宇宙暦801年/492年 11月1日 神聖銀河帝国根拠地
ジークフリード帝が独立諸侯連合に支援要請を出した頃、神聖銀河帝国では今後の軍事作戦に関して会議が開かれていた。
神聖銀河帝国の軍組織は、ゴールデンバウム王朝のそれに則っていた。
新帝国からの離反者を加え、主要メンバーは以下の通りであった。
最高司令官(統帥本部総長兼宇宙艦隊司令長官)
ルドルフ2世・フォン・ゴールデンバウム
軍務尚書
メルカッツ元帥
軍務省次長
フレーゲル男爵
統帥本部次長
アンスバッハ中将
総参謀長
ユリアン・ミンツ大将
副参謀長
シュトライト少将
親衛隊隊長
モルト大将
憲兵総監
クラーマー上級大将
艦隊司令官
エルラッハ中将
ノルデン中将
コルプト少将
グリルパルツァー中将
クナップシュタイン中将
ゾンバルト中将
クーリヒ中将
アンドリュー・フォーク中将
アーサー・リンチ少将
ブルガーコフ少将
基地司令官
ヴィンクラー中将
ザーム中将
他
陸戦部隊指揮官
キルドルフ准将
ヘルダー准将
他
軍情報局長
ド・ヴィリエ大主教(上級大将待遇)
軍情報局長代理
クリストフ・フォン・バーゼル中将
軍情報局長補佐
レオポルド・シューマッハ准将
オールディス主教(准将待遇)
ベンドリング准将
帝国の内乱で行方不明となった者や、同盟、連合から失踪した者が神聖銀河帝国には多く含まれていた。
この他にもメルカッツ失踪後に自ら地球教に接触し、現在はメルカッツの補佐官を務めるシュナイダー大佐、オフレッサー上級大将の部下だったゼルテ大佐、リッテンハイム大公の死後部下とともに反ローエングラム活動に身を投じたラウディッツ大佐、父親の仇を討つために志願したコンラート・フォン・モーデル少尉、ユリアンの護衛役を自認するルイ・マシュンゴ少尉等、佐官、尉官クラスにも多数の人材を擁し、しかもローエングラム朝の弱体を見て、その数は増える一方であった。
ただ、その根拠地は未だ限られたメンバーのみにしか知らされておらず、仮の拠点としてハルテンベルク伯領にその戦力の多くが集中していた。
作戦会議に出席したのは、ルドルフ2世、メルカッツ、アンスバッハ、ユリアン、シュトライト、ド・ヴィリエ、バーゼル、それに純粋な文官としてレムシャイド、ブレツェリであった。
旧ゴールデンバウム朝門閥貴族・軍人、フェザーン地球教派、地球教の各派の代表者が参加しており、事実上の意思決定機関、利害調整機関の役割も果たしていた。
この少人数の会議での決定事項が、全体の既定路線となるのだ。
ルドルフ2世が、まず諸将を褒めた。
「皆、ここまでよくやってくれた。特にミンツ大将、卿の読み通りになったな」
「勿体無いお言葉。ですが、私は皆様の案にさらに一筆加えただけに過ぎません。何より、ここまでうまく運んだのは運がよかったからに過ぎません。問題はここからです」
前半は気配りが多分に入った言葉だったが、後半はまさしくユリアンの本心だった。
策がうまくハマり過ぎたのだった。
ハルテンベルク伯領で反乱を起こし、そこを起点として神聖銀河帝国の成立を宣言することはド・ヴィリエが事前に準備していたことだった。
しかし、新帝国が神聖銀河帝国の戦力を把握していないことを利用して、帝国の戦力を最大限削るとともに、ルドルフ2世に貴重な実戦経験を積ませることを画策したのはユリアンだった。
また、事前にバーゼルらと接触して内応していたグリルパルツァーとクナップシュタインに関して、その裏切りのタイミングをコントロールしてミッターマイヤーの作戦を頓挫させたのもユリアンだった。
これにレムシャイド侯が実施したゲルラッハ伯爵の内応工作や、ド・ヴィリエらによるラングへの誘導が加わり、今の状況が生み出されていた。
ユリアンとしては、何らかの阻止工作が行われることを想定していたのだが、全てうまくいってしまったのだ。
ユリアンの想定以上に帝国の諜報能力は低下していた。
二度の内乱によって帝国の諜報組織は一度崩壊した。
ワーレンが憲兵総監になり、ラングが再任用されるなど立て直しの努力も行われてはいたが、それ以上に現神聖銀河帝国勢力の浸透が激しかった。
さらにはラインハルトの体調悪化、後継者のキルヒアイスの性格からこの問題は放置されていた。
帝国にとってはそのツケを払う形になったわけである。
また、ユリアンは連合、特に悪名高いオーベルシュタイン率いる情報局の介入を想定していたのだが、それも行われなかった。
新銀河帝国が弱体化した上で、内乱への介入の口実を得たこの状況は、連合にとって好都合でもあった。
それを考えると、オーベルシュタインに泳がされた気もしてくるユリアンであった。
新銀河帝国と神聖銀河帝国だけの争いであれば、帝国を南北に分割する形での講和が早期に成立する可能性もあったはずだった。
だがもはやこの戦いは、それでは終わらないだろう。
ド・ヴィリエの考えも同様であったようだ。
「その通り。ここまでは上手くいったが、ここからが問題だろう。うまく行き過ぎたせいで、かえって連合の介入を引き起こすことになりそうだ。まあ、同盟で事が起きれば連合も我らだけに集中できぬとはいえ、脅威は脅威。これにどう対処すべきか」
レムシャイド侯が意見を述べた。
「連合と偽帝国は同盟を結んでいるわけではない。偽帝国を上回る利を示すことができれば連合と組むことも可能ではないか」
新銀河帝国を偽帝国と呼びつつ、自由惑星同盟、独立諸侯連合を現実に即して独立勢力として認めるのが、神聖銀河帝国の方針であった。
ユリアンがこれに応じた。
「我々が提供でき、連合が利だと感じるものは何でしょうか?メルカッツ元帥はいかが思われますか?」
「うむ。北部旧連合領は戦略上、現時点で連合に回収の意志はない。となれば、短期的には、南部における帝国領の分割、それと二国間の不戦条約でしょうな。しかし……」
ユリアンがメルカッツの言葉を継いだ。
「連合は神聖銀河帝国を信用できない」
メルカッツは頷いた。
ルドルフ2世が問いただした。
「どういうことか?余は自分から約束を違うつもりはないぞ。不戦条約も独立諸侯連合が臣下の礼を取るなら検討の余地はあるだろう」
メルカッツが答えた。
「第一に、地球教というものが連合にとっては信用し難いのです。第二に、それをおいたとしても、ゴールデンバウム王朝の後継国家を任ずる存在を連合は信用し難いのです。連合の諸侯と民は、ゴールデンバウム王朝、特にその権威を嵩にきた門閥貴族への敵対心と恨みを募らせて来ました。度々侵入してきては暴虐の限りを尽くす存在、高貴なる者の義務などないかのように振る舞う存在。神聖銀河帝国がそのような存在を保護する限り、信用などできない」
メルカッツの積年の想いのこもった言葉にその場が凍った。
ルドルフ2世もユリアンも一瞬言葉を挟むことができなかった。
それだけに、メルカッツの言うことが事実だと居並ぶ者達に実感させた。
少ししてメルカッツが言葉を継いだ。
「失礼。年甲斐もなく力が入り過ぎたようです。それに一般論としてはお話しした通りだが、個別の方々まで信用できないというわけではないのです。誤解なきようお願いしたい」
後半は、顔色を失っていたレムシャイド侯に向けての言葉だった。
ルドルフ2世が口を開いた。
「メルカッツ元帥、余は欲望に任せて民に狼藉を働く輩を貴族と認めるつもりはないぞ」
その言葉は事実だった。
実際、地球教信徒の女性に乱暴を働いたとある貴族士官と、それを見ていながら放置したヒルデスハイム伯を、ルドルフ2世は自らの手で処刑していたのだ。
この一件は、ルドルフ2世の大帝もかくやという苛烈な一面を知らしめたし、門閥貴族もその行動を多少は律するようになった。
「存じております。ですが、連合の民がそれを理解するには長い時間が必要でしょうな」
ユリアンは補足した。
「一定の領土割譲は、偽帝国も認めるところでしょうし、不戦条約の締結についても偽帝国の方を連合は信用するでしょう。それに……連合はおそらくメルカッツ元帥の帰還を求めて来ます」
「そうか、それはそれで困るな。……余は正直なところ連合の諸侯達を買っておったのだがな。協調出来ぬとあらば仕方あるまい」
だがレムシャイド侯はあえて連合への特使の派遣を提案した。
「こちらから選択肢を狭める必要もないでしょう。交渉の姿勢を見せておくこと自体は、今後の布石となり得るかと」
ルドルフ2世はこれに賛成し、人選はレムシャイド侯に任されることになった。
メルカッツが議論を進めた。
「さて、ひとまずは連合が敵となる前提で戦略を考える必要があると思いますが、その場合、偽帝国と連合の二勢力を相手に我々はどう戦うべきでしょうな」
シュトライトが補足した。
「単純な戦力は我が軍の二倍になります。策なしで挑んだ場合、まず勝利は難しくなるでしょう」
ルドルフ2世が提案した。
「二勢力が合流する前に各個撃破すべきだろうな。幸い我らの根拠地は知られておらぬ。連合が侵攻してきても侵攻先には迷うことだろう。つまり、時間が稼げる。
その間、先にオーディンを落とすことも選択肢として考えられると思うが」
メルカッツはこれに賛成しなかった。
「各個撃破という方針自体は間違っておらぬと思いますが、オーディンを戦場とすることは賛成しかねます。敵に有利となり過ぎる」
ルドルフ2世はメルカッツに説明を促した。
「今まで我々は敵が首都星オーディンをがら空きにできないことを利用して、戦力の各個撃破を図って来ました。オーディンあるいはその近郊を戦場とするということは、敵に戦力を集中させてしまうことを意味します。さらにはジークフリード帝、ミッターマイヤー、ワーレン、ルッツ、ビッテンフェルトら有能な将帥全員と同時に戦うことにもなります。負けぬとしても、戦いの長期化は避けられません。その間に侵攻して来た連合によって挟撃を受けることになるでしょう」
「では、オーディンまでは攻め込まず、先に漸減を図るとして、偽帝国、連合それぞれの戦力はどの程度となるか」
ユリアンが答えた。
「偽帝国が三万隻、連合は四万隻前後というところですね」
「対するに我らは現時点で五万隻強。今のところ根拠地を攻撃される心配がないゆえ、全軍での出撃が可能だが……シュトライトの申す通り、単純に七万隻を相手にするのは流石に博打に過ぎる」
神聖銀河帝国に鞍替えする者はその後も増え、今や戦力は五万隻を超えるまでになっていた。
シュトライトが進言した。
「やはり「アポローン」システムを使うべきかと」
だがルドルフ2世は渋った。ハードウェアに頼る戦いは、ルドルフ2世の好みではなかったのだ。
「あれに頼るのはよいが、それでももう少し工夫はできないものか。やはり敵がはじめから分断されている状況は活用すべきだろう」
ユリアンが少し考え込んだ末に提案した。
「ここはフォーク中将に活躍してもらいましょう」
ルドルフ2世は耳を疑った。
「アンドリュー・フォーク!?……いや、臣下を無闇に悪く言うつもりはないが、この戦いで彼が活躍できる余地があるのか?」
アンドリュー・フォークは同盟の地球教徒が精神病院から誘拐、保護していたのだが、その不安定さからいささか持て余されていた。それをルドルフ2世はフォークがラインハルトに高く評価されていたという噂を聞き、これを呼び寄せたのだが、実態を見て失望してしまっていたのだ。
「偽帝ジークフリードに対しては大いに活躍できましょう」
ユリアンは、詳しく説明した。
ルドルフ2世は、フォークの効用には最後まで半信半疑ではあったが、アンスバッハやド・ヴィリエ、メルカッツらが賛同したこと、仮に策が失敗しても致命的な事態にはならないことから最終的にはこれを了承した。
最後にルドルフ2世がド・ヴィリエに確認した。
「同盟の方は問題ないな」
ド・ヴィリエはちらとユリアンを見つつ答えた。
「万事順調です。トリューニヒト派も協力の姿勢を示しており、この二週間以内には事が起こせるかと。気がかりなのはトリューニヒト氏本人の居場所がわからないことですが、ミンツ主教、何か聞いてないかね?」
ユリアンはこれに笑顔で答えた。
「いいえ。残念ながらトリューニヒト氏とは数年来連絡を取っておりませんので。しかしトリューニヒト氏は一度襲撃を受けていますから、何かと用心深くもなるだろうとは思います」
会議終了後、ユリアンは自己嫌悪に陥っていた。無論サボタージュするつもりはなかったがそれにしても積極的に提案し過ぎた、と。ユリアンの目的にとって、神聖銀河帝国の勝利は必要ではなかった。
にも関わらず、戦略のグランドデザインをユリアンが提案することになってしまった。
どうやらあの少年皇帝にうまく乗せられてしまったようだ。
立案した戦略のペテンぶりと、戦略を考えた後に自己嫌悪に陥る様子。ユリアンは気づいていないが、ヤンに近しい者、アッテンボローなどが見ればこう言っただろう。ペテン師の後継者がここにいる、と。
ユリアンは思う。
ルドルフ・フォン・ゴールデンバウムもこのように他人の意見を多く容れる人物だったのだろうか。ルドルフにも連邦議会での協力者や頼れる臣下はいたようだから、否定はできない。それでもここまで柔軟ではなかったのではないか。
リヒテンラーデ公、アンスバッハ、シューマッハ准将、ランズベルク伯、ド・ヴィリエ、レムシャイド侯、メルカッツ……
思想や方向性はともかく、有能な人物に囲まれて育ったことが影響を与えたのだろう。
ルドルフ2世は個人として才を持つだけでなく、確実に将に将たる人物に育っている。
ユリアンは、そのような人物の下で能力を発揮することに喜びを見出しつつある自分に戸惑いを隠せないでいた。
「ミンツ主教」
そのユリアンに声をかけてきた者がいた。ド・ヴィリエだった。
ユリアンは笑顔を向けた。
「これは大主教猊下。地球の恩寵のあらんことを」
ド・ヴィリエは聖句を無視した。
「我らの間でそのような挨拶は無用だ。ミンツ主教、そなたは随分とルドルフ2世陛下に肩入れしているようだから一言クギを刺しに来たのだ」
ユリアンは思わず聞き返した。
「クギ、ですか?臣下が忠誠を尽くすのは当たり前ではありませんか」
「我らは臣下である前に地球教徒だ。いや、もっと正直に言おう。地球の名の下に宇宙を手に入れようとする者だ。あの少年皇帝など手駒に過ぎぬ」
それはユリアンも知っていることではあった。だが一言言い返したくなった。
「大主教のお考えは存じております。しかし私の見るところルドルフ2世陛下はまさしく帝王の器に思えます。要職をゴールデンバウム王朝の貴族が占めておりますし、このまま行けば地球教が彼に飲み込まれることになりはしませんか?」
「その下で働く者たちは地球教徒だ。すべては地球教がその首を押さえている。少年皇帝も例外ではない」
ユリアンは聞き咎めた。
「どういうことですか?」
ド・ヴィリエは一見関係ない話をし始めた。
「かつての地球統一政府、いや、銀河連邦時代も含めて、今の文明が劣っているものが一つ明確にある。何かわかるか?」
突然の質問にユリアンは混乱しながらも答えた。
「何でしょうか?人口のコントロールでしょうか?」
ユリアンの答えにド・ヴィリエは少し感心した。
「ふむ……それも確かに一つではあるな。だが正解は、生命科学だ」
言われてみればその通りかもしれないとユリアンは思った。行き過ぎた遺伝子工学の濫用は銀河連邦時代の悪徳の典型としてルドルフに厳しく弾圧された。劣悪遺伝子排除法は、自然に生じたものだけを排除の目的にしていたわけではないのだ。人類を種として弱めるがごとき要素の排除……ルドルフからすれば、遺伝子工学は人類に種としてのタガを外れさせ、ゆくゆくは消滅させる危険性を持つものに映ったのだ。
これにより、生命科学全般の発展が阻害され、その知識は忘れ去られたまま今日に至るのだ。
「生命科学は衰退した。侵すべからざる禁忌となった。ただ一つ、歴史から無視された地球はそれを意図的に保持した。だからこそ、フェザーンはアッシュビークローン、ルドルフクローンを生み出せたのだ」
「大主教猊下、話が見えません」
「まあ聴け。かつて生命科学が可能とした技術にゲノム編集というものがあった。日々摂取するだけで徐々に体中の特定の遺伝子を改変していく薬物。それがゲノム編集技術の到達点だった。サイオキシン麻薬もその亜種だ。使われている技術は大分下等だがな」
ユリアンにはまだ話の行き着く先がわからなかった。
話は続いていた。
「この薬物は知識のないものにはまず検出は不可能だ。そしてこれを日常的に食物や飲み物などから摂取していけば、いずれ生殖細胞を含めて体中の特定の遺伝子が改変されるのだ。……ある専制君主の家系に遺伝子疾患を入れたり、ある青年を若くして死ぬ不治の病としたりな」
ユリアンは衝撃を受けた。
「それはつまり、ラインハルト帝も……」
ド・ヴィリエは笑った。
「想像に任せる。だが、少年皇帝はあらゆる意味で我らの掌中にある。役に立つうちは役立たせ、いずれは、な。……だからミンツ主教も忠誠の対象をゆめゆめ間違えないことだ」
ド・ヴィリエは去って行った。
ユリアンはこの悪夢の世界の闇が、どこまでも深いことを知った。
数日後、独立諸侯連合への特使としてレムシャイド侯の補佐官の一人、ウド・デイター・フンメルが派遣された。
二週間後の11月15日、自由惑星同盟で事が起こった。自由惑星同盟軍内の主戦派によるクーデターであった。