月内部では、一部兵士達が暴動を起こしていた。
貴族将校に対する平民兵士の不満が爆発した形である。
ルドルフ2世の方針と厳罰により、貴族の横暴は表向きは減ったが、より陰湿な形となって残っていた。
それに加えて、貴族階級全体への積年の恨みが爆発した形である。
主要なターゲットとなったのは取り残された下級貴族とその家族、それに皇女達とその侍女達だった。
さらに、一般の地球教徒に対しても略奪や暴行を働く輩も現れていた。
シューマッハ、ベンドリング、ミュラー、バグダッシュ達は、まず非軍人への略奪や暴行の制止、鎮圧に努めた。
一方で、アンスバッハ、シュトライトは貴族や皇女達の保護に動いた。
彼らは皇女達を、暴行に及ぼうとする輩から間一髪で救い出し、管制室まで辿り着いた。
ユリアンはヤンとの1回目の会談を終えたところだった。
「ユリアン!怖かった!」
サビーネはここぞとばかりにユリアンに駆け寄り抱き着いた。
ユリアンはいきなりのことに驚いた。そしてアンスバッハ達の目を気にして、サビーネを引き離しながら言葉をかけた。
「サビーネ様。ご無事で安心いたしました。しかし、このようなところにお残りになられて……」
「ユリアンのいないところに行くなんて考えられないわ!
サビーネは自らの発言にユリアンが動揺したのを見て、先手必勝とばかりに畳み掛けた。
「ユリアン!結婚しましょう!」
場の空気がおかしくなった。
アンスバッハ、シュトライトは頭を抱えていた。
サビーネの母親、クリスティーネは期待の目でユリアンを見ていた。
アマーリエはサビーネの抜け駆けに焦りを隠せない様子で、しきりにエリザベートの背を押していた。
当のエリザベートは顔を蒼白にしていた。
ユリアンはこれまでも地球教徒の女性や貴族令嬢、貴族夫人、侍女の幾人かから言い寄られてきたが、聖職であることを理由にすべて断わってきた。
だが、結婚などと言われたのは初めてで、戸惑ってしまった。
サビーネはここが勝負所と判断して言い募った。
「二人でゴールデンバウム王朝を再興しましょう!私が皇帝、あなたが女帝夫君。いいえ、あなたが皇帝でもいいのよ!」
現状を認識していないサビーネの言葉に、ユリアンは目眩がした。
ユリアンが返答できないでいるのを別の理由だと解釈して、サビーネはさらに言葉を続けた。
「私だけを選べないということなら、別に私だけじゃなくてもいいのよ。エリザベートも入れてもいいわ。それに……何だったらカリンも」
サビーネはそこでふと気づいて辺りを見回した。
「そう言えば、カリンは?」
蒼白になっていたエリザベートが声を挙げた。
「私達を逃がすために囮になったわ!ユリアン!彼女を助けて!」
ユリアンは、場所も聞かずに駆け出した。
エリザベートもユリアンの後に続いた。
アンスバッハはそれを見て、慌てて追随した。
カーテローゼ・フォン・クロイツェルは、兵士達に捕まっていた。
彼女はエリザベートとアマーリエを逃がすために、一人、囮の役を買って出た。
囮は功を奏し、エリザベートとアマーリエは無事にアンスバッハ達と合流できたが、カーテローゼ自身は、長く逃げ続けたものの、最終的に十人以上の兵士に取り囲まれ、ついに捕まってしまったのだ。
「手こずらせやがって」
兵士の一人がカーテローゼの被っていた外套を剥ぎ取った。
「……待てよ。こいつ、皇女じゃない。侍女のひとりだ」
「構わねえよ、どうせ今まで皇女と一緒に贅沢三昧だったんだろ。それになかなか可愛いじゃねえか」
「何でもいい。早くしろよ」
獣欲に満ちた目をした兵士達の手がカーテローゼに伸び、服を引き裂きにかかった。
ここまで悲鳴も出さなかったカーテローゼだったが、自らが暴行の対象となった恐怖と悔しさに涙が溢れて来た。
それを見ても兵士達が止まることはなかった。
「泣くなよ。皇女じゃないなら殺しゃしねえよ」
「そうさ、怖けりゃサイオキシンだってあるんだ。すぐに何も考えられなくなるさ」
そう言って一人の兵士が注射器を取り出した。
あるいは彼らなりに優しい言葉をかけたつもりだったのかもしれないが、カーテローゼの恐怖を増大させる効果しかなかった。
舌を噛んで死のうとカーテローゼは思った。
それでも死ぬ前に会いたいと思った。
思った瞬間堪えられなくなった。
つい声が出た。
「助けて、ユリアン!助けて……お父さん!」
サイオキシンの入った注射器がカーテローゼの肌に触れようとした瞬間、暴風が一帯を包んだ。
カーテローゼはそのように錯覚した。
十人以上いた兵士達は、一瞬のうちに薙ぎ倒されていた。
兵士達は皆、トマホークで殴り倒され、控えめに言って戦闘不能という状態だった。
「ふん、女性の前だから斬撃ではなく殴打で勘弁してやったが、少し力が入り過ぎたか」
そう言った本人は全身血塗れであり、激戦をくぐり抜けて来たことは明らかだった。
しかし、カーテローゼの視線はその顔に集中していた。
その視線に気づき、男は優雅に一礼をして名乗った。
「遅れて申し訳ない。ワルター・フォン・シェーンコップ中将、姫君の危機に参上いたしました」
シェーンコップはヤンの元を去った後、暫く帝国内を放浪した。
しかし、攫われたカーテローゼとメルカッツ一家の行方を知ることはできなかった。
地球教団の小さなアジトを三つほど見つけて潰してみたが、それでも何の手がかりも得られなかったのだ。
シェーンコップはその状態で、神聖銀河帝国の蜂起を傍観する羽目になった。
シェーンコップは、極端な手段に出ることにした。
ミュラー上級大将の艦隊と神聖銀河帝国軍の戦いの場に、チャーターした一隻の民間船で乗り込み、大破したミュラー艦隊の駆逐艦に潜入したのだ。
その駆逐艦はシェーンコップにとっては幸いなことに乗員全員が死亡していた。
シェーンコップはその艦の通信機能が生きていることを確認し、艦長の軍服を剥ぎ取って着込んだ上で救難信号を出した。
そしてそのまま神聖銀河帝国の捕虜となって、ミュラー艦隊の高級士官の一人として月の捕虜収容施設に連れて行かれたのだった。
味方ならいざ知らず、敵の中にさらに身分を偽った者がいるとは神聖銀河帝国も想定していないことだった。
ミュラーもその幕僚も、艦長全員を把握はしていなかったため、露見することはなかった。
かといって脱走の機会もなかったが、その必要もなかった。
気まぐれで捕虜収容施設にやって来たサビーネのお付きとして、カーテローゼがやって来たのだ。シェーンコップは写真でカーテローゼの顔を確認していたのですぐに娘だとわかった。カーテローゼの方も同様だった。
その場ではシェーンコップのことをそ知らぬ顔で無視したものの、以降、カーテローゼはシェーンコップの様子を見に、時々収容施設に顔を出すようになった。
シェーンコップに会いに来たことを隠すように、ミュラーに会いに来たように見せかけながら。
シェーンコップとしては娘の無事が確認できただけで十分だった。
動く機会は、神聖銀河帝国が敗北した時だと考えていたからだ。
そしてその機会が来た。ユリアンの求めに応じてミュラーが組織した治安維持部隊から離脱し、カーテローゼを守るために行動を開始したのだった。
しかし、その道のりは遠かった。
新帝国軍の軍服を着ていたことで、侵入者と誤解され各所で攻撃を受けた。
特に厄介だったのがキルドルフ准将、ゼルテ大佐らが率いる装甲擲弾兵の一群だった。
彼らはかつての上官オフレッサー同様に戦って散るべく、要塞の内部に潜んで、のこのこと乗り込んで来るはずのヤン艦隊の乗員に奇襲をかけようと目論んでいた。
シェーンコップは娘を探す中で彼らに遭遇してしまったのだ。
その戦いは、シェーンコップの懸絶した武勇を示すものとなった。
とはいえ敵もオフレッサーの薫陶を受けた者達だった。娘を助けるという一念がなければ、シェーンコップは負けていたかもしれない。一人対五十人という恐ろしい戦力差を、巧みな各個撃破によって乗り越えた時には、かなりの時間が経ってしまっていた。
シェーンコップ自身も満身創痍となったが、執念によって娘が襲われている現場に辿り着いて現在に至るのである。
カーテローゼは信じられなかった。収容施設に父親が収監されていることには気づいていた。だが、まさか助けに来てくれるとは思いもよらなかったのだ。
カーテローゼは、母が父親について語っていたことが真実だったと理解した。
"地に足をつけていればシェーンコップほど頼りになる人はいない"
「……うさん、お父さん!」
カーテローゼは泣きながらシェーンコップにしがみついた。血が体に付くのも気にしなかった。
シェーンコップは戸惑いつつもその頭を撫でた。
「怖い思いをさせたな……カリン」
「ううん。お父さんが助けてくれたからもう大丈夫よ」
シェーンコップはふと、娘が自分を呼ぶ前に口に出していた人物のことが気になり出した。
「ところでカリン。お前が呼んでいたユリアンというのは……」
「カーテローゼさん、大丈夫!?」
その本人が駆け込んで来た。
ユリアンはカーテローゼの近くに立つ血塗れの人物を警戒した。
「あなたは誰ですか?」
シェーンコップは思った。やはりこのユリアンだったか。妙な男に引っかかるところは母親に似たのだろうか、と。
「お初にお目にかかる。小官は」
「カリン!」
「エリザベート様、危険です!」
答えようとした矢先、エリザベートとアンスバッハがカーテローゼ達を見つけて駆け寄って来た。
「カリン!無事?……よかった、無事だったのね!あなたに何かあったら私は……」
涙ぐむエリザベートを見て、緊張が緩み、出血で朦朧としてきた頭でシェーンコップは思った。エリザベート……そうか、そうだったのか。……ここはカリンにいいところを見せなければ。
シェーンコップは両手を広げ、いきなりエリザベートに抱きついた。
「エリザベート!死んだと聞いたが生きていたんだな!しかも、なんだか若く見えるぞ。今までカリンを育ててくれてありがとう!苦労をかけたな!」
エリザベートはいきなり男に抱きつかれて混乱した。
「え、いや、はい。えっ!?」
アンスバッハが慌てて引き離しにかかった。
「貴様、エリザベート様から離れろ!」
シェーンコップはアンスバッハに怒鳴った。
「子の前で、父母が抱き合って何が悪い?貴様こそ誰だ!?」
……シェーンコップは、エリザベート・フォン・ブラウンシュヴァイクが、カーテローゼの母親ローザライン・エリザベート・フォン・クロイツェルだと勘違いしていたのだ。半端に名前を思い出していたのが災いした。それに、顔の方は思い出せていなかったのだ。
カーテローゼはシェーンコップの行動を見て、世間が父親について語っていたことが真実だと理解した。
"軽薄な色事師"
カーテローゼは、アンスバッハと揉めるシェーンコップに近づいた。
そして握った拳でその顎を思い切り打ち抜いた。
「娘の前で、若い女をナンパするな!この色ボケ親父!!」
娘の前ではおくびにも出さなかったが、シェーンコップは満身創痍だった。軍服の血も敵のものばかりではなかった。
娘からの予想外の攻撃は、消耗したシェーンコップの意識をきれいに刈り取った。
シェーンコップはその生涯で数少ない敗北を、実の娘に対して喫したのだった。
シェーンコップは、娘との和解の最大のチャンスをふいにしてしまった……
カーテローゼは父親への怒りを抱えたまま
「行きましょう、エリザベート様、ユリアン」
皆、目の前で起きた事態に理解が追いついていなかった。
ユリアンは慌てた。
「この人はいいの?というか、結局誰なんだい?」
カーテローゼは言い捨てた。
「ただの軽薄な色事師よ!」
少し間をあけて、一言付け加えた。
「それから……わざわざ会ったこともない娘のために、こんなところまで殴り込みに来てくれた、クソ親父よ」
父親と認めてもらえただけ、シェーンコップの努力も無駄ではなかったのかもしれない。
「君のお父さんなの!?」
気絶したシェーンコップは、結局ユリアンが背負うことになった。
管制室まで移動を続けながら、ユリアンは一つの事実に気づき当惑した。
「カーテローゼさん、さっき僕のことをユリアンと呼んだ?」
ユリアンはカーテローゼに今まで姓の方で呼ばれていたはずだった。
カーテローゼもそのことに気づき、赤くなった。そして、照れ隠しのように言った。
「あなたは、ユリアンでしょ。何か問題あるの?」
ユリアンはかぶりを振った。
「問題なんてないよ!」
そしてユリアンも、勇気を出して言ってみた。
「……カリン」
そむけられたカーテローゼの顔はさらに赤くなっていたようだった。
月要塞で起きた暴動は、終息に向かっていた。