ハリー・ポッターと合理主義の方法   作:ポット@翻訳

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107章「真実(その4)」

巨大な白絣草(ディフェンバキア)の螺旋状に重なった葉を靴で踏むと、森の土のような感触があった。コンクリートのような堅さではなく、自分の体重が受けとめられている感じがあった。 そのまま触手を警戒しつつ歩くと、けっきょく触手は手だしをしてこなかった。

 

螺旋状の葉の階段をくだり終えたところで、突然触手がひゅっと伸びて、ハリーの手足を縛った。

 

ハリーはしばらく格闘して、抵抗をやめた。

 

「おもしろい。」と空中に浮かんでいて葉にも触手にもいっさい触れていないクィレル先生が言う。 「植物にならなんのこだわりもなく負けることができるのだな。」

 

ハリーはあらためてパニックの影響下にない状態で、〈防衛術〉教授をよく観察してみた。 クィレル先生は一見なんの苦もなく直立して動き、飛行している。 そして強力な破滅の感覚もつたわってくる。 しかし目は深くくぼんでいて、腕はやせこけている。 つまり体調の悪さは偽装()()()()()()ということ。ぱっと思いつくのは、〈防衛術〉教授は最近またユニコーンを食べ、一時的にいくらか体力を回復したのだ、という仮説だ。

 

また、〈防衛術〉教授はいまヴォルデモート卿ではなくクィレル教授という仮面に似た話しかたをしている。これはハリーにとってそれなりに都合がいいことかもしれない。 理由はわからないものの——あるとすれば〈防衛術〉教授はなにかのためにハリーを必要としているとか——とにかく、その相手役をつとめることはハリー自身の利益にもかなうように思われる。

 

「あなたはぼくにこの罠を踏みぬかせるつもりだったんですね。」  ハリーはクィレル先生に対して話すときとおなじように話す。 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()() 「勝手にやってよければ、ぼくはホウキで行ったと思います。」

 

「ふむ。 ただの一年生ならこの関門をどう切り抜ける? 杖をもった一年生なら、ということだが。」  植物はクィレル先生にも触手をのばすが、クィレル先生はただ飛んで、触手がぎりぎりとどかない位置まで移動した。

 

ハリーはスプラウト先生が『デヴィルズ・スネア』という植物のことを話していたのを思いだした。〈薬草学〉の教科書によれば、洞窟など暗く冷たい場所を好む植物だという——だったらなぜ葉があるのかという点は気になるが。 「推測ですが、これは『デヴィルズ・スネア』という、光や熱から逃げようとする植物じゃないかと思います。 だとすると、一年生なら『ルーモス』を使うのでは? ぼくもいまなら『インフラマーレ』にしますが、その呪文は五月になるまで知りませんでしたから。」

 

〈防衛術〉教授の杖がくるりとまわり、そこから液体が噴射され、触手の根もとに命中した。小さくビチャっと音がしてから、また小さくシュっと音がした。 ハリーに触れていた触手があわてて退却し、表面に広がっていく傷ぐちをたたきはじめた。そこにある疼痛をとりのぞこうとするかのように。その様子はどこか、無言で悲鳴をあげているように見えた。

 

クィレル先生がゆっくりとした下降を終えた。 「今後は光と熱と酸とわたしを恐れる。」

 

ハリーは自分のローブと床を見て、酸が飛び散っていないことをよく確認してから、最後の葉の段からおりて床面に到着した。 クィレル先生はなにかを伝えようとしてこうしているようにも思えるが、なにを伝えようとしているのかが分からない。 「ぼくたちにはやるべき仕事があるんだと思っていました。あなたがぼくをからかおうとするのをとめることはできませんが、時間がもったいなくありませんか?」

 

「時間はあるとも。」とクィレル先生は愉快げに言う。 「ここでわれわれが〈亡者〉の番人とともに発見されたとしたら、大騒ぎになるにちがいない。 そんな騒ぎが起きていれば、クィディッチの試合の場にも伝わっている。だがこの時間に到着してスネイプと話していたときのおまえには、そんな素ぶりがなかった。」

 

その意味を理解してハリーはさっと寒けを感じた。 これからなにをしてクィレル先生を倒すにしろ、それはこの学校の日常を……最低でもあのクィディッチの試合を()()()()()()()()()()()()ものでなければならない。クィディッチの試合は現に()()()()()()()()()()()のだから。 ヴォルデモート卿を制圧するのにたりる戦力をあつめることが仮に可能だとして、それをマクゴナガル先生にもフリトウィック先生にもクィディッチの試合の場にいただれにも気づかれずにやりとげるのは、そう簡単でなさそうな気がする……。

 

あたまのいい敵を相手にするのは楽ではない。

 

ただ、それにしても……自分をクィレル先生の立ち場においてみると、これは無駄話や心理戦をしているべき場面ではない気がする。 クィレル先生にとってここで時間をつかうことには()()()()()()()がある。ではどんな利益だろう? なにか別のプロセスがうごいていて、その完了を待つ必要があるとか?

 

「ところで、まだ裏切ってはいないか?」とクィレル先生がたずねた。

 

裏切ッテイナイ。」とハリーはこたえた。

 

〈防衛術〉教授は左手に持ちかえた銃で前方を指した。ハリーは部屋の奥の木製の大扉にむけて歩き、扉をひらいた。

 

◆ ◆ ◆

 

つぎの部屋はまえの部屋より径が小さく、天井が高い部屋だった。 丸い壁龕(アルコーヴ)にならべられた照明は青色ではなく白色である。

 

周囲には、羽のついた何百もの鍵が音をたてて空中を飛びかっている。 それを数秒観察していると、ひとつだけスニッチとおなじ黄金色をした鍵があることが分かった——ただしそれは実際のクィディッチの試合にいるスニッチほど高速ではなかった。

 

部屋の反対がわの扉には、大きく分かりやすい鍵穴が一つある。

 

左手の壁には、この学校でつかわれる定番のホウキ、〈クリーンスウィープ七式〉が立てかけられている。

 

「あの。」と言いながらハリーは無数の鍵の群れを見つめる。 「質問すれば答えてくれるという約束でしたね。 これはなんなんです? 侵入をふせぐために扉に鍵をかけたなら、鍵は安全な場所に保管して、正当な来客者にだけ複製をわたすものでしょう。 まちがっても、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()なんていうことはしない。 これはどうしたらいいんでしょうね? 実質的には〈石〉を守っているのは例の魔法の鏡だけだという可能性はすぐに思いつきますが、だとしたら、なぜそれ以外にもこんな——それに、なぜ一年生を誘うような言いかたを?」

 

「わたしにもよく分からない。」と言う〈防衛術〉教授も部屋にはいって、ハリーから向かって右に、十分離れた位置にいる。 「しかし約束どおり、わたしの答えを教えよう。 ダンブルドアは、正気に見えないことを十以上やって、そのうち八か九にのみ深い意味をもたせるというやりかたをする。 ダンブルドアは、こちらが生徒を代理人として送りこみたくなるように誘導しているように見せかけているのではないかと思う。 そう見せかければ、ダンブルドアが考えるヴォルデモート卿という人物なら、実際にそうする気が薄れるであろうと想定して。 ダンブルドアが最初に〈石〉を守る方法を考えているところを想像してみろ。 ダンブルドアが〈鏡〉を真の意味で危険なもので守るべきかどうかを考えているところを想像してみろ。 若い生徒がわたしに命じられてそんな危険なものを乗り越えようとするのをダンブルドアが想像しているところを想像してみろ。 その状況をダンブルドアは避けようとしているのではないかと思う。これはわたしを身代わりの策へ誘導しているように見える、となるとその策でダンブルドアの裏をかくことはできない、とわたしに考えさせようというのがダンブルドアの狙いだ。 もちろん、ダンブルドアが考えるヴォルデモート卿の考えについてのわたしの考えが不正確だったなら、そのかぎりではないが。」  クィレル先生はそこでにやりと笑った。まるでこれまでどおりのクィレル先生らしい笑いかたに見えた。 「策謀はダンブルドアにとって自然にわきでてくるものではなく、必要にせまられて努力してやるもの。 そのためにダンブルドアは、知性と熱意と、失敗から学ぶという能力と、純粋な才能の欠如とをそそいでいる。 その点だけをとっても、ダンブルドアは驚異的なまでに予測しがたい。」

 

ハリーは向きをかえ、奥の扉に視線をむけた。 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()() 「一年生に想定されているのはおそらく、あのホウキは無視して、『ウィンガーディウム・レヴィオーサ』をつかって鍵をつかまえるという解法だと思います。これはクィディッチの試合ではないので、そうしていけないというルールもありませんから。 それでこんどはどんな桁はずれに強力すぎる呪文を撃つんです?」

 

返事はなく、しばらく飛ぶ鍵の音だけがのこった。

 

ハリーは数歩うしろに引き、クィレル先生から離れた。 「不用意なことを言ってしまったみたいですね。」

 

「いやいや…… 世界最強の〈闇の魔術師〉に対して数歩の距離で口にしてなんら問題ない発言だったよ。」

 

クィレル先生は杖を反対の、ときおり銃をにぎるほうの手の袖にもどした。

 

それから口に手をいれて、歯のようなものをとりだし、高くほうりなげた。おりてきたときには、それは杖に変化していた。それを見て、ハリーのなかで奇妙な既視感が……その杖が自分の……一部であったことがあるような感覚が生じた……。

 

長さは十三と半インチ、イチイ材、芯は不死鳥の羽—— オリなんとかという杖職人にそれを言われ、〈プロットに関係〉しそうな情報だと思ってハリーは暗記したのだった。そのできごとと、そのときの自分の思考が、前世のように遠く感じられる。

 

〈防衛術〉教授はその杖をかかげて、空中に火で、禍まがしくぎざついた輪郭のルーン文字を書いた。 ハリーは本能的に一歩さがった。 クィレル先生が声を発した。 「アズ゠レス。アズ゠レス。アズ゠レス。」

 

すると火文字のなかから炎が……ぎざついたルーン文字の輪郭にそのまま決定づけられたかのような、()()()()炎が流れだした。 その炎は血より赤く、アーク溶接のように強力な熱をもって燃えている。 その赤色がそのように強く輝くのは()()()()()()()ように思える。これだけ赤いものがこれほどの光を発するはずはないように思える。赤い炎は多数の黒い管から飛びでていて、管が炎の光を吸いとっているように見える。 紅蓮と闇が交錯して黒く染まった炎のなかに、コブラ、ハイエナ、サソリなど、捕食動物のゆがんだ輪郭がつぎつぎとあらわれた。

 

「アズ゠レス。アズ゠レス。アズ゠レス。」  クィレル先生がその単語を六回となえおわったとき、黒炎はすでに小さな茂みほどの大きさにふくれあがっていた。

 

クィレル先生がそちらを凝視すると、呪いの炎は変化の速度をうしない、やがて単一の、黒い血の色をした不死鳥のかたちに収束した。

 

ハリーには、この黒い不死鳥とフォークスが出会ったとしたら、フォークスは死んで二度と生まれかわらないだろうという、暗い確信じみた直感があった。

 

クィレル先生が杖を一度ふると、黒炎が天井まではねあがり、扉とその鍵穴を目がけて飛びこみ、赤く燃えるつばさで一薙(ひとなぎ)した。扉の大半とアーチの一部が炎に飲みこまれ、汚れた炎はそのまま前へ進んだ。

 

ハリーが穴のなかをちらりとのぞいた一瞬のうちに、立ちならぶ巨大な像が剣や棍棒をかまえようとしたところを黒炎が襲い、壊れて燃えあがるのが見えた。

 

破壊が終わると、黒炎の不死鳥は穴をとおって舞いもどり、クィレル先生の左肩の上に浮かんで、太陽のように燃える鉤爪(かぎづめ)をローブの上空一インチにおいてとまった。

 

「さきへ進め。もう危険はない。」とクィレル先生が言った。

 

必要にせまられて暗黒面の認知パターンを呼びだして冷静さを維持して、足をふみだす。 熱をもって光る扉の残存部分をまたいで、壊れた巨大なチェス駒がならぶチェス盤に目をやる。 扉をとおって五メートルの位置ではじまる黒と白の大理石の敷石は両側の壁いっぱいの幅でつづき、部屋の奥のつぎの扉の五メートル手前で終わっている。 天井は、どの像もとどかない程度に十分な余裕をもった高さだ。

 

「ぼくの推測では……」  ハリーの暗黒面の認知パターンが冷静さを維持する。 「想定されているのは、まえの部屋のホウキにのって飛びこえていくという解法じゃないでしょうか。けっきょく鍵をつかまえるのにあれは必要なかったわけなので。」

 

うしろでクィレル先生が笑う声がした。ヴォルデモート卿の笑いかただった。 「進め。」  その声はいっそう冷たく、高くなっている。 「つぎの部屋にはいれ。 そこにあるものを見ておまえがどう出るかを見てみたい。」

 

これはダンブルドアが一年生用に用意したもの、だから危険はない——。そう自分に言い聞かせ、ハリーは荒れはてたチェス盤を通過し、つぎの扉の取っ手をつかみ、押してあけた。

 

◆ ◆ ◆

 

半秒後、ハリーは扉をぴしゃりとしめて飛びのいた。

 

数秒かかって呼吸をとりもどし、自分をとりもどす。 扉のなかからは、かわらず低いうなり声とともに、石の棍棒で床を打ってひびかせる音がしている。

 

「きっとこれは……」  ハリーの声もまた冷たくなっている。 「ダンブルドアならほんものの山トロルをおいたりはしないでしょうから、あのつぎの関門はぼく自身の最悪の記憶の映像なんでしょうね。 ディメンターとおなじように、ひとの記憶を外の世界に投影するものでしょう。 こんな愉快な経験はあまりありませんね。」

 

クィレル先生自身が扉のほうへ動き、ハリーは道をあけた。 強力な破滅の感覚がつたわってくるのにくわえて、ハリーの暗黒面がそう判断したか、もしくはたんに本能的なものか、とにかくクィレル先生の肩の上にいる黒炎の鳥には近づくべきでないように思われた。

 

クィレル先生が扉をあけて、なかを見る。 「ふむ。たしかにトロルしかいない。 おまえについてもっとおもしろい情報がひきだせればと思っていたが、まあ、しかたない。 あそこにいるのはココーヘカス、別名コモン・ボガートだ。」

 

「ボガート? それはどういう——いえ、どういう生物かはだいたいわかりました。」

 

「ボガートは……」  クィレル先生はまた、ホグウォーツ教師が講義をするときの話しぶりに変わっている。 「暗く狭い場所、滅多に開放されない場所を好み、つかわれなくなった天井裏の物置などに住む。 他者に近づかれることを嫌う。近づいた者を怖がらせて追い払えるようなすがたで出現する。」

 

「逃げさせる? ぼくはトロルを()()()んですが。」

 

「事実、きみはなにも考えずに飛びのいた。 ボガートは合理的な脅威ではなく本能的な嫌悪を引きだそうとする。 そうでもなければ、もっと現実味のあるもののすがたをとっているだろう。 ともかく、ボガートへの標準的な対抗〈魔法〉は……当然〈悪霊の火(フィーンドファイア)〉だ。」  クィレル先生の手ぶりで、クィレル先生の肩から黒炎が飛びたち、扉に吸いこまれていった。

 

扉のむこうで一度ぎゃっと声がしてから、なんの音も聞こえなくなった。

 

二人はそれまでボガートがいた部屋に、こんどはクィレル先生が先頭にたって入室した。 山トロルの外見をしているものがなくなると、そこはまたおなじ、冷たく青い光に照らされた、だだっぴろい部屋にすぎなかった。

 

クィレル先生は遠くを見るようにして思案する表情で、 そのままハリーを待たずに部屋の奥へすすみ、なにも言わずに反対がわの壁の扉をあけた。

 

ハリーは距離をたもちながら、そのあとを追った。

 

◆ ◆ ◆

 

つぎの部屋には(コルドロン)がひとつと、材料の瓶がいくつもならべられた棚、まな板、攪拌(かくはん)棒など調合術の道具がそろっていた。 調合には色覚が重要であるせいか、壁のくぼみから発せられる光は青色でなく白色になっている。 クィレル先生はすでに調合道具のそばに立ち、長い羊皮紙の巻き物を手にとって検分している。そのつぎの部屋へつづく扉は、紫色の炎のカーテンで閉ざされている。それもおそろしげな炎ではあるかもしれないが、クィレル先生の肩の上の黒炎と見くらべると弱よわしくさえ見えた。

 

この段階でハリーの不信の停止は休暇をとってどこかに行ってしまっていたので実際にくちにはしないものの、現実世界のセキュリティ機構は権限のある人と権限のない人を()()()()ためにその二種類の人から()()()結果を引きだす問いをするのだ、と言いたいところではある。 セキュリティ的に()()例は、権限のある人にだけ事前にダイヤル錠の組み合わせを教えておき、入室しようとする人がそれを解けるかどうかを試す課題であり、セキュリティ的に()()例は、わざわざ調合手順書をつけておいて、そのとおりの調合をさせるという課題である。

 

クィレル先生はその羊皮紙をハリーのほうに投げ、それはあいだの床に落ちた。 「それをどう見る?」と言ってからクィレル先生は一歩さがり、ハリーが羊皮紙をひろいにいけるようにした。

 

ハリーは軽く目をとおしてから言う。「だめですね。 なんのひねりもない論理パズルを解くと材料をいれる順序がわかるようになっている、というのも、権限のある人とない人を識別する役には立ちません。 これがもっと骨のある論理パズル、たとえば三体の偶像のパズルや色のちがう帽子をかぶった人の列のパズルだったとしても、方向性そのものがまちがっているのには変わりません。」

 

「裏面を見ろ。」

 

ハリーはその二フィートの羊皮紙を裏がえした。

 

裏面には小さな文字でびっしりと、ハリーが以前目にしたどんな手順書よりも長い調合手順が書かれていた。 「これはいったい——」

 

「あの紫色の炎を消すための『光輝のポーション』。 まったくおなじ材料の組をくりかえし、すこしずつ方法を変えて投入していって完成するポーションだ。 一年生何人かがここまでの部屋を通過して、あと一歩で魔法の鏡にたどりつくと思ってここに来て、この課題をやらせられる様子を考えてみろ。 これはまちがいなく〈薬学〉教授が用意した部屋だな。」

 

ハリーはクィレル先生の肩の上にいる黒炎の鳥をじっと見た。 「火には火で対抗できない、と?」

 

「いや、できる。 しかしそうすべきかどうかが分からない。 もしこれが罠だとしたら?」

 

ハリーとしては、遊びでこんな調合をして足どめを食う気はない。クィレル先生は遊び以外の理由があってこれほど時間をかけて進んでいるのかもしれないが。 手順書には、ホタルブクロを投入しろという記述が()()()()、『明るい色の毛の一束』が十四回……。 「このポーションは子どもには無害で大人の魔法族を死にいたらせるガスを放出するのかもしれません。 それ以外にも、急にまじめな話をするなら、生死にかかわる罠はいろいろ考えられますね。 まじめに話しますか?」

 

「これは〈薬学〉教授が用意した部屋だ。」とクィレル先生はまた思案する顔をする。 「このゲームでのスネイプの立ち位置は、傍観者とはほどとおい。 スネイプにはダンブルドアほどの知性がない反面、ダンブルドアに欠けている殺意がある。」

 

「どんな仕組みだとしても、子どもに突破できないものでなかったのはたしかですね。 実際一年生が何人も通過しているんだから。 そしてこれが子ども()()()()()()()に突破できないものだとしたら、まるでダンブルドアはヴォルデモート卿に子どもを連れてくることを強いていることになってしまう。 それでは本末転倒ですよね。」

 

「うむ。」と言ってクィレル先生は鼻すじをこする。 「しかしこの部屋には、ほかの部屋とちがって、なんの引き金も警告も設置されていない。 さりげなく仕込まれた結界もない。 こんな調合はせず、ただそのまま進め、と()()()()()かのようだ——しかしスネイプはヴォルデモート卿ならそれを感知するということを知っている。 調合をせずに進んだ者に対して発動する罠が実際あるのだとすれば、ほかの部屋とおなじように結界をおいておき、新しいことがあるように思わせないほうが得策なのだから。」

 

ハリーはそれを聞いて、眉をひそめて熟考した。 「つまり……ここで検知網がなくなっているのは、強引に突破する気を()()()()()ためだとしか考えられない、と。」

 

「わたしならそこまでの推理をする、とスネイプなら考える。 それ以上に何重の推理をすべきかについては、スネイプがこちらをどの水準のプレイヤーだと想定するかによるから、なんとも言えない。 わたしは忍耐力があり、今回のために十分な時間を準備した。 しかしスネイプはヴォルデモート卿を知っているが、わたしを知らない。 スネイプは、ヴォルデモート卿がいらだって声をあげ、感情にまかせて非生産的な行動に出るのを目撃したことがある。 これをスネイプの視点から見てみよう。ホグウォーツの〈薬学〉教授がヴォルデモート卿をまるで一生徒のようにあつかい、おとなしく手順書のとおりにやれと命じる。 わたしならその場ではなんの苦もなく笑顔で命令を受けいれ、あとで復讐する。 しかしスネイプはヴォルデモート卿がなんの苦もなくそういった考えをするということを知らない。」  クィレル先生はそう言ってハリーを見る。 「おまえはわたしが『デヴィルズ・スネア』の関門で飛行するのを見ただろう?」

 

ハリーはうなづいた。それから自分が困惑していることに気づいた。 「ぼくの〈操作魔法術(チャームズ)〉の教科書には、みずからを浮遊させることは不可能だと書いてありました。」

 

「教科書にはそうある。 魔法使いは自分自身を浮遊させることも自分の体重をささえる物体を浮遊させることもできない、それは自分の靴ひもを引っぱって自分を持ちあげようとするようなものだ、ということになっている。 ところがヴォルデモート卿だけは飛行することができる——それはどんな方法か? できるだけ時間をかけずに答えてみろ。」

 

それが一年生にもこたえられるような質問だとすれば—— 「他人に命じて自分の下着にホウキ用の魔法をかけさせ、そのあとでその他人を〈忘消〉(オブリヴィエイト)した。」

 

「いや。 ホウキ用の魔法は細長く、硬度のあるものにしかかけられない。布はそれに該当しない。」

 

ハリーは眉にしわをよせた。 「どのくらい細長い必要がありますか? 短いホウキの芯棒をくっつけたハーネス型の服で飛ぶというのは?」

 

「たしかに、わたしも最初、魔法をかけた棒を腕と足にくくりつけるという手をつかった。だがそれはあたらしい飛行法の練習のためだけでしかなかった。」  クィレル先生はローブの袖をまくって、はだかの手をだした。 「見てのとおり、ここには種もしかけもない。」

 

ハリーはそのあらたな制約を取りいれて考えた。 「ホウキ用の魔法を、自分の()()かけさせたということですか?」

 

クィレル先生はためいきをついた。 「それだけのことが、ヴォルデモートについてもっとも恐れられたことのひとつだった……らしい。 これだけの年月をへて、しかたなく〈開心術〉をつかってやったあとでも、わたしはいまだになぜ凡人はこの程度のことに思いあたらないのかと不思議に思う……しかしおまえは彼らとはちがう。 そろそろこの謎解きにも貢献してもらおう。 おまえは最近のセヴルス・スネイプについてわたしより詳しいのだから。 この部屋について分かったことを言ってもらおうか。」

 

ハリーは返事をしかねて、考えるふりをした。

 

「言っておくが……」とクィレル先生が言うと、肩の上の黒炎の不死鳥があたまをもたげてハリーをにらんだように見えた。 「わたしが失敗にむかっていると知りながらそれを看過する行為は裏切りとみなす。 〈石〉がミス・グレンジャーの復活の鍵であること、こちらには数百人の生徒の命という人質があることも念押ししておく。」

 

「おぼえています。」  そのとき、ハリーの発想力ゆたかな脳がとあることを思いついた。

 

ハリーはそれをくちにするべきかどうか迷った。

 

無言の時間がつづく。

 

「まだなにも思いつかないか? 〈ヘビ語〉でこたえろ。」

 

さすがに相手が知的で、いつでもこちらに強制的に真実を言わせることができるとなると、簡単にやりすごすことはできない。 「セヴルスは……すくなくともいまの時代のセヴルスは、あなたの知性を高く評価しています。」  ハリーはそう言うことで返事にかえる。 「もしかすると……もしかするとセヴルスは、ヴォルデモートがこの忍耐力の課題を攻略するとセヴルスが思わないとヴォルデモートが思うだろうと思っているかもしれませんが、実際には攻略すると思っているだろうと思います。」

 

クィレル先生はうなづいた。 「ひとつの説としてはありうる。 しかしおまえ自身はその説を信じているのか。 〈ヘビ語〉で答えろ。」

 

ハイ。」  情報をわたさずにいること、考えを隠すことすら、安全でないかもしれない……。 「となると、この部屋の目的はヴォルデモート卿を一時間足どめすることです。 そして、もしぼくがダンブルドアの考えをそのまま受けとって、あなたを殺そうとするとしたら、まずやってみるのは〈ディメンターの口づけ〉です。 というのも、むこうはあなたのことを肉体を離れた魂であると想定しているので— ところで、実際にはどうなんですか?」

 

クィレル先生は動かず、しばらくしてから答えた。 「ダンブルドアならそんなの方法を思いつきもしない。 しかしセヴルスなら思いつくかもしれない。」  クィレル先生はほおに指をあてては離すことをくりかえす。視線は遠くを見ている。 「おまえはディメンターへの影響力があるのだったな。この付近にディメンターがいるか、たしかめてくれ。」

 

ハリーは目をとじた。ここに世界の虚無がいるような感じはない。 「ぼくに感知できるかぎりでは、いません。」

 

「〈ヘビ語〉で言え。」

 

命食イヲ 感知デキナイ。

 

「なのにその可能性をほのめかしたのは、なにか裏があってのことか。罠にはめようとしてのことか。」

 

裏ハ ナイ。罠デハ ナイ。

 

「憑依する魂を見つけたら食べるようにと命令されたディメンターが、なんらかの方法で隠蔽しておかれている、ということもあるかもしれない……。」  クィレル先生はまだほおに指をあてている。 「わたしがそれに該当する可能性もなくはない。 この部屋をあまりにも速く通過した者、子どもでない者を食べるよう、ディメンターに命令することもできるかもしれない。 わたしにハーマイオニーとほかの生徒数百人の人質があることを踏まえて、もしここにディメンターがあらわれたら、おまえはおまえの能力でわたしを守るつもりがあるか。〈ヘビ語〉で答えろ。」

 

ワカラナイ。」とハリー。

 

命食イハ オソラク ワタシヲ 壊セナイ。」とクィレル先生が言う。 「命食イガ 近クニ 来レバ、 ワタシハ コノ 体ヲ 捨テルダケ。 今回ハ 手間取ラズ 戻レル。以後 ダレモ ワタシヲ 止メラレナイ。 ワタシニ サカラッタ 罰トシテ、オマエノ 両親ヲ 以後 何年モ カケテ 拷問スル。 オマエガ 友人ト ミナス 生徒ヲ 含メ 何百人モノ 人質ノ 生徒ガ 死ヌ。 モウ一度 タズネル。 命食イガ 来タトキ、オマエハ 能力ヲ ツカッテ ワタシヲ 守ルカ。

 

ハイ。」とハリーは小声で答えた。 押し殺していた悲しみと恐怖の感情がぶりかえし、暗黒面にもそれに対処するパターンの蓄積がない。 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

クィレル先生は笑みをうかべた。 「それで思いだした。 いまのところ、わたしを裏切っていないか?」

 

裏切ッテイナイ。

 

クィレル先生は調合道具のまえにもどり、片手で根をきざみはじめた。軽がるとやっているようでありながら、ナイフの動きは速すぎてほとんど目に見えない。 〈悪霊の炎(フィーンドファイア)〉の不死鳥が空中をただよい、部屋の反対がわのすみに止まった。 「あらゆる点の不確実性を考慮にいれるなら、一年生とおなじやりかたでこの部屋を通過していくのが得策のようだ。 待つ時間をつかって話すこともできる。 質問があると言っていたな? 約束どおり答えよう。訊くがいい。」

 

◆ ◆ ◆

 

原作品の著者:J. K. Rowling

ファンフィクションの著者:Eliezer Yudkowsky

 

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