宇宙暦796年/帝国暦487年6月3日 銀河帝国 帝都オーディン
ラインハルトとキルヒアイスが遠征の結果を議論していた。
「ラインハルト様、今回の遠征は失敗のようです。帝国は、北部で領土を拡大したものの、ガイエスブルク要塞と共にフェザーンとの連絡路を失い、また、叛乱軍と直に国境を接することになりました」
「ミュッケンベルガーが負けるかもしれないとは思っていたが、ここまでの結果になるとは。先に侵攻してこちらの侵攻経路を限定・誘導した後、同盟に我らとの対峙を強いて我々の戦力の半数を拘束した。これは一介の戦術家にできることではない。やはりヤン・ウェンリー、只者ではない」
「それにガイエスブルク要塞の奪取」
「ああ。しかし、その方法よりもその意図がどこにあるのかが気になるところだ。ガイエスブルク要塞の戦力が気になるなら、少数の戦力を派遣して攻めるそぶりだけ見せればよかったのだ。フェザーン回廊出口の勢力圏化もだ。単に連合防衛を考えた場合は不要な手だ。新たに勢力圏化した領域も貴族どもの抵抗があるから短期間では統治できまい」
「それでは意味のない手だったと?」
「いや、連合にこの状況を活かす知恵があれば長期的には連合の戦略的状況を改善することにはなるだろうな。しかし同盟にとっては、連合が従属的立場から脱して主体的に行動するようになるだけで決して得にはならない。ヤン・ウェンリーが構想したことに違いはないだろうが、あの男は同盟を捨てて連合につくつもりなのか?」
ラインハルトの疑問にキルヒアイスは答えられなかった。
オーディンに戻ったミュッケンベルガーは、会戦における敗北とガイエスブルク要塞及び南部領失陥の責任から宇宙艦隊司令長官職を辞任した。死罪を求める声もあった。しかし、イゼルローン回廊側では領土を拡大していたことから、公式にはあくまで痛み分けと発表されたため、「皇帝陛下の慈悲」により死罪は免れることとなった。後任はローエングラム伯となり、ローエングラム元帥府が正式に発足したが、敗戦の影響もあり暫くは陣容整備に時が必要であった。また、連合領占領の功でグライフスが元帥に昇進し、宇宙艦隊副司令長官となり、北部占領地域で3個艦隊を率いて同盟と対峙を続けていた。
宇宙暦796年/帝国暦487年6月15日
独立諸侯連合 連合行政府(キッシンゲン星域)
連合は、リューゲンが帝国占領地域に近いことから行政府をキッシンゲン星域に移行させていた。そのキッシンゲン星域において連合の戦勝式典が行われていた。式典嫌いのヤンであったが、今回最大の功労者としてウォーリック記念大勲章を受章することになっていたため、出席せざるを得なかった。ヤンの連合における人気は絶大で、ヴンダー・ヤン(奇跡のヤン)やヤン・デア・マギエル(魔術師ヤン)といった二つ名で呼ばれるようになっていた。ヤンを一代貴族に叙する話もあったが、それはヤンの方から断っていた。
式典を終えた後、クラインゲルト伯は関係者を非公式に呼び集めた。
「我々は北部領土を失った代わりに南部で勢力圏を拡大した。同盟は北部領土の半分を占領した一方で、帝国と半世紀ぶりに国境を接することになった。そして帝国は北部領土の半分を手にした一方、同盟と北部で睨み合いを続けることになり、その一方で、フェザーン連絡路を失うことになった。さて、我々はこれからどうすべきか。今回最大の功労者であるヤン提督の見解を聞きたい。」
ヤンは困ったような表情をした。
「一つ言っておかないといけないのは、私は同盟の軍人ということです。連合の進路を決めるのはあなた方です。」
「それはその通りでしょうが、しかしこのように状況を動かしたのはあなただ。何か見通しは持っているのでしょう?」
そのように問うクロプシュトックの声には、以前のような険はなかった。
ヤンは仕方なしに答えた。
「……そうですね。連合にとって重要なのはフェザーンとどう関わるか、です。」
集まった一同の表情に驚きが現れた。
「同盟でも帝国でもなくフェザーン?」
「ええ、今回の一件ではフェザーンが最も困った立場になりました。帝国との連絡線を断たれたのですから、交易国家としては致命的です。連合にとってはこのフェザーンと、共存共栄を目指すか、それとも消滅させるかが問題となります」
「消滅……」誰かが呻いた。
「フェザーンと共存することを選択するなら、連合を経由して帝国と交易することをフェザーンに認めればいい。彼らは裏で画策することはやめないでしょうが、表立って連合に敵対することはないでしょう。できれば相互防衛条約でも結ぶのが理想的です。これまでのようにフェザーン傭兵に悩まされることもなくなり、連合にとっては今までより望ましい状況になるでしょう。お互いの立場がありますからすぐには難しいでしょうが、将来的には緩やかに統合していく道を探ってもいい」
一同の理解が追いついた頃合いを見計らってヤンは続けた。
「もう一つはフェザーンを消滅させる道になります。対立と言い換えてもいいのですが、残念ながら今の連合にはフェザーンと帝国の二国を相手取って長期的に対立を続けるだけの経済力・軍事力がない。このため、連合は対立を選択するならばすぐにでもフェザーン占拠を目指すべきです。フェザーンの軍事力は連合に大きく劣ります。何よりフェザーンにはフェザーン本星しかない。これを短期間に占領することは連合の軍事力でも可能です。あるいは圧力と交渉によって平和裏に併合することも可能かもしれません」
メルカッツが尋ねた。
「軍事的には可能でしょうな。しかし、同盟や帝国がそれを許すかどうか」
「事が始まる前にお伺いをたてたならそうでしょう。しかし、短期間にフェザーンを占領し、彼らが保有していた国債の無効化を宣言すれば?帝国はともかく、同盟に力を失ったフェザーンを助ける義理はありません」
驚愕、納得、様々な感情が場に充満した。
「フェザーンと組むにしろ、併合するにしろ、これによって連合は長期的に国力を増し、晴れて帝国及び同盟と抗し得る第三勢力となることが出来ます」益州を得て蜀を建国した劉備のように、とヤンは頭の中で付け足した。
「同盟と抗し得る、とはヤン提督はなかなか恐ろしいことを仰る」
「皆さんも仮に同盟が帝国を打倒したなら、と、考えたことはあるでしょう。フェザーンも連合も帝国と同盟が争っていたからこそ今まで存在してこられました。この後も今までと同じ立場に甘んずるか、違う道を取るかはあなた方次第です」
沈黙が場を支配した。ややあってウォーリックがスクリーン越しにヤンに話しかけた。ウォーリックのみは南部において艦隊を率いて南部占領地域の平定を進めており、任地から通信で参加していた。
「ヤン提督、あなたは同盟軍人というより歴史学者のように語るのですね」
「私にとってそれは褒め言葉です」
「そのように客観的に銀河のことを考えられるのなら、我が父と同じように、いっそのこと連合に帰属したらいかがか?我々は歓迎しますよ」
「私はこれでも民主共和制に愛着がありますから。人類が選び得る次善の政体として。あなた方の実践する高貴なる者の義務も興味深くはありますが、あくまで歴史学の対象としてです」
「残念です。我々は有能な戦略家無しでこの激動の時代を乗り越えないといけないようだ」
「果たしてそうでしょうか?」
ヤンはウォーリックの目を見ながら続けた。
「私の本来の案ではガイエスブルク要塞には少数の牽制部隊を送るだけの筈でした。私にガイエスブルク要塞を落とすことを提案し、アイゾールの戦いの後には南部帝国領の勢力圏化を進めたあなたなら、この状況も最初から見えていたのでは」
ウォーリックは父親のように芝居がかった動作で答えた。
「買い被りですよ。私は父同様一流半止まりの男です。今回も状況に乗ることしかできなかった。私は、あなたなら何か策を持っているかもしれないと、そう思って尋ねただけです。まさか本当にガイエスブルクを落としてしまうとは。」
やれやれ、物ぐさなはずなのに、頼まれるとついやってしまう、これは私の悪い癖なのかもしれないとヤンは思った。
「そういうことにしておきましょうか」
同盟本国では政権の中途半端な判断に批判が集まっていた。また、秘密会合の内容もどこからかリークされて大問題となっていた。
「政権の人気取りを理由に方針決定が行われたのか!」
「北部領土を帝国に抑えられたのは大きな失敗だ。艦隊を派遣するなら北部領土を帝国より先に解放すべきだったのだ」
「帝国と国境を接することになり、結果的に防衛負担が増えることになった。こうなる前に連合を支援すべきだったのだ」
一方で、ヤンに対しても賛否両論があった。
「難攻不落のガイエスブルク要塞を落とし、帝国の侵攻を防いだ手腕は賞賛するしかない」
「ヤン提督のしたことは全て連合の利益になっただけで、同盟にとっては今後の苦労が増えただけではないか」
「ヤン提督は与えられた任務を忠実に果たしたのだ」
「ヤン提督は、同盟で勤務していた頃は穀潰しだの昼寝だのと言われていたそうではないか。それがエルランゲンの英雄、アルタイルの英雄と持て囃され、同盟よりも連合に愛着を持っているのではないか」
「ヤン提督は自ら招いた帝国の脅威をどうするつもりなのか」
ヤンは連合の民衆からは絶大な人気があったが、同盟市民からはそれほど認知も支持もされていなかったのだ。
宇宙暦796年/帝国暦487年6月のうちに、サンフォード政権は次の選挙を待たずに倒れ、トリューニヒトが暫定議長に選任されることになった。
自宅の書斎でトリューニヒトは祝杯をあげていた。
「フェザーンの予想とは大分異なる結果となったようだが、私にとってはまず満足できる結果になった。しかし、ヤン・ウェンリー、連合、いずれも私が帝国を打倒した国家元首となるには邪魔な存在だ。しばらくは、フェザーンの思惑に乗ってやるとするか」
シトレ元帥も当初の思惑通りにはいかず、ロボス元帥と共に辞任することになった。統合作戦本部長にはグリーンヒル大将、宇宙艦隊司令長官にはドーソン大将が後任となった。ヤン・ウェンリーも中将に昇進し、駐留艦隊司令官にひとまず留任されたが、駐留艦隊の戦力補充は行われなかった。