時の女神が見た夢   作:染色体

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第三部 10話 求めるもの

ファルケンルスト要塞が破壊され、戦況が悪化の一途を辿る中、バグダッシュはユリアンに呼びかけた。

「これは負け戦です。さっさと撤退しましょう!」

「パエッタ提督には撤退を検討するよう伝えてください。しかし第十三艦隊にはまだやらないといけないことがあります」

 

バグダッシュは耳を疑った。

「何ですって!切り札だった要塞が破壊されたじゃないですか」

 

「ファルケンルスト要塞が破壊されたこと自体は別にいいんです」

「どういうことですか?」

 

「表立っては言えませんが、フェザーンの奪回は今回できてもできなくても良かったんです。

連合に要塞を防衛拠点として利用させないことが、最低限果たすべき目標だったのです。

同盟の、連合に対する方針は消耗戦を強いることです。

盾となる要塞を失ったことで連合は同盟と消耗戦を続けないといけなくなりました。だからそれはいいのです。

問題は、黙って引き下がるには損害があまりにも大きくなり過ぎたことです。

同盟は既にイゼルローン方面で負けました。ここでも惨敗で終わると流石に有権者が黙っていないでしょう。

トリューニヒト議長のために、我々は有権者にわかりやすい成果をつくらないといけません。この命に代えても」

 

バグダッシュは、唖然とした。

しかしバグダッシュが言葉を発する前にシンシアが問いかけた。

「何故、そこまでできるんですか?」

 

「え?」

 

「議長のため、議長のため。神でもないただ一人の人間のために命をかけるなんて、理解できませんよ!」

 

ユリアンは呟いた。

「……期待してくれたんです」

 

「?」

 

「母は早くに死んだ。父は連合領での軍務で滅多に家に戻って来なかった。その間一緒に暮らした祖母は僕を憎んでいた。

トリューニヒト議長だけだったんだ。小さい頃から僕に目をかけて期待してくれたのは。

皆、知らないんだ。価値を見出してもらえないつらさを。期待されることの有り難さを。

トリューニヒト議長の期待に応えられなければ僕は生きている意味がないんだ」

 

バグダッシュの声は諭すようだった。

「そんな深刻になる必要はないと思いますがね。別に議長に限らず、みんなあなたに期待していますよ。私だって、クリスティーン中尉だって」

「ええ、そうですよ。ユリアン君が知らないだけで、期待している人はたくさんいます」

「……ありがとう、二人とも。でもやっぱりまだやれることがあるんだ。もう少し付き合って欲しい。マシュンゴ准尉も」

 

三者は三様に答えた。

「しょうがないですね」

「私は保護者役ですからね。まあいざとなったらすぐ降伏しますけどね。」

「人は運命には逆らえませんから」

 

バグダッシュが尋ねた。

「で、何をやるんです?」

 

「ヤン・ウェンリーの旗艦パトロクロスに乗り込みます。そしてヤン・ウェンリーを捕縛するか、無理なら殺害します」

沈黙が艦橋を包んだ。

 

「……今すぐにでも連合に降伏したくなってきましたよ」

 

「お願いしますよ。この作戦のためには、バグダッシュ少佐の情報、クリスティーン中尉の艦隊運用、それに陸戦隊の力が要るんですから」

 

シンシアは意を決して言った。

「お願いがあります」

 

「何ですか?クリスティーン中尉」

 

「一つ、危ない橋を渡るからにはちゃんとヤン・ウェンリーを殺、もとい、倒してくださいね」

 

「は、はい、それは勿論です」

 

それから、とシンシアは続けた。

「二つ、私のことをこれからはシンシアと呼んでください。三つ、この戦いが終ったら一緒に地球を観に行きましょう。二人だけで」

 

「……いいですよ。それで協力してくださるなら」

 

お熱いですなあ、とバグダッシュが茶々を入れた。

「まあ、パトロクロスに突っ込んで降伏した方が生き残れる確率は高いかもしれませんしな」

 

深刻な戦況の中、シヴァの艦橋は妙に明るい空気に包まれていた。歪だが、それはユリアン・ミンツがずっと求めていたものかもしれなかった。

 

 

突入部隊のメンバーはすぐに決まった。

第十三艦隊の有人艦は旗艦シヴァと副司令官デッシュ准将の乗るムフウエセだけであったから。

ユリアンは今回のような事態を想定してシヴァの人員のうち3割を陸戦隊に占めさせていた。

この陸戦隊と一部志願者の合計400人が突入メンバーとなった。

 

陸戦隊を率いるジャワフ大佐は諦めの境地であった。

「パトロクロスに突っ込むということは、ローゼンリッターの隊員と戦うことになるんでしょうな。まあ司令官の命令とあらば仕方ありませんが。全滅する前にどうにかしてくださいよ」

 

陸戦隊員達はもう少し陽性の反応を示した。今まで何ら戦況に寄与できず悶々としていた彼らに、ようやく出番が回って来たのだから。

 

 

 

その時、ヤン艦隊はパエッタの艦隊と戦闘中であった。

 

クリスティーン中尉は第十三艦隊の残存艦を掌握した。分散していた艦艇を集めて艦列を整え、ヤン艦隊に対して突撃を仕掛けた。

 

ヤンはアッテンボローの分艦隊に対応を命じていた。

アッテンボローはよく制御された砲火で第十三艦隊を押し留めようとした。

だが、無人艦隊は損害を気にせず前進を続け、ゼロ距離に至ったところで次々に自爆した。アッテンボローは一時部隊の統率を失った。

 

シヴァと残存部隊はその間にヤンの本隊に突入した。

さらに多くの艦が失われたが、シヴァはついにパトロクロスと邂逅を果たした。

 

シヴァはパトロクロスにぶつかって、停止した。

シヴァには揚陸機能も搭載されていた。パトロクロスに突き刺されたシリンダーから400人が荒々しく突入を果たした。

 

場違いなほど陽気な声がパトロクロスに響いた。

「くたばれ、ヤン・ウェンリー!」

「ペテン師に死を!」

 

ゼッフル粒子が散布され、火器の使用は不可能になった。

 

パトロクロスの艦橋は騒然となった。

 

ワルター・フォン・シェーンコップ准将が対応を指示した。

「ロイシュナー!ドルマン!ハルバッハ!迎撃部隊を組織し、対応にあたれ。ゼブリン!俺の装甲服を持って来い。俺も出る。クラフト! リンツに連絡を取れ!」

 

パトロクロスにいた陸戦隊は、ローゼンリッターより派遣されたシェーンコップ直属の50人のみであった。これに陸戦経験のある乗員150名を加えて、防衛の指揮に当たった。

しかしこれで勢いに乗る400名に対応するのはなかなか難しいと言えた。

 

シェーンコップは一つ、大胆な指示を出した。

 

艦隊後方で待機中だったカスパー・リンツ率いるローゼンリッター第二連隊の強襲揚陸艦に連絡を取り、パトロクロスに強襲接舷させたのだ。

 

これにより、侵入者排除の目算は立ったが、この時には既に敵に前進を許してしまっていた。

 

抵抗が激しくなる中、ジャワフ大佐はユリアン達を先行させた。

「ここは本職の我々に任せてください!四人ならこの先もなんとかなるでしょう!」

 

バグダッシュ、シンシア、マシュンゴ、ユリアンの即席カルテットは、結果的にうまく機能した。

パトロクロスの構造を把握しているバグダッシュが先導し、残りの三人が敵を排除した。ユリアン、マシュンゴは優れた闘士であったし、シンシアも外見に似合わず十分に戦うことができた。

「エンダースクールのバトルゲームが懐かしいですね!」

「あちらの方が難易度は高かったですね」

エンダースクール出身者にだけ通じる会話をしながらユリアン達は前進した。

 

突如、横から戦斧が飛来した。間一髪で、マシュンゴはそれを弾くことに成功した。

 

「ほう、今のを防ぐか」

 

シンシアがその名をさけんだ。

「ローゼンリッターのシェーンコップ!」

 

シェーンコップは芝居掛かった一礼をした。

「私のことをご存知とは光栄です。お嬢さん。ここが戦場でなければぜひディナーにお付き合い頂きたいところですが」

 

マシュンゴがシェーンコップの前に立ちはだかった。

「ここは私に任せて、先に行ってください」

 

「マシュンゴ准尉、死なないで!」

ユリアン達は先を急いだ。

 

「ルイ・マシュンゴ。貴官のことは知っているぞ。交流試合でローゼンリッターの隊員が何人か世話になったからな。だが、俺の相手が務まるというのは思い上がりかもしれないぞ」

 

マシュンゴは首を振って戦斧を構えた。

「人は運命には逆らえませんから」

 

 

 

ついにユリアンは艦橋に辿り着いた。

だが艦橋には多数の人員が武器を持って待ち構えていた。

 

一際高いところにある指揮卓の上に、黒髪の学者のような風貌の男が行儀悪く座っていた。

 

ヤン・ウェンリー!!

 

「待て!降伏する!!!」

艦橋にバグダッシュの大きな声が響いた。

 

何事かと驚く衆目の前で、バグダッシュは小声で付け加えた。

「俺だけね」

 

一同が理解に至る前にユリアンとシンシアが動いた。

ヤン・ウェンリーのもとへ!

 

 

その時、艦橋を走り抜けるユリアンに向けて、突如白刃が閃いた。

シンシアが咄嗟にユリアンを突き飛ばした。

 

それはローザの炭素クリスタルブレードの練達の一撃だった。

ユリアンを狙ったそれは、代わりにシンシアを切り裂いた。

 

「シンシアさん!」

「呼び捨てでいいって言ったでしょ……」

もはや生きているのが不思議な状態だったが、シンシアはローザの足にしがみついて離さなかった。

「離せ!」

「ユリアン、早くヤン・ウェンリーを!そして私の代わりに地球に!」

 

突如艦橋の重力が失われた。

 

ユリアンは、突入部隊の攻撃目標の一つに、艦にとって致命的ではないが重要なもの、重力制御装置を加えていた。

突入部隊の一部は、警備の薄い重力制御装置のコンロール室に辿り着き、参加メンバーの中の工兵隊員がその機能を停止させたのだった。

 

艦橋員は混乱の中に叩き落とされた。

その中でユリアンは水を得た魚となった。

 

バトルゲーム、そしてフライングボールで培った動きで、艦橋を一気に移動し、ついにヤンの前に到着した。

「君がユリアンか……」

「ヤン提督……」

 

二人は奇妙な感覚に囚われていた。お互い、何か場違いなところにいるように思えたのだ。

 

「ユリアン、早く!!」

「ヤン提督逃げて!」

ローザが、シンシアの拘束を振りほどき、驚くべき速度でユリアンの元に向かっていた。

 

ユリアンは我に返ってヤンに戦斧を向けた。

「覚悟!」

「させない!」

 

ユリアンの刃がヤンに届くのと、ユリアンにローザの刃が届くのとは同時であった。

 

0Gの中、血の玉に囲まれて浮かぶヤンにローザが駆け寄るのを見ながらユリアンの意識は消え去った。

 

「ヤン提督、どうして……」

 

それがユリアンの最後の言葉となった。


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