それはともかく、
友奈ちゃんとのイチャイチャ、ふわふわでとある未来でのお話。頭を空っぽにどうぞ。
加賀亮之佑。
血紅色の瞳と漆黒の髪が特徴的な彼の事は、一言で言うには難しい。
勇者からは程遠いとか、どちらかと言えば魔王だとか、冗談めいた口調で本人に告げる友人達がいる事も知っている。そうした友人達は、彼の愛称として『亮さん』と呼ぶ。
樹もこの呼び方に該当する。
讃州中学校のラジオという奇怪な縁から始まったらしい彼女は親愛を込めて、そう呼ぶ。
では、その姉である風もそう呼ぶかと言えば、今までそういう呼び方をしたことは無い。
『亮之佑』と呼び捨てで呼ぶのは名誉部長となった風と夏凜ぐらいだ。
最初から礼儀正しく『くん』付けをしたりせず気安く呼ぶ様は、少しだけ羨ましく思えた。
「亮之佑」
ただ呼ぶだけだ。名前で、呼ぶだけ。
誰にも聞こえないように、聞こえないことを願って、聞いて欲しいと思って。
自室で枕を抱きしめて、虚空に言葉を溶け込ませるように、そっと名前を呼ぶ。
少しだけ、彼の事を呼び捨てで呼ぶことに憧れていた。
ただ、今更そんな風に呼ぶのも少し気恥ずかしく思える。
「……かっ」
喉を詰まらせる。掠れた声に口を閉じる。
独特なセンスで編み出された渾名は、彼女だけの物だ。
どうしてこんな事を考えているのか。
きっかけなど些細な物だ。ただ、もう少しだけ『特別』が欲しいと思って。
ただ何となく、もっと彼にとって特別な存在でありたいと、ふと思ったのだ。
――誰よりも。
+
人生で風邪に掛かった回数を覚えているだろうか。
意識して数え始めたことなどない。自意識が芽生える頃には、当然だが風邪をひくこと自体に違和感を覚えることは無かった。そういう物だと理解していた。
身体を冷やしたから、菌が口内に入ったから、季節の変わり目だから。理由など様々だ。
寝台に横たわり薬を飲み、発熱や咳の症状の果てに完治する。
そうして繰り返し病気に掛かることで、自分の体調の変化については理解できる。
遅くなったが結論を言おう。
どうやら、風邪をひいたらしい。
「……あー」
天井を見上げながら亮之佑は静かに声を上げた。
久方振りに風邪をひいてしまったのは、個人的には好ましい状況ではない。
時間とは有限だ。何物よりも代え難い。
何かをしていても何かをしなくても、全ての人に時間は平等だ。
こうして自分が寝転がっている瞬間にも、他所では誰かが生産的な行動をしているのか、或いは逆か。
他人の行動についてはそんなに興味は無い亮之佑だが、熱の所為かそんな事を考えてしまう。
自らの身体の不調を感じ、事前に風邪薬を服用していたのが効果を発揮したのか、動けないということも無い。すぐに治る程度の軽い症状であると、自らの身体の状態をそう判断する。
「……」
手足を動かし、死んだように亮之佑は天井を見上げる。
見慣れた天井だ。病院ではない、住み慣れた自らの部屋にいる。
微睡みと覚醒を数回程繰り返す。
中途半端な状態で、僅かに頭の回転も鈍い。
そうしてふと天井を仰ぐと、此方を見下ろしている存在に気づいた。
薄紅色の瞳をぼんやりと見上げる。此方を見下ろしている少女――友奈は、今日は髪の毛を纏めていないのかセミロングの状態だ。瞳と似た色の髪の毛を揺らしジッと此方を見下ろす少女は此方の覚醒に気づいたのか、目を細め微笑む。
「おはよ」
「……おはよう」
自らが思うよりも、深く眠りこけていたらしい。
蕾が花開くように微笑を浮かべる友奈は、ふと亮之佑の顔に手を伸ばす。
突然の行動に、ピクリと身体が反応し上体を上げそうになるが、その手の行方に気づく。
「いつから」
「さっき」
言葉少なに話す少女の手は亮之佑の頭部に伸ばされる。
頭頂部から後頭部に掛けて上から下へ、柔らかな少女の手のひらが少年の髪の毛を撫でる。
「――――」
愛玩動物を撫でるような、慈しみを籠めた手のひら。
少女の細い指が亮之佑の髪の毛を手櫛で通す度に、くすぐったさに少年は目を細める。
その血紅色の瞳に少女を映し、特に何かを言うことなく無言でジッと見返す。
「嘘」
「……え?」
「友奈が着ているの寝巻きだろ。そこそこ、いただろ」
「うーん、そんなでもないよ? ほんとだよ?」
「起こしてくれても良かったのに」
「そんな事できないよ」
柔らかな頬を和らげ、親愛を瞳に宿す少女。
会話の間も、何が楽しいのか少年の頭を撫でる行為を止めることは無い。
「ふわふわしてる」
言葉少なに告げる少女。
髪の毛の感想を告げ、ついでに額に手のひらを当てる少女は、僅かに眉を顰める。
「うん、……熱ももう無いね!」
「そうか? ……きっとそうだろうな」
「誰にだって体調が悪い時ぐらいあるよね」
「友奈も?」
「私? 私はいつも元気一杯だよ!」
今度こそ華やかな笑顔を浮かべる友奈に釣られるように、家主もまた微笑を浮かべる。
「りょーたん」
「うん?」
「一緒に寝ていい?」
「……移るぞ」
「馬鹿は風邪をひかない!」
「……」
パジャマ姿の少女の為に、独占していた寝台に半分程の隙間を作ると、子供のように転がってくる無邪気な少女。しかし明るい口調で発せられたその単語に、思わず亮之佑が眉を顰めるのは無理もない。状況と彼女の視線を一身に受けながら、その意味を考える。
噛んだ訳ではない。普段よりも僅かに甘い呼び方。
「『りょーたん』って俺?」
「うん! そう呼んでいい?」
友奈の唐突な行動は珍しい物ではない。
とはいえ、急に呼び方を変えてくる理由は謎だ。
「なんで?」
「……駄目?」
質問に質問で返す友奈は、答えるつもりがないのだろうか。
悪意は感じられず、しかし断ればその表情は悲し気な物に変化するのは容易に察しが付く。
看病する気なのか、ジィっと至近距離で見つめてくるパジャマ姿の少女と寝台に転がる。
「家の中でなら、そして二人だけの時で」
「……! わーい!」
流石に園子どころか、東郷にもバレると知り合いに拡散される可能性が高い。
そんな事を考えて条件付けしたが、思いの外彼女は無邪気な笑顔で亮之佑に抱き着く。
「じゃあ、私の事は『ゆーたん』って呼んでね」
「ゆーたん?」
「りょーたん」
「ゆーたん」
「りょーたん!」
「ゆーたん!」
「えへへ……、りょーたん、りょーたん」
「――――」
そのうち飽きるだろう。
年を経る度に甘えん坊になる彼女は可愛らしい。
ふわふわとした性格と同様、成長を続けている彼女の身体もまたふわふわしている。
少年の頭部を抱き抱え、そっと頭を撫で始める友奈。
薄い衣服越しに感じる少女の双丘の柔らかさと温かさに逆らうことは出来ない。
水風船のような感触を鼻先で感じながら、後頭部を優しく撫でる感触に、そっと目を閉じる。
「んっ……」
深く息を吸い込む。
控え目で優しい花の香り。
抱きしめる腕に力を籠め、顔を包む感触に頬ずりをすると柔らかな身体がピクリと震える。
くすぐったいのか、亮之佑の頭を抱き抱えながら、赤子をあやすように少女は後頭部を撫でる。
いつまでも子供のように明るい彼女は、そっと少年の頭を胸に抱く。
まるで壊れ物を扱うように、大切な物を壊さないようにするみたいに。
それが分かって、彼女から伝わってきて、彼女が優しくしてくれるのが心地良くて。
「……どこで覚えたんだ」
「風邪をひいてると心細いでしょ? 昔、こうしてもらって嬉しかったから」
「――――」
「疲れてる?」
「そろそろ元気になるさ」
「ん、そっか。早く元気になってね」
頭部に熱い吐息の感触を感じて、彼女からの触れ合いで亮之佑は自分が彼女に必要とされている事を実感した。
「りょーたん」と甘く囁いて、友奈が亮之佑を求めて、必要としている。
「今年も、もうすぐ終わりだね」
「そうだな。あとはクリスマスと大晦日だな」
「うん。今年もちゃんと来たね」
「当たり前さ」
たとえ来なくても、また掴み取るだけなのだから。
窓の外、カーテンの隙間から覗く空は暗く、そして僅かに白い粉雪が窓に付着している。
あれから何度目かの巡る空は寒々しく、変わることの無い様相を友奈の瞳が静かに捉える。
「りょーたん」
「うん?」
「雪だるま、また作ろうね」
「おいおい、一昨日作っただろ。また風邪ひかせる気か」
「あはは……」
寒々しい空、カーテンの隙間を完全に閉じようとする友奈は、静かに腕を伸ばす。
柔らかな温もりが顔を包み、互いの脚の甲が触れ合い、一つになろうと密着し合っていた中で隙間が生まれる。僅かに開いたカーテンを閉じようとして伸ばされる少女の腕。
窓辺は寝台と僅かに距離がある。
その僅かな距離の分、友奈との距離が離れていくから。
「わっ」
「――――」
抱き寄せた友奈の身体は、柔らかく細く温かい。
カーテンから遠ざかった腕は困惑したように、呆れたように、慈しむように背中に回される。そんな些事を気にする独占欲のような何かに苦笑しながら、再度少女の身体に顔を埋める。
少女の柔肌が自らを包むと雄の昂りを感じるが、同時に安心感を得る。
不思議なものだ。彼女は、友奈は、絶対に亮之佑を裏切らないと、分かっているから。
「ねえ、りょーたん。風邪治ったら、したい事ある?」
「じゃあクリスマスにサンタ服を着た姿、見たいな」
「私がサンタさん?」
「ゆーたんがサンタだ」
「うん、分かった!」
柔らかな日差しが全身を包んでいる。
桜の花が自らを見下ろしているような、お花見をしているような感覚。
薄布越しに彼女の双丘に耳を傾けると、鼓動が聞こえる。
僅かに速く感じる鼓動、じわりとした熱が着実に眠気を呼び込む。
「……りょーたん、おやすみ」
「――――」
額に感じる柔らかく熱い感触。
吐息と甘やかな言葉に、何故だか涙が出そうだった。
+
薄暗い部屋で彼の頭をそっと抱く。
赤子のように、或いは死んだように眠る彼は、やはり疲れているのだろう。
身体が弱まると精神も弱まる。
それは友奈も経験したことがある。
「――――」
だから、こうして風邪の彼を看病することが嬉しい。
弱った彼は、ひたすらに庇護を求めるように、抱き着いてくるから。
亮之佑と触れ合うことは珍しくはない。生活の一部のような物だ。
ただ、くすぐったり、じゃれ合ったり、スキンシップを行っても、あまり甘えてはこない。
だから、普段は見ることの無い姿が、友奈にとって愛おしい。
ずっと風邪をひいていたらと思ってしまう程度に。そんな事を思う自分に嫌悪する程度に。
それでもなお、思うのだ。
こうして弱った彼が求める先が自らであることを。
「――――」
――甘えられ求められる事を心待ちにしている、そんな自覚が友奈にはあった。