ハリー・ポッターと合理主義の方法   作:ポット@翻訳

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104章「真実(その1)——謎かけと答え」

一九九二年六月十三日。

 

学年末の最終週。クィレル先生はまだかろうじて生きている。 そしてこの日も癒者のベッドにいる。過去七日間はほぼずっとそうである。

 

ホグウォーツの慣習として試験は六月の第一週におこなわれ、その結果は第二週に発表される。第三週の日曜日には〈休暇の宴〉がおこなわれ、月曜日にロンドン行きのホグウォーツ急行が発車する。

 

ハリーはこの日取りのことを遠い昔に本で読んだとき、不審に思った。六月の第二週の『試験の結果を待つ』という仕事はそう大変ではなさそうだが、発表日以外の日はなにをしていろというのだろう。そこには意外な答えがあった。

 

しかしその第二週ももうおわり、いまは土曜日である。あとは十四日の〈休暇の宴〉と十五日のホグウォーツ急行乗車のほか、なんの予定もない。

 

なのになんの答えもえられていない。

 

なにも解決していない。

 

ハーマイオニーを殺した人物はみつかっていない。

 

ハリーはなぜか、学年末までには真相がすべてあきらかになるはずだと思ってしまっていた。ミステリー小説には巻末で謎が解きあかされるという約束があるのとおなじように。 〈防衛術〉教授が……死ぬときには、謎が解明されていなければならない。答えがわからないうちに、問題が解決しきらないうちに、クィレル先生が死ぬようなことがあっていいはずがない。 試験の成績は答えではないし、もちろん死も答えではない。真相があきらかになってはじめて物語は終わることができる……。

 

しかし、ドラコ・マルフォイがまたあたらしく持ちだしてきたスプラウト教授犯人説、つまり、ハーマイオニーが殺人の罪を着せられていた時期にスプラウト教授が課したり採点したりしていた宿題の量が通常より少なかったのはスプラウト教授がそのとき犯行を計画していた証拠だという説を信じるのでもないかぎり、真相はいまだ闇のなかである。

 

なのに世界はハリーのようでない人たちの優先順位にしたがっているらしく、この一年をしめくくるのはクィディッチの一戦である。

 

◆ ◆ ◆

 

競技場の上空をホウキにのった小さな人影が滑空したり旋回したりしている。 人影がクァッフルという赤紫色の切頂四面体を受けとっては投げ、投げてははじかれ、ときどきそれが空中の輪のなかを通過して、競技場を揺らすほどの歓喜と落胆の声を誘う。 青色と緑色と黄色と赤色のローブを着た観客がそれぞれ、みずから動く必要がない場合にたやすく生じる種類の興奮を感じて、声をからしている。

 

ハリーは入学して以来、今日になるまでクィディッチの試合を見たことがなかった。そして見おわらないうちに今日を最後にしようと決めた。

 

「デイヴィスがクァッフルをとった!」とリー・ジョーダンが拡声器ごしに言う。 「これでまたレイヴンクローが十点獲得か、七……六……五……おっともう決めちゃった! 中央リングのど真ん中! 前代未聞の連勝記録ですね——ボータンの次の代のキャプテンは、もうこれでデイヴィスに決まったようなもの——」

 

リーの声が突然とぎれ、かわってマクゴナガル先生の拡声された声が。 「ミスター・ジョーダン、レイヴンクローチームの人事に口出しは無用です。 試合を解説するのがあなたの役目です。」

 

「さて今度はスリザリンがクァッフルをキープ——フリントからのパスをもらって、美貌の——」

 

「ミスター・ジョーダン!」

 

「——中の下くらいのシャロン・ヴィスカイノが飛びでました。長い髪の毛を箒星(ほうきぼし)のように流してレイヴンクローの防衛ラインに向かう——そこにもうブラッジャーが二匹食いついてきている! シャロンにつづいて、ピュシーもそこへ飛び——いやイングルビー、なにしてんの?——空中で一度ひねって進路を——あ、スニッチがいる? いけーっ、チョー・チャン、はやくしないとヒッグスが——いや、二人ともなにしてんの?

 

「ミスター・ジョーダン、落ちついて!」

 

落ちついてなんかいられるわけがないでしょう? あんな絶好の機会を見のがすなんて! さあもうスニッチはどこかにいってしまいました——あれでだめなら、もうずっとつかまらないんじゃないかな—— ピュシーがイングルビーの追撃を振りきってゴールポストへ——」

 

はるか遠い過去、あるいはどこかまったく別の世界で、クィレル先生はこの〈寮杯〉をスリザリンかレイヴンクローが獲得することになると約束していた。あるいは、どうにかして両方が獲得すると。それを含めてクィレル先生は三つの願いをかなえると約束していた。 いまのところ三つのうち二つはうまくいきそうだ。

 

現在の〈寮杯〉レースの首位はハッフルパフで、次点に五百点ほどの点差をつけている。これも、ハッフルパフ生たちが宿題をさぼらず()()()()()()()()()おかげである。 スネイプ先生は直近の……多分七年くらいのあいだずっと、ハッフルパフからかなりの点数を戦略的に減点していたらしい。 直近七年間で連勝していたスリザリン寮は今年も自寮の寮監に()()()()加点してもらえるのがきいていて、授業の成績の面ではレイヴンクロー寮に劣るものの、総合的には互角になっている。 グリフィンドールは一匹狼な気質の寮らしく、他三寮と大差をつけた最下位である。成績といたずらの面ではスリザリンと似たりよったりのグリフィンドールには、スネイプ先生の加護に相当するものが欠けている。 フレッドとジョージでさえ一年間の通算では加点と減点を差し引きでゼロにもっていくのがやっとだった。

 

レイヴンクロー寮もスリザリン寮も、あと二日でハッフルパフに追いつくには()()()()大きく点を稼ぐ必要がある。

 

となると、なにが起きるかは目に見えている。クィレル先生が介入した形跡はなにひとつない。介入するまでもなく、 ことは勝手にその方向にすすんでいる。クィレル先生という一人の教師が発想ゆたかな問題解決の授業をしたばかりに。

 

今年度の最後のクィディッチ試合はレイヴンクロー対スリザリン。 グリフィンドールは年度当初には上位にいたものの、新人シーカー、エメット・シアーが二度目の出場で誤作動をおこしたらしいホウキから落ちて以来、急落した。 おなじ理由で、そのあとに予定されていた試合を急遽組みかえる必要も生じた。

 

今年度最後のこの試合は、スニッチがつかまるまで終わらない。

 

クィディッチの点は寮点にそのまま加算される。

 

ところがおかしなことに、今日のスリザリンとレイヴンクローの両シーカーは……どうしても()()()()()()()()()()()()()()()()()ようだ。

 

おい、スニッチはすぐ上にいただろ、おまえらどこに目をつけてるんだよ!

 

「ミスター・ジョーダン、ことばづかいに気をつけなさい。さもないと退場処分にしますよ! たしかにひどいミスではありましたが。」

 

ハリーとしても、リー・ジョーダンとマクゴナガル先生はよくできたボケとツッコミのコンビであるとは思う。 これまでクィディッチの試合を見のがしてきたことを多少後悔する気にもなる。 マクゴナガル先生のそういう面をハリーは見たことがなかった。

 

観客スタンドでハリーのいる席はハッフルパフ生の集団のなかにあり、よく見れば何段か下に長身のセドリック・ディゴリーが見える。 スーパー・ハッフルパフと呼ばれるセドリックは、キャプテン兼シーカーをつとめている身として、チョー・チャンとテレンス・ヒッグスがまたも空中衝突しかけたところをつぶさに観察していた。

 

「レイヴンクローのシーカーはまだ経験が浅い。でもヒッグスは七年生だ。 ぼくも対戦したから知っている。あいつはあんなへまはしない。」とセドリックが言った。

 

「つまりなにか作戦があってのことだと思う?」とセドリックのとなりの席のハッフルパフ生が言った。

 

「スリザリンがクィディッチ杯に優勝するのにもう何点かたりないのなら、戦略的にありだとは思う。 でもいまのスリザリンの点数なら、もうそんなことをしなくてもいい。 なにを考えているんだ? とっとと決めてしまえばいいのに!」

 

今日の試合は午後六時にはじまった。 たいていの試合は七時くらいまでに終わり、そこで夕食の時間になる。 六月のスコットランドは日照時間が長く、十時まで日が落ちない。

 

ハリーの腕時計によれば午後八時六分。この時点でスリザリンがまた十点を追加し、点差は一七〇対一四〇になった。そのときセドリック・ディゴリーが飛びあがってさけんだ。 「()()()()()()()()()()()()

 

「そうだ!」ととなりの年少の男子も飛びあがってさけんだ。 「ばかにするんじゃないぞ。点なんか取って。」

 

「そうじゃない! あれは——あれはハッフルパフ(うち)の優勝杯を横どりしようとしてやってるんだ!」

 

「でもぼくらは優勝レースからはとっくに——」

 

「クィディッチ杯じゃない! 寮杯だよ!」

 

それを聞いて、周囲にも怒りの声がひろがっていく。

 

ハリーは『いまだ』と思った。

 

となりのハッフルパフ生と一段上の席にいるハッフルパフ生に、どうか席をあけてもらえないかと声をかける。 そしてポーチのなかから巨大な長さ二メートルの垂れ幕をとりだして展開し、空中に()える。 事前にこのための魔法をかけてくれたのは、ハリー以上にクィディッチにうといということで有名なレイヴンクローの六年生だった。

 

そこには紫色の巨大な光る文字でこう書かれていた。

 

時 計 を 買 え

 

2時間06分47秒

 

文字の下には、点滅する赤色の×印つきのスニッチの絵がついている。

 

◆ ◆ ◆

 

一秒、また一秒、そしてまた一秒と、カウンターの数字が増えていく。

 

そうやってハリーの垂れ幕のカウントがすすむにつれ、やけに多くのハッフルパフ生がそのそばに陣取ることにしたようだった。

 

試合は午後九時を越しても終わらず、そのころにはグリフィンドール生も多数、垂れ幕の周囲に集まっていた。

 

日が落ちて、ハリーが読書灯として『ルーモス』をかけた——試合そのものについてはとっくに見かぎっていた——ころには、愛寮心を捨てて正気をえらんだレイヴンクロー生も増えてきた。

 

シニストラ先生もやってきた。

 

ヴェクター先生もやってきた。

 

空に星が見えはじめたころにはフリトウィック先生も。

 

この年のクィディッチ最終決戦は……それでもまだつづく。

 

◆ ◆ ◆

 

これをやると決めたとき想定していなかったことはいくつかあるが、この時間——腕時計を見ると、夜の十一時四分——になってもまだ自分が屋外にいるというのは想定外だった。 ハリーは六年生用の〈転成術〉教科書を読んでいる……というより、教科書に重しをのせて開いたままにしてマグル式の光る棒(ペンライト)で照らしつつ、そこに書かれた練習課題をこなしている。 先週、ハリーは卒業まえのレイヴンクロー生がたがいのN.E.W.T.の点数を話しているのを耳にし、上級生の〈転成術〉の演習には『造形の練習』がいくつかあることを知った。そこでは純粋な出力(パワー)よりも制御力と精密な思考が必要とされるのだという。 そう知るとすぐにハリーはその技術を身につけようと決意し、同時にもっとはやく上級生用の教科書を()()()読んでおくんだったと思って、自分のあたまをひっぱたいた。 マクゴナガル先生の許可をもらって、ハリーは〈転成〉中の物体が最終形に近づく過程——たとえば羽ペンを〈転成〉する際、最初に軸をつくりおわってから羽部分にとりかかる、というように——を制御する種類の造形の練習をしていいことになった。 ということで、ハリーはそれに相当する練習を鉛筆についてやっている。芯の部分をさきにつくってから、その周囲に木の部分をつくり、最後に消しゴムをつける、というように。 予想にたがわず、変形中の鉛筆の一部分に注意と魔法力を集中するという行為は実のところ、部分〈転成術〉の際の自分を律する手順と似ていた——やろうと思えば、外がわの部分だけに部分〈転成術〉をかけることでおなじ効果を偽装することもできそうだ。 効果がおなじなら、これのほうが比較的楽ではあるが。

 

ハリーは鉛筆がまたひとつできあがったところで顔をあげ、クィディッチの試合に目をやった。あいかわらずで、なんの興味も生じない。 リー・ジョーダンは心底うんざりといった声でコメンテーターをつとめている。 「また十点——やったね—— で、まただれかがクァッフルをうばいました——だれがでしょうね。どうでもいいけど。」

 

まだ観客席にいる人のなかにも試合に注目している人は皆無に等しい。のこったひとはみな、寮杯とクィディッチのルールをどう変更すればいいかという論争のほうがもっとおもしろい競技であることに気づいたらしく、それに興じている。 付近にいる教師たちの努力もむなしく、論争は加熱し、へたをすれば戦闘がはじまってしまいそうなほどだ。 この論争は不幸なことに二派どころではない数の陣営にわかれている。 おせっかいにもスニッチを完全になくすことはないと言って折衷案らしきものをだす人がいて、そのせいで票が割れ、改革へのいきおいが削がれている。

 

よく考えると、ドラコにスリザリン陣営で『スニッチ最高』の旗を大々的にかかげてもらえば、論争を二極化させることができただろうにと思う。 実際ハリーはこっそりスリザリン生がいる観客席に目をやってはいたのだが、ドラコを見つけることができなかった。 おなじように敵役を買って出てくれるかもしれないセヴルス・スネイプのすがたも、どこにも見あたらない。

 

「ミスター・ポッター?」と横から声がした。

 

ハリーのとなりの席には、背が低い上級生の男子ハッフルパフ生がいる。ハリーがこれまで一度も注目したことのないその生徒が、無地の羊皮紙製封筒をさしだしている。封筒の表がわには封蝋がたらされているが、刻印はない。

 

「なにか?」とハリー。

 

「ほら、ぼくだよ。きみがくれた封筒をもってきた。 きみはなにも話すなと言っていたけれど——」

 

「じゃあなにも話さないで。」

 

その生徒はハリーにその封筒を投げて渡してから、不服そうな顔で去った。 多少良心が痛みはするが、時間的問題をふまえるなら、おそらくこうするのがただしい……。

 

署名のない封蝋をちぎり、封筒のなかみをとりだす。 予想に反して、なかみはマグル紙ではなく羊皮紙だった。文字はただのペンではなく羽ペンで書かれたようにも見えるが、ハリー自身の筆跡だった。

 

星座を警戒せよ

そして星を見る者を助けよ

 

賢者と善意の者にも

命食いの同盟者にも見つからずに動け

 

六と七の自乗に

くだらなさすぎる禁じられた場所で

 

ハリーはそれを一読してからたたみ、マントをかぶりなおして、もう一度ためいきをついた。 『星座を警戒せよ』だって? 自分から自分への謎かけなら、もっと解読しやすくてもいいだろうに……とはいえ、すぐにわかる部分もある。 未来のハリーがこの手紙を傍受されることを警戒していたのはたしかだ。現在のハリーはふだん現場の〈闇ばらい〉のことを『アズカバンのディメンターと同盟する者』と呼ぶことはないが、それも可能性としては、ほかのだれかに手紙を読まれたときの手がかりともなりかねないから『闇ばらい』という単語を言い換えた、ということなのかもしれない。 〈アズカバン事件〉で自分がつかった〈ヘビ語〉の熟語を逆翻訳する……これは有効な方法だとは思う。

 

手紙には、クィレル先生が助けを必要としている、ともあった。なにが起きるにせよ、それは〈闇ばらい〉にもダンブルドアにもマクゴナガルにもフリトウィックにも知られてはならない、とも。 この件にはすでに〈逆転時計〉が関与している。すると当然、ハリーはトイレに行くと言ってここを離れ、時間を逆行し、離れた直後の時間にこの試合にもどってくるべきだということになる。

 

ハリーは腰をあげはじめて、途中でためらった。 ハリーのなかのハッフルパフ面が、マクゴナガル先生になにも知らせないまま護衛の〈闇ばらい〉から離れていいのか、未来の自分は()()()()()()()()()()のではないか、というようなことを言った。

 

ハリーは羊皮紙をまたひらいて、その内容をすばやく再確認した。

 

謎かけを見なおしてみると、()()()()()()()同行させるなという文言はない。 ドラコ・マルフォイが……この試合の観戦席にいないのは、未来のハリーが支援要員として数時間まえの過去に連れていったからでは? いや、それはすじがとおらない。一年生を一人追加したところで、安全性はほとんど向上しない……。

 

……ドラコ・マルフォイなら、クィディッチについての個人的意見とは関係なく、スリザリンが〈寮杯〉を手にするところを見に来ているはずだ。 彼の身になにかあったのでは?

 

そう思うと、急に疲れている気分ではなくなった。

 

ハリーのなかでアドレナリンがすこしずつ流れはじめる。が、これはトロルのときとはちがう。 メッセージはハリーがいつ到着すべきかを指定している。 今回は、手遅れにならない。

 

セドリック・ディゴリーがいるところに目をやると、スニッチは伝統でありルールはルールだからなくすことはできないと主張するレイヴンクロー生の集団と、ほかの選手とくらべてシーカーの重みが大きいのは不公平だと主張するハッフルパフ生の集団とのあいだで、板ばさみになって揺れ動いているのが見える。

 

セドリック・ディゴリーはハリーとネヴィルに決闘術を教えてくれた人であり、ハリーはよい関係がきずけたと思っている。 それ以上に、選択科目を文字どおりすべて受講している生徒であれば、きっと〈逆転時計〉をもたされてもいる。 いっしょに時間をさかのぼってくれないかと、セドリックを説得してみてもいいのでは? どんなやっかいな状況が待っているにしろ、スーパー・ハッフルパフを一人仲間として連れていって損はないだろう……。

 

◆ ◆ ◆

 

そのすこし後とすこし前。

 

ハリーの腕時計は十一時四十五分をさしている。つまり五時間の逆行をしたことを計算にいれれば、時刻は午後六時四十五分。

 

「時間だ。」とだれもいない空間にむけてつぶやいてから、ハリーは大階段の上の三階の右通廊にむけて歩きだす。

 

『禁じられた場所』と言えば通常は〈禁断の森〉のことだが、 おそらくあの手紙を傍受しようとする人をそう誘導したくて、こういう表現にしたのではないかと思う。 〈禁断の森〉は広大で、そのなかで目印になるような場所は一つにとどまらない。 だれの目にもあきらかな単一の〈収斂点〉が——集合すべき地点、あるいは干渉すべきできごとが起きる地点が——ない。

 

しかしそこに『くだらなさすぎる』という形容詞をくわえると、該当する禁じられた場所はホグウォーツ内に一つだけ。

 

ということで、うわさがまちがっていなければ、グリフィンドール一年生がすでに全員侵入しているという禁じられたこの道に来ることにしたのだった。 三階の右がわの通廊。 そこには謎の扉がひとつあり、そのさきには、命にすらかかわる危険な罠でいっぱいの部屋がつづいているという。そのすべてを通過することはだれにもできないということになっている。とくに一年生には。

 

ハリーはそこにどんな種類の罠が待ちうけているのかを知らない。 ということは、以前そこにいった生徒全員が、親切にもネタばらしをしないよう気をつけてくれていたわけだ。 『お願いだからこれは秘密にしておいてください、ダンブルドア総長より』という掲示でもあったりするのだろうか。 いまのところハリーが知っているのは、外がわの扉が『アロホモーラ』でひらくということ、一番奥の部屋には魔法の鏡があって、その鏡にはとても好ましい状況にいる自分が映されるということ、それがありがたい報酬であるらしいことだけだ。

 

三階の通廊は、どこからともなく生じている薄暗い青白い光で照らされている。弓なりの天井にはクモの巣がびっしりで、最後につかわれてから一年というより数百年が経っていそうに見える。

 

ポーチにはマグル世界の便利なもの、魔法世界の便利なもの、そのほかすこしでも冒険(クエスト)用アイテムになりそうなものすべてをつめこんである。 (マクゴナガル先生にこのポーチの容量を増やせる人を紹介してもらえないかとたのんでみたところ、マクゴナガル先生自身がやってくれたのだった。) 眼鏡を顔にはりつけて、どう動いても落ちないようにするという模擬戦用の呪文もかけてある。 自分が意識をうしなった場合にそなえて、指輪の宝石にかけた〈転成術〉ともうひとつの〈転成術〉もかけなおしておいた。 完全に準備万端とは言いきれないが、自分にできる範囲の準備はすんでいる。

 

ハリーの靴が一歩ふみだすと、床の五角形のタイルがきしむ音をたて、ちょうど未来が過去になるように消えていく。 六時四十九分——『六と七の自乗』。 マグルの算数が身についている人なら考えるまでもないが、そうでない人には一筋縄でいかないのかもしれない。

 

またひとつ角をまがろうとしたところで、こころのなかでなにかひっかかる感じがした。すると小さな話し声が聞こえた。

 

「……まともな人間であれば……とある教員がいなくなるまで……待つのが得策と考える……」

 

ハリーは立ちどまり、角からはみでないように、ほんのすこしだけ前にでた。クィレル先生の声がよく聞こえるようにと。

 

「しかし……自分自身がそのとき同時にいなくなる予定なら…… 今年最後のこの試合……これ以上よい、予想可能な目くらましは……もうないと思うかもしれない。 そこで……重要人物のうちだれが……試合の場にいないかを……調べてみると……総長がいない……わたしの魔法力に狂いがなければ……別次元の世界に……行っているとも考えられる…… もう一人不在であったのが……きみだ…… だからわたしは……きみを追ってここに来た。 こちらはそういう経緯だ……では…… そちらこそなんの用があってここに?」

 

ハリーは浅く息をすってから、返事を聞こうとする。

 

「それで、わたしがこの場所にいることをどうやって知ったのかね?」とセヴルス・スネイプの声がした。ずっと大きな声だったので、ハリーはとびあがりそうになった。

 

小さな咳まじりの笑い。 「自分の杖に……〈痕跡〉がないか調べてみろ。」

 

セヴルスは魔法族のラテン語もどきのなにかを言った。そして、 「わたしの杖に、よくもこんな小細工をしてくれたな!」

 

「きみもわたしも……被疑者……よくできた演技だが……怒るふりをしてもむだだ……。もう一度きく……なんの用があってここに?」

 

「この扉の監視だ。」とスネイプ先生の声がこたえる。 「この扉にはちかづかないでもらおうか!」

 

「わたしも教員……きみはだれの権限で……わたしに命令する?」

 

返事があるまでに間があった。 「それはもちろん、総長の命令で。 今日のクィディッチ試合のあいだ、この扉の見張りをしていろとの命令だ。わたしは教員としてそういった気まぐれな命令にもそむくことはできない。 後日理事会に報告をいれはするつもりだが、いまは職務をはたす。 あなたにも総長の指示どおり、ここは引き下がっていただく。」

 

「ほう? ということは……今年もっとも重要な今日の試合で……熱闘している自寮の生徒たちを見捨てて……ダンブルドアに言われるまま……忠犬よろしく……ここで奉公していると? なるほど……たしかにそれは……もっともな説明だ。 それでも……ここはひとつ……この立派な扉を監視するきみを……わたしも監視しておくのが得策だと思う。」  布がこすれる音がしてから、どすんと音がした。だれかが思いきり床に腰をおろしたか、ただ倒れたときのような音だった。

 

「よりにもよってこんな——」  セヴルス・スネイプの声からは怒りが感じられる。 「おい、起きろ!」

 

「ブブ…バ…ブバ…」とゾンビ状態になった〈防衛術〉教授の声。

 

「起きろ!」とセヴルス・スネイプの声。そしてまた、どすんと音がした。

 

『星を見る者を助けよ』——

 

ハリーは角から一歩でた。時間をこえたメッセージにしたがってのことでもあるが、なかったとしてもそうしていたかもしれない。 スネイプ先生がクィレル先生を蹴ったように聞こえたが、 完全に反応しなくなった相手に対してそんなことをしたのだとしたら無茶なことをするものだ。

 

扉は黒い木でできていて、上がまるい山型をしている。それが石のアーチで縁どられ、ほこりに汚れた城の大理石の積石の壁にはめこまれている。 マグルならドアノブをつけるであろう場所にあるのは、みがかれた金属の取っ手だけ。 錠も鍵穴も見あたらない。 通路の両側の壁にはたいまつがひとつずつ燃えていて、不気味に赤あかとした光を投げかけている。 その扉の手前に、いつもの染み付きローブの〈薬学〉教授がいる。 左がわの壁のたいまつの下に、〈防衛術〉教授がくずれ落ちている。壁に背をもたれ、顔は上を向き、目はぴくぴくと動くようで、 意識がある状態と思考停止状態の中間のようにも見える。

 

()()()()。ここになんの用だ?」と〈薬学〉教授がハリーを上から見おろして言った。

 

表情と口調から察するに、〈薬学〉教授はハリーに対して怒っている。 まちがっても、〈防衛術〉教授を蚊帳の外においてハリーと共謀している様子ではない。

 

「よくわかりませんが……」  ハリーは自分がどんな役割を演じるべきなのか、わかっていない。どうしようもなく、素で正直に話すモードになった。 「ぼくは〈防衛術〉教授から目を離さないようにしているべきなんじゃないかと思います。」

 

〈薬学〉教授は冷ややかにハリーを見つめる。 「付きそいはどうした? 生徒は付きそいなしに廊下をうろつくなというのに!」

 

ハリーは素であたまのなかがまっしろになった。 ゲームはもうはじまったのに、だれもルールを教えてくれていない。 「そうですね、どうこたえたものか……。」

 

スネイプ先生の冷ややかな表情がゆらいだ。 「念のため〈闇ばらい〉に連絡しておくか。」

 

「待ってください!」

 

〈薬学〉教授の手がローブの上でとまった。 「なに?」

 

「い……いや、多分連絡はしないほうがいいんじゃないかと……」

 

その瞬間、〈薬学〉教授の手のなかに杖が舞いこむ。 「『ヌルス・コンファンディオ』!」  すると黒い霧が吹きだし、逃げようとするハリーに食らいついて襲いかかる。 さらに『ポリフルイス』や『メタモルファス』という部分のある四種の呪文が詠唱され、ハリーはおとなしく立ったまま待った。

 

一連の呪文がなんの効果もなく終わり、セヴルス・スネイプはぎらりと光る目でハリーを見る。今度は演技でないように見える。 「釈明できるものならしてもらおう。」

 

「釈明はできません。ぼくには、まだ〈時間〉がないので。」

 

ハリーは〈薬学〉教授の目をしっかりとまっすぐに見ながら『ぼく』と『時間』という部分を発音し、肝心な情報をつたえようとした。〈薬学〉教授はそれを受けてためらった。

 

ここにいるだれがなにをよそおっているのか、ハリーは必死に考えようとする。 ダンブルドア一派ではないクィレル先生をまえにして、セヴルスは邪悪な〈薬学〉教授として総長に命じられてここに来たようなふるまいをしている……実際命じられたのかどうかはともかく…… いっぽう、クィレル先生はスネイプ先生の動向を見のがすべきではないと考えているか、そう考えているようにふるまっている…… ハリー自身は未来の自分に言われて、なんのためなのかも知らず、ここに来ている…… そもそもなぜこの三人がそろって総長の禁断の扉のまえにこうして立っているのだろうか。

 

そして……

 

ハリーのうしろから……

 

ぱたぱたと、もう何人ぶんもの足音がちかづいてきた。

 

スネイプ先生が杖を突きだすと、黒い煙が噴出して床の上の〈防衛術〉教授の周囲をおおった。「『マフリアート』。 ミスター・ポッター、どうしてもここにいると言うなら隠れろ! 不可視のマントを使え! わたしの任務は()がここに来た場合にそなえてこの扉の番をすることだ。 それに、さきほど()()が起きたのだ。総長の注意を引くための異常だと、総長自身は考えている——」

 

「彼って——」

 

セヴルスは大股でハリーに近づき、ハリーの顔に横から杖をあてた。 そこから卵を割られたような感覚——〈幻解〉(ディスイリュージョンメント)の魔法の感覚がひろがっていった。まず両手が消え、からだののこりの部分も消えた。

 

壁の片がわをつつんでいた闇が霧のように徐々に明けていき、床にちぢこまったまま声をださない〈防衛術〉教授がまた見えるようになった。

 

ハリーは抜き足差し足で動き、離れてからふりかえって扉のほうを見る。

 

ちょうど足音の集団が角をまがってあらわれ——

 

「どうして先生がここに?」とそろって声をあげた。

 

スリザリンの緑色のえりの服が三人、ハッフルパフの黄色のえりの服が一人。セオドア・ノットとダフネ・グリーングラスとスーザン・ボーンズとトレイシー・デイヴィスだ。

 

()()()()はどうしたのかね?」  スネイプ先生は怒りをおさえられない様子だ。 「いかなるときも一年生は六年生か七年生の付きそいなしに出歩くなと、言いだした張本人たちがそれか!」

 

セオドア・ノットが片手をあげた。 「これはですね。その、〈カオス軍団〉で言う、一体感醸成のためのグループワークというやつで…… このグループはみんなまだだれも禁断の部屋に行ってみたことがないという話になって、もうあまり日数もないし…… ハリー・ポッターの許可ももらってるんですよ。とくにスネイプ先生はこれを邪魔するなというお達しで。」

 

セヴルス・スネイプはハリー・ポッターが抜き足していった方向をちらりと見た。眉の上に嵐が、目のなかに黒い怒りがたまっていくように見えた。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()  〈逆転時計〉にはまだ一時間ぶんの残量があるから、ありえなくはない。

 

「ハリー・ポッターにそのような権限はない。」  表情と裏腹に落ちついたスネイプ先生の声。 「釈明があるなら聞かせてもらおうか。」

 

「ちょっと、なに言ってんの?」とスーザン・ボーンズらしい人が言う。 「ハリー・ポッターの許可をもらってやってるって、スネイプ先生にそんなはったりが通じると思った?」  そしてスネイプ先生のほうを向いて、やけにしっかりした声で言う。 「スネイプ先生、ごまかしなしに言いますが、緊急事態なんです。ドラコ・マルフォイが失踪していて、わたしたちの予想ではこの下に行ったんじゃないかと——」

 

「ミスター・マルフォイが失踪したなら、()()()()()()()()()()()()()()()

 

「それは……それは事情があって!」とダフネ・グリーングラスがさけぶ。 「もう時間がないんです。とおしてください!」

 

スネイプ先生はこれまでハリーが聞いたなかで一番皮肉げな声で言う。 「四人して冒険の旅にでも出たつもりかね? ともあれ、その予想ははずれだ。 ミスター・マルフォイがこの扉をとおらなかったことはわたしが保証する。」

 

「ミスター・マルフォイは不可視のマントをもっていると思います。」とスーザン・ボーンズが急いで言う。 「なんの理由もなくこの扉があいたりしませんでしたか?」

 

「ない。話はここまでだ。去れ。 ここは今日は立ち入り禁止だ。」

 

「ここは()()()()()()()禁断の通廊ですよ。」とトレイシーが言う。 「ダンブルドア総長みずから、だれも行ってはならないと言っていたじゃないですか。それを勝手にもう一度禁止するなんて、おかしくありません?」

 

「ミス・デイヴィス。 これ以上グリフィンドール生と交友するのはやめなさい。とくにラヴェンダー・ブラウンと呼ばれている種類の生徒とは。 あと一分以内に退去しなければ、きみをグリフィンドール寮に転寮させる届けを出すぞ。」

 

「えっ、それだけは!」とトレイシー。

 

「うーん……」と言ってスーザン・ボーンズがしわを寄せて考えこむ。 「スネイプ先生、先生自身はときどきこの扉を自分であけて、なかにあるなにかを確認したりはしませんでしたか?」

 

スネイプ先生はその場でかたまった。 それからふりかえって、扉の金属のノッカーに右手をのせ——

 

ハリーはノッカーにのったその手を見ていたので、スネイプ先生が左手でなにをしているのかには、突然の悲鳴が聞こえるまで気づかなかった。

 

「いや、一度も。」と言いながらスネイプ先生はドラコ・マルフォイの首ねっこをつかまえている。首から下はまだ不可視のマントにつつまれている。 「詰めがあまいな。」

 

「ええ?」とトレイシーとダフネがさけんだ。

 

スーザン・ボーンズが自分のひたいに手をあてた。 「あたしとしたことが、こんな手にひっかかるなんて。」

 

「さて、ミスター・マルフォイ。」とスネイプ先生が小声で言う。 「わざわざこうやって仲間をだましてここに来させたのは……きみ自身がこの扉にしのびこもうとしてのことだな? なんのためにしのびこむ気だったのか、説明してもらおうか。」

 

「この際、スネイプ先生のことは信用しよう——」とセオドア・ノットが言う。 「おれたちの味方になってくれるとしたらスネイプ先生しかいないだろう、ミスター・マルフォイ!」

 

「言うな!」とまだ空中でスネイプ先生にえりをつかまれているドラコの頭部が言う。 「なにも言うんじゃない!」

 

「こうなったらやってみるしかない!」とセオドアが言う。 「スネイプ先生、ミスター・マルフォイはこの一年の一連の謎をときあかしたんです——ダンブルドアがニコラス・フラメルから〈賢者の石〉をうばおうとしているんだと! ダンブルドアは人間は不老不死になるべきじゃないと思っているから、 〈闇の王〉が復活しようとしていてそのために〈石〉を必要としている、というようにフラメルに思わせて、〈石〉をわたしてくれと頼んだ。でもフラメルはうんと言わず、このなかにある魔法の鏡のなかに〈石〉を置いた。それでダンブルドアはいま、それをとりだす方法を調べていて、もうすぐとりにくる。だからそれよりさきに、おれたちがいかないと! ダンブルドアに〈賢者の石〉をとられたら、もうだれもダンブルドアにかなわなくなってしまうんです!」

 

「え? さっき聞いた話とちがうんだけど!」とトレイシー。

 

「と——」  言いかけたダフネは怖じ気づきそうでもあるが決然としている。 「とにかく——スネイプ先生、わたしを信じてください。 殺される直前にハーマイオニーが図書館から借りていた本を調べてみたら分かったんです。ハーマイオニーはそのとき〈賢者の石〉のことを調べていました。 〈石〉が鏡のなかに長く置かれすぎたら危険な結果を招くかもしれないという、彼女のメモもありました。 〈賢者の石〉はこれ以上この城のなかに置いてはおけません。」

 

スーザン・ボーンズが両手で顔をおおっている。 「あたしはあれとは無関係ですよ。あたしはただ、あれ以上ふざけたことが起きないようにと思って、ついてきただけなんで。」

 

セヴルス・スネイプはセオドア・ノットたちを見ていたが、 ふりかえってドラコ・マルフォイのほうを向いた。 「ミスター・マルフォイ。 きみはどうやってダンブルドアのその陰謀をときあかしたと言うのかな?」

 

「証拠から推理してです!」とドラコ・マルフォイの頭部が言った。

 

スネイプ先生はまたセオドア・ノットに顔をむけた。 「きみたちは、ダンブルドアですら手こずるような魔法の鏡のなかに置かれた〈石〉を、どうやってとりだすつもりでいた? 答えなさい!」

 

「鏡ごと持ちだしてフラメルに返すんですよ。」とセオドア・ノットが言う。 「おれたちは〈石〉がほしいんじゃなくて、ダンブルドアに盗まれなければそれでいいので。」

 

スネイプ先生はなにかを確認したようにうなづいて、のこりの生徒たちのほうに顔をむけた。 「きみたちのなかのだれかが、ふだんとちがう行動をしていたということはないか? とくに、だれかが奇妙な物体をもっていたとか、一年生が知るはずのない呪文をつかっていたとか。」  スネイプ先生の右手の杖がスーザン・ボーンズにむけられた。 「ミス・グリーングラスとミス・デイヴィスはきみのほうを見ないようにしているようだな、ミス・ボーンズ。 つまらない理由があってのことなら、()()()()告白したほうが身のためだ。」

 

スーザン・ボーンズの髪があざやかな赤色に変じたが、顔はかわらない。 「こうなったらもう秘密にしてもしかたないでしょうね。どうせあと二日で卒業なんだから。」

 

二重魔女(ダブルウィッチ)は六年とばして卒業できるの? ずるい!」とトレイシー・デイヴィスが言った。

 

「ボーンズは二重魔女(ダブルウィッチ)だったのかよ?」とセオドアが言った。

 

「いいや、彼女は〈変化師(メタモルフメイガス)〉のニンファドーラ・トンクスだ。」とスネイプ先生が言う。 「別の生徒に変装するという行為が重大な規則違反であることは分かっているな、ミス・トンクス。 卒業二日前からでも退学処分を通すことは可能だ。いまさら退学の憂き目にあうのは——当人からすれば悲劇だが、わたしからすれば滑稽でしかない。 さあ、なんの用でここに来たのか、あかしてもらおう。」

 

「そういうことか。」とダフネ・グリーングラスが言う。 「それなら……スーザン・ボーンズなんて人は実はいなかったんだったり? それとも、ボーンズ家があとつぎがいなくて困っていて、それで秘密裏に——」

 

スーザン・ボーンズのすがたをした赤髪の人物が片手で顔をおおって言う。 「あのね、ミス・グリーングラス、ほんもののスーザン・ボーンズはいるよ。 あたしはあんたらが特別やっかいなことをしでかしそうなときに、身がわりを頼まれてやってるだけ。 スネイプ先生、ドラコ・マルフォイがいなくなって、この子らが〈闇ばらい〉に通報せずにどうしても自分たちで探すって言うから、あたしも来ることになったんです。 ほんもののミス・ボーンズは、なぜ通報しないのかは説明してる時間がないと言っていて、あたしもこんなふざけた理由だったとは思わなくて。 とにかく、年少の生徒はどんなときも六年生か七年生の付きそいなしに出歩いてはならない決まりでしょう。 こうしてドラコ・マルフォイも見つかったんだし、みんな帰っていいということにしませんか? これ以上収拾がつかなくなるまえに。」

 

「これはなんの騒ぎですか?」

 

「ああ。」とスネイプ先生が言う。杖はかわらず赤髪のスーザン・ボーンズにむけられ、もう片手は頭部だけのドラコ・マルフォイのえりをつかんでいる。となりに床に倒れて動かない〈防衛術〉教授がいる。 「スプラウト先生、ですかな。」

 

「誤解です、スプラウト先生。」とトレイシー・デイヴィスが言った。

 

むっくりと小柄な〈薬草学〉教授はどんどんちかづいてくる。 杖はすでに手のなかにあるが、だれにも向けられてはいない。 「どう誤解すればいいのかも分かりません! 全員、杖をおろしなさい! スネイプ先生もです!」

 

()()()。不意に思いついたそれで説明がつくような気がした。 ハリーが十分離れた位置から見まもっているこのなにかは、物語の本筋にあたる真の事件ではない。この騒動は()()()()()()()。 スプラウト先生が登場した時点で、ハリーの不信の停止にほころびが生じた。こんなできごとは喜劇的な偶然ではすまされない。 だれかが意図してこれだけの混乱を発生させたのだ。けれど、なんのために?

 

自分が時間を逆行してやったことでなければいいが、とハリーは本心から思う。いかにも自分がやりそうな種類のことなだけに。

 

セヴルス・スネイプは杖をさげ、ドラコ・マルフォイをにぎっていたもう片手をゆるめた。 「スプラウト先生、わたしは総長の命でこの扉を監視しているのです。 わたし以外の全員は、正当な理由もなしにここにいる。ですから、彼らを引率して帰らせていただけますか。」

 

「もっともらしく聞こえはしますがね。 ダンブルドアがよりによってあなたに自分の遊び場への扉を監視する役をまかせるとでも? あのかたは、本心では生徒をここにこさせたくないわけじゃありませんからね。生徒はどんどん来て、中でわたしの〈悪魔の罠〉にかかってもらうことになってるんですから! スーザン、通信鏡は? 持っているなら、それで〈闇ばらい〉を呼びなさい。」

 

それを観察しているハリーはうなづいた。 ()()()()だったのか。 〈闇ばらい〉がここに来れば、大混乱の状況下にいるこの全員が問答無用で連れ去られる。すると扉はがらあきになる。

 

けれどそこで禁断の通廊にハリー自身が行くことになっているのだろうか。 それともほかの全員がいなくなったときにだれが登場するのかを見ていろ、ということだろうか。

 

不意にゲホゲホという音が、床にいる〈防衛術〉教授の方向から聞こえた。

 

「スネイプ——待て——」と〈防衛術〉教授は咳でとぎれとぎれに話す。 「ここに——なぜ——スプラウトが——」

 

〈薬学〉教授は下をむいた。

 

「〈記憶の魔法〉——ならば——教員——」と言って〈防衛術〉教授はまた咳をくりかえした。

 

「は?」

 

ハリーのなかにすでにあった疑惑の要素が組みあがって恐ろしく明確な論理が立ちあがり、疑念が確信となって襲いかかる。

 

何者かがハーマイオニーに〈記憶の魔法〉をかけ、ドラコを殺そうとしていたように思わせた。

 

検知されずにそれをできるのはホグウォーツの教員だけ。

 

ということは、真犯人はホグウォーツ教師一人を〈開心術(レジリメンス)〉か〈服従(インペリオ)〉であやつってしまえばいいだけ。

 

そして怪しまれない教員といえばハッフルパフ寮監にかぎる。

 

スネイプがぱっとスプラウト先生に顔をむけると、スプラウト先生は杖をかまえていた。スネイプは間一髪で無言呪文をつかって二人のあいだに透過性の結界をつくりだした。 しかしスプラウト先生の杖からでた電撃は暗褐色で、それを目にしてハリーはさっと血の気がひく思いがした。暗褐色の電撃はセヴルスの防壁にとどくまえに防壁を消滅させた。セヴルスはよけたが、それでも電撃は右腕に触れた。 セヴルスはうめき声を漏らし、痙攣する右手から杖が落ちた。

 

スプラウトの杖から発射されたつぎの電撃は〈失神の呪文〉とおなじ明るい赤色で、杖を離れてからも明るさと速度が増していくように見えた。ハリーはそれを見てまたさっと不安に襲われた。 その一撃で〈防衛術〉教授は扉にぶつけられ、床に落ちて動かなくなった。

 

そのころには、髪の毛がピンク色のスーザン・ボーンズが切子状の青色の煙の結晶のなかからスプラウト先生につぎつぎと呪文を撃っていた。 スプラウト先生はそれを意に介さず、召喚した(つる)で、逃げようとする生徒たちをからめとっていた。ドラコ・マルフォイだけは不可視のマントで隠れてつかまらずにすんでいた。

 

偽スーザン・ボーンズが呪文を撃つのをやめ、杖をまっすぐにかまえ、深呼吸をしてから、大声で詠唱して黄金色に光るイモムシの群れをスプラウトの防壁に食いつかせた。 スプラウトは偽スーザンに無表情な顔をむけた。その背後にまた触手が山のように出現した。 触手の色は黒緑色で、それぞれが防壁につつまれているように見えた。

 

ハリー・ポッターがだれもいないように見える場所にむけてつぶやく。 「スプラウトを攻撃、ボーンズを支援。命にかかわる攻撃はなし。」

 

「はい、ご主人さま。」と〈不可視のマント〉を着せられたレサス・レストレンジが小声で返事し、加勢しにいった。

 

ハリーは自分の両手を見て、〈幻解〉(ディスイリュージョンメント)の魔法の効果がうすれてきていることに気づいて一瞬愕然とした。 よく見ると自分がうごくたび、空気の一部がゆがんで見えている……。

 

ハリーはおそるおそる後退し、角をまがって壁のむこうに隠れた。 そして通信鏡をとりだすと……通信は妨害され、画面にはなにも映っていなかった。 それはそうか、と思い、鏡を浮遊させて空中に置き、曲がり角のむこうが見えるようにする。そしてこの……陽動かなにかのなりゆきを見まもる。 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

スプラウト先生と偽スーザン・ボーンズの戦闘で、閃光と葉が舞っている。 緑色に燃える〈強化ドリルの呪文〉が空中に出現して、スプラウト先生の防壁にぶつかり、防壁の外層が途中まで削りとられる。 スプラウト先生は向きをかえて、呪文のドリルが出現したあたりを黄色の光で一掃する。しかしその光がなにかに命中したようには見えない。

 

黄色の炎、青色の結晶、黒緑色の(つた)、紫色の花びらの渦……。

 

そこでスプラウト先生が赤色の弧を四方に発射し、発射された刃のひとつが空中でなにかに引っかかった。赤色の弧が吸収されて消えていくのをとめることはできず、〈不可視のマント〉の存在があらわになった。レサスは〈不可視のマント〉を着たまま床にたおれた。

 

その時間をつかって偽スーザン・ボーンズが足をとめ、息をついでから、なにかをさけんだ。それを聞いてハリーはまた不意に恐怖を感じた。 白色の電撃がスプラウト先生の防壁の穴と植物鎧を貫通し、スプラウト先生はたおれた。

 

偽スーザン・ボーンズは床にひざをついた。呼吸は激しく、ローブ全体が汗で濡れている。

 

そのまま周囲を見わたす。周囲のたおれた生徒たちは、失神しているか(つる)に巻かれている。

 

「……なにこれ?」と偽スーザンが言う。「なにこれ? なんなんだよ、これ?」

 

どこからも返事はない。 スプラウト先生の(つた)の犠牲者は息はしているように見えるものの、みな動かない。

 

「マルフォイ……。」 息切れがおさまらないピンク色の髪の毛の偽スーザンが言う。 「ドラコ・マルフォイ、どこいった? そこにいるんじゃないの? なんで〈闇ばらい〉を呼ばないんだよ。 ああもう——『ホミナム・レヴェリオ』!」

 

するとハリーの隠蔽がとかれ、同時に鏡をとおして、きらきらと光るマントにつつまれて透明でなくなりつつあるドラコ・マルフォイのすがたが見えた。ドラコ・マルフォイは青色の煙柱のなかで偽スーザンの背後に立ち、偽スーザンに杖をむけていた。

 

ハリーのなかで思考が光のように遅く、そして速くめぐり、ハリーはくちをひらくと同時に息をすって声をだす準備をした。

 

『星座を警戒せよ』

りゅう座(ドラコ)という星座

犯人が教員をあやつれるなら当然生徒も

 

「伏せろ!」とハリーはさけんだが間にあわず、偽スーザンの背に赤色の閃光が直撃し、彼女は床にたおれた。

 

ハリーは角からでて「『ソムニウム』『ソムニウム』『ソムニウム』『ソムニウム』『ソムニウム』『ソムニウム』」と言った。

 

ドラコ・マルフォイが光っている状態のまま、がくりとたおれた。

 

ハリーは一息ついてからすぐに〈失神の呪文(ステューピファイ)〉をとなえ、確実にそれがドラコ・マルフォイに命中したことをたしかめた。

 

(『ソムニウム』は命中したと思ったのが誤認であったりもする。 ハリーはそういう展開がホラー映画でありがちだと知っているし、〈太陽部隊〉の一件を思えば、あの失敗をまたくりかえす気にはなれない。)

 

そう考えてから、ハリーは〈失神の呪文〉をもう一発、うつぶせにたおれて動かないスプラウト先生にあてた。

 

ハリーは杖を強くにぎり、ぜえぜえと息をしながら、じっと周囲の光景を見た。 〈守護霊〉でダンブルドアに連絡をとるだけの魔法力はもうない。またしてもすぐにその行動を思いつけなかったことが悔やまれる。 鏡への妨害がもうおさまったのではないかと思い、落ちた鏡のところにいこうとする。

 

しかしそこでためらいがあった。

 

自分からのメッセージには、〈闇ばらい〉にさとられるな、ともあった。そしてここでいまなにが起きているのかが、()()()()()()()()()

 

床にくずれおちているクィレル先生がまた何度か激しく咳をし、そばの壁に片手をのばして、ゆっくりと立ちあがろうとする。

 

「ハリー。」とクィレル先生が苦しそうな声で言う。「いるか? ハリー。」

 

クィレル先生にファーストネームで呼ばれるのはこれがはじめてだった。

 

「いますよ。」  意識して考えるまえに、足がまえに動きだす。

 

「おねがいだ……もう時間が……ない。 どうか……わたしを……鏡まで……連れていってくれ……〈石〉を手にいれるのを……助けてくれ。」

 

「〈賢者の石〉を?」と言ってハリーは周囲に散らばって倒れた人たちを見わたすが、ドラコのすがたはもうない。曝露の呪文の効果は切れたようだ。 「ミスター・ノットの話は、あっていたということですか? ダンブルドアがそんな——」

 

「いや——もしダンブルドアなら——スプラウトを——」とクィレル先生が切れぎれに話す。

 

「わかりました。」  ダンブルドアが黒幕だったなら、〈記憶の魔法〉をつかうために教師を操縦する必要はない。

 

「鏡は……古代の遺物……あらゆるものを隠す…… そこに〈石〉があるやも……〈石〉をもとめる者は他にも多く……その一人がスプラウトを……」

 

ハリーは急いで復唱する。 「この下にある鏡は古代の遺物で、ものを隠す機能があるから、〈賢者の石〉の隠し場所候補である。 〈賢者の石〉がもしその鏡のなかにあれば、とりにいこうとする人はいくらでもいる。 その一人がスプラウトをあやつっていた。これでその人物の真の目的が説明できる……。 そこまではいいとして……スプラウトをあやつっていた人物がなぜハーマイオニーをねらったのかは、説明がつきませんね?」

 

「ハリー、たのむ。」  クィレル先生の息づかいはいっそう苦しそうになり、話す速度は痛いたしいほどに遅い。 「これ以外……わたしが生きのびる望みはない……そして、いま分かった…… わたしは死にたくない……助けてくれ……。」

 

そのひとことで、なぜかほころびが生じた。

 

なぜかそれがすこしだけやりすぎに聞こえた。

 

スプラウト先生が到着した瞬間の乖離感、不信の停止がほころびる感覚がぶりかえす。 ハリーの〈内的批評家〉はすべてがつくりものであったと仮定して考えなおそうとしている。 タイミングといい、確率といい、おなじひとつの扉にこれだけの人数が集結したことといい、〈防衛術〉教授の必死さといい…… 現実感がなさすぎる。 しかし、冒険に呼ばれるまま走りだすのではなく、立ちどまってよく考えれば、()()()()()()かもしれない。 この一年で積みかさねられた経験がようやく結晶し、歴戦の戦士の勘のようなものが多少ははたらく。 過去の失敗を経て生まれたハリーのなかの本能が、このまま勢いで動けばあとで自分のばかさ加減を悔やむことになるぞ、()()それでいいのか、と言っている。

 

「そのまえに……そのまえに、すこし考えさせてください。」  ハリーは〈防衛術〉教授から顔をそむけ、床のあちこちで意識をうしなって動かない人たちに目をむける。 この一年、パズルのピースはいくつもあった。今回このひとつのピースが来たことで、すべてが組みあわさったりはしないだろうか……。

 

「ハリー……」と〈防衛術〉教授がとぎれとぎれに言う。 「ハリー、わたしはもう死にそうだ……」

 

あと一分遅れるかどうかでこの人の生き死にはかわらない。ハーマイオニーのときはともかく、まる一年病人であったこの人の生死を左右するのがちょうどこの最後の一分間である、なんていうことはありえない——

 

「わかってます! ()()()考えますから!」

 

ハリーは倒れた人たちを見つつ考えようとした。 疑っている時間も慎重になっている時間も裏を読む時間もない。最初に思いついた案で()()()()()()しかない——

 

ハリーのこころの奥で、言語化している余裕はないぞという指示とともに抽象的な思考の切れはしが飛びかう。非言語的な光のすじが交差し、内容レヴェルの問題を浮かびあがらせる。

 

——自分はいまなにに困惑させられているように思えるか——

 

——まずはとにかく、眼前の状況のなかで一番低確率に見える部分に注目すべきだ——

 

——単純な仮説ほど事実である確率が高い。余計な根拠を必要とする個別の低確率な仮説は捨てたほうがいい——

 

ここにはまずスネイプ先生が来ていて、それからクィレル先生が到着し、それからハリーが(〈逆転時計〉で)到着し、それから冒険者一行が到着し、(一行の一人であった)ドラコがいることがあばかれ、それからスプラウト先生が登場した。

 

あまりに多くの人間が()()()()この場に到着している。偶然にしてはできすぎている。あまりに多くの人間が、おなじ場所でおなじ五分のあいだに登場しすぎている。そこにはきっと、隠れたもつれ(エンタングルメント)がある。

 

スプラウトを操縦した人物がハーマイオニーに〈記憶の魔法〉をかけさせた黒幕でもあったとする。スプラウトは黒幕に命じられてここに来たということになる。

 

スネイプ先生はなんらかの()()が起きたあとで、総長にここを監視するように言われて来たのだと言っていた。黒幕がそれを陽動として起こしたのだとすると、セヴルスがここにいる理由も説明できる。

 

ドラコがその黒幕にあやつられていたのかどうかは、いまとなってはなんとも言えない。その説はとっさの思いつきだったにすぎない。ドラコは自分が通廊に乗りこもうとして偽スーザンをどけようとしていたのかもしれない——

 

いや、そういうふうに考えてはだめだ。逆だ。ドラコとその一行が見はからったようにあのときあの場にいた理由を()()してみろ 自問している時間はない ()()()()()()()()()() つまり、スプラウトをうごかしていた黒幕がドラコをここにこさせた、あるいはその切っかけをつくった、ということにする

 

これで三者の登場が説明できる。

 

ハリー自身は自分からのメモに命じられてここにやってきた。 これは時間旅行で説明できる。

 

のこるは〈防衛術〉教授。本人はスネイプを追ってきたのだと言ってはいた それはあまり理由になっていない気がするし謎が減った感じもしない ということはクィレル先生の登場タイミングもなんらかの方法で黒幕が仕組んだのかもしれないしぼくが時間ループにはいったこと自体もそうだったのかもしれない

 

ハリーの思考はそこでつまづいた。そのさきにどう推理をすすめればいいのかが分からない。

 

つまづいた足もとをただながめている時間はない。

 

ハリーの思考は立ちどまることなく、眼前の問題を別の方向から攻めていく。

 

クィレル先生はハーマイオニーの記憶操作をするために教師が必要だということから教師の一人があやつられていると推理していた するとスプラウト先生をあやつった人物はハーマイオニーを罠にかけて殺したということ するとスプラウト先生をあやつった人物はホグウォーツ内の事情に詳しいのにくわえて、〈死ななかった男の子〉とその交友範囲に個人的な興味をもっているのではないだろうか

 

そこでようやくハリーの精神は関係する記憶をはきだした。ヴォルデモート卿復活へのもっとも有力な手段はホグウォーツ城のなかに隠されているというダンブルドアの発言 ()()()()()()()()()() するとその復活手段は鏡のなかに隠されている〈賢者の石〉で ダンブルドアはなぜ一年生が侵入できる通廊にそんな鏡をおいたのか、いやその疑問は無視しろ、いまその疑問は重要じゃない クィレル先生は〈賢者の石〉には強力な治癒力があると言っていたからその点は整合性がある

 

けれど〈闇の王〉の手がとどかないよう鏡のなかに隠されているものが〈賢者の石〉だったとしたら、そのおなじ鏡のなかに〈防衛術〉教授の命を救いうる世界で唯一のものがあるということになって——

 

ハリーの精神はその推理のさきに急に不穏なものを感じて、ためらい、反射的に顔をそむけようとした。

 

しかし、ためらっている時間などない。

 

——それもまた偶然にしてはできすぎで あまりに低確率すぎる 手のこんだどんでん返しのある物語のなかに自分がいるのだということにでもしないかぎり

 

〈闇の王〉の存在を仮定するならクィレル先生も〈闇の王〉にあやつられていたのではないか クィレル先生の命を救うものがあるということにしてクィレル先生にそれを適切なタイミングで見つけさせて 〈賢者の石〉ですらないかもしれないその復活の手段をハリーとクィレル先生が鏡からとりだしたところで〈闇の王〉の化身か別の従僕が登場してそれを横取りする これなら()()()の同時性が説明でき、あらゆる偶然性が排除できる。

 

クィレル先生は最初から自分の命を救いうるものがこの鏡のなかにあると知っていて、ホグウォーツで〈防衛術〉を教える役目を引き受けたのもそのためであって、いまそれを実行に移そうとしているのでは いや、それならこれほど体調が悪化するのを待たずに実行してみない理由がないし、スプラウトがクィレル先生と同時に登場した理由も説明できない——

 

そこでハリーの精神が立ちどまり動けなくなる。

 

ハリーは自分の精神が見ようとしない方向にこころのなかの目をむけてみる。

 

自分からのメモには、星を見る者を助けよ、とあった。 未来の自分がそんなメモを送ってくるくらいなら、その時点では正しい行動だったと判断できていたということ——ただためらうなと言いたくてそう書いてきたのでは——

 

一縷の困惑が意識的注意の対象に格上げされる。

 

羊皮紙に暗号でつづられたあのメッセージは……一、二行、表現がすこし引っかるというか、自分自身がつかわなさそうな暗号で書かれているような気がした……

 

「ハリー……」と死にかけているクィレル先生の声がする。 「助けてくれ、ハリー。」

 

「もうすこしで終わりますから。」  ハリーはそうくちにしてから、たしかにあとすこしであることに気づいた。

 

逆に考えてみる。

 

〈敵〉の視点に立ってみる。独自にうごいている知的な〈敵〉の、こちらからは見えない位置にある視点に立って考えてみる。

 

ホグウォーツにはいま〈闇ばらい〉がいて、〈敵〉の標的であるハリー・ポッターは厳重な警備のもとにいる。 事件が起きそうだと思えば、ハリー・ポッターはすぐに〈闇ばらい〉を呼ぶか、アルバス・ダンブルドアに〈守護霊〉を送るだろう。 これをパズルとして、解法を考えてみると——

 

——ハリー・ポッター自身からハリー・ポッターへ〈逆転時計〉で送られてきたように見えるメッセージを偽造する。ハリー・ポッターはそれを見て、助けは呼ばず、〈敵〉ののぞみどおりの時間にのぞみどおりの場所に行く。自分を守るための防衛手段を標的自身が自主的にかいくぐる。 未来の自分自身がそう判断したのだからという権威をもってすれば、懐疑心という防衛手段をもかわすことができる。

 

別にむずかしいことでもない。 適当な生徒一人に〈記憶の魔法〉をかけて、ある封筒をハリー・ポッターから受けとってあとで返すことになっていると思わせればすむ。

 

〈記憶の魔法〉をかけることができるのは、〈敵〉がホグウォーツの教員だから。

 

〈敵〉はハリー・ポッターのポーチにある鉛筆とマグル紙を盗むという手間をかける必要すらない。 魔法性の羊皮紙に書かれたハリー・ポッターの筆跡を偽造すればいい。 偽造できるのは、〈敵〉が魔法省に要求された試験を実施し採点したばかりだから。

 

〈敵〉はドラコ・マルフォイを『星座』と呼ぶ。〈敵〉はハリー・ポッターが天文学に興味をもっていることを知っていて、〈敵〉自身も魔法族として〈天文学〉を受講し、あらゆる星座の名前を暗記していたから。 しかしハリー・ポッター本人がドラコ・マルフォイを暗号で呼ぶなら、自然に思いついたであろう単語は『弟子』である。

 

〈敵〉はクィレル教授を『星を見る者』と呼び、ハリー・ポッターにその人を助けよと命じる。

 

〈敵〉は『ディメンター』が〈ヘビ語〉で『命食い』になることを知っている。ハリー・ポッターが〈闇ばらい〉をディメンターの同盟者だと見なすであろうことも知っている。

 

六時四十九分を『六と七の自乗』と表現するのは、〈敵〉がハリー・ポッターにもらったマグル物理学の本を読んだから。

 

その〈敵〉の正体は?

 

ハリーは自分の呼吸がはやまり、心拍数があがっているのに気づいたので、息をおちつけた。クィレル先生が()()()()()()()()

 

仮にクィレル先生が黒幕でハリーのメッセージを偽造したのだとすると、この場にこの五組が喜劇的なタイミングで同時に登場した原因も説明できる スプラウト先生についても、あとで〈偽記憶の魔法〉をつかった教師はだれかとなったときに身代わりできるようにクィレル先生があやつっていたということだ ただ

 

ただ、クィレル先生だったとしたら、なぜあの偽装殺人事件でハリーとドラコのもともと脆弱な同盟関係を揺るがすようなことをするのか

 

(……ドラコにつけておいた監視器で『検知』してドラコを『救出』したのだという体裁で)

 

クィレル先生だったとしたら、なぜハーマイオニーを殺すのか

 

(……それ以前にハーマイオニーを一度排除しようとして失敗したのだとすれば)

 

クィレル先生が敵だったとしたら、クィレル先生がホークラックスについて言ったことはすべてうそだったかもしれない。クィレル先生の命を救う唯一の手段だというものが〈闇の王〉復活の手段でもあったのは偶然でもなんでもないのかもしれない いやそれも〈闇の王〉がなんらかの方法で仕組んだことだったとしたら

 

(……デイヴィッド・モンローがかつて謎の失踪をとげ、〈闇の王〉の手にかかって死んだとされるのも)

 

ここまでのどの推理とも別の、言語化できない不吉な直観がハリーを襲う。 ことばにできる範囲で言えば、ハリーと〈防衛術〉教授はいくつかの面でとてもよく似ているということ、〈逆転時計〉を利用してメッセージがとどいたように見せかけることで標的が用意していた防衛手段をまるごと回避するというのはいかにもハリー自身がしそうな発想であるということ——

 

ようやくそのとき、ごく初期の段階で気づいていてしかるべきだった事実に、ハリーは思いあたった。

 

◆ ◆ ◆

 

クィレル先生はあたまがいい。

 

クィレル先生はハリーとおなじ意味であたまがいい。

 

クィレル先生はハリーの謎の暗黒面とまったくおなじ意味であたまがいい。

 

〈死ななかった男の子〉はいつ、謎の暗黒面を身につけたか。そう問われてすぐに思いつくべき回答は、一九八一年十月三十一日の夜。

 

◆ ◆ ◆

 

そして

そして

そしてクィレル先生は、ベラトリクス・ブラックが〈闇の王〉以外には秘密であると思っている合いことばを知ってもいた。クィレル先生に〈死ななかった男の子〉がちかづくと破滅の感覚が生じもした。クィレル先生の魔法力がハリーの魔法力と干渉すると暴走する。そしてクィレル先生の得意技はアヴァダ・ケダヴラで、それで——それで——

 

そう気づくと、ハリーの精神のなかで巨大なダムが崩壊し、ためこまれた水がすべて流れだして、あるものすべてが問答無用で押し流される。

 

ここまでの観察結果すべてを生成する現実がひとつだけある。

 

複数の観察結果がたがいに矛盾する結論をみちびくように見えるのは、まだ自分の考えがおよんでいないところに真の仮説があるからだ。

 

そういう場合、やっとただしい仮説に思いあたると、思いあったたその瞬間にすべてがそこに組みあわさる。否認や恐怖、どんな疑念や感情も寄せつけず、解が完成する。

 

——つまり、『デイヴィッド・モンロー』と『ヴォルデモート卿』とは〈魔法界大戦〉の両陣営を演じていた一人の人間にすぎず、だからこそ、ムーディも推測していたとおり、『デイヴィッド・モンロー』の存在が知られるまえにモンロー家は皆殺しにされたのであって——

 

現実が観察結果の集合をコンパクトに生成する単一の既知の状態に収束する。

 

ハリーは飛びあがることも、息づかいを変えることもなく、自分のなかにあふれる驚愕と苦悶の感情をいっさい外にださないようにする。

 

〈敵〉は背後にいて、こちらを見ている。

 

「わかりました。」  ハリーは平常どおりの声をつくろえるようになるとすぐに、そう声にした。 しかし表情はつくろえている気がしなかったので、顔は倒れた人たちのほうをむいたままでいる。 なにげなく見えるように片手をもちあげて、袖でひたいの汗をふく。 ハリーは自分の汗をとめることも、胸の鼓動をおさえることもできない。 「〈賢者の石〉をとりにいきましょう。」

 

あとはこれからの道すがら、どこかでほんの一瞬の隙ができたとき、〈逆転時計〉をつかいさえすればいい。

 

背後の人は返事をしない。

 

無言の時間がつづく。

 

ハリーはゆっくりと背後をふりかえる。

 

クィレル先生は笑顔で、直立している。

 

〈防衛術〉教授の片手にある黒い金属製のなにかがハリーの杖腕にむけられている。そのにぎりかたは、あきらかに半自動拳銃のあつかいに慣れた人物のそれだった。

 

くちのなかが乾いていて、くちびるもアドレナリンのせいで震えている。それでもハリーはなんとか声をだすことができた。 「こんにちは、ヴォルデモート卿。」

 

クィレル先生は目礼してから返事した。 「こんにちは、トム・リドル。」

 

◆ ◆ ◆

 

原作品の著者:J. K. Rowling

ファンフィクションの著者:Eliezer Yudkowsky

 


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