ハリー・ポッターと合理主義の方法   作:ポット@翻訳

102 / 122
102章「関心の有無」

一九九二年六月三日。

 

クィレル先生の状態は悪化している。

 

五月にユニコーンの血を飲んでからしばらくは小康状態がつづいたものの、クィレル先生の強力なオーラは最初の一日たらずでもうなくなっていた。 五月の十五日(イデス)には、両手がごくわずかにではあるが震えるようになった。 食餌療法をああも早く中断してしまったのがたたったらしい。

 

いまから六日まえの夕食中に、クィレル先生は倒れた。

 

マダム・ポンフリーはクィレル先生に授業をやめさせようとしたが、クィレル先生は全員のまえで、 『どうせ近く死ぬのだから好きに時間をつかわせろ』と怒鳴りかえした。

 

それを受けてマダム・ポンフリーは一度目をぱちぱちとさせてから、授業()()のあらゆる行動をしないようにと言った。 そしてクィレル先生を医務室に運ぶ手つだいをしてくれる人はいないかと募った。 すると百人以上の生徒が立ちあがった。そのうち緑色の服装をしている人は半分に満たなかった。

 

〈防衛術〉教授が食事の時間に〈主テーブル〉にやってくることはなくなった。 授業で呪文をつかうこともなくなった。 クィレル点を大量に獲得していた上級学年の生徒何名かが助手をつとめるようになった(その全員がこの五月に〈防衛術〉のN.E.W.T.を受験していた)。 助手は交代制で、浮遊術でクィレル先生を医務室から授業の場所へと運び、食事どきには食べものをとどけた。 クィレル先生は椅子にすわって〈戦闘魔術〉の授業を監督するようになった。

 

ハーマイオニーが死んでいくのを見ることはこれ以上につらかったが、これほど長くつづきはしなかった。

 

これこそが真の〈敵〉だ。

 

ハリーはハーマイオニーが死んだあと、すでにそう考えてはいた。 クィレル先生が日を追うごとに、また週を追うごとに死んでいくのをいやおうなく見せられて、決意はむしろかたまるくらいだった。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()  ハリーはそう思いながら、水曜日の〈防衛術〉の授業でクィレル先生が椅子の片がわに寄りかかりすぎて倒れそうになるのを当番の七年生の助手が支えているのを見ている。 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

ハリーはトレロウニーの予言についてずっと考えていた。真の〈闇の王〉は実はヴォルデモート卿となんの関係もないのではないのか。 『彼を三度しりぞけた親のもとに生まれ』……この部分はペヴェレル兄弟と三種の〈死の秘宝〉を強く示唆しているように聞こえる——しかしそうだとすると、〈死〉がハリーに対等な相手としての印をつけるという部分が難点ではある。それでは〈死〉そのものがなんらかの行動をとるという意味になりそうだから。

 

真の〈敵〉はこれ以外にない。 このつぎにやられるのはマクゴナガル先生、ママとパパ。もしかするとネヴィルさえも。世界の傷ぐちを癒すのが間にあわなければそうなる。

 

ハリーにできることはなにもない。 マダム・ポンフリーはすでに魔法的にできるかぎりのことをクィレル先生にしている。そしてこと治癒に関しては、マグルの技術より魔法のほうが秀でているようだ。

 

自分にできることはなにもない。

 

できることがなにもない。

 

なにも。

 

なにひとつない。

 

◆ ◆ ◆

 

ハリーは手をあげて扉をノックした。相手はこちらを検知できなくなっているかもしれないと思って。

 

「なんだ?」と医務室のなかから苦しそうな声がした。

 

「ぼくです。」

 

しばらくしてから返事があった。 「はいりなさい。」

 

ハリーは部屋のなかにすべりこんで扉を閉め、〈音消しの魔法〉をかけた。 クィレル先生からはできるかぎり距離をとって立った。自分の魔法力が不愉快に感じられるかもしれないと思って。

 

ただ、あの破滅の感覚は日に日に弱まっている。

 

クィレル先生は医務室のベッドに背をあずけていて、枕にのせられた頭部だけが起きあがっている。 赤と黒の縫い目がある綿っぽい掛け布が胸までかぶせられている。 両目のまえに本が一冊、青白い光の膜につつまれて浮かんでいる。光はベッド脇におかれた黒い立方体につながっている。 ということは、本を浮かべているのは〈防衛術〉教授本人の魔法力ではなく、なんらかの装置らしい。

 

その本はエプスタインの『物理学の考えかた(Thinking Physics)』。ハリーが数カ月まえにドラコに貸したのとおなじ本だ。 ハリーはこの本が悪用される可能性について心配するのを数週間まえにやめた。

 

「この——」と言いかけてクィレル先生は咳をした。軽い咳ではなかった。 「この本はとても興味ぶかいな……わたしももっと早くから気づいていれば……」  笑う音と咳の音がまざった。 「わたしはなぜマグルの技は……自分に似合うはずがないと、なんの役にも立ちはしないと、思いこんでいたのか。 なぜ一度も……ためそうともしなかったのか……きみの言いかたでは、実験的に検証しなかったのか。 自分が……まちがった思いこみを……していることもあると……考えなかったのか。 思えば……まったく愚かな態度だったようだ……」

 

クィレル先生以上に自分のほうがうまく話せないように感じられ、 ハリーは無言のままポケットに手をいれ、とりだしたハンカチを床におく。 広げたなかに、白くつややかな小石がある。

 

「それはなんだ?」

 

「これは……これは、その……〈転成〉したユニコーンです。」

 

ハリーは実際にやってみるまえに本で調べて、自分の年齢の子どもはまだ性的な思考をしないため、ユニコーンに近寄ってもこわがられることがない、ということをたしかめていた。 本にはユニコーンが知的な生きものであるとは書かれていなかった。 知的な魔法生物は、水中人(マーフォーク)、ケンタウロス、巨人、エルフ、ゴブリン、ヴィーラなどどれをとっても部分的には人間型(ヒューマノイド)であることにハリーは気づいていた。 どれも人類に似た感情をもっているうえ、人類と交雑しているものも多い。 魔法に知性をうみだす効果はなく、できるのは遺伝的に人間である生物の外形をかえることだけだというのがハリーの結論だった。 ユニコーンはウマ型であり、部分的にすら人間型をしていないし、言語も道具もつかっていない。つまりほぼまちがいなく、魔法的なウマにすぎない。 自分があと一日生きのびるためにウシを食べることがまちがっていないとしたら、あと数週間だけ死をまぬがれるためにユニコーンの血を飲むことがまちがっている()()()()()。 そうでないと言うのは一貫性がない。

 

そう考えてハリーは〈マント〉を着て〈禁断の森〉に行った。 〈ユニコーンの木立ち〉のなかを探しまわって見つけたのが、純白の体毛と紫色のたてがみをもち、(ひばら)に青色の点が三つある、誇り高いすがたのユニコーンだった。 近寄ると、青玉(サファイア)の目がものめずらしそうに見かえした。 ハリーは靴で地面を一回、二回、三回とたたくことを何度かくりかえした。 ユニコーンはなんの反応も返してこなかった。 手をのばして、こんどはひづめを一回、二回、三回とたたいてみても、 不思議そうにこちらを見かえしてくるだけだった。

 

それでもまだ、ユニコーンに睡眠の水薬いりの角砂糖をのませるというその行為は、どこか殺人のように感じられた。

 

『その魔法力から、単純な動物にはない存在の重みがうまれます。』 『自分が生きながらえるために無辜の者を殺すことは、非道な所業だ。』  マクゴナガル先生が言ったこととケンタウロスが言ったこと、そのふたつがハリーのこころのなかを何度も駆けめぐる。そのあいだに白いユニコーンは足をくずして地面に横たわり、二度とひらくことのない目を閉じた。 その後一時間がかりで〈転成術〉をかけるあいだ、ハリーの目に何度となくなみだが浮かんだ。 ユニコーンはその時点でまだ死んでいなかったとしても、遠からず死ぬ。そしてハリーにはもともとどんな責任を拒絶する発想もない。 自分のためではなく仲間のために殺すのであれば最終的にはそれでよかったのだといえることを願うしかない。

 

クィレル先生の両眉が髪のはえぎわにむけて上がった。声から弱さが薄れ、ふだんの鋭さが多少もどった。 「きみはそれを二度としてはならない。」

 

「そう言われるんじゃないかとは思いましたが……」  ハリーはまた言いよどむ。 「このユニコーンはもう……もう助かりません。だから受けとってください……。」

 

「きみはなぜこんなことをした?」

 

本気でそれがわからないほど鈍感な人をハリーはほかに知らない。 「ずっと自分にできることはなにもないと思いつづけて……そう思うのがいやになったからです。」

 

クィレル先生は目をとじて、また枕にあたまをのせた。 「運よく……」と〈防衛術〉教授は小声で言う。 「〈転成〉したそのユニコーンは……外来の生物としてホグウォーツ城の結界に検知されなかったようだが……役立てるには……学校のそとに持ちださねばならない……が、それはなんとかしよう。 湖が見たいと言うことにしよう……きみはそれを置いて出ていってからも当分〈転成〉を維持してくれ……そしてわたしの最後のちからで、ユニコーンの群れにかけられているであろう、死を検知する警報を解除しておく……そのユニコーンは死なずに〈転成〉されているだけだから、その警報にかからなかったとみえる……まったく、きみは運がよかった。」

 

ハリーはうなづいた。 そしてなにかを言おうとして、言いやめた。 またことばがのどにつかえて出てこなくなっているようだった。

 

うまくいった場合と、いかなかった場合とを想定した期待効用の計算はもうすんでいるだろう。 それぞれの確率を決めて、かけ算をして、結果をほうりなげて、勘で判断した。それでも結果はかわらなかった。 だから言ってしまえ。

 

「なにかひとつでも……あなたが死なずにすむような方法を、ひとつでも知っていますか?」

 

〈防衛術〉教授は目をあけた。 「だが、なにを思って……そんな質問を?」

 

「ぼくは、ある呪文のことを……ある儀式のことを聞きました——」

 

「待て、言うな。」

 

つぎの瞬間、ヘビがベッドの上に横たわっていた。

 

そのヘビですら、眼光が鈍い。

 

そして横たわったままでいる。

 

続ケロ。」  シュルシュルと動く舌以外、ヘビは微動だにしない。

 

「ぼくは……ボクハ アル 儀式ノ コトヲ 学校長カラ 聞イタ。〈闇ノ王〉ガ ソレヲ 使ッテ 生キノビタノデハ ナイカト 学校長ハ 考エテイル。 ソノ 儀式ノ 名前ハ——」  ハリーは一度言いやめたが、すぐに自分が〈ヘビ語〉でそれをどう言うかを知っていることに気づいた。 「ほーくらっくす。 ソレハ 死ガ 必要ナ 儀式 ラシイ。 アナタハ モウ 死ヌカラ、大キナ りすくガ アッタト シテモ、儀式ヲ 改変シテミテ 損ハ ナイ。死以外ノ 犠牲デ 同ジコトガ デキレバ 世界ハ 変ワル—— トハイエ ボクハ ソノ呪文ヲ 少シモ 知ラナイ—— 学校長ハ 魂ヲ チギリトル 呪文ダト 言ッタガ、ボクハ アリエナイト 思ウ——

 

ヘビは空気音で笑った。狂乱と言えるほどの、奇妙に鋭い笑い声だった。 「ソノ 呪文ノ コトヲ 話ス? ヨリニヨッテ ワタシニ? 今後ハ モット 警戒スルノダナ。 シカシ 結局 意味ガナイ。 ワタシハ ソノ ほーくらっくす トイウ 呪文ヲ 遠イ 昔ニ 知ッタ。 無意味ナ 呪文ダ。

 

「無意味?」  ハリーは思わずそう声で言った。

 

魂ガ 実在スルト シテ、ソモソモ 無意味。 魂ヲ チギリトル 呪文? ソレハ 嘘ダ。 真ノ 秘密ヲ 隠スタメノ 心理誘導(ミスディレクション)。 並ノ 嘘ヲ 信ジナイ 者ダケガ、推理デ ソノ裏ヲ 見通シ、呪文ノ 方法ヲ 突キ止メル。 必要ナ 殺人ハ 犠牲ノ 儀式 ナドデハ ナイ。 突然 死ンダ 人間ノ 魔法力ガ アフレテ 手近ナ 物体ニ 刻印サレテ 幽霊ガ デキル コトガ アル。 ほーくらっくすノ 呪文ハ 死者カラ アフレタ 魔法力ヲ 使イ手ニ 流シコミ、犠牲者ノ 幽霊ノ カワリニ 使イ手ノ 幽霊ヲ ツクリ、特別ナ 道具ニ 幽霊ヲ 刻印スル。 第二ノ 犠牲者ガ ほーくらっくすノ 道具ヲ 拾ウ。道具ハ 拾ッタ 者ニ 記憶ヲ 刻印スル。 ダガ 刻印スルノハ ほーくらっくすガ デキタ トキノ 記憶ダケ。 コノ 欠陥ガ ワカルカ?

 

焼けるような感覚がハリーののどにもどってきた。 「ソコデ——」  『意識』に相当するヘビ語はない。 「——自分ガ 不連続ニ ナル。ほーくらっくすヲ ツクッタ アトニ 考エタコトヤ 記憶ハ、考エタ 自分ガ 死ネバ モウ 戻ラナイ——

 

正解ダ。 〈まーりんノ 禁令〉ガ アルタメ、強イ 呪文ノ 知識ハ 道具ヲ 通ジテ 伝エラレナイ。道具ハ 真ノ 意味デ 生キテイナイ。 〈闇ノ 魔術師〉ハ 復活シタ ツモリデモ 弱ク、簡単ニ 倒サレル。 ソノ 方法デ 長ク 生キノビタ 者ハ イナイ。 人格ガ 犠牲者ノ 人格ト 混ジリ 変化スル。 真ノ 意味デ 死ヲ 克服 デキナイ。 オマエガ 言ウトオリ、真ノ 自分ガ 失ワレル。 イマノ ワタシノ 好ミ デハナイ。 遠イ 昔ニハ 考エタガ。

 

医務室のベッドの上にまた男が横たわった。 〈防衛術〉教授は一呼吸してから、重い咳をした。

 

「……その呪文のくわしい手順を教えてくれませんか?」  しばらく逡巡してからハリーは言う。 「よく調査すれば、欠陥をうめあわせることができるかもしれません。 なにか道義的な問題のないやりかたで実現できるかもしれません。」  罪のない人を犠牲にするかわりに、白紙の脳をもつクローンの身体に転送するとか。そのやりかたなら、人格をよりよくたもつこともできるかもしれない……。といってもそれだけでは解決しない問題もあるが。

 

クィレル先生はふっと小さく笑うような音をだした。 「実は以前は……きみに……すべてを教えようと思っていた…… わたしの知るあらゆる秘密を凝縮し……生きた精神から生きた精神へ伝えることで…… きみがいつか適切な本を読めば理解できるようにと……。きみというあとつぎに、わたしの知識を伝えるつもりがあった……求められればすぐにでもはじめる用意があった……だがきみは求めなかった。」

 

自分がそれだけの巨大な機会をのがしていたことを知り、ハリーがまとっていた悲嘆の空気も退潮した。 「求めなかった——? 求める必要があることも知りませんでしたよ——!」

 

また咳まじりの笑い声。 「ああ、そうだったな…… 世間知らずのマグル生まれ…… 血統はともかく文化のうえでは……きみはそういう存在だった。 しかし、わたしも……考えをあらためた…… きみにわたしとおなじ道をすすませるべきではないと…… けっきょくそれはよい道ではなかった。」

 

「まだ間にあいますよ!」  ハリーがそう言うのを聞いて、ハリーの一部分は利己的なことを言うなとさけんだが、すかさず別の部分が、それで救える人たちもいるのだから、と反論した。

 

「いや、間にあわない…… 説得しようとしても無駄だ…… くりかえすが、わたしは考えをあらためた…… わたしは知られるべきでない秘密をためこみすぎた…… ()()()()()。」

 

ハリーは見まいとしながら見てしまった。

 

しわはまだないが、老いて憔悴したような顔。髪の毛がどんどんなくなっていて、側面部も薄くなっている。これまではいつも鋭く感じられた顔のかたちすら、やせ細ったように感じられ、筋肉と脂肪が顔や腕からも抜けつつあるように見える。ちょうどそれは、アズカバンで見た骸骨のようなベラトリクス・ブラックのよう——

 

ハリーは思わずそこから顔をそむけた。

 

「あまり陳腐な言いかたはしたくないが…… 事実……〈闇の魔術〉とよばれるものは……たしかに……人をむしばむ面がある。」

 

クィレル先生は息をすいこみ、はきだした。 医務室に無言の時間が流れ、そのあいだ二人を見ているものは緻密な模様のきざまれた四方の壁だけだった。

 

「いまのうちになにか……話しておくべきことは? といっても……わたしが今日にも死ぬということではない…… ただ……いつまで会話できる状態がつづくかも分からない。」

 

「それは……」  ハリーはまた言いよどむ。 「それは、とてもじゃありませんが、言いきれないほどありますよ…… ひとつ、質問していいことじゃないかもしれませんが、このまま——このまま答えを聞かずに終わりたくないことがあります。その話は——ヘビで?」

 

ベッドの上にヘビがあらわれた。

 

ボクハ 〈死ノ 呪イ〉ノ 仕組ミヲ 知ッタ。 量ハ 少ナクテモ 真ノ 憎悪ガ 必要ダト。標的ノ 死ヲ 願ウ 必要ガ アルト。 命食イノ イル 牢屋デ、アナタハ 番人ニ 〈死ノ 呪イ〉ヲ 撃ッタ——ダガ 死ヲ 願ワナカッタト 言ッタ——ソレハ 嘘ダッタノカ? イマ、ココデ、コノ 距離ガ アレバ——真実ヲ 言エルハズ——言エバ 印象ガ 悪ク ナルト 思ウト シテモ——イマハ 気ニ ナラナイハズ。 ボクハ 知リタイ。 知ラネバ ナラナイ。 ドチラノ 答エデモ、ボクハ アナタヲ 見捨テナイ。

 

ベットの上に男があらわれた。

 

「よく注意して聞け……」  クィレル先生は小声で言う。 「いまからわたしはある難題を……危険な呪文にかかわる謎かけを言う…… それをとくことができれば……きみはきみの質問の答えを知る……いいか?」

 

ハリーはうなづいた。

 

「〈死の呪い〉には……制約がある。一回の戦闘中に……一度つかうには……相手の死を願うだけの憎悪が必要だ。 二度……アヴァダ……ケダヴラをつかうには……相手を二度殺すだけの憎悪が……みずからの手で相手ののどを切り裂き……死ぬのをながめてから……もう一度そうしたいと思うことが必要だ。 だれかを五度殺すだけの……憎悪をいだける者は……ほぼ皆無……そのまえに……気持ちがとぎれる。」  〈防衛術〉教授はそこで何度か息をすいなおした。 「しかし歴史をさかのぼれば……〈死の呪い〉を幾度もくりかえしてつかった……〈闇の魔術師〉もいる。 ある十九世紀の魔女……自称〈闇の福音〉……〈闇ばらい〉はA・K・マクダウェルと呼んだ…… 彼女は一回の戦闘で〈死の呪い〉を……十数回つかったという。 そこにどんな秘訣があったのか……きみもわたしのように…… 自問してみれば分かるのではないか。 憎悪より確実に死をもたらし……制約なく湧きでるものといえば?」

 

もう一段上のアヴァダ・ケダヴラ……〈守護霊(パトローナス)の魔法〉にもそれがあったように……

 

「ぼくは興味ありません。」

 

〈防衛術〉教授は湿った笑い声をたてた。 「そう、いい答えだ。きみも……だいぶ進歩した。 つまり……」  変身の瞬間にことばがとぎれる。 「ワタシハ 実際ニハ 番人ノ 死ヲ 願ワナカッタ。 〈死ノ 呪イ〉ヲ 撃チハ シタ。ダガ 憎悪ハ コメナカッタ。」  そしてまた人間のすがたへ。

 

ハリーはごくりと息をのんだ。 それは予想していたより、よくも悪くもある答え、クィレル先生らしいといえる答えだった。 人間としてどこかが壊れている。 しかしクィレル先生は一度も自分が健全な人間だと主張してはいない。

 

「話は……それだけか?」

 

「ほんとうに……あなたを救うようなものについて、なにひとつ心当たりはありませんか? あなたほどの知識があれば、ひとつくらいはありませんか? 三つの〈死の秘宝〉をそろえて合体させるとか、マーリンが封じた古代の魔法具にまだだれにも解かれていない謎かけ(リドル)があるとか。 あなたはぼくの能力の一端を知っているはずです。 ぼくは謎かけを解くのが得意で、 ほかの魔法使いが解明できなかったことを、ときには解明できたりもするということも。 ぼくは——」  ハリーの声が一度とぎれる。 「ぼくはあなたが死ぬことよりも生きることを強く選好しています。」

 

しばらく返事はなかった。

 

「ひとつ……」と小声でクィレル先生が言う。 「ひとつ……多少の見こみがあるものがあるが……たしかではない……。いずれにしろ、きみの能力でも、わたしの能力でも、入手することはかなわない……」

 

なるほどね、これは付帯クエストへの導入部分だったのか——とハリーの〈内的批評家〉が言った。

 

それ以外の部分のハリーはそろって『だまれ』と言った。 人生はそういう風にすすまない。 古代の魔法具を見つけることが不可能でないとして、一カ月では無理だ。とくに自分がホグウォーツ城にとじこめられていて、まだ一年生である場合は。

 

クィレル先生は深く息をすって、はいた。 「悪い……。言いかたが……おおげさだった。 あまり……期待しすぎるな。 きみはなにかひとつでもと……どんなに見こみが薄くてもよいからと、言った。 そういうものがひとつある……その名前は……」

 

ベッドの上にヘビがあらわれた。

 

〈賢者ノ石〉。

 

もし実は安全に不老不死をあたえてくれる大量生産可能な物品はずっと存在していて、だれもやってみようと思わなかっただけだなどと言われたら、ハリーは人間をみな殺しにしてやりたくなる。

 

ボクハ 本デ ソレヲ 読ンダ。 明ラカニ 伝説ダト 判断シタ。 一ツノ 道具ガ 不死ト 無限ノ 黄金ノ 両方ヲ 与エル 理由ガ ナイ。 ダレカガ 幸セナ 物語ヲ ツクッテミタダケ デナケレバ。 事実ダト シタラ、当然 アラユル 正気ノ 人間ガ モット 多クノ 〈石〉ヲ ツクル 方法ヲ 研究スルカ、作リ手ヲ 誘拐スル。 特ニ アナタナラ ソウスルダロウト。

 

冷ややかな笑いの空気音。 「 鋭イ 推理ダガ、マダ 不足。 ほーくらっくすノ 呪文ノ 場合ト 同ジク、不条理ノ 裏ニ 真ノ 秘密ガ アル。 真ノ 〈石〉ハ ソノ伝説ト 相違スル。 真ノ 能力ハ 通説ト 相違スル。 〈石〉ヲ 作ッタト サレル 者ハ 真ノ 作リ手デハ ナイ。 〈石〉ヲ 持ツ 者ノ 現在ノ 名ハ 生マレノ 名デハ ナイ。 ダガ 〈石〉ハ タシカニ 強力ナ 治癒ノ 道具デハ アル。 キミハ ソレニツイテ 話サレル ノヲ 聞イタカ?

 

本デ 読ンダ ダケ。

 

〈石〉ヲ 持ッテイル 者ハ 多クノ 知識ヲ タクワエテイル。 学校長ニ 多クノ 秘密ヲ 教エモ シタ。 学校長ハ 〈石〉ヲ 持ツ 者ニツイテ ナニモ 話サナカッタカ? 〈石〉ニ ツイテハ? 示唆ダケデモ?

 

ボクガ スグニ 思イ出セル カギリデハ、ナイ。」  ハリーは正直にそう言った。

 

アア……ソウカ。

 

学校長ニ 質問シタホウガ ヨケレバ——

 

イヤ。質問ハ スルナ。 スレバ 学校長ハ ソレヲ 悪イ 意味ニ トル。

 

デモ 〈石〉ガ タダ 治癒 スル モノナラ——

 

学校長ハ ソウ 信ジテイナイ。言ッテモ 信ジナイ。 〈石〉ヲ 求メタ 者、〈石〉ノ 持チ主ノ 知識ヲ 求メタ 者ハ アマリニ 多イ。 質問ハ スルナ。 シテハ ナラナイ。 独力デ 〈石〉ヲ 入手シヨウト スルナ。 厳ニ 禁ジル。

 

ベットの上に、また男があらわれた。 「わたしは……そろそろ限界だ……。 きみのこの……贈り物をもって……森に行くまえに……回復しておかねばならない。 きみはここを去れ……だがそのまえに……〈転成〉を補充しておいてくれ。」

 

ハリーは手をのばして、ハンカチのなかにおかれた白い小石に触れ、〈転成〉を更新した。 「これであと一時間五十三分もちます。」

 

「きみの研究は……よくできている。」

 

この一年の最初のころ、ハリーはそれよりずっと短い時間しか〈転成〉を維持することができなかった。 二年次の呪文も苦労せずつかうことができるようになった。二カ月後には十二歳になっているのだからそれも当然だ。 〈記憶の魔法〉でさえ、相手が自分の左腕についてのあらゆる記憶をなくしてもいいのであれば、できているくらいだ。 ハリーは実力の階梯でいえばまだまだ下に位置しているが、すこしずつ着実に上にのぼっている。

 

それと同時に、ひとつの扉がひらくとき別の扉がとじるという、悲しいイメージも生じる。ハリーはそれも認めない。

 

◆ ◆ ◆

 

ハリーのうしろで医務室の扉が閉じた。〈死ななかった男の子〉は立ちどまることなく〈不可視のマント〉を羽織って歩いていく。 クィレル先生はこれからすぐに人を呼ぶことだろう。そして集まった上級生三人に、湖を見たいからとでも言って、森かどこか、静かな場所へ連れていかせる。 〈転成術〉がとけてもとにもどったユニコーンを人知れず食べていられるような場所へ。

 

〈防衛術〉教授はその後、しばらくのあいだ回復する。 最盛期と同等の実力がもどる。ただし、その効果はいっそう早く切れることになる。

 

長くはもたない。

 

ハリーは足を動かしながら、左右の手をにぎりしめる。腕の筋肉にちからがこもる。 もしハリーと()()()()()()()()()〈闇ばらい〉が、〈防衛術〉教授のあの食餌療法を邪魔していなかったなら……

 

自分を責めることは愚かだ。そうわかってはいながらも、ハリーの脳は自分を責めている。 どんなに無理があろうとも、どうにかしてこれを自分の責任にする理由を念入りに調べあげて見つけだそうとしているかのように。

 

自分の責任にする以外に悲嘆する方法を知らないかのように。

 

スリザリン寮の七年生三人が透明なハリーと廊下ですれちがい、〈防衛術〉教授の待つ医務室へ向かっていく。三人とも深刻なおももちだった。ほかの人たちはそういう風に悲嘆の気持ちをあらわすのだろうか。

 

それともクィレル先生が言うように、彼らも内面のどこかでは()()()なのだろうか。

 

一段上の〈死の呪い〉。

 

その謎かけをはじめて聞いた瞬間にハリーの脳は答えを言いあてた。 その答えは、以前からずっと自分のなかにいて、外にでる機会をうかがっていたかのようだった。

 

以前読んだなにかの本に、幸せの反対は悲しみではなく退屈だと書かれていた。生きていくなかで幸せを見つけるには、なにが自分を幸せにするかを考えるより、なにが自分を興奮させるかを考えたほうがよい、とも書かれていた。 同様の論理で、憎悪の反対は実は愛ではないということになる。 ひとはだれかを憎悪するとき、その時点である意味、相手の存在を承認してしまっている。 だれかのことを生きているより死んだほうがいいと思うのは、その相手に対して関心がある証拠だ。

 

この話はずっと以前に、〈審判〉の一件があるまえにハーマイオニーと話したことだった。そのときハーマイオニーは(かなり有力な直近の証拠をふまえるなら)ブリテン魔法界には〈偏見〉が存在するというようなことを言っていた。 ハリーはそのとき、『それでもきみは入学をさせてはもらえて、侮辱されてはいるじゃないか』と——言いはしなかったが——思った。

 

ある種の国に住んでいる人たちは、そうではない。おなじ人間である()()()()()()()()()()()としても、ユニコーンなどとちがって知能あるもの(サピエンス)だから価値が高い()()()()()()()()()()()としても、彼らにはマグル界のブリテンに住む権利が認められていない。 すくなくともその点に関して、マグルは魔法族にとやかく言う権利がない。 ブリテン魔法界はマグル生まれを差別しているかもしれないが、自分たちのがわに住まわせたうえで面とむかって侮辱するくらいのことはしている。

 

憎悪より確実に死をもたらし……制約なく湧きでるものといえば?

 

「無関心。」  ハリーはそう口にしつつ、その呪文を自分がつかえるようになる日はこないであろうと思う。 そして足どりをゆるめず、〈賢者の石〉に関するものを手あたりしだいに見つけて読みとおすつもりで、図書館へと急ぐ。

 

◆ ◆ ◆

 

原作品の著者:J. K. Rowling

ファンフィクションの著者:Eliezer Yudkowsky

 




次回の更新は2月末の予定です(準備期間が必要なため)

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。