時の女神が見た夢   作:染色体

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第四部 26話 探索の終わり、星々の果つる時

ジークフリード帝にシリウス星系を任せ、ヤン艦隊約八千隻はその星域に向かった。

新帝国軍からはジンツァー大将率いる二千隻が同行した。

ジークフリード帝が来なかった、あるいは来られなかったのは、いまだヤンの考えが仮説に過ぎず、シリウスの方も疎かにできなかったからだった。

 

ヤンが赴いたそこは、ソル星域、太陽(ソル)系外縁だった。

ヤンはそこでアデナウアー少将に天体の組成調査を命じた。

 

幕僚達は噂し合った。ヤン提督は何を考えているのだろう、と。

 

ヤンはブツブツと呟いていた。

「メタンが多い……。やはり難しいか……」

 

 

「そうか……」

ベルトラム准将が急に遠い目をした後に、手を手を打ち鳴らして言った。

「よし!わかった!」

 

ラオ大佐が尋ねた。

「何がわかったんです?」

 

ベルトラムはニヤリと笑った。

「ヤン提督のお考えがわかってしまったんだよ。地球の対極、それはつまり太陽系の中心たる地球に対する太陽系の果て。太陽系外縁の天体のことだったんだ!」

 

「なるほど、それでは星界の頂きとは?」

 

「ふふふ。地球教の奴らは太陽系の枠内で物事を考えているんだ。星界とはつまり太陽系のこと。太陽の重力を考えればわかることだ。太陽が重力井戸の底、外側ほど高い位置の場所ということになる。この太陽系外縁こそが太陽系の頂きというわけだ。すなわち、神聖銀河帝国の根拠地は、最外縁惑星の――」

「えっ!?いや、違うよ。水やメタンばかりの天体は拠点としては使いづらいんじゃないかな」

ベルトラムが言い終わる前にその声に気づいたヤンが否定してきた。

ベルトラムはずっこけた。

 

ヤンは幕僚達に指示を出した。

「太陽系のもっと内側に行こう」

 

 

そこは、太陽系第5惑星木星だった。

ヤンはアッテンボロー少将に命じて木星の衛星の調査を行わせた。ガニメデ、カリスト、エウロパ……ミニ太陽系とも呼べる多彩な衛星群……

かつてそこには定住地も設けられていたが、今やそれも打ち捨てられ、無人の地と化したようだった。

 

ヤンはブツブツと呟いていた。

「これなら……いや……」

 

 

「そうか……」

ベルトラム准将が、再度遠い目をした後に手を打ち鳴らして言った。

「よし!わかった!」

 

ラオ大佐が少しうんざりしながらも尋ねた。

「何がわかったんです?」

 

ベルトラムはニヤリと笑ってスクリーンを指差した。その先にはスクリーンの大部分を占める巨大惑星の姿があった。

「アレを見た瞬間、俺はすべての謎が解けた!!」

 

ラオは冷静に続きを促した。

「それで?」

 

「う、うむ。この木星系こそが神聖銀河帝国の根拠地だったんだよ!」

「な、なんだってー!?……じゃなくて、その理由は?」

 

「かつてのシリウス戦役。この木星系は黒旗軍の最前線拠点となっていた。小惑星帯を挟んで地球と対峙するための拠点。つまり、地球の対極だ!」

 

ラオはベルトラムの話を聞いて、そんな気もしてきた。

「では、星界の頂きの方はどうなんです?」

 

「木星は太陽系最大の惑星。つまりその頂点たる存在なんだ。それにこの大きさだ。地球から見ればシリウスよりも輝いて見えるだろう」

 

「なるほど!」

 

ラオの納得の声に気を良くしたベルトラムは続けた。

「俺が思うに奴らは黒旗軍の設置した基地を――」

「えっ!?いや、違うよ。まあ、否定はできないからいちおう調査はさせていたのだけど、やっぱり違ったみたいだね」

ヤンに再び否定されてベルトラムはまたずっこけた。

 

その様子を見てヤンは頭をかきながら続けた。

「それに、地球から見たら第2惑星の金星の方が明るいよ」

「よし、わかった!それじゃあその金星が」

「いや、違うよ。環境が悪過ぎるて拠点にはしづらいかな」

ベルトラムはついにしゃがみ込んでしまった。

 

マルガレータがたまらずヤンに声をかけた。

「ヤン提督!ベルトラム准将の心が折れそうです。そろそろ神聖銀河帝国の根拠地がどこか教てください!」

 

ベルトラムは体育座りをしながら昏い目をして「あきらめない……それが俺たちにできる唯一の闘い方なんだよ……」などと呟き始めていた。

 

 

ヤンは目を見開いた。

「そうか、そういえば言ってなかったか。ごめん。それじゃあ説明しよう。だけどその前に艦隊を移動させようか」

 

 

ヤンは艦隊に命じた。

「移動目標は、地球だ」

 

 

アッテンボロー少将とジンツァー大将、合計三千隻の艦艇を木星系に残して、ヤン艦隊は地球に向かった。

小惑星帯を越え、火星軌道を越えた。

かつてテラフォーミングされ、多くの人口を抱えていた筈の火星も、この九百年のうちに大気は薄くなり、再び以前の姿を取り戻しつつあった。

 

ヤンは艦隊に、散開しつつ地球に接近することを命じた。

 

あらためてラオが尋ねた。

「ヤン提督、一周回って結局地球が神聖銀河帝国の根拠地なんですか?」

 

ヤンは答えた。

「いや、違うよ」

 

艦橋の片隅に移動して体育座りを続けるベルトラムを多少は心配しつつ、ラオは質問を続けた。

「では、どこでしょうか?」

 

ヤンは艦橋を見回した。

「そろそろわかっている人もいると思うのだけど……」

皆、息を潜めてヤンの話を聞こうとするのみだった。

マルガレータが皆の気持ちを代弁した。

「続けてください。わかっている人もいるかもしれませんが、皆、ベルトラム准将の二の舞いになりたくないんです」

 

気づくとベルトラムがヤンを恨みがましい目で見ていた。

ヤンは苦笑いしつつ話を続けた。

「様々な惑星に進出した人類が地球について語る時、忘れている存在がある。そもそも地球のことすら忘れがちなのだから当たり前なんだけどね。でも、皆本来なら知っていておかしくないんだ。同盟出身者なら特に」

 

皆黙って聞いていた。

 

「それは、他の惑星では殆ど見られない、ある意味で地球特有のもの。巨大衛星の存在さ。それは女神アルテミスが司る星でもある」

 

マルガレータがその名を呟いた。

(ルナ)

 

ヤンは頷いた。

「そうだ。地球の衛星にして最近傍の天体、月こそが神聖銀河帝国の根拠地だ」

 

ラオ大佐が到底信じられないとかぶりを振った。

「しかし、神聖銀河帝国は蜂起まで、数万隻単位の艦隊を隠していたはずです。可住惑星の衛星がそんな規模の艦隊を収容できるなんて。しかも、新帝国軍による地球攻撃の際にも見つからないだなんて信じられません」

 

「我々だって、それとわかってよくよく調査しなければシリウスにあった神聖銀河帝国軍の拠点を見つけられなかったじゃないか」

「それはそうですが……」

「月の直径を知っているかい?」

「いいえ」

「約3500kmだよ」

「そんなに大きいのですか!?」

下手な惑星より、それこそシリウスの第1、第2惑星より大きかった。

直径45kmのガイエスブルク要塞だって、それこそ何千何万と収容できてしまう大きさだった。

 

「だから隠れる余地は十分にあるんだ。

それに、月からは天然の放射熱も発生しているから人類の活動など容易に紛れてしまうのさ。

実際、古代の人類は、宇宙に進出をはじめて以降もそこに異星人が基地をつくっているとか、その地下に異星人や、地球上で負けた敗軍の末裔が隠れ住んでいるとか、長らくそんな可能性を完全には否定できなかったぐらいだからね。

調べきれないし、何かあっても疑いの域を出ないんだよ。

あと、艦隊について言えばシリウスにも駐留させていたと思うよ。ヴェガで捕虜になった者が神聖銀河帝国の根拠地を知らなかったんだから」

 

ラオも納得せざるを得なかった。

「な、なるほど」

 

ヤンは続けた。

「それに、神聖銀河帝国、そしてその母体であった地球教の根拠地が月だというのは、考えてみれば当然なのかもしれない。

なぜなら限られた一時期を除き、月こそが地球統一政府の中枢だったのだから。

地球統一政府宇宙省、そして宇宙軍、いずれもその本部は月面だった。

こんな当時言葉があった。

『ブリスベーンは地球の首都だが、月面都市は全太陽系の首都だ』

これはそのことを指した言葉だ。

しかし月面都市に関する情報は、こんにち殆ど伝わっていない。私も、古い歴史書を読んだことがあるから知っているだけだ。アルテミスにしても、処女神としては知られているが、月の女神だということは広まっていない。皆、月のことを知っていたか?何かの記述で読んだことがあるか?」

殆どの者が首を横に振った。

 

「奇妙なことだろう?地球に関する宣伝は、地球教によっていやというほどなされてきたのに。このことにも真の根拠地に意識を向けられたくなかった地球教の意向が関わっているのかもしれないな」

 

 

ヤンの話は続いていた。

「考えてみれば月にあることが合理的でもある。

地球上の総本部との連携を考えたら距離は近いほどよい。地球教団の幹部クラスの中でも限られた者にしか月の根拠地のことは知らされていなかったようだ。総大主教が根拠地まで行って姿が見えなくても不審に思われない期間で行き来できるという点でも月がいい。

それに月は資源の宝庫でもある。軍民問わず多くの資源を月の中で確保できるだろう。そして、足りないもの、資源、人材、工業製品などは地球行きの船に紛れ込ませて輸送させることも可能だ」

 

それに、とヤンは続けた。

「何だかんだ言って、彼らは地球への執着心がある。なるべくなら離れたくはないだろう?」

 

オルラウが話をまとめて、その上で疑問を呈した。

「歴史的なある種の必然性と、合理的な理由についてはわかりました。あるいは感情的な理由も。しかし、地球の対極、星界の頂き、という言葉と月の関係がわかりません。司令官閣下はそこにもお考えをお持ちと思うのですが」

 

ヤンは話を進めやすくしてくれたオルラウに軽く感謝した。

「ありがとう、オルラウ少将。

地球の対極については簡単だ。

皆、他の可住惑星を思い浮かべてもらえばいいんだが、惑星と衛星のバランスを考えた場合、地球に対して月は異常に大きいんだ。直径で惑星の四分の一以上の衛星なんて、少なくとも可住惑星では聞いたことないだろう?現代の天文学の連星の定義から言っても、地球は月との二重惑星だと言っても間違いではない。

地球と月を、共通の重心を回る連星系、『地球系』と捉えるなら答えは出たも同然だ。一方の極は地球、もう一方の極は月。対極というわけさ。

まあ、地球を絶対視している筈の地球教徒のくせに随分と斜に構えた言い方にも思えるが、それを言う本人が月の側にいたと考えれば、それほど不思議でもないと思うよ」

 

なるほど、と納得の呟きがあちこちで起きた。オルラウは続きを促した。

「わかりました。では、星界の頂き、の方は?」

「一つはとても簡単な理由なのだけどね。

地球から見た時一番明るい天体は何か?

無論太陽が一番明るいんだが、太陽が隠れ、星々が姿を見せる夜となればどうか?

恒星としてはシリウスが、惑星としては金星が一番明るい。

しかし、真に最も明るいのは、最近傍の天体、月なんだ。

月は複数の古代宗教で夜を統べる神に擬されてきた。天界の頂きと呼ばれるに十分だろう?」

 

でも、とヤンは続けた。

「私としては別の理由があるように思う。「星界の頂き」などという言葉を考えた人は随分と詩的な感性を持った人だったんじゃないかとね。

地球統一政府の時代、すべての星々は地球に通じていた。

星々からの船は、太陽系に入り、地球統一政府の宇宙における中枢たる月面都市に辿り着いた。当時はそこが旅の終着点だった。

月こそは当時の人類にとって星々の果つるところだったんだ。

そして月の「表側」にある月面都市から常に仰ぎ見ることになるのは、人類の母なる故郷、地球教にとっての至高の存在、地球だった。

当時の未熟な重力工学では、低重力に馴染み過ぎて1G環境である地球に戻れなくなっていた人も多かっただろうから、狂おしい望郷の念とともに月から地球を眺める人も多かっただろうね。

 

遍く銀河に散らばった人類は、来た道をさかのぼっていつか月に辿り着く。月こそは星界を登りきって辿り着くことのできる頂きである。そしてさらにその上に輝くのが、至高の存在たる美しく青き星、我らが故郷、地球、というわけさ。

これこそが、地球中心主義に基づく地球教的宇宙観(テラリアンコスモロジー)、そのかつての本質だったのではなかろうか?

 

地球教の聖句を思い出してほしい。

『地球は我が故郷、地球を我が手に』

 

その聖句を考えた者はどこにいたか?

月面だったんだ。

黒旗軍に破壊され尽くした地球を、その人は心の痛みに耐えつつ月面から仰ぎ見た。

 

その人は、その頭上に存在する、取り戻すべき故郷たる天体に向かって手を伸ばした。

 

いつか取り戻すべき我が故郷、地球を我が手に、と」

 

 

皆、2秒スピーチのヤンと呼ばれた男の長広舌に引き込まれ、いつしか沈黙していた。

あるいはこれが歴史家志望だったヤンの本当の姿だったのかもしれない。

 

ヤンは息を整えた後、照れくさそうに頭をかいた。

「まあ、全部私の憶測に過ぎないんだけどね。だけど、この説が正しければ、そろそろあちらさんから反応があるはずなんだ」

 

 

その通りだった。地球、そして月から20光秒の距離に近づいた時、それは来た。

これあるを予期して艦隊を散開させていたにも関わらず、一瞬で百隻以上の艦艇が失われた。

 

大威力の硬X線ビームの一撃だった。

 

オペレーターが叫んだ。

「月面!月面からの攻撃です!ガイエスブルク要塞の三倍以上の射程距離からの大威力の一撃!信じられません!」

 

どよめく艦橋の中でヤンが口を開いた。

「くそっ、予想以上の攻撃だな。だがこれで決まりだ。神聖銀河帝国の根拠地は月だ!」

 

そしてヤンにしては珍しく声を張り上げた。「皆、これが最後の決戦になる!最後のひと踏ん張りだ!」

 

 

 

 

 

ルドルフ2世は月の大深部の管制室にいた。

月面からの一撃が、ヤン艦隊の一部を宇宙の藻屑としたところをそのスクリーンから見ていた。

ド・ヴィリエ大主教、レムシャイド侯、ユリアン・ミンツ、その他、神聖銀河帝国の主要メンバーがそこに揃っていた。

 

ルドルフ2世はド・ヴィリエに話しかけた。

「余の兄弟たるクローンを使ってまで行なったシリウスでの偽装も、無駄に終わったようだな」

ド・ヴィリエは恭しく頭を下げた。

「まことに残念ではございます。この場所が明らかになってしまったことは。私としても無駄な戦いは避けたかったのです。しかし、ここを陥とすことは、いくらヤン・ウェンリーといえど不可能です」

 

ルドルフ2世は頷いて、遠くにいる敵手に語りかけた。

「さあ、ヤン・ウェンリー、最終決戦といこうじゃないか。銀河最古にして最強最大の恒久要塞。この大衛星そのものがおまえの相手だ。そう、この、大天体要塞『(ルナ)』が」

 

ヤンは自ら虎の尾を踏んだようなものだった。

地球教団と神聖銀河帝国、最後にして最強の切り札が、ヤンに牙を剥いたのだ。

 

ルドルフ2世は覇気に満ちた笑みを見せ、叫んだ。

「その貧弱な艦隊でここに飛び込んで来たことを後悔させてやる!ヤン・ウェンリー!この太陽系がおまえの墓場だ!」

 

 

 

 

 


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