同盟軍と連合軍の初戦より前に、少し時間を遡る。
宇宙暦796年/帝国暦487年10月、ラインハルトは皇帝崩御の報を聞いた。
フリードリヒ4世が死んだ!俺がこの手で殺す前に!
ラインハルトは皇帝が自らの手によらず死んだという事実に思いの外衝撃を受けていた。
「ラインハルト様、これからいかが行動なされますか?アンネローゼ様の安全をまずは確保すべきではないかと」
キルヒアイスの冷静な声にラインハルトは現実に立ち戻った。
「……ああ、そうだな。しかし今姉上に会うことはできないだろう。口惜しいことだが。帝国では今までも違い公然とした権力闘争が始まるだろう、俺たちは姉上の心が休まるよう、情勢を安定化させることに力を尽くそう。先々宇宙を手に入れる為にもな」
「さしあたっては誰が権力を握るかですが、巷ではブラウンシュヴァイク公、リッテンハイム侯、そして皇孫のエルウィン・ヨーゼフを擁するリヒテンラーデ侯の3人が候補に上がっています」
「その中で独自の武力を持たないのはリヒテンラーデのみ。おそらくは先方から接触してくるだろうが、さて。俺にはブラウンシュヴァイク、リッテンハイムの両方を相手取っても負けることなどないとわかっているが、残念ながら他の者がどう考えるかはまた別だ。
俺が宇宙艦隊司令長官として実績をつくる前に皇帝が死んだのが痛いな」
「リヒテンラーデ侯はラインハルト様を味方につけるだけでなく、さらに勝率を上げる手を考えてくると」
「おそらくな。俺にとっては皇帝の座が遠のくことになるだろうから嬉しいことではないがな」
「焦ることはありません、ラインハルト様。アンネローゼ様をまずはお救いすることができるのです。まずは着実にことを進めていきましょう」
この後、連合軍より連絡を受けたラインハルトは、アーベント、オーベルシュタインと会談した後、休戦を受け入れることになった。
ラインハルトの読み通り、リヒテンラーデ侯は今後の策を考えていた。
ブラウンシュヴァイクあるいはリッテンハイムのいずれかに国を任せることは論外である。彼らは自らの利益しか考えていない。やはりヨーゼフ様が成人なされるまで、私がしばらくは国を仕切るしかなかろう。しかしあの二人に抗するには武力が必要だ。この国であの二人に対抗する気概と武力を兼ね備えているのはローエングラム伯のみ。彼自身の野心は警戒すべきだが協力関係を結ぶのに向こうも躊躇はすまい。だが、勝てるのか?ローエングラム伯の提督としての能力は疑うべくもないが、先の戦いでも二万隻を指揮したに過ぎない。大軍の指揮官としての能力は未知数だ。仮にリッテンハイム、ブラウンシュヴァイクの両名が手を組むことになれば、ローエングラム伯の2倍、下手をすると3倍の兵力を揃えるだろう。これでは分の悪い賭けだ。
リヒテンラーデ侯はしばし悩んだ末結論を出した。
やはり、どちらかを取り込むしかないな。だとすれば、権勢がブラウンシュヴァイク公に劣り、多少は御しやすくもあるリッテンハイム侯にすべきだろう。ブラウンシュヴァイク公には死んでもらい、それによって門閥貴族の力を削ぐ。その上で私、ローエングラム伯、リッテンハイム侯の3人が鼎立することで、誰か一人が国政を壟断する危険を回避すべきだ。
リヒテンラーデ侯はラインハルトと連絡を取った後、二人でリッテンハイム侯との会談に臨んだ。リッテンハイム侯も最初は拒否の姿勢を示したが、断ればブラウンシュヴァイク公に話を持っていくと言われては最終的に受け入れざるを得なかった。
ラインハルトがリヒテンラーデ侯、リッテンハイム侯と会談を行ったその日、ロイエンタールはミッターマイヤーと酒を飲んでいた。
「ミッターマイヤー、我らが主は、リヒテンラーデ侯、リッテンハイム侯と組むことにしたらしいな」
「ああ、そうなると敵はブラウンシュヴァイク公ということになるが」
「ふん、数は揃えるだろうが、それを指揮する人材がな。誰か思い当たる者がいるか?」
「ミュッケンベルガー元帥が全体指揮を執るとなれば多少は警戒すべきだろうが、断っているという噂だしな」
「ローエングラム伯も、物足りない思いをするだろうな。なあ、ミッターマイヤー」
ロイエンタールはいつにも増してシニカルな笑みを浮かべた。
「俺に門閥貴族の血が流れているのは知っているだろう?いっそ、卿と俺とでブラウンシュヴァイク公側に行かないか。卿と俺ならば伯の天才を凌駕することも可能だろうよ」
ミッターマイヤーは友の顔をじっと見つめた。
「酒の量が多すぎだぞ。仮にそうしたとして、ローエングラム伯の部下である我々のことをブラウンシュヴァイク公は信頼すまい。飼い殺しにされるのがおちだ」
「ははは。そうだな、酒が過ぎたな。忘れてくれ、ミッターマイヤー」
そう言いながらもロイエンタールはなおも言葉を続けた。
「俺たちはローエングラム伯の天才を戦場で見た。この人ならば何者にも勝ち得るだろうと。だからこそ元帥府に誘われた時、臣従することを誓った」
「ああ、そうだな」
「だが、こうも思うのだ。本当に俺は伯の天才を部下でありたいのか、とな。俺ならば敵として伯の天才をもっと引き出せるのではないか、とな」
「……本当に飲み過ぎだな。もしかして卿もあの義眼の男にあてられたのか?」
義眼の男、連合からの使い、オーベルシュタインという名のその男は元帥府で傲然と言い放ったのだ。「ローエングラム伯は、覇業をなすに足る器だ。しかし惜しむらくは人材に恵まれていないことだな。卿らの中に、光に付き添う影のように、闇にまみれても伯を覇業に導く、そんな者がここにいるのか?」と。ビッテンフェルトなどはもう少しで殴りかかるところだった。同行していたクラインゲルト大将が頭を下げることでその場は収まったが、ミッターマイヤーも未だに怒りを抑えきれずにいた。一体あのオーベルシュタインという男は何様のつもりか。
「ヤン・ウェンリーにライアル・アッシュビー、あるいはメルカッツ、伯の敵となり得る人物はいくらでもいるではないか。卿の出る幕はなかろうよ」
「……そうか、そうだな。そのはずだな。ただ、何かが違うような気がするのだ。オーベルシュタインなど関係ない。俺たちはもっと心躍る戦いをしていたような……まるで……質の悪い夢でも見て……」
ロイエンタールはそのまま眠りについてしまった。
ミッターマイヤーもロイエンタールも、その後その日のことを話題にすることはなかった。
宇宙暦796年/帝国暦487年11月10日、連合軍との間に休戦条約が発効された。
宇宙暦796年/帝国暦487年11月15日、次のような決定が発表された。
「エルウィン・ヨーゼフ2世即位。リッテンハイム侯には大公爵の位を許す。リヒテンラーデ侯は公爵に上がった上で宰相に、ローエングラム伯は侯爵となりリッテンハイム大公と共に幼帝を支える」
当然蚊帳の外になっていたブラウンシュヴァイク公は怒り狂った。反乱を起こすことを決め、予め準備を整えていたアンスバッハ准将に導かれ自派の貴族とともに帝都を脱出した。ラインハルトの命を受けたビッテンフェルトは軍務省ビルを占拠した。統帥本部総長と軍務尚書の2人を拘禁し、ラインハルトはその二つの役職を兼ね、帝国軍最高司令官の肩書きを得て軍務の全権を握った。宇宙暦796年/帝国暦487年12月1日、ラインハルトにエルウィン・ヨーゼフ2世からブラウンシュヴァイク公討伐の勅令が下った。
ブラウンシュヴァイク公は自派の貴族を糾合した。彼らの多くもアンスバッハより警告を受けて事前に脱出を行なっており、後がないことを理解していたことから、ブラウンシュヴァイクの呼び掛けに応じた。彼らはガルミッシュ要塞に集まりガルミッシュ盟約軍を名乗った。
帝国軍からもブラウンシュヴァイクに近かったグライフス宇宙艦隊副司令長官、シュターデン大将や、ファーレンハイト中将、ノルデン中将らが参加した。総兵力は10万隻にもなり、ラインハルトに従う正規軍6万隻、リッテンハイム大公派4万隻の合計と同数となった。
ラインハルトはブリュンヒルト艦橋でスクリーンを通してキルヒアイスと会話していた。
「どこかで情報が漏れたのか。帝都脱出を防げなかったのは失敗だったが、まあいいだろう。実力を示した方が俺としてもいろいろやりやすくなるからな」
キルヒアイスはラインハルトの傍らから離れ宇宙艦隊副司令長官に任ぜられ、2万隻を率いていた。この抜擢に異論を持つものもいたが、キルヒアイスであれば実績で黙らせるだろうとラインハルトは信じていた。
「気になるのは叛乱軍と賊軍の動きですが」
「奴らは奴らで相争うのに当面は忙しいだろう。その間にブラウンシュヴァイクを片付けよう。願わくば賊軍には粘ってもらいたいものだがな」
総参謀長を務めるメックリンガーが声をかけた。
「ところで彼らの公称に関して軍務省の書記官から問い合わせが来ております。ブラウンシュヴァイク軍と呼ぶのも、我々の立場からすれば中立的に過ぎます。しかしながら叛乱軍、賊軍は共に既に使われている呼称です。何かしら呼び名を考える必要があります」
ラインハルトはしばし悩んだ末に答えた。
「まあ適当でよいだろう。逆軍(げきぐん)でいいのではないか」
この世界ではクロプシュトック候が早々に亡命しているため、クロプシュトック事件とミッターマイヤーの一件は起きていません(それでも実力からミッターマイヤー、ロイエンタールはラインハルトに見出されていますが)