時の女神が見た夢   作:染色体

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エピローグ2 宇宙暦810年 過去からの光

宇宙暦810年 8月2日 モールゲン星域

 

ヤン・ウェンリーは、息子と共に、ガニメデ発月面都市行きの民間船に乗りこんだ。

息子であるテオ・フォン・ラウエ・ヤンは8歳となっていた。再来年には伯爵家の後継ぎとしての義務により、軍幼年学校あるいは銀河開拓者学校に入り、寄宿舎生活を送るようになる。

ヤンはその前に、見聞を広める機会を与えるために今回の地球への旅にテオを同行させたのだった。

船にはガニメデからユリアン・フォン・ミンツが同乗していた。

ヤンとその息子を地球まで案内するためにわざわざ休暇を取って。

 

 

テオ・ラウエは人見知り気味の少年であったが、柔和なユリアンとはすぐに打ち解けた。

「ユリアンお兄ちゃん、遊ぼうよ!」

船に乗って5時間、5度目の「遊ぼうよ」だった。

しかし、その無邪気な笑顔に騙されると、たまにとんでもない悪戯に引っかけられることも、この5時間でユリアンは学んでいた。流石はペテン師の息子というところだった。

 

「テオ様、ミンツ様はお疲れにございます。爺と一緒にあちらで遊びましょう」

 

連合の名家ラウエ家の跡取りであり、ヤンだけには任せておけぬと、この旅行には侍従四人がお目付役として同行していた。

ヤンが父タイロンとの船旅の思い出を楽しそうに話すのを聞いた侍従達は、ヤンに息子を任せるのに危機感を覚えてついて来たのだった。

 

ユリアンはようやく解放され、ヤンと二人になった。

「元気なお子さんですね」

ユリアンは弟がいたらこんな感じだったのかと思った。

「まあね。甘え癖が抜けなくて、寄宿舎に入れても大丈夫か少し心配なんだけどね」

「なんとかなりますよ」

「本当は軍人にはさせたくないし、本人が希望しないなら開拓に従事させるのも嫌なんだけどなあ」

ヤンもユリアンも好んで軍人となったわけではなかった。

「お父上のように、お子さんを連れて逃げてみますか?僕も協力しますよ」

 

ユリアンとしては冗談のつもりだったがヤンは真面目に考え込んでしまい、その挙句に答えた。

「やめておく。ローザが悲しむから」

 

 

少しだけの沈黙の後、ヤンは会話を再開した。

 

「しかし、今更だけど、君が結局彼女と結婚することになるとはね。私はてっきり……」

「いろいろありましたからね」

 

そう、いろいろあったのだ。

 

銀河に平和が訪れたと思ったのも束の間、災禍の種は尽きなかった。

混乱があった。動乱があった。人類の危機があった。

それでも新銀河連邦と銀河四国による体制はなんとか維持された。

人類はよろめきつつも、過去と未来の間に渡された綱の上で、今もなお立ち続け、歩き続けているのだった。

 

「ライフロード事件の時は、ご迷惑をおかけしました」

「お互い様だよ。帝国歴490年製ワイン事件の時は正直申し訳なかったと思っているし」

 

ユリアン個人にしてもいろいろなことがあった。ヤンやマルガレータ、アッシュビーと、時に敵対し、時に協力しあった。自ら厄災となることもあれば、人類を救うこともあった。何人もの知己が死に、また新しい出会いもあった。苦い思い出も多くできた。良い思い出も、少しはあった。

光と闇の境界でのたうち回りながら、なおもユリアンは生きていた。

 

そして、結婚もした。

「僕なんかに結婚する資格なんてあったんでしょうか?」

「私に訊かないでくれ。私だって自分がよく結婚できたものだと思っているよ。ラウエ家の家臣団からも信用がないし……」

ユリアンも、話題を変えるべきだと思った。

 

「ヤン長官の引退講演、楽しみにしています」

 

「ああ、ようやく私も引退だ。後はマルガレータや君に任せるよ。長かった、本当に長かった……」

 

……当事者のヤンにとっては長かったのだ。

 

ユリアンはふと思いついたことをヤンに言ってみた。

「月面の人類図書館で本の寄贈を受け付けているのをご存知ですか?」

 

「そうみたいだね」

 

「ヤン長官も引退されたら回想録を書いてみてはいかがですか?回想録の寄贈が最近多いんですよ」

 

ヤンは興味を示した。

「それはいいかもしれないな。私個人のことはともかく、ここまでの銀河の歴史を振り返ってみたいとは思っていたんだ。ちなみに、どんな本が寄贈されているんだい?」

 

ユリアンは端末で確認した。

「ええと最近だと『帝国を滅ぼした者 ホーランド退役元帥回想録』とか『救国の真の英雄フォーク、銃撃事件の真相を語る。トリューニヒト主席を改心させたのは私だ』とかですね。二つ目なんだこれ」

 

「……その二冊と一緒に並べられるのはちょっと遠慮したいかな」

 

ヤンは肝心なことを思い出した。

「そうだ。地球に着いたら紅茶を飲ませて欲しい。あの伝説の紅茶を」

 

「ええ、ぜひ。ヤン長官にぜひ飲んで頂きたかったんです」

ユリアンは本人が気付かないうちに満面の笑みになっていた。いつもの、トリューニヒトのようなつくった笑みではなく。

 

「紅茶のシャンパン」ダージリン。

かつて地球教総本部近傍のダージリン地方で生産されていたその茶葉を、

ユリアンは復活させることに成功していた。

 

ダージリンは地球財団の専売となり貴重な収入源となった。かつて植民星に単一栽培(モノカルチャー)経済を強制した地球が、今や全銀河に単一栽培作物を自発的に供給するようになっていたのは歴史の皮肉ではあった。

口さがのない者は、ユリアンはサイオキシンの代わりにダージリンを利用しているなどと噂したが、それだけでもユリアンの目指した健全化が進んでいる一つの証左であった。

ユリアンはさらに、伝説の三大紅茶の残り二つ、ウバとキーマンも復活させるつもりでいた。

世の紅茶好きを、ユリアンと地球財団は自らの味方に着実につけつつあった。

 

「君に紅茶の淹れ方を仕込んだというお父上に感謝しなきゃいけないな」

 

「ははは……」

 

幼い子供に壺を磨かせる父親と、お茶の淹れ方を仕込む父親、どちらがマシなんだろうかとユリアンは思った。

とはいえそれはユリアンにとって、父親とのほぼ唯一の思い出だった。 そして貴重な財産だった。

かつてキャゼルヌに訊いたところでは父は職場でも相当な無口だったらしい。

今思えば父なりの息子との不器用なコミュニケーションだったのかもしれない。

ユリアンはようやくそう思えるようになっていた。

 

 

船はその日のうちに月面都市に到着した。

 

人々は月内部に隠れ住む必要がなくなり、月面に複数のドームからなる都市を構築して、その中に住むようになっていた。西暦時代の栄華が、ここに復活しようとしていた。

 

月面都市は重力制御された高G区画と、天然状態の低G区画に分かれていた。

宇宙港は低G区画にあった。低G環境でしか生きられない一部の月の民に配慮してのことである。

 

月の民の中には、北方連合国家航空宇宙軍が建設した初期月面基地の遺民にまで遡れる者達がいた。地球信仰の最源流にして、月最古の民。

宇宙港は、彼らに敬意を表してその初期月面基地を模した建築様式、新コンドミニアム様式で建造されていた。

これは、異才シルヴァーベルヒの手によるものである。

シルヴァーベルヒは、新銀河連邦の直轄地において今後多数の建設が行われることを予期し、活躍の場を帝国から新銀河連邦に移していた。

新銀河連邦行政機構長兼工部局長となったシルヴァーベルヒによって、新銀河連邦のハードウェアは急速に整えられていったのだった。

シルヴァーベルヒはその実績をもって、国家元首経験者以外で初めての新銀河連邦主席となることを目指していた。

その野心が叶う日も遠くはないかもしれなかった。

 

 

ヤンの乗ってきた宇宙船には、いかにもスポーツ選手といった趣きの面々が同乗していた。フライングボールの選手達である。

 

フライングボールは0.15Gで行われるスポーツである。何故0.15Gなのか?

フライングボールは、かつて0.16Gで実施されていた。それがいつの間にかキリの良い0.15Gに変化したのだ。

月面の重力は0.16Gだった。フライングボールは月面の低重力もできるスポーツとして生み出されたものだった。

銀河全土に広まったメジャースポーツの生誕の地を、人類はようやく思い出したのである。

数ヶ月後にはフライングボールの全銀河大会が月面で開催される予定であった。

 

ユリアンはそのような昔から月に縁があったのだと不思議な気持ちになった。そして、月の女神シンシアの名を持っていた女性のこともまた思い出していた。

 

 

ユリアンはフライングボールの選手達とすれ違った。何人かの選手は、すれ違った相手があのユリアンであることに気づいたようだった。

 

何かが違っていれば、ユリアンはフライングボールのプロ選手になっていたかもしれない。自らが選ばなかった、選べなかった可能性がそこにはあった。

 

自分がブッシュ先生の誘いに心を動かされていたら……

ユリアンは首を振った。それはあり得なかったし、考えても仕方のないことだった。

 

 

ユリアンとヤン達は宇宙港を抜け、透明なドームの中に入った。

 

ヤンと息子のテオは、横に並んで宇宙を見上げていた。

 

「ねえ、お父さん」

「何だい、テオ」

 

「いま、お父さんと、僕と、同じ星を見ているよ」

 

ユリアンは、漆黒の空を見上げる二人の姿を見て、思わず涙が溢れてきた。何故か、ヤンの隣にいるべきなのは自分である気がしてしまったのだ。

そして唐突に、実の父親に肩車をしてもらって空を見上げたことがあったと思い出した。

忘れていた思い出。父親と息子のコミュニケーション。ユリアンが望んでいたそれが、確かにそこにはあった。

 

テオは指を差した。

「ほら、あの大きくて青い星……」

 

「うん、あの星は……」

 

「何ていう星なの」

 

ヤンはテオに微笑みかけた。

「あれがね……」

 

ユリアンも、いつの日か自らの子供に教えてあげようと思った。

 

ヤン父子とユリアンの仰ぎ見る先には、人類生誕の星、青い地球が、美しく輝いていた。

 

銀河に広がった人の子らの未来を、その輝きで照らすかのように、ただただ美しく、輝いていた。














「時の女神が見た夢」
これにて完結です。
皆様ここまでご読了、誠にありがとうございました。

二次創作は初めてで、拙い部分も多々あったかと思いますが、皆様のおかげで楽しくも、貴重な経験が出来ました。

終わるのが悲しい、さみしいというご感想も、大変有り難かったです。

などと、ここできれいに締めるようなことを書いてしまっていますが、活動報告の方に書かせて頂いた通り、
実は番外編があります。
何故番外編にしたかもそちらの後書きの方で……



もうちっとだけ続くんじゃ……

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