ファルスター星域で会戦が始まった頃、
モールゲンでは、アンドリュー・フォークが秘密裏に療養を続けていた。
チョコボンボンの差し入れが届けられてそれを見たフォークが再度卒倒するという一幕があったものの、現在ではまともな会話が成立する程度には回復を見せていた。
とはいえ敵襲以外での外部との接触は、宇宙艦隊総司令官の名で固く禁じられていたが。
そのフォークの部屋の前に、モールゲン同盟軍基地司令官セレブレッゼ中将の副官サンバーグが駆け込んで来た。
フォークの護衛と監視を命じられていたシムズ軍曹が用件を問い質した。
「敵襲以外でフォーク中将を起こすなというのが、ドーソン総司令官のご命令です」
「だからその敵襲だ!」
連合軍二個艦隊二万隻がモールゲンに侵入したのだ。
セレブレッゼ中将は突然の事態に動揺していた。彼は後方支援のスペシャリストであり、防衛戦についてはまったく経験がなかった。このため、フォークに頼らざるを得なかったのだ。
「落ち着きたまえ、セレブレッゼ中将。このアンドリュー・フォークがいれば例え敵に想像を絶する新兵器があろうと恐るるに足りん!」
久々に解放されたフォークは自信に満ち溢れていた。頼られるということが何よりの精神安定剤となっていたのだ。
「何でもよいが、戦闘指揮は専門の人間に任せるさ」
自分以外に指揮を押し付けられるなら誰でもいいというのがセレブレッゼ中将の本音だった。
「連合軍は二万隻、二個艦隊というが、実質一個半艦隊だ。現在モールゲンにはキャボット少将率いる八千隻と、アルテミスⅡがある。アルテミスⅡは最新技術によってハイネセンの物より攻撃力を増している。その戦力は二個艦隊に迫るものがある。それにこのフォークがいれば、負けることの方が難しいだろう」
「なるほど……」
セレブレッゼ中将は納得したが、サンバーグ少佐には疑問があった。
「しかしそれは連合軍も承知だったはず。ここに来たということは何かしら勝算があるということではないのですか?」
「たしかに……」
「おそらく、勝算はない」
「えっ!?」
「どういうことだ?フォーク中将!」
「彼らの目的は、連合がモールゲンに侵攻したという事実をつくるということだろう。これが現在決戦中の同盟軍に伝われば動揺を生むだろう。下手すれば撤退ということになりかねない」
「なるほど……」
再度納得するセレブレッゼであったが、サンバーグはなおも食い下がった。
「帝国と連合が組んだということですか……驚きですが、しかしそれなら直接ファルスター星域に行って我が軍に強襲をかけた方が早いのでは?」
「それだと連合軍にも損害が出るだろう。連合にとって虎の子の二万隻、本来は一隻足りとも失いたくないだろうからな。戦況によっては帝国軍撤退後に単独で同盟の大軍と戦う羽目にもなりかねんし。」
「たしかに……」
「いちおう筋はとおっているようですな」
ついにはサンバーグも納得した。
「ひとまず、連合軍のことはキャボット少将とアルテミスⅡに任せておけばよい。我々がすべきことは、ファルスター星域で戦う同盟軍に我々の無事を伝えることだ。奴らめ、最初からこのフォークの作戦に従っていれば、このような事態にならずに済んだものを……」
ブツブツと呟きだしたフォークを尻目にセレブレッゼは指示を出した。
「サンバーグ少佐、早速超光速通信の用意を!」
しかしその時、急に基地が暗くなった。陽光が消え去ったのである。
セレブレッゼは不審に思った。
「何だ?モールゲンに日食を起こすような月はないぞ?」
その時には宇宙で事態が進行していたのである。
ウォーリックは、二万隻の艦艇それぞれに多数の氷塊を曳行させていた。
そしてそのまま惑星モールゲンと、それを守るアルテミスⅡを囲む形で停止した。
キャボット少将率いる八千隻は、それを遠方から監視していた。
「奴ら何をするつもりだ。氷塊を放ったとて、アルテミスⅡを破壊することはできんぞ。だが、我々単独で二万隻に当たることも出来ない。ここは様子見か」
キャボットにウォーリックの意図が読めたなら、意地でも彼らの行動を止めに動いただろうが。
ウォーリックは命じた。
「各艦、手筈通り氷塊をアルテミスⅡに向けて放て」
ウォーリック、ケスラー艦隊の各艦はそれぞれ小氷塊群をモールゲンにむけて投射した。氷塊は仮にモールゲンに突入したとしても、大多数が蒸発しきるサイズに最初から分割されていた。
その上でアルテミスⅡ12基のそれぞれに向けて投射されたのだった。
アルテミスⅡはありとあらゆる兵器でこれを迎え撃った。
秒速10km程度で近づく氷塊群は攻撃の格好の的であった。
ミサイルやレールガンは小氷塊群を粉々に砕いた。熱線砲や中性子ビームは砕かれた氷片を水蒸気に変えた。水蒸気は再度氷結し、雲となった。
砕ききれなかった氷塊も、アルテミスⅡの自動回避システムによって回避された。
アルテミスⅡが破壊されることはなく、その周囲に雲が形成されるだけに終わった。
モールゲンとアルテミスⅡを覆う、宇宙空間に広がる巨大な雲を。
この雲によって太陽光は遮られた。
これがウォーリックの狙いであった。
アルテミスの首飾りは太陽光で半永久的に動力を得るシステムである。太陽光によって各種兵器の動力を得ており、動力を失えばレーザーもレールガンも放つことはできなかった。
無論バッテリーは存在したが、それは今や氷塊への攻撃のために消耗し尽くした。ミサイルなら少ない動力で放つことも可能であったが、それも全て氷塊への攻撃で消費されていたのだった。
動力を失ったアルテミスⅡはここに無力化された。
ウォーリックは副官のツェーザー・フォン・ヴァルター少佐に命じた。
「同盟軍八千隻とモールゲン基地に降伏勧告を行え。断られたら攻撃だ。慌てる必要はないさ。それだけの時間は十分にある」
キャボット少将はモールゲンを見捨てることなく勇敢に戦った。だが、それだけだった。残艦艇が一千隻を切った時、キャボット少将は自決し、副官が連合軍に降伏の意思を伝えた。
ウォーリックは降伏処理をケスラー艦隊に任せて、自身は惑星モールゲンに引き返し、再度降伏勧告を行なった。アルテミスⅡは無力化されたままだった。
セレブレッゼは基地司令官として降伏勧告を受諾した。
フォーク中将は、連合軍がキャボット少将と戦っている間に少数の将兵とともに脱出用艦艇に乗って、イゼルローン回廊方面に逃走していた。
ウォーリックはそれを些事として見逃した。その乗員までは把握できていなかったのだ。
ウォーリックはセレブレッゼに依頼した。
「ファルスター星域で戦う同盟軍に、モールゲン占領と連合軍がファルスター星域に進軍中という事実を伝えてくれ」
ウォーリックは、フォイエルバッハ艦隊と連れてきたローゼンリッター第一連隊を含む陸戦隊に基地占領を任せ、麾下の一万隻を率いてファルスター星域に向かった。
モールゲンはアルテミスⅡとともに連合の手中に落ちた。
モールゲン占領の報は、ファルスターで戦う帝国軍と同盟軍に伝わることになった。
連合軍、モールゲン占領!
さらにファルスター星域に向かって移動中!
その報が入った時、ビュコックは耳を疑った。
理由の一つは連合軍が帝国軍と連携することを想定していなかったこと、もう一つは仮に連合軍の攻撃を受けたとしてもモールゲンにはそれに対応するのに十分な戦力を置いていたこと、であった。
ラインハルトは安堵していた。
「遅いと思っていたが、ファルスター星域で直接援軍に来るのではなく、モールゲンの方を攻撃していたとは。方法やタイミングは一任していたとはいえ……アリスター・フォン・ウォーリック、食えぬ奴だ」
ラインハルトは事前に連合軍のウォーリック総司令官と連絡を取り、連携することを約束していたのだ。ラインハルトにとって勝負は既に戦場の外で決していたと言える。
ラインハルトは諸将に指示を出した。
「皆、ここまでよく耐えた。同盟軍は撤退に移るだろう。同盟軍に損害を与える機会を逃すな。追撃を行なう」
ラインハルトの読み通りビュコックは撤退を決断した。
「連合と帝国が連携する可能性を軽視し過ぎたか……古い常識に囚われすぎていたかの。いや、今更言ってもしょうがないな。補給線を絶たれ、帝国、連合に挟撃を受ける前に撤退しよう。問題は大人しく撤退させてくれるかじゃが……」
撤退の指令は艦隊司令官に伝達された。諸将も勝つ前に補給が絶たれることを理解し、指示に従った。
交戦しながらの撤退は難事であった。
本隊に関しては各司令官の熟練の指揮の元、撤退を成功させつつあった。
問題はホーランド艦隊であった。
「ビュコック提督、我々に助けは無用。本隊も苦しいところでしょう。それに我々が不用意に退けば、自由になったミッターマイヤー、ビッテンフェルトが本隊の退路を断つ可能性があります」
「何!?では貴官は本隊の犠牲になるいうのか?」
「犠牲になるつもりはありません。我々は我々で撤退を成功させるつもりです。あのライアル・アッシュビーには無理でしたが、このホーランドは成功させてみせます」
ホーランドは自信に満ちた笑顔を見せた。
「貴官……いや、わかった。貴官の武運を祈る」
「ビュコック提督!」
ホーランドはビュコックを呼び止めた。
「何じゃ」
「万一小官が戻らなかった場合には、ぜひ覚えておいて頂きたい。我が先覚者的戦術は十分に有効であったことを。そしてホーランドは未来に知己を求めに行ったのだと」
「う、うむ……。貴官以外に同じことができるかは疑問じゃが」
「はっはっは。そうでしょうとも!」
面食らったビュコックを尻目にホーランドは通信を切った。
ホーランドは獰猛な笑みを見せつつ檄を飛ばした。
「さてここからが、我々の本領発揮の時だ。諸君、我々は英雄になるぞ!」
ホーランドは、全軍に芸術的艦隊運動を指示をしつつ、限界に至った艦から順に離脱、撤退を命じた。
撤退の指揮はモートンに任せ、自身は最後まで敵中に踏み止まった。
芸術的艦隊運動の嵐が過ぎ去った時、ホーランドの旗艦エピメテウスは単艦敵中に孤立していた。
しかしこの時には、本隊は追撃を受けつつもファルスター星域から撤退を完了していたし、ホーランド艦隊もエピメテウスを除き大多数が撤退していた。十分に役目を果たしたと言える。
ホーランドはこの戦いで還らぬ人となった。
撤退する同盟軍を見ながら、ラインハルトは感嘆の気持ちを禁じ得ないでいた。
「メックリンガー、同盟軍の撤退は敵ながら見事だな。それに、我々がここまで追い込まれるとは正直予想していなかった。敵の指揮官の名はなんといったか」
「アンドリュー・フォーク中将です」
アンドリュー・フォーク……記憶するべき名前がまた一つ出てきたようだな。私の名前でその男に電文を送ってくれ。
貴官の勇戦に敬意を表す。再戦の日まで壮健なれ、と」
ラインハルトは、この会戦の敵手を、最後まで勘違いし続けたままだった。
電文を送られた同盟軍も頭を悩ますことになったが、ビュコックは苦笑しただけで特に何も対処をしなかった。
後にこの電文を知ったフォーク中将だけが狂喜したという。
同盟軍は撤退を続けた。
途中、一部の艦隊はウォーリック艦隊の攻撃を受け、大きな被害を出した。
撤退の過程でアップルトンが戦死し、アル・サレムも重傷を負った。
モールゲンを失っていた同盟軍はイゼルローン回廊内のアルトミュール恒星系に設置された同盟軍基地まで退却した。
最終的に同盟軍は三万六千隻にまで艦艇数を減らしていた。半数を超える三万九千隻の艦艇を失ったことになる。
帝国軍の追撃がより徹底的であれば、より多くの人員と艦艇が失われていただろう。
しかし、帝国軍には大きな問題が発生していた。
リッテンハイム大公の反乱であった。
リッテンハイム大公派の動きは迅速を極め、オーディンは既に制圧され、リヒテンラーデ公は処刑された。
皇帝エルウィン・ヨーゼフ2世、アンネローゼ・フォン・グリューネワルト、キルヒアイス副司令官らの安否も不明となっていた。
リッテンハイム大公は自派閥に加えリヒテンラーデ公の改革に不満を持つ一部貴族とともに軍を興した。
その総司令官の名は、
オスカー・フォン・ロイエンタール。