愛しのリシュリュー   作:蚕豆かいこ

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Tu ne te souviens pas du moment où nous sommes tombés amoureux.(あなたは覚えていないでしょう、わたしたちが恋に落ちた瞬間を)

 提督は最近、スマートフォンをあまり見なくなった。というのも、私室でリシュリューとふたりでいるときに、うっかりスマホをいじろうものなら、

 

「そんなもの見てるひまがあるなら、リシュリューの顔を見てれば?」

 

 と言ってくるので、そのとおりにしていたのである。

 

 リシュリューの美貌はほとんど暴力である。頭蓋骨が存在するのか疑わしいほど小さな顔に、麗々しい眉のアーチが描かれ、天上の国に広がる晴空のごとく明るい青の双眸が健やかに光る。その清浄な青き瞳を、金にきらめく長いまつ毛が(ひさし)となって豪奢に彩っている。左目の涙の通り道に置かれたほくろの、なんと悩ましいこと……。潤い豊かな桃色に色づく口唇はいくぶんだらしなく開かれ、唾液に濡れた歯が覗く。下唇にもひとつあるほくろが、涙ぼくろとともに、彼女の完璧な均衡の上に成り立つ美姫の造形をわずかに崩し、それがかえってリシュリューという唯一無二の美を演出しているのだった。

 

 かように暴力的な美しさを至近で、真正面から受け止めさせられた提督は、神のまします至高のセレストブルーを宿した瞳を凝然(じっ)と見つめた。視界がリシュリューだけになる。世界にはリシュリューしかいない。時間の流れまでもがゆったりとなる。それ自体が発光しているかのように眩い黄金の髪が新雪の首を滑り落ちた。女がくすりと笑う。

 

「どう? このほうがよっぽど有意義な時間でしょう?」

「わたしの目を、リシュリューを見るためだけの目にしたいね」

 

 提督が心底から詠嘆すると、リシュリューはしたり顔で微笑んで、首を傾けてみせた。

 

「あたりまえでしょ」

 

 これが、リシュリューという女だった。

 

  ◇

 

 リシュリューは服のセンスがずば抜けてよい。衣装のアイテムという「語彙」が豊富なためだ。状況に応じて、およそこれ以上の解答はないとだれもが陶然とせざるをえないほど完璧なコーデを導き出す。長波など、軽い気持ちでリシュリューに服を選んでもらった結果、試着室の鏡に映る、それまでの男勝りな自分と同一人物だとは思えないほどフェミニンに生まれ変わった姿を見て、感激のあまりその場で奇声をあげたものである。

 

「自分じゃねーみてーだ」

 

 昂奮のまま試着室から出てきた長波の肩に、リシュリューは手を置いて、

 

「いいえ、それが本当のあなたよ。リシュリューはナガナミの本当の魅力を引き出せる子を選んだだけ。いまの自分がすてきに思える? じゃあ胸を張って。最強のファッションは自信よ。服なんて自信をつけるためのただの道具」

 

 などというものだから、リシュリューがおしゃれの指南役として鎮守府の艦娘たちから相談を受けることもしばしばだった。

 

 ではそんなリシュリューに、彼女の美学に反する服を着せたらどうなるのか。

 

 提督はデートの中途、そろそろ冬物を並べ始めた、スペイン発のファッションチェーン店で彼女にお願いしてみた。

 

 まず目に留まったのは黒のオーバーコート。提督が着たら電脳世界でカンフーを駆使してエージェントと戦うサーバーパンク映画の出来の悪い物真似にしかならなそうなそのロングコートを、無理言ってリシュリューに試着してもらった。カーテンから出てきたリシュリューは、長身に長い裾が外套のようにはためき、元から穿いていたグレーのゆったりしたハイウエストのパンツも相まって、全体として凛とした佇まいを見せていた。

 

「かっこよすぎるから、写真撮っていいか」

 

 提督にリシュリューはにべもなく断った。「リシュリューの好みじゃない自分をamiralのスマホに残したくない。このパンツにこのコートは似合わない」とのこと。提督の美的センスの敗北である。

 

 次にヒョウ柄のド派手なロングシャツを着てもらった。さすがにこれは悪趣味だろうと思っていると、試着室から出てきたリシュリューは意外に上機嫌で、しかも彫りの深い顔によく似合っていた。デコルテを見せるデザインが首をほっそり長く見せ、小顔をより効果的に引き立てる。

 

「このチュニックはけっこう使い勝手いいかも。買おうかしら」

 

 一方、提督は脳内で自分にそのヒョウ柄のロングシャツを着せてみた。どう見ても堅気ではなかった。それもせいぜい鉄砲玉がいいところである。

 

 ならばと提督が最終兵器をハンガーラックから手に取る。恐ろしいデザインだった。赤い達磨と「手も足も出ねえよ」の吹き出しがフロントプリントされている異様なTシャツである。

 

「知ってるわ。困っている人の願いを叶えるために、自分の片目をくりぬいて手足を切り落として生贄になった尊い宗教家がモデルなんでしょう?」

「オイゲンにはわたしから注意しておくよ」

 

 いざ試着してもらう。しばらくしてカーテンが開かれる。室内にもかかわらず、一陣の爽やかな風が吹いた。

 

 提督は腰を抜かしそうになった。

 

 そこには、どう考えても、年甲斐もなく奇抜さで社会から浮くことが独自性だと勘違いしているタイプの人間にしか受けないはずのおもしろTシャツを着ているのに、裾を絞ってへそを大胆に出し、片手を腰に当て、プラチナブロンドの髪を獅子の(たてがみ)のようになびかせ、サングラスを頭にかけて威風堂々と立つリシュリューがいた。あまりの神々しさに後光が差しているとさえ提督には思えた。

 

 フレンチのコース料理ではしばしばジビエが主役となる。ジビエ、つまり野生動物の肉は例外なくクセがある。適切な調理法を駆使し気の遠くなるような手間ひまをかけなければただの臭い肉になってしまう。フレンチとはそのクセを個性に昇華する魔法である。

 

 まさにリシュリューは、クセという糸で縫製されたかのような達磨Tシャツを、砥礪(しれい)を極めた肢体と美貌、着こなしのノウハウ、そして自信という魔法によって、唯一無二の個性に昇華してみせたのだった。

 

「どう? Mon amiral」

「ファッションとは、なにを着るかじゃなくて、だれが着るかが重要なんだなってことがよくわかったよ」

 

 白旗をあげた提督に、リシュリューは意地の悪い顔になって、

 

「今度はリシュリューの番。前からamiralに試してほしいのがあったの」

 

 と、どこから探してきたものか、メンズの黒いプリーツスカートを掲げてみせた。

 

「男がスカートを? スコットランド人か?」

「おなじ島国でしょ。いいから穿いてみて」

 

 試着室に幽閉され、ため息をつき、意を決してリシュリューが押しつけたロングスカートに穿きかえる。

 

 顔を上げた提督は、かつて同様の状況で長波があげたものとおなじ奇声を発した。鏡には別人がいたからである。

 

 ドレープスカートの、流れるようにゆるやかな(ひだ)のふんわりと広がるシルエットのおかげで、タイトなトップスと合わせて、絵画でいうところの三角構図となっている(悲しいかな、提督はAラインという言葉を知らなかった)。男はズボン以外ありえないという固定観念が戦艦砲でみごとに打ち砕かれた思いで、提督はしばらく鏡の前から動けなかった。

 

 リシュリューの呼ぶ声で我に返った提督がカーテンを引いた。リシュリューが笑顔の花を咲かせて手を叩く。

 

「思ったとおり。やっぱり似合ってるわ」

 

 リシュリューが似合うというならそうなのだろう。ことコーデに関して相手を騙して晒し者にするような性分ではない。服に対するリシュリューの誠実さは提督も全幅の信頼を置いている。

 

 スカートを収めた紙袋を提げ、リシュリューと次の店へと向かいながら、提督はふいに彼女の横顔を見やった。リシュリューが視線に気づく。

 

「どうしたの?」

「いや、リシュリューはいろいろわたしの価値観を壊してくるなって。リシュリューと出逢わなかったら、たぶん一生スカートなんか穿かなかった」

「嫌なの?」

「自分という人間を変えられていくことが楽しいって思える、わたしにとってリシュリューは、そんな女性だってことだよ」

 

 美しい女は果実の唇から白い歯を見せた。

 

「Amiralも、リシュリューをどんどん変えていってるのよ。これはamiralが好きだって言ってた画家だってわかったり、amiralとの予定を中心に日程考えるようになったり」

「そうなんだ、じゃあ……」

 お互い様、とふたりの声が重なって、ふたりはまた笑った。

 

「ところで、クロゼットに入らなかったらわたしの部屋に持って来ればいいやと、さらに服を買う量が増えたのも、わたしの影響ってことになるのかな?」

 

 これにリシュリューは、笑いながらすたすたと歩いて、答えはしなかった。

 

  ◇

 

 こんどこそ欧州を深海棲艦の魔手から取り戻す。その狼煙として、長躯インド洋から三度(みたび)地中海へ抜けて北大西洋に跋扈する敵艦隊を撃滅してNATO軍と合流、北アフリカと西ヨーロッパを奪還するための大規模反攻上陸を企図した「トーチ作戦」がついに発動され、小島のような輸送艦が抜錨のときを今や遅しと待っていた。わけても欧州から日本に派遣されている艦娘らはみな例外なく意気軒昂であった。故郷から深海棲艦を駆逐する布石となる作戦なのだから当然である。彼女らは港でそれぞれの国ごとに固まって、それぞれの母国語で決意表明し、母語話者以外にはテニスの審判でもなければ理解できないスラング交じりの怒声をあげては呼応し、荒々しく互いの結束と紐帯を確かめていた。その士気の高さたるや、酒豪の代名詞をうわばみから奪った女と名高い伊重巡ポーラが素面であったという驚愕すべき事実からも窺えた。

 

 異国語の蛮声で満たされる港で、艦娘たちの間を縫ってリシュリューが提督に近づいた。

 

「なにか忘れ物?」

「ええ。とっても大切な忘れ物」

 

 それからリシュリューは、まばたきするのも惜しいかと思うほど、提督の顔を直視し続けた。放っておけば一週間でもそうしていただろう。

 

「出港までずっとこうしているつもりかい?」

「だって、これからリシュリューは祖国のために戦いに行くのよ。景気づけにamiralの顔をじっと見ておきたいなと思って」

 

 以前バーゲンのために里帰りしただろう、とは口に出さない。さしもの提督もカボチャの種ほどくらいには思慮を持ち合わせているのだ。そんな葛藤を露ほども知らぬであろうリシュリューが提督の首に腕を絡めた。互いの額を合わせる。

 

「リシュリューのいない国で夜を一人で過ごせる?」

「そうだなあ、わたしに夜がくるとき、代わりに太陽がリシュリューを照らしていると思えば励みになる。リシュリューこそわたしがいなくて耐えられる?」

「無理に決まってるわ。ねえ、Mon amiral, あなたわかってる? Amiralの顔が見られるだけでリシュリューがどれだけ幸せになれるか。あなたはこのリシュリューを幸せにできるのよ。その自覚あるの?」

「肝に銘じるよ」

「それに、amiralも、リシュリューの顔を見て、元気が出たでしょう?」

「いや、やっぱりだめだな」

 

 かぶりを振る提督に、リシュリューが興味を示した。

 

「きみとしばらく会えない日々を想像させられた。胸が張り裂けて、血が止まらないかも」

「あら。じゃあ、止血しないとね」

 

 リシュリューが提督を抱きしめる。固く強く抱擁する。提督の胸板で、リシュリューが軍服に押し込んだ豊満な胸を潰す。提督も女のむき出しの背中に手を回す。

 

「リシュリューの勝利を祈っていて、Mon amiral.」

「信じているよ。忘れないでほしい、遠く離れていても、きみのいる同じ空の下に、わたしもいるってことを。わたしの時間はリシュリューの時間だ。いつでも電話してくれ」

「Amiralからはしてくれないの?」

「そりゃするさ、何度もかけるよ。いつでも最新のきみを知りたいからね」

「そうこなくっちゃ」

 

 提督はリシュリューを抱き上げ、その場でくるくると回った。突然の稚気に仏戦艦娘は悲鳴を上げながらも笑い、美しい金髪がなびくに任せた。周囲からの好奇の視線も気にせず、回りながら、提督はフランス童謡の『マルブルーは戦争に行く』を口ずさんだ。リシュリューは「縁起が悪い!」とさらに爆笑した。

 

 大規模作戦に参加するのは初めてとなる駆逐艦早潮(はやしお)が一部始終を見て、指さしながら振り返った。

 

「あれ、いつもやってんの? マ?」

 

 訊かれた初月と長波とコマンダン・テストは、目を瞑ったまま、まったく同じ動作で荘重に頷いた。

 

 なおリシュリューは、カサブランカ沖を支配下に置く敵要塞在泊艦隊撃滅作戦において、「Les mers de Casab(カサブランカの海は)lanca veulent vous sang(おまえたちの血を欲している)!」と鬼神のごとき獅子奮迅の働きを見せ、敵旗艦を自慢の四連装砲による圧倒的火力で粉砕する大金星をあげた。

 

 旗艦だった重航空戦艦大和(やまと)は「リシュリューさんだけは怒らせてはいけないと思いました」と戦艦仲間にその頼もしさを喧伝したという。

 

  ◇

 

 全作戦を遂行し、艦娘たちがぶじ日本に帰ってきた。間宮(まみや)で開かれた、今次の作戦で新たに艦隊に合流した艦娘たちの歓迎会で、ポーラが己にふさわしい称号を欧州遠征のあいだだけ預けていたうわばみから奪還しているのをよそに、リシュリューが初月や長波らに、妹のジャン・バールを紹介した。

 

 リシュリュー級戦艦2番艦ジャン・バール。姉とよく似た顔立ちの戦艦娘だった。顔が相似形なら骨格もしかり、口腔や鼻腔、咽頭腔からなる共鳴腔もまたしかりだから、声も似ることになる。初月も長波も、両者を双子だと疑った。「違うわよ。わたしとジャン・バール、そんなに似てる?」「おまえそっくりのべっぴんさんだよ。まあ双子でも似てねえやついるしな。浦風と時津風とか」長波がリシュリューとの相違点を探そうと試みた結果、ジャン・バールは左目尻の下に、ほくろがふたつ、縦に並んで、ちょうど涙のように見えるところに活路を見出した。

 

 ジャン・バール本人は、劣勢だったカサブランカで突貫でのロールアウト後は守勢に徹していたため、今もって艤装が未完成のままでの日本赴任が心残りだったようだが、工廠の主たる明石の腕の良さを聞くにつれて、まだ若干の硬さを残していた表情を徐々にほころばせた。気を許すと、アルコールの海を泳ぐ脳の命令のままに裸族となろうとして同郷のイタリア艦娘らの手を焼かせているポーラを尻目に、駆逐艦娘ふたりに、

 

「あのイタリアの重巡のマナーのなさは、なんなの、かしら……」

 

 と苦言を呈したので、初月ならびに長波は、このフランス戦艦娘を良識ある新たな仲間として改めて、快く迎え入れたのだった。そして、事件は、この宴が端緒となったのである。ほろ酔いの長波がリシュリューに、

 

「もし提督が体目的だったらどう思うよ」

 

 と何の気なしに訊ねたのがきっかけだった。

 

 リシュリューはワインを転がして優雅に足を組み替えた。

 

「男はね、“好き”を“性欲”で嵩増ししてる生き物なのよ」

「なんか始まったぞ」

「男のいう“好き”は、“愛”と“性欲”の合計値なの。たいして愛していなくてもその女とセックスしたい欲が恐竜みたいに大きかったら、ふだんはとても彼女を愛しているように振舞うし、たぶん男のほうも口では彼女のことを心から愛しているとか言うでしょう。ところがセックスをすると性欲がなくなるでしょ、男は。そこになにが残るか、まだ“愛”が残ってるかっていうのが大事なのよ。

 “愛”から“セックス”を引いたときに残るのが、ほんとうの“好き”なの。これ覚えといて。男の好きの公式。好き=愛+性欲。petite mortにこそ男の本性は現れるのよ」

 

 性行為の直後に訪れるぐったりとした無我の境地をフランス語ではpetite mort(小さな死)という。

 

「射精を終えたあとが男の本当の姿ということよ。終わったあとさっさとシャワーを浴びに行く。話しかけようとしたら疲れたからちょっと静かにしてくれとかキレる。帰れと追い出す。もしこれを、男ってそういうものだからって思ってたら大間違い。そういう男は、彼女とセックスして、“愛”から“性欲”を引いたらほんの少ししか残らなかったか」

「むしろマイナスか」

「マイナスか。そう。好き=愛+性欲。じゃあ、愛が10で、性欲が190だったら、ふだんは200も好きだけれど、セックスしたら性欲の190が引かれて、10の愛だけになる。ふだんの20分の1しか好きじゃなくなる。だから顔を見るのも嫌になって、それでさっさとシャワー浴びて帰れってなる。でも何時間とか何日とか間を置いたら、また性欲って回復する。10の愛だけだったのが、性欲の190で上積みされる。するとまた彼女のことが200も好きになるから優しくなる」

「男の事後の手のひら返したようなムーブってそういう……」

「そう、だからセックスしたあとの振る舞いが、彼女に対する男の本当の気持ち。セックスした直後が男の本当の姿。本性」

「そんじゃあ提督は?」

「一晩じゅう腕枕してくれる」

「腕しびれんだろ」

「それでもしてくれる。何時間でもおしゃべりしてくれる。汗と体液まみれのリシュリューを、もうぎゅっと抱きしめて“好きだ”って嫌味なく言ってくれる。カピカピになるまで。これが愛よ。Amiralは愛1000、性欲500だから、引いても500の好きが残ってる。それがわかるのがうれしくて、毎日してる」

「じゃあ、提督とやったあと優しくされるのが好きであって、提督とセックスすること自体はそんな好きっつうほどでもない?」

「好きよ。好きじゃなかったら毎日何回もするわけないじゃないの」

 

 すっかり赤ら顔の長波が苦笑いした。

 

「性欲が恐竜みたいにでかいのは、おまえのほうなんじゃないか」

「じゃ、リシュリューは失礼するわね。ジャン・バール、あなたはみんなと楽しんでてちょうだい。(イタリア艦娘らの卓を親指で指しながら)あの連中も悪い連中じゃないわよ」

「姉さんは?」

「Amiralと“おしゃべり”をしてくるわ」

 

 リシュリューは妖しい笑みを残して間宮を後にした。長波がにやにやとする。初月は我関せずで秋月型の姉妹とともに料理の掃討戦にとりかかっていた。

 

「あのamiralは、ほんとうに姉さんのこと愛してるのかしら」

 

 ジャン・バールがぽつりとこぼした。

 

「愛しているなら、わたしが姉さんの格好してても、きっとわかるはずよね」

 

  ◇

 

 翌朝。リシュリューが提督とデートする日である。昨夜はともに過ごしたふたりだったが、朝はそれぞれ用事があるので、昼ごろに待ち合わせをすることになっていた。

 

 それを聞いたジャン・バールは、戦艦寮にて姉にゆうべの思いつきを提案した。当然のことながらリシュリューは眉間に不快感を刻んだ。

 

「邪魔して楽しいの?」

「わたしを姉さんと間違わなければ、なんの邪魔にもならないでしょう?」

 

 理屈である。長波に誘われて同席していた初月も、姉に変装すべくメイクを始めたジャン・バールの背中にため息をついた。

 

「そんな進んで『気狂いピエロ』にならなくても」

「Amiralがわたしを姉さんだと思って部屋に連れ込んだら、彼は『山椒太夫』のラストシーンを自分の目で再現するでしょうね」

 

 ふたつ並ぶ涙ぼくろのひとつを消し、下唇に付けぼくろを貼った。すみれ色の光彩はカラーコンタクトでブルーに変える。リシュリューのファッションを模倣すべく服をセレクトする。

 

「どう?」

 

 そこにはもうひとりのリシュリューがいた。初月も長波も目を疑う。並んでさえ見分けがつかない。

 

 昔からジャン・バールは姉と似た自分の顔が気に入らなかった。姉が優秀であればあるほど比較の俎上に載せられた。派遣先における歓迎の文句が「リシュリューの同型艦(・・・・・・・・・・)がきた」だったことも一度や二度ではない。姉はネームシップなのだからそれもやむを得ないのかもしれない。とはいえあくまで彼女の扱いは「戦艦ジャン・バール」ではなく、「リシュリュー級高速戦艦の2番艦」でしかなかった。つまりは2隻目のリシュリューである。姉に対して悪感情はない。むしろ同じ戦艦娘として憧憬の念さえある。しかし矜持になんらのかすり傷もないといえばうそになる。

 

 ジャン・バールとしては、これまで自身の胸中にわだかまりを沈殿させてきた根源たる「顔」を使った、ちょっとした茶目っ気のつもりであった。リシュリューはあきれ顔で、ただ肩をすくめた。

 

「で、待ち合わせは何時なの?」

 

 ジャン・バールが訊ねた。長波が腕を組む。

 

「そういやリシュリューが時間守ったことねえな」

「失礼ね。仕事では守ってるわ」とリシュリューが憤懣やるかたないといった調子で両手を蜂腰にあてた。「長波たちと待ち合わせるときは“何時くらい(・・・)に行く”って言ってるでしょ。日本の新幹線みたいに何時何分定刻に着くって明言しておいて、もし遅れちゃったら、そりゃあリシュリューだってちゃんと謝るけど、“くらい”って前もって言ってあるもの。だから遅刻じゃない」

 

 長波と初月は顔を見合わせた。ここらへんの自己弁護はさすがフランスである。

 

「姉さん、まさかamiral相手にもそんな調子じゃ……」

 

 ジャン・バールは頭を抱えた。

 

 のちにジャン・バールが提督からこっそり聞いたところによれば、リシュリューはふたりの待ち合わせでも「ちゃんと時間を守っている」らしい。しかし提督は「まあでもだいたい2、30分くらいは待つかな」と付け加えた。「……どういうこと? 理解できない。Amiralが着くのが早すぎるということ?」「ああ、つまり、リシュリューは待ち合わせより早く着くと、時間つぶしに服屋をめぐるんだ。そのうち買い物に夢中になって、予定より遅れて来る。だから、ちゃんと時間前に来ているが、遅れる、ということになる。なんなら2周くらいしてきて、すでに紙袋で両手いっぱいになってる状態で来る」「姉さん……!」「わたしも床屋に行って順番待ちをしているときに漫画読んでて、いざ順番がくると“いいところだからちょっと待って”と言いたくなるから、リシュリューの気持ちもわかる」「それでamiralはいいの?」「そういうのが苦にならない女性を見つけられて、わたしは幸せだね」……そういうことである。

 

 さて、待ち合わせに向かうには頃よい時刻となった。ジャン・バールの目論見を妨害するなら、リシュリューは「服屋めぐり」なぞせずに妹より先に提督と合流すればよい。しかしそれをすると提督を信じていないと言外に示すことになる。リシュリューのプライドが許すはずもない。よってリシュリューは常と変わらぬ行動を強いられる。姉の性分を熟知しているジャン・バールの企図した通りにことは運んだ。

 

 剣呑な姉妹をよそに長波は初月の肩に腕を回した。

 

「じゃあ、あたしらも妹と間違える提督のマヌケ面拝ませてもらうか」

「僕もか?」

「興味ないか?」

「ないとでも?」

 

 初月と長波は互いの握りこぶしを軽くぶつけた。抜錨、作戦開始。

 

  ◇

 

「目標発見、十二時の方向」

 

 休日朝の雑踏のなか、手で目庇(まびさし)した初月が目視確認する。すでに提督は横浜駅西口の目と鼻の先にある老舗百貨店入り口で持参の文庫本を閲読しつつ待っていた。しばしば提督とリシュリューが使う待ち合わせ場所である。

 

 ジャン・バールと初月、長波、そしてリシュリューは、百貨店入り口から北に50メートルほどの商業ビルがひしめく交差点近くに、街路樹として植樹されている一本の(かつら)に身を寄せ合うようにして、こっそりと提督の様子を窺っていた。皆サングラスをかけて偽装もばっちりである。

 

「ところでなんでリシュリューもいる」

 

 初月が無表情で振り返りもせずに訊いた。

 

「いいじゃないの別に。リシュリューは自由の国から来たんだから」

「提督がジャンにのこのこついてくかどうか心配だったんだろ~」これは長波。

「い・い・か・ら! 静かにして。ばれたらどうするつもり?」

「この距離と人通りじゃばれないわよ、ちょっと姉さん押さないでよ」

 

 一本の細い街路樹の陰を奪い合うこの4人の奇行は目立たぬはずもないように思われたが、通行人たちはいずれも関わり合いにならないほうがいいと本能で悟って見て見ぬふりをしたので、彼女らに目立っている自覚はなかった。

 

「じゃあ行ってくるわ」

 

 ジャン・バールが髪を手で払って颯爽と出陣する。後ろ姿も歩くさまも、周囲に纏う空気もリシュリューそのものである。初月と長波はトトカルチョを始めた。「僕らでさえ見分けがつかない。香典が惜しいな」「あれじゃあ間違えちゃってもしょうがねえよ」「まいったな。賭けにならないぞ」

 

「Mon amiral. 待たせたかしら」

 

 ジャン・バールに声をかけられた提督が、文庫本から顔を上げ、面上に笑みを乗せた。

 

「やあ。きょうもきれいだね」

「当然でしょう?」

「うん。そのネイルもとても素敵だよ」

「ありがと。で、きょうはどこに連れて行ってくれるの?」

 

 提督が不審に思っている気配はなかった。提督とジャン・バールのあいだに親密な空気が漂った。提督は文庫本をひらいたまま、少しだけ考えてから、

 

「前回はわたしに付き合ってもらったから、きょうはリシュリューの番だよ。冬物の買い物と批評と、荷物持ちかな」

「そうだったわね」

「けっこう歩くだろうから、そうだね、そういうウェッジサンダルとかのほうがいいんだろうけどね。いいねその靴。アプリコットで落ち着いていて」

「そうでしょう? Amiralもとても素敵よ」

「そうかい? ありがとう」

 

 相好を崩す提督にジャン・バールはほくそ笑む。提督の腕に、みずからの腕を絡ませる。

 

「じゃあ、行きましょう、Mon amiral」

 

 ジャン・バールは勝利を確信した。提督はジャン・バールをリシュリューだとすっかり信じ込んでいる。たかがメイクで似せただけで! やはり男など、女のうわべしか見ていないのだ。そしてそんな男を選んだ姉の見る目もないことが証明された。遠巻きに双眼鏡で監視する初月と長波も、近くのダイナーで買ってきたバンズから肉がはみ出んばかりのハンバーガーにかぶりつきながら固唾を呑んだ。

 

 しかし、腕を引き寄せられても、提督は動かなかった。

 

「ごめんね、ジャン・バール。いまリシュリューを待ってるから」

 

 提督は苦笑いして言った。

 

 ジャン・バールは瞬時、唖然として、しばらく二の句が継げなかった。理解が追いつくのに少々の時間を要した。なぜだ。変装は完璧だったはずだ。

 

「いつから、気づいてたの」

「気づくもなにも、そりゃ最初からだよ。ジャン・バールとここで会うのは奇遇だなと……ああ、リシュリューのまねをしてたのか。どうりでメイクとか服のセンスがお姉さんに似てると」

Pourquoi(どうして)?」ジャン・バールは母国語が漏れるほどにとまどった。「見分けなんてつかないはず?」

「そんなの間違えようがないよ」

「なぜですか。それは、姉さんより、顔が違うということ?」

「いや、だって、ジャン・バールはジャン・バールだろう」

 

 提督はさも当然のことだといわんばかりに返した。

 

 ここでジャン・バールのスマホが鳴った。初月からの着信だった。「もういいぞ、帰ってこい。……おいリシュリュー、いつまでガッツポーズしてる」ともかくジャン・バールは助け舟に飛び乗った。「わかったわ。――じゃあamiral、 お時間とらせたわね」「いや。よい一日を」

 

 三人のもとへ戻ったジャン・バールは、姉の手を痛いほど握って釘を刺した。「あのamiralだけは逃がしちゃだめよ」これにリシュリューは微笑で答えた。「当然よ」

 

 ジャン・バールと入れ違いのようにリシュリューが来て、提督は鷹揚に手を挙げつつ文庫本を胸ポケットにしまった。

 

「きみが来てくれるといつも安心するよ。そのピアスかわいいね。リシュリューの髪の色にもよく似合ってる。髪の巻き方っていうのかな、変えたりしたのかい」

「ええ。前のリシュリューは内巻きだったけど、きょうはミックス巻き」

「わたしが見るのは初めてだよね? とてもきれいだよ。華やか」

「そうでしょう? あなたもとても素敵よ」

 

 お互いの存在を確かめあうような抱擁を交わしたあと、提督は視線をリシュリューと名門百貨店に往復させた。

 

「そっちから来たからびっくりしたよ。てっきり百貨店(こっち)から来るかと」

「たまにはね」

「珍しい。珍しいといえば、さっき、妹さんに会ったよ」

「へえ?」

「妹さんはリシュリューのことが好きなんだね」

「自慢の妹よ」

「一人っ子だから憧れるよ」

「あら。あなたにも妹ができるでしょ? 義理の」

 

 リシュリューが提督の手に指を絡ませる。軽く引っ張る。提督も握り返す。

 

「そうだね」

 

 雑踏はもはや舞台装置にすぎない。世界にはふたりしかいない。リシュリューと提督はおなじ歩調で前へ進む。

 

 リシュリューはふと、あることに思い至る。

 

「――もしかして、時間通りに来たから偽物だってわかった、とかじゃないでしょうね」

 

 それに提督は大笑しながら、答えはしなかった。


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