう言って微笑んだ。
それから二週間後、北部旧連合領が同盟に占領されたとの報告が連合に届いた。
作戦実施者の名はアンドリュー・フォーク少将。
「用心したまえ」
連合の幾人かは、アッシュビーの言葉を思い出した。
この話で違和感を感じる人が多いようですので、先にネタバレしてしまいますが、
フォーク少将がエンダースクール史上最高の傑作というわけではありません(次話をご参照)。