挙国一致救国会議のメンバーは、その報告に耳を疑った。
ルグランジュ提督率いる第九艦隊がまるごと敵に寝返ったなど、到底信じられる話ではなかった。
詳細が判明すると、彼らの困惑はさらに深まることになった。
『……だが人は若き日の彼を、キャプテン・アッシュビーと呼んだ……』
会議の場では、アッシュビー艦隊から発せられた緊急通信の内容が繰り返し流されていた。
コーネフ中将は吐き捨てた。
「キャプテン・アッシュビーだと。ふざけた真似を!」
それに応じたエベンス准将の声は冷ややかだった。
「ですが、それに見事にしてやられたのも事実です。ウィンザー女史、あなたの仕掛けは見事に裏目に出ましたな。将兵に多大な負担を強いておいてこのざま。何か一言くらいあってしかるべきでは?」
当のウィンザー女史は平然としていた。
「裏目?ルグランジュ提督は十分に役目を果たしたじゃない。まあ、想定とは少し違った形にはなったのは認めるけれど。まるごと降伏したルグランジュ艦隊の面倒を見るためにアッシュビーは貴重な時間を浪費したわ。お陰で次の手が間に合いそうでしょう?ねえ、ロックウェル大将?」
ロックウェル大将は渋々といった態で答えた。
「まあ、それはそうだが」
「それに次の手は将兵への負担などないし、アッシュビーに手玉にとられることもないわ。それなら文句ないでしょう?」
だが、今度もまた狂った作戦であるのには変わりがないではないか。その思いを、居並ぶメンバーはなんとか飲み込んだ。
「ハイネセンを目前にして絶望に歪むアッシュビーの顔が見ものね。あは、あはははははは」
サディスティックな本性を隠しもせず、ウィンザーは笑い出した。
諸将の目には彼女が精神の均衡を失っているように見えた。
ヴァンス主教は、その無表情の仮面の下で思った。
サイオキシンを摂取させ過ぎたか。この女に利用価値があるのも、せいぜいこのクーデターが終わる時までだな、と。
アッシュビーの通信動画は、未だに流れ続けていた。
『……そうだ、アッシュビー、キャプテン・アッシュビーだ』
エベンスはそれを見やりながら思った。
自分もかつてはキャプテン・アッシュビーに憧れて同盟軍に入った筈ではなかったか。これではまるで敵役の悪の結社の一員ではないか、と。
「楽しい楽しいキャプテン・アッシュビー・ショーも次で終幕よ!あはははははきゃはははは」
流れるアッシュビーの歌声を打ち消すように、コーネリア・ウィンザーの哄笑はますます大きくなっていった。
宇宙暦801年12月2日 フェザーン回廊出口
後処理が終わり、第九艦隊からの物資提供を受けてアッシュビーは再度バーラト星系に向けて出航しようとしていた。
恭順した第九艦隊への対応に、予定よりも時間を要してしまった形である。
「後方は私におまかせください!」
目がキラキラしたままのルグランジュ提督とその幕僚達に不安を覚えたが、何かあればホーランド提督がどうにかするだろうとアッシュビーは自分自身に言い聞かせた。
「よろしく頼む。……君達も今日から730年マフィアだ!」
「「「光栄です!キャプテン・アッシュビー!」」」
ルグランジュ達の歓呼の声から逃げるようにして、アッシュビーはバーラト星系に向けて出発した。
ルグランジュ提督は、アッシュビーの後方支援とともに、挙国一致救国会議によって占拠された基地の解放を進めることになった。
バーラト星系への途上、アッシュビーは意外な来訪者を迎えることになった。
戦艦ユリシーズとその搭乗者ドワイト・グリーンヒル大将である。
「グリーンヒル大将、消息を絶たれたと聞きましたが、今までどうされていたのですか?」
「救国会議派の部隊の襲撃を受けそうになったのだが、救国会議に世話をしたことのある旧知の者がいてな。逃げるよう事前に知らせてくれたのだ。難を逃れるためにしばらく近在の小惑星帯に身を潜めていた。君達が近くに来たことを知ったので、こうして出て来たというわけだ」
「そうでしたか」
アッシュビーは多少不審に思ったが、ドワイト・グリーンヒルが地球教対策チームのメンバーであることは知っていたため、警戒するほどとは思っていなかった。
「ところで」
ドワイト・グリーンヒルは急にそわそわし出した。
「娘……フレデリカ・グリーンヒル中尉の姿が見えないようだが」
「中尉は、体調を崩していて自室で休んでいます」
「そうか。中尉に伝えて欲しい。体調が回復したら一度会いたいと。いや、娘に嫌われているのはわかっているのだが」
「承知しました。ではひとまず部屋にご案内します」
この時、アッシュビーは後ろを向いていたため、気がつかなかった。
アッシュビーを見るドワイト・グリーンヒルの目に、殺気がこもっていたことを。
ドワイト・グリーンヒルを案内した後、アッシュビーはフレデリカの部屋に寄った。
「仮病は治ったか?」
「たったいま悪化しました」
「……フレデリカ中尉、お父上が会いたがっていたぞ」
「私は会いたくありませんわ」
「そんな。一つ間違えたらお父上は死んでいて、もう会えなかったかもしれないんだぞ。会えるうちに会っておくべきだ。男手一つで育ててくれたんだろう?」
フレデリカは珍しく感情をむき出しにした。
「育てた?あの人が?あの人のやったことは、エンダースクールに放り込んだことと、その後続けて士官学校に押し込んだこと、その二つだけよ!親らしいことなんて何もしてくれなかったわ」
「それをお父上にぶつけたらいいじゃないか。お父上にはお父上で言いたいことがあるだろう。陳腐な言い草と思うかもしれないが、お父上なりの事情があったかもしれない。話せる機会を無駄にすべきではない」
「あなたに何がわかるのよ!」
そう叫んでからフレデリカは気がついた。この人には父親も母親もいないのだ、と。
「あ……ごめんなさい」
「いや、いいさ。まあそういうわけで、せっかく父親がいるんだから、話せるうちに話をしておくべきだと思う。いますぐじゃなくてもいいから少し考えてみてくれ」
フレデリカは逡巡した挙句、頷いた。
2日後、散々迷った挙句、フレデリカは父親に会うことにした。
フレデリカは父親に思っていたことをぶつけた。
私を散々放置しておいて今更父親面するな、と。
ドワイト・グリーンヒルは娘に謝った。多忙を理由に父親らしいことを何もして来なかったことを。
だが、こうも言った。
「初等学校の頃からお前は私に急に冷たくなったじゃないか。これが反抗期というものなのかとずっと思っていた。お前自身私なんかとは関わりたくなかったのだろう?」
この発言はフレデリカをひどく怒らせた。
「あなたが私をエンダースクールなんかに入れたせいでしょう。学校の放課後、休日すべてが苦しい訓練や怪しげな実験に費やされる、その生活がどれだけつらかったか。あなたにはわからなかったの?」
ドワイト・グリーンヒルはただ謝るだけだった。
「すまない。そこまでつらく思っていたなんて知らなかったんだ」
「そもそも私をなぜエンダースクールなんかに入れたのよ!素質のある子供を入学させることが、軍人で栄達を望む者には限りなく強制に近いことだったと今では知っているけど、それでも私は断って欲しかった!」
ドワイト・グリーンヒルは驚いて答えた。
「キャプテン・アッシュビーが大好きで、義理の妹フリーダのような美人諜報員になりたいと言っていたじゃないか。そういう学校があるみたいだと言ったら、ぜひ行きたいと答えたのは、フレデリカ、お前だろう?」
フレデリカは固まった。
「え……私、そんなこと言ってた?」
彼女の父親は頷いた。
「ああ。だから入れたんだ」
フレデリカは自分の記憶を辿ってみた。フレデリカの驚異的な記憶力は幼少の記憶もぼんやりとだが保持していた。
そうしてみると、たしかにそんなことを言っていなくもなかったような気がしてきたのだった。
自分は、その頃からアッシュビーに惑わされる運命だったのかとも思った。
「ということは、私は自分でエンダースクールに行くことを希望しておきながら、お父さんをずっと逆恨みしていたということになるの?」
「……そうなるのかもしれないな。しかし、幼い娘の発言を鵜呑みにすべきではなかったし、エンダースクールの実態をよく調べもしなかったのは明らかに父さんの落ち度だ。だから恨まれても仕方がない」
「そんなことない……お父さんが私にひどいことをするはずがなかったのに……。私、お父さんに相談すればよかった。勝手に信じられなくなって相談できなくなっていたのは私よ」
フレデリカは泣いていた。
「いや、わかってあげられなくてすまなかった」
「ごめんなさい。ごめんなさい、お父さん。大好きだったのに……」
「フレデリカ!」
父子は二十年ぶりに抱きあった。二人とも涙を流しながら。
もつれた糸は、案外簡単に解きほぐすことができたのだった。
様子を見に来たライアル・アッシュビーは仲直りした父娘を見て安堵した。
「なんだ、仲直りできたのですか」
父娘は、話す機会をつくってくれた男に対して揃って答えた。
「「あなた(君)のおかげです(だ)」」
「それはよかった。訊いていいのかわからないが、こんな簡単に解決するとは一体何が問題だったんですか?」
二人は顔を見合わせた。
父娘は、いたいけな少女に道を誤らせた元凶に対して揃って答えた。
「「あなた(君)のせいよ(だ)!」」
「そんな馬鹿な!?」
場が落ち着いた後、ドワイト・グリーンヒルは、アッシュビーに話しかけた。
「訊きづらいのだが、それでも私はフレデリカの父親として訊かねばならない」
アッシュビーはあらたまって応えた。
「なんでしょうか?」
ドワイト・グリーンヒルはしばらく言い淀んでいたが、意を決して訊ねた。
「信じたくはないのだが、君が立場を利用して娘にセクハラをしているという噂は本当なのか?この艦の乗員から聞いた最新の情報だと、娘に美人諜報員フリーダ・アッシュビーのコスプレをさせて、夜な夜な変態的な行為に及んでいるということなんだが」
「「そんなことしていない(わ)!」」
フレデリカとアッシュビーの声が重なった。
ドワイト・グリーンヒルは安堵した。
「そうか、そうだよな。私としたことが噂を鵜呑みにしてしまっていた。すまなかった。それでは公衆の面前で嫌がる娘に何度も結婚を迫っているという噂も嘘だったんだな」
「……」
アッシュビーは、無言で目を逸らした。
「……おい、まさか本当なのか!?」
「……フレデリカ中尉」
「何でしょうか?」
「お父上がさっきからずっとブラスターの手入れをしている気がするのだが」
「……気のせいでしょう」
「俺はブルース・アッシュビーのように味方に撃ち殺されたくはないぞ。どうにか取りなしてくれないか」
「父が迷惑をおかけして申し訳ないですが、一方で自業自得だとも思います」
このままでは仕事に差し支えるため、ドワイト・グリーンヒル大将には早々にユリシーズにお引き取りを願うことになった。