時の女神が見た夢   作:染色体

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第四部 29話 混乱の中で

氷塊の衝突が止まぬ中、その間隙を縫って二千隻の艦艇が月要塞から出撃した。

各艦艇はそれぞれバラバラの方向に飛び去った。そのうち高速戦艦百隻以外は囮であり、百隻の逃走方向を隠すための出撃だった。

ヤン艦隊が追撃を行おうとすればそれを止める役目も担っていたが、ヤン艦隊は全く動かなかった。

ルドルフ2世達は太陽系からの逃走に成功した。

 

オルラウ少将がヤンに尋ねた。

「追わなくて本当によろしかったのですか?あの中にルドルフ2世がいた可能性は高いと思うのですが」

ヤンはこともなげに答えた。

「無駄なことはしない主義なんだ。彼らのことは別の者に任せるさ。それより、多分まだあの月要塞の中には厄介な人物がいると思う。月要塞から何らかの通信があるまで、氷塊攻撃、「ジャン・ピエールの帰還」作戦は継続だ」

 

ヤンは、西暦時代の伝説の宇宙の放浪者、いつか地球に辿り着くことを願っていたという男の名を作戦名に冠していた。

 

 

 

神聖銀河帝国の中枢の人員のうち、月要塞に残った者はごく一部だった。

軍人としてはアンスバッハ、シュトライト、ベンドリング、シューマッハ。

ユリアンの護衛役としてマシュンゴも残っていた。

地球教団の司祭、主教は反ド・ヴィリエ派改めミンツ派の者達が軒並み残っていた。彼らはそもそもド・ヴィリエ派によって要職からは排除され、現場において民の教化と民生の安定化に努めていた。ユリアンによって食事へのサイオキシン混入はやめさせられており、今や地球教団の比較的健全な活動を担う存在となっていた。

 

他にもキルドルフ准将など何名かが残ってはいたのだが、既に月要塞のどこかに姿を消していた。

 

アンスバッハ、シュトライトはかつての主人の家族を守るために残ったことが推察された。マシュンゴも言わずもがなだった。

ユリアンはシューマッハとベンドリングに理由を尋ねた。

シューマッハは部下を見捨てて行けないと答えた。

ベンドリングは、自暴自棄になった軍人達の中で犯罪に走る輩が出るかもしれず、それを誇りある帝国軍人として抑えたい、と答えた。

 

実際、月要塞内部では主が姿を消したことを感じ取った兵士達の中に、不穏な動きが生まれようとしていた。

 

一刻も早く対処する必要がある。ユリアンは彼らに矢継ぎ早に指示を与えた。軍人には将兵の統制と臣民の保護を。司祭、主教には人心の慰撫を。彼らは行動に移った。

 

自らも移動を開始しようと思った時、ふと、もう一人残っている者がいることに気づいた。

 

ド・ヴィリエ派であるはずのデグスビイ主教だった。

 

よりにもよって、とユリアンは思った。

内心を隠してユリアンは彼に笑顔を向けた。

「デグスビイ主教、あなたも残ったのですか?ド・ヴィリエ大主教について行かなくてよかったのですか?」

 

「地球を捨てるなどあり得ぬこと。ユリアン・ミンツ、いや、ユリアン・フォン・ミンツ。私は前々からあなたに期待していた。いまや大主教。そして帝国の全権まで手に入れた。私の目に狂いはなかった。地球教存続のため、そして銀河を地球の治めるところとするため、何かまだ策があるのでしょう?私も協力しましょう」

 

期待。

思えばその言葉に振り回されて来た。しかし、これから行うことは自分で自分に任じた義務だ。ユリアンは自らにそう言い聞かせた。

デグスビイ主教も過去の亡霊に囚われている。囚われ過ぎている。自分の計画の障害となる存在だ。躊躇う理由はない。躊躇うべきではない。

 

ユリアンは笑みを顔に貼り付けたまま呼びかけた。

「デグスビイ主教」

 

デグスビイも笑みを深くして答えた。

「何でしょうか?」

 

ユリアンから出てきたのはデグスビイが想像もしていなかった問いだった。

「かつて自由惑星同盟で地球教浸透工作に従事していましたね?その功績で主教となった」

「そうですが、それがどうかしたのですか?」

「サイオキシン麻薬を広め、使った者の弱みを握り、手駒とした。必要であれば婦女暴行を含む、同盟の法に触れるあらゆることを行なった」

デグスビイは話が行き着く先が見えぬまま答えた。

「その通りです。地球のために必要なことでした。いや、無論すべて現地の手下に任せてのことで、私自身は地球教の禁欲の戒律を破ってはおりませんよ」

 

デグスビイはさらに笑顔で付け加えた。ユリアンの問いの意味を誤解したのだ。

「必要ということであれば、また行いますがいかがですか?」

 

その言葉は、ユリアンに最後の決断をさせた。

ユリアンはマシュンゴの方を見た。

「マシュンゴ中尉、いや、自由惑星同盟軍マシュンゴ准尉。証人となってください」

「はい」

 

ユリアンはデグスビイに向き直って話を再開した。

「当然ながら同盟で過去に罪になることを行なっていても、神聖銀河帝国で罪になるわけではありません」

「勿論そうですな」

「しかし、挙国一致救国会議は同盟軍人への司法権付与を認めました。そして神聖銀河帝国はそれを追認し、神聖銀河帝国内においても過去の同盟における犯罪への同盟軍人の司法権を認めている」

「……」

「私が少し前に司法尚書に働きかけて実現したことです」

デグスビイは後ずさった。

「ミンツ大主教、いったい何を言っているのです……?」

 

「デグスビイ主教、あなたはド・ヴィリエ大主教とともに脱出すべきだった。そうして欲しかった」

ユリアンはブラスターを抜き放ち、銃口をデグスビイに向けた。

「ミンツ大主教!?」

 

「自由惑星同盟、挙国一致救国会議所属ユリアン・ミンツ大尉としての司法権を行使する。デグスビイ主教の、同盟国内における薬物使用の強要、婦女暴行教唆、そしてサイオキシン取締法違反を認定し、この場で死刑を執行する」

「はぁ!?」

 

ユリアンは自らの内にある躊躇いの気持ちを無視してデグスビイを撃った。

 

ブラスターの光条はデグスビイの肩を貫いた。

「がぁ!」

 

デグスビイは左肩を押さえて転げ回った。

 

ユリアンが直接人を撃つのはヤンの乗るパトロクロスに乗り込んだ時以来だった。丸腰で、相応に付き合いのあった相手を撃つのは無論初めてだった。心臓を狙って撃とうとしたのだが、手が震えて狙いが外れてしまった。かつての怪我の後遺症もあったが、多分に心理的な要素によるものだった。

そうでなければユリアンは一撃でデグスビイの命を奪っていただろう。

 

これは、シンシア・クリスティーン中尉に対してデグスビイ主教が行なったことに対するユリアンの個人的な復讐だった。

誰を許せても、どうしてもデグスビイだけは許せなかった。あるいは、そう思い込もうとした。

 

本来ならば地球教団自体が許せなかったはずだった。しかし、地球教徒全員を憎むことなどユリアンには出来なかった。そうするには、ユリアンは彼らに深く関わり過ぎていた。

ユリアンは、地球教団を叩き潰す代わりに内から変えていくことを選んだ。

 

しかし、負の感情はどうしても残り、歪な形でユリアンの中で大きくなっていた。

メルカッツが死に、ルドルフ2世が去り、マシュンゴ以外誰もいなくなった状況でデグスビイに過去の記憶を刺激されたことで、ユリアンの負の感情は決壊寸前となってしまったのだ。

デグスビイ主教は、ユリアンが壊れないための感情の捌け口に今使われようとしているのだとも言えた。

ユリアンは混乱した感情のまま、デグスビイを殺そうとしていた。既に復讐のためなのか、自らの心の安定のためなのかもよくわからなくなっていた。

 

デグスビイは必死でユリアンを止めようとした。

「ユリアン・ミンツ!地球はこんなことを許さぬぞ!あなたを主教とするようにド・ヴィリエに働きかけたのは私だぞ!やめろ!やめてください!許して!」

 

ユリアンは泣いていた。泣きながら、自らが殺そうとしている相手に懇願した。

「すみません、デグスビイ主教。お願い。死んで。死んでください」

 

ユリアンはもう一度デグスビイを撃った。

「ぎゃあ!」

今度はデグスビイの左腕に当たった。

 

また撃った。

今度はデグスビイの脇腹を掠めた。

「ああああ!」

継続する死の恐怖と、激痛にデグスビイは失禁していた。

 

ユリアンの目は虚ろだった。

「あれ。おかしいな……うまく殺せないや。シンシアさんのために殺さないといけないのに」

 

マシュンゴがユリアンの腕を掴んで止めた。

「もうやめましょう」

ユリアンは泣きながらマシュンゴを睨んだ。

「どうして止めるんだ。彼は死に値することをやったんだ」

マシュンゴは冷静だった。

「私は、彼に死んで欲しくなくて止めるのではありません。彼は殺されて当然の人間です」

「それなら!」

 

「でもあなたは、そんな人間も本当は殺したくないのでしょう?あなたは優しいから」

マシュンゴはユリアン本人が無視することに努めていた気持ちを言い当てた。

 

ユリアンは一瞬固まった。デグスビイは逃げ出すことも考えつかずに事の成り行きを見守っていた。

「……でも、殺さないといけないんだ。これ以上彼が目の前にいることに耐えられない」

 

「殺さないことにも耐えられないかもしれないですが、彼を殺したとしても、それはそれで、あなたの心は壊れてしまうでしょう。私はそれが心配なのです」

ユリアンは何も答えられなくなった。

「……」

マシュンゴは自らのブラスターを抜いた。

「どうしてもというなら私が代わりに彼を殺しましょう」

 

「ひぃ!」

デグスビイは恐怖に表情を凍らせた。

 

マシュンゴはデグスビイに近づきブラスターを側頭部に押し当てた。

 

「やめて!マシュンゴ中尉!」

ユリアンは思わずマシュンゴを止めた。止めてしまった。

 

マシュンゴはブラスターをデグスビイから離した。

マシュンゴはデグスビイに顔を近づけ冷徹な口調で囁いた。ユリアンには聞こえないように。

「よかったな。ミンツ大主教が慈悲を示してくださったぞ。彼の気が変わらぬうちに何処へなりと消えてしまえ。忘れるな。お前が生きていられるのはミンツ大主教のお陰だ。次にお前の姿を見たら、ミンツ大主教のいないところで、俺が、お前を、必ず、殺す。人は、いつの日にか来る、死という運命には逆らえない。この俺こそが、お前にとっての運命だ。その到来が遠い先であることを、これからは祈りながら生きていくんだな」

 

「ひぃいいいい!」

デグスビイは叫びながら、血と尿を撒き散らしながら、どこかに走り去って行った。それきり、月要塞内で彼を見かけたものはいなかった。

 

ユリアンとマシュンゴだけが残った。

静寂が訪れた。

 

デグスビイが去ったことで、ユリアンの中で吹き荒れた感情の嵐は一時的に沈静化したようだった。

ユリアンは涙を拭って、マシュンゴに言った。

「ありがとうございます。マシュンゴ中尉。あのままだと確かにぼくは壊れていたかもしれない。いや、もう壊れているのかもしれないけど、まだ、ここに立って、やるべきことをやることができる。……本当はデグスビイを殺すこともやるべきことだったはずなのに!」

 

再度自責の念に苛まれたユリアンに、マシュンゴは首を振った。そして笑顔で言った。

「きっと、今日、彼を生かしたことをよかったと思える日が来ます。人は運命にはさからえませんから」

 

相変わらず、最後の言葉の意味はよくわからなかったものの、ユリアンはマシュンゴに救われたと感じていた。

 

マシュンゴは思った。

ユリアン・ミンツは歪みを抱えたまま成長してしまった。その才能の巨大さ故に、歪んだまま今や銀河を左右する存在になった。彼の歪みはいつの日か人類を滅ぼすかもしれない。

人は運命には逆らえない。既にユリアン・ミンツこそが、自分自身の運命だと見定めている。全人類にとってもユリアン・ミンツの歪みこそが運命ならば、自分はそれをも感受しよう。しかし、願わくば。

 

彼がこれから進めようとしている地球再建と地球教徒穏健化の計画が、彼自身にも良い影響を与えて欲しいとマシュンゴは願わずにはいられなかった。

 

なんとか気持ちを落ち着けた後、ユリアンはマシュンゴを伴って、管制室に戻った。要塞全体に放送を行なうために。

 

「ミンツ元帥です。ルドルフ2世陛下より全権を委任されました。心配はいりません。私の指示に従ってくれれば助かります。各自別に指示するまでは現場の秩序維持に努めてください」

 

この放送は、ルドルフ2世に見捨てられ、氷塊の衝突による揺れに怯える人々を安心させた。

略奪や暴行に走りかけた者達のいくらかを思い留まらせた。しかし、全てではなかった。

既に何箇所かで暴動が始まっていた。その多くは門閥貴族に無理矢理連れて来られて見捨てられた元私領軍の兵士達や領民だった。彼らは労働力として要塞に連れて来られ、何年も閉鎖空間の中で働かされて鬱屈していたのだ。

 

ユリアンは放送後即座に、捕虜区画に向かった。不思議そうな顔をしているマシュンゴ中尉に、ユリアンは言った。

「あそこには自暴自棄からは一番程遠いはずの人達がいます。秩序維持に貢献してくれそうなものは何でも利用しましょう」

 

ユリアンはミュラー上級大将とバグダッシュ中佐に事情を話して協力を求めた。

彼らは協力を快諾した。

ミュラーの元に新帝国軍の捕虜が、バグダッシュの元に同盟と連合の捕虜が臨時の治安維持部隊として編成された。収容者の構成上、殆どが高級将校だった。

 

ユリアンは要塞の地図と武器、ベンドリング達との通信手段を彼らに与えて、再び管制室に戻った。彼のなすべきことをなすために。

 

氷塊の衝突は続いていた。

 

ミュラーの元に編成された新帝国軍部隊は治安維持に動き出そうとした。

そのタイミングで、一人の士官がミュラーに話しかけてきた。

「ミュラー閣下。申し訳ありませんが、私は別行動をさせてください」

ミュラーは彼に見覚えがなかった。

「失礼ですが、貴官は?」

その士官は少し考えてから名乗った。

「フォン・ラーケン少佐です」

 

その名には聞き覚えがあった。連合との戦いを覚えている帝国軍人ならば負の方向に感情を刺激される名だった。ミュラーは事情を察した。

「卿は余程要塞と縁があるようですね。了解しました。別行動を許可します」

 

その士官と同房であったドレウェンツ中佐がミュラーに注進した。

「彼の名前は、フォン・ゲスナーで、中佐だったはずです」

ミュラーは平然としていた。

「よいのです。彼がそう名乗るならフォン・ラーケン少佐です」

 

自称フォン・ラーケン少佐は敬礼と、不敵な笑みを残して走り去った。

 

 

 

 

ユリアンは管制室で超光速通信を起動した。

通信先はヤン艦隊だった。

 

ここからが正念場だ。シリウス戦役における地球統一政府の特使のようになってはならぬとユリアンは気を引き締めた。

 

スクリーンにヤンの顔が映った。

ユリアンは図らずも懐かしさがこみ上げてしまった。それを表情に出さないためには一定の努力を要した。

 

その間にヤンの方から挨拶の言葉があった。

ヤンの方も、この数年で大分変わったとはいえ、かつて話をした少年の名残りを、その青年の中に見ていた。

 

「独立諸侯連合軍派遣艦隊総司令官ヤン・ウェンリー元帥です。随分と久しぶりだね」

その顔には交渉に対する緊張よりも再会への喜びがあった。

 

 

だからユリアンも笑顔で返した。

 

「神聖銀河帝国宰相代理にして全権、神聖銀河帝国軍元帥にして最高司令官、並びに地球教団大主教にして総書記代理、ミンツ伯ユリアンです。本当にお久しぶりです。ヤン元帥」

 

 

 

 

長い沈黙の後、ヤンが口を開いた。

 

「……ええと。ごめん、もう一度言ってもらえないか?……というか、君、本当にあのユリアン少年だよな!?どうやったらそんなことになるんだ!?」

 

 

ユリアンは交渉の前に、ここまでの経緯の説明をする羽目になった。


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